「こころ」について心行くまで話しましょう

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1吾輩は名無しである
夏目漱石の小説の中でもとりわけ一般的に人気の高い「こころ」。
高校の教科書などに取り上げられている事もあり、
一度は目を通した方も多いようです。
しかし内容については漱石の意図がわかりにくい部分もあり
今一つすっきりと読み終わるということも少ないのでは。
そこで「こころ」について、こういうところが好き、ここの部分は
こういう意図じゃないかというご意見何でもお聞かせ下さい。
アンチの方もどこが嫌いかお聞かせ下さい。
どうぞよろしくお願いします。
2吾輩は名無しである:2001/07/07(土) 16:57
話さね〜よ、ヴァ~カ!
3ぼくちゃん:2001/07/07(土) 19:32
先生と私の関係って、同性愛だって説はどこ行ったの?
426:2001/07/07(土) 19:37
あまりにも下らないので、何処かに消えました。
5ぼくちゃん:2001/07/07(土) 19:39
なんでだYO!
6age:2001/07/07(土) 23:25

  れ て 自 う 成 人 た 渇 恐 ま ひ な 人 す 痛 痛 に 恐 危
  ま い 分 な 功 間 だ 望 怖 す た く 生 よ み み な れ 険
  す る が 卑 の に 自 す に よ す `と う に が れ る か
  よ こ 失 怯 な な 由 る お う ら   い に 打 鎮 ま こ ら
  う と 敗 者 か れ を の の に 自   う °ち ま す と 守
  に を し で に ま 勝 で の °分   戦   勝 る よ な ら
ル °感 た は の す ち は き   の   場   つ こ う く れ
ビ   じ と な み よ と な な   力   に   心 と に 危 る
ン   る き く `う す く が   を   お   を を °険 こ
ド   よ に `あ に た `ら   求   け   乞 祈   に と
ラ   う `  な °め   救   め   る   う る   立 を
ナ   な あ   た   の   わ   る   盟   よ の   ち 祈
|   `な   の   忍   れ   よ   友   う で   向 る
ト   そ た   慈   耐   る   う   を   な は   か の
・   ん の   愛   を   こ   な   求   人 な   う で
タ   な 手   を   望   と   人   め   間 く   よ は
ゴ   人 に   感   む   ば   間   る   に `  う な
|   間 握   じ   よ   か   に   の   な     な く
ル   に ら   る   う   り   な   で   れ     人 `
    な れ   よ   な   を   れ   は   ま     間
                                       
7吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 00:22
意図がわかりにくいって事はないと思うけど。
もっとも自分勝手に解釈してるだけだけどさ。
とりあえず私は自分だけがこんな人生を送ってる訳じゃないなって思ったよ。

ところで最近の教科書には出てるんだ。
私の頃(今から10年前ぐらい)にはなかったよ。
8ちょっと関係ないけど:2001/07/08(日) 00:56
めぞん一刻に「こころ」をとりあげた話があったよね〜。
なつかしいなぁ・・・。
9吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 00:59
源一郎の K=啄木論 は、面白いことは面白い。
10吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 01:18
>>6
惜しい! 横書きでもいっぺんコピペしなおせや>6
11ぼくちゃん:2001/07/08(日) 08:58
3ですが、ぼくの質問に答えてくだちゃい。
12永守:2001/07/08(日) 09:52
明治天皇の崩御と共に先生も自殺してしまうわけですが、それは因縁のようなものに感じられます。
武者小路実篤の「友情」では、同じように知識人が一人の女を取り合い、主人公は騙されるのですが、最後は新たな友情と希望を得る。
乃木大将と共に明治の精神に殉死した先生と、野島や大宮では、明確な時代の差異がある気がします。
明治の精神、昭和の精神なんかはありそうですが、平成の精神は生まれるのでしょうかね。
13吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 18:44
>>9 同意。
14:2001/07/08(日) 18:54
「先生と遺書」における私(つまり先生)のお嬢さんに対する心理の描写や
お嬢さんをめぐってKに対する気持ちが変化していく描写など
非常にきめ細やかで現代にも通じるものがあって共感するのですけど、
先生の自殺の原因については「明治の精神への殉死」というマジックワ−ド(?)
で片づけられてしまっていますよね。そこがどうもわからないです。
しかも「あなたも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかもしれません。
(中略)それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。」
と文中で具体的な事を省略してしまっている。
だから読み終わっても今一つすっきりしないところがあるんですよね。
まだ永守さんのいわれた「友情」の方がわかりやすい。
どなたかそれについてはこうだという持論をお持ちの方いらしゃいませんか。
15:2001/07/08(日) 18:59

改行下手くそですみません。
あと
  × いらしゃいませんか ○ いらっしゃいませんか
                          です。    
16永守:2001/07/08(日) 19:47
明治の精神への殉死、というのは先生に自殺を肯定させてくれたものであって、原因では無いと思います。
妻のために命を引きずってきた先生は、それでもやはり淋しさと自己否定の念には耐えられなかった。
遺書を残し、明治とともに死ぬことで、己を歴史的に位置づけし、「私」という希望も見つけた。
自殺という究極の自己否定において、なお自分を肯定する・・・
そういう徹底した必然性に基づき、自己否定と自己肯定との間をさまようのが明治の精神なのでしょうか。
17永守:2001/07/08(日) 19:49

改行下手くそでごめんなさい
18吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 20:44
>>12
この調子だと平成の精神なんてもんは出ないな。
19吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 22:12
「作品論集成 こころ」の中に入ってる伊豆利彦とか小森陽一、石原千秋らの論文
読んだ人いる?
これまでの論に差をつけようとしているだけのそりゃあもうひどい内容で……

「こころ」を語りたいんだったら「明治の精神」とな何か、をある程度、定義
しないといけなくなるから、そこが障害になってる気がする。
ただ、1さんが14で言ってるのは、永守も書いてるように、「先生」と「私」の
世代の差っていうのが関係あると思う。
2019:2001/07/08(日) 22:14
すみません。「とは何か」です。
しかも永守さんを呼び捨てにしてしまいました。失礼しました。
21吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 22:27
その精神とやらの定義を>>16の永守の野郎が言ってるんじゃないのか。
22吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 23:28
でも徹底した必然性を求めるってのは西洋思想だよね。
23吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 23:53
>22 とーたりー あぐりー
帰結を求めて漱石の手の中。
24吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 00:01
あんな長い手紙は封筒には入らないと思った

クソレスsage
25:2001/07/09(月) 07:58

確かに。文庫本サイズの小さい字で書かれてたのでは(笑)。

ところで今までの話からかなりそれますが、
数年前の正月、映画化された「こころ」をTVでやってました。
題名は「心」となっており、白黒映画。かなり古そうな映画でした。
小説にはない脚色もありました。
例えばkは「加持」という具体的な苗字になっており、
先生が自殺した後の描写もあり、そこで打ちひしがれる奥さんに私が
「奥さん、よかったら家にいらっしゃいませんか。」というセリフも
言ってました。
全体的には原作の味を殺さず、なかなかうまくまとまっていたと思います。
ちなみにお嬢さん役は新珠三千代さんだったような(かなり若い頃...
といっても20代後半くらい?)。でも雰囲気にあってましたよ。
今映画にするとしたらお嬢さん役も含め出演者はどういう人が合ってると
思いますか?結構難しいですね。
26にっく:2001/07/09(月) 11:45
>>24
その点について三好行雄が触れている文章が新潮文庫版に載ってるよ。
読む価値あり。
27>25:2001/07/09(月) 15:20
回想(最後の手紙)シーンを映像化するとして、
K=私、もしくは、先生(若い頃)=私、のどちらかでダブルキャスト希望。
…このどちらかが、解釈の別れどころになるが…

とりあえず、思い浮かぶのは、
先生(死ぬ前)=岸辺一徳
私=田辺聖一
お嬢さん(若い頃)=緒川たまき
…とか、かな。
28吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 17:15
>24
行人も長すぎるよな、あの手紙、心と同じような落ちのつけ方だな。
29吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 17:17
>27
NHKかよ!
30吾輩は名無しである :2001/07/09(月) 22:59
ノルウェイの森に比べれば「こころ」は出演者が少なくて簡単だな。
でもかえってメインキャラ(わたし、先生、k、お嬢さんあたり)を
演ずる人の演技力が必要かも。
登場人物が少ないから映像化しても一般受けしないかもなあ。
31吾輩は名無しである:2001/07/10(火) 00:14
加藤剛と鶴見辰吾 ?だったかがやったことがあったじゃん。
テレビ東京の「日本名作ドラマ」か何かで。
32吾輩は名無しである:2001/07/10(火) 00:19
あっ、言われてみれば見たような気がする。
加藤剛が先生役でしたよね。
kとか奥さん(お嬢さん)役は誰でしたっけ?
33蛇ニーズ事務所:2001/07/10(火) 21:02
ウチの中居君ではダメですか?
34:2001/07/10(火) 21:46
16 永宮さんの「明治の精神への殉死」に関する感想です。

> 妻のために命を引きずってきた先生は、
> それでもやはり淋しさと自己否定の念には耐えられなかった。
> 遺書を残し、明治とともに死ぬことで、己を歴史的に位置づけし、
>「私」という希望も見つけた。
> 自殺という究極の自己否定において、なお自分を肯定する・・・
> そういう徹底した必然性に基づき、
> 自己否定と自己肯定との間をさまようのが明治の精神なのでしょうか。

なるほど、とは思うものの
どうしても先生の自殺は自己肯定そのものにしか解釈できないんですよね。
自分の寂しさやkに対してしてきたことへの罪悪感から逃れること然り、
永宮さんのおっしゃる、己を歴史的に位置づける事および「私」という
希望に託す事も含めて全て自分を肯定づける材料というか。
分析的に理詰めで考えていくと先生の行動は最善のように思うのですが、
全体を直感的に捉えてみるとやはり?の部分がなきにしもあらず。
ナルシストかつエゴイストな行動に見えてしまう。
分析的かつ論理的に思考する知識人の大いなる落とし穴とでも言いましょうか。

とはいうものの永宮さんのおっしゃっていることで納得できれば
すっきり解決という感じでもあるのですが、どうなんでしょうか。
35吾輩は名無しである:2001/07/10(火) 22:22
おーーーい。
永宮じゃないよ、永守なんじゃないの?
36:2001/07/10(火) 22:25

すみません。35さんのおっしゃる通りです。
永守さん、すみませんでした。
37永守:2001/07/10(火) 22:30
レスいただいて嬉しい限りです。
先日、日本史の先生には水守と言われました。
38吾輩は名無しである:2001/07/10(火) 22:34
おいJPB、君、永守でもあるだろう
バイロンもJPBだなさては
39吾輩は名無しである:2001/07/11(水) 19:05
二十歳過ぎて読んだとき、
>>7さんと近いことを思った気がするんだけど…
読み直さないと思い出せそうもないです。
文庫買って帰ろうかな。
40吾輩は名無しである :2001/07/12(木) 22:07
>>33
思いっきり現代劇にアレンジし直してやるなら
中居君でもいいかも。ただやはり多少落ち着きにかけるのは否めないか。
そうするとお嬢さん役はフカキョンあたりがいいかな。
ちょっと男心に疎そうな雰囲気が適役か(笑)。
「こころ」の心理劇は現代にも通じるものがあるから
案外今の若い世代にも受けるかも。
41吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 22:34
>>40
最悪。
42:2001/07/12(木) 22:36
    人
 (__)
\(__)/ ウンコー!
 ( ・∀・ )
  .∩ ∧∩  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  | |゚Д゚)  < 精神的に向上心の無い者は、馬鹿だ
  |   │    \______
  し'^J
4340:2001/07/12(木) 23:23
>>41
やっぱりそう言われたか(汗)
44吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 23:46
ATGのせこい映画が妙に印象に残ってる
45吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 21:38
こうしてみると結構映像化されてんだ。
46吾輩は名無しである:2001/07/15(日) 22:28
あげてみる
47吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 05:41
なにはともあれ、漱石恐るべし。死後100年以上も語られるなんて・・・。現役
作家で、100年後に論じられるような人はいないような気がする。
48 :2001/07/16(月) 10:07
タイリョウニシュッカスルンジャネェー
   ------------- 、____
   /  ̄ ̄ ̄.// ̄ ̄|| |___/\FF]
  イッテヨシ!.∧// ∧ ∧.|| |  \\FF]FF]
[/_________.(゚//[ ](゚Д゚ ) .|| |    \\FF]FF]
.||_    ___|_| ̄ ̄ ∪ .|| |___\\FF]FF]
.lO|--- |O゜.|__ソフマップ.||_|ニニニニニニl.|FF]FF]
|_∈口∋ ̄_l______l⌒ l.|_____| l⌒l_||  FF]FF]
──`--'───`ー'─── `--' `ー' ┐ FF]FF]
                         │  FF]FF]
                         │   FF]FF]
                         │ ミ  FF]FF]   〃  サボサボ
                         │  ;:FF]FF]; ’〃、、..
                     サボサボ ミ ミ\FF]FF]/ミ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~〜〜〜〜~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
49吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 11:32
漱石の小説が分かりづらいというのは、朝日新聞社社員として連載小説を
新聞に書いていたためだと思われる。
「こころ」でもっとも疑問であり破綻であると思われるのは、
明治天皇崩御、乃木大佐殉死による先生の死の決意が唐突すぎて、
物語から逸脱しているという部分であるが、発表の場が新聞紙上であるがゆえに、
リアルタイムな情報、風俗、流行を獲り入れ、時代の雰囲気を盛り込み、
時事的なリアリズムによって読者を引き込み、共感を得ようとしたのでしょう。
ちなみに「こころ」は大正三年に書かれたもので、やはり、明治維新を断行した
日本の世界に対峙する明治の魂の衰退が著しく、デカダンスというべき大正時代
を憂う証拠でしょう。
50吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 23:22
>>3
『甘えの構造』ですね。
51吾輩は名無しである:2001/07/19(木) 08:19
あげてみる
52エレベ−タ−ガ−ル:2001/07/28(土) 11:27
上へまいりま〜す
(^-^)/~~♪
53吾輩は名無しである:2001/07/30(月) 18:23
上 先生と私 二十八 で
「悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。
そんな鋳型に入れたよう悪人は世の中にあるはずがありませんよ。
平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。
それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです。」
という一文は何げなく人間の本質をついている名文だと思う。
やっぱり漱石の人間観察の視点は鋭い。
社会人になってシビアな人間関係にさらされて初めてこの言葉実感できたよ。
54名無しチェケラッチョ♪:2001/07/30(月) 20:16
出演者関連で言うと中江有里は明治・大正の女学生ぽい。
55吾輩は名無しである:2001/08/06(月) 20:36
「こころ」に引きつけられる理由の一つとして
推理小説のようなミステリ−性が挙げられると思う。
即ち最初に謎めいた人物として先生が登場し、
「私」が先生の事を知ろうとすればするほど謎が深まっていく。
先生に関する情報も少しずつ明らかになるも断片的にすぎず
全貌は全く明らかにならない。むしろ謎が深まるばかり。
ところが「先生と遺書」により先生自身により語られるという形で
一気に今までの謎が明らかになっていく。
自分のまわりにも「こころ」を一気に読み終えてしまったという人が
何人かいるが、それは「こころ」のかかる性質に起因しているのでは
ないでしょうか。
皆さんはこの意見どう思われますか?
56吾輩は名無しである:2001/08/06(月) 21:10
「すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。」

この一文なぜか異常にかっこいい。何か得体の知れない感情が
どこからか盛り上がって得体の知れないままどこかに消えていく感じがする。
(前レスと関係なくてごめん)
57吾輩は名無しである:2001/08/07(火) 01:51
>>6はこれでいいかな?ちょっとみてみて。

危険から守られることを祈るのではなく
恐れることなく危険に立ち向かうような、
人間になれますように。
痛みが鎮まることを祈るのではなく、
痛みに打ち勝つ心を乞うような人間に
なれますように。
人生という戦場における盟友を求めるのではなく、
ひたすらに自分の力を求めるような人間になれますように。
恐怖におののきながら救われることばかりを渇望するのではなく、
ただ自由を勝ちとすための忍耐を望むような人間になれますように。
成功の中にあなたの慈愛を感じるような卑怯者ではなく、、
自分が失敗したときにあなたの手に握られていることを感じるような、
そんな人間になれますように。

ルビンドラナート・タゴール
58吾輩は名無しである:2001/08/07(火) 23:10
今日スペイン人で「こころ」にひかれてスペイン語翻訳に
挑戦している人の事をTVでやってた。
「こころ」における微妙な心情のあやというのは
外国人でも相通じるところがあるんだな。
59名無しサン@修行者:2001/08/07(火) 23:12
>>58 もっと詳しく聞きたい
60こころ:2001/08/08(水) 00:08
黒沢監督の羅生門みたいに、きれいだと感じた。
61日本@名無史さん:2001/08/20(月) 00:41
「こころ」って印象に残った小説とかで
必ず挙げられるけど
具体的にどこが印象に残ったかって
語られるのをあまり見たことがない。
みんなどこらへんがいいと思ってるの?
62☆七虹はなねこ☆:2001/08/20(月) 03:21
Kの遺書、
もっとはやく死ぬべきだったのに なぜいままでいきていたのだろう
というとこ そこをしゅじんこうがよんだ
とこで  色々なんか
いいしれぬものが くわっと あふれてきて
自分が死のうと思った時のこととか
Kと 重ねてみてちまって
涙がぽたぽたぽたぽたと
そのときの泣いたきもちと
じぶんが印象に残ってるでちな

( =・ ・)。ねこねこ。
63☆七虹はなねこ☆:2001/08/20(月) 03:26
のれ こころに残った小説というよりか
それをよんだ時 なんか わきでた
自分が とっても印象にのこってゆのれ
あれってわけでちな( =・ ・)。
64 :2001/08/20(月) 12:36
65吾輩は名無しである:2001/08/20(月) 14:34
ねこなら、耳つけれ
66吾輩は名無しである :2001/08/20(月) 19:18
.
67:2001/08/21(火) 22:08
∧∧
( =・ ・)
68:2001/08/21(火) 22:09
じゅれた・・涙
69:2001/08/21(火) 22:09
 ∧∧
( =・ ・)
70どらどら?:2001/08/21(火) 22:29
∧∧
( =・ ・)
71ほえ〜:2001/08/21(火) 22:31
∧∧
( =・ ・)


 ∧∧
( =・ ・)
72吾輩は名無しである:2001/08/21(火) 22:43
なにやとんじゃああああああ
73吾輩は名無しである:2001/08/23(木) 21:23
読書感想文を書くため「こころ」を読んだんですけど
なんとなくまとまらなくて。
皆さんならどういう事を書きますか。
大いに参考にしたいのでよろしくお願いします。
74吾輩は名無しである:2001/08/25(土) 00:24
>>73
やはりメインは先生のKに対する心情および行動に
共感できるか。共感できる(もしくはできない)として
その理由は何かということになると思う。
それは人それぞれ。自分の感じたとおり書けばいい。
75吾輩は名無しである:01/08/27 00:51 ID:IqGMfkVQ
あんなつまんねー文学初めて見た・・・。
76吾輩は名無しである :01/08/27 00:58 ID:kONF1Qtw
どこらあたりがつまらなかったですか?
77吾輩は名無しである:01/08/28 20:48 ID:7mZs5Sho
心理小説でもあるよ。
78吾輩は名無しである :01/08/28 23:28 ID:9NkD2ynY
しかしこの小説、本当に登場人物が少ないね。
わたし、先生、K、お嬢さん、奥さんくらいかな、
主要なキャラは。
79吾輩は名無しである:01/08/30 04:00 ID:xDtGnLEM
最後、Kが自殺するんだっけ?
80吾輩は名無しである :01/09/03 21:23 ID:UfuBZJUk
>>79
本を読みなさい。
81ほい:01/09/04 21:55 ID:968zHzSU
こころは、結局誰の心も分からないように書いてあるんですよ。
時間の観点から読むと、めちゃ面白い語り物ですね。
私はそう思います。
82吾輩は名無しである :01/09/04 21:59 ID:rePz3PwQ
自分はリアル工房の時に読んで
「うわー!このタイミングで自殺するなんてすっげーイヤミ!!」
としか思えなかったんだけど・・・こーいうのって浅いですかね?
83吾輩は名無しである:01/09/04 22:30 ID:qtZuiXV6
俺も思った。こいつ狙ってるやろ。ものすごい怨念を感じた。
こんな死なれかたされたら、罪悪感バリバリで人生を送らねば
ならない。kは己のふがいなさを儚んで死んだんだろうが、強烈な
最後っ屁をかまして死んだ。その毒は確実に先生の精神を衰弱させ、
自死まで追い込んだ。kの復讐は完結した。おお、いやな男だ。
84吾輩は名無しである:01/09/04 22:39 ID:W13QbHcY
>83
そういう視点で、私は卒論書きました。
85吾輩は名無しである :01/09/04 22:48 ID:MmfAIK6c
>>84
卒論の詳細掲載キボン。
8684:01/09/04 23:07 ID:m2ipq5iI
先生を自殺に追い込んだ時点でKの復讐は果たされた、というものです。
Kのエゴと、妻を残して死んでしまった先生のエゴが、私はずっと気に
なっていたので、そういうことをごちゃごちゃと書いていました。
87吾輩は名無しである:01/09/04 23:38 ID:MLRWKmQM
kは復讐目的で自殺したのか?
小説ではそこが明確に触れられてないけど
なんとなく復讐劇の完遂という感じには思われないんだが。
ところで卒論について担当教官はなんかコメントするのですか?
8884:01/09/04 23:53 ID:79HHuu9o
>87
読み手の解釈、でしかなく、確かにそうとははっきり書かれて
いません。しかし誤読であろうと、そう感じた「何か」に
こだわらなければ、私は「こころ」については何も書けなかった
のです。
担当教官のコメントはあるにはありましたが、覚えていません。
ひどい学生でした。
8987:01/09/05 00:22 ID:9jb8y8Ic
間違いだとは言ってませんよ。
ユニ−クな解釈だなと思いまして。
そのユニ−クな意見に対して専門家たる担当教官は
どういうコメントをしたのか興味があったのです。
90吾輩は名無しである:01/09/07 00:59
Kは復讐目的で自殺したりするような人間ではないはずだ。
「立派な」自分を誰よりも追い求めた存在であり
そのような他人に迷惑をかける死を意図的には行わないと思う
ただそれが結果的に復讐になってしまうという点はすごく面白い
91++:01/09/08 13:20
たかが、女のオマンコ一つに命か賭けるのは、愚かな行為だと云う事です。(プッ
92吾輩は名無しである:01/09/08 13:29
Kは先生を愛していたの。
お嬢さんに近付いたのは
先生に振り向いてもらいたい為。
定説だよね。
93ほい:01/09/08 23:04
まさか。こころに関する定説って、そもそもないですよ。エポックメイキング的な説というのはあるにしても。
それと、復讐説は、根拠はないですね。解釈は可能ですが、根拠付けられなければ研究にはならないと思います。
9483:01/09/09 00:46
どういう説が根拠があるの?解釈以外に無いのと違うの?kの自殺に関しては。
90がいうのは、ずいぶん人間のこころを単純化した説だね。明確な意思
としてはともかく、先生のすぐそば、恩になっている家の中で自殺するとは
何事か?結果として随分回りに迷惑をかけている。回りへの配慮を忘れるほど
kの精神状態が追い込まれていたともいえないことはないが。それだけか?
刑法でいう、未必の故意があったとはいえないかな?自殺罪というのはないし、
自殺において周りに不快感を与える事を禁止する罪というものもないけれども。
「まあ、強烈なる罪悪感を抱かせるとしても、ひどい仕打ちをうけたのだから
構うまい!」と思ったとしても不思議ではないだろう。自ら死におもむく理由を
己のふがいなさゆえにと、遺書として残しているからといって、それを復讐目的
で死んだのではないという証拠には到底ならない。

あと、先生に同性愛に近い感情を抱いていたとしても、先生の紹介でほとんど
接触の無かった女と知り合いになり、男として当然ある性欲が大いに刺激されて
先生に向いていた感情がお嬢さんに向いたとする方が自然ではないか?
変に文学的解釈をするよりも。先生も私にいっているではないか。異性に向く
はずの愛情がかわりに男の私に来ているのですよ、と。いずれ女に行くまでの
練習のようなものだ、と。思春期にありがちな異性の対象に巡り合うまでの
未成熟ゆえの同性愛的感情ではないか、kと私が先生に向けた感情というのは。
kに先生とお嬢さんに対する恨みの思いが無かったとは到底かんがえられない。
kのような内省的、寡黙な男というのは、とかく恨みの感情をこころに押し込め
無理やり制御しがちなもの。表には出さないが、その分、恨みは増殖される。
本人にも気づかないうちに恨みは激しい破壊衝動に転化し、それが自己に
向けられた。そこに復讐心が働いていなかったとは思えんのだが。
95吾輩は名無しである:01/09/09 01:45
先生が自殺したということは、つまり、先生にも『心』があったということですね。
96吾輩は名無しである:01/09/09 01:59
>94
なんとも下手くそな心理分析だね。
97吾輩は名無しである:01/09/09 03:28
あんまり漱石に詳しくないんだけど、先生の自殺は「お嬢さんをKから
奪い取り、故意ではないがKを自殺させたのは、自分の利己的な考えを
全うしたからだ」って所に関係してるんじゃないかなあ。

つまり過去の自分=個人主義、利己的(漱石がイギリスで触れた西洋のやり方)
であって
自殺する自分=公とか道義を第一に考える(漱石の時代の日本でよしとされていた
やり方)
であって、彼が「私の個人主義」なんかで話してるような、西洋で学んだことと
日本の文化のすり合わせと葛藤がここにも影響を及ぼしてるんじゃないかと。

あー、うまく説明できん。
98ほい:01/09/09 10:54
94さんへ。Kの自殺の理由とか動機に関しては、解釈しかないという意見には同感です。ただ、それを解釈することは、私には必要とは思わないけど。
94さんの意見は不当ではないと思うし、ありえない解釈だと否定する根拠はないと思うけど、妥当性が高いとは思えないな。
復讐という意味あいを読むことと、復讐を目的としていたということは別で、意味合いを読み取る解釈は自由だけれど、復讐目的説となると、話は別だな。
そもそも、Kの遺書はあくまで遺書で、自殺についての説明書ではないし、そんな説明をする気になる人がいたとしたら、自殺することもなかったという気もするし。
97さんの意見は同感だな。
99吾輩は名無しである:01/09/15 00:55
kと先生が房総半島の旅を終えて
その後に行った軍鶏の店って現存?
100吾輩は名無しである:01/09/15 01:18
「こころ」が大学入試の問題とかで出題された事ってある?
問題集とか模試とかでもお目にかかった事がなかったのだが。
出題されたことがあるならどういう問題があるか見てみたい。
それに対する回答にも興味がある。
101吾輩は名無しである:01/09/15 07:02
Kがなぜ死んだのか、考えるとおもしろいですね。個人的には、Kが先生を
どう思っていたのかが鍵になるとおもうのですが。Kにとって、先生の裏切り
がどのような精神的衝撃だったのかという意味でです。
102名無しさん:01/09/15 07:12
坂口安吾は『こころ』をクソミソにけなしていましたね。けれど私は、探偵小説的な謎ときの面白さがあってユニークな作品だと思います。
103吾輩は名無しである:01/09/15 09:27
登場人物の行動がどういうことを意味しているのか
その発言と相俟って謎に包まれているというか
明らかにされていない。
安直だけど例えればエヴァンゲリオンみたいなものだな。
104吾輩は名無しである:01/09/16 01:56
Kの行動・言動を整理して考えると・・
相手の問題さえも、周りの問題さえも
自分の問題になってしまい・・
そして、この先生のお嬢さんに対する抜け駆けさえも
自分の側の問題であり、未熟さであると思い、

自分の中で、いっぱいいっぱいになってしまい、、
鬱状態になり、
将来に対する希望も失われ、

もう、苦しくて苦しくて
自分が死んだら、先生やお嬢さんはどうなるだろうなどと
考えたり、配慮するゆとりはなく、、

そのまま死んでしまったんだと思うよ。

きついわなあ。

Kのような人間は、純粋ではあるけれど、
経験も少なく、偏っている人間であり、
判断力もないような、人間なんだよな。

あてつけのつもりは全くないけど、自動的にあてつけになって
他人を傷つけるタイプなんだろうな。

などと思いました。
105吾輩は名無しである:01/09/16 03:18
タイプ
106名無しさん:01/09/16 09:24
漱石の弟子で女婿の松岡譲によると、漱石の門人たちが「あそこで『先生』が自殺するのは卑怯だ。生きて罪を償うべきだった」と非難すると、漱石はにやにやして「そうかい、卑怯かい、それは困ったなあ」と笑って真面目に取り合わなかった由。
しかし、「あそこで『先生』が自殺するのは不自然ですよ。物語としておかしい」という意見を聞かされると、急に真面目な顔になって「不自然かね。自分ではそう思わなかったんだが」と考え込んでしまったそうだ。
「先生」の自殺については、坂口安吾も「奇想天外なことをやる」と冷やかしていたが、あれはやっぱり不自然なのかなあ。俺は別に不自然だと思わなかったんだが。
107吾輩は名無しである:01/09/16 10:57
考え込んでしまったことろで
「じゃあ先生(漱石)はどうして不自然と感じなかったんですか。」
とすかさずつっこみを入れて欲しかった。
106さんはどうして不自然と思わなかったの?
その理由をぜひ聞きたいですね。
108名無しさん:01/09/16 12:50
>>107
うーん。理屈から言えば、たぶん安吾の感じ方のほうが正しいのでしょう。
何十年も前に親友を裏切った罪悪感が乃木大将の殉死をきっかけに突然ぶり返し、自殺に至るというのは論理的には説明がつきにくいことです。
しかし人間の行動は、常に論理的な説明ができるものではない筈です。実際には、論理的な因果関係よりも一種の情念やトラウマに動かされている部分が大きい。
そういった暗黙の了解のもとに読んでいたから不自然と思わなかったのかもしれません。
109吾輩は名無しである:01/09/16 13:26
先生の生き様、死生観といったものは「こころ」の大きな主題の
ひとつだと思うのですが、
その先生の死がある種の衝動、トラウマにかられたものだとすれば
どういう結論に至るのだろうと読み進めていた読者は
やはり肩すかしをくった印象を受けるでしょう。
今まで登場人物を通して生や死についていろいろ提示してきたのに
結論らしきものを出さずに終わってしまうから。
しかし案外真相は108さんのおっしゃっている辺りかもしれない。
110名無しさん:01/09/16 13:34
とうに既出の話題かもしれないが、大岡昇平はこの作品について「語り手の青年が『先生』の未亡人と結ばれた後で物語っている話ではないか」という説を唱えていた由。
そういう見方もあるのか、と感心した次第です。
111吾輩は名無しである:01/09/16 13:35
死んだと思っていた先生がひょっこり奥さんとわたしの前に
現れるっていう設定で誰か続きを書いてくれないかな(笑)。
「続 こころ」って感じで。
これだけ謎(?)が多いんだからスカッとさせて欲しい。
112名無しさん:01/09/16 14:14
>>111
『続こころ 先生は二度死ぬ』ってか?(藁
それをやったらお笑い小説になってしまいます。
 
113吾輩は名無しである:01/09/16 16:31
いやいや、設定を少し変え登場人物の名前も変えて(題名も変えて)
自殺しようとしたができなかった男の話として展開すれば
それなりにいい題材ではないですか(半分冗談半分本気)。
114113:01/09/16 16:34
自分だったらどう書くだろうと考えても
それなりにいろいろ浮かんでなかなか面白いですよ。
115吾輩は名無しである:01/09/16 21:30
age
116吾輩は名無しである:01/09/16 22:24
「明治の精神に殉死する」

これについてはどうよ?
117吾輩は名無しである:01/09/16 22:59
明治の精神がわからん。というか語るのを聞くのも怠い。
って「こころ」、語る人が多すぎるよね。
118吾輩は名無しである :01/09/16 23:02
前レス参照
119吾輩は名無しである:01/09/17 11:15
>>116
>>97が近いことを語っていると思う。
120吾輩は名無しである:01/09/17 13:17
自殺する自分=公とか道義を第一に考える=明治の精神
121吾輩は名無しである:01/09/17 23:06
>>120
質問なんですが、先生の自殺は道義に適ったもの、
つまり道義を貫くため自らを処罰したという理解でしょうか。
122吾輩は名無しである :01/10/03 09:41
本屋で英訳本を見つけたけど外国人(特に西洋人)に
「こころ」ってわかるのか?
共感したりできるスト−リ−なのか?
123Clark Nova:01/10/03 11:37
スティーブ・エリクソンが好きだって言ってたね。>こころ
124吾輩は名無しである:01/10/03 18:24
恋したことない奴が恋するとびびる。
自分のこころが意志とは関係なく支配されるから。
高尚な勉強も恋なんていう俗なものの前に屈服せざるをえない。
彼は悩む。
あの娘には好きな男でもいるのだろうか?自分のことをどう思っているのだろうか?
こんなにもくだらなく、俗な考えに捕らわれている自分。
失望だ。
そして、最後にもっともエゴイスティックな、もっとも醜い感情に直面する。
嫉妬。理性の最大の敵。
彼は自分に絶望する。

絶望から死を選ぶなんて良くある話だろ?
125吾輩は名無しである:01/10/03 18:34
親友を死においやった自分のエゴイズムを責め続けてきた先生が、
自殺をする。
奥さんを残して、明治の精神に殉死だって?
結局最後まで先生はエゴイストだった。
126吾輩は名無しである :01/10/03 23:44
>>122
外国人に「明治の精神に殉死」ってわかるのかね。
今の日本人にだって理解難しいのに。
127吾輩は名無しである:01/10/03 23:51
こころの隠された主題

よく注意して読むと分かりますが、先生がお嬢さんに
愛を感じる様になったのは、Kがお嬢さんと親しくなった
後です。これがどう言う事を表すのか?つまり、こういう事です。
先生は、Kへの嫉妬心(Kの様に、徹底して道を貫けない)
故に、お嬢さんを愛したのです。(お嬢さんを手にしてKを負かす為)
先生の恋は、Kが媒体となって存在しなければ、考えられなかったのです。
ここに主体性とか、その様なものは一切ありませんね。

これと同じような事が、漱石自身にもありました。
この場合、「K」が「明治二十年代の近代化」
で、「先生」が「漱石」です。

つづく
128吾輩は名無しである:01/10/04 00:43
おお−、早く続き読みたいねえ。
129私は専制:01/10/04 00:44
今国語の授業でちょうど『こころ』を教えていて、何度も読み返し
ていて改めて思うのですが、「下 先生と遺書」の部分は学生の「私」
に対して先生が真摯な態度で告白している反面、何箇所かにおいて
本音を隠して後付けの言い訳を差し挟んでるのが透けて見えるような気
がします。特に「明治の精神に殉死」というくだりは、死ぬべきである
と思いながら死ぬことができなかった自分にようやく手頃な理由を与える
単なるエクスキューズに過ぎないのだと思います(150ページにも連なる
遺書の最後のたった3ページあまりにしか自殺の直接の理由が書かれていない
ことからも殉死に対してどのぐらいの重さがあるのか疑わしいと思います)。
130吾輩は名無しである:01/10/04 00:50
>>129
で、専制は先生の自殺の理由をどう教えようと思うの?
131吾輩は名無しである:01/10/04 01:06
>>129
今の生徒がどういう風に考えているか非常に興味あり。
先生が結論らしきことを言ってしまうとそれに感化されてしまうので、
まず先生は何も言わないで生徒に「なぜ先生は自殺したか」という
テ−マで感想を書かせて欲しい(宿題とかで)。
自分の思ったとおりに書けと言えばかなりユニ−クな意見もあるのでは。
自分が学校の先生なら是非それをやりたい。
132私は専制:01/10/04 04:00
>>130
まだクライマックスまで授業が進んでいませんのではっきりと考えていなかった
のですが、生徒に伝えるとするなら、自分のエゴのために友を死に追いやったと
考えた先生が罪悪感のあまり自ら命を絶とうと考えるが、後に残る妻のために
思い切れなかった。しかし明治天皇の崩御とそれに続く乃木大将の殉死を知り、
自分は明治の精神に殉ずるべきだと考え(明治という時代の終わりとともに、
明治を生きた罪深い自分を清算するべきだ、ぐらいの意味)、ついには死を
決心した、ぐらいの説明になるのでしょうか。文脈通りに話すとは思いますが、
「殉死」そのままの語義にはこだわらないだろうと思います。

>>131
あなたのおっしゃるとおり、読ますだけ読ましてまず生徒各人の意見を聞こうと
考えてます、というか聞きもしないうちに勝手に生徒から喋りだします(そういう
意味では私は専制ではない)。因みに三角関係の問題もあってか、この小説に
対する生徒の反応は非常に良いです。いくつか意見を拾うと
「先生は汚すぎる」
「私がお嬢さんならKに惚れる」
「僕が先生だったらお嬢さんを諦めて、お嬢さんのお母さんにする」等等です。
133名無しさん:01/10/04 04:02
僕が先生だったらお嬢さんとそのお母さんの親子どんぶりを狙う。Kを交えて4Pというのも悪くないね。
134吾輩は名無しである:01/10/04 14:27
Kの自殺の原因は、先生という友人に裏切られた、というだけではなく
先生という友人の心を察することができずに(少なくともKはそう思っている)
自らのエゴを通してお嬢さんへの仲介を先生に頼んでしまったという
自責の念にも帰結するのではないだろうか。ともあれ、これらの自問自答が
Kにもたらしたものといったら、混沌以外にほかならないだろう。
それによってKは死に、先生もまたKという中心を失ったことに対して混乱し
自らを責めた。明治という時代が落ち着くにつれその混沌は先生の中から
消え去っていったはずだが、明治天皇の死去という社会的な混沌が訪れたがゆえに、
先生の心に混沌による産物であるKの死が蘇った、ということか。
自分でも書いててワケわからなくなってきた・・・
135質問:01/10/04 20:41
漱石いいよな、ぼくの中では文句なしにナンバーワンの小説家だ、日本人ではね。
『こころ』についてだけれど、初めて読んだときはつまんねーとおもったな。
なんだこの偽善者がってね。
でもそれから何年かたって、他の作品もひととおり読んだとき初めていろいろなことが分かった気がした。
とりあえず「先生」の言説はかなり疑ってかかるべきだと思った。矛盾点が多すぎる。
あと彼は、女という生き物に憧憬のようなものをこそ抱き得ても、直接的な親密な愛情関係を築くことが出来ない、もう少し正確に言うと恐れを抱いていると思うよ。
彼が「k」を下宿に引き入れたのはいったいどんなタイミングだったか、よく読んでみてください。彼は積極的に迫り来る女たちに対し「絶体絶命」の気分だったはずです。
「k」は、お嬢さんたちとの間にぜひ必要な、緩衝体のようなものだったと思います。漱石における三角関係は、彼にとってひとつの理想的な愛情関係の形態だと思われます。ただ実際には、そんなものが長く続くはずはなく、すぐに壊れるんだけれど。
明治への殉死はやはりひとつのいい訳だとぼくも思うよ。「k」を失った今となっては、「先生」にとって「静」はなんの魅力もない、むしろ本心を言えばある意味憎悪の対象でしかなかったんだと思うな。
もう二年以上読んでいないから詳しく書けなくてすまそー。
136127:01/10/04 21:35
「こころ」において、「明治の精神」という
言葉は、大変重要な位置にあると思います。

明治天皇の崩御に始まり、乃木大将の殉死と、
歴史的事実(明治)を漱石がしきりに描いたのは、
私達に、「こころ」が単に明治の若者の△関係
を描いたものでなくって、「歴史的問題」が
描かれていることを、気付かせる為です。

つづく
137質問:01/10/04 23:22
>>136
そのとおりなんだよ、少なくとも「漱石君の意図」はね。
でもそういう点にはまったくとは言わないけれどあまり興味ないんだ。彼が明治の精神をどう解釈し、その中に自己をどう位置付けようと、そりゃ漱石君の勝手だ。彼の意のままだよ。
ぼくが小説を読んでオモロイと思うのは、むしろ作者が別に書こうと思って書いたわけではないのに、思わず書いてしまっているような、いわば意図しない部分なんだ。ぼくはそういう点からこそ彼の人となりや精神構造が見えてくると思うんだ。
彼の文明論や同時代に対する洞察はそれはそれでとても優れたものだと思う。でもそういう彼の知的な魅力と、彼の作品を読んで感じる感動とか興奮とはちょっと質の違う面白さだと思う、ボキはネ。
きっと136君は佐藤泰正の評論とかが相性合うのかな?
138吾輩は名無しである:01/10/04 23:24
こころつまらん
139吾輩は名無しである:01/10/05 00:17
>>そのとおりなんだよ、少なくとも「漱石君の意図」はね。
でもそういう点にはまったくとは言わないけれどあまり興味ないんだ。

あまり興味がないだって?あなたはひねくれ者だ。

>>ぼくが小説を読んでオモロイと思うのは、
むしろ作者が別に書こうと思って書いたわけではないのに、
思わず書いてしまっているような、いわば意図しない部分なんだ。

それを楽しむ位ならどうして主題に触れようとしない?
140質問:01/10/05 00:27
>>139
ひねくれてる。
あなたはきっと・・いややめた。
主題ってなんのこと?具体的に言ってくれるといいんだけれど
141吾輩は名無しである:01/10/05 00:38
先生が好きです。
悩まなくてもいいようなどーでもいいことに悩んでいる
先生が大好きです。

お金を見るとどんな人でも悪人に変わるんだ、と
あきらめていながら、死ぬ前に唯一人でいいから
人を信じたいと思っている先生が好きです。

お嬢さん(妻)に事情を決して話さない、
汚点をつけたくないと考えているのが印象的でした。
その気持ちよくわかります。

殉死することにしたのはたんなるきっかけです。
ずっと死ぬきっかけを探していてやっと見つけたんです。

先生、やっと楽になれましたね。
142吾輩は名無しである:01/10/05 00:39
>主題ってなんのこと?

あなたが言う「漱石君の意図」に決まっているじゃないか?
143質問:01/10/05 10:47
>>142
  >それを楽しむ位ならどうして主題に触れようとしない?
の意味が分かった気がする(いやもしかしたら勘違いしているかも)ので答えるよ。
それは、彼がおそらく描こうとした主題から読み解くだけでは何かしっくり行かないものを「先生」にあるいはこの作品全体に感じるからなんだ。
君はきっと「明治の精神への殉死」という先生の説明をおそらくその字面どおりに受け取り、それを非常に重要なキーワードとしてこの物語を解釈したんじゃないかな。
それは間違っていないとぼくも思う、少なくとも漱石はそういうことを書こうとしていたと思う。
彼が新聞小説家であったことを考えても、時代的な精神風潮の一傾向を(一言では言えないものだけれど、雑な言い方で許してもらえれば、
「先生」の中に見出される、「k」に象徴されるようないわば前時代的な儒学的な精神と、明治の近代化とともに生じてきた新しい価値感との葛藤とでも言うようなもの、こんな表現では不十分だろうが)
を『こころ』の事件の中に投影しようとしても不思議はない。
でも漱石が実際に書き上げたものは、そんな説明だけでは何かとてももの足りないような、生々しい「先生」のegoが伝わってくる物語になってしまっていると思う。
時代、という側面からだけでは説明のつけられない点が多すぎると思わない?「先生」の生い立ちや、そこから形成されたであろうと推測されるような彼の人格など、
この作品を読み解くために着眼すべき点は多いと思う。
だから、結論を言えば、主題=漱石の意図(という意味なんだよネ)に触れようとしないのは、触れようとしないんじゃなくて、
その点だけからこの作品を語るにあまりにしっくりいかない「先生」の所為があると感じるからなんだ。
そう思う人ってあまりいないのかな、やっぱり。
144吾輩は名無しである:01/10/05 12:52
いや、いますよ。それが小説の面白味の一つです。

143の
「その点だけからこの作品を語るに
 あまりにしっくりいかない」
という書きこみなら、良く分かりますが、

137は、「(主題には)あまり興味がないから」
という様な書きこみは、どこか矛盾している様で、
いまいち解し兼ねたのです。

にしても、「その点だけから〜しっくりいかない」
のであれば、「その点」をしっかり読む必要がある
と思うのですが…そこが矛盾していると思います。
でも143からあなたの主張はわかりました。
145質問:01/10/05 13:48
丁寧なレス有難う。それは大事だと思う。このスレでぼくは主題をどう読むのかと
いうことには積極的に触れていないし、そう思われるのももっともでしょう。
146吾輩は名無しである :01/10/06 21:36
最近盛り上がっているので自分も何かレスつけたいのだが
ここのところなにか心がテンション高めでうまく書けない。
「こころ」ってしんみり心静かな時じゃないとコメントいにくいなあ。
147吾輩は名無しである:01/10/10 00:18
age
148私は専制:01/10/10 01:57
今度『こころ』につぃての試験形式のレポートを生徒にやらせるのですが、
その問題はこちらで作成するのではなく、他で出版されている問題を使わ
なければなりません。今日ふとその問題を読んでたら以下のような問題が
ありました。

Q.先生の遺書を読んだ「私」はそれについてどのように感じたでしょうか?

でその解答が、
A.始めは衝撃を受けたが、読み進めていくうちに「私」は先生を理解する
  ようになった。

このような定説でもあるのでしょうか?誰か知っていたら教えてください。
149Ray.na ◆8bwLPiQ6 :01/10/10 02:26
 私も語りたーい。でも内容すっかり忘れた。あらすじもどれがどれだか。。
冬になったら読もう。そうだな。5番め以内に読もう。っと。
150吾輩は名無しである:01/10/10 06:38
先生、お嬢さん、K、お嬢さん、私、何れも「父」の存在感が希薄ですね。
先生が「父」と成り得ず、不可解な自殺を遂げ、
「私」が父の危篤により先生と同じ道を歩むであろう事を予言する形で
話が終わっている所が、この作品の不気味さです。
151吾輩は名無しである:01/10/10 06:40

「お嬢さん」が一つ多かったみたいです。
スミマセン。
152吾輩は名無しである:01/10/10 08:00
半分本気で、半分ふざけたレスなんですが、
Kはオナニーしていたと思いますか?
153 吾輩は名無しである:01/10/10 15:22
それは、そうだと思いますよ。
154吾輩は名無しである:01/10/10 21:32
夢精すると処理が厄介だから、真面目一筋のKは、おのれの下着を汚すことが
我慢ならず、なくなく自慰行為に励んでいたことでしょう。
わざわざ正当化しながら。
先生。
流線型のチョコレート
カートで君との 買い物は
髭ヅラの オヤジが二人して
ダイコン買ってるから ちょっと変
今日は 週に一度の 買い物Day
すでに めいいっぱい買い込んでるけど
二人の買い物が楽しくて
ついつい買いすぎてしまう僕達なんです
いきなり君が 行方不明
だいたい予想はつくから、知らんぷり
でも 今日は遅くって
ちょっぴり心配な僕は 捜索開始。
やっぱり お菓子の前で立ち尽くす
子供のように悩んでいるクマの発見
君の悩みの原因は、卵型のチョコレート
中のおもちゃが気になるようで
すでに 、4個も手に持って
5個目でどれにしようか?悩んでいた。
悩み出すと止まらない
君に見つからないように
そっとレジに、直行な僕
あんなにたくさんの
あま〜い チョコを食わされたら
きっと 夕飯食べられなくなる。
意外と並んでいたレジを待ちで
今夜のおかずを考えながらのほほんな僕。
やっとレジの計算に入った、そのカゴに
何やらカゴに、異物が混入
見知らぬ流線型が、計6つ
....やられた。
顔をあげると レジの向こうで
ヒゲ面で してやったり顔の 笑っている君がいた
....いつのまに。
めちゃくちゃ 悔しかったけど
なんだかちょっち 嬉しかった僕。
悪戯者の甘えっ子に
とっても弱い...僕なのでした。
156吾輩は名無しである:01/10/12 22:00
        ∧_∧∩   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       ( ´∀`)/  <先生!見に来ました!
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157吾輩は名無しである:01/10/12 22:03
        ∧_∧∩   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       ( ´∀`)/  <先生!こころ、わけわかめ!
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158吾輩は名無しである:01/10/12 22:08
        ∧_∧∩   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       ( ´∀`)/  <先生!鈴木ま、意味わかめ。逝ってよし
  __ / /   /     \____________
  \ ⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
  ||\           \
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159吾輩は名無しである:01/10/12 22:16
        ∧_∧∩   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       ( ´∀`)/  <先生!うんこくさいです
  __ / /   /     \____________
  \ ⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
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160芥川ファン:01/10/15 00:41
あげ、
161日本@名無史さん:01/10/15 09:48
なんで荒らされてるの?
162吾輩は名無しである:01/10/15 09:53
相手本人にひとことの前振りもなく、その母親に
娘への求婚をするってどういうことなの。
しかも承諾してるし。
特に非常識な事柄とも描写されていないので、当時はこれが普通なのか。
とんでもない時代だな。
163吾輩は名無しである :01/10/15 09:58
当時結婚するには25歳くらいまで親(家長)の同意が必要だった。
それに先生はKとの勝負を一気に決めるため、
奥さんに直接言ったんじゃないかな。
奥さんが自分に好印象を持っていることは薄々わかってたし。
164にとべ:01/10/15 15:46
なんで夏目は1000円札に選ばれたのだ。
165吾輩は名無しである :01/10/15 17:35

日本を代表する国民的な作家というところだろう。
166吾輩は名無しである :01/10/22 01:04
この前、このスレに「こころ」を学校で教えてるって先生らしき人が
来たけどテストでどういう問題出したんだろう。
このレス見てたら教えて下さい。
とりあえず答えは言わないで問題だけ。自分で解いてみたい。
167私は専制:01/10/22 23:55
>>166
そのテストについて>148で逆に質問したのですが。
使用した問題と、その解答のあまりの断定的な解釈に
しばし言葉を失いました。
168吾輩は名無しである:01/10/23 00:16

ごめん、過去レス、目を通してなかった。
今日はもう寝るので(朝早いので)数日中にレスします。
169吾輩は名無しである:01/10/23 00:36
>>148
148の問題自体「こころ」の意図を読み解くのに
あまり意味のない問題のように思われ。
この問の答えは問題制作者がこう答えて欲しいという願望に過ぎず
漱石の意図とは違うのでは?
170吾輩は名無しである:01/11/03 00:37
「精神的に向上心の無い者は、ヴァカだ。」
「ヴァカだ!僕はヴァカだ!」

スミマセン。汗
171吾輩は名無しである:01/11/03 01:25
≫170
まさしく疾風怒濤の時代。古き良き、青春というもの。
昔の日本では、今では噴飯もののくさい台詞をやり取りしていたの
だろうね。ハイカラさんが通りそうな雰囲気だな。ノスタルジア。
172吾輩は名無しである:01/11/03 01:49
>>162
当時、というより第二次大戦で負けるまで、日本では
恋愛結婚など、良家の娘達はぜぇ〜ったいできなかった。縁談は
丁度釣り合いのよい家と家の間で行われ、親が決めた相手と
形ばかりの見合いをして(女は特に俯いて挨拶するくらいで
口も利かなかったそうな)、相手の顔もまともに見ることなく、
結婚した。家柄や財産や親族関係などが最重要視された。結婚は
そういうものだと皆思っていたから、結婚してから夫婦として
馴染んでゆくのが普通だった。だから、たま〜に勝手に恋愛して、
親に反対されれば、後は「駆け落ち」しか方法が無かったそうな。
『矢切りの渡し』って演歌の歌詞とか…聞いたことないか?
173吾輩は名無しである:01/11/09 21:26
これの感想文を書くことになりました。
貴方なら800字でどう表現しますか?
174吾輩は名無しである:01/11/09 23:04
『こころ』のファンがこんなに多いとは。
でも、これだけレスがついてるのに、だれも漱石と兄嫁の話
をしないのはなぜ(それとも、わたしが気づかなかっただけ
で既出?)
『こころ』にせよ、『三四郎』にせよ、『それから』にせよ、
『門』にせよ、要するに友人の女を奪う(フェミニストの人
がいたらスマン)話でしょ。
それって兄嫁を奪いたいという漱石の願望の所産じゃないの。
「明治の精神に殉死」云々は、あとからつけた理屈で、本質
ではないように思うのだが。
175吾輩は名無しである:01/11/09 23:08
それは無いよ。いずれにせよ、「明治の精神」等の、「歴史」にも関る問題さ。
176吾輩は名無しである:01/11/09 23:10
175に、一票。
177吾輩は名無しである:01/11/09 23:12
つうか漱石に関してならYAHOOの作家掲示板の方が勉強になる。
ハンドルネームは確かAHOUDORIって人だった様な気がするけど、
結構漱石論文読んでて、自分なりの漱石論持ってて、分かり易く
説明してくれる。
178吾輩は名無しである:01/11/10 00:01
うーん、わたしにはどうしても「先生」の自殺は、岡田有紀子
(漢字あってる?)や尾崎豊の後追い自殺をする高校生と同じ
ようにしか思えない。
漱石の「歴史」観というのも、うさんくさく思える。
ま、観点のちがいなのかもしれないが。
179吾輩は名無しである:01/11/10 00:45
心理的描写が偏執的なまでに細かいタダのメロドラマと思ってた。
芥川はこの作品どう思ってるんだろ?
180吾輩は名無しである:01/11/10 00:53
おれはこの「『こころ』について心行くまで話しましょう」
という、他人に媚びへつらうようなタイトルがイヤだ
181吾輩は名無しである:01/11/10 00:56
心理描写が執拗なわりに、Kがなぜ自殺したのか、「先生」
がなぜ自殺するのかは謎のまま。
テキストに書かれていないのだから、全ては薮の中。
好きな人にはそれがたまらない魅力なのかもしれないが、
どうなのかな。
精神分析したくなるのはわたしだけ?
(オマエモナーならぬ、オマエダケダーというツッコミ
があるかな)
182吾輩は名無しである:01/11/10 23:49
>181
その辺の推察は橋本治の書いた「蓮と刀」に詳しいよ。
推察が正しいかどうかはともかくとして、すごいとは思うよ。
183吾輩は名無しである:01/11/11 00:00
僕もそうだから、凄くよくわかった。
自殺するわけも、その理由が謎なわけも。
184吾輩は名無しである:01/11/11 00:20
あれるかな。ごめんね。うけながして。

本はもう絶版だよ。
185吾輩は名無しである:01/11/12 01:54
橋本治ですか。読んでみよっと。
絶版でも図書館にはあるだろうし。
186吾輩は名無しである :01/11/12 09:36
橋本治の本の内容よかったらかいつまんでで結構ですから
教えていただけませんか。
187吾輩は名無しである :01/11/16 00:47
別スレで「こころ」盛り上がっているので
とりあえずアゲ
188吾輩は名無しである :01/11/16 23:29
>>184
あれ?文庫版も絶版になったの?

>>187
どこのスレ?
189吾輩は名無しである :01/11/17 01:12
190吾輩は名無しである:01/11/17 01:15
あれ?まちがえました。
「あなたが高校教師なら、何を読ませるか」スレです。
191182:01/11/18 16:39
これでも結構かいつまんだつもり。


本書(蓮と刀)は流布されて行く、害毒を垂れ流して。そして、その害毒を垂れ流していくことに
対しての責任を問う声が上がった時、関係者は口を揃えて言うのである。――
「俺のせいじゃないもんねェ」と。

 この本――『「甘えの構造」』を読む人って、良識ある人なんだよね。良識ある人って、セックス無視して
平気なのよね。俺、思うんだけどサ、『「甘え」の構造』って、「家庭の精神分析」なのよね――
一家に一冊、『「甘え」の構造』ってサ。
”家庭”ってのは不思議なところよね。セックスしたから”家族”というものが存在しちゃったにも
拘わらずサ、”家族”というものが存在した途端にセックスってのを隠すのよね。
「あるんだけど、ないことにしとこうね」って、にっこり笑って嘘ついてるのが、”家庭”なのね。
家庭でみんなが読めるように、この本てセックスのことが書いてないのねェ。ホントよ、
家庭にセックスってのがあると、ホントにみんな困っちゃうんだから。

 一般に、この漱石の『こころ』という小説は、”人間のエゴイズム””人間の罪悪感”という
ものを追求した小説だということになっております。そして土居健郎センセェは”日本の社会に
おける同性愛的感情のあり方を非常に的確に写し出したものとして、漱石の『こころ』に勝る
文学作品を私は知らない”といい、俺は、「ヘェーッ、漱石ってホモ小説書いてたのォ!?」っ
てことになんのね。

 かつてはその人の膝の前に跪づいたという記憶が、今度はその人の頭の上に
足を乗せようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を退けたいと思うのです。
私はより一層淋しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。
自由と独立と己とに満ちた現代に産まれた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わなくてはならない
でしょう。

 ね?我慢してるでしょ?”今の私”は淋しい。でもそれはしょうがない。”未来の私”がもっと淋しく
なるのは覚悟の上で、私は現在の淋しさを我慢してますって、言ってる訳よね、この引用は。
192182:01/11/18 16:40
 土居先生は、寝ると寝ないは大違いだという立場に立ってらっしゃるのね。俺は、寝ると寝ないは、
もう寝た、まだ寝てないの差でしかないと言うわけね。そんじゃまァ、それを問題にさしてる
夏目漱石大先生はどういう立場に立ってらっしゃるかといえば、「そんなもん知るか」という立場ね。
『こころ』の中には、”同性愛”もしくは”同性愛的”というような単語は一ヶも出てこない――
勿論、男色・ゲイ・ホモ・オカマ・鶏姦・ソドミイ・衆道・若道etc.というのも出て来ない。
出て来ない代りに、いともアッケラカンとホモ丸出しになってしまって、いる、と。

 この”私”という人は、”恋”という言葉は知ってる訳。そして、その”恋”という言葉がどういう
ことを指すのかも知っている訳。但し、この”私”という人は、肝腎要の”恋”を知らないから、
恋そのものであるような自体が自分の目の前に現出したって、ゼェーンゼン、ピンと来ないのね。
分かんないんだから疚しさはない。疚しさはないから、ヘェキでホモ丸出しな訳。
 そしてェ、こういう人ほど、自体と実態と言葉の指し示す所が一致してるんだと気がついた時、
ものの見事にうろたえたりする訳。
193182:01/11/18 16:41
 土居先生はこれを――”この嫉妬は一部、女性たちの愛情がKに取られると感じたためもあろうが、
しかしそれよりもKが彼をおいて女性たちの方に心を寄せるのがいやだったことのほうが
大きかったと考えられる。というのは彼は、Kがその禁欲的な理想主義故に女などには眼もくれない
人物であると信じており、そのことでKに情熱的な友情を捧げていたからである。”――と分析する。
 なァるほどねェ、と思う訳。ああ、当ってるね、と思う訳。そして、この
”先生”と”K”との関係を、夏目漱石先生は”私”の時とはうって変わって、ホモッ気ぬきでやってるわけ。

 存在してるってことが分っちゃったから、土居先生、それが、間接的であるのをいいことにして、
なんとかして”的”の一字を持ってきて、”それ”と漱石――及び漱石を読む”私達”は別物なんだということに
しようとする。ところが困ったことに、夏目漱石自身は、知らないものの強みで、いとも
アッケラカンとホモ丸出しである、と。
194182:01/11/18 16:42
 土居先生は、この”遺書”の中から掘り起こしをやる訳。だから、この”先生”の”K”に対する
感情は、当然”ホモ丸出し”ではなく、”同性愛的感情”というような沈潜したものであっても不思議はない。

 精神分析の常道にのっとっていえば、”先生”は、下宿の娘と”K”との三角関係の間は、
”K”に対する感情の質なんてものは全然分かんなかったというのが正解。”先生”は、その下宿の
娘と結婚して、その娘と寝て、セックスというものに直面して、自分の中に何かが存在している
ことに気がついたの!
“下宿の娘”は”奥さん”になる。”先生”と奥さんの間に子供はない。そのことを漱石はなんと
言っているか?

 「子供は何時まで経ったって出来っこないよ」と先生が云った。
奥さんは黙っていた。「何故です」と私が代りに聞いた時先生は「天罰だからさ」と云って
高く笑った。

 有体に言って、”先生”はインポだったらしい。”私”という人間は、”先生”のことを、
次のように評する。

 人間を愛し得る人、愛せずにいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手をひろげて
抱きしめることの出来ない人――これが先生であった。

 そして”先生”は、昔っからそういう人だった訳ではない。

 ”異性と抱き合う順序として、まず同性の”と”先生”が言うのは、結婚して不能になって、
それで改めて”先生”が孤独の中で得た知識なんだよね。
”先生”は不幸にして、奥さんとの”夜”の中で、「自分は・・・・・・だったのかも、しれない・・・・・・」
ということに気がついた。自分はそうなのかもしれないと思って、そうだとすると自分は
世の中とは相容れないものなのかもしれないと思って、”先生”は世の中に出て行かなくなった。
”私”という人間こそが彼のことを”先生”とは呼ぶけれども、この”先生”なる人物、
なんの職にもついてはいない。”先生”、自分が怖かった。そして”先生”、自分の前に自分と似たような
人間がひょっこりと現われたもんだから、自分の中の恐怖を小出しにして、若い子をじっくりと
脅しにかける。
195182:01/11/18 16:44
 なぜに”先生”は、”今のあなたからそれ程に思われるのを、苦しく感じ”なければならないのか?
それは勿論「ないことにしよう」と思って押し殺し我慢して来たものを、突然に現れた
見も知らぬ他人の手によってこじ開けられてしまったから。そして、”これから先の貴方に
起るべき変化を予想して見ると”どうして”猶苦しく”なるのか?それは勿論、その
”先生”なる人物が予想した”これから先の貴方に起こるべき変化”の中味が、
”先生”を苦しめるから。
この予測は、二つの場合に分れ、そしてどっちも”先生”にとってはかなり苦しい。
 第一の場合――”先生”と”私”が同じような人間だった場合。
”先生”が”私”を”手をひろげて抱き締め”てしまえば、”私”は”先生”とおなじような、誰にも
言えない苦しみを抱えることになる。そして、こんな筈じゃなかったのにと思って、
”かつてはその人の膝の前に跪づいたという記憶が、今度はその人の頭の上に足をのせようとするのです”。
 そして、”先生”は、自分の目の前に、かつての満たされなかった自分ではなく、今満たされて
いる他人の姿を見る。かつての、自分が満たされなかったという記憶が、”先生”に”私”を抱き締める
ことを可能にするのだろうけれど、でも、自分が抱き締めているのは”自分”ではなく”他人”。
自分が他人を愛するという幸福な感情が、今度は逆に、自分はその他人からは決して愛されないのだ
という疎外感に変わるという地獄。だもんだから、”私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代りに、
淋しい今の私を我慢したいのです”。
 第二の場合――”先生”が恋をするような形で”私”が恋をしていない場合。
 ”先生”は、この先どうなるのかが分っている。”私”はこの先どうなるかが分ってない。分って
いないまま、”私”は”先生”に愛を迫る。迫られて”先生”は窮する。窮して”先生”は、もうこうなったら
しょうがない、今迄の行きがかりの一切を捨てて、僕はもう一遍最初からやりなおそう――などという
勇気を奮い起す。「あなた、私はあなたを愛して上げます」と言った途端、”先生”は”私”に
突き飛ばされて、畳の上に這いつくばっている。這いつくばっておろおろしている”先生”の上に
”私”の罵声が飛んで来る――「キ、キチガイだッ!」
 斯くして一巻の終りとなるもんだから――”私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を退けたいと
思うのです”。
 まァ、”先生”というのはこういう人だ。ところが、この”私”って子は、そこら辺の微妙さっつうのが
マァーッタク分かってない。”先生”、自分の心の鍵だけは一方的に開けられちゃって、
好き放題突っつき回されちゃって、仕末の悪いことに”私”は田舎へ帰っちゃう。心の暗黒と孤独に
たっぷりと付き合わされた”先生”、だもんでぷっつり心の糸が切れた。
196182:01/11/18 16:45
 ”先生”は、田舎に帰っちゃった”私”にもう一遍会うつもりだった。会って話をするはずだった
んだけど、ちょうどそのとき、明治天皇が死んじゃった。大帝崩御の知らせを受けて、乃木将軍夫妻も
殉死しちゃった。だもんだから、急に”先生”、なんとなく自分の死ぬ大義名分が見つかったような
気がして死んじゃった、と。そういう訳。そういう訳なのよ、単純に。”明治精神”なんて言葉が
出て来ると、文芸評論家なんて連中が、えたりや応とばかりに、すんげぇむつかしい話にかえちゃうけど、
”先生”は単純に、「アァ、これでカッコつく」と思って死んだのよね。三島由紀夫が、ズーッっと
後になって、これと同じ真似をもうちょっと大仕掛けにやるのよね。そんで、この”理由”が
殉死じゃなくて芸術・美学の方になったりすると、『ヴェニスに死す』のアシェンバハになったりする、
と。ターンジュンな話。

 ”先生”の自殺の根本原因というのは、”分らない”というのが文学史の定説なのね。そんでその
根拠は、当人が”私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかもしれませんが”って言ってるから
だっていう、ひどい代物だったりもすんだけどサ。こんなの、当人が嘘ついてんだもんねェ、
それを鵜呑みにするバカもねェと思うんだけどサ。みんな結構平気で鵜呑みね。バカじゃねェの。
”明治精神に殉死する”っていうのがとってつけたみたいなのはさサ、”先生”がそれをとってつ
けたからじゃないよねェ。”明治精神”をこんな風に扱ってる遺書見たら、まず誰よりも、明治
精神の権化である乃木希典大将が頭から湯気たてて怒るんじゃないの?

 結局、”先生”は”明治精神”という”おとうさん”がこわかったんだし、その後に出て来る
”大正”という名前の”おとうさん”もこわいに決ってると思っただけだったりしたのでした――
というお粗末。夏目漱石はそういう小説を書いたのでした。
197182:01/11/18 16:48
 この小説は何を言いたいのかよく分んない。分らないのも道理、この小説は尻切れトンボの
いい加減小説だからという恐ろしいことを、私ァ恐れ気もなくこの際言っちゃう。

 相手はかの“則天去私”の夏目漱石だから、こういう終り方にはきっと何かフカーイ意味がある
のであろうなんてことを今迄一般の人間は考えてきたんだろうけど、そういう意味で、”深い意味”なんて
ものがある訳はない。当然のことながら、この『こころ』という小説は、本来的にはこの下段の後に、
もう一遍”先生と私”もしくは”私と先生”という段があってしかるべき小説なのだ、という訳。
『こころ』は、全体の四分の三だけ書いて夏目漱石が抛り出した、中途半端な小説なんだ!
 だってさァ、そうでもなかったら、中段の「両親と私」なんつう所の存在理由が全くなくなっちゃうもん。
そんで、この中段には実に重要なフレーズが登場するんだもん。

 父は死後の事を考えているらしかった。少なくとも自分が居なくなった後のわが家を想像して見るらしかった。
「子供に学問をさせるのも、善し悪しだね。折角修行をさせると、その子供は決して宅へ帰って来ない。これじゃ
手もなく親子を隔離するために学問をさせるようなものだ」

 親は、”立派な人間に”と臨み、子は”如何にして生くべきか?”と悩む。ここには明らかにギャップが存在
する。即ち、子供が学問をするのは、親が子に、どうして生きて行けばよいのかを教えてやることが
出来ないからという、中間条項が一つなければならないから。
”私”の父が嘆くこと――”折角修行をさせると、その子供は決して宅へ帰ってこない”のも当り前、子供は
親からは何一つ教えてもらうことが出来ない、子供に親は何一つ教えることが出来ないという前提が、
日本という国の”学問”を成立させているから。
 親がダメだから、”私”は国もとを離れて東京の学校へ来ている。そして、東京の学校に籍を置いていることは、
人間如何に生くべきか?ということを考えるということ。だから”私”は、その問に対する答えを求めるべく、
”生きている人”を探す。そしてその人が”先生”であった、と。
 ”私”が”先生”に魅かれるということの裏には、実にこれだけの意味がある。これだけの意味があるからこそ、
”私”は平然とホモ丸出しであっても何一つ疚ましさを感じてはいなかった。
 そして『こころ』という小説は、実に、その一点からスタートを切る。切った以上、その敬愛する”先生”の
死に直面した”私”がなんらかの反応を示さない限り、この『こころ』という小説の存在理由は、まァーったく、
なくなる。
198182:01/11/18 16:51
 俺が説明したようなことに”私”は行き当って、そして暗澹とした思いに包まれて、この小説は終わるべきだった
んだよね。そうあってこそ、”知識人の悲劇”というものは完結する筈なんだから。
 この『こころ』という小説は、本来ならば、”知の虚妄”とうい真実恐ろしいテーマを追求すべき小説であった
のです!!
”私”の父親は、学問というものは、親子を隔離する為に存在すると言っている。
”私”は、如何に生くべきかを考える為に、学校という所とは全く関係のない場所で”先生”に出会う。
”先生”は、生きて行く意味を見失なった為に、何もしない。

「先生は何故元のように書物に興味を持ち得ないんですか」
「何故という訳もありませんが。・・・・・・つまり幾何本をよんでもそれ程えらくならないと思う所為でしょう。
それから・・・・・・」
「それから、未だあるんですか」
「まだあるという程の理由でもないが、以前はね、人の前へ出たり、人に聞かれたりして知らないと
恥のように極が悪かったものだが、近頃は知らないという事が、それほどの恥ではないように見え出したものだから、
つい無理にも本を読んで見ようという元気が出なくなったのでしょう」

そして、以上の男同士の認識の上に、更に、知は無意味であるという、女の側からの認識も加わる。こうなってくると、
流石に文豪、漱石大エライ!
”先生”の奥さんは言う。

「あなたは学問をする方だけあって、中々御上手ね。空っぽな理屈を使いこなす事が」

更に

「議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうに。空の盃でよくああ飽きずに献酬が出来ると思いますわ」

そして、それであっても学ばねばならない青年の悲劇!
”私”はその奥さんに向ってこう言う。

「奥さん、先刻の続きをもう少し云わせて下さいませんか。奥さんには空な理屈と聞こえるかも知れませんが、
私はそんな上の空で云ってることじゃないんだから」
199182:01/11/18 16:53
 私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。それから、ある特別の事情があって、
猶更あなたに満足を与えられないでいるのです。私は実際御気の毒に思っています。

どう見たってこれは、インポの男が、恋を打ち明けられた女に向って詫びごとしてるとしかとれない言葉だからねェ。
知らないってことはオッソロシイよ!
 そして、夏目漱石はそれを知った。知ったからこそ、”先生”は口ごもり、『こころ』は上中下三段で終ってしまい、
若い”私”は口を鎖した。
 知ったけど知らなかった――この矛盾というのは一体どうしたことなのだろうか?
 漱石の『こころ』以前、森鴎外は『ヰタ・セクスアリス』で同性愛経験を小説に書いている。
近松門左衛門の『心中宵庚申――上の巻』、井原西鶴の『男色大鑑』なんてものを持ち出すまでもなく、江戸時代から
現代に至る迄、男娼というものは常にこの国に存在していた。だから、そういう行為がこの世に存在するという
ことは、夏目漱石だって十分に承知していた筈。しかし、夏目漱石が自身の内に発見したものは、それとは
多分根が同じであろう、だがしかし”行為”とは決定的に隔たったなにかだった。だから漱石はそれを違うと
思った。違うけれども、違うとは言い切れない何か――ふっとそこから視線をズラした時に、同じものでありながら
おぞましいとした言いようがなくなってしまった”別物”に出会うような何か――それを見て漱石は口を閉ざした。
大正三年という時は、漱石に口を閉ざさせるような”時”だった。そういうものはないことにしておくという時代に
『こころ』という小説は書かれた。だから、『こころ』の中にはそういうものが出て来ない。出て来ない代りに、
『こころ』という小説は、ないことにしておくという時代の中にもそういうことが存在していたのだということを明らかにする
小説だった。
”そういうこと”とはなんなんだ?『こころ』の中に隠されて、そしてしっかりと存在している夏目漱石の
根本認識とは、一体なんなのか?
 お教えしましょう。それは実に、人間が生きるということはエロチックなことであるという認識でございます。
夏目漱石という、日本の良識の権化みたいな人は、大正三年という時点で、こういうことを公けにしているのだ!
 一体そいつはどこにあるの?フッフッフッ、『こころ』の中にちゃんとある。なんとも純真であどけない表現を
使って――俺、こういう表現見ちゃうとやっぱり夏目漱石という人は真実偉い人だなァと思ってしまうのよねェ。

 かつて遊興のために往来をした覚のない先生は、歓楽の交際から出る親しみ以上に、何時か私の頭に
影響を与えていた。ただ頭というのはあまりに冷か過ぎるから、私は胸と云い直したい。肉の中に先生の力が
食い込んでいると云っても、血の中に先生の命が流れていると云っても、その時の私には少しも誇張では
ないように思われた。
200182:01/11/18 16:56
Kについては書いていなかったよ。
201182:01/11/18 22:06
198のあとにちょっと抜けてた

真摯が無意味であるという恐ろしい現実――こんな所まで夏目漱石は迫ってるんだよ。迫って
て、そしてパァね。それっきり。『こころ』は“先生の死”で終るの。夏目漱石は、それをこわ
がったの。
”それ”とは勿論、”的”抜きの純正本物”同性愛”!
夏目漱石はそれを知らなかった。知らなかったから、平気でこんなことを書けた。
202吾輩は名無しである:01/11/20 21:50
182さん、力作ありがと。
ゆっくり読んでまたレスしますよ。
ちょっと時間かかるかも。
203吾輩は名無しである:01/11/21 23:42
類似スレ対抗アゲ
204:01/11/21 23:45
名無しさんありがとう でも同姓愛じゃないと私の先生はいうんです。
同性愛と書いたらまずくないっすか?
205吾輩は名無しである:01/11/21 23:49
先生はコキュか?
206:01/11/21 23:52
コキュ? とにかく変な人です。
「こころ」について心行くまで話しましょう←最高っぽいですね
207吾輩は名無しである:01/11/21 23:55
いや
そういう論文がなかったですか?
先生が死んだあと
私に奥さんを寝取られるって言う
208吾輩は名無しである:01/11/21 23:58
同性愛っていう説が定期的に出てくるけど
そんな風に感じたことはないなあ。
具体的にどういう場面とかでそういうことを読みとるのですか?
それから漱石は他の作品とかで同性愛を論じたものはあるんでしょうか。
209吾輩は名無しである :01/11/22 00:02
>207
そういやそんな論文ありましたね。
ありがちなネタでつまらんと思いましたが。
210:01/11/22 00:03
あー名無しさんが書いてるやつっすか? 今頑張ってよんでいます。
すごいっすね名無しさんって。
211吾輩は名無しである:01/11/22 00:08
コキュは結構名のある人が書いていたと思いますが・・・
212:01/11/22 00:08
私だけ遅れてる…
213:01/11/22 00:09
え、そーなんですか? 私まだ若いもんであまり本読めてないんですよ
これからたくさん読みたいです
214:01/11/22 00:14
名無しさん ありがとう!! あなたはJesusです。 最高です
215吾輩は名無しである:01/11/22 00:16
名無しは一人ではないよ。あなたも「ひ」という名前を消して書き込んで御覧なさい。
分かってたら、ごめん。
216吾輩は名無しである:01/11/22 00:32
ある意味、一人の名無しがこのスレを全て自作自演してたら
それはそれで凄いことだと思う(笑)。
217我輩は名無しである:01/11/22 01:21
私2chでいう同人(やおい)女だけど(肩身狭いわ)
友達に「こころ目茶ホモ臭いから読んでみろ」って言われて読んだけど
「こころ」=ホモ って言う感じしなかったな
同性愛って言われてるけど
Kとお嬢さんの仲に嫉妬する先生の心情が同性愛(やおい)くさいって言われてるんじゃないのか
それほど好きじゃなかったのにKの思い(お嬢さんに対する)を知ってから
急にお嬢さんに対する思いが恋愛感情に変わったあたりとか(前々から気になるとは書いてあるけど)
不自然と言うかなんと言うか・・・

Kと先生の間に直接な関係(性として)は無かったけど、先生にはどうしても同性愛の要素を感じる
218吾輩は名無しである:01/11/22 13:11
age
219吾輩は名無しである:01/11/22 17:13
age
220吾輩は名無しである:01/11/23 01:53
「蓮と刀」は、日本の学会、学者にケンカを売った本でもあるので、
教授の中には彼を憎んでいる人も多いと思います。
”同性愛”への禁忌と嫌悪もとても強いので、
もし参考にするなら、”同性愛””知の虚妄”等、この本を
参考にした、と思われるような書き方は避けたほうがいいです。
”同性愛”を”人間関係の濃い愛憎””欲望”にでも置き換えて、
当時の学問のあり方、文明の急激な変化、イギリスとの関わりとか
について掘り下げ、それと人間関係、人間の欲望とのすれ違いについて書く、
とか、ごまかす方法を考えるといいかと思います。
221吾輩は名無しである:01/11/23 01:54
新潮文庫の巻末の、三好行雄の解説(昭和五十六年二月、文芸評論家)
には、

『こころ』は『行人』に続く長編小説で、大正三年四月二十日から
八月十一日まで、東京と大阪の両朝日新聞に連載されたが、
エゴイズムの追求と批判がより徹底した形でなされている。
漱石は、自筆の広告文で、人間の心を研究する者はこの小説を読めと書いた。
確かに、自負にふさわしく、金銭と恋愛をめぐる我執(エゴ)の相の観察は
するどい。そして、高度な自己否定に到達した人間像を創出し、
同時代文明への批判をあわせつらぬいたのである。
 新聞の連載にさきだつ予告によれば、数種の短編を書きつぎ、それをあわせて
総題を『心』とする予定だったという。しかし、〈其短編の第一に当る『先生の遺書』
を書き込んでいくうちに、予想通り早く片が付かない事を発見したので〉(初版序)、
『先生の遺書』だけで連載を打切り、『こころ』と改題して、大正三年の九月二十日
に岩波書店から刊行された。その際、全体を三つに区分して、上「先生と私」
(初出稿の一章から三十六章まで)、中「両親と私」(三十七章から五十四章まで)、
下「先生と遺書」(五十五章から百十章まで)の三部に再構成したのである。
 〈予想通り早く片が付かない事を発見した〉と漱石はいうのだが、では、
もともとどのように片をつける予定だったのだろうか。

私を汽車にとび乗らせるまで、漱石の構想に狂いはなかったはずである。〈予想通り早く
片が付かない〉と作者に思わせた最大の(おそらく唯一の)理由は、長すぎる
「先生と遺書」の章にある

などとありました。本屋で立ち読みしてみてください。ただ、
ここでは“同性愛”はまったく考慮されていません。考慮しなくても
話をつなげられます。
222吾輩は名無しである:01/11/23 13:50
>208
「蓮と刀」では

”私”が”先生なる人物を一番最初に見かけるのは鎌倉の海岸のどこか?

 私がその掛茶屋(註:脱衣所)で先生を見た時は、先生は丁度着物を脱いでこれから
海へ入ろうとするところであった。

”私”が”先生”と口きいた次の日、二人揃って一緒に泳ぐ時の描写は次の如し。

二丁程沖へ出ると、――中略――その近所に私達二人より外になかった。そうして強い太陽の
光が、眼の届く限り水と山とを照らしていた。私は自由と歓喜に充ちた筋肉を動かして
海の中で踊り狂った。

どうしてこういうのに”同性愛的”の”的”がいると思う?こういうのホモ丸出しって
言うんじゃない?
 その”先生”なる人物は”私”に言う。

「あなたの心はとっくの昔から既に恋で動いているじゃありませんか」

――それに答えて私――

「今それほど動いちゃいません」
「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」
「それはそうかもしれません。然しそれは恋とは違います」
「恋に上る階段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ
動いて来たのです」

まァ、これがとても恋する男同士の会話だとは思えないけども、“恋”であると
漱石大先生はおっしゃる。どうして思えなくなっちゃうのかというと、この肝腎の
”私”なる人物が”恋”ということに全然ピンと来てないからなのね。

とありました。いくらなんでも鈍すぎるかなあとも思いますが、
知らない人が書くとそういうもんかもしれない、とも思えるし、ひとそれぞれだし、
性風俗なんて無いに等しい時代だし、なんともいえません。
223吾輩は名無しである:01/11/23 13:54
あと、文芸評論家に関する批判的な意見が、大月隆寛さんの連載にあります。
が、あくまで一方の意見なので、実際はどうかしりません。
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_top.cgi/3aeab8536f64a01009aa?aid=&tpl=dir/01/01041400_0009_0000000001.tpl
224吾輩は名無しである:01/11/23 13:58
『ヴェニスに死す』についての説明は以下の通りです。

原作者であるトーマス・マンは、主人公であるグスタフ・フォン・アシェンバハに、
明らかに悪意を持っておりましたが、ヴィスコンティ監督はそれを放棄致しまして、
主人公と一体となって、その悪意を我が身にふりかかるマゾヒズムとして
捉え直しました。

単純な話、対象に溺れこんじゃったらダメなのよね。

 グスタフ・フォン・アシェンバハは人並よりやや背が高く、髪は褐色で髭はなかった。
花車といってもいいからだつきに比べて頭がやや大き目で、うしろへ掻き上げた頭髪は
天辺で薄くなっていたが――以下略。

分るでしょ?チビで頭でっかちの禿だってトーマス・マンは言ってんのね。これが悪意
以上の何物?こんなおっさんが美少年の跡を、なんだか知らん訳の分かんないコムツカシイ
ことをブツブツ言いながらつけてくのよね。トーマス・マンが「バァカ」と言ってるとしか
俺には思えないね。

主人公アシェンバハが”幻想的な異国情緒”を求めてヴェニスへ行く、その船の
途中に登場するのが、不気味なもの。

 赤ネクタイに、ひどく縁のまくれ上がったパナマ帽、最新流行のクリーム色の夏服という
出立ちの一人が、鴉の啼くような声を立てながら、ほかの誰よりも(註:団体旅行の若者達の
一団の中に”彼”はいる)はしゃいでいた。しかしアシェンバハは、ちょっと注意してみると
忽ちこれがうわべは青年らしくとも、実は老人であることも発見してぎくりとした。
よくみると正真正銘の老人だった。目や口のまわりは皺だらけであるし、ほほの薄桃色は
頬紅であるし、色リボンを捲いた夏帽の下からはみ出ている褐色の髪はかつらだったし、
襟はやつれて筋張っているし、鼻の下の髭と下唇のすぐ下のちょび髭は染めてあるし、
左右の人さし指に認印つきの指輪を嵌めた手は、老人の手であった。アシェンバハはぞっとする
思いで、仲間と一緒にわいわい騒いでいた。

 あのね、このジイサン、若い時に女に溺れこんで、それからズーッっと女とばっかり、
それ以外のことは全然考えないというような人間であっても、やっぱり当然化粧はするのね。
なぜかっていえば、官能の中に溺れこんじゃうと、人間て、対現実感覚を失うのね。
対現実感覚を失って、時間が流れるっていうことを、認められなくなっちゃうのね。

そういう人間にとって、世界というのはただセックスなのね。頭がジーンと痺れる快楽――
それが世界の中心にあって、他のことはもうろうとして考えられなくなっちゃうのね。だから、
自分が他人にどう見えるか、なんて一番肝腎なことは、全く分らないの。セックスって、それだけ
のものなの――それだけの力があるの。

 このジイサン、羞恥心というものを持ち合わせることが出来なかったの。だからこのジイサンは、
当然のことながら酔っ払いなの。理性を捨てても、それで生きていける――そういう人間の
生きていける世界は世界でチャーンと存在する、それが人間の世界なの。

ホモの世界がなんで気持悪いかっていうと、だから、そういう人間が生きて行く世界だから――
もっと正確には、そういう人間も一員として含めるような世界だから。
 セックスは理性を麻痺させる。そして誰と寝るかというセックスの種類によって識別されているのが、
ホモの世界。セックスを中心に据えれば、理性は簡単に死ぬ。普段でさえ、
男はセックスの時に平然と女に甘える。だとしたら、セックスが世界の中心に男を置いた時
その男はどうなるか?答えは火を見るよりも明らか。男は一発で脳をやられる。
 だから気をつけなさいっていってるの。下手すりゃ香港に売られるよって言ってるの。
世界がそういう仕組みになってるから、ホモの世界の男はみんな、頭が悪くて気持悪いの。
これは冷静なる現状認識で、悪意から発したいわれのない侮蔑ではないの。そこんとこ、よろしく!

みんながみんなと寝てるんです――そういう地獄なのよ、この先は!

僕はそうでないとはいいません。本を読んで、凄いなあと思っただけで、僕がそういう考えに
至ったわけでも、僕はそうではないんだというわけでもないです。
225吾輩は名無しである:01/11/23 14:02
渡辺淳一と”化粧する老人”をからめて考えるとわかりやすいかもしれません。
”同性愛”という考えを導入した時に、
”全く欲情していない女性にとっての、迫ってくる中高年に対する視点”
を実感として手に入れることになり、自分も”化粧する老人”になっていることに
気付かされる、ということが禁忌の一因になっているかもしれません。
でもどちらにしろ、”同性愛”でない人にとってはどうでもいいことです。

なんだか『こころ』を汚したみたいなことになってしまって申し訳無いです。
作り話だし、”同性愛”なんて話はだれもしなかったし、話題にも定説にもならかったんだから、
それでいいと思います。
でも、未来の無さ、不毛さ、受け継ぎ、育むものの無さ、等、
なんだかこの考え方を導入するといろんなことに得心がいってしまうんですよね。
(それでもなおちゃんと生きている人もいると思います。橋本治さんなんかそうだと思います。
ほんとに凄い人です。)
今現在の大学の有用性とかを考えると、100年前からその考えに至ってても
不思議じゃないな、と。そして続きを書けなくて、”同性愛”について書けなかったのは、
自身のそれへの嫌悪感のほかに、そんなこと書いたら作家人生終っちゃう、とか
そんな話をどう区切りつけるんだ、とか、そもそも話にしようがないじゃないか、
とかいうのもあったと思います。設定に盛りこんでいたら、ですけれど。

僕が学生のころに教科書の抜粋部分を読んだ時も、ぜんぜんそんな類のことは
ひとっかけらも思いませんでした。いまこんな書きこみしちゃったから「こころ」買って読み始めたところです。
どうしても伝えたくなって書いちゃったわけで、荒らすつもりも、
『こころ』がホモの本だ、なんていうつもりもないんです。なにせまだ全部読んでさえいない人間の
書き込み、うけながしてください。超長文しつれいしました。
226吾輩は名無しである:01/11/23 15:37
引用にちょっと付けたしとフォローです。

 そして、更に更に、私がうっかり書き散らしたことを誤読されちゃうと困るので、さらに一言。
本書の読者は、すべて当然、本書を手にした時点から、もしくは、本書の存在を知ったことを
確認した時点から、”良識”というものを前提として持ち合わせているのである。
「へへへへへェ、本読みましたよォ、フフウ、おもしろいですねェ・・・・・・。どうですゥ、
僕、良識なんていう面倒臭いもの持ち合わせちゃいませんからねェ、今度一遍、どうですゥ?」
なァんつうのは、もう、絶対に、ヤダ!ヤダ!ヤダ!・・・・・・(無限に続く)
俺やだよ!そんな薄ッ気味の悪い話。絶対にやだからねッ!そんなヤツは、無限に続く「ヤダ!」
の後追っかけてけばいいんだ。やだよ。ぼく 、好きな人としか寝ないんだからねッ!絶対に
やだからねッ!!
 ホントにもうサァ、こう書いて来るとサァ、俺なんかうっかり、ホントにやばいもんに手ェつけちゃった
なァって気がして来んのよねェ――ホントよォ。現実ってサァ、読者が思ってるよか、
ホントにかなり気味悪いんだからァ。だからこんな本が出てきたのよ。
227吾輩は名無しである:01/11/23 15:38
 明治この方、日本の親達はなんの為に学問をさせて来たか?
 それは勿論、明日の日本を背負って立つ立派な人間になってもらう為だ。
 そして、右の大義名分の中にはいろんなものが入っている。
”立派な人間”は偉い人――つまり出世の早道としての学問。この理由は貧乏人コース。
次に、人並みの暮らしをしてる親は、子供が立派な人間になってくれれば現在の”人並み”の
上に更に箔がつく。中産階級コースの理由はこれ。次に、上級階級コースというのもある――
あなたが偉い人になるのは決っているのですよ、あなたのお父様は偉い方なのですから。
この場合は、当然のこととしての学問というのが存在する。
 同じように、自分の子供に学問をさせない理由もある。
 そんなことしなくたって、家の仕事を継げば、十分に一人前の人間になれる――これは
中産階級コース。
 そんな風にお前を遊ばせとくお金が、ウチのどこを探せばあるんだい?――という貧乏コース。
 大義名分は一つだけれど、内実は色々。学生というものは、その期間、確実に勉強を
するものであって、その期間金を稼ぐものではないから。
 学生にとてt、本を読むことは勉強である。でも、勉強好きな学生にとって、本を読むことは
面白い。だから、一生懸命勉強するということは、非生産的な“面白い”という体験に
没入することだから、これは――それが将来なんらかの形で役に立とうと立つまいと、
現時点に於いては――本質的には、”遊び”と何一つ変る所はない。”遊び”であるにも拘らず、
それが”遊び”だと言われないのは、彼等が”学生”という極めて不思議な身分を獲得しているから。
 それでは、その学生というものは何故にこの地に成立しているか?それは勿論、この地に
大学というものが存在しているから。大学という建物があり、大学教授という人物が存在しているから、
学生というものが成立する。
 さて、それではその学生というものを成立させている教授という人間達は何を教えていたか?
 現在ではいざ知らず、彼等は、戦後の暫くまで、”学問とは、人間如何に生くべきか?ということに対する
問いかけである”という信念の下に、学問というものを成立させていたから。
だから、現在の大学生はいざ知らず、かつて、大学生(及び旧制高等学校生)は、人間如何に生くべきか
ということを常に問題にしていた。
 さて、親は子供に学問をさせる。内実はいざ知らず、その理由は一つである。そして子供の方も
勿論学問をし、その目的も又一つである。

本当だったら『こころ』は下段の次に、一体あの”先生”は”私”にとってなんだったのだろう?
という主人公の述懐が続く筈なのね。遺書を読んだ主人公が、”先生”がいっていたあのことは、
自分にとってどういう意味を持つ言葉だったのだろうか?と主人公が自問自答しない限り、“私”が
”先生”に出会った意味はないものね。
”かつてはその人の膝の前に跪づいたという記憶が云々”――それがどういう意味を持つのか?
それはもう俺が説明しちゃった。俺が説明したようなことに”私”は行き当って、そして暗澹とした
思いに包まれて、この小説は終るべきだったんだよね。そうあってこそ、”知識人の悲劇”という
ものは完結する筈なんだからね。
228吾輩は名無しである:01/11/23 15:39
「蓮と刀」は昭和57年5月に発売され、三好行雄の書評が書かれたのは昭和56年。新潮文庫の
「こころ」が改版されたのが昭和59年です。橋本治が、三好行雄の書評内に書かれていたような
経緯について知っていたかどうかはわかりません。(文章を読む限りでは、知らなかったかもしれません。
そういう部分に関して、知っていて知らない風を装う人ではないと思いますし、
論を推し進める際のよい材料にもなるでしょうから)三好行雄の書評は、この改題の時に
付け足されたものかもしれませんね。時系列を交えて考えると、いろいろうがった詮索ができて面白いと思います。
229吾輩は名無しである:01/11/24 01:33
漱石はフロイトのシュレーバーに関する文献を読んでいたかもしれません。
漱石がこころを書いたのが1914年で、「シュレーバー症例」第3節
が1912年、でも「症例シュレーバー」は1918年だから、どうでしょうね。
でもシュレーバーの父は19世紀を代表する有名な教育者だったし、
フロイトもシュレーバーを直接診たわけではなくて、シュレーバーの書いた
著作や彼の観察記録、生育暦等から論文を書いただけです。
シュレーバーは、刑務所の所長を勤めながら、しかしパラノイアとなり
(主治医に犯されるとか、自分が神の女になってとか、神に罰せられるとかいう
妄想がどんどんひどくなっていったそうな)、その後廃人となった人です。
父親は、ドイツの体操教育の創始者と呼ばれていた大変有名な教育家シュレーバー(名前が同じ)。
また、ナチスドイツの父と呼ばれていた人です。(その理念の)
当時熱狂的に指示されていた人が懇切丁寧に育てたと思しき子供はパラノイアの後廃人。
もう一人の子供は自殺です。
精神分析には、「主体の同性愛は、パラノイアの防衛として機能する」というのがあります。
詳細にいうと、精神病化の推進力、精神が崩壊する方向に強力に推進される力と、
それを食い止めるために個人独自の妄想(世界を統一させる体系)を構築させる、
という拮抗状態にある人、という意味だと思います(くわしくは分りません)。
でも人権問題になるからあまりおおっぴらになっていないだけだと思います。
拮抗状態から精神病化が勝ってやがて廃人(精神が死ぬ)となります。
漱石がその精神分析の考えをそのまま反映させたのか、
精神分析医者、医学会、キチガイに対する社会の対応等、
また彼らのキチガイをどう扱いたいのかという欲望を考えて、
さらに何か独自の考えに至ったのか、わかりませんが。
でも、同性愛とキチガイとに密接な関係があると思われていた、ということは
知っていたと思います。でもオカマがキチガイだと一概にもつなげられないかな。
あの時代オカマだったから孤独と死の恐怖で頭おかしくなっちゃった、とも説明できるし。
どちらにしろ心の中で起きていることです。
ほんの少し前まで、障害者(身体、精神問わず)は人間じゃないということになってたと思います。
(「ダンサーインザダーク」のラース監督も12才で精神病院に入院したことがあるんですよ。
そして4週間で脱走したんです。何を見たんでしょうね。)
みんな人一人背負って生きる余裕なんてなかったから。機能しない人間はすぐ死ぬんです。
でも漱石が、彼らを人間じゃないと思っていたか、一体どう思っていたかは謎です。
彼らと彼らの周辺について、そこにどんな人間関係があったかについては知っていたはずです。
明治三十三年(1900)九月、漱石は文部省派遣留学生に選ばれ、満2ヵ年の英国留学を命ぜられて
ロンドンに赴いた。明治三十六年(1903)一月下旬、「夏目狂せり」
との風説乱れ飛ぶなかに帰朝、とあります。新潮文庫の解説からの抜粋です。
ロンドンで何を感じたかもちょろっと書いてあります。
一度、キチガイだ、と周りに見られた経験がある、ということです。
あの当時キチガイだと見られることがどういうことを意味するのかは、
京極夏彦の「うぶめの夏」等から窺い知ることができると思います(あれは戦後まもなくの話だけれど)。
そして、いったんキチガイと認知された後、作家として大成した。
世間に一度手のひらを返されて、その返された手のひらをまた返された、ともとれると思います。
230吾輩は名無しである:01/11/28 00:20
すいません。今度の現代文の予告問題で、「なぜKは自殺したのか」
なぜ先生は自殺したのか」という問題が出るのです。

GOOでこれに関する論文が無いか探したけれど、見つからなかったのでここに助けを
求めにきたしだいです。よろしくお願いします。
231吾輩は名無しである:01/11/28 21:54
age
232吾輩は名無しである:01/11/28 22:13
やっぱり「明治の精神」って言うとこが問題だと思う。先生はどちらかというと恋愛観から見て明治ではなく新しい人たちだと思うんだけど。
精神的に向上心のない奴はヴァッカじゃー
233吾輩は名無しである :01/11/28 22:19
>>230
よく文学板でこういうレスがあるけど
とりあえずこのスレも200以上あるんだからとりあえず読んでみて
自分はどう思ったか書いてみたら。
議論が始まるのはそれからでしょう。
手っ取り早くテストの「正解」だけを知りたいなら
ここでの答えは必ずしもマルをもらえる答えではないかもしれないよ。
先生が授業で言ったこととかを注意深く聞いた方がいいでしょう。
234230:01/11/29 00:28
すいません。初めてなもので。
以後気をつけるようにします。
235233:01/11/29 08:15
謝ることは全然ないですよ。
これを機にこのスレを借りて
テストとは離れてとことん考えてみてはどうですか?
その方がテストのためだけの答えを求めるより
よほどこれからの人生の上でためになると思いますよ。
236SF○一生徒:01/11/29 22:13
230さん、もしかしてS○Cの林さんのテスト?
私も同じような境遇の者です。
いつも一生懸命考えてるけど、あの先生がマルくれる答えってのは
正直よくわかりません(笑)
この設題って高校の試験ではメジャーなんでしょうかねぇ。

まあ一応「信頼できるものを失ったら、人間生きていく価値なし!」
・・・みたいなことを語ってみるつもりでいます。

あ、ここの掲示板は親切ですね。
237吾輩は名無しである:01/11/29 22:40
こんにちは。高校二年の者です。僕もつい最近
「こころ」を授業でやりました。Kの自殺につい
ては、学校ではこのように教わりました。
「Kは、自分の信念である「己の道の為には全てを
犠牲にする」という第一信条を貫き生きていく事
が出来ず、それを死をもって断罪した」
Kは新しい人間(規制の道徳に縛られない)であった
けれども、Kはその精神主義の道をひたすら疾走する
必要があった。なぜならば、そうしない事は、自分が
積み重ねた過去を裏切る事になるからだ。

>>232

先生は自らの裏切りを罪と感じ自殺した事で、
Kは道を踏み外し自己断罪した事で、
明治の精神の象徴になったのだと思います。
238吾輩は名無しである:01/11/30 01:26
先生もKも自殺の発想と結構時期がずれてるのは何でなのか・・・
239237:01/11/30 23:19
先生とKの自殺は、それに到達するまでの過程で
両者互いに関係していますが自殺の直接的には
そうでも無いと言える事が出来ると思います。

なぜなら、Kは先生が裏切ったから自殺したのではなく、
精神的に向上心が無いものは馬鹿だと言われた時点で、
自分に負けたのだと信じ、既に自殺を決意しています。
そのことが、「黒い影法師の様」などの表現で、自殺
を決定したKが表現されています。
一方先生は、罪の意識に悩まされ自殺します。
Kが自殺した原因が自分になくとも。それらの点において、
彼らに共通するものは、徹底的に自己を突き詰めているという点でしょう。

今では勿論死んでしまった生き方です。いつ死んでしまったのか。
漱石はそれを明治の終にだと描いています。
240吾輩は名無しである:01/11/30 23:38
高校の先生が授業のメモをupしてます
http://www3.ocn.ne.jp/~niagara/kokoro/kokoro.htm
241吾輩は名無しである:01/12/01 00:06
そうです慶應湘南藤沢高○部です。      あっ!隠れてない!!
242SF○一生徒 :01/12/07 21:27
結局「先生」のほうが出ましたね。
243吾輩は名無しである:01/12/07 22:08
新聞掲載当時、誰がどんな挿絵を書いていたのかと思って、朝日の縮刷版を
見てみたが、挿絵はなかったよ。
244 :01/12/11 17:06
今学校でこころをやっているのだが、Kがお嬢さんへの恋心を
告白したところしか載ってない…鬱氏
245吾輩は名無しである:01/12/15 12:17
超長文電波コピペをやらかしたものです。
ようやっと第2章まで読み終えました。
暗くて難しいんですね。教育ってなんだろう、勉強したってちっともいいことないや、
みたいには思いました。
“同性愛”に関しては・・・読む前にその評論を読んじゃってたからなんとも言えないけど、
一番重要なのは、誰も『こころ』がホモ小説だなんて思いたくないってことだと思います。
親友が実はホモで自分に欲情していたとか、
恋人が実は工事後のニューハーフだったとか、
父親に自分と同い年くらいの男の奉仕奴隷がいたとかいうような、
まさにデモーニッシュな笑撃。

橋本治さんの評論では、バッドエンドを予測したみたいですが、
僕はなんだか先生は実は死んでも死に切れなかった、そして”私”と再会して、
みたいな続きを書く予定だったんではないかと思います。
”私”はそういう死臭ただよう重くて暗いものは払拭して飛び越える
ポテンシャルを持ったキャラクター設定のような気がします。
(ホモカップル成立とかいいたいんでなく。小説冒頭では既に先生とは
今はもう会っていないという感じでしたし。)
でもいったん殉死すると言った人が死にきれないっていうのは、
日本男児にあるまじきってことになるから、そういう続きを書くわけにもいかない
でしょうね。考えていたら、ですけれど。
246吾輩は名無しである:01/12/17 01:12
先生は、溺れる人に自分の熱を移してやる覚悟でKを受け入れて・・

「馬鹿だ、僕は馬鹿だ」で
精神的向上心よりも、お嬢さんへの恋心を上位に認めてしまったK。
君は平生の覚悟をどう説明するのか、と言ってKを責める先生。
それに対してKは、「覚悟ならないこともない」で自殺を覚悟。
それを、お嬢さんへの恋を進める覚悟なのだと誤解した先生は、
お嬢さんへと進む覚悟を決めて、Kを出しぬいてしまう。
そして、Kは自殺。

覚悟という言葉が、悲劇を生んでいるんですね。
247日本@名無史さん:01/12/17 09:22
>>246
お嬢さんへの恋心も君が今まで言っていた精神的向上心も
同価値の尊いものだよと一言言ってくれる人がいればねえ。
実際言えるのは先生しかいなかったのだが
先生もKから打ち明けられたとき「実は..」と打ち明ければよかった。
と思っているほど簡単に割り切れないのが人間の心(他人に弱いところを
見せたくない、他人より優位に立ちたい)なんだろうね。

漱石は「こころ」で、ある結論を出しているというより
人間の心ってこのように矛盾したものだけどあなたはどう考える?
っていう問いかけがメインで
結論は読者に委ねてるんじゃないかな。
248吾輩は名無しである:02/01/05 12:09
age
249吾輩は名無しである
とにかく漱石が人間の心理分析にたけていることは
この作品から確か。