文学@ループと終焉

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1
文学板住人歴が長い者にとっては、弄ばれ、引きずられ、擦り切れたテーマ
ー文学は今有効か?有効たるにはどうすべきか?ーを、
敢えて愚鈍に問いたい。

これまで散々なされてきた議論については下記スレッドを参照されたい。

<あえて言おう、それでも文学は最高の芸術であると>
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=book&key=994471851&ls=50

<★★★文学とは何か?★★★>
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=book&key=988944107&ls=50

<文学に物語は必要ですか?>
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=book&key=994083080&ls=50
2吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 20:11
えーと、どっから始めるの?
3吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 20:12
本離れ(ワラ
4吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 21:05
論点になりそうなところを箇条書き

・文学の構成要素である「言葉」そのものの有効性
・言葉を有効に機能させるための方策
・メディア変遷に伴う、書物媒体衰退の必然性
・文学が他ジャンルに対する上位概念ではないことの確認
・他ジャンルとの相違点、及び、他ジャンルの現状との比較

こんなとこか?
あー、その、つまりは、なんだー・・・・本離れか(ワラ
5吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 21:13
本が面白くなくなったから本を読まないという意見を
良く目にするけど、違わない?
彼らはただ本を読まないのであって、いかなる理由も
後付じゃないかって気がする。
習慣としての読書って視点を持ち込んでみたい。
6吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 21:15
>>4
おうよ、論点はそれでいいと思うよ。
…ただし、こんなことしてる間に一冊でも読め、ってか?(^^;
7吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 21:20
>>6
いやーいやいや、こんなことしてる方がましかもよってな
疑問もこのスレに含まれていると思われ、ひょっとして君は
某コテハンってな疑問も同時に湧いてきたりもするが、難しいことは
どうせ後で嫌になるくらい議論するんだから、軽くさらりと
行ってみようや、、ってか?
8吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 21:40
ネタ振りって大事よね。
敢えてアホに徹しましょう。軽薄さが足りないのよ。
文学には!もっとしなやかに!もっとしたたかに!
96だが:2001/07/08(日) 21:50
>>7
ごめんごめん、おらixionじゃないだよ。いま見たら(^^; ←これが
ixionを想わせたんだろ? まずかった。撤回するよ。って、
言ってもしょーがないが。奴ではないし騙るつもりもない。
(wを使うのが何気にイヤだもんでな、許せ>ALL&ixion
10吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 22:04
ixionじゃないよー。まぁ、いいや。
ところで、こうして目にしているのも
書かれた言葉なんだよね。
何だかんだ言ってもコミュニケーションツールとしての
言葉ってのはずっと残っていくものなんだと思う。
書物の弱さってコールアンドレスポンスの弱さかもしれないな。
11吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 22:14
確かに言葉は残るだろう。人間は喋らないと生きていけない。
それが言葉の羅列になるか、整然とした調和を醸し出すか。
今の文学者は、説得力のある言葉を発信しているのだろうか?
12:2001/07/08(日) 22:15
そうそう。一方通行の哀しさ。だがそれは、
人間(個=生命)の一回性と不可分のものだと思われる。
何百年前に死んだ人間の「核心部分」に間違いなく触れ、共感し、
涙することすらできる。その人間そのものへはレスできなくとも、
次代の、別の(だが同質の)他者へ向けて、個を透した新たな形で
確実に送ることができる。それはある意味で、純粋なレスとも言えるんじゃないか?
それが文学のもつ強さであり、時空を超えて人間が繋がりうる唯一の
方法であるとも思われ。
13吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 22:39

なぜこういう話題がすぐにデンパっぽくなるのか、すごく不思議だ。
14:2001/07/08(日) 22:57
>>13
君が、煽りではなくマジだと思って、あえて書くが、
書物の存在の意味というのは、本質的には>>12に帰するんだよ、
デンパ的にぶっ飛んだ話では全くない。
同時代ならば、直接会うとか話を聞く、手紙を出すことも
可能だから、その本質性が曖昧化しているだけ。
(数字もHNだから名入りはこれまでにしとくけど)
154=7=10:2001/07/08(日) 23:32
>6
レスくれてたのね。スマソ。12には同感する。
その上で、あえて言いたいんだけど、
その発信ー受信のスパンの長さがものすごくマイナスに作用している
気はしないかい?「ずっと先に向かって」が必要ない訳じゃない。
ただ、それが「今この時に有効な」を切り捨てる形で行われることには
断固反対したい。

13は電波っぽくの内実をちゃんと書いてね(はぁと)

コテハンはちょっと難しいなぁって漏れも思う。
出来ればこのスレではコテハン捨てて好き勝手に語り合って欲しい気がする。
16吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 23:40
近代読書人の終焉…農耕社会から工業社会への転換期に文学が興隆するという指摘。
共通の話題…近代ブルジョワジーの閑談としての物語(余暇や近代家族の発生に起因するのか?)

と、ネタ振りをしてみる。
17吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 23:50
つまり、階級維持装置としての文学についてってこと?
それってもう破けちゃってない?実感ない人多そうだけど。
18吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 00:02
他スレにかなり被るところあるけど、囲い込み運動としての
文学って失効してると思う。
19吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 00:05
>>15
あいよ。12では、むしろ過去→現在の視点が主だったつもり。
書き方が悪かったな。古典とか読んでいて、涙流して感動すること
あるだろう? 物語にというよりも、それを「書いた人間」の
熱いコアにまさしくタッチした、という感じが痛烈にする瞬間。
まあ、稀れではあるが…そういう時にな、文学の喜び(…チトはずい)と
同時に、その強靭さを感じる。スパンが長いほど、強力ともいえるわけで。
ただし、論議の流れとしては、誤解を招きやすいな。わかった。
20吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 00:12
>19
了解!しかし、話膨らましたいんだけど、なかなかうまく展開できないな。
無理矢理行くかぁ。農耕社会から工業社会への転換期(16借用スマソ)
ここを文学は貫通することができた。ところで、工業社会→情報社会
ここを文学は貫通することは出来るか?
振り返って、貫通させる力とは何か?
2113じゃないが:2001/07/09(月) 00:17
>>15 >>12
横槍で悪いが、12のレスが電波っぽく思える、ということも結構重要なことじゃないかとおもうけどな。
あの内容が間違ってるとまでは言わないんだが、なんつーか、あれを表現しようとするツール=言葉、自体の問題、としてさ。

なんでまともなこと正面切って書こうとすると、大体において、クサくなっちまうのかね。
22吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 00:25
まぁなー、ポップスしか聴かない人に
いきなり朗々と歌い上げるカンツォーネ聴かしたら、
いや、違うな、、カラオケで浪曲、、違うな、、
まぁ、あれだ。言いたいことはわかった。

ばーっと、一回そこは括弧に入れようや。
若さ、馬鹿さ、全部オーライ。ひとまず広げられるとこまで
広げてみよう。
23吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 00:46
12を書いた漏れとしては、
やっぱさ、こう言わずにはおれない。いま2chという奇妙な場で、
思考をクサい言葉に託している(しかも書き言葉で)。それが
何処の誰とも不明な、いるかいないのか確かめようもない人間?に
受けとめられる。そして彼の思考が言葉にのって戻ってくる…

ツールとして慣れちまっていても、改めて感受しなおしてみると
これもまた、すごいクサいことなんだよな。
あえて言ってみようか?
宇宙創始以来初の個である存在と、同じく唯一の個我であり二度とは
現れるはずもない個性とが、ネット上で遭遇し、それぞれ独自の思考を
交差させる…Be Here Now を持ち出すまでもなく、ホントウは
もの凄くスゴいことなんだよ。よくぞ生きてる内に出遭えたもんだ…
…以上、デンパ話はこれでおしまい!
24何ですぐ過去スレに:2001/07/09(月) 00:52
あえて言おうの1であり37でもあるのだがなぜ俺の立てたスレドヲ
移動したの、説明して欲しい。
25吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 01:19
その「あえて言おう」のスレから来た者だけど、前スレで文学=ピーピング
の意見を言ったんだけど、ほとんど共感がなかったのは意外だった。映画や
マンガの方がピーピング効果が強いってのは全然分からん。誰にも知られずに
こっそりと言う意味では、映画やマンガの方がメディアとして万人に開かれてる
んだから、単純に小説の方が効果が高いと思うが。というか、あんたたちはじゃあ
なんで小説読むのさ? 俺は映画やマンガでは得ることが出来ない、なにか秘密の
ことが書かれてるという興味があるから読むんだけど・・・。
26吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 07:18
「文学者」なる人達の言動を見てると、一般人とズレた感性を感じる。
それが、良い面で出れば、人々を感動させる名作となるが、
内輪に籠もってしまえば、文壇受けのする駄作だけが氾濫する。
そう言う点で、文学者は周囲に伝える努力が足りないのでは。
27にっく:2001/07/09(月) 09:33
コテハンで書くのはあまり歓迎されないのかな?
ま、いいや。あまりたいしたことも書けないし。

「あえて言おう」スレの50
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=book&key=994471851&st=50&to=5o&nofirst=true

>漫画や映画などの受動的な媒体に比べて
>能動的な本の性質に面倒臭さを感じているからと思います。

とあるんだけど、それは疑問。
と言うのは、インターネットをやっていて、ていうか2ちゃんねるに1年以上常駐していて、
多くの人がこういう能動的な双方向のメディアに飢えているんだなぁってことを
強く実感しているからなんだけど。
もちろん、ここでの能動性と小説を読む上での受動性を同一に語ることは出来ないけれど、
受動的娯楽の代名詞とも言うべきテレビを退屈に感じてる人なんて
相当数いるだろうし、そう簡単に最近の人間が受動的な娯楽に慣れたとは言いがたいと思うな。
小説が今より盛り上がってた何十年か前だって映画やマンガはあったわけだし。

ただ、小説というメディアは必要とされる”リテラシー”(この言葉が適切かは微妙だけど)が
映画やマンガのそれに比べて高いのでは、という気もする。優劣とは全くの別問題として。

でもまあ俺は小説を読み続けるけどね。想像は最大の媚薬だから。
28吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 09:55
ネットはその能動性ではなく、
要するに「私を見て!!!」と言う自己顕示欲が満たされる点が
魅力なのではないかね。一億総タレント化とでも言うべきか。
29吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 10:33
>28
それではどうして多くの者がコテハンを使用せずに匿名なんだろうね?

>27
「リテラシー」と言う言葉には若干疑問が残るけど、
よく言われる、書物は垂直的な(つまりは深さを持ったメディアであり)
ネットは水平的なメディアであるって論理を言っているのかな?
全てに二者択一を求める若さは残念ながら持ち合わせていないので、
そんなのどっちも楽しめばいいじゃんという身も蓋もない意見を
持っているが、どうも「深み」より「広さ」がより強く要求されているという気はしない?
30:2001/07/09(月) 10:59
仕事中に覗いてみたけど、あんまり伸びないなぁ。

>>24
誤解があるようなんで、一言。当該スレを過去スレ扱いしたつもりはなかった。
ここでの議論の前提、あるいは参考として、目を通してみて欲しいって事で
紹介させてもらった。当該スレに本スレのリンクを張ったのは私ではない。

>>23
たしかにネットにおける言葉の有効性は(その不毛さも同時に)
ここ最近実感を深めている。ただし、やはり本スレの趣旨に立って見るなら、
その有効性が文学の中にも取り込めるものなのか?
もしくはすでに取り込まれているものなのか?そこら辺を
展開して欲しい。「対話としての読書」という紋切り型を
敢えて振ってみたい。

>>25
ビーピングというのは単純に覗き趣味と訳してもいいのか?
それは文学の一面で有ろうとは思うが、前景化する意義を敢えて問いたい。
「文学=ビーピング」と言う立脚点に立つなら、零細企業並の現在の文学の立ち位置は
むしろ有利に働くはずだが、どうもそうは見えないのは何故か
ということをゆっくり考えてみて欲しい。

25に対する説明のため便宜上ハンドルを入れた。
再び無名に戻ろうと思う。別にコテハンの人達を
避けてるわけじゃなく、全て匿名でやったらどうなるか
より闊達にものが言い合えるのではないかという淡い期待が
このスレには込められている。
31にっく:2001/07/09(月) 11:05
>>27
>小説を読む上での受動性

小説を読む上での能動性
の間違いでしたね。失礼。

>>29
いや、そういった縦横の論理ではなくてもっと単純に、
メディアによる刺激を求めるという部分で考えて、インターネットのような
能動性の必要とされるメディアにも多くの人が飛びついてる状況から見て、
小説が敬遠されるのは能動性を必要とするからという考えには疑問、
ってことが言いたかっただけです。
>「深さ」より「広さ」がより強く要求
には同意。確かにそんな気がします。そう言えば、以前勤めていた会社の社長は
小説が読まれなくなりつつある現状について「時間の貧困だな」と言っていました。
「深さ」を追求するだけの時間がないという現実もあるのかも。
32にっく:2001/07/09(月) 11:08
>>30
>全て匿名でやったらどうなるか
>より闊達にものが言い合えるのではないかという淡い期待が
>このスレには込められている。

名無しにしたほうがいいですか?名無しにしても同じことを書くと思うけど、
自分としては発言に対する責任(自己満足的ではあるが)を持つ意味でも
固定を使っているのですが・・・。
33吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 11:29
>>32
難しいよね。一部コテハンさんは名無しにしたところで
その書き込み見ればおおよその予想は出来ちゃうわけだし。
責任て言葉も良くわかる。
ただ、「人と人」というのを敢えて外して、意見だけが独立して
縦横無尽に行き交う場を夢想しちゃうんだよあぁ。。

>以前勤めていた会社の社長は
小説が読まれなくなりつつある現状について「時間の貧困だな」と言っていました。

これ、すごく的確な指摘と思うんです。確かに書物のメディアとしての
特性を議論していくことは有効だとは思うんだけど、それよりも
読書を「習慣」として切り取ってみる(上の方の書き込みで若干触れられていた)
そっちの方がより有効じゃないかという気がする。
ただ、悲しいかなそこら辺の歴史に関しては知識が抜けてる。
J・・・いや、コテハンさんに頼るのは止めよう。
そこの所を論理的に展開できる人いませんかー?
34吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 14:20
上の時間の貧困と言う意見は共感できる物がある。
最近の若者は小説を読まない。本を読むのがきらいなのか、読むほど価値がある小説がないからか。
どっちにせよ、小説家の方から歩み寄る必要があるのでは。なんて思ったりしたが。
35吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 14:32
しかし、歩み寄りの手段としてどんな方法があるだろう?
ネット小説?
今のところあまり成果は上がっていないような。
36吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 14:40
ネット小説の難点は、本来相互通行が可能な(とされている)
環境の中で、書き手→読み手という一方通行的な
情報伝達経路しか採られていないという点が挙げられる。
何人かの作家が読者参加型のネット小説を作り出そうとして、
作者というオリジナリティ神話を無惨に露呈させる結果しか残していない
現状を見るにつけ、抜本的な解決策にはなり得ないと言う気がするんだよなぁ。
ここの一行小説見て暗澹たる気持ちになるのは俺だけじゃないだろう?
3728:2001/07/09(月) 15:04
>>29
それは単純に責任を持ちたくないからではないかね。
自己顕示欲と責任回避欲求は
矛盾しながら同時にネット参加者の中に存在すると思う。

相互の交流を求めている人間も中にはいるだろうが、
多くの人間は、自分の意見に同調したレスがあるとしゃしゃり出てくるし、
反論されるとヒステリックな反応を示す。
これは自己顕示欲に憑かれた者の行動ではないかな。
もちろん、私だってそういう欲求が無いなんていったら嘘になる。
脇役になるよりは主役になりたいのは自然だからね。
ネットの能動性は、小説を読む時に要求される能動性よりも、
むしろカラオケやタレントコンテストの能動性に近いのではないか?
38吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 17:07
>36
ネット小説の大多数は、埋もれたまま、発掘を待つのが現状です。
ただし、発掘するほどの価値があるかどうか疑問ですが。

>37
その通り、ネットで問題なのは脇役キャラの暴走。
39吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 17:19
>37
とすれば、そこに近寄る必然性は認められなくなるよなぁ。
誰かここに反論ない?
40吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 19:49
何かちょっと停滞してるよねー。話題をがらっと変えてみる?
多ジャンルとの比較ってどうよ?
小説に限った話でなく、ここ最近、身が震えるほど
面白いものに出会った記憶がない。
41:2001/07/09(月) 20:08
君の個人的な事情に還元したい気もするが、
確かに祭りの後感が強いかもね。
歴史も何もない場所に来てしまった、、ってか?
42横レス>36:2001/07/09(月) 20:40
>>36
をいをい、一行リレー小説はお遊びだろぉ、それ以上になるわけがないべ?
ボケと突っ込み、ほとんど漫才のノリで…でもまあ、続いているだけまし。
筋も何もなかった昔の章よりは、ちっと連繋できるようになってるか?と
いう程度。文学の行く手を真剣に論じる皆さんのような方々にこそ、ぜひ
参加していただき、真の小説というものの片鱗なりと、ご教示願いたいもの。
よろしく!
43吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 20:51
双方向性・高速性・分散性(広域性)、といったネットメディアの特性は
従来の、書き手(作者)―語り手(批評家)―読み手(読者)
といった権力関係にどのような変化を生じさせるのか?
また、こういった権力関係の変化が作品の質や言語構造に及ぼす影響とは
どのようなものだろうか?
44吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 20:59
端的に言って均質化しかもたらさないと思う。
45fishman:2001/07/09(月) 23:00
興味深くROMってましたが、なかなか話題がまとまらないようですね。。
資本主義下の文学スレはちょっと尻切れトンボな気がして、
再開を望んでいました。
確か、前スレの最後の方でもネット小説の話題は
挙がっていたように記憶しています。

>43さん
面白い視点ですね。44さんの言うように確かにそれは
ある種の均質化をもたらすと思います。
その均質化を肯定するか、否定するかは大きく
意見が分かれるところでしょうね。
ネット小説についてはほとんど現状を知らないので、
本来は判断を保留するべきでしょうが、
その均質化に対しては肯定せざるを得ない気がしています。
うーん、もう少し具体的に展開したいので
ちょっと考えます。
46吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 23:08
>>43
『一億総モノ書き』の時代へ突入の感がある。
なにしろ猫も杓子もHPで、どーしょーもない日記に毛の類いを
やれ創作だ詩だ、批評ください云々とノボせまくっているわけだろう。
しかも、ただ出遭いを探す孤独な放浪者がそれにレスつけて、
あっちでもこっちでも「君の作品は」「私が書くものは…」
……これはまさに、異常な現象だよ。2chなどがそれに拍車をかけてるのも確か。
この板だけ観察しても、出版時代?とは何もかもが激変していると感じる。
47吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 23:10
敢えてそんなところに文学のかけらもないと煽ってみる。
48吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 23:32
だから「読書」をあえて論じようとしてみる。わけだろ?
49吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 23:59
まず均質化の方向には次の二つのものが想定されます。
@物語といった構築性の均質化(=平板化)
A言語表現の均質化(=陳腐化)
この状況下では文学(=小説)における形式/内容といった
本質論も失効し、文学表現自体が新たな展開を探らざるを得ない気がしますが
どうでしょう?
50吾輩は名無しである:2001/07/10(火) 00:52
小難しく言わんでも、文学が低劣化する情況だから
打開する方法を考えなきゃいかん、と。
最初からそれでやっとるんだよ<このスレ
51吾輩は名無しである:2001/07/10(火) 06:43
双方向の情報伝達といっても、それに見合うだけの作品を作る人は、数が限られている。
それに引きずられて、文学自体が地盤沈下するのは、世情よりも文学者の努力不足のせい。
ただし、本当に上手な人は、とうてい庶民が追いつける物でない。最近そう思ってる。
52吾輩は名無しである:2001/07/10(火) 08:00
27あたりから出てきているネット関係の話題は、とりあえずこのスレから
切り離して別スレ立ててやったらどうだろうか?
ネットそのものの魅力についての話題などはちょっと横道にそれすぎている感もあるので。
自分がスレ立ててもいいのだけれど、その前にスレ立て主である1さんの判断を仰ぎたい。
531:2001/07/10(火) 20:09
便宜上スレを立てたのが私というだけで、このスレの
方針を決定する権利は何ら私に帰属しない。

てな建前はひとまず置いて、正直色々疑問が湧いている。
ネット関係をそこまで重要視できないというのも一つ。
ただ、その流れの中から出た言葉の均質化っていうのは
ちょっと語り合ってみたい問題ではある。

ネットに限らず、言葉(この場合主に語彙のニュアンスで使うが)を
すり減らす方向で世界は進んでいると思うし、作家はある種の貧しさを
強いられていると言える。

この貧しさを、かってあった豊かさと比較して嘆いてみせること、
もしくは豊かさに戻る努力をするべきだと声高に主張することは
とても容易だし、正当な思いではあると思う。
ただ、むしろ作家はその貧しさを積極的に引き受ける
べきではないかという気がしている。
上の方でも似たような声があったと記憶するが、
その方向で議論は膨らまないかな?
抽象的な長文スマソ。
54吾輩は名無しである:2001/07/11(水) 02:06
「あえて言おう」スレにも参加しているが(当該42,59)
あっちの流れは、「いま、リアルとは何か」というところへ来た。
そこで、スレを立てた1がこう↓いう。(勝手に引っ張ってスマソ>1)

>言葉は言葉であるがゆえに、言葉の描写力であるとか、批評性によって、
>現実を感じさせ、現実の肌触りの記憶をよみがえらせるものとして
>逆にいまこそ文学は有効ではないかな。

一方、「言葉をすり減らす方向で世界は進んでいる」とこのスレの1は言う。

私は「あえて」スレで、感受する側の貧しさ、を言った。
それは、書き言葉を読んで自分の頭で想像するという
もっとも基本的な脳の機能が、世代的に未開発のままで来たのか、
あるいは器質的に退化又は変化する方向にあるということなのか?
という問いでもある。
つまり、単なる時代現象的な[幼少時教育の欠陥+情報技術の多様化]のせいなのか、
それとも、なにか重大な人類史的変化の予兆なのか?(それが進化にしろ退化にしろ)

>ただ、むしろ作家はその貧しさを積極的に引き受ける
>べきではないかという気がしている。

というのは、趨勢は変わらず、読者の感受能力もますます低下し、
言葉はひたすら均質化する方向へ向かうだろう、その上で、その貧しさの中で
それを踏まえて、新たに書かなければならない、と。
具体的に言えば、読者の感受力に応じる形で、
様々な刺激に晒されている彼らがなお[言葉]に求めるのは何か?を
先取りする方向で、新たな模索をすべき、ということなのか?(長レスすまそ)
55吾輩は名無しである:2001/07/11(水) 07:49
age
56台無し:2001/07/11(水) 08:48
一本化したのか、派生したのか(笑)
さぁ、かっこつけて書いてみよう。
なんで今までが「豊か」で、これからが「貧しい」といいきれるのかがわからない。
書きながら考えてみます。

私たちは(あえて「たち」とつけてみるが)今までの言葉を失いつつある。
私たちは生まれてからこのかた(ネット以前、というべきか)、
私たちの生きているリアルからはほど遠い「書き言葉の洪水」にさらされてきた。
伝達は主に権力の側(マスコミ、も含めてね)からの一方的な伝達でしかなかった。
教科書、新聞、テレビ(テレビを「書き言葉」というのは奇妙かもしれないけれども)
そこにある言葉は、媒体の(資本主義的な)制約を受けた、本来はローカルなもののはずだった。
しかし、それしか情報が無いゆえにその言葉は「中心」となり、
誰もが身につけるべき「書き言葉」だと思われている。
そして「文学」も、なぜかほとんどがその「書き言葉」で書かれてきた。
何かを伝達するのに都合がいいから。便利だから。「前提」を疑わなくてもいいから。
57台無し:2001/07/11(水) 09:08
テレビは衰退する。誰もが同じものを見る時代じゃなくなって、
(民放にしろNHKにしろ、その映像は「スポンサーの意図」をはらむ奇妙なものだ。
「スポンサーの意図」をあまりにも露骨に映し出すCMが最も面白いっていうのは、「板違い」だろうか)
必要な情報だけを、見たいものだけをお金を払って見るようになるだろう。
新聞の言説も衰退するだろう。新聞に求められるものは「情報」であり「事実」でしかない。
「社説」や「天声人語」は必要無いのだ。
(脱線。新しい「新聞」の言葉は、簡潔で必要事項だけを羅列したものと、
「大スポ」のようなスキャンダル中心のものとに二極分化すると思う)
向こうからやってくる「情報」や「考え方」が消えてしまって、
私たちは自分たちの言葉で自分たちの現実に向かい合うことになる。
少なくとも自分の生かされている世界と「書き言葉」の食い違いに自覚的にならざるを得ないだろう。
58台無し:2001/07/11(水) 09:30
なんか予言みたいになってるな。えらいことだ(笑)
俺の狭い知識から演繹していったことだから、多分おかしいとこは多々あります。
俺がもし全知全能なら「完璧な考察」が出来たのにな。惜しいな。

で、「言葉」の問題を続けます。言葉ってのは「外部」に体系があるみたいな幻想があって
「国語審議会(だっけ)」なんてのがあったりするんだけど、言葉は個人に属するものだと思う。
蓄積してきた過去に体験した言葉の総体がその人の「言葉」なのだ、と。
もし各個人の言葉が「貧しい」「均質化している」ならば、それは「書き言葉」が支配的になりすぎて
「貧しい」「均質化した」言葉以外の、ローカルの言葉、自分の言葉、いわゆる「内面」が無いからじゃないだろうか。
今の書き言葉には私たちの「内面」を表現する力が無いのではないだろうか。
本来豊穣であるべき、言葉であらわされるものにあふれた世界を「書き言葉」でしか認識できないからじゃないか。
もちろん言葉は伝達を旨とします。個人の意識である「内面」は「書き言葉」の(ような)フォーマットに翻訳されなければならない。
その行為は「書き言葉」を豊かにする行為のはず。そして、豊かになった書き言葉は読む人間の「内面」を豊穣にする。
59台無し:2001/07/11(水) 10:07
思考の垂れ流し。バイロン化が進んでおります。そろそろ電波も入るかも(笑)

で、「文学」に出来るのは、その「内面」を「書き言葉」に翻訳するやりかたを模索すること。
そしてそのやりかたを拡大再生産し、「書き言葉」そのものを自分たちにあわせて変質させていくこと。
いわゆる「言文一致」ってヤツですね。これをできるのは文学だけだと思うのです。
商売としてのブンガクではなく、同時代の誰かがやらなければならない「業」としての文学。
売れなくてもかまわない。浸透していけばいい。有効だと思うなら「物語」との抱き合わせ販売をしてもいい。
その点で俺は「ネット文学」、むしろ「ネット語」ってのは面白いなぁ、と思うんです。
「今の書き言葉で書かれた小説」としては稚拙なものばかりかもしれない。採算を考えると出版なんて問題外でしょう。
でも、確実に今までの「書き言葉」では抑圧され、無かったことにされていた「内面」が生まれつつあると思います。
三島賞の選評で、中原昌也さんの「あらゆる場所に花束を」を評して、
島田雅彦さんは「ネットにもこんなのがある。侍魂とか」と書いていましたよね。
中原昌也さんは割合に自覚的に「言文一致」に向おうとしています。
「無意味な争いも、憎しみで精力を消耗するのもバカバカしい。もともと人間
はそんなことに参加しなくとも、常に身体にも心にもある種の痛みを感じてい
る。その苦痛を乗り越えて、新しい意識を作り出せ」(「闘う意志なし、しかし、殺したい」)
60台無し:2001/07/11(水) 11:24
唐突に語尾変わっとおやんけっ(笑)
スレッドの中身とも関係なくなりつつあるし。もう出かけるし。さぁ電波を出そう。

ここから先は妄想です。正気じゃないです。うつりそうな人は読まないでください。
っつーか誰も読んでないかもな既に(笑)
次の「言文一致」には二段階あると思います。
「内面」の言葉をリアルにあわせて新しく組み立て、新しい言葉でのコミュニケーションを目指します。
リアル→言葉→リアル、という終わりのない過程。ニワトリと卵。卵焼きと巨人と大砲。
ここでの言葉はどうしようもなく政治性を持たざるを得ないでしょう。
このスレの17で「階層維持装置としての文学」って用語が出てきましたが、
次の言文一致では「新しいリアルを作るための文学」になると思う。

日本というリアルを、日本語という物語を言文一致を経て組み立てた明治の作家たち、そしてそのリアルの終焉。
高橋源一郎さんの「日本文学盛衰史」は、そのはじまりとおわりを同じものとして描いているように見えます。
目に見える大きな革命なんかはもう無いかもしれない。
でも、まだ見たことのないような作家たちが、作品群がリアルを徐々に侵食していくだろう。
それが今の「小説」のカタチをしているかどうかはわからない。でもそれは確実に文学なのだと思う。

奇しくも構造改革が声高に叫ばれるこの時代に、
今、日本では一つの世界が役割を終えようとしているかのように見えます。
もちろん、そこに残る人は多いだろうけれども。
そこをあくまで守ろうとする人も多いだろうけれども。

長いことずっと言われてきたのだけれども、この世界は終わります。
It's the end of the world as we know it, I feel fine.

「そこには阪神タイガースはあるんだろうな?」
61台無し:2001/07/11(水) 16:02
「を」でなくて「が」でしたね。
手元にあるにもかかわらずなんか覚えられない題名だこと。
62  >台無し:2001/07/11(水) 19:37
>56−61
スレの主旨とテスの流れを正確に読み取り、
自分の考える内容をキチンと整理し、他者と共有し得る用語を選択して、
他者が読みやすい量と形にまとめ、その上で、言葉と文章を推敲し、
これでよし!と自信をもてる状態にしてから、書き込む・・・
それが、参加する最低限のマナーである。
君のは、まったくの台無しだ。
63:2001/07/11(水) 19:39
↑訂正 テス→レス
64吾輩は名無しである:2001/07/11(水) 19:49
>56
意地悪ぅやなぁ。豊かさ・貧しさに括弧を付けている時点で、
こっちの言う貧しさの意味をちゃーんと理解してんでしょ?

貧しさという言葉をたいした説明もなしに使ってしまったのは
無用意だったかもしれませんな。スマソ。
確かに言いたかったのは書き言葉の問題なんです。
そして念頭にあったキーパーソンは同じ高橋源一郎だった。

ただ、ちょっと疑問があるのですが、「内面→書き言葉」
この流れを「人は空気がないと生きていけない」と同じレベルで
採用することができるなら、あなたの言うことのほとんどに
肯くことができるんです。
60の書き込みの真意がちょっと掴めていないので、
留保が必要なんですが、内面は果たして信じるに足りますか?
あなたが中原昌也を積極的に肯定するなら、
私は、自意識がいくら透けていようが、あざとかろうが、
「みんなそろそろ疑ってみるべきじゃないのか?内面なんてないってことを」
とひとまず言ってみせる阿部和重を積極的に肯定したい。
65吾輩は名無しである:2001/07/11(水) 20:37
>62
そうかぁ?玉石混淆はここにいる者、誰もが承知しているだろ?
しかも62は全然まともで「玉」の方の書き込みだぜ。
どっちかって言うと、相手に推敲を促しながら「テス」って書いちゃう
あんたの方が、石だぜ。

まぁ、あんまり堅苦しいのはいいじゃん?最低限望むのは
書き込む以上は何かそのスレに付け足していってってことでしょ?
書き方の問題ではない。人のことはいいから、あんたも
愚鈍にでもいいから思うところを書き込んでよ。

>62
あんたの言うことはわからんでもないが、天皇制を無くせば
日本の歪みは消えるっていう加藤典洋みたいに見えちゃうぞ。
てか小説って死児でしょ?もう最初っから死んでんの。
君はdeathとdeadを取り違えている。
6662:2001/07/11(水) 22:04
>>65 (↑65の最後の>62は>60のミス)
妙な煽り書きはやめれや。
最初から参加してる者だよ。このスレはそもそも
「台無し」が書いていることを「前提」にして、
スタートしているのではないのか?
君のいう「玉」とは、遅れて来て流れを読み取れないままに、
スタート地点を指して皆さんここから出発しましょう!と叫ぶやつのことかい?

・・・同じ場所をぐるぐる回っても、しょうがあるまい、と、
皆の貴重な時間を無駄にするようなことはするな、と
そう言っただけだ。(追加:ミスタッチは訂正で事足りる)
67吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 00:42
コテハンて便利だよなぁとしみじみ思いつつ、誰に向けてと言うわけでもなく、
言葉そのものに対するちょっとした信頼を頼りに、唄ってみますか。

言葉の貧しさというものは必ずしも一つの極点を指し示すものではないと思う。
私たちが(ここで言う私たちというのは、今ここにいる私たちというのではなく、
同じ歴史を共有するとされている仮想された「日本人」という集団と受け取って
もらいたい。まどろっこしくてごめんね。)振り返ってみて、何かを失ったと
思うとき、その失ったものの内実とはどんなものだろうか?
真っ先に浮かぶのは漢文脈。まるで風景を観ずるようにして
言葉が配置された様を眺める習慣は遠くにかすんでしまった。
次に浮かぶのは時制の多様性。微細な起伏に満ちた過去を「た」
という短いリズムで寸断してしまうことに痛みは伴わない。
それは教育の問題かもしれないし、階級の問題かもしれない。

ところで、(今ここにいる)私たちは、生まれてこの方その「豊かさ」を
手にしたことがあっただろうか?勿論、私たちという言葉でこの国に住む全ての
人間を包括してしまう愚には最大限の注意を払わなければならない。

さて、果たして私たちは貧しいのでしょうか?

想像的な「歴史」を基に今の「私たち」の貧しさを嘆くことは
間違ってはいない。また、貧しさなどないのだと言い張ることにも
正当性がある。このダブルバインド的な状況に私たちはどう結論を
下すべきだろう。

内面でも風景でもないものを私たちは貧しい言葉で
書き紡くしかない。それは何かと問うべきではない。
いつでもそれは宙に吊られ、引き裂かれ続ける
私たちそのものなのだから。
68台無し:2001/07/12(木) 01:22
>62
ごめんなさい。
多分あなたとは「考える」こと、「書く」ことに関する認識が異なるのだと思う。
「最低限のマナー」や「レスの流れ」に関しても多分ぜんぜん「前提」が違うんだろう。
同じとこでグルグルしてる愚鈍なバカを見るとイラつくってのは感覚的にはわかるんだけれども(笑)

>65
天皇制を無くしてみないとわからないことだから、あながち間違っているとは言えないんじゃないか(笑)
リアルと小説の言葉がきちんと噛み合っていた、
あるいはすくなくとも噛み合わせようとしていた時期は無かったんだろうか。
ハナっから死んでいるならば、どうしてこんなにも沢山の「小説」が作られたんだろう。
死んだ(はずの)子供だと思って人形(に見えるもの)を抱えているバアさんみたいじゃないか。
69台無し:2001/07/12(木) 02:36
あてこすられてる?被害妄想?(笑)

>64
自分では一点の曇りもない善意の人のつもりなのに、
他人からはよく意地悪だと言われます(笑)
阿部和重は「ニッポニア・ニッポン」しかきちんと読んでいないのですが、
>「みんなそろそろ疑ってみるべきじゃないのか?内面なんてないってことを」
ってのは、いいですね。
 俺は「内面」を信じません。今の「書き言葉」で規定された「内面」なんて、
それこそ出来の悪い小説のようなものでしかないかもしれない。
「内面→書き言葉」は実に儚いフィードバックであり、大きな流れは「書き言葉→内面」です。
しかし、リアルと関わっていく上で、現在の「書き言葉」では規定できない、説明できない部分が出てくる。
それをなんとか言葉にしたい、リアルを表現するに足る言葉が欲しい。
そこにかろうじて「内面→書き言葉」への意志が、流れが成立するのだと思う。
教育や出版やテレビと言うメディアは多くの人々に半ば強制的に「内面」を与え続けている。あまりに無自覚に。
「こう考えろ」「世界をこう見ろ」「世の中とはこういったものだ」「正しい日本語というものは」
それでいいのかもしれない。疑問を抱かなくても別段不幸じゃないのかもしれない。
彼らの言うことが「正しい」んだろうし、多分、世界はそういったものなんだろう。
でも、自分のまわりの世界はそんなのじゃない。
70吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 04:04
言語表現の貧困(不透明性)と
貧困を見出す“意識”の自明性への問いですか。
貧困(不透明性)を嘆くという行為において
(例えば独ロマン派)が陥った
自然や非意識への回帰思想に絡め取られるのでしょうか?
ただ、明らかに何らかの差異が生じていると思いますが。
71吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 04:49
>>53にある
>言葉(この場合主に語彙のニュアンスで使うが)を
>すり減らす方向で世界は進んでいる
この意見に疑問を持ちつつここまでレスを読んでいたら古井由吉スレにあった
言葉を思い出した。

>小説は死んである形式だ、という認識は、新人作家も若手作家も沈黙
>させるに充分だった。デッド・ゲームを宣告されたようなものだ。(・・・)
>小説は死んでいる、だが死んでいるからこそ生きられるという小説の
>場がある、というイメージを私は漠と思い浮かべたことだった。

>何かを書くという行為は、常に後から追うということでしかない。
>語られる言葉に、書かれる言葉は遅れてしまう。紙面に書き付けられた
>言葉は死物として横たわる。眼差と紙面の間には埋め切れない距離が
>あるが、唇と紙面の間にも生まれた言葉を殺すほどの距離がある。言葉
>は書かれた瞬間から死んでいる。

>>65も書いているが、<言葉ははじめから死んでいる>と考えるべきだろう。
もちろん、死んでいる言葉は時間を追うことにさらに死んでいくのだが・・・。
だが、このことを前提とした上でならば、死んででいる存在ですらも何かを
もたらすとは思う。実際、ここに書き込んでいる人たちはその死んでいる存在に
何らかの影響を受けた人たちばかりだろう。

ところで、「内面」を信じない人間が「リアル」を信じるのはどこか不思議ではないだろうか。
「リアル」を信じるのは「内面」ではないのか?だが、「内面」がもし存在しないのだとしたら?
72吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 07:15
age
73吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 07:42
あんちあえてスレなのでアゲ
74吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 07:43
あえて言おうスレは放置です。
皆さんこちらに。
75吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 07:47
あえての1は自作自演野郎。
よってこちらで。
あっもうこちらになってるか。
76ヨコレス>73−75:2001/07/12(木) 08:23
73=74=75
煽りはやめろ。「あえて言おう」スレがあって
初めてこのスレが活きてくる。そんなこともわからんほど
愚かではあるまい?
77吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 08:33
73−75は、同時刻にあちこちのスレを煽っている。放置。
78吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 08:37
ごめん、73=74=75は「あえて」のスレの1自身のような気が・・・

(ごめん、くだらない一言。無視していいです)
79吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 08:57
↑だとすればなぜ、自分のスレを下げたくなったの。
じぶんのスレはこちらに比べて伸びないからか。
本家よりも分家のほうが繁盛してるから、ヤケカ
ちょっと同情するな
80吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 09:12
それだけ性格的にねじくれている、というか
よく言えば「複雑」なんだろうよ
(あー これも無意味な一言。スレ汚し、スマソ 無視無視。)
81吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 19:59
レスが伸びてると思えばこの有様。
こちらから参照リンクを張るのは問題ないけど、
向こうからリンク張った人はもう少し繊細にやって欲しかった。

>>70
的確な解説ありがとう。確かにこのまま進めば「資本主義スレ」と同じように、
ゆるゆると「書くしかない」という結論に向かって失速していくことだろう。

ところで、言語表現の貧困を不透明性と言い換えているが、それに対置される
透明性はかってあったのか?もしくはそれに対する何らかのヴィジョンを
持っているのか?そこら辺の所を伺いたい。

あなたの使った自然という言葉が、木が生い茂り、木漏れ日の差す
心地よいものではなく、小さく硬質な玉が触れては離れる
鉱物的なものであるなら、自然回帰という呼ばれ方を
私は喜んで受け入れたいと思う。

>>69
かるーくあてたりこすったりしてみました(はぁと
「内面」という言葉にちょっと過敏に反応しがちなもんで。
しかし、君の言い方はちょっと錯綜してるぞ?
「内面→言葉→表現」という流れを信じて、
新しいリアルを創造するぜと語ってみせた後で、
「内面」に対する疑義が出た途端、「僕は内面なんか信じません」とくる。
言いたいことは何となくわかるんだけど、もう少し繊細に様々な
言葉を使い分けてみては如何か?71が混乱しちゃうぞ。
てか、君の言うリアルがどうも私にはリアルじゃない。
藤井貞和の反戦詩と君が飛びつきそうな話題を意地悪く振ってみる。

>>71
「死んでいる」と「死んで、ある」
繊細にいこう。
82台無し:2001/07/12(木) 20:53
定義しえないものについて語ることでその正体に切り込んでいこうとするけれども
延々迂回してしまうのはある種仕方のないことなんでしょうね。
停滞して「書くしかない」って結論になっても別にそれはそれでいいだろう、と(笑)
どうして「何かの役に立たないといけない」んですか?愚問ですか?

多分、どうあがいても私は私をとりまくこの世界の中でしか生きていくことができないし、
私の見る世界とあなたの見る世界は異なって、似たような部分もあるかもしれないけど違うもので、
おそらくは言葉を介してしかその二つの現実は出会うことがないんだけれども、
その言葉そのものを信じることができない。

俺の回りを取り巻く世界を俺は言葉を使って理解しようとして、それが「内面」のもと(のようなもの)になって、
言葉によって表現されてはじめて「内面」になると思うんだけれども、
その「内面」を語るべき言葉が信じられない。世界を捉える言葉が信じられない。
だから俺は俺の「内面」を信じない。
俺は俺を取り巻く世界にいまひとつリアリティを感じることが出来ないし、
そんな俺の言うリアルはあなたにとって全くリアルじゃなくっても何の不思議も無い。

一人称「俺」で二人称「あなた」ってのも妙な文章だけれども(笑)
83吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 21:19
>>82
あなた、すごくいいね。
まず冒険をなさらずに、ご自分のごく身の周りから書いていってはどうですか。もし小説家志望なら。
日常生活に潜む、どうしても疑い得ない“リアル”を。
朝、歯ブラシを洗面所に落として蛇口をひねる、その水の音とか、
そうじをしながら掃除機の口に絡まってくるいろんな色をした糸くずの事とか。

それも表現をただ入れ換えただけの、気取っていて奇抜な文章ではなく、
あなた自身のすごく素直で率直なコトバで。
84吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 21:21
>どうして「何かの役に立たないといけない」んですか?愚問ですか?
誰もそんなことは言っていない。役に立つー立たないと、説得力があるーない
は別の問題。

>多分、どうあがいても私は私をとりまくこの世界の中でしか生きていくことができない
こう語りながら、まるで君は別の世界を捏造する事を望んでいるようにすら見える。
現実は単に現実であって、そこに見方の関わる余地はない。
君がどんなにリアリティを感じなくてもそれはリアルだし、
それは信仰の問題でも、論理の問題でもない。

って前提じゃないの?このスレ。おーい、1.
85台無し:2001/07/12(木) 21:21
あ、「私」が(笑)

で、だ。
この非現実感とか違和感とかをなんとかしたいわけよ。
俺に出来ることは多分二つくらいあって、
一つはいっさいの違和感を無視して生かされているリアルの中に深く深く入っていくこと、
今の「書き言葉」の世界を丸呑みに肯定していくこと。
違和感なんか感じるヤツが「悪い」のだ。世界には「現実」が一つあるだけだ。
多分それは「正しい」んだろう。でもなんで正しくなきゃならないんだよ。
もう一つの手段はこの違和感のほうを信じること。
つきつめて考えてみること。
もちろん「前提」もあやふやだし、考える、ということすら信じられないんだけれども。

さて、ようやくこのスレッドのスタート地点が微かに見えてきました(笑)
86吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 21:26
>82
「このカップ、なんだかとってもいいねぇ。」
こんな感じで頑張って。
随分昔にそっくり同じ事をして、まるで予言でもするように
あなたと同じ事を言った人がいたけどね。
87吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 21:30
>>86
>「このカップ、なんだかとってもいいねぇ。」

の「・・・ぇ。」というのがとっても嫌らしい
88吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 21:30
>86
あんまりいじめるなよ。。確かに高橋源一郎を
如実に感じさせはするけど、影響は誰だって受けるし、
別にそれ程ひどいこと言ってるわけじゃないじゃん。
89吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 21:32
>88
いやいや、ならソースを示せよって話さ。
こんな本にこんなこと書いてありました。
それで十分じゃん>台無し
90吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 21:33
>台無し
煽るわけじゃないんだが、82のレスまでを読む限りでは、
ちょっと何かが手付かずに残されてるなってきがしてしまう。

>世界を捉える言葉が信じられない。
だから俺は俺の「内面」を信じない。

例えば、この「信じられない」ということの、あなたにとっての「リアル」さってのは、では一体なんだんだ?

>>71氏の質問
>「リアル」を信じるのは「内面」ではないのか?
 とも通じるのだけどもね。

つまりその信じられないという「リアル」さもまた、君の言う「書き言葉」に絡めとられているのじゃなかろうか?
この辺り、どうよ?
9190:2001/07/12(木) 21:35
レス書いてる間に伸びてしまったのか、チョウダサ。鬱駄
92吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 21:43
>>90
なんだんだ?→なんなんだ?
9370:2001/07/12(木) 21:46
>>81

>それに対置される透明性はかってあったのか?

分りません。ただ、近代言語(散文と言っても良い)によって獲得された
自意識はその遠近的錯誤から「世界」に対してある程度の明澄性(透明性)を
保障するとともに自意識=作為といった混乱(錯誤)を与えるように思えます。
そこで自然や起源、内面への問いかけが生じるのではないのでしょうか?

>あなたの使った自然という言葉が(以下略)

風景としての自然ではありません。ニーチェやクライストが指摘したような
近代的自意識(作為=不透明性)を克服した果てにある
混乱と静謐を並存させた粒子的世界です。
鉱物性は私も子供の頃に憧れたものですがその欲望は運動性を欠いた
アトミズムに回収されそうな気もします。
94JPB:2001/07/12(木) 21:47
こんばんわ。
>>81さん
「資本主義」スレでは、実践の地平を示すよりも先に、書き手が置かれて
いる条件を含めつつ議論しようとしたので、いかに書くか、何を書くか
どのような意識で書くかと言う問題についてはしぼんでしまいました(^^

横レス、スマソ。>ALL
95吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 22:03
>70さん、94さん
常駐してください。
上滑りしがちなこの手の議論において、あなた方のように
文学外の文脈を持った人達はバイアスとしてとても価値があるように思います。

>70さん
とてもわかりやすい説明をありがとうございます。
>混乱と静謐を並存させた粒子的世界です。
ここもうちょっと説明してくれると嬉しいです。
鉱物性では足りないという実感があります。

>70
9670:2001/07/12(木) 22:37
>>95

鉱物性(固有性=個別性)が近代的自意識(不安)にある程度の掣肘を加え得ることは
あると思うのですが。運動を欠いた固有性への願望は権力といった静止状態
への帰属を促すだけのような気がします。
混乱(否定)と静謐(肯定)が権力(理念的統合=静止状態)に結びつくのには違和感を覚えます。
近代的自意識(不安=内面)を物質性によって退けるだけではなく、
個別性(個人)の神話を打ち砕く事も重要だと思うのです。
そこで、運動も初めて可能になるとような気がします。
なんか抽象的になって申し訳ありません。
97台無し:2001/07/12(木) 22:41
役立たずな連続書き込みに気分を害する人も多いだろうな、とも思いつつ。「私」と「俺」をどっちかに統一しろよ。
ごめんなさい。誠実さのカケラもないごめんなさいだけれども。
一人で考えなくてもいいってのがこの時代の恵まれたとこなのかも。
もちろん、この時代以外のことは知らないんだけれども。

えっと、高橋源一郎さんがそういった過程を「僕がシマウマ語をしゃべった頃(だっけ)」に
書いていることは知っています。
しかし、俺は高橋源一郎さんじゃないんです。高橋源一郎さんの文章の紹介をする気もなかった。
全然関係ないんだけど、あのエピソード、最初に読んだときは笑ってしまいました。
30男がクソマジメに「ぼくはこのコップが好きだ」って一日中書いてやがんの。ゲラゲラゲラ。

えっと。もっかい電波。

>現実は単に現実であって、そこに見方の関わる余地はない。
>君がどんなにリアリティを感じなくてもそれはリアルだし、
>それは信仰の問題でも、論理の問題でもない。

これが感覚的に理解できないのです。
例えば近視の人と遠視の人では、世界の見え方が全く異なるでしょう。
その二人が松島の(別にどこでもいいんだけどさ)風景について語るとき、
同じものを表しているはずなのに言葉はまったく異なってくるでしょう。
そして、その二人の言葉で表される世界は、全く別のものである、と。

近視と遠視のようなはっきりした違いならいい、
宗教とか論理とか「世界観」とかのわかりやすい違いならまだ許容できる。
でも、それ以外にも、世界の見方が全く異なってくる場合があると思う。
今となりにいるあなたと俺は全く違う世界に生きているのに、
それでも言葉で関係性を持っている。
言葉はまるであなたと俺が同じ世界に住んでいるみたいにふるまっている。
98吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 23:11
>>97
相も変わらず認識論と言葉の問題か。

>>70
鉱物性     近代的自我
固有性     不安
個別性     内面
静謐      混乱
という感じですか?「近代的自意識」によって「個別性(個人)
の神話を打ち砕く」というのは一体どういう事ですか?
具体的にお願いします。
99吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 23:22
>>97
そうそう。
君が「赤いリンゴを食いたい」と言い、私が「赤いリンゴをねえ」と言う。
その時、君のリンゴと私のリンゴは、明らかに違っている。
現実に一つのリンゴを前にした時、君が「美味そうなリンゴだ」と言い、
私が「農薬の染みていそうなリンゴだ」と言う。

言葉が持つ伝達能力(意味性)は、
言葉に「私」が託している内容のホンの一部分「しか伝え得ない」という絶望を
劫初から人間は常に抱き続けてきた。
もとより「世界」が、人の数だけあるからだ。

>言葉はまるであなたと俺が同じ世界に住んでいるみたいにふるまっている。

――言葉がふるまっているのではない、私達が、そのようにふるまうことで
言葉の危うさを支えている。世界は一つなのだという、共同幻想・・・。
100fishman:2001/07/12(木) 23:28
色々考えてる内に話題が流れちゃいまして。。
えーと、どの話題に乗ろうかな(丘サーファー

>70さん
とても興味深い視点です。
鉱物というキーワードに乗っかって、花田清輝よろしく
砂と岩、風と湿気、などといったレトリックを駆使してみたい
欲求は多分にあるのですが、ここでは控えましょう。

ところで、あなたの言うことを文学上で行おうとすると
どうしても文学的な言語に置き換える必要が出てきます。
ここがちょっともどかしい。

>近代的自意識(不安=内面)を物質性によって退ける
この「物質性」をそのまま、言葉に掛けてしまっていいのか。
まずそこで躓く。

>個別性(個人)の神話を打ち砕く事
ここを方法への懐疑と採るべきか、作者のオリジナリティへの懐疑と
採るべきか、そこでまた躓く。

具体的な方法に向けてアドヴァイスをもらえると、嬉しいです。。
101fishman:2001/07/12(木) 23:31
>個別性(個人)の神話を打ち砕く事
あっ、これは単純に言葉の自立性への懐疑と読んじゃえばいいのかな?
頭悪すぎ>自分
102吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 23:42
>99
あー、君ぐるぐる回ってるよー。
手か、司会進行が必要よ、このスレ。
JPBの名司会振りが偲ばれる。
103吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 23:58
要は個別性を打ち砕く、というのは「もとより「世界」が、人の数だけある」
という個別的に相対化・固定化された世界観に拠らずに、
「言葉に「私」が託している内容のホンの一部分「しか伝え得ない」」という
不安(近代的な不安?なんじゃそりゃ)に忠実に生きるべきだ、みたいな事を言いたいのか?
字面が難しそうで、内容も複雑そうに見えるが、意味ありそうで
あまり意味のない文章になっているな・・・
104吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 23:59
はっきりそう言えばいいのに。
105吾輩は名無しである:2001/07/13(金) 00:30
>99
『言葉が持つ伝達能力(意味性)は、
 言葉に「私」が託している内容の
 ホンの一部分「しか伝え得ない」という絶望』

はたしてそれは本当に絶望だったのだろうか?
確かに言葉の伝達能力は低い。
しかし日常に生きる人間が
そういった言葉の伝達能力の限界に気が付き、
<絶望>したことなどあるのだろうか?
確かに一部の限られた人間は<絶望>するのかもしれない。
だが多くの人間は他人との間に齟齬を感じながらも、
<絶望>まで至ることなく生き、死ぬのではないか。

ここでいう<絶望>はあくまで観念的なものであって、
生活に密着した抜き差しならない絶望ではない、と思う。

こんな作り物の<絶望>を語るのが文学なのか?
そりゃあ違うだろう。



・・・拙い考えですけど書いてみました。
106吾輩は名無しである:2001/07/13(金) 00:37
>>105
モノを書いている人間には、そういう≪絶望≫はあるのかもよ。
しかし一物書きの物書きとしての自意識がなんぼのもんじゃい!
という考え方もあるだろう。
107吾輩は名無しである:2001/07/13(金) 00:47
先生! 意味がありげに見えて、その実ほとんど意味のない文章
が持つ害悪について語りませんか?
108先生:2001/07/13(金) 00:53
はい、その通りですね。実は先生もそう思ってました。
ではまず>>107から意見を述べてみて下さい。
109107:2001/07/13(金) 00:57
まず「先生」からお願いします。
110吾輩は名無しである:2001/07/13(金) 01:03
>>105
<絶望>を語る、のではなくて、その現場に居るのが<文学
111台無し:2001/07/13(金) 01:22
>近代的自意識(不安=内面)を物質性によって退けるだけではなく、
>個別性(個人)の神話を打ち砕く事も重要だと思うのです。
>そこで、運動も初めて可能になるとような気がします。

70さんの言ったことで大事なのはここなんだろう。きっと。
でも、正直、ぜんっぜんわかんないんよね。哲学の用語なのかな。
>>70を無理から翻訳(?)すると、
「今の言葉では世界を語れない、世界を捉えられないっていうのを嘆いて、
昔のドイツ人みたく『意識なんてのがあるのが悪いんだよな。考えなきゃいいのよ』とか
『全知全能になってゲダトゥ』なんてとこに行ってしまうのかな、
でも現在はまた何かが違う気がする」ってことなんでしょうか。
もー、憶測していくしかないんだけれども(笑)
でもまぁ、とりあえず、今の言葉をとりまく状況では何をやっても「権力」という静止状態にしかならなくて、
なんだかよくわからないけど先に進むためには、
>近代的自意識(不安=内面)を物質性によって退けるだけではなく、
>個別性(個人)の神話を打ち砕く事も重要だと思うのです。
近代的自意識を「自分が何なのか、自分がどうなるのかわからないという不安」だとして、
それを「物質性によって退け」てしまう。
「お前はお前でこの世界こそがリアル」といった確固とした状態を与えることなのか。
「個別性の神話を打ち砕く」のは
「人は誰しも生まれながらに等しく精神的な価値を持っている」みたいなのを否定することなんですか。
なんかえらいことになってしまったな。い、いやぁ、もう、通じないっすね言葉(笑)

世界が人の数だけあるのならば、その世界の間を繋ぐべき言葉を見つけなければならない。
そうしなければ、俺たちはお互いにコミュニケートができないからだ。
前提について討議し、共有する知識を探りながらそれは行われるだろう。
そこでは「鉱物性」すなわち一つの考える方法しか持たないことは既に言葉を失っているのと同じ。
一つの言葉の体系に安住し「権力化」、「鉱物化」を続けるならばそれは外の世界と接点のない言葉になるだろう。
コミュニケーションを始めるにあたって、俺たちはいくつかのことを言わなければならない。
「自分の世界はどんなところか」そして「あなたの世界はどんなところですか?」
(脱線。「あなた、いったい誰?」に対応するのは「あなた、車、売る?」ですよね?(気違))
でも、そんなにしてまで俺たちはコミュニケートする必要があるんだろうか。
何かを言う必要はあるんだろうか。俺がコップが好きでも、あなたには関係ないじゃないか。

旧来の言葉はどんどん豊穣さを失い、それに伴って内面は均質化していって、
もしかしたらその状態ってのは一番コミュニケートに適しているんじゃないか。
もしかしたらすごく「透明性」を持った言葉なんじゃないか。
112先生:2001/07/13(金) 01:24
先生は>>21で既に考えを述べています。
ほんのちょっとだけあなたのレスと被っているところがありますね。<107

どちらにしろ批評的なタームを使わなければ論じられない「文学」というものに対しては
先生も若干疑問をもたないこともないです。
113吾輩は名無しである:2001/07/13(金) 01:26
しかしそんなに嫌ならやめてもいいんじゃないか>文学
もうちょっと柔軟な考え方をしようや。
11470:2001/07/13(金) 01:59
>>103>>101

個別性(個人)の神話を打ち砕く事
  ↓
認識主体としての個人信仰やそれによって齎される神話構造への回帰の否定。

デカルトが個人を思考の拠点として認めつつも
言語構造の社会性や慣習性を重視した結果、心身二元論的分裂を引き受けざるを
得なくなったのはあまりに有名な話ですが、こういった傾向はデカルトのフォロワーたる
ホッブズやド・ラ・メトリにも顕著です。
彼らは何れも人間機械論的唯物論を引き受けています。

心=意識については遠近法的錯誤と言う事で前にもお話しましたが、
身体=鉱物については近代的自意識が発見した身体性への眼差しが
肉体蔑視(というか管理対象)に陥り、
それが機械→鉱物と退行していったのではないかと考えたわけです。

意識それ自体の文学性を放棄する事が出来ても、意識の対象物として発見された
身体性=鉱物が放置されたままではパーツとしての個が全体をひきつける恐れがあります。
中途半端な唯物論は専制的な観念論への転化の契機を孕んでおり、
文学上の不用意な礼賛はデマコギ―に堕する恐れがあります。
風景としての自然崇拝を退けるだけでは不十分で、一見それと相反するような
蔑視も退けなければならないと思います。
“粒子”によって運動性のニュアンスを込めようとしたのですが、
拙劣な比喩にしかならなかったようです。スミマセン。
115吾輩は名無しである:2001/07/13(金) 02:13

ううーん。なんというのか・・・
これは「哲学」なんだろうか・・・ 「哲学」なのか?そうなのか?>誰かコメントくれ!
でもこんな文章を哲学科に提出したらハネられたりしないのかな?
・・・要旨が不明だ・・・
福田和也でさえこれより明晰な書き方をすると思うのだが。
116fishman:2001/07/13(金) 09:51
風邪で有給。ぐすん。でもここは見る。

>>114 70さん
お付き合いいただき、有難うございます。
風景礼賛にしても、単純な鉱物崇拝にしても、
それは静的な停止状態(念頭にあるのはファシズム、かと)
への危険な萌芽を孕んでいると。
確かに読み返してみると、ここでの議論の流れが
単純なデカルトの地平ー物心二元論に回帰しているように見えます。

さて、では具体的にどうやって運動を生起させましょうか?
一番簡単に思いつくのは他者を引き込むことです。
静的な停止状態というのはモノローグ的な錯誤に過ぎない気がします。
自分の中に二つ核を置く。いわゆる楕円です。ころころ転がりましょう。
しかし、他者などいるのか?他者もまた創造的な差異に過ぎないのかも知れない。

次に頭に浮かぶのは構造改革です(笑)風景でも私でもなく
それが書かれている場そのものを主題化する。
メタフィクションてのがこれに当たりますか。
しかし、これって何かに似て来ちゃいますねー。
デカルトが必然的に神の存在を要求した構図に。

あうー、熱が、熱が。。
文学に限らず、哲学の領域でも、デカルトが(図らずも?)うち立てた命題は
未だ有効に解決されていないように思います。
しかし、デカルトそのものに果たして運動はなかったのでしょうか?
徹底的に懐疑し続けること。これは果たして静止でしょうか?

あーごめんなさい。全然具体的じゃないですね。
ちょっと寝ます。今晩あたりが山ですか。このスレも、僕も。。
117吾輩は名無しである:2001/07/13(金) 12:45
↑お大事に
118JPB:2001/07/13(金) 14:00
fishmanさん、お大事に。
119fishman:2001/07/13(金) 20:37
>117さん JPBさん
ありがとうございます。顔を見たことのない人達から
温かい言葉をもらうと、何だか照れちゃいますね、エヘヘ。
お陰様で熱は随分下がったようです。

しかし、だんだんモノローグになってるなぁ、自分。。
しばし、ROMります。
120吾輩は名無しである:2001/07/13(金) 21:02
書き込みの質落としちゃうかもしれないけど、ちょと疑問あるよ。
今時のカコイイ若者の姿、文学描写できるか?
映画?オケーイ。できるよ。
音楽?オケーイ、オケーイ。音楽を若者は目指すよ。
漫画?オケーイ。僕と一緒の八浪は金城武似ね。
文学?何それ?
これ売り上げの問題か?それとも能力の問題か?
皆さん、答えるよ。
121吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 00:23
>>119 (横レス)
熱下がり際にムリすると、よくないよ。
ちゃんと着てあったかくして(暑くても)寝て、びっしょり汗かいて、
汗出たら拭いて着替えて、もう一度寝る。それで治る<風邪
12270:2001/07/14(土) 00:42
>>116 fishmanさん

>それは静的な停止状態(念頭にあるのはファシズム、かと)

というか、全体主義あるいは全体化です。

>では具体的にどうやって運動を生起させましょうか?

運動の生起というか、認識の起源を個人においた運動が同一方向に向かうため
権力といった静止状態に落ち着くという意味で書いたのです。
説明不足でスミマセン。

>しかし、他者などいるのか?他者もまた創造的な差異に過ぎないのかも知れない。

他者の定義にもよるのですが、外部という意味では言語による認識において他者は消滅
せざるを得ないでしょう。
藤枝静男の病妻もののように作者の心象としての内面化を拒むものが他者と言えるのかも知れません。
「悲しいだけ」の展開にも若干疑問が残るのですが…

>デカルトそのものに果たして運動はなかったのでしょうか?

いえ、運動はあったと思います。ただ、個人の認識と結び付けられた「神」が運動の方向を規定したと思います。
そのことが、神=存在と規定したスピノザの批判に晒されたわけですし、
そのスピノザ自身も動的性格から無宇宙論だといったヘーゲルの批判を浴びた筈です。
自足した個人を設定する事が閉じた構造に収斂してしまう事象に注目したいのです。

>メタフィクションてのがこれに当たりますか。

物語といった閉じた構造やその中で定型化を余儀なくされる言葉の運動に自由な方向性を与えた
という点では高橋の「ギャング」や「虹」はそうだったと思います。
後藤の「壁の中」はマルクス主義の党派観念やキリスト教の原罪意識を自意識の側面から
解体しようとした労作だったと思います。

ただ、こういった戦略が現在有効であるのか?情報の加速化による形式表現の陳腐化は
文学の自意識性といったソフト面の解体には有効ではあっても、個別的人間を無防備で
投げ出す事によって全体化への機械を増大させているだけではないのか?
と言うのがここで長ったらしいレスをつけた動機とも言えます。

クドくなってスミマセン。
あと、夏風邪は厄介ですのでくれぐれもお体御大事に。
123吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 08:21
>>120
文学、というか言語で今どきの若者を描写するのは本当に難しいと実感している。
というのは、乱暴に言えば「今どきの若者」(この言葉はイメージを喚起はするが曖昧なんでカッコつき)は
言葉を持っていないから。
もう少し丁寧に言うと、「今どきの若者」の言葉は、ごく限定された間柄のみで通じる、
ある種のジャーゴンで多くが形成されている、と感じる。自分自身の会話を省みても。
ノリの重視された、短い言葉のやり取りで構成される会話を、そのリズムを失わずに
かつ、その言葉の裏側に存在している彼らの間でしか理解し得ないニュアンスとともに
伝えるというのはかなりの技術を要する。
以上が個人的雑感なのだけれど、この板には若い作家志望者が多くいるようだから
彼らの意見も伺ってみたいところではあるね。
「俺がバチッと描写してみせるぜ!」ぐらいのたまうイキのいい人間も二、三はいるだろう。
124吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 09:57
本当にいまの若者を描写することに意味があるのだろうか、若者を描写することを
主題に置いた作品で名作ってあった。
すぐに古くなってしまう気が。
125吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 11:18
石原慎太郎「太陽の季節」
庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」
村上春樹「ノルウェイの森」
田中康夫「なんとなく、クリスタル」

過去で挙げればこんなもんか?うーむ?
126吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 11:37
>>126
夏目漱石「三四郎」は?
127吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 13:30
>>125
どれも流行小説といえば、流行小説だな。
ノルウェも何栗も今では痛いし。10年後にはトンデモ本になる可能性が。
128吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 18:24
>>124-127
描写の深さによる。[時代性を体現する装置としての若者]のレベルで終われば
すぐに古びる。少なくとも[時代を超えて生き継ぐ質]にタッチできていなければ、
時を超えられるはずがない。
129吾輩は名無しである:2001/07/15(日) 13:40
今の風俗や流行を描くこと、それが文学の使命というわけではないでしょう・・・。小説は小説でしか表現できないものを表現する方向へと向かうべきなのでは・・・?
130吾輩は名無しである:2001/07/15(日) 16:25
それを現在小説が描ききれているのか、疑問がある人は多いでしょう。
131吾輩は名無しである:2001/07/15(日) 16:27
>>127ナンクリとノル杜を一緒にすんな
殺すぞ
132吾輩は名無しである:2001/07/15(日) 17:03
田中康夫は村上春樹が大嫌いらしい
香山リカ(ただの聞き上手)相手にベラベラ悪口をしゃべっていたよ
133吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 01:08
>>124 >>129
今の若者や風俗を書くことに意味があるかどうかと>>120での疑問提起は
全くの別問題でしょう?
「果たして文学に今の若者は描写できるのか?」と問われて
「それを描写する必要性はあるのか?」と答えるのは逃げでしかないと思う。
まずは描けるかどうかを考えて、もし描けていないのなら
それは何故なのかを考えた方が建設的では?
134fishman:2001/07/16(月) 15:27
だぁ、超遅レスすみません。結局、今日の朝までうなされてたですよ。

>>122 70さん
いつも丁寧なレス有難うございます。
そして、すみません。徹底的に読み違えていたようですね。
ちょっと二人の間で、「個人ー全体」の視点が錯綜してしまうようです。。
で、提案なのですが、『悲しいだけ』『さようならギャングたち』
『壁の中』そういった作品に付随させて論を展開させてみてはいかがでしょうか?
おそらく、その方が双方にとってわかりよいかと。。
個人的には『悲しいだけ』の展開に疑問があるという言葉の中身を知りたいです。

この手の大文字スレの宿命かも知れませんが、いくつかの
話題が並行して展開されています。できるだけ、接触していきたいとは思うのですが、
一つの話題を消化するのに精一杯で、寄る年波にはなかなか。。

若い世代を切り取ったものとしては、他にも
大江健三郎や村上龍の名前が挙げられると思います。
現役では、このスレでも名前の挙がった阿部和重を、その括りに入れることは間違いではないと思います。
ただ、彼の場合はそこにマーケティング戦略が入り込んでおり、
そこをどう判断するかという問題が浮上してくると思われます。
135吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 19:08
若者一つ書けないジャンルが衰退するは必然。
何しろ若者ときたら、いつの時代だって、単純で
最悪の古さばかり選び取るのだからね。
136吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 19:19
マーケティングを切り捨てているようにも見える
保坂についてはどうよ?
137吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 21:17
今この時の具体論になると盛り上がらないよなぁ、この手のスレ。
現役一線という点で名前が浮かぶのは、阿部・保坂以外に、
町田、中原、笙野、多和田、両村上、島田、高橋ってとこかな?
何か積極的に語る気にならないんだよねぇ。
この中で言うと、町田・中原が魅力的に見えるのは
文学的な視点に収束していないという点かな。
138吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 21:21
>137
うんうん。たしかに!
「文学」内部での評価はともかく、
誰もが単純に入り込める余地があるのはその二人だね。
139吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 21:33
>>137
確かに高橋が明確に切り捨てているところを
町田・中原はグデグデになりながらも向き合っている気はする。
ただ、あらゆるものを総合的に見ると阿部のあざとさが
言い意味で浮かび上がってくるように思うんだけど。
140吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 22:05
阿部か。確かに優れているよ。
並べられた他の誰よりも才気を感じるよ。
ただ、あらゆるものが結局図式的な構図に収束してしまう
点はどうなんだろう?
阿部の一作を読むなら、同じテーゼを扱った
批評家の作品を読めば事足りるという気はしないか?
最初の頃はリミックス感覚とでも評すべき、
軽やかさが魅力的だったけどねー。
もっと乱暴な(敢えて野蛮とは言わない)作家を俺は待ち望んでいるのだよ。
141吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 22:18
蓮実・柄谷そして東か。確かにべったりだねえ。
阿部は結局文学の内側から世界を覗いているんだよね。
中原は外側から文学を覗いているし(覗いてすらいないかも知れないね)
その辺の差かもしれないね、
しかし、驚くのは結局文学と言う磁場が未だに堅固な
入れ物として機能しているという一点。
142吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 22:21
137kara141は同一人物
143吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 22:31
ありゃりゃ、またスレタイトル通りループしそうな予感。
ちょっと交通整理していーい?
論点を現役作家の向かっている方法論ーその有効性
ってことでまとめてみない?
語りの復権→町田
書き言葉の歪曲→笙野
「女性」性の導入、カフカ的不条理→多和田
メタフィクション→高橋
小説外部からの侵入→中原
マーケティング、話者の不透明性→阿部
青二才!?→島田

乱暴な紋切り型というのは百も承知、訂正は謙虚に取り入れていくとして、
誰のどの方法に可能性を感じるか?その辺の所を詰めてみない?
これなら、コテハンも話題に加わっていけるんじゃない?
144吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 22:42
中原読んだことないんだけど、どんな感じなんでしょう?
14570:2001/07/17(火) 00:07
>>134 fishmanさん、今晩わ。

>『悲しいだけ』の展開に疑問があるという言葉の中身を知りたいです。

藤枝の場合、志賀の閉じた世界を形成する権力性や
太宰の内面への問いが必然的に信仰(神や自身に対する)に転化する権力性
からは自由だったと思うのですが、
こういった自己の意識から切り離された「他者」がそのまま放置された印象が残るのです。

「悲しいだけ」とは、妻や妻を失った自分に向けての言葉ではなく、「他者」との隔たりそのものであり、
言葉そのものといっても良いのですが、結果として文学が不可能な地点に追いやられた気がするのです。

こういった態度が『或る年の冬或る年の夏』で描写された天皇の馬が残した足跡に殺到する
“臣民”にどれだけの威力を持ち得るのかは疑問です。

そういった意味で“疑問”と書きました。
146吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 00:46
↑ 難しい言葉使わなくても、ちゃんとしたこと書ける人のよーに段々思えてきたにょ。
 
147吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 01:01
↑ 難しい言葉じゃなく、自分の身についていない言葉、を使わなくても、な。
まだまだ。
ヒジョーに難しく高度な内容を、如何にわかり易くやさしい表現で
例えば高校生にでも理解できるような仕方で、書くことができるか=頭の良さ。
148fishman:2001/07/17(火) 01:34
>>145 70さん
なるほど。「放置」という言葉がとても印象的です。
70さんの指摘するとおり、『悲しいだけ』における「言葉そのものー他者性と
言い換えても良いと思いますがー」その部分が、私小説をはじめとする
ある種の文脈には有効だったと。
柄谷行人が積極的に『悲しいだけ』を取り上げた文脈も
はっきりと見えますね。

後はその「言葉そのもの」に対する評価ですね。
個人的には『悲しいだけ』はとても好きな作品ですし、
小説としては十全に完成していると思うのです。
ただ、70さんの書き込みに触発される形で思ったのは、
象徴化の問題です。
少しずつ70さんが問題にしている地点が見えてきたようです。

話が大きくずれますが、熱にうなされながら
読んでいたのは折口信夫『死者の書』でした。
この作品を小説と呼ぶことに大いに疑問を感じるのですが、
何度読んでももっとも印象的なのは「つたつた」というオノマトペでした。
この言葉に意味はないはずなのですが(著者が折口と言うこともあるのかも知れませんが)
何か非常に強い意味を帯びているような錯覚を覚え、
グロテスクな共振と薄い羨望を覚えました。

「臣民」と言う言葉を前にして、
確かに「言葉そのもの」を放置するべきではないのかもしれませんね。
149fishman:2001/07/17(火) 01:49
おっと、ちょっとまたずれちゃいましたね。。
ある程度70さんの文脈は理解しているつもりですので、
外れるところは目を瞑ってください。
おそらく、70さんにとって文学は
現実をごろりと投げ出すことではなく、
変節させたり、読みかえたりする能動的な力の
ことなのですね。共感を覚えつつ、眠ります。
150吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 04:58
薄気味悪いやつらだなぁ、こいつら。
「他者」だの「権力性」だの、実に曖昧なやり方で語られてないか・・・
曖昧な言葉を、曖昧なまま使って何かを言った気になる、、、
実に憂慮すべきビョーキだよ、これは。
151吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 07:18
楽しそうに意味不明なことを言い合ってるのが、彼らの習慣らしい。
152吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 13:17
お仲間同士で通用する言葉で萌えてないで、厨房にもわかる言葉で語るのが
知性じゃねえか。
知識の羅列合戦。でも蛸壺の中にいる人間に蛸壺から出ろといっても無駄なんだよな。
まあそれを指摘する俺も、何かの蛸壺の中にいるのだが。
おっとこれは他スレだった失礼
153吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 13:36
だってスレ名がループじゃない
154吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 18:19
こういう議論は、不毛などつぼに陥ってしまう。

せめて、読みやすく書いてくれ。
155fishman:2001/07/17(火) 19:51
そっかぁ。そんな風に読まれてしまうのかぁ。
できるだけ平易な文で書くことを心がけていたのですが。。

何人もの方が指摘するように、確かに
曖昧さは自分も含めてそこかしこのレスに見受けられます。
ただ、「厨房にもわかる」というのは、
厨房も理解に努めるという前提がなくては成り立たないのかもしれません。
まぁ、言い訳ですが。。
156吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 20:35
150
おまえがじゃあはっきりした言葉でかたってみろよ
157吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 20:37
>155
言い訳いいわけ。
読む気があって、普通の読解力をもっている
高校生にもわかるように、という意味。<厨房にもわかる
どんなに難しい内容でも、自分の頭の中で噛み砕き、
よりわかりやすい平易な文章で表現できるのが、腕。
逆に難しくして、どーするよ>文学板の哲学用語不消化隊
158吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 20:40
例えば、柄谷荒神は探求でゲームや裁判や航海の例を使って
書いていたじゃない。
そういうふうに書けってことじゃないかな。
159吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 20:57
>157
てか、哲学用語なんてどこに出てるのよ(ワラ
アホは気にせずいこうや。
難しい問題は難しいから難しい問題なの。
簡略化した時点で別の問題に成り代わっているの。
スレの流れに関係ない話題は最低限sageろや。>いい歳した厨房
160吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 21:02
>158
柄谷行人が理解できるなら、ここに書いてあることぐらい
そのソースも含めて全部わかるだろうよ。
161編集校正@405:2001/07/17(火) 21:14
>159
厳密な哲学用語、その曖昧な文学的?用法、
両者の違いも読み取れないようでは、そもそも
話にならんな。
162158:2001/07/17(火) 22:34
>160
べつにおれが荒らしてるわけではない。
俺はわかるが、やはり指摘されてるとおりの問題があると思うぞ。
抽象的事柄に対して能力が高いのは、抽象的に書くことではなく、それを具体的に書くことだと、
柄谷にかけて言うなら、言っていたのでは。
文学はそれを関係という形で描くのだし。
163吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 22:37
160
は、まっとうなことをいっている
164吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 22:41

>160

158はまっとうなことをいっている、だ。
165吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 22:58
このスレの目的がなだらかな地平に亀裂を走らせることだったとするなら、
十分その目的は果たされたと言えるだろう。
157・161に表れている狼狽の色合いと言ったらどうだ?
そんなに気にくわないのなら、読まなければいいし、
書き込まなければいい。
彼は思う。「何これ全然わかんねー」
この狼狽が彼を書き込みに走らせている。
彼は必死だ。「俺マジョリティだよね?大丈夫だよね?」
勝手に他スレでも立てろ。君に伝えることはそれだけだ。
166吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 23:02
具体的じゃないって言ってる奴が一番具体的じゃない(ワラ
167吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 23:02
>>165
どこになだらかな地平があるか、亀裂とは何かもわからんで、
な〜にをいっとるのか、という話。
君のカキコが、流れをゆがめてきてる。読めないか?
168吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 23:16
興味深くこのスレをROMってた者だけど、
結局こんな展開か。哲学用語の厳密な意味にこだわるというなら、
それに則って精緻な論を展開させればいいわけだし、
抽象的に過ぎるというのなら、どこをどう具体的に説明して欲しいのか
書き込めばいいだけだろ?せっかく具体論に入ってきたところで、
どうして話の腰を折るんだよ?
169吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 23:24
だから具体論でいこうよ。
170吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 23:28
>>137-163
ホレ、読み返してみな。
171:2001/07/17(火) 23:44
今の展開で言うと、『悲しいだけ』の読解か。
具体論てのはあれかこの小説の筋の説明から
始めなくちゃいけないわけか?何でそんな親切に
しなくちゃならんのだ。

乱暴に語っちゃいけない小説という気がするが、
要は妻が病床にあるわけだ。夫=作者(この等号は少し慎重に扱われるべきだぞ)
はそれを見舞い、一緒に訪れた土地のことを淡く回想してみたり、
タバコに火を付けて渡してやったり、些細な出来事が丹念に描写されていく。
で、結局妻は死ぬと。夫は漏らす。
「悲しいだけ」と。今、自分は消え去るほかない痛みとして、
「悲しい」という感情ではなく、「悲しいだけ」という固まりを内に抱えていると。

てか具体論でいこうって言うなら、参加する奴全員読んでくれるんだろうな?
172:2001/07/17(火) 23:47
でこの作品のどこに焦点を当てるわけよ。
散々くそレス書き込んだ連中具体的に提示してくれよ。
173吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 23:49
いっべん訊きたかった。君ら被虐志向だろ。
174:2001/07/17(火) 23:54
>173 結局出てくるのはその程度のことか?
   なら、お前、いらんわ。
   せめて藤枝静男スレ読んでみるくらいの機敏さを見せろ。
175吾輩は名無しである:2001/07/18(水) 00:02
↑ 気持ちは分かるけど、ちょっと落ち着いて。これじゃ本当にただの叩きスレになってしまうよ。
176吾輩は名無しである:2001/07/18(水) 00:14

市場経済にどっぷり使ったシガナイ一市民が、個の回復を週末に試みるための商品。
ナンチャッテ。

他のツールと同様に、切れのよいツールもあれば、バッタモンもある。
受け手の方の個人差も大きい。

有効だと思う人がより有効なツールを探せるようにはなってると思うぞ。

最近の本屋はきれいだし、Amazonのおかげで洋書へのアクセスもお手軽になったしさー。
177吾輩は名無しである:2001/07/18(水) 00:17
具体論って >>143←これからのことじゃないのか??
なんで個別作品に飛ぶのか?
178吾輩は名無しである:2001/07/18(水) 00:18
てらやますーじはいいました。

「文学なんざ、学生と囚人の読むものだ。なぜなら彼らは人生から離れているから」
179:2001/07/18(水) 00:21
確かに大人げないな。143だと再び抽象的な論議になりそでね。
このスレの中で具体的に論じられてるのは『悲しいだけ』
だけだと思ったんでね。
180吾輩は名無しである:2001/07/18(水) 21:06
143からはじめてみるか。
先頃、日本文学盛衰史という十分語るに足る作品を
発表した高橋源一郎についてね。

その前に、厨房のリクエストにお応えする必要あり?>ALL

おれは171ほど親切じゃないから、作品内容の説明なんかしないぞ。
そんなもん、読めばわかるだろ?高橋の作品に特徴的と思われる点を
抜き出して、それについて真摯な意見をくれるなら返すし、具体的じゃないと言うなら、
どこがどう具体的じゃないのか語ってくれや。

高橋の特長を簡潔にメタフィクションで括る143にそれ程異論はない。
デビュー作から一貫して彼は書くことを主題化して書いてきたわけだし、
現在ー過去(−未来)を自在に見渡せる立ち位置に話者を置いた新作についても
同様の指摘ができるだろう。

言文一致についての異論や、頻出する時代がかったキーワードについて、
一言言いたいところはあるが、やはり問題は彼の立ち位置をどう捉えるかと
いうところに掛かっているように思う。
181吾輩は名無しである:2001/07/18(水) 21:20
特長→特徴だな。悪い。

盛衰史で高橋は盛んに様々な文を作中に盛り込んでいる。
啄木の日記(英文、現代語!訳)掲示板上のレスのやりとり、
e−mailその他諸々。
ところが、(本来まるで異なるはずの)これらの文が
まるで抵抗なくスラスラと読めてしまうという事態は一体なんだろう?
それは作者ー高橋の特権的な立ち位置に掛かっている。
とまぁ、そんなことを考えている。
182吾輩は名無しである:2001/07/19(木) 00:25
>>181 なるほどなあ、と思いながら質問

 そう? 抵抗なくスラスラと読めちゃうかな? 例えば、前半二葉亭の葬式の場面で、
鴎外と漱石が言葉を交わす場面があるじゃない。と、いきなりあそこで漱石が突然「たまごっち」の話をし始めるよね。
あそこは俺が予備知識なかったせいもあるけど、歴史的な記述と衝突する感じで、かなり抵抗があったけどなあ。
或いは、啄木がブルセラ店長やってたりとか、という記述にも、ある程度の居心地の悪さ、みたいなのがあったように思えるんだよね。
逆に「官能小説家」ではこれが殆ど消えてしまってるんじゃないかな。
と、俺は考えてたんだけど。

でも180氏の読みでは、あんな程度の工夫じゃちっとも違和感もなにも感じやしねえよ、異なる言説の衝突ですらないぜ、ということのようだね。作者の特権的な立ち位置とは??
183吾輩は名無しである:2001/07/19(木) 09:52
作者の特権的な立ち位置→全てを俯瞰できる立場

ミシンとこうもり傘の衝突なんてのは確かに文学の
本質的な長所の一つなんだとは思う。
ただ、高橋の場合、啄木がブルセラ店店長をやるミスマッチ感を
十分把握しているわけで、そこにあるのは衝突と言うより
予定調和という気がする。その予定調和を「これあの高橋が書いている」
というテクスト外の予備知識が助長しているのは確かだけど。

勿論、読み物である以上、面白さは求められ、そこに対する
高橋の誠実さが表れているという見方も可能だとは思う。
しかし、彼の最近の作品の多くに感じるのだが、彼ほど実力のある人なら、
別の形の面白さを提示できるんじゃないのという気がする。
184吾輩は名無しである:2001/07/21(土) 02:15
おーいコテハン、もっと色々書き込んでくれ。
名無しの1行レスで埋め尽くされちゃうぞ>文学板
185吾輩は名無しである:2001/07/21(土) 02:26
>184 夏休みだからねー
186吾輩は名無しである:2001/07/21(土) 03:05
>>143で挙げられた他の作家についても色々聞きたい。アゲ。
187JPB:2001/07/21(土) 23:47
多和田の「他者」性の導入、というところについてですね。
「他者」とは何か、という問題がひとつ。
作家は「他者」を描くのか、「他者」としてふるまうのか。
後者であるなら、中原のように「外部」から来るものとしてもとらえられるで
しょう。
ただ、「他者」として振る舞う作品に作家の姿を読み込むなら
そこには、傲慢と衒学だけ鼻につくという事態になることも考えられる。
「他者」とは、自分が前提していたことが裏切られ、引き裂かれ、崩れ落ちる
ような個別的体験の綜合概念に近いと、小説の読み手としては思うわけですが、
しかし・・・「他者」とは・・・?
188fishman:2001/07/22(日) 00:33
多和田と他者性。。
ぱっと連想するのは『犬婿入り』や『踵をなくして』における
異常な状況に対する主人公の呆れるばかりの鈍感さ。
踵がなかったり、ある日突然訪れた男が我が物顔で台所でもやしを炒め始める。
それを主人公は何故と思うわけでもなく、ただひたすら
受け入れていく。読者である自分がその状況におかれたら?
と考えたときに予想される反応と主人公の反応の差を仮初めに
他者性と呼んでしまうことができるだろう。

ところで、143さんは他者性ではなく、女性性の導入と言っている。
これが多和田本人のフェミニズムへの姿勢に付随する視点なのか
それとも作品内に認められる特徴なのか。ここはちょっと疑問が残る。

他者。。それを「自分とルールを共有しない者」と単純に
言いきってしまうとき、母国語内の構築物(つまりルールの共有が前提とされる
小説というジャンル内)に、それは果たして出現するのか?
189吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 00:44
↑ 最近むやみに振り回されがちな「他者」、概念についての逡巡から始めるあたり、
お二方とも、誠実でいいね。(わら
190JPB:2001/07/22(日) 01:00
私が多和田の「女性」性を、他者性と言い換えたのは、勘違いなんですが、
「女性」性の上位概念として他者性を認識したからでしょう。他者性の一例と
して「女性」性がある、というような。

fishmanさんの三段落めで言われている
「言いきってしまうとき、母国語内の構築物(つまりルールの共有が前提とされる
小説というジャンル内)に、それは果たして出現するのか?」
は、作者の「他者」性の造形可能性の問題ですね。
主題論的な「他者」性が有効だとして、それを描くには作家が前もって
何か「他者」なるものを把握している必要がある。それは、ホントに
「他者」なのか、描いているうちに端的に作品の中に弱められてしまう
のか?という問題ですネ。
行き止まりはいつも作品の手前でとどまりますが、敢えて愚鈍にどの
ような主題が可能だとおもいますか?女性?被差別?ゲイ?サバルタン?
ヒキコモリ?精神障害?アイヌ?在日?イケメン?コギャル?リーマン?
もてない男?犯罪者?不法就労者?山谷?徴兵忌避?エグザイル?学生?
予備校生?専門学校生?「主婦」?・・・と、まあきりがないですね(^^
191吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 01:03
他者に関してはいろんな意味があるから難しいんですよ。
レヴィナスの他者と柄谷の他者とでは意味合いが違いますから。
192吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 01:06
あ、191>189です。念の為に。
193fishman:2001/07/22(日) 01:10
>他者性の一例として「女性」性がある、というような。
ここ良くわかります。

個人的に考えていたのは必ずしも造形可能性の問題だけではなく、
作者ー読者間での了解不能に対する疑問もありました。
日本語で書かれててわからないものなんてあるのだろうか???
傲慢ですね(笑)>自分

可能な主題。。あらゆる主題が可能であるという大前提は
掲げつつ、『神聖喜劇』これ実は未だに十分アクチュアルなんじゃない?
というたすきを渡してみます。
194JPB:2001/07/22(日) 01:13
私の持ってる「他者」概念は、歴史学的なもので、テッサ=モーリス・鈴木
さんが代表的ですが、「国民」なる主体の内面化が覆えない残余という
意味での「他者」です。つまり、おれは国民であると同時に、民衆でもあ
るし、生活遂行者でもあるぞー、というレベルでの他者ですね。
レヴィナスも読んだことあります。
195fishman:2001/07/22(日) 01:29
見ることもできるし、語ることもできる、
ただそれの生成変化に関与することはできない、
しかしそれは私の今のありように関わってくる。
そのようなものを他者と考えています。
キルケゴールの死者に近いものですね。
思い切り柄谷に引っ張られてますが。。
196JPB:2001/07/22(日) 01:32
>fishmanさん

そうですね。私は昔、「民衆」概念がどうしてもわからず、そうした
論文・小説に出てくる主語をとにかく書き写したことがありますが、
東堂が、それら分類された主語のどこにくくれるか、と考えたとき
どれもこれもおさまりの悪い感じがしますね。兵士、抵抗者・・・?

「抵抗する(A)」「理屈屋の(B)」「男(C)」と、主語のあら
ゆる可能性をここに代入して、そこから出てきた主人公が、世界で
どのような権利を求めるのか・・・昔、どっかからパクッた物語主人
公創作マシーンですが、どんなものに「他者」を感じるでしょうねえ。
197吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 01:37
(横レス)
>日本語で書かれててわからないものなんてあるのだろうか???

それは、論じるのではなく創る立場としては、
当然の前提。…だった、と過去形で言うべき時が来てしまっているのか?
ほんとうに??
198JPB:2001/07/22(日) 01:44
>>197さん
それは、つまり、今まで作者は日本語で書かれてたものは
すべて理解できる(はず)という前提があった、ということですよね。
つまり、日本語の熟達者であった、と。ちょっと考えます。
199fishman:2001/07/22(日) 01:44
そのマシーン我が家に欲しいなぁ。。
代入しているだけで一生を終えそうな気もしますが。。

おそらくJPBさんは、単純に他者性を求めているだけではなく、
主題に今現実に先鋭化している問題を絡め取りたいと思っていると
思うのですが(190の書き込みからの勝手な想像ですが。。)
これ難問っすね。個人的に一番他者性を感じているのは
モクモクと働き続ける周囲の同僚に対してですが(笑)

あと、まぁ天皇制っていうのは大いにあるかも知れませんね。
非常に態度が難しいですが。。
200197:2001/07/22(日) 01:49
必ずしも、熟達者でなくてもいい。
いわゆる普通の読者にわかるような内容=小説だったわけだ。
小難しい評論や哲学的論文とは
まったくちがう。同じことを問題にするのでも、
論を論として語らず、生身の人間を動かすことで語る、
手法としては説明でも解説でもない描写。人間が生きて動いているところに
全ての問題は発生し、解決への思考も人間の中に兆すのだから、
生きた人間を描写することに徹底すれば、それでよかった<小説
いまは、そうではないのか? 
201197:2001/07/22(日) 01:51
↑とんだ横レスだったようだ。二人の話が進行中だな。スマソ。
消える。
202JPB:2001/07/22(日) 02:00
>197さん
そう、まさにそう、今でも変わらずそういうもののはずです。
その「徹底」が、マーケティングのせいか、業界のせいか、作者の
せいか、何のせいなのか、それとも何のせいとも言えないのか
わからないですが、その「徹底」が小説に見られない、という不満が
一読者としてはある、というのがこのスレの趣旨だと思うのです。

決して学を衒いたいのではなく、やはりこれがっという小説に出会い
たいという気持ちが私にはあります。そこから、抽象的なものへ論は
進んでも、それは性格と方法によるものであると私は思うのです。
203fishman:2001/07/22(日) 02:00
>197さん
あ、ごめんなさい。自分で書いた癖にフォロー無しでした。
>>193で僕が言ったのは、日本語で書かれている以上
読者にとって本質的な「わからない」は成り立たないんじゃない?という
ちょっと奢りに満ちた戯言です。

200の書き込みは大いに同感します。
何も作品上に論を論として展開する必要は必ずしもない。
ただ、そのような描写をする上で、様々な考えるべき事があるのではないかという
視点に立ってここに書き込んでいます。
不用意な人間礼賛は、ちょっとしたきっかけで
全体主義に陥りがちですし。。
204fishman:2001/07/22(日) 02:02
あう、同時書き込み。
205JPB:2001/07/22(日) 02:07
>fishmanさん
いや、決してそういうものではないです。ただ、まずは具体的なもの
に贅言してみて、何か行き当たるものがあるか、と深夜のせいで思った
までです。具体的な登場人物という要素が、凡その小説では必要なわけ
ですが、愚鈍にそこをとうてみたまでです。
いやあ、辻仁成とか読みたい気分ですよ・・・
206197:2001/07/22(日) 02:15
(横レスごめん・これで終わり)
>そのような描写をする上で、様々な考えるべき事があるのではないか

あのな、小説は[描くこと]が全てだよ、人間とその営みを、
まさに活き活きと、あたかもその人間が「本当に生きているように」。
それが全てだ。
その人間を見て(読んで)、こいつは全体主義的だとか云々は、
読者が論じるだけの話。
一人の人間を、右翼とも見れるし左翼だと決めつけることさえ可能だ、
受け取る側の立場次第で。それが現実の世界=多様性。
創り手は、自分の主義主張の為に登場人物を動かすのでもなく
己れの言いたいことを代わりに言わせようとして、話を組み立てるのでもない。
徹底して「人間を」描こうとするだけ。
本来、創作とはそうしたものだ。読者に受け入れられるようにとか
時代の趨勢に合わせて…などという「企図」はむしろ邪心。
描かれた者や世界が、結果として時代を映す。それが創作、芸術の本質。
207fishman:2001/07/22(日) 02:18
うん。。197さんの書き込みにちょっとがつんとやられたですよ。
私小説を掃いて捨てられない根本を鷲掴みにされた気分です。
坂口安吾、色川武大、岩野泡鳴、、、あぁ。
208JPB:2001/07/22(日) 02:37
>197さん
確かに、それが描くものの原点だと思います。
しかし、深く同意すると同時に、疑問が浮かぶのもあらがえません。
この疑問が私を、理屈の方に引き寄せるのだといえます。

まずは、創作者は同時に商売人として現実にはいるということです。
そして、創作者はいつも創作者でいられず、商売人として発言する
こともある。その時、その商売人としての言葉に私は違和感を感じ
ます。創作者としての言葉の芸術性と、商売人としての言葉の商売
っ気、これは混同したくはありません。
ここのズレを私は論じることで批評はしたい、と思うのです。
遅くなりましたが、レスです。
209fishman:2001/07/22(日) 02:38
追伸
書くことが全て。これは本当にその通りです。

ただ見たままをただ書く。その書かれたものが見たままである
ためには、色々考えることがある。まずそう言う意味での考える
ことがあります。

それと、作品ではなく創作主体としての作者の
責任はある。それはそれで考えなくちゃいけない。

考えることは「己れの言いたいことを代わりに言わせようとして、
話を組み立てる」というわけではないです。
210197:2001/07/22(日) 02:49
(横レス)
商売が、視野に入ってきたら、芸術は終わり。

書き手は無論、書くことに全責任をもつ。しかし、書き終えた途端に
作品は一人歩きをし、作者のものではなくなる。
一人歩きをしないような作品は、芸術ではない。作者が死んでも
一人で勝手に生き続ける=芸術

(スマソ、本当に消える>ご両人)
211JPB:2001/07/22(日) 03:02
>197さん
いや、まだ寝かせないですよ(^^なーんて

「一人歩き」ですが、ここはちょっと意見が違います。
今では、著作権とか知的所有権の問題について、創作者としてではなく
商売人としてふるまわなきゃいけないですよね。
それゆえ、その権利を持つ以上、作品が手から離れたあとも責任を負う形に
なっています。実際、解釈が多様である以上、作家の作品に不当を訴えること
も顕在化してますよね。例えば、主人公のモデル問題(@柳)。
そういう現状の中で、何が描けるか、考えたいのです。
私はどうしても、そういう風な考え方をしてしまいます。
212JPB:2001/07/22(日) 03:04
すみません、今日の私は、文章のミスが目立ちます・・・ごめんなさい
213吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 03:15
「結核」「電報」「人力車」
これらを失ったのが痛かった。
214吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 04:31
小説を読まなくなって久しい
詩や論文を読んでいるほうが楽しいのはなぜだ?
215吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 04:45
私は今一番好きなのノンフィクション。
それから、思想書として捉えた時のハウツー物。
ハウツー物は馬鹿にしてたんだが、この人はこういうことを
信じてるんだなあとか、信じさせようとしているんだなあと
思いながら読むと意外に面白い。
216吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 05:03
小説=文学ではないので、他のジャンルに
触手を伸ばす事は悪い事ではないと思います。
この事はオーウエルやスティーブンソンの紀行文やルポ
が“文学”として捉えられていることからも明らかです。
「オーウエルだから許されるのだ!」とは、単なる権威主義に過ぎません。
結局、重要なのは作品の質だでしょう。
小説によって読者になったものが更に視野を広げることは
読み手としての成熟だと思います。
217197>JPB:2001/07/23(月) 02:51
>>211
貴君は、徹底して評論の視座だな。その時代と情況の中に
キッチリと文学(創作)を位置付けて、考える。
たしかに、それが評論の役割ではある。
いま生きている者と時代とに着実に立脚して一つの作品を捉え、
その底に潜む、作家自身にすら意識されてない時代性と時代を超えるものを発見し
読み解く、さらには、表現の新たな可能性を模索する…。
評論の立場としては、それで正解。

私が書いたことは、あくまで創り手の話。
時代の現状に「合わせて」モノを書くようになったら、終わり、である。
そうやって生み出されるものは、チンケな商品にすぎず、作品ではない。
文学は、個人の最深奥に関わる営為であり、従って、
外からの要請で内実が変わるような類いではない。
変わりうるのは、身にまとう衣装(切り口や語り口)だけ。つまり、
ファッションと同じように一見したところは絶えず変化しているようだが、
中身(裸の人間)はほとんど変わらない。それは、
古典に感動しうる感性を思えば、自明であろう。
創り手は、まさにその「変わらないもの」に信頼して、書くのである。
作品の一人歩きというのは、
作者が死んだ後もなお長く生き続ける力と質のことであり、
作者の存命中などという短期の話では全くない。
作者が生きている間は無論、毀誉褒貶の受容から訴訟を受けて立つことに至るまで、
作品に関わる責任は全て、生み出した者にあるのは当然である。
218吾輩は名無しである:2001/07/23(月) 13:12
>217
何だかキリスト教みたいだね。
ただ書くと言いながら、ずっと未来の
評価を当てにしているのは何故だろう。
感情としては理解できるけど、態度としては良くわからない。
219吾輩は名無しである:2001/07/23(月) 22:04
197の言ってることって多分すごくまともなことなんだろうねー。
ただ、その断定口調で書かれた小説とやらが確実に
面白くないものだと予測されるのもまた事実だよ。
220fishman:2001/07/23(月) 23:06
個人的には>>200の197さんの書き込み、
「文学はただ人間を描くだけ」これをもって
このスレの結論としていい気すらしていたのですが、
以降のレスを読むにつけ何とも言えない違和感が
ぷつぷつとわき上がってくる。

その違和感が多分文学上のまっとうさに掛かっているのだとは思うのだけど、
うまく言葉がまとまらない。
221fishman:2001/07/23(月) 23:45
「文学はただ人間を書くだけ」こうであるとするなら、
作家は差詰めレンズのような存在と例えられるでしょう。
レンズである以上求められるのは精度。

ところで、僕は今の僕自身のレンズの精度にはなはだしい疑問がある。
ただ見ているだけのつもりでも、そこには様々なものが覆い被さっていて、
決してただ見るだけという状態ではない。
よって、その覆い被さっているものを剥がす必要がある。
レンズを磨かないカメラマンはいないですよね?
僕にとって、理論を学ぶことやアップトゥデートな
物事にかかずり合うことはレンズを磨く行為のように思えるのです。
222吾輩は名無しである:2001/07/23(月) 23:58


理論を学ぶことやアップトゥデートな
物事にかかずり合うことはレンズを磨く行為のように思えるのです
223197:2001/07/24(火) 00:05
↑スマソ、ミスった。
>>221
>理論を学ぶことやアップトゥデートな
>物事にかかずり合うことはレンズを磨く行為のように思えるのです

それは、創り手であろうとする以前の、そもそも文学に関わる必要最低条件。
あらゆる手立てで自分を探り、自分を曇りないものにしようとする…のは
不断の営為である。その上でないと、ものが創れるはずもない。
224吾輩は名無しである:2001/07/24(火) 00:11
時代精神と個人の魂との相関性については
トーマス・マンの教養小説でも言及されていたし、
小説はその成立段階から極めて近代的かつ資本主義的な色彩を帯びている。
書き手と読み手との間には言語とイメージが共有されなければならず、
そのイメージとは極めて歴史的なものである。
225吾輩は名無しである:2001/07/24(火) 20:08
マーケティングを邪なものとして退けておいて、
人間をただ描くねぇ?何かよくわからんわ。
芸術がそんな清流のごときものであるなら、小説は
別に芸術である必要はないんじゃないの?
226:2001/07/24(火) 21:02
久し振りに覗いてみると、結構話が流れてるな。
個人的にはJPBさんとfishmanさんのやりとりを
もう少し煮詰めて欲しかったのだが。
もう具体論を展開する気はないのかな?>お二人さん。

で、197さん。言いたいことはすごく良くわかる。
ただ、あなたの論旨そのものは参照リンクを張った
別スレでそれなりに展開されてきたように思う。
特に芸術の自立性については、小説が芸術たりうるのかという
疑問も含めて、もう少し論を展開されてみては如何か?

224さんももう少し突っ込んでいただけると有り難い。
特に「そのイメージとは極めて歴史的なものである。」
ここを展開してみては如何か?

225さんは多少その口調に難があるも、
一つの核心をついてはいると思う。小説の母胎を
芸術と見るか、芸能と見るか。ここはとても
判断が難しく、慎重に語られるべきことであると思う。

何だかえらそうな物言いになっていたらスマソ。
交通整理のようなものと思っていただけると有り難い。
227吾輩は名無しである:2001/07/25(水) 18:43
197がいう「人間を描く」は結局「関係を描く」の
舌足らずな表現であり、それなら、マーケティング云々を
取り上げて攻撃するのは横道にずれていると思われアゲ。
228吾輩は名無しである:2001/07/25(水) 20:13
昔は文学と言えば、面白い物。
今は文学と言えば、つまらない物。
いつから文学がこうなったのかしらん。
だがつまらなくなった物を買わないのは当然の事。
229吾輩は名無しである:2001/07/26(木) 21:08
最近JPB見ない。寂しいアゲ。
230吾輩は名無しである:2001/07/27(金) 01:39
>>228
同意。小説は勿論、評論にしてからが、
面白くてやめられない、というのが必須条件。
でないと、読者が読み続けるはずがない。ただし、
大多数の人間のウケをとるか、少数の人間に熱く支持されるか、
その違いはいつの時代もある。
しかし、とにもかくにも、文学とは=面白いもの。
231吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 11:23
文学=面白いものというのは正論のようでいて実は何も語ってないのと一緒では?
このスレって如何にその面白いものを生み出しうるのかということを語り合うスレじゃないの?
232吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 11:57
そうしてその面白いものが事前にあるのか?
と、ループしていくと。
必要なのは高みに立った「これはーだ」という達観ではなく、個々の事象に
愚鈍に当たっていく姿勢か。
233吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 18:56
どこにでも達観ぶった議論ストッパーはいる。
234吾輩は名無しである:2001/08/03(金) 03:06
>231
如何に生み出しうるのかは、作者が考えることさ。読者が論じることじゃねえ。
それともアンタ作者か?
>233
自分がストップしとるんでねーの? 本来おもろいはずのもんが
おもろくない、ちゅう話をすりゃいいんやろ?
235吾輩は名無しである:2001/08/03(金) 18:52
>234
何を読んでどう面白かったかでも語ってくれ。あはは。
236吾輩は名無しである:2001/08/14(火) 14:00
あっげー
237吾輩は名無しである:2001/08/14(火) 15:06
age
238.
芥川賞選考委員の評、読んだ??>ALL
石原とかドラゴンとか宮輝とか、なによ、あれ?
こんなんが選考委員だってんだもの、不毛なわけだよ。あははは。