おしえてください。。。
どういう作家さんがかいてる
どういう作品のことなのですか?
色々参考にして
読んでみたいです。
お勧めのがありましたらよろしくお願いします。。
3 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 12:32
教科書の最後の文学年表に出てる作品全部読みな
今日の新聞で島田雅彦が厨房の頃そう言う読み方してたとよ
4 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 13:13
戦前までは所謂「私小説」のことだと考えて
おけば良いのでは?
その後のことは、横光利一「純粋小説論」、
平野謙「芸術と実生活」あたりを参照のこと。
5 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 15:26
僕は純文学という言葉はひつようないと思う。
「文学」と「文芸」のほうが正確。
6 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 19:30
純文学は大衆文学よりも上等なの?
8 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 22:27
つまんない小説のことです。
存在しません
10 :
吾輩は名無しである:2001/07/23(月) 01:15
こそーりたのしむ本
12 :
吾輩は名無しである:2001/07/23(月) 01:36
>11
どこが違う?
14 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 00:20
私が勝手に思ってることです。
大衆文学は、推理とか冒険とか、そういう楽しむためにある文学。
純文学は、人生についてとか宗教についてとか、思想的なものが混じってるもの。
一概には言えないのでひとりよがりな私見です。
15 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 00:22
16 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 00:24
プロットが無いのが純文学だよ。
主張すべきことも書くべきことも無いというのが純文学の理念型。
17 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 00:28
>>14 思想や宗教が介在したら純文学ではないよ。
それは啓蒙文学や宗教文学になってしまう。
18 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 00:29
19 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 00:30
>>15 中間でもどちらが強いとかあるのではないでしょうか。
どちらを強調してるか、人によって感じ方が違うと思うので
大衆文学、純文学の区別は、人によって違って当然だと思います。
区別しないというのもいいのでは。
なんて言ってしまうと、このスレからずれちゃいますね・・・。
20 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 00:31
21 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 00:32
「何事も起こらず、何事も終わらず」
というのが純文学の様式かな。
始まりも無く終わりも無い日常を描くのが純文学。
22 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 00:32
純文学って
そのままそれに当たる言葉が
英語にないよね。
そのままはね。
だから、そこらから把握して
余り過剰に思い込まないこと。
なお、これは純文学を誹謗するつもりで言ってるわけでは
ありません。
定義付けもいいだろうけど、まずは楽しむべき。
23 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 00:35
ヘッセに限らず海外の名作と呼ばれる作品は、
純文学とは異なると思うが。
24 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 00:36
純文学って、どう楽しめるわけ?
しんどいんだけど。
25 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 00:39
>>22 あるらしいです>『純文学』の英語
ショウノヨリコの「ドンキホーテの論争」に書いてありました。
26 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 00:43
福田の分類の仕方を改変して、
エンターテイメント=ビタミン剤
純文学=酒
ビタミン剤は健康な生活を送る補助になるもの。酒は少量なら薬になるが
過ぎれば身体を壊す。
27 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 01:26
>>23 海外文学は、純文学と大衆文学には区別されないの?
あくまで日本文学内での事なのですか?
28 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 01:36
>>19 ちょっとそのレスは恥ずかしいよ。
「中間小説」とはあなたの考える中間の小説という意味ではなく、過去にあった一ジャンルの名称です。
29 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 01:45
いや、十分「中間小説」に対する意見とも読めますよ。
ていうか、久々にマターリとしてきていい感じ。
30 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 02:17
ビタミン剤だって過ぎれば毒じゃん。それ知らないからフクダはデブなんだよ。
31 :
名無しさん:2001/08/12(日) 02:26
純文学は漢文を素にしたもんじゃぁー
って誰か言ってました。
私もそんな気もしますが、
もっとこう、なんつうのか、
豊饒というか、考えが無茶苦茶だなーコイツは。
ってな奴のが面白いね。
32 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 02:33
お経とか?
33 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 08:23
宮崎勤や宅間守が漢文調で日記を書いていれば、純文学の最高傑作だな。
34 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 08:37
定義は大体分かったので、
「これこそ純文学!」という作品を挙げてください(主観で結構です)。
35 :
歩き人:2001/08/12(日) 11:28
36 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 11:53
>>35 主人公ザムザじゃん。
主人公の名前が純じゃない小説は純文学とは決していいません。
37 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 11:59
38 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 14:36
とりあえず、北村透谷がこの用語を使ってるらしいな。
その定義については、長谷川泉「純文学」(『現代日本文学大辞典』
明治書院)、小笠原克「〈純文学〉の問題」(『文学』s44.9)が
素敵にまとめてるらしい。
39 :
あらば:2001/08/12(日) 21:32
面白みも幻想味もない身辺雑記をもっさりうだうだ
綴ってしょうもない内面を吐露するものが純文学。
って、僕は思います。かなり主観的な見方ですが、
こう言う匂いのする作品って日本だけでしょ。
島国根性全開って感じだね。
40 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 23:23
佐伯一麦って現代作家のなかで私小説を書いてると言われてますよね?
「ア・ルースボーイ」とか実話だったらすごいけど・・・。
私小説≠実話
42 :
吾輩は名無しである:2001/08/13(月) 00:37
純文学は作者が読者に対して訴える主張を持ったもの。それを文章で追求する。
じゃあ、それ以外の小説は主張が無いのかというと、そんなことはないが
根底にはあくまでも読者を楽しませよう、ハラハラさせようとする意図・計算がある。
だけど明確に線引き出来ない小説もこの頃出てきているのでジキ「純・娯楽」小説の
呼び名も無くなってくるように思うが。
43 :
吾輩は名無しである:2001/08/13(月) 00:40
実話なわけないべや
44 :
吾輩は名無しである:2001/08/13(月) 01:03
高橋源一郎が言うには
犯人がわかるのが大衆文学
犯人がわからない(いない)のが純文学
45 :
吾輩は名無しである:2001/08/13(月) 01:27
純文学って言葉は長らく「私小説」のことを指してたみたいだね。
今は“通俗性を廃して作者の観念なり思想なりを追求した小説”
みたいに理解されるけど、それは比較的最近の概念らしい。
46 :
吾輩は名無しである:2001/08/13(月) 01:28
最初に発表されたのがどこか、ってだけっしょ?
47 :
俺ドットコム:2001/08/13(月) 02:03
誤解承知でいうと、最近で純文学は誰かって言ったら
柳美里でしょ。あんなもん?って人絶対いると思うけど、
純文学なんてそんなケッタイなもんじゃないよ。ケッタイ
ぶってるだけ。芥川がビアスの「悪魔の辞典」に触発されて
なんか二つくらい書いてたよな。「悪魔の辞典」はブラック
で笑えるんだけど、芥川のあのえらそうなものの言い草は
何?あの辛気臭さ、余計な選民意識、自己吐露。それらを
兼ね備えたものが純文学なんじゃないの?柳もそうでしょ。
>>47氏は「けったい」を「大層な」とか「偉そうな」という意味で
使ってるみたいだけど、この言葉って奇妙とか変とかいう意味では
ないの?…いや、話の中身と関係なく気になったので…。
49 :
吾輩は名無しである:2001/08/13(月) 04:38
俺は47にあらかた賛成。
っていうか完全に定義づけるのは不可能。
どのレスも失礼ながら主観的なものを指し示している
に過ぎないからね。
通俗性?観念?啓蒙文学?宗教文学?
それは何をもってそんなものが定義できるのか、俺には
さっぱりわからん。
ここのスレ読んでいるとなんとなく純文学って言葉に対して
大衆文学という言葉が出てくる。
つまり純文学の反対が不純文学でそれが大衆文学。
純文学ってのは「大衆の読むべき物ではない
高級な文学」って勘違いインテリの痛々しい詰まらん
排他性から出てきた言葉に過ぎない。
あ、俺は別にこのスレの住人を批判しているんじゃなくて
なんか、純文学って言葉を使う人間のメンタリティーを批判している
というか、馬鹿にしているだけ。
大体、大衆文学ってのだって、一体どうやって定義づけるんだ。
もしかしたら発行部数か?
仮に大衆文学がエンタテイメントを主目的としたもの、
純文学が観念を表現したものとしても
人間が書いた全ての物には楽しめる要素があるし、(それが例えば「財務諸表分析
入門」とかのビジネス関連の実用書であっても)
人間の書いたすべてのものの裏には観念が存在している。
主目的ったって、なにをもってして主目的って言うのか、
俺にはさっぱりわからない。ある本のなかの8割がエンタテイメントだから
なんて定義づけるのは不可能。
よって、文学をその特色によってジャンルわけするのは不可能だし、
なにも意味をなさない。
あるとしたら、そこに付随する要素によって分けるだけ。
(ロシア人が書いたからロシア文学とか。)
50 :
吾輩は名無しである:2001/08/13(月) 04:42
他のカテゴリに入れられないから純文学、だと思ってた。
似た傾向の作品が増えてくると、
新しい名前の、新しいカテゴリができる。
その作品たちは純文学から外される。
それでどんどん「純度の高い」「文学」になっていく。
勿論、だからといって崇高だったりナントカだったり
するわけじゃないんですけどね。
なんとなく。
51 :
吾輩は名無しである:2001/08/13(月) 04:48
エンタテイメント好きなんですが
文学板の住人にとって
無視できないエンタメ作品の紹介・斬新な解釈スレを立てませんか?
個別に立てるとすぐに一般書籍板へって言われてしまいます。
難しく解釈する必要はないのですが
別方向からの読み解きが十分に興味深い作品は多いと思いますから。
52 :
吾輩は名無しである:2001/08/13(月) 05:06
53 :
吾輩は名無しである:2001/08/13(月) 05:32
>>49 何を根拠に仰っているのか存じませんが、
事実はそんなに単純ではありませんよ。
>純文学ってのは「大衆の読むべき物ではない
>高級な文学」って勘違いインテリの痛々しい詰まらん
>排他性から出てきた言葉に過ぎない。
54 :
49:2001/08/13(月) 05:40
申し訳ない。私はお盆休みをひましている
サラリーマンでそれほど専門的に知っているわけでは
ありません。
根拠は49にも書いたようにこのスレからなんとなく
読み取ったということ以外にはない。
つまり、「純文学」という言葉がある以上、
「不純文学」(無論そんな言葉はないだろうが)
がなければおかしいわけであり、それが何を指すのか、
と考えた時の根拠はこのスレでなんとなく純文学に
対応する言葉が大衆文学という言葉なのかな、って考えただけだ。
うー割れながら苦しい。
53さん、宜しければ説明御願いします。
55 :
吾輩は名無しである:2001/08/13(月) 06:07
不純文学!
いいね。
でも、とっくに何処かの出版社がコピーに使ってたよね。
幻冬社以前か・・・・・。
56 :
Tango:2001/08/13(月) 07:05
「大衆文学」ってのは伝奇作家の白井喬二が名付けた
ってことになってるらしいけど、そういう経緯もあってか、
狭義には主に歴史小説を指していたらしいね。
「らしい、らしい」で申し訳ないですが。
iの字あたりが詳しそう、かな?<白井喬二
白井健三郎なら好きなんだけど、まあ、よく分かりません。
57 :
吾輩は名無しである:2001/08/13(月) 07:25
>最近で純文学は誰かって言ったら 柳美里でしょ。
どーゆーにんしきなのよ、それ。
58 :
吾輩は名無しである:2001/08/13(月) 07:28
でも、本人(柳本人)は
そう思ってそうな
オーラぷんぷん。
59 :
吾輩は名無しである:2001/08/13(月) 08:22
>「不純文学」(無論そんな言葉はないだろうが)
言葉は無くても、傍目に見て不純そうってやつは居るよね。
って、こういうこと言うと、後々「勘違いインテリ」で
括られちゃうんだろうな。
あと、「円周率=3なんてけしからん!」とか、「相田みつをウザイ」とか
言ってるやつなんかも。
60 :
いんきちしんちき:2001/08/13(月) 13:13
>57
書いてるからちゃんと読めよ。
61 :
吾輩は名無しである:2001/08/14(火) 15:09
文学スレはあげておこう
62 :
吾輩は名無しである:2001/08/14(火) 16:21
教訓とかがあるのが大衆文学。
63 :
>1:2001/08/14(火) 16:25
芥川龍之介読んどけばいいんじゃん?
芥川賞だし。
64 :
吾輩は名無しである:2001/08/14(火) 16:31
>>62 教訓って言われると、真っ先にホーソンを思い出しますが・・?
65 :
吾輩は名無しである:2001/08/14(火) 16:33
66 :
吾輩は名無しである:2001/08/14(火) 16:33
純文学=ロシア文学・ドイツ文学
大衆文学=アメリカ文学
このような結論を得ようとは想像だにしませんでした。
68 :
吾輩は名無しである:2001/08/14(火) 16:52
69 :
66:2001/08/14(火) 17:01
70 :
吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 05:36
結局、純文学の定義って何なんでしょうか。
このスレのタイトルからすると
その定義を規定することによって「どういう作品」
ってのがわかると思うんですが。
唯野教授曰く、「あんたに『これどこかで読んだなあ』と思わせるのが
大衆文学だと思っていいんじゃないの」
筒井氏曰く、「同じだ」
だって。
72 :
吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 07:49
筒井と高橋源は同じ病気。
73 :
吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 08:42
>>70 例えば美人という言葉がある。
「あの人は美人だ」とか「あの人は美人じゃない」とかは言えるし、「鼻が低い人は美人になり得ない(例えばね)」とかも言える。
でも、美人の定義をするのは難しい。
純文学もこれに似てるんじゃないかな。
74 :
吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 11:39
これが純文学であるという内的なものが、アプリオリに作品に存在するのではなく
文学という制度に取り入れられることによって、事後的に前景化される。
というのがこの論題の第一前提だとおもいます。
75 :
吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 12:06
エクリチュールの概念が意識的に書かれてあるものを
僕は純文学と呼ぶ。要するに物語と言葉の接点に意識
的なものなわけだが最近では大衆文学にその特性を奪
われつつある気がしてならない。
76 :
商人の子:2001/08/16(木) 12:28
直木賞とったのがエンターテイメントで、芥川賞とったのが純文学、という類の冗談が出なかったことに敬意を表します。
77 :
吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 12:47
>>76 それは、どっちもとってないのがほとんどだからだろ。
78 :
吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 23:18
>>73 それは要は、純文学ってのは
それぞれの主観で決まるってことになるのですか。
美人と不美人ってのは主観で決めるでしょう。
79 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 00:11
>>75同意。 柳美里なんかを読むと、そこに無自覚で、危うい感じがする。
物語内容がどんなに素晴らしくても(柳は別に素晴らしくないが)、表現方法がいい加減だと良い「小説」だとは言いたくない。
あくまで「言語表現」やってるんだから。
>最近では大衆文学にその特性を奪われつつある気がしてならない。
「純文学」と目される作家が越境を図ろうとしているのも分かる。
80 :
>文学史の専門家の方へ:2001/08/17(金) 00:17
そもそも「純文学」という言葉を、最初に使った(創った?)のは
誰ですか? それはいつ頃のことですか? 初出誌(紙)は何ですか?
無知ですんません、ご教示ください。よろしく!!
81 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 00:31
>>75 だとしたら、その定義をぶつけたら
現代の大衆文学が純文学ってことになりますね。
それでいいんですか。
82 :
吾輩は名無しである :2001/08/17(金) 00:54
>>80 内田不知庵が『文学一般』(明25.3)の中で「純正文学」「純
文学」という言葉を使っているが、これは「詩」を指していた。
北村透谷は「人生に相渉るとは何の謂ぞ」(『文学界』明26.2)
で、学問のための文章ではなく美的形成に重点を置いた(所謂)
文学作品を「純文学」という言葉で表現している。
これらが一般的に使われ出したのは昭和五年頃から、らしい。
しかし純文学の定義だのルーツの特定だのは平野謙とかが色々
とやったけど収拾がつかなかったらしいね。
83 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 01:39
>>80 このスレに、ガイシュツの分は↓これのようだよ。透谷の詳細については
>>82さんが
書いてくれている通り。
38 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2001/08/12(日) 14:36
とりあえず、北村透谷がこの用語を使ってるらしいな。
その定義については、長谷川泉「純文学」(『現代日本文学大辞典』
明治書院)、小笠原克「〈純文学〉の問題」(『文学』s44.9)が
素敵にまとめてるらしい。
84 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 05:06
赤瀬川源平「純文学の素」
読んだ?
尾辻克彦だっけ。どっちだっけ?
85 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 05:37
読者の姿勢より便宜的に分類すると、
・主人公に感情移入できない
・感動できない、泣けない
・教訓にならない
読者がこういうふうに批判していいのがエンターテイメント。
こういう批判(というか感想)とは別次元なのが純文学。
86 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 05:51
純文学:作者が印税・原稿料だけで食っていけない
大衆文学:作者が印税で家を建てられる
ということは、村上春樹は大衆文学って事だね(w
87 :
:2001/08/17(金) 06:08
文学の文学による文学のための感慨をえられるもの
88 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 06:09
純文学
売れない、つまらない小説にくっつけるいいわけ。
またはその小説。
89 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 06:15
>>86 ねえ、まず純文学と大衆文学ってのは相反する定義なの?
それでその二つで文学はすべて網羅されるの?
みなさん、もう少しロジカルにいきませんか。
90 :
86(not 88):2001/08/17(金) 06:21
>>89 日本的な文学の区別に対する皮肉として言ったのですが、
説明不足だったようだね。スマソ
91 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 06:43
>>89 兎に角、そういう言葉が定着している以上、一意的に決定される概念が
存在するのではないか? ならば網羅されるロジックを「発見」しようではないか、
ということだと思います。
92 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 07:01
まあ、たいていの
場合において、大して考えられずに使われているんだろうね。
93 :
男前ゴリラ:2001/08/17(金) 07:14
それでいいんじゃないの?そういう区分けは
批評家が勝手にやってればいい。
94 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 07:36
【純文学】
大衆に売れる見込みはないが、文化的価値がありそうなもの。
哲学者が文学批評する価値アリと目星を付けられる作品。
しばしば読者の理解よりも、作者の創作行為に重点がおかれる。
【大衆文学】
大衆に売れると出版者が判断する作品。文化的価値は二のつぎ。
芸能人のオススメ本。大衆は読んでおかないと流行遅れになるという気にさせる。
しばしば作者は自分が本気で書きたいことより大衆ウケするテーマの情報収集に余念がない。
95 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 07:43
それじゃあ、文化的価値ってなんでしょうか。
いや、嫌がらせじゃなくてさ、其れがキーなんですよね。
それがわからないと、定義したことにならないとおもうんですけど。
96 :
犬:2001/08/17(金) 07:49
「あくまでも日常的な現実に立脚した、物語性のない、想像力や知性を
締め出した、おもしろくもおかしくもない小説」
澁澤によれば、これが純文学らしい。頷けないこともない。
97 :
94:2001/08/17(金) 08:14
>>95 ええっと。文化的価値のある作品とは
後生永きにわたって印刷所で刷ってくれそうな作品。
画期的なムーブメントの中心的役割をはたした作品。
後の文学の糧となりうると判断できるもの。
文化的価値の判断は現代の作品は現時点でこれらが推測できそうなもの。
まあ、書店や図書館などでの分類でニュアンスとしては
知らず知らずに純文学と大衆文学の違いを皆持ってると思いますが。
純文学は読むためにも素養を必要とする場合があり
大衆文学は読むために読者に素養を要求するのは御法度。
純文学は娯楽性よりも作家の表現力や技術や構成力で読者を惹き付ける力が重要のような気がする。
・・・と、こんなところでどうでしょう。
明確な線引きはできないものの、我々が無意識に分類する基準は
こんなところだと思います。
98 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 08:17
トルストイやドストエフスキーはどっちなんだろう
99 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 08:20
「純」と「大衆」て文学以外につけると面白いかも。
ラーメンとか,餃子とか,焼肉とか
100 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 08:20
100年後に残りそうかどうかで判断しよう
ちょうど100ダッタ・・
102 :
94:2001/08/17(金) 08:22
>>96 権威主義を嫌う彼のユーモアでしょうね。痛快です。
澁澤の「高丘親王航海記」を読むとこういった分類が
無意味に思えてきます。
103 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 08:28
>>98 トルストイが純文学でドストエフスキーが大衆文学
あるいは
トルストイが大衆文学でドストエフスキーが純文学
どっちでもそれなりに納得してしまいそう
104 :
犬:2001/08/17(金) 08:34
>>102 ユーモアなんすかね。どこかで大江と誰かと飲んだってエッセイが
あったけど(勿論しぶさわのエッセイ)、その中で澁澤はあからさま
に大江を山猿扱いしてた。
さっきの引用はユーモアでもあるけど、ユーモア交じりの本音だろね。
105 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 08:39
倉橋由美子て純文学だけど,
想像力も知性もいっぱいあると思うけど
106 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 08:41
純文学=権威はあるが、儲からない。
大衆文学=権威はないが、儲かる。
107 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 08:48
源氏物語は純文学
平家物語は大衆文学
108 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 08:50
砂の女は純文学
虫の女は戸川純
109 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 08:51
110 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 08:57
>犬
「つまらなくもない」が加われば、ちょークールって感じだけど、
大江が横に居たんだったら、ただの当て擦りって気がする。
111 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 11:50
福田に聞け!
112 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 14:07
源氏物語と平家物語を純文学/大衆文学に
当てはめることはナンセンス。
113 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 14:13
>>112 なにをリキンでんだ。
なんかこの板のひとはジョークや皮肉が
つーじにくい人がおおいね。
ナーンセンス!
115 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 14:29
大衆食堂 大衆酒場 大衆魚
純喫茶 純米酒 純和風
116 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 14:47
そういえばむかし「純喫茶」なんて言葉があった。
「純文学」も似た感じだな。
117 :
吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 14:54
ナンセーンス!
オンセーンス!
草津オンセーンス!
118 :
吾輩は名無しである:2001/08/18(土) 02:41
ひまっつぷし。
119 :
吾輩は名無しである:2001/08/18(土) 06:16
「大衆」の反対というと、やっぱ「個人」ってことになるのかな?
だったら純文学は、「読者が自分自身の問題に帰することができる小説」
という感じで宜しいのではないかと存知申し上げますります。
どのみち、一定の基準を設けることは不可能なのだろうと思いますです。
120 :
吾輩は名無しである:2001/08/18(土) 06:28
教科書的な回答をすれば
「文学ジャンルにヒエラルキーは存在しない、
個人的な体験である読書という行為において
秀作・駄作があるのみ」てなるような?
漏れ個人的には
>>10に賛同
121 :
吾輩は名無しである:2001/08/18(土) 06:41
「純喫茶」の「純」ってなに?
122 :
120:2001/08/18(土) 06:48
「同伴喫茶」が登場したとき、そうでない喫茶店を区別した言葉。
つーか同伴喫茶ってまだあると思うが、最近同伴喫茶って言うんかナ。
漏れの地元には純喫茶って掲げた店見たことない。
>>121 「スナック純子」の「純子」みたいなものですよん。
124 :
吾輩は名無しである:2001/08/18(土) 08:01
エロがあっても抜けない作品とか大衆娯楽と言えない作品だと思ってた。
126 :
吾輩は名無しである:2001/08/18(土) 09:34
>>119 かつては「大衆」に対する言葉はふつう「知識人」だった。
吉本パパなどは,そういう構図を前提として,
「上昇指向してるあいだはまだ大衆」とか言って
知識人論展開してた。
もっと前の時代は,「党と大衆」「前衛と大衆」などという
言い方がよく聞かれた。
>「大衆」の反対というと、やっぱ「個人」ってことになるのかな?
こんな言い方がふつうにされるというのはもう「知識人」という概念
が死滅したのかとちょっと感慨
127 :
三流大:2001/08/18(土) 10:01
ルサンチマンは不滅でしょうけどね。
128 :
吾輩は名無しである:2001/08/18(土) 10:05
「大衆の原像」とか言ってたね,吉本パパ。
大衆の原像を意識的に内在化しようとするのが知識人
とか。よーわからんかったが。
129 :
119:2001/08/18(土) 11:05
>>126 概念は依然存在するんではなかろうか、ですし、学者・大学教授などは、
まさに知識人であろうと考えまするが、ただ、言葉自体は確かに死語に近
い状況を呈しているような気もしますし、ここでも念頭になかったわけで
もないこともないのですが、敢えて排除して考えたのは、ただ単に私が、
どんな場合においても二極化する構造の考え方を避けようとするヘンな性
格に起因しているだけなのであり、そういうわけなのですです。
130 :
吾輩は名無しである:2001/08/18(土) 18:56
>121さん
私は純喫茶の純はアルコールを扱わない喫茶店である事を示す言葉だと
聞いた事があります。
コーヒーにブランデーだとかを垂らすのもアルコールを扱う事になるので、
それをやる店は純喫茶ではないのだとか。
131 :
吾輩は名無しである:2001/08/20(月) 00:11
玄侑宗久氏の芥川賞「受賞のことば」↓
「正直なところ京極夏彦さんの『鉄鼠の檻』で修行僧の描写に驚き、
また田口ランディさんの『コンセント』ではトランスパーソナル体験の
内側からの描写に圧倒され、あらら、坊さんの私がこうしてはいられないと
思った記憶があります。
そうして、坊さんになって初めて書いたのが『中陰の花』で、17年ぶりに
書いた小説でした。…以下略…」
つまり、京極夏彦や田口ランディは、エンテメ系で無論純文学などではない。
対する玄侑宗久氏の『中陰の花』は、明らかに純文学。
別の言葉で言えば、「いかにして読者を楽しませるか」「読者にウケるか」
というコンセプトで書かれるのがエンテメ系。
純文学は、「いったい何が真実なのか?」という問いが、常にその底に流れていて、
作者自身そう問い続けるために書いている。
132 :
吾輩は名無しである:2001/08/20(月) 03:57
どう「つまり」なのかサッパリですが?
133 :
吾輩は名無しである:2001/08/20(月) 07:56
中原昌也は「純」でしょうか?
>>131 それだけだと、エンタメ系の方が進んでると
言っているようにとれるけど。
まあ、実際に実験的な手法は純文学以外の方が進んでいる
気がするけどどうよ。
>>134 成る程、そこから「純文学=保守的・因循・創造性の欠如」という
図式が導き出されますな。
136 :
>121:2001/08/20(月) 08:39
昔の喫茶店は今の飲み屋みたいだった。
『スナック(軽食)・喫茶』って看板で。
韓国に行ったら、今でも喫茶店で店の女の人が隣に座ってくる。
137 :
吾輩は名無しである:2001/08/20(月) 09:53
出版側の事情(読者層がかぶらないから別の雑誌にするとか)での分類じゃないん?
分類するのは自由というか他人の勝手なんだけど「これは純文学だから〜」とか
「これはエンターテイメントだから〜」っていう論法は乱暴で雑だと思う。
小説家が「純文学だからこうしよう」「エンターテイメントだからこうしよう」
っていう縛りを受けてしまうようになったら、面白くないと思うんだけど、あなたはどう思いますか。
139 :
121:2001/08/20(月) 23:22
hou
>>138 その昔高見順は「今書いてるのは中間小説だから
筆が進む」なんてこと言ってたなあ
142 :
吾輩は名無しである:01/09/18 22:16
>>134 実験的な書き方をすると読みづらくなりがちだから、
エンタメでそれは基本的に御法度!ていう印象があるんだけど、そうでもないの?
筒井以外で良い作品があったら教えてほしいな。
いや筒井がエンタメだ、って言い切ってるわけじゃないんだけどね。
143 :
吾輩は名無しである:01/09/18 22:45
76だったかな?のような意見もあるけど、
芥川と直木のそれぞれの作品を読んでみると良いんだよね。
実際に読んだ人、少ないでしょ?
144 :
カチクブタ:01/09/18 23:09
スチュアートデイビッドのナルダが教えてくれたことです。
綾辻
ま〇こ
147 :
吾輩は名無しである:01/09/19 23:17
わたしの中の純文学は 堀辰雄の『風たちぬ』
149 :
吾輩は名無しである:01/09/20 23:57
文芸春秋に載ってるのが純文学でオール読物に載ってるのが大衆文学。
150 :
吾輩は名無しである:01/09/21 00:27
「『期待の地平』を超えるのが純文学で、超えないのが……ぐふっ!!」
へんじがない。ただのしかばねのようだ。
文学は死んだ。
純文学なんて、なかった。
誰かが言っていたけどなぜ学がつくのか。文芸というと
手芸みたいでなんだか重みがない。なんだか居心地悪い
けど学でちょっと重みをだしたんだろか。音楽はなぜ楽
なのか、音学とはいわないのか。文楽「ぶんがく」とい
ってもよさそうだが。文学は死んだという気分はおちこ
んで欝のときとかやけっぱちのときとかぼくもよくなり
ます。蓮実の紋切り型辞典にのってそうなのでますます
おちこみそうだね。
153 :
吾輩は名無しである:01/10/01 13:26
>>142 エンタメだったら清水義範
実験的でも読みやすい。
人柄かな。
154 :
吾輩は名無しである:01/10/01 13:45
文楽は人形芝居。
× つからある言葉
○ いつからある言葉
158 :
吾輩は名無しである:01/11/06 08:33
文学の定義など同でもいい。さらに上の母集合の「書くこと」のほうが大事。
さらに言えば価値あるものこそが大事。
価値あるものを書けば文学だろうが広告だろうが何でも良い。
159 :
吾輩は名無しである:01/11/06 08:38
だが、価値観は、ひとそれぞれだ。
そして、その価値観の基準を検討すべきだ。
価値とは具象物を媒体にする秩序関係性だから。抽象だから。
演繹された具象段階ではそれぞれ別の形になるので別に問題ない。
むしろそれぞれでなければならない。
本に書いてあることと読む人の頭脳の中身の関係がある。
その間で関係が成り立たないと価値は発生しない。
だから厳密な意味で(本自体で)価値のある本はありえない。
特定の人にとって価値のある本しか存在し得ない。
普通の作品は作者と作品で関係が成り立っているので作者にとって価値がある。
だからできるだけ読者の頭の中身を想定した書き方をする能力が作家に必要。
162 :
吾輩は名無しである:01/11/06 10:30
>>158 まるで自分だけが「頭がいい」みたいな書きぶりだな…
逆だよ。逆。読者の事を想定しながら書けない物書きのほうが「頭が悪い」
のであって、理系じゃないんだし、論証はすべて説得的に行なわれ
なければならない。馴染みのない言葉や、数式や記号を使って説明
されても、本質的に一般人に通じるものでなければ大した意味はない。
価値というものは「特定の人にとって」の価値であると同時に
「あらゆる一般の人」のための価値でなければ本当の「価値」とは
言えないだろう。
そうだよ。俺頭悪いよ。大体2chなんかで一所懸命力説してるんだから。
でもだめな頭で論理的にまとめようとしたら文章がぶっきらぼうな感じになったんだよ。
それに上の文章でも読者を想定するほうが良いという趣旨で162さんと同じ意見だよ。
馬鹿がたまに頭使って視野が狭くなって配慮足りなかったんだよ。
ゆるしてよ。
164 :
吾輩は名無しである:01/11/06 12:31
価値は抽象的なものだから普遍的。だけど価値が発生するかどうかは個人の頭の中身(経験、価値観など)の条件が違うからそれぞれだということ。
だから価値自体は世界にとっては一般的普遍的でも、価値を感じられるかという人間の側のことでは一人一人異なるということです。
まあこっちの表現力不足、言葉足らずのせいですけど。
どうにも頭でまとめるのが苦手でして。
どうか気を悪くなさらないでください。
>>164 いや、まあ価値論(趣味判断論)というはどうせ難しいので一言では結論出ませんよ
まずヴィンデルバントとかカントとか読まなきゃならないしね。
ついでにマルクスも
超越論的な価値と
個別・具体的な価値と
内在的な価値。
それぞれを結びつける「価値」の基準とはなにか?
カントは哲学書を読みたいというより、講談社学術文庫をっておもしろいなぁといった感覚で、雑学気分と好奇心で読みました。
いっぱいあるから目当ての本以外も読んでみようといった感じで。
でも文と文とのつながりは理解できるのですが、つながり(因果というか関係というか)があまりに長くて途切れないので全体ではわけわからないといったかんじでした。
すぐ前の文とのつながりはわかっても、三つか四つ前の文との関係がわからない感じで。
読んだけど価値論みたいなものがあったことすら気づかなかった。
168 :
吾輩は名無しである:01/11/07 09:20
赤川、馳のようなくだらぬのが大衆小説。
三島のように文章として栄養があったり、
ドストエフスキーのように深淵まで進んだりするのが、、
純文学だ。
169 :
吾輩は名無しである:01/11/07 11:53
人はパンのみに生きるにあらず。
なんとなくこんな感じが文学の正体に近いような。
エンタメはパンに近づいた文学のような。
つまり精神性があるかどうかのような。
断定できないような
Tangoさんありがとうございます。
そこにあった「価値は関係によって成立するという」ところまったく自分の考えと同じで感激しました。
もちろんありがちな誰でも考えそうなことですけど。
あとマルクス以前の時代の百科全書にディドロの美についての項目でも、価値は形容詞で表すことができる「関係」であるみたいな個所があったので。
でもこの場合、美=感覚=価値といった大雑把な感じだけど。
マルクスは百科全書読んでいたのかな。どうでもいいけど。
価値評価とかの問題じゃないよ。純文学の本質は。
あれはエリートが大衆との区別化のために人為的に作ったものなんだよ。
もう機能しない古い装置なんだけど、世にはびこる亡霊とか古代生物とかが
なかなか手放そうとしないだけの話。
>>171 いえいえ、なによりでした。
関係性というよなことが盛んに言われるようになったのは、相対論以降のことだと
思っていましたが・・なるほど、ディドロですか。。
実は、「夢」すら読んでません(きっぱり
マルクス・・どうだろう? 感じとしては読んでない方がおかしいですよね。
やっぱり複雑なこの世をはかる基準みたいのが欲しいじゃないですか。
でも科学ではあまりにも根本的すぎるというか。
人間の基準といえば価値じゃないかと。
いわば人文の基礎が価値じゃないかと。
だから文学もその一分野だから根底にあるのでは。
私としては深く鋭い価値を持った文章が文学じゃないかと思います
175 :
吾輩は名無しである:01/11/13 17:46
age
176 :
吾輩は名無しである:01/11/18 00:22
あのね、簡単に言うとさあ、表現の質なんじゃないのかな。
たとえば、比喩がさ、紋切り型だったりするとかがさ、大衆文学だろ。
あとさ、物語の進行を止めて、描写をしたり、考え事や悩むのが純文学。
わかったかい。
177 :
吾輩は名無しである:01/11/18 00:31
>>168 馳がくだらぬのには禿同だが、赤川次郎を「くだらぬ」の一言で切り捨てる
のはいかがなものか。赤川はドイツ文学を愛読しとったんだぞ。
178 :
吾輩は名無しである:01/11/18 00:35
>>176 その認識は林真理子や辻仁成と一緒だな(ワラ
179 :
吾輩は名無しである:01/11/18 00:39
180 :
吾輩は名無しである:01/11/18 01:14
法月倫太郎によると
日蝕が「おきる」のが純文学
「おきない」のがエンタメ
よって平野啓一郎はエンタメ
>>180 間違えました
>法月倫太郎によると
>日蝕が「おきる」のがエンタメ
> 「おきない」のが純文学
>よって平野啓一郎はエンタメ
真逆でした
じゃあ、「月蝕」の石原慎太郎は、エンタメ。
芥川の小説読めってレスあったけど、芥川の晩年の文芸評論
「文芸的な余りに文芸的な」を読むといいよ<”純文学”
有名な話だけど志賀直哉の「焚き火」を
「特に何の事件も起こらない一日を淡々と描いていて、かつ素晴らしい」
「文学というモノの非常に純粋な姿である、といえるのではないか」
と評している。
理念としての純文学イメージってその辺に。当時の文脈としては
「社会主義思想的でなく」「エロティシズムなど俗に堕し過ぎず」「犯罪
とかを扱ったドラマティックなものでなく」かつ「上質の読み物」という感じだろう。
そんなわけで芥川は親友の谷崎潤一郎くんにぼろくそにけなされたわけだけど。
性欲と食欲と犯罪と混沌を愛した油親父谷崎に言わせると、自分の小説の
方が西洋の「本格小説」であり、芥川の(・∀・)イイ!はまさに日本人の悪いトコ
なんだそーだ。
>>184さん
非常に勉強になりました。芥川の評論読んでみます。
個人的には、やはり(?)谷崎の意見に賛成です。
186 :
吾輩は名無しである:01/11/22 15:02
なんだか難しいんだね。
187 :
吾輩は名無しである:01/11/25 14:15
俺が読んで面白ければ、大衆文学。
俺が読んで面白くなければ、純文学。
ってことにしといてやるよ。
「俺」っていうのは、わかってるとは思うが、ここの住民のことだぜ!
188 :
吾輩は名無しである:01/11/25 18:37
つーかさ、
「何となく」でいいんじゃないの?
サスペンスとホラーとミステリーも重なる部分あるし
「詩」と「散文」とか
よって「何となく」に決定
分けようとはするべきだけど、はっきりと分けられるものではない
みたいな
189 :
吾輩は名無しである:01/11/25 19:07
なんとなく純文学=ヒトナリ
190 :
吾輩は名無しである:01/11/25 19:31
具体的に、どーーーーぞっ!!!
191 :
吾輩は名無しである:01/11/25 21:09
マ○コにモザイクをかけるのが大衆文学
マ○コを直視するのが純文学
192 :
吾輩は名無しである:01/11/25 21:36
>191
いい線行ってるかも
193 :
吾輩は名無しである:01/11/25 21:36
例えば、中島らもは?
194 :
我が輩は名無しである:01/11/27 17:21
”読む側”が何度も読み直し味を引き出す作品が純文学。
それ以外は準文学
195 :
吾輩は名無しである:01/11/28 00:38
「死霊」みたいなイっちゃってる難解な作品のことだと思ってました。
作者のテンションが異常に高くて何かを訴えてる。。
196 :
吾輩は名無しである:01/11/28 00:47
明治の文学のこと
人間の本質的なものに働きかけるのが純文学。
暇つぶしに読むのがエンタメ。
と、思う。
198 :
吾輩は名無しである:01/11/28 01:30
そんな白黒はっきり分けようとすると、
破綻しそうであやういよ。
199 :
吾輩は名無しである:01/11/28 12:08
じゃ、中島らもは?
200 :
吾輩は名無しである:01/11/28 13:18
201 :
吾輩は名無しである:01/11/28 16:05
日本文芸学の定義では、簡単に言うと純文学=「純粋に芸術たる文学」だったような気がする。
純文学が「言語による芸術」だとすれば、対する大衆文学は「言語を使った娯楽」。
つまり両者の違いは、「言語」というものに対するスタンスの違い。
それそのものに美を見出すか、道具として使うだけか。
そういうことだと思う。
芸術ってなぁに?
娯楽ってなぁに?
203 :
吾輩は名無しである:01/11/28 18:57
>202
辞書引けば?
>>203 じゅんぶんがく 【純文学】
(1)大衆文学・通俗文学に対して、読者に媚(こ)びず純粋な芸術をめざした文学作品。
(2)哲学・史学を含む広義の文学に対し、美的形成を主とした詩歌・小説・戯曲などの類
じゃあ、純文学も↑でなんも問題ないわけですね?
206 :
吾輩は名無しである:01/11/28 19:07
物理や数学が宇宙や自然界を研究するのに有用なように、
人生や芸術とはなにかを考える際の有用な手段になりえるのが純文学。
だめですか・・・?
いや、それなら哲学やったほうが遥かにマシなんじゃないかと。
208 :
吾輩は名無しである:01/11/28 19:43
意味でなく感覚でしょ。文学は。
物を書くこと以外に表現手段を持たない者が、必死でこの世に生まれた
証を求めたものが純文学だと思う。
210 :
吾輩は名無しである:01/11/28 19:46
>>206 純文学を何かの為の「手段」にしないで下さい
>純文学を何かの為の「手段」にしないで下さい
絶対このような反論が出ることを承知で、あえて「手段」という言い方をしました。
表現形式だの、いろいろ言い方はあると思いましたが、ここの住人にそんなごまかしは通用しないだろうと。
三島は、あらゆる意味で油断のできない作品「不道徳教育講座」のなかで、
「小説家自身が人生にアップアップしているのであって、それから木片につかまって、
一息ついている姿が、すなわち彼の小説を書いている姿です。」
と言いました。ここで「彼」はなぜ小説をかくのでしょうか?
212 :
吾輩は名無しである:01/11/28 21:43
>211
作家といえば三島、という短絡的思考はそろそろやめにしたら。
それと、210が言っているのは、受け手が純文を何かの「手段」にするのは違うよ、
ということでしょう。
それを「三島は」って、それは作家は小説を書くことを何らかの「手段」にしているでしょうよ。
213 :
吾輩は名無しである:01/11/28 21:53
>>212 まあまあ、おさえておさえて。他スレからのコピペですが・・・
「希望を持たない人々が、小説を書くことはない。それどころか、そういう人は
小説を読みもしない。希望をもたない人は、なにかを長く見つづけるようなこと
はしない。その勇気がないからだ。絶望に至る道とは、なんであれ経験を拒む
ことである。そして小説は、もちろん、経験する方法である」
(フラナリー・オコナー「小説の本質と目的」より)
スレ違いだったら、スマソ。
214 :
吾輩は名無しである:01/11/28 21:57
あなたにとって純文学とは何ですか?
またその作品を教えてください。
215 :
吾輩は名無しである:01/11/28 22:02
もし
>>214が僕への問いであるなら・・・お答えしましょう。
残念ながら、「純文学とは何か?」っていう問いかけには興味がありません。
そんなもの、ありゃせんよ、ってのが正直なところ。いったい誰が言い出した
んでしょうね、最初に。「純文学」って。
僕が興味のあるのは「文学」ではありますが。じゃあ、文学の定義
っていってもね、レベルというか、文脈によってもずいぶん変わるからね。
あと、歴史もね、あるし。「ライ麦」の例とかね、みんな詳しいだろうから
あえてだらだら書かないけど。そうね、文学好きな人って、歴史観が
軽いしね。「テキストだ!」とかいって、平気で時代背景抜きにしいろいろ並べて
て語っちゃうしね。みなさんもう少し歴史の勉強をしましょう。文学史だけぢゃないよ、
念のため。
「文学と音楽の違いは?」とかね、具体的な対象物があるんだったら
面白いというか、展開していくと思うけど。ただ「文学とは?」って言っても、
ガリガリの形而上的な言葉か、信仰告白みたいな言葉しか出てこないような気がするな。
217 :
吾輩は名無しである:01/11/29 20:02
↑
これ、煽り?
それとも、完全にアホですか??
おまえはどうなのさ?
>>217 じゃあ、お前がなんかカキコしてみろ。3行以上使ってな。鳥の糞レス書くな。
やっぱ217はヴォケだった。ああいう糞レスなら誰でも書けるよな。
221 :
吾輩は名無しである:01/11/30 12:15
全部煽り!
終了!!!!!!!!!!!!
223 :
吾輩は名無しである:01/11/30 21:07
213=216=218=219=220=221=222
鬱
224 :
吾輩は名無しである:01/11/30 21:32
どっちも相当糞だな。だけど、221だけは213とは違うだろ。
213=216=219=220=222、でした。そんで? 反論は? ないの?
226 :
吾輩は名無しである:01/12/01 10:27
反論???
>>225 特に無いよ。まったく、マターリとしていたのになあ・・・ぶつぶつ。
誰か話題を変えてくれキボーヌ!
228 :
吾輩は名無しである:01/12/01 17:24
文学に思想はいらないんでしょ?
229 :
吾輩は名無しである:01/12/01 18:25
>>228 というか、作者がどう考えていようと、読者が作品に思想を読ん
でしまうのでは?
230 :
吾輩は名無しである:01/12/01 18:32
頭を三度叩いて宇宙を見る、みたいな、ね。
231 :
吾輩は名無しである:01/12/01 19:40
すると、どうなるの?
玉砕覚悟で書きます。
「ウサギとカメ」にたとえると。
勝てないと思われていたカメが逆転できたことに感じ、このストーリーを、比喩や
誇張法などの技巧を駆使して劇的に描けば、それはたんなる説話をこえた「文学」。
ここまでは間違ってませんか?
233 :
吾輩は名無しである:01/12/02 09:57
なるほど。
して、説話が文学でない訳は?
それは、上に書いたように、説話は、「昔々こんなことがあった。」と、伝えるのが
目的だからです。しかし、この語り手が情景描写や、カメやウサギの視点になって心理描写を
くわえたりして、「劇的に」描けば、「説話文学」になります。
つまり、何年何月何日に何処何処の村でだれだれが死んだ。いついつの
何処何処の王朝の王はだれだれであった。こういうのは「記録」であり、
「文学」ではありません。しかし、こういう「記録」からでも、「文学」
が作れるのは周知の通りです。(永井の「青梅雨」など)
で、純文の定義ですが、
この「文学」で使われていた「比喩」「擬人法」などの技法自体に
焦点を当て、「もっと比喩でいろんな事をやってみよう。」「この前は
カメの視点で書いてみたが、ほかに面白い書き方は無いだろうか?」と、
技術を追求していくのが、「純文学」ではないでしょうか?
ここではすでに、「カメがウサギに勝つ」というストーリーよりも、それを
いかに鮮やかに描くか?といったことが大事に成ります。また、必ずしも
カメが逆転勝利を得るラストを描いて読者を「感動させ」無くても良いのです。
だから、走っている最中のカメの内面だけを描いたりするのもアリです。
どうでしょうか?
繰り返しの質問だけど、なんで文学と純文学をわける必要があるんだろね。
新潮社が「純文学書き下ろし」なんてやるからかなあ。「ふつーの文学よりも
高尚ですよん」っていって本を売らんがな、っていうのが最初にあったんじゃないのかね。
大学の文学部でも「純文学」っていう言葉をテクニカルタームとして
使ってるのかね。
238 :
吾輩は名無しである:01/12/02 10:44
age
239 :
吾輩は名無しである:01/12/02 11:15
だいたい、「純」ってのが頭に付く芸術って、他に何があるんだろうね。
あるか? 純音楽とか、純彫刻とか。他の国ではどうなの? アメリカや
フランスでは「純文学」に該当する言葉はあるのか?
ないんじゃない?
240 :
吾輩は名無しである:01/12/02 15:37
>つまり、何年何月何日に何処何処の村でだれだれが死んだ。いついつの
何処何処の王朝の王はだれだれであった。こういうのは「記録」であり、
そう。それは記録だよ。
ということは、説話は記録ではないから、説話は文学なんだね。
有吉佐和子「先生、文芸雑誌の編集者に
認められるにはどうしたらいいでしょう。」
井上 靖 「むずかしいく書け」
242 :
吾輩は名無しである:01/12/02 15:53
哲学的なんじゃない?
純ら(もっぱら)
……ひたすらそれに専念すること。
すべての頽落がこの瑣末な形容動詞に源するという不思議。
244 :
吾輩は名無しである:01/12/02 20:06
>243
上手い
どこが?
246 :
吾輩は名無しである:01/12/03 22:27
表現が高度なもの。
漏れにとって純文学と言えば、横光利一だ。横光と言えばみんなすぐ「蠅」を言う。
それが悪いということはないのだが、あれはテクニカルな面がややかちすぎの様
な気もする。落ちていく馬の「放埒な腹」は良いけど。それ以外でも、
「春は馬車に乗って」
なんて、これまで日本語で書かれた小説の中でもっとも美しい短編小説
の一つだと思ふ。
無くなると、どうせまた出来るのでageとく
249 :
或る阿呆の百姓:02/01/31 18:26
勧善懲悪の水戸黄門や忍者が奇想天外な活躍をする小説
殺人事件の謎解きを楽しむ推理小説なんかが大衆文学だと
いうことはなんとなくわかるのですが。
でもカフカの「変身」なんかも奇想天外な話ですよね。
最近の日本の親指Pのなんたらとかいう小説も純文学に
分類されているみたいで。
どうやって区別するのか、その基準がわかりません。
登場人物の心理描写が単純か複雑かということで
区別すればよいのでしょうか。
250 :
吾輩は名無しである:02/01/31 18:48
>>249 ジャンルとして確立されたら、それが大衆文学です。
251 :
吾輩は名無しである:02/01/31 20:02
表現技術の巧拙は関係しないのでは。
それは,単にその書き手の技量の問題で,
その結果は及ばざるともその意図は称賛に値するという誉め言葉もある訳だし。
で,スレの最初の方にルサンチマンという言葉が出てきましたが,
結局この有無が純文学と大衆文学の差なのでは。
書き手がルサンチマン(コンプレックスや不安の場合もあると思うが)
を抱えていて,どうしても書かずには生きていけない,気が済まない
という想いで書いたのが純文学。
で,高度に発達した現代の大衆社会では
そういう人間も必然的に少なくなって来ていると。
252 :
吾輩は名無しである:02/01/31 20:05
辻文学=純文学
=========終了===================
253 :
吾輩は名無しである:02/01/31 20:09
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ^∀^)< 252 はアホか。
( つ ⊂ ) \____________
254 :
吾輩は名無しである:02/01/31 20:11
ルサンチマンやらコンプレックスは個人的なものだから,
類型化が難しくジャンルとして成立しにくい。
つまり,「その他」というジャンルが純文学なのかな。
文学の世界では
純のつくほうが
サブカルチャーっぽいね。
>255
それなんかいいね。
257 :
吾輩は名無しである:02/03/03 15:16
age
258 :
吾輩は名無しである:02/03/19 12:53
age
259 :
老人と海馬鹿にした奴は殺す:02/03/19 13:02
純文学=老人と海
261 :
吾輩は名無しである:02/03/19 15:11
村上龍はエッチだからやだ。
262 :
吾輩は名無しである:02/03/19 15:28
部数で言ったら今や純文学の方がサブカルだよな・・・
263 :
吾輩は名無しである:02/03/19 15:45
宮部みゆきの作品には主張も価値観もある。でも大衆の人だなあと思うのは、一つの意固地な、孤独な、要するに全くの個人というものを感じないから。
純というのはいい悪いとかあらゆる軸とは離れたところに存在している侵しがたい個、を感じさせるものだと思う。
まあ甘い不正直なものもあるけど。判断基準は、合うか、合わないか。
人にすすめて大抵は喜ばれるのが大衆文学。
人にすすめても殆ど喜ばれないのが純文学。
265 :
吾輩は名無しである:02/03/28 10:50
age
266 :
吾輩は名無しである:02/03/28 11:38
宮部みゆきの浅薄なエリート観がいやだ
宮部みゆきの「浅薄な」エリート観って、どういう意味ですかね?
宮部みゆきの持っている、「エリート」に対する考え方が浅薄だ、ということですか?
「エリート」を一義的に捉えているとか?
>>263 >あらゆる軸とは離れたところに存在している侵しがたい個・・・
しかしその「個性」がトルストイであれば「純」文学になり、
団鬼六なら、サブカル扱いになるのは何故なのか...?
その個性そのものの性格にも拠るのではないか?
私はすべての「個」性を超えた、天上的な価値観があると思っています。
268 :
純文学玄人作家:02/03/28 13:15
もっともっと人物を掘り下げてみる。
内面深く踏み込んだとき、別の新鮮な景色が見えてくるよな。
そうすると、見ることで見ている側の作者も、変化していくんだ。
そうしたらさらにまた深耕する。
それが純文学だ。
>267私は別に団鬼六が純と呼ばれても異存はありませんよ?(笑)
純がえらいとかそういう考えはあんまり必要だと思わないな。あなたがトルストイに感動して、こいつはすごいと思うんなら、純だろうがそうじゃなかろうがふんぞり返って崇拝してればいいと思う。
トルストイという個人は団鬼六という個人より偉大だ、と思えば。
でも、そこから、トルストイがえらいのは彼が純だからって言う結論を引っ張り出す必要はない。
ア、なんかこの前書いたことと矛盾してきた。
わたしが宮部嫌いなのは、弱い人間とか、つい間違っちゃう人間を無視して、悪は悪だって言うような断定ばかりすること。
そこの思考回路の単純さを大衆といってはみたけれど、墓穴掘っちゃたなア。
270 :
吾輩は名無しである:02/03/29 15:53
宮部は知らん。ま、どの道大衆作家など勧善懲悪の莫迦の一つ覚えで食いつないでる職工にすぎん。
問題にすること自体ばかげとる。!!
271 :
吾輩は名無しである:02/03/29 16:02
まるきり芸がない純文作家より百倍マシ。
日本語勉強して出直して来てね、という輩の多さでは
いわゆる純文系の方に軍配が上がるような気がする。
>>271 気のせいです。
日本語プア作家はジャンル関係無く大量に存在します。
273 :
吾輩は名無しである:02/03/29 17:30
高尚ぶりたい人が読む文学。
少なくとも「純文学読んでます」という人がいたら気をつけろ。そいつは高慢ちきだ。
だけど、「大衆文学読んでます」って言ったらそいつも高慢ちきだな。
言い方が。
275 :
吾輩は名無しである:02/03/29 22:44
>>273 偏見だよ。好きで読んでいるのに、そんな風に言われたら悲しい。
276 :
吾輩は名無しである:02/03/29 22:53
偏見じゃないよ。読んでる本について聞かれたら、普通タイトル答えるだろう。
純文学とか大衆文学なんて答えは、引いて当たり前だよ。
>>276いや、
>高尚ぶりたい人が読む文学
に対する抗議だよ。
そりゃ、「純文学読んでます」って本当に発言する奴は変だと思うよ
ごめん、私273じゃなくて275
279 :
疾風怒濤のサラリーマソ:02/03/29 23:10
俺にとっての定義を書くぜ!
純文学って探しても結構ないんだよねー。
【純文学】
適当に開いたページから読んでもおもしろーい小説。
【大衆文学】
最初っから読まねーとなんねー小説。
ま、よーは『物語』じゃねーものが純文学という認識。
それ単体でおもしろーいモノ。
280 :
吾輩は名無しである:02/03/29 23:15
つうか、英米文学じゃ
純文学なんてないぜ!
281 :
吾輩は名無しである:02/03/29 23:16
だから?
282 :
吾輩は名無しである:02/03/29 23:23
この板チャットができそう。人がいないよ。
283 :
吾輩は名無しである:02/04/01 13:40
age
284 :
吾輩は名無しである:02/04/01 15:10
純文学 =「純(うぶ)」な人間が読んで悦に入る小説
大衆文学=「スレ」た輩が暇つぶしに読むお手軽な小説
うむ、完璧な定義じゃ
285 :
吾輩は名無しである:02/04/01 16:40
>>284 センセイ最高!
このスレ覗いてみてよかったYO
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/05 03:32
>279
こいつ馬鹿だ・・・
287 :
吾輩は名無しである:02/04/05 03:36
説得力はまるで無いのに何故か納得してしまった
>>250
米や欧州文学には純文学なんてジャンル分けはなかったはず。
でも、娯楽文学として「ペーパーブック(?)」だったか、
雑誌のように読み捨て感覚で読むジャンルがあったと記憶している……。
289 :
吾輩は名無しである:02/04/07 19:55
小泉純一郎が書く文学が純文学
290 :
吾輩は名無しである:02/04/09 09:23
じゃぁ高田純次も入れてくれや
291 :
吾輩は名無しである:02/04/09 20:28
じゅんぶんがく【純文学】
@戦後まもなく絶滅した(はずの)文学ジャンル。
A現代文を選択する受験生の敵。主に大江健三郎、小林秀雄などの小説・評論があげられる。
292 :
偽イタロ・カルヴィーノ:02/04/09 20:55
>>288 > 米や欧州文学には純文学なんてジャンル分けはなかったはず。
いや、日本より、もっと厳然と分かれてるよ。
「文学」と「商業小説」に。
こんな展開は嫌だ! バカの一つ覚えな〜というスレが建たないジャンル。
それが純文学。
http://kobe.cool.ne.jp/babies/book-re18.html 文学(文芸,純文学)に対してのこのような案はどうっすか?
「四季、風情、わびさび、心理、といったものを再配置のための素材にできて
しまえるほどそれらが異国情緒に思えることも可能な“現在”の世代からし
てみれば、排他的で閉鎖感のあるコミケ的“文芸”や死んだといわれて久し
い“純文学”が別のストリートであり他人事として見れるような“他の場所
(アナザーゾーン)”を見つけだすことができるような気がする。」
簡潔な日本文学史(情報化)付き
295 :
吾輩は名無しである:02/04/18 14:28
「純」か「エンタ」かは後の人が決めることだよ、読んでみて。
だから、「うちのは誰が何テ言うても純文学や」なんていう作家もヘン。
そういう態度が、エンタなのでは?
296 :
吾輩は名無しである:02/04/18 15:04
「エイ目トビエイ科、和名オニイトマキエイ」
それは、マンタ。
297 :
吾輩は名無しである:02/04/18 16:40
手塚治虫を分けるなら純分とエンタメどっち?
298 :
吾輩は名無しである:02/04/18 18:25
えんた
じゃあ、宮崎駿はどっち?
300 :
吾輩は名無しである:02/04/18 18:46
よりえんため方向へ
ただどっちもそうだけど
エンタメでありつつ今の純文よりは
ずっと純文的なもののボリュームも含んでると思う。
今の純文は痩せ過ぎ。内容薄い。
301 :
吾輩は名無しである:02/04/18 19:13
じゅん、ときちゃうエロ文学
302 :
吾輩は名無しである:02/04/18 19:17
ジャンルの定義なんて(仮)のもんだろう? 自分に有利なようにこき使ってやれば
よろしい。誰かが純文として認めるならそれもよし、エンタメとして
楽しんでくれればそれもまたよし。捕まえようとすると鰻みたいに
逃げ出しやがるんだ、定義ってやつは。
303 :
吾輩は名無しである:02/04/18 22:32
あなたは40代と見た。
304 :
吾輩は名無しである:02/04/18 22:55
文学100%!
305 :
吾輩は名無しである:
age