1 :
ギレン:
映画や漫画やアニメなどは文学に比べれば所詮カスであると
立てよ国民
2 :
吾輩は名無しである:2001/07/07(土) 11:13
逆ギレもはずかしい厨房どもの氾濫
言わなくてもわかってることは言わない。
4 :
吾輩は名無しである:2001/07/07(土) 17:49
>1
で、どこに根拠を置くの?それによっては膨らみようのあるスレかもね。
>1
どうせなら絵画や音楽と比べろよ。
6 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 00:32
ここまで小説(文学ということにしておくよ)が読まれなくなった現在。
はたして、文学が何かを伝える表現芸術として、これからも存在していけるのか。
いけるのなら、他ジャンルなどと比較した場合、文学とはなにに優れた芸術であるのか。
言葉の力や文体の面で生き残っていくのか、時代状況の閉塞を打ち破る主題を描く物語と
して生き残っていくべきか。
また、文学は出版という形式に依存してきたが、インターネット化や漫画などによって
どう変わっていくのか。絵画や古典音楽のような道を歩むしかないのか。
ここ数年の芥川賞の状態などをみても、もう一度文学とは私たちにとってなんであるのかを、
あえて語らなければならないときにきている。というのは
7 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 00:34
うーん、
もはや存在感としては古典落語程度の位置付けか?
8 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 00:38
じゃあ客をあつめて朗読するようなもので、いろんな形式を上手にやる、
名人制みたいになるってこと、三代目村上春樹とか。
9 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 00:39
今日の朝日朝刊で本が売れない云々の記事の中に「これからは詩や文学など、
味わって読むものしか売れないように云々」てあったけど、
売れてねえよ!
10 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 00:44
朝日関係はね。
新聞=厨房サヨ
雑誌=掘り下げ浅すぎ回覧版
ってとこかね。喜んで読んでる人みるとガックシ来るね。
この板にはそんな人あんましいないだろうけど。
11 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 00:44
売れないというのは、読者のレベルが下がったのか、
あまりにも、物語をおろそかにしすぎて、趣味的にしすぎたのか、
ドキュンな物語ばかり増えて、多くの人に何がしかの力を持った
物語が減ったよな。
それとも、もともとそんなものなかったのかな。
12 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 00:48
ニュースステーションやニュース23は何年前ぐらいかなかな、
どうもジャーナリズムに媚びすぎて、レベルも下がったし
タイムリーなだけの物になったような。
13 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 00:50
当たり前なこと言って悪いが
「他に娯楽が増え過ぎた」に尽きると思うがなあ。
読書って今や艱難辛苦のイメージある人多いんじゃないの?
14 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 01:10
ぱっと本屋に入っても、欲しい本がない。しかし図書館には腐るほどある。
古本屋では安く手に入る。注文すりゃいい話なんだけど、安い方、安い方に
行ってしまうのは、文学好きに貧乏が多い為か、単に私が貧乏なだけか。
15 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 01:13
もう、なんかね
一冊読んでられないの。
一冊読み終える内に
世の中から取り残されてしまうような気がしてね。
下らない雑誌を手にしてる時の方が精神は落ち着くよね。なんだか。
16 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 01:16
世の中、って何処を基準にしてるんだろーな。
17 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 01:21
もう、軸が沢山あり過ぎて
しかも流動激し過ぎで
誰にも分からないんじゃないのかな。
最先端や最前線に立っている人ほど、そう言うからね。
もはや、人知を超えてしまったとしか言いようがない。
マターリは21世紀を生きる知恵なのかもしれない。
もう、知ったこっちゃないってとこかな。
賢こぶるヤツは、もう誰も信用しないんじゃないの。
18 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 01:29
19 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 01:38
ただの賢ぶるための道具なの文学って、そうなってからいまのスランプが
費やす時間に答えるだけの作品が、現代小説にないのは確かだが
20 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 01:45
21 :
名無しさん@1周年:2001/07/08(日) 01:45
俺は映画を見る2時間すらもったいない気がする。
ネットも録画したテレビ見ながらやってる。
娯楽は増えても自由な時間は限られてるからね。
22 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 01:47
どうもコノスレを終了させたいやつがいるな。
それら前スレとは微妙に異なると思うが。
なにゆえ
23 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 01:48
いま、
文学とは何か、新たに語れば。それからだろ、まずは。
小説ったって、ライトノベルだのミステリーだの混ぜこぜで語る?
何なんだよ、賢こぶるのと、ホントに賢いのと、てんでバカなのとの
境目は? そこらから曖昧。
24 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 01:51
>22
いや、過去スレと同じような流れで論議しても始まるまい?
少なくとも、過去のを踏まえて、そこから先へ踏み出さないと
新たにスレ立てたかいがなかろうが>1
いいたいことはわかった。
批判してすまん。
26 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 01:53
図書館で無料で味わえる、安価な芸術だね。
27 :
1:2001/07/08(日) 01:56
>18/20
ご協力感謝いたします
28 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 02:39
まあ、本読んでる奴は賢いという昔ながらのイメージがあるけど
映画やマンガを鑑賞するよりは脳みそを使うだろうね。煩雑な作業で
スピード社会にはまるで合わんけど、それゆえか小説はまるで自分だけに
語りかけてくれているような、秘め事と言うか、特権と言うか、テレビに
対する深夜ラジオのような、だからこそちょっと深いことも語れるというか、
君だけにとっておきの事を教えようというか、人生の裏側を垣間見る、
つまりピーピングなわけよ、文学は。ちょっと後ろめたいというか。けど
だからこそ刺激的って言うか・・・。
でもそれだと2ちゃんでもいいわけか。ねむ・・
29 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 02:44
本読んでても馬鹿は馬鹿。ちょっと本を読みはじめたからって
急に頭が良くなるわけじゃない。
30 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 02:46
ピーピングなら映画や漫画の方が、はるかに上だろう?
自分だけに語りかけるイミでも、今はビデオがあるし。
小説の特徴は「書かれた言葉」ということだろう。
書かれた言葉が、映像(語られる言葉)や描かれた画+セリフ(漫画)と
本質的に何がどう違うのか。
それを考える必要がある。その意味では、例えば、話し言葉と書かれた言葉の
中間のような様相を呈しているこの掲示板などは、
全く新しい「表現」として、ものすごく示唆に富んでいるともいえる。
31 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 02:51
>>30 そうそう。
小説=書き言葉を読む→場面を想像しながら、という能動的行為。
映像&漫画=筋も場面も与えられ観る者はただ受動的に鑑賞する。
その違いというのは、脳レベルにおいても非常に異なるだろう。
32 :
吾輩は名無しである :2001/07/08(日) 02:57
>>31 えー!?驚き。文学板の人全てがそう思ってるわけでは
ないことを祈りたい。
33 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 03:05
>>31 ベンヤミン「複製技術時代の〜」を読まれるべし。
34 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 03:07
>>31 原作小説から映画や漫画になった例は数多いから、
小説と他との、感受の仕方の差異は、個々の読者が実感するだろう。
むしろ、創られ方の違いを注目していけば、
それぞれのジャンルの特性と長所や弱点が見えてくるんではないか。
35 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 03:16
きれいに並列とは、なかなか行かないが
別に各ジャンルの優劣を論じる必要はないと思うが。
問題があるとすれば、私は割と読書量の多い方だが
よく本を読むというと勝手にいきなり「暗い」と思われたりすること
などにあるんでは。(因みに私は本なんか殆ど読んでないような顔を普段
するように心がけている)。
また、ちゃんと同じ本を読んでいる人と出会え、その本の内容について
語りあえるという機会が生じる可能性はかなり低い。(プロの編集者などは
また別でしょうが)
好きでもないのにワザワザ流行のテレビ番組の情報を仕入れたりしてる時が
自分としては一番情けない。
36 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 04:56
文学界とか群像とか文藝とかに応募しようとしているやつにも書き込んでもらいたい
スレだな。
37 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 06:05
>>34 宮崎駿が最近、アニメーション(バーチャルリアリティ)系物語の問題をさかんに言っているね。
感受の方法に映像と時間を使うがゆえに、限りなく現実に近い現実体験を感受者に与えるが、
それはやはり現実ではなく、なにか違うのではないかと。
感じているが言葉にするのは難しい問題なのか、宮崎も正確に語れなくて、触覚や嗅覚の例や、バイクと自転車の例、
体内記憶の例、などをだして語っていたが。
写真やアニメはどんなにリアルに描こうともリアル(現実)ではなく、自意識や作者の認識の中に
感受者(読者)を取り込んでしまい。本当の現実の肌触りみたいなもの(リアル)
から巧みに遠ざけてしまうのではみたいなことを言ってた。
バナナとか春樹は言葉でこのようなことをしている作家かもしれないが、
言葉は言葉であるがゆえに、言葉の描写力であるとか、批評性によって、
現実を感じさせ、現実の肌触りの記憶をよみがえらせるものとして
逆にいまこそ文学は有効ではないかな。
うまくまとまらんかったすまん。
言葉の力をあまり過信しないほうがよい。
まず「言葉の力」と「力をこめて書かれた言葉」が違うことを自覚すべき。
最近の読解力が落ちていることも一因だが、言葉が消費者に与える
喚起力はどんどん低下している。立場上、言葉を弁護すべき立場に
ある俺だが、あまり現実と遊離したことは言えない。言葉が喚起しうる
「リアリティ」とは何か?小説好きの、本屋ばかり漁っている人間
には有効な問いだが、逆に寓話がその寓話性を越えて、真実を
語ってくるということもある。それと2ちゃんは有効な批評機関
とはならないだろう。喋り言葉と書き言葉の中間にあるこの媒体は
あまりにも中途半端すぎる。
↑そんなことわかった上であえて挑戦シテンジャンハナシノ腰を折るのがスキね
40 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 11:59
>>38 言葉の力を全然過信(自信すら持てない)していないからこそ、このようなスレが立つのでは。
逆に他ジャンルはあまりにも、自分たちの力を過信しすぎていないか。
読解力なら他ジャンルも落ちてると思うぞ。
君は作家・批評家は読者よりも偉い、有能だということを、上から見下したような感じがぷんぷん臭う
書き込みをしてるが、君の、おれ有能、おれがんばってる、君たちはわかっていない忠告しといてやるよ
なんて書き込みはドウでもいい。
君は中途半端だと思っていても、参加する限りは、厨房でもないのだから、もっと有益なことを
書き込んで欲しかったし、最低でも伝え方を工夫するのがプロというものだろう。
その程度の能力では読解力の落ちてる読者に伝わらんぞ。え、プロの端くれさん。
見下し口調には、見下し口調で答えておく。
42 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 14:32
>>37 そうなんだよ。いま一番問われているのは、その辺。
つまり「リアルとは何か?」ということだろう。
芸術は常に、人間の現実の最も深いところをえぐるスキルだから、
時代と人間そのものが、「リアル」からの乖離という新たな情況に
戸惑い始め、新たな模索を開始しているのではないか。
遠隔音声をリアルタイムで聞く、ということから加速化した情報送受の拡大が
すぐに視覚へ及び、いまや五感の全てが「なま=直接接触」以外の情報に
四六時中晒されているといってもいい。2chもまた?(笑)
俺らは、自分の肉体を通してくる感覚そのものを、点検あるいは再認識して
次のステップへ向かおうとしてるのかもしれない。
だから逆に、ヒトの最も始原の情報伝達の現場であるそこ(書き言葉)へ
立ち帰ってみることを、なんというか本能的に?求めているようでもある。
テレビを捨てて長いが、
視覚経由の言葉だけを頼りに、自分自身が脳内で
情況を想い描いたり、思考を組み立てたり、感情移入して涙を流したりも
するという…プロセスは、とても刺激的だと感じる。
言葉を通して、書いた人間と出遭うと同時に
自分の思考や感受が鮮明になり、「俺が生きている」とわからせる。
2chも、刺激的だな。賛成、する?(笑)
43 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 14:35
↑追補 プロセス=書き言葉を読み解くプロセス
44 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 14:56
月刊誌みたいに書く場所を定期的に与えられている作家は、
作品に読者がつかなくても生き残ってしまう。
これは良いことなのか?
>1
一応過去スレも参考にして、
>>18,
>>20 「文学とは何か?」を、各自が自分なりに整理する。
それを前提に、
>>23>>37&
>>42 など、現時点で直面する問題についての
意見を出す・・・方向としては、そうか?
現実に溢れ返ってるクソもの書きや自称もの書きについて、
一々論じたってそれこそ時間の無駄、1があえてこのスレを立てたのも
そういうころだろ?
47 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 20:11
> 30 番目に同意。
48 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 20:17
49 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 20:24
「現代において文学の存在は意味があるのかな」
と思ったりするんですけどどうなんでしょう?
話が戻ってしまうのですが
今の世代の若者が文学作品を読まなくなったのは情報を得る選択肢が増えた事。
そして漫画や映画などの受動的な媒体に比べて
能動的な本の性質に面倒臭さを感じているからと思います。
じゃあ文学からしか得られない物はなんなのか。
それは「能動的に想像する力」なのかもしれない。
51 :
吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 06:14
↑前レスに君の疑問のヒントがある。
よかったらその後参加してね
52 :
超オソレス其処から先37:2001/07/10(火) 04:15
超長文です。すいません。私にはむずかしすぎるので
リアルとは何かに今すぐ答えは単純にでないかもしれませんが、とりあえず、私が感じていることを
ある種の表現が歴史を積み重ね成熟してくるとでてくる問題なのかもしれませんが、
表現の形式化・概念化・認識化・自意識化があると思います。
37の続きということで宮崎が語っていたことを例に取りますが、彼がここ10年ぐらい
前から自分の所にくるアニメータ達を看ていて特に感じたことらしいのですが、いまの
若いアニメーターは描写的絵が描けないらしいのです、何かを食べるところとか、動きや
感情の表現などがまったく描けない。いちいち眼の前でやって見せたりしてもどうもうまく
描けない。しかしオタク達の中でよく見られることなのですが、いままでのアニメの歴史の
中で形式化された絵は非常にうまく描けるし、洗練されてもいる。と語っていました。
ここからは私の私的解釈ですが、つまり、彼らの認識は概念・風景が先にあり、事物を見ていない。
あるいは、概念・風景のフィルターによって、事物をみている。
もちろん、ビジュアル表現そのもの(言語表現も)そのようなものなのですが、しかし、
大まかにみれば、同じ概念体に属する人間が危機を感じるほど、風景化が進みすぎている。
表現が仲間内(共同体化)しすぎて、批評性を失い。その共同体の暗黙の了解、歴史・趣味を共有
するものにしか感じられない。(異質すぎて感じることはあるでしょうが、精神病の表現のように)
これによって、オタクはすごい、文学などでもわかっている俺たちは有能だ、などという方が、
あるいはその共同体の中での旗手を気取る方がいるのですが、そういう今日のコミュニケーションをも
含めた問題が見られると思うのですがドウでしょう。
53 :
吾輩は名無しである:2001/07/10(火) 06:47
>52
面白い意見だと思いました。
でも、この意見は、なかなか理解して貰えないでしょう。
集団に属する人は、気づかない発想ですから。
表現の形式化、概念化という部分に関しては、共同体云々以前に
教育方法の問題があると思う。少なくともこの国においては型から教えていく
方法が主流だから。
55 :
吾輩は名無しである:2001/07/10(火) 10:25
映画や漫画やアニメVS文学
さぁどっちが勝つかw
56 :
吾輩は名無しである:2001/07/10(火) 10:26
素直に諦めろよ。
もう文学は消えるの。
文学が映画や漫画やアニメに従属するようになるの。もうなってるけど。
と、一アニヲタより
57 :
吾輩は名無しである:2001/07/10(火) 11:14
あえて、レスがつきやすいようにしているだけで、映画や漫画やアニメを貶している
わけではないだろ。ただそれらとの比較、や同時代性を見ることによって、文学の自明
性を疑い。閉塞した表現状況あるいはコミュニケーション状況の結節点というか、
突破点を真摯に語るスレだろ。
名スレの予感。
>>57 >文学の自明性を疑い
大賛成です。
ついでに映画やマンガやアニメの自明性も疑っちゃいます。
ところで、ここで文学が映画やマンガやアニメに従属するとのたまっている
アニヲタ氏に質問があります。
私も映画は大好きですし
(ヒキコモリだからDVDやVHSで観ます、最近ハードディスクレコーダーがほしいんですよ)、
マンガもまあそれなりに読みますが、
映画やマンガやアニメはその構造上、イメージ化がしやすく、
安易に観るものにイメージ操作できるメディアだと思います。
「映像の政治性」というのでしょうか、
あるイメージ以外を予め排除することが文学に比べて比較的容易です。
ここからファシズムとの親和性など、諸問題も抽出されると思いますが、
そのあたりはいかがでしょうか?
なお、もちろん文学とイメージ化も切り離せない問題だとは思いますが、
映像や音響がないがために映画やマンガやアニメよりも
イメージ化しにくいものと思います。
いや、イメージ化の文法が違うのではないかと考える次第であります。
たしかに…
「文学=書き文字」で育った世代としては、小説から映画を作っても
全然別物だという感じがするんだ。エンターティンメントとしては映画も楽しめるが、
そこに描かれる内容の伝達性(=作者が言おうとすることが受け取り手の方にいかに
正しく且つ深く伝わるかということ)については、小説の方がはるかに上だと
例外なく思うんだな。
しかし、子供の時からアニメと映像の中で育って、ろくに本を読まない人間にとっては
いったいどうなのか? 現時点で問われているのはそのことじゃないだろうか?
>56のような世代?にとっては、映画の原作となった小説を読ませたとしても、
全くのところ、深い読み取りとか理解が不可能なのではないか、そもそも。
「書かれた文字」から、自分の脳で場面を想像してゆく、という「感受の機能」が
未発達なまま放置されて、アニメや映像のシャワーを受動的に浴びるしかないところへ
退化し始めているのではないか? そういう危惧すら感じられる<時代
60 :
吾輩は名無しである:2001/07/10(火) 19:41
そういえば、こんな話を聞いた。
昔のゲームは、ちゃちなのが多くて、敵キャラが「A」の文字だったりする。
だが、遊んでる時は、それがエイリアンに見えていた。
今は、敵キャラはアニメの映像で、しかも幾つも自由自在に動いてくる。
今の子供に昔のゲームを見せても、つまらないと思うらしい。
/ ̄ ̄ ̄ ̄\ )
ハア / J uJ J u \ ( )
/ u J ━ ━ |
| J J (・) (・)| ハア
( )(6 J J つJ )
( | J u┏━┓| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ハア\ J ┃□┃| < このスレのみんなにLOVEを感じるよ
|\/ ̄ ̄ ̄|_■■■/⌒\________
\.| ノア | .\ / ̄ ̄ヽ
\三沢の| /⌒⌒ヽ / \
\全て.|・ | \ ( 人 ) / ヽ
\_| / ゝ ヽ \ / |
\. |;; | \/ | |
\ _l |;; ;;; |\__/ | |
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\ / ;;
62 :
ろむ:2001/07/11(水) 00:53
そこから先が読んでみたいのでアゲ
63 :
吾輩は名無しである:2001/07/11(水) 04:23
この国は所属や同一化、なかよしこよしを望むので、言葉が道具で
あるということに、無自覚すぎるのかな。
他人のいない村社会に厳密な言葉は必要ないし、厳密に何かを伝えて、わかってもらおう
他者に認めてもらおうという欲望がなければ言葉は必要ないものな。
でも、難しいよね、メディアなどによって、一億総仲間化(大共同体・世間)が進んでるし。趣味やファッション
による小宇宙(小共同体)化も進んでるし。
だからこそ、言葉(文学)は危機に瀕しているし、言葉は浮上せねばならないとも、
いえるのだけど。
コミュニケーションを描く文学が必要なのかな。
64 :
吾輩は名無しである:2001/07/11(水) 07:17
確かに、分野ごとに書かれてる内容が似てきている。
説明不足、言葉不足でも、仲間同志なら、わかりあえる。
昔の名作の方が、言葉に重みがあるような気がする。これは私見ですが。
>>58 テレビでは「映像と音声」が、漫画では「絵と台詞」が主要素であるだけの話です。
文学では「言葉」なんでしょう?別な意味での「力」はとてつもなくありますよ。
私はコンピュータ関係の本をよく読みますけど、テレビでは間違いなく頭に入らない。
力が弱いほうがいいなら、文学などと称してその力学を研究する必要がどこにあるんでしょうか。
あと、漫画やアニメの同人などはイメージ操作など全く効いていませんね(w
>>59 文字という少ない情報量で何かを伝えるのは、作者と読者に共有するものが
少なくなった現代では映像に比べて難しくなっただけ。
それなのに、いつまでも「説明不足の」書き方しか原理的にできないのが文学。
その心配は、「文学」の衰退ではなく、きちんと説明しようとしている本も読み取れ
なくなっている兆候が出てからすればいいと思います。
「表現するための本」ではなく、「伝えるための本」は、生き残ると思いますし、
文学に対する感受性が衰退しても、「読み取る能力」には関係ないでしょう。
66 :
ロム人:2001/07/12(木) 05:28
うーん。大事な問題の核心をついたいいスレだと思うのだが、伸びないな。
53氏の言うとおりになっているのか。
抽象的な言葉を使いながら、まったく何も言ってない知識と知識の戯れのようなスレ
は伸びるのに。
平易な言葉で書かれながら、抽象的で核心的なことをテーマにしているだろう知性的な
コノスレが伸びない。何か核心から離れていっている気もするし。
そういうふうに考えれば、37や52氏の定義がこの文学版の各スレにも当て嵌まっていると
いえるのか。
おしいな。でも俺もうまくレス付けれんのだよな。
とりあえず、あげとくよ
このスレを立てた人に疑問なのだが、とりあえず「文学」の
他のジャンルに対する優位性を単純に主張しているわけでは
ないことは分かった。だがそれの論じられ方というのは、
まるっきり「文学的」なのではないだろうか? もともと
文学の人だからかもしれないが、他ジャンルを「文学的」に
論じても結局陥穽に嵌るだけだと思う。他ジャンルを論じる時は
そのジャンルに見合った論じ方をしなければならないし、
それ故にこのスレでまだ明確なアニメ・映画と文学の具体的な
比較論ができていない理由であると思う。具体的に考えれば、
例えば映像と音声の喚起力は、言葉のもつ喚起力とどこが
どう違い、どこが優れているいてどこが劣っているのか?(これはかなり難しいと思うが)
またなぜ最近になって人は言葉を疎み、本を読まなくなったのか?
(←これは明白な事実のようである)言葉に敏感な人々だけが集まって
「文学」を謳歌しているだけでは、「文学」はやはり衰退し、いずれ
ごく限られた人員だけが面白がる、インパクトも何もないジャンルに
陥ってしまうだろう。(もうなっている、という話もある。)
自分としては上記のような「文学」のひとりよがりさを指摘しておきたい。
68 :
66:2001/07/12(木) 06:35
↑そこが厳密に論じるのがとてつもなく難しいからスレが伸びんのだよ。
私は1ではないが、1氏の論理を見ていくと、文学の自明性を批評し、相対化し
問い直すために、他の表現や同時代的なアニメなどを例にとっているだけの
ような気がするが。
抽象的なことをたとえる例として、使っているだけなのに、スレの名前の
せいか、映像擁護派が過剰に反応しすぎている気がするのだが。
文学を論じたいのであって、映像を論じれるとは思ってないんじゃないかな。
最終的には67氏のような方向にいくかもしれないが。
うーん文学に自閉してたらそもそも比較さえせぬと思うが。
別に文学の優位性を殊更強調するために、映像を使ってはいない気が。
ただ、考えれば考えるほど深すぎるんだよなコノスレ。
でも、なんでサゲが多いいの。
1=37=52=66=68
70 :
1・37・52・66・68か:2001/07/12(木) 06:57
↑もし、そうだとしても意図があるのでは、
スレの性格上コテハンにすると、論理の展開や語り合いよりも
1をへこます、やり込めるという動きにでて、
スレは伸びるが語りは進まないことに。
それがみたいものが、多数かもだけど。
自作自演サゲサゲ
しかしそれは議論の性格上、しょうがないこと。
議論では意見の一貫性が求められる。一貫性のない人の
意見は、疑われても仕方ないと思うが?
サゲ
まあ(1の議論も)どうでもいーちゃあどうでもいいが
じゃあ落とそう落とそう
これ以後放置ということで。
77 :
吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 08:16
71=74=75=76=単なる煽り←放置
>>1-27を読めば、1が真面目でまっとうな奴だということは自明だ。
だからこそ、自分で立てたスレだからと、力が入り過ぎたのだろう。
50も過ぎれば、レスが伸びるかどうかは、立てた奴の責任ではない。
参加者の興味が続いて論議が盛り上がれば続くし、
レスの書き方が拙くて、他の人間の意欲を喚起しないようなら、
自然に終息してしまう。だから、1は一人の参加者として加わるにしろ
ロムるにしろ、もっと気楽にしていればいいんだ。>1
ところで1が呈示した
>>37>>52の宮崎氏の発言は、示唆に富んでいる。、
>ここ10年ぐらい 前から自分の所にくるアニメータ達を看ていて
>特に感じたことらしいのですが、いまの 若いアニメーターは
>描写的絵が描けないらしいのです、何かを食べるところとか、動きや
>感情の表現などがまったく描けない。いちいち眼の前でやって見せたり
>してもどうもうまく 描けない。しかしオタク達の中でよく見られる
>ことなのですが、いままでのアニメの歴史の 中で形式化された絵は
>非常にうまく描けるし、洗練されてもいる。と語っていました。
これは、単にアニメに限らないのではないか? 言葉=文章もまた、
同じような傾向にあるのではないか?という疑問が湧く。
このスレ単独ではなく、別スレと相互に連携しながら(参加者はダブる
だろうから)、その辺りを探りたいと個人的には思う。
↑77を書いたのは42だ。念のため。
79 :
吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 22:48
どうした? こっちはやめか?
mukouniiitokodorisaretetyotutoaware
ループ・スレも同じ人間が立てたんだろ?
スレ・タイ見れば分かるよ。変な小細工しやがって
あのスレを立てたのはこのスレの38だよ。
私はアニメはほとんど見ませんが、
例えば宮崎アニメは何本か拝見させていただいたことがあります。
絶賛されてばかりいますが、イメージによる政治的な操作がかなり行われていますよね。
宮崎アニメには梅原猛氏らが80年代に唱えた(今も?)新京都学派的ポストモダン的論考が色濃く反映されていますが、
映像と音響と、そして―これが意外と重要なんですが―宮崎アニメを取り巻く絶賛の言葉によって
それが何の疑問もなしに入ってきてしまいますね。
穏やかな洗脳というか、何というか・・・。
宮崎アニメだけをとっても仕方ないかもしれませんなが、
映像と音響による政治的なイメージ操作は
文学よりも悪質なのではないかと思う次第であります。
84 :
吾輩は名無しである:2001/07/13(金) 15:46
政治的なイメージ操作って・・・例えば?
85 :
吾輩は名無しである:2001/07/13(金) 23:45
なんか、文学板って、議論しているうちに、
おかしな意見がでてくるよね。
86 :
吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 01:09
それもそれでおもしろかったりして
>>83 それ語るなら別スレがあるだろが<「文学と政治〜」スレ
映像にまで拡げて語るか、映画板逝った方が適切。
88 :
吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 02:02
大学で文学は芸術か?ということについて授業やったことあるなー
89 :
吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 03:04
表現における政治って、思想とかイズムの伝達ってこと。それとも、人間が生きる上でのポジションどりとか戦略ってこと。
まあ、文学と政治スレがあるけど、ひとによって、其処らへんがごっちゃになっているんじゃないか。
後者の意味では阿部などは政治的な作家だよな。作品のレベルというよりも、なにか村社会の政治的な文脈で評価されてる気がする。
90年代作家ってそういうものなのかな、赤坂なんかもそうだけど、ある種の層の社会への主張というか、自分らの存在を認めさせ社会に居場所を作るための戦略
機関誌というか、そんなものになってないか作品が、W村上以後。J文学なんてのもそんな感じがするし。
ジェンダーやファッションやアダルトチルドやポストモダンやダメ人間とか無自覚に自分をオシャレな若者というイメージに同化させようとしてる奴とか。
そういう奴の中の洗練されてる者を代表者(作家)にして、あたしたちはこの様であってもいいんだ、なんて、安易な承認を提供している。
よんでいるやつも、読者というより、ファンだよな。
90 :
吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 03:24
そお言えば、そういう作家のファンは2ちゃんでも痛いのがいるよ、というか、
そういうのが主流か。
作家と作品はあたしまたはあたし達の日常になっていて、無批判にマンセーなんだよな。
自分たちに対する他者の視線を排除するし、イコール自分だから、語り合いでも、
どんな手を使っても勝とうとするし(自分で自分を肯定しようとする)、対話が成立しないんだよ。
しかもその主張がしゃべりばとかニュース23とかで語られるような幼い主張なんだよな。
ジャーナリズム厨房・ドキュンというか。何なんだろうな。
ところが、そういうのの批判ぽい文学界とかも、両村上がなかったかのような
器用なだけの自然主義崩れみたいな新人ばかり世に送り出してるし、
なにか、足りないんだよな。
ごめん同一人物です。追加のつもりだけど。
前のほうで自作自演とか言ってる人もいるのでいちおことわっておく
後から読むとうまくつながってなくて、自作自演ぽくみえたので。
92 :
吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 07:20
頼むから、もう少し読みやすく書いて。だるい文は読むのも疲れる。
93 :
吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 22:37
>>90 ちょっと読みにくいぞ。
私は最近、女性の日常日記のウェブサイトなどをよくのぞいているのですが、同じ
ようなことを感じますね。
其処には彼女たちの孤独や、匿名ゆえに明かされる性体験や、男とのディスコミュ
ニケーションが、彼女たちなりのやり方で記されているのですが、男の私はそれを
読んでも、「それで」「だからどうしたの」という感想しかもてないんですよね。
そしてこれは、最近の小説を読んでも同じように感じる感想なんです。
例えば同じテーマで書かれていても、
夏目漱石にはそんな感想を持たないんですよね、そのチガイは何でしょうね。
わたしのも読みにくいかな。
94 :
吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 22:39
>>90 ちょっと読みにくいぞ。
私は最近、女性の日常日記のウェブサイトなどをよくのぞいているのですが、同じ
ようなことを感じますね。
其処には彼女たちの孤独や、匿名ゆえに明かされる性体験や、男とのディスコミュ
ニケーションが、彼女たちなりのやり方で記されているのですが、男の私はそれを
読んでも、「それで」「だからどうしたの」という感想しかもてないんですよね。
そしてこれは、最近の小説を読んでも同じように感じる感想なんです。
例えば同じテーマで書かれていても、
夏目漱石にはそんな感想を持たないんですよね、そのチガイは何でしょうね。
わたしのも読みにくいかな。
95 :
94:2001/07/14(土) 22:40
二重カキコ失礼
96 :
吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 22:59
>>93 才能の有無、といってしまえばミもフタもありませんが、
それより以前の、他人様にお読みいただく為にはどう書けばよいか、という
基本的配慮がまったく欠けているからでしょう。
別スレに↓こういうカキコがありました。(勝手に引用スマソ>書いた方)
46 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2001/07/09(月) 23:08
『一億総モノ書き』の時代へ突入の感がある。
なにしろ猫も杓子もHPで、どーしょーもない日記に毛の類いを
やれ創作だ詩だ、批評ください云々とノボせまくっているわけだろう。
しかも、ただ出遭いを探す孤独な放浪者がそれにレスつけて、
あっちでもこっちでも「君の作品は」「私が書くものは…」
……これはまさに、異常な現象だよ。2chなどがそれに拍車をかけてるのも確か。
この板だけ観察しても、出版時代?とは何もかもが激変していると感じる。
97 :
吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 23:03
前レスに本を読まなくなったのが問題ではといっていた人がいたが、
本とコンピューターのサイトに百日議論、なぜ人は本を読まなくなったか、
というコーナーがあった気が。
ちくまの社長とか、上野千鶴子とか語ってたよ。読んで見ては。
98 :
吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 23:07
99 :
93:2001/07/14(土) 23:11
>>96 わたしもその意見には同意なんですが。(96さんの才能の有無にも同意です)
このすれを読んでくるとまた別の理由もあるのではないのかと。
難しいんですけど。他者を排除しているというところにヒントが
あるのかな。それとも対象に対する視線の違いなんですかね。
100 :
吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 23:25
>>93 とりあえず、認識と関係のちがいと言ってみる。
あるいは、直線的世界観と三角形的世界観とも。
101 :
吾輩は名無しである:2001/07/14(土) 23:28
徹底的残酷さとも
または
他者と出会え
>>96 ニチャンは他者と出会う可能性があるのでは、
ホームページは仲良しサローンになってるが。
出版はこれらをふまえて自分の立ち位置を定めていないか。
103 :
吾輩は名無しである:2001/07/15(日) 11:04
なんか頭の中が混乱してきた。スレの流れはどうなってて、
どんな問題が出てきたんだ。
たくさん出てきて、いっこうにまとまってないな。
把握してる人いる。
↑といってもこのすれ住人少なそうだ。
4・5人だったりして。
105 :
吾輩は名無しである:2001/07/15(日) 17:28
そろそろ具体的に現役作家とか例に出して語らねえか。
106 :
吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 07:50
それでは。例えば阿部をこのスレの方はドウ思われますか。
映画学校出身、蓮見・ポストモダンのエピゴーネン、戦略的、政治的作家。
そろそろ芥川賞を受賞して若手の旗頭にされそう。
このスレで出ている問題の、症例的作家だと思うのですが。
彼はリアルが描けているのか。
107 :
吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 12:53
最近この板のあっちこっちで見かけるけど、そもそも「リアル」って何なのさ?
>>106 それは単なるプロフィールみたいなものであって、ここで問題視されてる症例には必ずしも当てはまらない。
阿部の小説なんかよりも、エンタメ系の作品(いろいろありすぎるが)のほうがここで論ずるにふさわしい気がするが。
いずれにせよ、症例として取り上げられるべきなのは、あくまでも作品内容なんじゃないの?
作家自身の経歴や姿勢なんて、少なくともこのスレではどうでもいいことなわけで、作品上での表現力や技法をこそ議論すべきだろ。
それだけじゃ物足りないというのなら、マーケティング戦略とかを含めてもいいかもね。
109 :
吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 18:36
アニメやゲームははっきり言ってカスが多いぞ。
多いんだぞ、全部が全部じゃないけど。
まったく物語りの構造にはまっちゃっているようなものがほとんどなんだぞ。
110 :
ノット106:2001/07/16(月) 18:43
>>108 作品内容や技法や表現力やマーケティング戦略からみても、現今の問題を代表してないか
阿部は。阿部スレを読んでいて思ったのだが、批判者の多くは阿部の作品を読んで、
「それで」と思うらしい。とにかくこのスレの問題意識とかぶるところで、阿部を
物足りないと思うものは、思ってるのでは。
受容され方からW村上などとの違いも見えてくるし、彼は映画の問題意識を取り入れて小説を書いてるが、
それが小説として機能しているのかどうかとか。
111 :
吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 18:46
ここ見てると何だか涙が止まらないよ。
君たちはまるで、タイタニックの楽士だよ。
もう沈んでいるんだよ。
112 :
吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 18:50
物語の枠にはまっているものも、
物語の枠にはまっていないものも、
どちらも糞だ、ということかな・・・
113 :
吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 18:51
↑阿部の評価者はあそこのカット割りはいいみたいなことを
映画風に言えば言うしな。クリシュとしかいいとこをあげないのだよ。
矢印は110へなんか勘違いしてる文学批判者もいるな。
前レス読んでるか
115 :
108:2001/07/16(月) 21:12
113と114は意味不明なので、わかりやすい日本語で書いてください。
それと
>>110 だからそういうことはわかったから、そんなに阿部を取り上げたいのならまず作中から具体例を引っ張ってこいよ。批判者がこう言ってるから、とか何とかじゃなくてさ。
お前が阿部の小説のこの部分をこう思った、って書かなきゃ議論にならねえだろ。大体、「それで」と思うらしいって、何も言ってないのと同じじゃん。
分析も何もない。馬鹿丸出しの発言だな。
そんなんだからタイタニックの楽士とか言われちゃうんだよ。ほんと文学板ってレベル低いな。
何でそんなにめちゃめちゃけんか腰なんだ
117 :
吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 21:19
ほんと文学板ってレベル低いな。 ってことを
文学板で言うあなたの身振りの意味を教えてほしい。
君は君で、何か言っているようで何も言っていないし(ワラ
118 :
吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 21:21
109言い換えてみました。
文学は、はっきり言ってカスが多いぞ。
多いんだぞ、全部が全部じゃないけど。
物語りの構造になっていないものがほとんどだぞ。
耳に痛い言葉になりました。
同時間帯に書き込んでるので、ループスレと同じ奴が多そうだが。
こちらは語りあわずに、相手をへこましたいだけの厨房レスを
あえて付けるな。ほとんど同じことをこの時間帯はかきこしてるのに。
向こうは紳士でこちらは煽りなんで
日本語の意味和歌欄っていわれたからって、わざと(、)
省いて読みにくくするなよ
121 :
吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 21:29
自分から何も言わずに、相手のレスの揚げ足をとって、
勝ち逃げしたがるのは厨房の証拠。
煽ってるの同じ奴だろ
123 :
吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 21:40
もう終了したら。
ループスレのレスは、話を継ごうという意図が感じられるが。
こちらは、相手の言っていることにレス付けないで、話を切ろう
という悪意が感じられるぞ。
終了させたいんだろ。
124 :
吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 21:42
この時間帯はどちらも同じ現役作家ネタなのにな。
いま向こうでは阿部の話だ。こっちで誰かがネタ振ると、
ループスレにレスが付くな陰謀だ陰謀。w
/\
∧_∧ / \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・)/ \< イパーイツレターヨ!!
( ⊃ )/ \\____________
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彡川川川三三三ミ〜 ↓(^O^)彡川川川三三三ミ〜
彡川川川三三三ミ〜 彡川川川三三三ミ〜
(^O^) (^O^)
(^O^) (^O^)
多分ここは、自分とは異なる他者の思考に触れて、
それによって自分の思索を鮮明にさせると同時に、
様々な個性が自由に発想することで、その交錯と混沌の中から突如、
新たな方向へのヒントがおぼろげにであれ浮上するのではないか…というふうな、
漠然とではあるがそうした興味と期待を孕んで続いているスレ、ではないのか?
少なくとも私は、そういう意味でロムっている。
既に小さなヒントはあるし、これからを期待したいが・・・。やめるか?
/\
∧_∧ / \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・)/ \< イパーイツレターヨ!!
( ⊃ )/ \\____________
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彡川川川三三三ミ〜 ↓(^O^)彡川川川三三三ミ〜
彡川川川三三三ミ〜 彡川川川三三三ミ〜
(^O^) (^O^)
(^O^) (^O^)
129 :
吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 00:20
age
130 :
1:2001/07/17(火) 00:35
やっぱ絵画に敵うゲージツはねーわな。
>>130 13 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2001/07/14(土) 02:49
それを言うなら・・・、原始、
まずヒトは美しい花を見て、茫然自失したな。それから
眼で見つめ手で触れ花で匂いを嗅いだ…ここまでが自然(外界)との直接接触。
次に彼はカンドーのあまり声を洩らした…まずは奇声、そして旋律をつけ…
音楽の発生。
そして彼は、目の前で盛りを過ぎて散り始める花を惜しみ、棒を握って
地面にその姿を描いた…絵画の発生。
数日後、散った後の茎と葉を、他者が何気にムシって捨てようとした。
すると彼は、それを止めて、何かを伝えたい、と思ったな。何を?
花が咲いていたんだ、と。それはとても美しい花であったのだよ!と。
彼はまず他者に、自分が地面に描いた絵を、指し示したな。
他者は、首をひねった。そこで彼は、花を見た時に思わず自分の口から出た
奇声とついで旋律とを再現してみせた。だが、それでも他者は、
???という顔をしている。
その時になって初めて彼の心に、もっと他のものが要る!という焦慮が兆した。
・・・やっと「言葉」への模索が始まったのさ。
幼児を観察してごらん、現在でもヒトは 原始時代とまったく同じ
プロセスをたどって「言葉」まで行き着くんだよ。
↑
だから、何故言葉をも必要としたのか? そこが最も肝心だと
いいたくて立てたわけだろうよ、このスレを?>1
ここまで小説(文学ということにしておくよ)が読まれなくなった現在。
はたして、文学が何かを伝える表現芸術として、これからも存在していけるのか。
いけるのなら、他ジャンルなどと比較した場合、文学とはなにに優れた芸術であるのか。
言葉の力や文体の面で生き残っていくのか、時代状況の閉塞を打ち破る主題を描く物語と
して生き残っていくべきか。
また、文学は出版という形式に依存してきたが、インターネット化や漫画などによって
どう変わっていくのか。絵画や古典音楽のような道を歩むしかないのか。
ここ数年の芥川賞の状態などをみても、もう一度文学とは私たちにとってなんであるのかを、
あえて語らなければならないときにきている。というのは
1が議論進行のために提示した具体例
>>37>>52 この意見に縛られる必要はまったくないが、とりあえず参考までに。
>>131 言葉は他者とつながり、あるいは向き合おうとするものでありながら。
同時にコードの共有によって(こういう表現でいいかな)、他者と出会わないようにしてしまう道具でもある。
おそらく、伝えよう、伝えたい、という根源的な願望によって、発明されたものだが。
他者をはじき、コミュニケーションを蛸壺化させてしまうものとしても、非常に有効に
機能する。
すごく難しいところだ。
136 :
吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 07:22
>133
文学がこれからどうなるかの議論は、散々他でも行われてます。
結論は、生き残る物は生き残り、消える物は消えると。
下がりに下がってるな。
かなり鋭い認識だと思ったのだがな。
蛸壺に篭っているものには理解できなかったのかもな。
まあ、何か気づかせてくれたのは確かだ。あんがとな<1よ
マジレスデ
138 :
吾輩は名無しである:2001/08/11(土) 23:00
単純なことだけど、小説のいちばん優れている点は
「一人で作れる」という所だと思う。
映画にしても、演劇にしても、集団の中で物語を作るのであって、
一人の人間が作品のすべてに関われるのは小説しかない。
一人の人間が大勢の人間に対して切実に訴えたい時、
小説しかないような気がする。
どうでしょう?
139 :
たたき台:2001/08/12(日) 00:31
でも本っていうメディア自体はたくさんの人の(装丁、印刷なんかのことね)手を経てると思うけどな。
内容面にしてもプロ作家の書いたものは概ね編集者によってかなりチェックを受けているのではないかと思われるのだが、そのへんどうよ?<138
140 :
138:2001/08/12(日) 16:36
うーむ。なるほど>139
じゃあ、具体的な話をひとつ。
僕はむかし映画に関わっていたことがあるんですけど、
このメディアってものすごく社会的、興行的な側面が強いんです。
例えば、誰が出演するかを前もって決められていたり、
ロケーションする時、予算の問題で監督の使いたい場所を使えなかったり。
それと映画って作る時にすごいお金かかりますよね。すくなくても何千万、
多くて何十億。(日本の場合です)
そうなるとその作品は「絶対に」そのお金を回収しなくちゃいけないんです。
だから実験的な作品は敬遠されるし、作れたとしても低予算。
それに一回興行的に失敗した人はもう作れない(あるいは作りづらい)というのが
映画の現状なんです。
そしてこの体質は変わらないものだと思います。
そういう映画と比べてみると小説の表現の自由度って言うのは
これからの世代にも魅力的に写るんじゃないかな。。。
僕は思うんだけど、たしかに昔の小説が持っていた栄光っていうのは
かなり失われていると思います。
ただ、「紙とエンピツとみかん箱」があれば誰にでも作れて、
しかも学歴、年齢、性別、持っているお金が関係ないメディアって
小説しかないんじゃないかな。
141 :
吾輩は名無しである:2001/08/14(火) 15:10
よし、これも文学スレ
142 :
吾輩は名無しである:2001/08/14(火) 18:05
>>140 漫画はどうなんのよ。
一応紙と鉛筆とペンと蜜柑箱があれば描けるぞ。
143 :
吾輩は名無しである:2001/08/14(火) 18:44
>
僕は思うんだけど、たしかに昔の小説が持っていた栄光っていうのは
かなり失われていると思います。
ただ、「紙とエンピツとみかん箱」があれば誰にでも作れて、
しかも学歴、年齢、性別、持っているお金が関係ないメディアって
小説しかないんじゃないかな。
まあ、これはうそだ。
駄作・力作は作れるが。飛びぬけて本当に自由と創作というものがなんなのかをかんじさせるものは
つくるのに
高くついてる。英才教育。もちろん通常はしてもむだ。
一握りの人間のものさ。これいっちゃおしまいだが。
144 :
吾輩は名無しである:01/08/31 10:59 ID:QiPkzixE
age
人間は言葉でものを考える。
146 :
吾輩は名無しである:01/09/23 15:53
>>145 そうじゃないひともいますです。
脊髄でかんがえるひととか。
147 :
吾輩は名無しである:01/09/24 04:08
文学が他のジャンルと違って素晴らしいのは、それが「人間いかに生きるべ
きか」を問うジャンルだからです。たんに面白い物語を伝えようとするだけな
らマンガや映画に譲っても構わない。しかし、文学はそういうことだけにおさ
まるものではない。「凡人がいかに生きるべきか」これがある限り、文学は不
滅です。大衆的人気として、アニメとの比較などが論じられてますが、もう別
に大衆性なんかなくてもいいではないですか。J文学とかいって、喜んでいる
人たちには、それだけの味わいしか得られないでしょう。文学の凄みは、そん
なものではないですよ。かつて大江健三郎が「死んだと思っているが、突如と
してものすごいパワーをもつものが文学だ」と言ってましたが、同感です。
我々凡人がいかにして生きるか。これが文学の本質です。だから不滅です。
寒っ!
149 :
考える名無しさん:01/09/25 10:35
しかし、ラシュディを文学と呼んでいいのだろうか?
150 :
吾輩は名無しである:01/09/25 12:56
文学の独自路線はどこまで許されるかと言うと、出版社の経営を圧迫しないまでだと思う。
そこを超えてしまったら、今度は文学の存在その物が危機に至ってしまう。
だけど文学者はその危機を意識すらせず、中には大衆作家や一般人を批判する穀潰しまでいる。
文学の危機は文学者その物が招いた物である。それ以外の人には責任がない。
151 :
吾輩は名無しである:01/09/25 14:39
>あえて言おう、それでも文学は最高の芸術であると
文字の読めない人を疎外する最低の芸術
>>151 それを言うと、鑑賞の才能の無い者を除外する、芸術というものは、人類が生み出し
たモノの中で、蓋し下賎なモノの一つである という極論が生まれるかと。