1 :
セルジュ:
先日大学のゼミで話題になったこの議論。
どうなんですかね?
文学ってなんなんでしょう?
「文学は文だ」です。
よって漫画は文学ではありません。
3 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 11:31
その前に文学の定義が問題となり、
結局議論がループすることに…
漫画論は文学かもなー
5 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 11:46
文学的な漫画が存在するのは事実だが。
6 :
永守:2001/07/22(日) 11:57
つげ義春はどうでしょうか。
7 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 11:59
トーマの心臓 とかは そうかもな。
8 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 12:34
漫画と文学が同一視できるかどうかはなんとも言えないが、
文学「的」な漫画はあるし、また内容に関しては文学論と
ほぼ同じ方法で論じる事ができるように思う。表現に関し
ては絵画論みたいになるかもしれないが。
9 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 12:41
トーマの心臓は、漫画としては秀作かもしれないが、
ノベライズしたら、ドイツ風・神学風・少年愛風の、
どこかで見たことのある小説になってしまう。
10 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 13:37
そうかも
なんか ヘッセの 車輪の下とか・・・
ちょっと似てるふしあるっていうか
ってゆか
集英社文庫の 車輪の下
表紙のイラスト 萩尾さんがかいてるし、、
11 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 14:13
個人的には、文学といってもいいんじゃないかと思うが・・・。
あんまり賛同は得られないだろうな。要は、普通の本と一緒と
思ったらどうだろう。玉石混合で、ほとんどが石だが、玉もある。
人によって好きな作風も分かれるし。
ただ一ついえるのは、「漫画?ガキの読むものだよ」と頭から
否定するのはもったいないということ。全出版物の4割を
漫画が占めるこの国に生まれて、漫画の下敷きになっている
文化の中で育って、漫画を知らずに死ぬのは損失だと思う。
実は、本好きって漫画好きと結構かぶる場合が多い。
本が好きだけど、漫画は全然読まないという人は、周囲の
漫画好きのヤツにお勧めの作品を紹介してもらうのも
いいかもしれないな。
ってか、そもそも「文学」の範囲を規定するのも変な
話だな。
12 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 14:30
でも漫画は商業主義の地盤の上に育ってきたジャンルだから
ちょっと違うような気もする…
一部には文芸的なマンガがあることも事実。
しかし、大方は商業ベース、面白さを主体にしたやつが多い。
中には学問的なもの文学、宗教への憧れを帯びたマンガもある。
だから、名前のぱくり、あらすじのぱくりがめちゃくちゃ多い。
よって、一概には文学と言いたくない。
14 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 15:00
>>11 画家を指して文学者だと言う人は(たぶん)いないので
「範囲」がないということはないと思うよ。
それと、「表現手段に優劣無し」っていうコンセンサスは
もう得られてるのではないか、と。
両者に違いがあるとすれば、過去の蓄積の差かな?
特に漫画は登場してきた時点で商業ベースに乗ることが
大前提にあったわけだし、書き手側も最初からそれを
要求され続けて現在に至ってるよね。
漫画には、まだまだ領域を拡大する余地があるように思う。
15 :
14:2001/07/22(日) 15:01
ありゃ、あぶりまくってる(__;)
16 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 15:37
トーマの心臓、好きです
17 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 16:55
商業主義に走ったり、ぱくりが多いのは、文学も一緒だと思うが。
マンガの方が、世間の荒波にさらされてる分だけ、勢いがある。
文学みたいに特定読者を対象にしていないし。
18 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 17:32
表現形態(とゆーの?)が全然違うじゃない。
文字のみでの表現、文字+絵での表現。いっしょくたにすんのはどうか。
似た感動を得られるとしても。
>>17商業主義に走ったり、ぱくりが多いのは、文学も一緒だと思うが
同意。
>>14漫画には、まだまだ領域を拡大する余地があるように思う
具体的には?単純に興味があるだけです。あおりでなく。
19 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 17:50
まぁ、映画と文学の関係と同じだね。
人物や状況の描写の巧拙とか構成とか主題とか表現とか、鑑賞
のポイントは文学に似ているけれども、やはり視覚を主にした
芸術と文字のみ(挿し絵は除く)の芸術とは一線を画して考え
るのが適当かと。
ただ、漫画の筋や主題を文学と同じように鑑賞したり批評する
のはありだと思うけどね。
あと、内容の高低は作品個々の問題であってジャンルの優劣と
関係ないと思うな。
20 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 18:49
だって文章じゃないんだから文学じゃないでしょ。
ハギオモトとか、好きだけど
21 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 18:56
はっきりしたことは知らんが、「どらえもん学」ってのもあるらしい。
22 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 19:29
富山大のコロキアムとかなんとか・・・<ドラえもん学
23 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 20:27
つげだよつげだよ
古代の「文学」には小説と呼べるものはなかったように思う。
それが、時代が下ると小説が近代の「文学」の中心とされているように見える。
このように、「文学」が何を表すかは時代によって変わる、と思う。
古代から現在に至る大きな流れは大衆化の方向にある、と言っていいと思うが
「文学」の大衆化が(例えば)
叙事詩―→戯曲―→小説―→漫画
となって表れてる、と見れなくもないと思う。
精華大学の漫画学部?って、どうなん?
26 :
吾輩は名無しである:2001/07/23(月) 01:52
最近また新しい動きがありますよね?
27 :
吾輩は名無しである:2001/07/23(月) 02:05
28 :
14:2001/07/23(月) 07:11
>>18 具体的にどうするかということは結局のところ「結果」だからね。
未来を予測するのは難しいですよ。
ただ、読み手に今よりもずっと多くの努力を強いるような漫画が
あってもいいと思うのです。上手く言えませんが。
29 :
吾輩は名無しである:2001/07/23(月) 08:48
文学であることと「文学的」であることは違うでしょう。
文学とは字で書かれたものだから、マンガは文学ではありえない。
ただし文学的であるマンガなら存在する。
マンガを文学でないというと、それだけでマンガに対する差別だと感じる
者もいるようだが、それは差別でなく、単なる区別だ。
30 :
吾輩は名無しである:2001/07/23(月) 09:23
>29
同意だけど、
>文学とは字で書かれたものだから
については、(文学史的に見て)口承文学も否定し難く
文学として存在するので、文学は言語表現であるぐらい
に修正した方が良いのでは?
31 :
吾輩は名無しである:2001/07/23(月) 09:44
口承文学といえば、文字文化って歴史も浅いし(人間が言葉を話し出したのは
十数万年前と言われている)使われ始めの頃は低級なものと考えられてたんだもんね。
そういった意味じゃ、漫画の置かれている状況と似てるかもしれない。
漫画は漫画だろ。総体として漫画という形式である以上文学ではないよ。
映画と同じ。表現形式の問題だと思うが。例えば映画「ユリイカ」(青山真治)
をノベライズした『ユリイカ』は文学だが(あえて権威的な言い回しをするなら「三島賞」とったし(w)
それをもって「映画「ユリイカ」が文学である」ということにはならない。映画は映画である。
要は「漫画」という概念を、「文学」という概念の並列におくか、その下に置くかという違いだろう。
なお、この場合問題になるのは「文学」という概念の定義だと思うが、スレッドタイトルから考えるに、
質問者が意図しているのは通俗的な意味合いのものであると考えるので、こちらも通俗的な意味合いで
「文学」「漫画」と言う語を使用している。
で、俺としてはストーリーよりも絵で魅せる「ヘルシング」のような漫画がある以上、
文学と漫画は並列における関係だと思う。だから漫画は文学ではない。ただ、「文学的」
なものを持っているというのには同意する。
ただ、「漫画が文学の「社会的地位」を望むなら、それは漫画の衰退を、それ自体での地位構築をあきらめる
ことを表明するのに他ならない」などと余計な一言もつけ加えておいたりしてな(w
33 :
proxy.ipc.shimane-u.ac.jp:2001/07/23(月) 10:32
34 :
吾輩は名無しである:2001/07/23(月) 10:47
島根大学からようこそ
35 :
吾輩は名無しである:2001/07/25(水) 06:46
ちょいと、あげ。
36 :
吾輩は名無しである:2001/07/25(水) 06:51
「文学的」などといわれてしまう漫画はその作者に才能がないのよ。
才能がないから文学性なんかに頼るんでしょ。
方法として使うのは分かるけど、どこかに決然とした分かれ目を意識しないと、
「どうしてあなたは一流の漫画家なのに、二流の文学者になろうとするの?」
ってことになるんじゃ。
37 :
吾輩は名無しである:2001/07/25(水) 10:25
絵による表現だろうと、言語による表現だろうと、テーマとしてかぶる部分は確実にある。
表現様式はともかく、同じ「物語」である以上(物語でないのもあるが)文学的なマンガや、マンガ的な文学が生まれるのは必然。
そこに才能の有無など関係ない。ただ描きたいものをかいた結果が「文学的なマンガ」になっただけだ。
それと、文学的なマンガを描く人を「文学者になろうとする」とは?
文学的であることと文学であることはまったく違うぞ。文学者になろうとしてマンガ描く人がいるの?
39 :
37:2001/07/25(水) 23:41
36(=38?)さん、もっと具体的に書いてくれないと意味がわからないのだが。
あなたの考える「文学的な漫画」と、「二流の文学者になろうとする(と感じられる)漫画家」の具体例をあげて説明して下さいな。
40 :
吾輩は名無しである:2001/07/25(水) 23:56
逆に「文学は漫画ですか?」という問いはどうだ?
だれも文学者になろうとなんかしてないよ。
文学性を故意に持ち込むことを言ってるだけです。
以上。
42 :
吾輩は名無しである:2001/07/26(木) 01:39
「故意」であるかどうかをどうやって判断するのでしょう?
43 :
吾輩は名無しである:2001/07/26(木) 01:42
…なんか泥仕合になってきたな。
44 :
吾輩は名無しである:2001/07/26(木) 01:45
ここまで何度も繰り返されていることだが、「文学的」と「文学」は全く別のもの。
「文学的」というのは文学が持ち得ない表現方法。
それにたよったとしても、それは漫画独自の表現をしていると言える。
っていうか、ぜんぜん不毛。ここ。
>1
マンガはマンガ。文学だったらはじめから
マンガとは名乗らん。
出自もDNAも表象もすべて違う。
しかし人間の自己表現法の一つであるという意味では同質の部分があるから
誤解されたりする。
まったく違う。
文学は終始言葉に信頼する。マンガは最初から、絵に信頼する。
47 :
吾輩は名無しである:2001/07/26(木) 03:28
ベルセルクはどうですか?
24年組は?
つげは、文学とは言えないが、「私小説」とは言えそうだ。
49 :
吾輩は名無しである:2001/07/26(木) 08:06
そういえば、吉田秋生の漫画のストーリーをパクって小説にして、
それが芥川賞か何かを取って、後から問題になったネーちゃんがいたな。
「文学が漫画を模倣する」という流れが既に始まっているね。
50 :
吾輩は名無しである:2001/07/26(木) 09:46
>47
黄金時代編は結構好き。でも却下。
51 :
吾輩は名無しである:2001/07/26(木) 10:00
「写真は絵画ですか?」というのと同じくらい結論の分かり切った論争。
52 :
吾輩は名無しである:2001/07/26(木) 11:26
あしたのジョーは文学です
53 :
吾輩は名無しである:2001/07/26(木) 11:47
文学とマンガを区別する人は、形式的違い(言語表現と、絵画主体の表現)を根拠とする。
マンガを文学と考える人は、テーマの共通性を根拠とする。
これでは議論がかみ合うわけはない。
54 :
吾輩は名無しである:2001/07/26(木) 14:07
文学大好き。漫画大好き。アニメ大好き。でも映画は見ない。
って人いますか?俺そうなんだけど。映画っておもしろい?
55 :
吾輩は名無しである:2001/07/26(木) 14:08
56 :
吾輩は名無しである:2001/07/26(木) 14:10
好きです。
宮崎アニメはおもしろい。
57 :
吾輩は名無しである:2001/07/26(木) 14:18
宮崎駿はサンテグジュぺリの夜間飛行に影響を受けた。
っていうか、近代以降の文学は否が応でも映画の影響受けてるだろ。
現代では映画化を想定して小説書く作家もいるくらいだし。
59 :
テヘラン:2001/07/26(木) 20:54
視覚情報で表現するんだから、マンガは文学じゃない。
文学的なテーマのマンガはある。
でも、文学的テーマなんてどこにでも設定できるだろ。
文学的なウンコだってあるはず。だからこの議論はくだらない。
よって終了。
ウンコみたいな文学もある。これ重要。
>>28 亀レスですんません。おっしゃることを消化しきれてはいないのですが、
「読み手に今よりもずっと多くの努力を強いるような漫画」というお考え、
興味があります(そゆのって、現在ないですかね、ありそうですけど)
シュールな漫画ってのとはまた別ものとしての…?
漫画は文学じゃないけど、
どうして漫画は文学かと考えたがる人が出てくるのかっていうことのほうが
興味がある。
63 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 00:06
>>16私も好きです。
萩尾望都は文学だと思うけど。
レベルの問題じゃないかな。レベルって何、といわれると
やっぱり読んで、すごいのとカスとあるじゃんか。
だめなのは小説でも文学と言わないと思う。誰とは言わないが。
文学と言うのは、内容の深さをさしていると思うのですが。
64 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 02:06
パイナップルはみかんですか?
65 :
聖モルモット:2001/08/12(日) 02:43
どちらかというと映画や舞台芸術な気がする。
66 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 03:00
わたしは63さんとは発想が違うかも。
漫画は文学でなくても良いんじゃないでしょうか。
文学に劣らない表現形式はあると思うので。
67 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 03:02
ちなみに、小説の命はテーマやストーリー、人物描写でもなく文体だと思います。
漫画の命はコマ割り。
文体やコマ割りにこそ、書き手の生理が一番健著に出やすいと考えています。
68 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 03:11
69 :
!68:2001/08/12(日) 03:49
>>67 「ではコマ割りだけ描いてください。」は一見冷たいだけの物言いだけど、
見た目以上には内容を備えているので、よく精査してまた意見を寄せてくださいね。
この前「千と千尋の神隠し」見てきました。面白かったのですが、
よくわからないところもありました。それは最後の方の場面で豚に
なった両親を選べと言われて少し迷ったあとできっぱりとここには
いないと千尋が言ったところです。なぜ断言できたのでしょうか。
なにか伏線でもありましたっけ。どうもすっきりしないんです。
やっぱりこういうところが漫画なのかななどと思っているんですが。
漫画は漫画。文学は文学。漫画は文学ではない。
ただ演歌もオペラもクラシックもポップ音楽も絵画も
茶碗も人間の表出行為の結果です。漫画とか歌謡曲と
かは一般に俗っぽいものとして低く見られがちだった
けど、だんだん進化して評論の対象になりうるものも
でてきました。だからクラシックは芸術で演歌は芸術
でないなどということはないのです。一度これまでの
通念をご破算にしていいものはいいといえる自分の目
に自信を持つことです。
72 :
吾輩は名無しである:01/10/07 06:57
岡崎京子と中原昌也、読んだ?
今、漫画は漫画、文学は文学って分けられない
時が、来ていると思う。
たとえば中原昌也なんかがやろうとしているのは、小説の
自明性みたいなものに対して、日本語がもともと持っている
主体の分裂性や書き割り性みたいなものを、文学の解体のような
「実験」に陥らずに、一定の文学的先例を参考にしながら、
きっちり書いてみるという、いま考えうる小説の可能性の中でも、
かなりむづかしい道を選んでいる。ところが既成の文学側から
見ると、それは滅茶苦茶にしか見えない。
かといってそれは、高橋源一郎がかつてやったような
メタフィクション的なことともちがうんですね。
それを理解する受け皿がない。むしろ、
岡崎さんの作品なんかをきっちり読んでいた人ならば、
中原さんのやろうとしていることがきわめてまっとう
なことだということはすぐにわかるはずなんだけれど。
もちろんそれは、中原さんの作品が漫画的だということ
とは全く異なることです。
だって。
俺もそうかもって思った。
俺、「全ての場所に花束を」って読んでないし、
「アルジャーノンに花束を」も読んでないけれど
読もうかなぁなんて。
中原さ、三島賞取ったし。だからってわけでもないけれど、
俺は、ひとまず、取りたくても三島賞も芥川も取れないわけだし。
だから、とりあえず、読んでみるくらいはね。
小説は、文章表現による芸術形態で、
マンガはそれに絵が加わったもの。
それは定義だけれども、
小説寄りのマンガやマンガ寄りの小説が
あるのも事実です。
まあ、面白けりゃいいんですけど。
だから71に賛成。
75 :
吾輩は名無しである:01/10/07 07:26
中原作品→帯「奇跡の三島賞」(w
選考委員の島田や筒井、新しく入った福田のブタが奇をてらって
選出しそうないかにもな作品だな。前回は島田がごり押しで
半弟子の星野智幸に受賞させたし。中原の作品はカスだがその
カス具合がわりと好きだ。「ソドムの街」が好きなのには納得。
でも柳下毅一郎の天才発言はどうかと思ってしまう。
だってカスはカスで変わりがないから。
ダニエル・ルイス→読んで損した。
漫画と文学を並べて考えるのは幼稚な考えだ。
ジャンルが違うのに。野球とサッカー比べてどうすんの?
76 :
吾輩は名無しである:01/10/07 08:19
どうしてそう、漫画と文学を比較、でなけりゃ一緒くたにしたがるんでしょう。
あと低俗高尚とかいうのも手垢つきまくりでうんざり…
「文学はカルチャー、漫画はサブカルチャー」
上記の文は小林よしのり(漫画家)の意見なんですけど、
これで決着つかんですか?とりあえずの定義として。
>>70それ私も思いました。でもここ板ここスレではなく、映画板か漫画板で質問なさったほうが的確な答えがえられるのではないかと。
77 :
吾輩は名無しである:01/10/07 08:29
漫画は漫画。文学は文学。漫画は文学ではない。
うまいもんはうまい
79 :
吾輩は名無しである:01/10/07 10:40
71に同意。
加えて言うと文学も漫画もカルチャーやサブカルチャーと
いうような乱暴なくくりでくくるのはつまらないのではないか。
創造行為は、それがエンターテインメントであれ実験であれ
芸術活動であると思う。作り手がその呼称を好むか好まないか
は別にして。漫画も文学も芸術活動だけど、表現のジャンルが
違うんだから漫画は文学か?という設問は意味がないように思う。
漫画は漫画です。文学は文学です。
80 :
吾輩は名無しである:01/10/07 10:42
削除依頼だそうか?
81 :
吾輩は名無しである:01/10/07 10:53
文学は文学 漫画は漫画
漫画は漫画 文学は文学
文学は文学 漫画は漫画
漫画は漫画 文学は文学
それ以上でもそれ以下でもない
よって 終了
絵にも文章にも頼るが、文章主体なアドベンチャーゲームやライトノベル
はどうなるのさ?
文章じゃないから文学じゃない
文学の文学性は詩や小説にとどまらないと考える
ではダメなのか?コラ
ライトノベル=エンタメ小説
アドベンチャーゲームって何。みだごどね。年寄りだがら。
文字で書いてあればどれでも文学なのでは無いかと。
その優劣は人それぞれで決めていればいいわけで。
渡辺淳一の失楽園とミルトンのそれを比べて
渡辺淳一の方を良しとする人も当然いるわけで
それでも全く構わないのではないかと。
つまりは漫画だろうが映画だろうが言葉と文を扱う物は
みんな文学ではないかと。
乱暴?
ぶんがく 【文学】
(1)〔literature〕言語表現による芸術作品。詩歌・小説・戯曲・随筆・評論など。文芸。「―作品」「―書」「―を愛する」
(2)詩・小説・戯曲など文学作品を研究する学問。文芸学。
(3)文芸学・語学・哲学・心理学・史学などの総称。「―部」
(4)律令制で、親王家で経書を教授することをつかさどった職。
■[文学]の大辞林第二版から
まんが ―ぐわ 【漫画】
(1)大胆に省略・誇張して描き、笑いを誘いながら風刺や批評をこめた絵。戯画。→カリカチュア
(2)絵または絵と台詞(せりふ)によって表現される物語。「四コマ―」「少女―」
(3)気の向くままに描いた絵。
■[漫画]の大辞林第二版からの検索結果
えいが ―ぐわ 【映画】
一秒間一六または二四こまの速度で連続的に撮影されたフィルムを、
映写機によって投影し、一連の物語や映像などを写し出すもの。
一九世紀末に発明されて以来、トーキー・カラー・ワイド・立体などその表現技術はめざましく発展した。
活動写真。キネマ。シネマ。ムービー。「―スター」
■[映画]の大辞林第二版からの検索結果
>>86 この定義だと、落語や漫才、ラジオドラマも文学?
>>89文字になってりゃ文学なんじゃねーのもうなんでもかんでも
いや、言語表現だから、音声でも文学なのかなと思って。
92 :
吾輩は名無しである:01/10/07 23:43
ドラクエは文学です。
長文書き込みテスト7
昭和30〜40年代生まれ名前名前上位
上村誠 上村浩 上村修 上村直樹 上村哲也 上村和彦 上村豊 上村剛 上村学 上村隆 上村正 上村秀樹
上村明美 上村真由美 上村由美子 上村恵子 上村久美子上村裕子上村智子 上村由美 上村幸子 上村直美
中村誠 中村浩 中村修 中村直樹 中村哲也 中村和彦 中村豊 中村剛 中村学 中村隆 中村正 中村秀樹
中村明美 中村真由美 中村由美子 中村恵子 中村久美子中村裕子中村智子 中村由美 中村幸子 中村直美
下村誠 下村浩 下村修 下村直樹 下村哲也 下村和彦 下村豊 下村剛 下村学 下村隆 下村正 下村秀樹
下村明美 下村真由美 下村由美子 下村恵子 下村久美子下村裕子下村智子 下村由美 下村幸子 下村直美
田村誠 田村浩 田村修 田村直樹 田村哲也 田村和彦 田村豊 田村剛 田村学 田村隆 田村正 田村秀樹
田村明美 田村真由美 田村由美子 田村恵子 田村久美子田村裕子田村智子 田村由美 田村幸子 田村直美
今村誠 今村浩 今村修 今村直樹 今村哲也 今村和彦 今村豊 今村剛 今村学 今村隆 今村正 今村秀樹
今村明美 今村真由美 今村由美子 今村恵子 今村久美子今村裕子今村智子 今村由美 今村幸子 今村直美
02503522B
72の意見に部分的に賛成。
小説をそのまま漫画にしても、違和感のない作品が増えていると思う。
たぶん多くの作家が、エンーテイメント系はとくに、ビジュアルから物語を
作っているからじゃないかな。
ただし、その逆、漫画の小説への翻案は難しそう。
たとえば、岡崎京子の作品を小説に翻案しようとしても、
うまくいかないように思う。
ライトノベルになってしまうが、漫画から小説への変換は意外とある。
青年誌に乗るような漫画はないとか、凄く限られてくけどな。
96 :
吾輩は名無しである:01/11/05 11:15
道具の違いなんだって、文学と漫画の違いは!! 「最近の漫画は文学的だし、
最近も文学は漫画的だ。ゆえに漫画と文学の差はなくなってきている」って論理は
、決定的に違ってるよね。わかる?
でもひとつ決定的なことがあるなあ、文学ちゃんと読んでるやつはけっこう漫画も読んでるけど、
逆はないかもなあ。もっと文学を読みましょう。まともな文学をたくさん読めばこんな
設問自体が無意味だってことがすぐにわかるって。
97 :
吾輩は名無しである:01/11/05 11:16
だいたいこんなアホな問いがゼミの話題になるなんて、いったいどんな大学だ?
お笑い漫画道場か?
98 :
吾輩は名無しである:01/11/05 11:26
99 :
吾輩は名無しである:01/11/05 11:30
専修か、立教か、はたまた、単に挙がっただけの話題か。
他に漫画を専攻させる大学も実際にはあったよな。
夏目漱石の孫も、漫画研究者でしょ?
大学で教えてたかも。
100 :
吾輩は名無しである:01/11/05 11:30
ジャンル分けは不毛。
101 :
吾輩は名無しである:01/11/05 11:33
>>63 >>66 >文学と言うのは、内容の深さをさしていると思うのですが。
違う。「文学」ってのは形式を指す言葉なの!「漫画」ってのも同じ。
あんたらの言ってるのは「文学っぽい」、でしょ。
でもどうしてそう文学にすりよりたがるのかなあ、漫画好きのやつらは。漫画は漫画
でがりりっとやればいいじゃん。文学にできない表現を追及するぞ!でいいじゃ
ねえか。そういうことばっか言っているから、「漢字を読めないし、想像力もないから
漫画を読んで満足している」って文学オタからバカにされるんだよ。「うーん、むずか
しかったかな。じゃあ、絵にして説明しようね」って感じでさあ。
102 :
吾輩は名無しである:01/11/05 11:39
しかし、文学は、ただの文字情報伝達という形式のみでは無いとところに
「文学」とされる根拠があるんじゃないかな。「文学っぽい」「文学的」と言った
方が厳密なのは確かなんだろうが、そんな言葉の微細な違いにこだわっている
のも、また文学好きの頭の固さを表しているように思ってしまう。
漫画なのに文学?
学問ではないのに文学?
104 :
吾輩は名無しである:01/11/05 11:48
>そんな言葉の微細な違いにこだわっているのも、また文学好きの頭の固さを
>表しているように思ってしまう。
「微細な違い」じゃなくて、決定的な違いだよ。まずそこをきちんとおさえてから話さないから、混乱してくる
なじゃないかな。だからなんかこう、議論がかみ合わないじゃないか。
ちなみにわしは別に漫画を批判しているつもりはないよ、全然。大好きです。
文学オタでもありません。漫画マンセー。だからこそ、なんかこう、いやのねん。
しかしわしの文章もいい加減だなあ。誤字脱字だらけじゃん。
きちんと読み返してからageろよなあ。ごめんね。
106 :
吾輩は名無しである:
>>100 どうして? それぞれの成立過程が違うんだから、いろんなジャンルが
あって当然だと思うよ。不毛に対立しあうのはつまらんけどね。
「わしは漫画」、「わしは文学」、さあ、そろって何かしよう!ってのが面白いん
じゃないかな。表現者にとっては言葉も道具、絵も道具。どっちがエライなんてことないし、
どっちがイカンつうこともないよ。
なんて雑誌だったかなー、「ザ・ワールド・イズ・マイン」が盛りあがってたころ、
どっかの文芸誌が新井氏と作家が対談しててさ、作家が「完全に小説を超えてますね」
みたいなことをぬかしやがってたなあ。殴れよ、殴ってくれよ、新井よおと泣きながら
立ち読みしてました。
気合入れろよ! 漫画! 文学なんてぶっ飛ばせ!!