文学に物語は必要ですか?

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1吾輩は名無しである
文学に物語は必要ですか?
いちおう文学≒小説ってことで。
必要ですかっていうか、必要性とか意味とか。どうでしょうか。

日本には背景となる聖書のような物語がないのに、
物語を持つ諸外国の文学と同じ概念が成り立つんでしょうか。
どうも現代の小説は物語を過信しすぎているきらいがあるように思えるんだけど。
だからおもしろくないような。。。  激しくガイシュツの予感。。。
2吾輩は名無しである:2001/07/02(月) 23:23
大江健三郎スレ最初から最後まで読めばいくらかヒントがあるかもよ。
3吾輩は名無しである:2001/07/02(月) 23:27
ありがとうございます。早速読んでみる。
4吾輩は名無しである:2001/07/02(月) 23:57
大江スレ読んでみましたがどうもわからなかったです。

てか、さびしいな。なんか書いてくれよう。
5吾輩は名無しである:2001/07/02(月) 23:59
物語を主題あるいは未来への意志ととらえてみては
6吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 00:06
武器としては必要かと。
7:2001/07/03(火) 00:09
フフフ。
でも読む価値あるだろ?
あそこ。
8吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 00:18
あんさんいけずやなー
9吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 00:33
その前に、1が「物語」がどういうものか定義すべきでは?
10:2001/07/03(火) 00:59
【俺は妹と風呂に入っている】を最初から最後まで
読めばいくらかヒントがあるかもよ。
11吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 09:53
各スレの矛感。。。
12吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 10:05
遠く離れたひとたちが10年以上前にやったネタかい?
13吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 10:22
「小説から遠く・・・なんちゃら」てやつですね。
14吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 10:27
そして「文体」だけが残る、と。文学は言語、日本語、ひいては未来の
国語辞典のためにあるわけだ。
15吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 10:43

ワタシは物語が興味深くなければウケ付けません。
文体なんて糞食らえ。作家の自己マンの小細工なんて
見ていて反吐が出る。(本当に上手ければ文句はないが・・・)
16吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 10:57
文体っても、いろんなレベルがあるやん。
たんなる「語り口」と一緒ではないと思うが・・・
17ぐるぐる:2001/07/03(火) 14:23
>>1
つまり、「筋の無い小説」ってこと?
18吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 14:42
ぶんたいぶんたいというが、日本語は本当にそういう質の言語なの
そりゃフランス語はそうでしょうけどね、フランス語と日本語の
チガイを無視して、おフランスでの当時の流行を当てはめようとしてない
19吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 14:44
文学に物語は必要ないということは自明。
芥川と谷崎がすでに論じてます。
あとは好き嫌いの問題。
物語はあってもなくてもオーケー。
市場の問題は文学とはまた別のこと。
20考える名無しさん:2001/07/03(火) 14:49
>>19
ヴァカ!
あの論争では芥川の負けだろ!
21吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 14:53
単純に負けとは断定できない。
文学論争は普遍的なもので問題は現在も継続。
ボクシングのように簡単に勝ち負けが分かるものではない。
それに私は論じていると言っているだけだ。
ともかく、文学に物語は必要ないということは自明。
22ロム:2001/07/03(火) 15:18
自明というやつに限って、自分と違う意見のやつと語ろうとしない。
超然的で自分の論理にうっとりと自閉してるだけ
いまの、込みニュケーショント、文学一番の問題
しかし、そういうやつは、テーマなどないのだと無視する
23我輩は馬鹿である:2001/07/03(火) 15:24
>>1
物語の定義をしろよ。一般的に・・・じゃ、わけわからないぜ。 (w
24吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 15:30
私が文学に物語は必要ないといっているのは、物語はあってもなくても文学は成立するということです。
物語があってはいけないといっているのではありません。
では、「物語があるもののみが文学である」と断定したらおかしくないですか?
そもそも「物語」という定義そのものが簡単ではありません。物語って何?
ただし、物語がある小説が好きだというのは自由で、以上の趣旨とは何の関係もありません。
25吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 15:33
≫18
日本語はめちゃめちゃ文体関係ありますよ。
26吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 15:33
個人の好き嫌いでいいんじゃないんすか?
27吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 15:35
>>24
じゃあ納得。
28ぐるぐる:2001/07/03(火) 16:04
私小説、または日本独自の叙情性っていう背景があったからこそ、「物語の無い小説」ってのが存在し得たのではないかな?
だから、1の言っているように、
>現代の小説は物語を過信しすぎている
ってのも、何となくわかる。
まあ、大正、昭和初期に比べて、短編小説が少なくなってきたってのも、理由のひとつになるかもしれないけどね。
物語があっても無くても文学は成立するし、どちらがより高尚であるかなんて、芥川も谷崎も、それぞれの方法をもって文学史に残る小説を書いた訳だから、決めることはできないと思う。

おれ的には、>>24さんの意見に全面的に賛成だけど、>>19さんの言うとおり、「市場の問題」を考慮に入れると、物語は必要っていわざるを得ないのかもしれない。現代では、物語の無くした場合、散文詩や俳句の仕事になっていうるような気がするしね。
29我輩は馬鹿である:2001/07/03(火) 17:05
みんながいってる「物語」って、何のこと?
定義してくれ。じゃないと、物語なき物語ってあるとかないとか、
わけわからなくなるぜ。
30吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 17:07
そうなんだよな、そこがはっきりしていなくて、芥川と谷崎
ももめていたんだし
31吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 17:37
物語を書くために文学するのものではないと思うが、逆に文学を主体にしても物語性はおのずと出るもんじゃないかな、物語性の強弱はあるが。だから文学と物語は対応関係があるのは明白だと思う。文学=物語ではないが、つながりはある。
32JPB:2001/07/03(火) 20:36
興味深いスレですね。
リオタールの言う「大きな物語」というものとは
また違う「物語」ですよね。ここでの議論は。
ということで、ROMります。
アゲ
33吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 21:44
うーんと、例えば「赤い」を「赤赤 い」と書くことで、
生まれる(概ね自国語内でしか流通しない)物語というのがあります。
次に、「昔男ありき」で始められたエピソードが延々と続くような
形式の反復としての物語があります。
時間軸に沿って人が動いて、何らかの帰結を得るストーリーの型としての
物語もあります。
余計混乱させるようで悪いが、単純にその孕み込んでしまう
入れ物そのものが物語といえるでしょう。
が、そんなもの全部を相手にしてもきりがないので、ここでは
ひとまず、型としての物語と言うことで話を進めてみては如何でしょうか?
34吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 22:04
>>33
しつもーん。>例えば「赤い」を「赤赤 い」と書くことで、生まれる物語
↑ここ、何を言っているのかわかりません。中上作品への目配せですか?
表記を変えることで生まれる物語って一体何ですか?その場合の「物語」とは
どういう意味ですか?
ついでにみなさんは物語の定義についてばかり議論されていますが、では
文学の定義はどうなんでしょうか?
35吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 22:24
表記を変えることで「文学性」が増す、という発想自体が
ナンセンスな気がするのだが?
その場合の「物語」とは「文学っぽい」ということのシノニムなのか?
そうだとすれば「物語」とは何だ?それからそれを入れる容器としての
「文学」とは何なのか?
36吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 22:25
それはあるねぇ。>中上に対する目配せ
表記を変えることで生まれる物語っていうのは
結局、読者側の歴史意識の問題と思います。
だから、それはあるって言えばあるし、ないって言えばない。
少なくとも違う言葉で書かれたものには(それが些細なものであれ)
読み手側に揺らぎが生じると思うんだけどなぁ。
別にそれがわからないのがダメとか、そこを突き進むことが正しいって
わけじゃなくねー。
37吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 22:30
35に対しては、表記を変えることで「文学性」が増すなんて誰も言ってないんだけど
なぁって思うけど、まぁ、良く読んでってとこかにゃーん。
38吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 22:37
「赤」と書くか「赤赤」と書くかで読者の歴史意識にぶれが生じる?
そしてその歴史意識が小説に「物語」を加えるだって?聞いたこともないな。
だいたい中上の作品はまるきり現代をあつかった作品じゃなかったっけ?
読者に与える違和感は歴史意識ではなくて、ヴィジュアルで象徴的な意味でないの?
作品中でも漢字使い分けてるよ。
39吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 22:38
≫38
いや、そういうことは有り得るよ。
40吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 22:40
>>39
いや、何が有り得るって?
41吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 22:42
「赤」と書くか「赤赤」と書くかで読者の歴史意識にぶれが生じるてこと。
42吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 22:43
>ヴィジュアルで象徴的な意味でないの?
それって1個か2個かってこと?
てか、何でそんなに興奮してるの?
現代ってのはある日突然できたものなのかなぁと考えてみたり、
「ヴィジュアルで」って言い方自体結構変だよねとか、
色々考えてみたけど、そんなに怒らせるようなことを書いたかなぁ?
sageよっと。
43吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 22:50
いや、中上の意図が歴史意識にぶれを生じさせることではなかっただろう、
ということが言いたかっただけで。
それはどこか別の作品のことだろう?
しかしそんな表面的なことで「物語」が獲得されるとは思えないんだけどね...
てか、「歴史意識」と「物語」が安直に結び付けられるのもどうかと思うが。
当たり前だが、歴史とは関係のない物語もあるだろうに
44吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 22:53
≫35
シノニムって何ですか?
45吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 22:55
だーかーらー、物語の多様性は一番最初のレスで
前提してるじゃない?作家の意図でしかテクストを語っちゃいけないなら
最善の読者は作家本人って話になっちゃうでしょう?
それと君は聞くばかりで、提示しない人だなぁ。
ちょっと疲れたよ。
46吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 23:01
結局「物語」とか「歴史意識」とか「歴史」とか、
そこらへんのビッグワードを、なあーんも
まともで具体的な定義をしないで使っているから
あやふやでよくワカラナイ議論になるんじゃないの...?
人を煙に巻きたいのならそれでもいいけど、議論に対して
誠実な態度ではないんじゃないの?
47吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 23:06
「文学に物語は必要ですか?」
だってスレタイトルこれだもん。
多少のビッグワード乱発には目を瞑ってよ。
48あああ:2001/07/03(火) 23:09
いやこれは大変重要かつ難儀な問題ですよ。
まず「物語」「文学」の定義は簡単には出来ないでしょう。
たとえばRPG的な物語というのはひとつあると思いますが、ここで「物語」「文学」の定義をはっきりと統一するのはおそらく不可能でしょう。
49JPB:2001/07/03(火) 23:10
も、もしかして「大きな物語」っていうのが余計な一言でしたか?
私の言った「大きな物語」ってのはかなり紋切り型の理解なんですが、
継承される記憶の枠組みみたいなものです。
つまり、ある本を読むときに、いつもは潜在的にあるんだけど、感想
としてそれを語る際にまさに妥当性として生れる枠組みみたいなもの
です。
雑に言えば「赤赤・・」と言い「吃ること」で中上は「物語を終わらせた」
というような意味付けが(これはこれでいいんですけど)、個々人の解釈の
外延を決定しちゃうような力を「大きな物語」といってみたんですけど
ここでの議論はそうした方向とは違って、要するに構築された筋が
必要かどうかって話だから、これは関係ないよねっていうレスだった
のです。すみません。
50吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 23:13
>>49
そっちの方が面白い。も少し語って。
51吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 23:17
>>47
いや、そうじゃなくてさ...
上にある議論はそれらのビッグワードの“両犠牲”“多義性”に
故意に依拠して組み立てられている、ってこと。
これじゃ、最初から綿密な議論によるすり合わせを拒んでいると
思われてもしかたないだろ?だから上の方でみんな「物語」の
定義を要求してるじゃない?嘘でもいいんだよ。とりあえず、
暫定的な定義で。霧のかかったような曖昧な言葉でゴタク並べても
しょうがないじゃない?文学っていっても一応「学問」なんだからさあ...
52吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 23:23
>51
うん僕はね >>33 で、ひとまず、物語って言ったところで
あまりに広範だから、前提を設けようって提案しただけなんだ。
53吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 23:23
1の問題の立て方からすでに混乱してると思われ
54JPB:2001/07/03(火) 23:24
>>50さん
これ以上はうまく言えないんですよ・・・残念。
55吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 23:26
「ニセの問題」と「真の問題」ってやつかな?
56吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 23:26
「物語」というのが「イデオロギー」を意味するのか、それとも
単に「創作上の方法」を意味するのか。
57吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 23:28
これまた雑ですが、読者側で無意識に共有される
「共通理解」を大きな物語と捉えて良いですか?JPBさん。
58吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 23:33
また話がこんがらがってきたな。
「大きな物語」っていうのはリオタールの言ってた言葉?
それは「大文字の歴史」意識のこと?
それと小説における虚構のストーリーの問題とは違うんじゃ?
(むろんまったく無関係ってことにはならないとしても、
まず小説におけるストーリーの問題を片付けてからにしてくれないかな?
59JPB:2001/07/03(火) 23:36
>>57さん
それだけだと多分かなり足りないと思います。私の言い方は
そんな感じだったのでしょうね。ひとまず宿題でよいですか・・・?
60吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 23:37
>59
はい、楽しみに待ってます。
61吾輩は名無しである:2001/07/03(火) 23:38
文学→小説にしようよ。話が進まない。
62JPB:2001/07/03(火) 23:38
>>58さん
そうですね。筋の方ですね。ごめんなさい。
63JPB:2001/07/03(火) 23:48
まとめると、小説に起承転結は必要かってことですか?
64吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 00:06
うーん、だからさぁ「小説」roman ていうジャンルの作品は多種多様だってことでしょ、前提は。
最近は roman ていう言葉でなんでも代弁させちゃうからねぇ...
んで、「小説」と「物語」は違うわけだ。
だけど「物語」っていうのはある意味使い回しじゃねえの?
っていう疑念があるわけだ。特に>>1 は。
だけど読者は紋切り型の「物語」のきれはしとその組み合わせで
カタルシスを得てる、って話もあるわけだ、、、
すっごく雑な言い方でゴメソ。マジメに考えてなかった・・・風呂に行きます
65我輩は馬鹿である:2001/07/04(水) 00:13
 一般に物語とは、ある作者が小説の中で言葉によって構築したものをいう。
ただしそこで構築されたものと、読者が意識するものとの間に差異が存在す
るのが普通である。・・・って感じの定義はどう?
66:吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 00:17
いいんですけど、それだと作者が物語を構築するのが意志的なのか、という感じがしてしまうのでは?
もし、物語(ストーリー、起承転結)を作者が意志的・意思的に排除して小説を書いていたとしたらどうなんでしょうか?
6765です:2001/07/04(水) 00:18
「構築されたもの」を、「構築された世界」に訂正!
68:吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 00:20
それでかなり近づいたと思います
69我輩は馬鹿である:2001/07/04(水) 00:25
>>66
それは少し欺瞞的じゃないか。またはある意味、矛盾。
「物語(ストーリー、起承転結)を作者が意志的・意思的に排除して
小説を書」いても、彼は意志的に何かを構築してることにならないか?
もちろん、小説として意味をなす場合に限るだろうが。
7066:2001/07/04(水) 00:29
もちろん意志的に「何か」を構築するわけですが、その「何か」が「物語」ということになるのか。この場合作者はいわゆる物語を忌避しようとして書いているわけですね。
71我輩は馬鹿である:2001/07/04(水) 00:38
>>70
その場合は、>>66 (67で一部捕捉)の定義「構築された世界」
の中では、やっぱり物語になるのでは。
もしかしたら、上の定義からはみ出す何かを考えてる?
それとも「世界」じゃないと? いっとくけど、世界って何も
秩序正しいものばかりじゃないよ。
72我輩は馬鹿である:2001/07/04(水) 00:40
ごめ。66じゃなくて >>65 だった
7366:2001/07/04(水) 00:40
「構築された世界」は間違いないけど、物語かどうかは主観によるでしょう。
たとえば散文に近い小説は物語でしょうか。
74我輩は馬鹿である:2001/07/04(水) 00:47
>>73
申し訳ないけど、ちょち言葉が違う。
小説に使われてる文章を散文というのだから。
したがって、「散文に近い小説」とは意味をなしてないように思える。
それとも、何かもっと深い意味を持たせている?
7566:2001/07/04(水) 01:01
「散文詩に近い小説」と言い換えます。「散文詩に近い小説」は物語といえるのか。
76吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 01:48
なんかむつかしく考えすぎてない?
小説に筋がいるかってことでしょう? 1さんの言ってることは。
いらないよ、ってことじゃないの?
77吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 02:03
いや、だからいらないんだけれども自然的に筋が発生する。それを筋と捉えるのか、と。
78吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 02:06
ジョイスの小説のある部分とか、マラルメとか。
笙野の短編にしても筋らしい筋は無い。
あるいは安部公房はあえて筋を脱構築しているものもあるし。
だが、それでも物語が無いとは言えない。
79我輩は馬鹿である:2001/07/04(水) 02:11
 どうも66さんとの議論は不毛のような気もする。詩を出してきたか
らだ。一応の枠組み(それは恣意的でもあるんだが)を一気に越えて、
文学そのものを議論しようとしてるみたいだ。それはそれで意味ある話題
ではあるけど・・・。
 じゃあ詩は、「いわゆる物語を忌避しようとして書いている」もの
(by66さん)といえるかどうか。ここで66さんが想定してるのは、
いわゆる叙事詩かなあ。
 ほらほら、この議論を続けると、小説の枠から出る。
 それはちょっとなあ・・・。
8066:2001/07/04(水) 02:18
詩ではなく「詩に近い」小説ですよ。だから最初散文といったのだが、
散文が自由規則の文だとすれば、小説も散文によって書かれる。
それはいいけどもその意味の散文(小説の)は無言の圧力にさらされている。
それは小説という形式の無言の圧力です。私の言うのは完全な詩ではなく、
小説形式の無言の圧力から逃れた散文によって小説を記述した場合、という意味で
散文の定義が広義なため散文詩に近いと表現したまでなのですがね。
81吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 02:32
だからさ、そりゃ登場人物が動くわけだから筋は発生するさ。
ここで問題にしようとしてるのは「読みもの」的なストーリー
のことでしょ? それはなくていい。なくていいんだが、あってもいい。
なくちゃいけないのでは? というのは、これはむしろ「商品」として
の話で、「商品」としては詩はもう終わってるでしょ。
82吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 02:34
谷崎と芥川
8366:2001/07/04(水) 02:35
言い方を換えれば「言葉の力」に主眼を置くのか、「時系列的な展開」に力点を置くのか、といったことです。
私は「言葉の力」に興味があるんです。
8466:2001/07/04(水) 02:36
だから谷崎と芥川だと思いますよ。依然として。
85我輩は馬鹿である:2001/07/04(水) 02:54
なるほど。やっと66さんの主張がわかりかけてきた。「言葉の力」ね。
それはこっちも無視してる問題じゃない。いま、こうやって書きこみ、
読んでる現場にさえ、それはある。
しかし多少の疑問も持つ。ひとつは、「言葉の力」に興味を持つ場合、
なぜ小説の形に拘泥するのか。なの、捨てればいいじゃないかという点。
もうひとつは、「言葉の力」を信じない小説は、ど素人の
「きれいな月がでて、キュートな君の横顔に胸がキュンと鳴いちゃった」
みたいなものしかないという事実。
 あ、寝る。
8666:2001/07/04(水) 03:11
ですからね、どっちか一方ではなくて「言葉の力」か、「時系列的な展開」かに”力点”を置くということで、
この2つは鬩ぎあいながら同時に存在しているわけですよね。音楽のメロディとハーモニーのように。
極端にどちらかに推し進めるのではなく。
だから、詩そのものに行く気はないわけですよ、私の場合は。
87吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 03:21
ヌーボーロマン読んでみたら?
881:2001/07/04(水) 03:30
定義云々、漠然としたスレを立てて本当に申し訳ないです。
私は、
文学=小説
物語=時間軸に沿って人が動いて、何らかの帰結を得るストーリーの型
というような単純な意味でスレを立てました。
でも、厳密に定義しなかったおかげで話が面白く膨らんでいて良かった。
いちおう定義を提示してみますが、1の意見など無力なのでご随意に議論してください。

あと、読む側の物語というのはどうなんでしょうね。
89吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 03:31
つまり66はストーリーだけなら映画や漫画でも
楽しめる。だから文学ならではの特性である
言葉を重視したい。そういってるわけだ。
90吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 03:34
ん?
91吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 03:34
無知ですみません、
谷崎と芥川の議論ってどういうのですか?
なんて本に収録されてるの?
92吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 03:40
>89
その言い方きらい。映画人がテレビでじゅうぶんてのと同じじゃん。
9389:2001/07/04(水) 03:57
>>92
ごめん、言ってる忌みがわかんない
9492:2001/07/04(水) 04:06
>ストーリーだけなら映画や漫画でも楽しめる。
なんか文学ばかりが偉そうなんだよね。
要はストーリーは文学に固有のものではないというだけのことでしょ。
ま、いってる意味は89と同じなんだろうけど
9589:2001/07/04(水) 04:09
ってかそれ、本当にただ嫌いってだけじゃん。
真面目に訊き返して損した。
96吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 04:17
そーでもないんよ。固有でない、と認識すると、そいつを引っこ抜いて
みることができるの。じゅうぶん、とかいっちゃうと、そのジャンルに
固有の本質的なものもそうでないものも包括されて語られてしまうから
小説と物語を区別しにくくなったりするんよ
97吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 04:20
つーかよ、物語は必須ではないだろ。
映画/漫画/文学などは、あらすじ+αである。
あらすじは映漫文に共通。
だから+αのが大事に決まってる。
何を書くか、ではなくどのように書くか、だ。
98:2001/07/04(水) 04:22
いちおう、文学=「いわゆる」純文学 ってことで。
マターリ
99吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 04:27
>97
だから、物語の定義がね・・・
あ、もう寝よ。
100吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 04:28
>>96
>じゅうぶん、とかいっちゃうと

俺は充分なんていってない。いってるのはお前だ。
自分の発言を元に他人を批判するな。
10196:2001/07/04(水) 04:33
>100
あ、ほんとだ。でもまあ、そういうニュアンスによめたわけ。
あと、べつに批判してやしないよ。
102吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 04:35
なにはともあれ96は電波
103吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 04:40
でんぱってなに?
104吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 04:42
なかなかイイ感じ
105ぐるぐる:2001/07/04(水) 04:43
ぜんぶ読んだ。。。
興味深いので、もうちょっと参加

>>66さんの、「言葉の力」と「時系列的な展開」のふたつによって小説(文学)が構成されているっていうのはおもしろいよね。
つまり、「文学の持ち得る叙情性」と、「文学の持ち得る物語性」ってことかな
どこからどこまでが、「筋のある小説」っていう線引きはむずかしいけど、だいたいの小説では、「叙情性」と「物語性」が混在しているのではないかな。
そのどちらに重点を置くかってのは、その作家の性格と、このスレで最初の方に出てた文体が決めるものだと思う。
106吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 04:45
>>103
>でんぱってなに?
電波少年のこと。日本テレビ系列で放送中。
司会は松本明子と松村邦彦。
107吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 04:49
こら、もうねなさい
ヾ(´д`)ノ゜ モーイイデス
109吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 10:39
沈みなさい
110ノータリンリン:2001/07/04(水) 11:29
・・・難しい・・・批評的なことは僕には
わからないけど、ちょっと感想言いたいです。
正直僕はこういう問いたてそのものに疑問を感
じる。物語と一口に
言っても、それこそ出来のいいものから
ひどいものまで千差万別でしょ。
完成度の高い物語とそうでないものを一緒くた
に「物語」としてくくるのは、ビートルズと
スマップを「ポップミュージック」として同列
に語るのと同じくらい杜撰ではないでしょうか。
文学に物語が必要なのかどうか? って、どうしてそう
いう疑問が出てくるんですか?
一見意味ありげで実は全く無意味なスレだなって感じです。
111我輩は馬鹿である:2001/07/04(水) 12:24
>>110
 どうもそうらしいね。結果として「一見意味ありげで実は全く無意味」になりつつあるとも感じる。
 ソレが発生する状況は人それぞれに違いないけど、物語そのものを問題にしだすのは、単純な創作
技術レベルからじゃない。主に「時系列的な展開」や人と人との濃密な関係・展開、出来事との関係、
一般的にはAとBと・・・が運命的な関係にありそうな物語という枠が、狭いと感じるとき、世界はそ
んなものじゃないぞって激しく怒り出すとき、物語という枠について考え出すんじゃないかと仮定し
てる。ひところ流行った脱構築とも接触してるかもしれないけど。
 しかし66さんと議論していて、こんなことを感じた。小説ってどんな形にでも変形していくんだ
な、ほんの数個のDNAを埋めこまれただけで、あとは次々と回りからDNAを取りこみ、加工し、この先
だれにも予想できないかもしれない方向に、いや方向という言葉さえ無力にしてしまうようなところ
に向かって変形していくんだなと。そして、変形の過程そのものが小説にとっては最も大きな物語で
あるに違いないって。
 そう考えてみると、「も〜死ぬも〜死ぬ」といわれ続けてきた小説というものが、ますますいとお
しく見えてきたりする。
 小説・文学・言葉自体と物語の関係について66さんと簡単に議論してみたことは、臭ういい方で
はあるけど、明日への『タフマン』になっていく感じだ。センクス!
112吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 12:50
やっぱコテハンの連中にしっかり参加してほしい話題だよな。
JPBさんはあんまり真剣じゃないようだけど、ixionさんとかも参加してくれないかな。
あと、例の大江スレのモームスさんとかも。
そうするともっと膨らむような気がするんだけどな。
113吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 12:56
>>112
 他力本願はいけません。
114蓮實:2001/07/04(水) 12:58
物語などいらん!そんなの小説じゃないわい。
115吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 12:59
yattodetekitana,hasumin....
116吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 13:06
ところで、小説に何が必要で、何が必要でないかという議論は意味のあるものなの?
むしろ、なんでもありを前提とした上で、そのファクターの効用を論じるべきだと思うが、いかが。
といっても、「物語」が小説になにを付与するかは考えてないんだけどね。
117我輩は馬鹿である:2001/07/04(水) 13:07
>>114
そこで使われてる「物語」を簡単に定義しておくれやす。
118吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 13:09
こういうことってすでに多くの先人が悩み抜いていて
本もたくさん出てますよね
相当マジレスで突き詰めないと
同じところを空転するだけで先にいけないと思います。
119吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 13:12
そうそう、それこそ柄谷の第1テーマだったでしょ。
120蓮實:2001/07/04(水) 13:13
比喩だとか、文体だとかは無用な贅沢品と切って捨てた上で残る、
説話論的類型性かな。
121吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 13:13
何故物語りが発生するのか、うーむ。
122我輩は馬鹿である:2001/07/04(水) 13:15
>>118 いうだけじゃなくて、やってくれ。
123吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 13:15
蓮實さんはその説話論的類型性はいらんとおっしゃるわけですな。
124蓮實:2001/07/04(水) 13:16
近代小説が、そういったものの否定から始まっている以上、いらんのです。
125我輩は馬鹿である:2001/07/04(水) 13:30
「説話論的類型性」ってなんだっけ・・・。
 愛と犠牲は尊くて、目上は敬い、悪魔と戦う善はいつも強しって感じ
のだったっけ。否定から始まったって、たとえば『ドンキホーテ』のこ
とでしょ。柄谷さんにあったっけ。(コテッ!)
126吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 13:39
芥川と谷崎なんだけどさ、芥川は物語を否定し、谷崎が肯定したんだっけ?
だけど実際は芥川が説話文学に傾斜しより物語り的でさ、谷崎は物語いうわりに文体にいったと、これが定説として。
結局、芥川さんには小説を紡ぎ出す体力が無い、粘りがないと身体論化した、問題が。
で、どうなの、この後?
127ぼっけもん:2001/07/04(水) 15:57
あげ
128台無し:2001/07/04(水) 17:23
>>110(ノータリンリンさん)の言うことのうち
>一見意味ありげで実は全く無意味なスレだなって感じです。
っていうのは言えてると思う。前提である「物語」も「文学」も定義されていないし
定義に向うどころかその前提があやふやなまま発言の数は増えていってるように見える。

それは「何か」の姿に似ている気がする。

例えば、俺は自分の生きている現実についてほとんど何も知らない。
「知っているふりをしている」あるいは「知っていると思い込んでいる」だけ。
自分に関係があるもの、否応なしに関係を持たされるものの、
それも自分に向けた一面しか知らない。
それでも生きていくうえで何らかの決定をしなければならなくて(それも勘違いかもしれないけれども)
その決定なり発言なりは、「何か」の影響の下で選ばれ、「何か」にのっとって実行される。
他人と関わらなくてもいいならばその「何か」はいらないだろう。
しかし、俺は否応なしに多くの人と関わらなければならない。
そして、いつもその「何か」にイライラしつづけている。
「何か」が俺の現実にあまり噛みあっていない気がするからだ。

その「何か」を作りかえようとすること、その「何か」について語ること。

(電波なのでsage(照))
129吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 20:18
ジイドに従えば小説と物語は違うらしい。
130吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 20:39
じょーしき
131129:2001/07/04(水) 21:08
つーことは小説と物語は並列する文芸表現ということになり、
「小説(文学)に物語は必要ですか」という問いは成り立たないことになる(w
132我輩は馬鹿である:2001/07/04(水) 21:11
すると、筋とか時系列とか構成された世界っちゅうの、あれは何だ?
やっぱ定義でしょーーが! (w
133吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 21:19
そんな定義から外れようとするのが文学の醍醐味でしょ(w
134吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 23:00
>日本には背景となる聖書のような物語がないのに、
>物語を持つ諸外国の文学と同じ概念が成り立つんでしょうか。

この部分はどう?
135吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 23:15
もういいです さげて
136ノータリンリン:2001/07/04(水) 23:16
物語は不要っていうのはどういう意味?説明してくれ。
例えばカポーティの短編とかなんかもろ物語形式だとお
もうけど、そういう物語も要らないっていうことなの?
やっぱ、考えればかんがえるほど質問が意味をなしていない。
なんかいらいらしてくる。
137:2001/07/04(水) 23:28
ええと、私が言いたかったんは、
最近の新人賞受賞作とか読んでると切に感じるのだけれど、
ストーリー的な部分でしか勝負していない小説って面白くないってことなのね。
というか、余りにその手の物が最近多すぎて、そういう風潮に疑問を感じたわけです。
ブルトンの試みが失敗したように、筋は必要だと思う(いちおう)。
ただ、例えば「桃太郎」という一つの物語でも無数の書き方があって、
ストーリーよりもその書き方に重点を置いているもののが面白いなぁって。
138吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 23:30
>>134
物語自体は大昔からあるでしょう。
139:2001/07/04(水) 23:31
ああ、sageなきゃダメだった? ゴメン
140吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 23:32
>138
日本人の中に物語などない。
141吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 23:39
>>141
あるでしょう。
たとえば万世一系の……
142吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 23:41
>>140だった。
143吾輩は名無しである:2001/07/04(水) 23:41
>138
そのこころは?
144143:2001/07/04(水) 23:42
>>140だった。
145吾輩は名無しである:2001/07/05(木) 00:09
物語は、昔からあるよねえ、同意
物語は、たとえ今全ての文化が消えちゃっても、また自然発生しそう
いわゆる小説、文学ってのはその後何百年もたたないと生まれなさそう
物語にあきてちょっとパーマかけてみました、カラーリングしてみました、ってのが
文学って感じなので、それだけで成り立つとは到底思えない
(でもやっぱ皆言うようにこの辺の定義はわからないよ。意味なしに思えるし)

>>137にたいしていうなら、ストーリー的な部分でしか勝負していない小説は
面白く無い、ってことじゃなくて、その小説は単につまらなかったってことじゃないかな。。。
これだけトイレットペーパー的にどんどん生まれて消える「最近の」小説が、
そうそう面白い訳ないでしょう
146我輩は馬鹿である:2001/07/05(木) 00:45
 あのさー。こうなったら、話広げちゃうけどさあ。
 神話にしろ聖書にしろコーランにしろ、民話・伝承・儒教にしろ、それらはある種の
世界観・人生論・道徳・倫理でしょ? それこそ死生観も支配するような。ハラキリみ
たいな。これをもっと一般化すれば、その個人・集団・社会・世界(?)を支配する文
化の状態だろ? この文化状態を物語って呼ばないで、何を呼べばいいんだよ。
 だからさ。小説内世界にも、この支配は及んでるんだ。登場人物のセリフにも、行動
にも、描かれる描写にも。だって、否応なく書き手が物語に支配されてるんだもん。
 蓮實ファンさんが、「物語はいらない」っていうのは、そうした物語から逃れようと
いう行動のスローガンなわけよ、きっと。それを目論む以外に、どこに文学の存在意義
があるのか、どこに追求のパワーがあるのかと、問いたいんだろう、彼は。
147吾輩は名無しである:2001/07/05(木) 00:50
sage
148吾輩は名無しである:2001/07/05(木) 01:58
ガキが入ってこないといいスレだなここ
149 :2001/07/05(木) 03:15
今日はこのスレ人気ないね
150犬の林:2001/07/05(木) 15:30
>146
物語はいらない」っていうのは、そうした物語から逃れようと
いう行動のスローガンなわけよ、きっと。それを目論む以外に、どこに文学の存在意義
があるのか、どこに追求のパワーがあるのかと、問いたいんだろう。

なるほど。蓮實って知らないし興味ないけど。そういうことなのかぁ。
だったら答えは簡単じゃない?物語にこそ文学の存在意義があるってことで。
それ以外どこにあるっつうの?80年代にポストモダンとかいう括り
の中に入ってイキガッてた作家連中が今どうしてるか見ても一目瞭然じゃん。
オースターとか、初期の春樹なんかも「物語の解体」的なことやってた
くせに、その路線でネタがつきるや途端に「語りの豊穣さが」みたいなこと
ぬかし始める。そして物語性満点の作品を書く。(できはイマイチだけどな)
結局「物語の否定」なんて注目されたいがための詭弁なんじゃないの?
カポーティとかみたいな、一流の物語書けないからそうやって奇をてらって
注目集めようとしてんだろ。
151吾輩は名無しである:2001/07/05(木) 15:38
ああ、またガキが・・・
152犬の林:2001/07/05(木) 15:43
そうです!ガキでござい。
153吾輩は名無しである:2001/07/05(木) 17:11
ええと、このスレは19世紀的小説から脱却を図った筈の文学が成功していないという
前提で議論すればいいのかな?
154モー娘。らぶ。。。:2001/07/05(木) 17:49
たまたま読む必要に迫られて『中上健次と熊野』を昨晩ほぼ1年ぶりに読み直したんだけど、このスレのヒントになりそうな部分がたくさんあった。
このスレに気付いたのが今日なのでもうちょっと注意して読んでいればと悔やまれ・・・。
今、『中上健次と熊野』は手元にないから(だって会社だもん)、細部までしっかりと記せないけど、
まず、『宇津保物語』を「現代作家」として読むと、高貴な血を引いているといっても、山中に住んでいる女だから身体を洗ったりしていないだろう、髪なんか汚いだろうと自分は解釈したと、中上は語っている。
おれはここに「物語」と「小説」の違いを端的に感じたんだけど。まあ、もう一度しっかり読むんでからレスするけど。
他にも谷崎が『源氏物語』に拘泥したことが近代日本文学の一つの問題であるとか、いろいろと重要な指摘をしている。
手もとにある人はちょっと目を通して、それからレスしてみると、>>1への応えをとりあえず提出できるかも。
155モー娘。らぶ。。。:2001/07/05(木) 17:50
ちなみに中上は物語と神話を分けているんだよな。
これはけっこう重要な私的だと思うよ。
156 :2001/07/05(木) 19:57
今夜は盛り上がるよ。。。
157fishman:2001/07/05(木) 20:34
ざーっと上から読んでみたのですが、「物語」を巡って錯綜してますね。。
勿論、僕もこれが物語だとすぱっと切り出してみることは不可能なんですが、
ふと僕もその錯綜した流れに乗って、すごく雑な定義をしてみたいという欲求に駆られます。
ある日ある時ぶつかった問題に対する直線的な思考あるいは展開を
物語と名付けてみたいのです。それは当然、紋切り型へと近づいていくでしょう。

上のモー娘。さんのレスにもあるように、高貴な血が流れている→近寄りがたいほど美しい
という直線的な展開は物語に特徴的と言え、また、そこに加わる
「いやいや、そうは言っても風呂に入らなければ汚いだろうし、髪だって切ってないんだから
伸び放題さ」という思考はとても小説的なものなんだと思います。

じゃあ小説とは何だい?という問いには、
それはくさびのようなものなんだと僕は答えたい。
自分に向かって直線的にものすごい勢いで迫ってくる物語を、
足止めすべく打ち込まれたくさびーそれは物語の勢いを
ほんのちょっと緩めるだけかもしれないし、あるいは脱線さ
せてしまうのかも知れないーそんなようなものを小説と
呼んでみたい。
158我輩は馬鹿である:2001/07/05(木) 20:53
うん。fishmanさんの考え(>>157)は、こっちと似た部分があるね。
蓮實ファンさんやモー娘らぶさんは、どうなんだろうなあ。
似てるとも感じるんだけど。。。
現代の支配的な文化の状態=物語、じゃ話オッ広げすぎ?
オッ広げすぎの乳房、好き! ←物語臭い?
159吾輩は名無しである:2001/07/05(木) 22:02
そのくさびとやらも物語に取りこまれるんじゃないかい?
(と煽ってみよう)
160台無し:2001/07/05(木) 22:45
もし、その「くさび」が物語に飲み込まれたら次の「くさび」を打てばいい。
前の人の「くさび」を信じてもいいんだけれども、自分の場所を守るものじゃなかったりするし
自分を物語から守ってくれる「くさび」を選べばいいし、もし無いなら打てばいい。
まぁ、先人の打った「くさび」は偉大に見えるものだけど、さ。
161我輩は馬鹿である:2001/07/05(木) 23:11
>>159
そうだよ。fishmanのいう「クサビ」さえ、いずれ物語に取りこまれる。
というより、それがほんとに「クサビ」なのか、考えてみる必要さえあ
る。百円ショップで売ってるヤツだったって可能性はいつもあるだろ?
しかし、それが「クサビ」だったとして、それが物語に取りこまれる。
物語の歴史は、そんな怪物みたいな生命力を持っている。
そこで新しい「クサビ」が、取りこんで大きくなっていく物語への「ク
サビ」が望まれる。ほとんど無限の文学だ。小説は死滅しない、物語が
死滅しない限り。絶え間ない仕事があって休めない。これも嫌だなあ。(w
 オッ広げすぎの乳房、好き! ←物語臭い?
162吾輩は名無しである:2001/07/05(木) 23:21
「我輩は馬鹿である」はその名の通り、あまり頭は良くなさそうだね...
163我輩は馬鹿である:2001/07/06(金) 00:01
>>162
わかってしまった? (w
164 :2001/07/06(金) 00:06
具体的に物語のない小説って?
はるりんの風の歌を聴けとか?
165吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 00:06
みんな好き勝手書いてるみたいだけど、結局ネタもとは同じ一冊の本、そんな感じのスレだな。
166 :2001/07/06(金) 00:09
なんて本? 言ってごらん?
167我輩は馬鹿である:2001/07/06(金) 00:12
>>164
矛盾するようだけど、物語から自由な小説なんてないんだよ。
168吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 00:23
 上の議論には大して興味ないんだけど… 考えてみたことを書いてみよう。

 ≪物語≫か…… 俺たちの歴史、民族のストーリーは別にして、いや、それでも俺たちは≪物語≫の切れはしを喜んで享受しているんだよ。誰かが≪物語の切れはし≫という魅力的なメタファーを使っていたな…… そう、確かに≪物語≫には使い廻しのボロ切れの布のようなところがある…… 蓮実の言うとおり、確かに物語には幾つかの種類しかない。現代の作家ですら、そうした物語素(神話に由来する神話素と呼んでもいい)を使い廻し、組み合わせて物語を作り出している。だが≪物語≫には我々を魅了する何かがあるんだ・・・
 だから俺たちは、それでも陳腐な≪物語の切れはし≫を愛して止まないのさ…… 例えば大好きな女の子が敵につかまって監禁されているアジトに一人乗り込んでいって自分も自爆して捕まってしまうとか、妊娠させた娘が実は他の男と同棲中で、せっかく子供を育てようと決意したところで養育権もろとも他の男に奪われる、とかetc.etc.…… そういった数々の≪物語の切れはし≫を俺たちは心から愛し、心底欲している。昔、ヒッチコック(だったか)が「物語を30字以内で簡潔に要約せよ、もしそれが出来れば良い映画を撮ることができるだろう」と言っていた。もしかすると映画と文学はちがう、と君は言うかもしれない。が、映画の表現方法が文学の表現方法に比べて劣っているという理由はどこにもない。また物語を語るのに映画の媒体が文学のそれより長けている、という理由もどこにもない。物語を≪脱構築する≫などという陳腐な言い回しは、物語をちゃんと語ることのできない作家のものぐさな言い訳にすぎない。レトリックは物語を語る際の補強をする脇役の役割でちょうどよい。それは物語を語れない者の逃れ場所にすぎない。
169吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 00:30
>>161
物語は死滅しないが、小説は死滅する。
映画や漫画、ゲーム(?)にその役を取って替わられる。
神話が死滅した様に。
170吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 00:31
アニメ、ドラマにも取ってかわられる。
171吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 00:33
村上春樹の新作が出た!!
とは言わないけど、FF]が出た!!、あゆの新曲が出た!!とは言うからね。
172:吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 00:33
だーかーらー、「言葉の力」しか残らない、文学には。
173吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 00:33
最近は音楽も、物語の役割を担っているとも思われる。
174吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 00:37
ニーチェの時代に、各種聖書が否定されたように否定され役を取って替わられる
175吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 00:38
右脳の方がメモリが大きいから、そっち使っちゃうんだね。
176吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 00:53
じゃあ理想の文学って?
177:吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 01:15
だーかーらー、物語の方へ展開しちゃ駄目なんだってば。
178吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 02:38
言葉の力? そいつがどういう力なのか説明してみ
179:吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 02:41
あなたが言葉をある緊張関係で紡ぐとそこに必然的に力が生じる。
これだけが文学の最後の砦。
180吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 02:45
>179
もーどーにもならん。さいなら。
181:吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 02:50
たとえば、

甘いお菓子を食べた。
菓子を食べた。甘かった。
菓子を食べたら甘い。
甘い。お菓子を食べたからだ。

これらは同じことを表象しているが、異なるものだ。
意識の流れが違う。
こんな単純な例にしてからが謎をすでに孕んでいる。
それが言葉の力なのです。
182吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 02:57
・・・さてと、どなたかしきりなおして
183:吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 03:01
言葉の力が分からなければすべての文学は分からない。
184吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 03:03
おまえもういいって
185:吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 03:05
184はあわれな文学音痴ですか?
186吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 03:07
あわれでもなんでもいいよ。うざすぎ
187:吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 03:07
184! キミの「おまえもういいって」という言葉には下賎さしかないゾ!
卑俗な言葉の力しかない。
188しきりなおし:2001/07/06(金) 03:09
「言葉の力」
「叙情性」
「時系列的展開」
「くさび」
それらを熟考し、
「物語とは何か、小説においてどこまで重要視されるべきか」を先人が繰り返してきた議論を踏まえた上で論じてください。
「くさびや言葉の力さえも物語は包括する」という意見も可。

「まず定義しろよ」などど自分の定義を言わずに煽ってくる厨房は完全に無視してください。
189:吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 03:10
184! ひとつ聞いておきたいが、君は作家かそれとも傍観者か?
傍観者なら逝ってくれ。
190しきりなおし:2001/07/06(金) 03:11
>>188誤字
下から2行目
などど→などと
191:吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 03:11
私は評論家ではない。
192吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 03:13
大人はもう寝たみたいだね。おやすみ
193吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 03:17
文学は言葉による芸術だ。言葉が最重要。物語はどこまでいっても
言葉の掌の上から抜け出すことはできない。
194:吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 03:18
190さんへ
あなたがそうした論議に興味があるのなら、こんな場では深く語れないことを知るべきだ。
類似の本はたくさん出ているのでそれらをお読みになることをお勧めします。
私はこのスレの流れ、つまり物語生成の主導権が文学以外のメディアに移ってしまったことを受けて
「言葉の力」といっている訳ですから。
物語とは何かという問題には言及したくありません。
ただ小説には「言葉の力」しか残されていないと感じます。
文学とは文の学であって、話の学ではありません。
195190:2001/07/06(金) 03:21
>194
おもろ
196吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 03:46
>>194
だーかーらー、メディアがどうのこうの言い出したやつがいるから、しきりなおしが必要になったんだろうが
197吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 05:35
わきからごめん・・・・

物語や物語性とは、語る(ナラティブ)ということもあるが、より平明には、民話などのように、類型として把握できるもののことなら、個人的には嫌いではないが、小説がそれと何らかな対立をすることで成立するというのもありそうですね。

抽象的ですが、その意味で、聖書は類型的な物語というよりは、むしろ小説に通じるような、アンチ物語だから特異的だというのがあるのかしらん?>>1
198197:2001/07/06(金) 05:41
そうそう、も一つついでに抽象的ですが・・

スレ冒頭で指摘されている大江さんってのは、類型的な物語と、ナラティブ(語りかけ)としての物語を、かなり混同することで、しまいにはある種のユートピア的な設定でしかないものを、主題と錯誤する、悪しき日本近代文学の一つの流れに回収されてしまったんでは、と個人的にはおもってます。やはり、あくまで小説では物語れないのでは? 極論です。
199吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 12:41
>196。ずっと見てりゃ名前も付けないで
バッシングばっかしてんじゃねえよ。
何か少しは筋通ったこといえよ。
じゃなきゃプロレス掲示板でも
言ってろ。
200吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 12:50
>199。ずっと見てりゃ名前も付けないで
バッシングばっかしてんじゃねえよ。
何か少しは筋通ったこといえよ。
201吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 12:53
毎度即答だな。200。
また真似してみろや
202我輩は馬鹿である:2001/07/06(金) 14:17
外野席もわいてきました。
アナウンサー:「どうなるんでしょうか、この試合の行方は」
解説者:「さー。雨が降って流れるんじゃない?」  

* オッ広げすぎの下半身、嫌い! ←物語・訂正版
203モー娘。らぶ。。。:2001/07/06(金) 16:59
結局昨日は雑事に追われて『中上健次と熊野』を再読できず・・・。
おれは基本的に>>157のfishmanさんの見解に賛同します。
物語と小説を峻別することは難しく、何が物語で何が小説なのかは指摘できません。
しかし、確実に物語と小説が乖離する瞬間が、良質な小説(という表現も変だけど)にはあると思います。
fishmanさんは
>自分に向かって直線的にものすごい勢いで迫ってくる物語を
>足止めすべく打ち込まれたくさび
を小説と呼びたいと形容していますが、物語から身をかわし物語の重力から逃げ物語を煙にまくという感じですよね。
じゃあ、物語から逃れる、逸脱するために、「小説になる」ためにどうすればいいのかという問題があがってくるでしょう。
そのために引用やら反復といったノイズが必要となってくる。
そういう意味では大西巨人の作品なんかが小説のある種の典型としてあげることができると思います。
もちろん、既に指摘されているように「くさび」もまた物語につかまる可能性がありますけど。それをさらに逃れてこそ小説なんじゃないかと。

ところで、中上が対談(あれ? 相手は誰だったかな)で
定型的なコード進行を選択しその進行に乗りつつもそこからギリギリのところまで逸脱するのがジャズなのであり、小説も似たようなものである
と話していたことがありますが、このスレのヒントになるのではないかという気がします。
204モー娘。らぶ。。。:2001/07/06(金) 17:02
>>169―170
映画はたしかにある面で小説に(というか19世紀的な長編小説に)とって変わったといえるね。ただし、これはマンガに通じるけど、イメージ化しやすい表現技法だから、しかも現前しやすいから、小説以上に物語の重力が強そうな気がするが・・・。
まあ、これは横スレだけど。
ただし、アニメやゲームに関してはおれも多くを知っているわけではないが、物語の重力に囚われている、というか端的に物語でしかないようなものが多いような気がするけど(とあえて言ってしまおう)。
205モー娘。らぶ。。。:2001/07/06(金) 17:02
>>165
『物語批判序説』か?
『小説から遠く離れて』か?
『「私小説」を読む』か?
あ、3冊も出ちゃったな。
206吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 17:32
俺はやっぱ小説は文そのものを読む快楽しかないけどね。
207吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 18:12
純粋に質問。
色々仰ってはいるけど、
ここで小説かける奴って何人いんの?
208吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 18:28
キミは科研の?
209吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 18:43
>207
書けないからここでクダまいてんだよ。
210吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 19:04
>>203
モーニング娘。も物語の一種では・・・。
211吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 19:35
>>210
warata
212吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 19:42
文学学ぶのって、
1、2chなんかでうつつを抜かしてないでどんどん書く
2、書きながら2chにも顔を出し同好の志とお話する
3、2chにかなり頻繁に顔を出しカキコしながら状況を把握し
ユニークなテーマを思いつき書く

どれが、デビューへの近道なんでしょうか? 教えてください。
213 :2001/07/06(金) 20:18
ロムってましたが、少し確認したいことがあります。
このスレで言われている「物語」っていうのは、いつ、何処で、誰が、語るという「物語」でなく
小説の中で利用される「物語的な表現方法」の話をしているんですよね。
物語は全知全能の神的視点に立って、登場人物たちは三人称的に表現され、
一方、神が死んだと言われたように、小説には神的視点がなく、
登場人物すべてが一人称の存在で、一人称による視点が基本だということを
以前、耳にした記憶があるのですが
小説、物語の表現形式は各々混在している場合が多く、
現代では、物語的な手法を使った小説が多いですよね。
自分が知っている定義は、この辺までなんですが(文学板では基礎知識以下でしょうが、藁)
ナラトロジーを専門にやっておられる方とかおりましたら
小説との関わり、影響など詳しくお話を聞いてみたいです。
214吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 20:22
>>213
ノースロップ・フライから勉強しなおすが吉(『批評の解剖』だな)
215吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 20:27
10年前まではわざわざ物語宣言する小説家が多かったのに
変われば変わるもんだなあ。
216吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 20:53
いまさらですが、フライを踏まえた上で、その分類にあてはまらないと思しき
新しい物語は生まれ得るのでせうか?(そしてそれは面白いのか?)
217吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 21:12
フライの分類って、神話、英雄タン、・・・ってやつ?
218吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 21:22
文学VS物語とするより、
小説(=近代文学)における詩性と物語性の対立とした方が良いのでは?
確か中村光夫が芥川―谷崎論争をそう位置付けていた筈ですし、
蓮見の物語批判もこの延長線上にあると思います。
219吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 22:30
お、まともになっとる
220吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 23:21
あはは、回る回る。
221吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 23:24
じゃ、蓮見の物語批判が生み出したものはなんなんだよ?
222吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 23:28
このスレ
223吾輩は名無しである:2001/07/06(金) 23:31
不毛だのう。
224我輩は馬鹿である:2001/07/06(金) 23:35
>>223
あんた、禿げてんじゃない? (w
225吾輩は名無しである:2001/07/07(土) 00:37
今、最も熱いスレ。
226:2001/07/07(土) 01:42
さて、「物語」と「文体」の2項対立にもうひとつの
価値基準をぶつけてみて、考えてみてはどうかな?
それは呼び方が分からないんだけど「因果」というか
「予定調和」というか、、、。
たとえばソフォクレスの「オイディプス」や「グレートギャツビー」
に見られるものをいっているんだけど。

物語を勝手に「続きがどうなるのか知る楽しみを追求するもの」と
させてもらうと、「予定調和」の美しさは、先がどうなるのか
分かっているのであり、「物語性」を意図的に避けているので、
端的にその反対のものということになるかも。

「予定調和」の美しさは作品に「繰り返しの鑑賞」に堪えるということを
導入するでしょう?「文体」も「繰り返しの鑑賞」堪えますよね。
小説じゃないが演劇なんかは、予め知っている筋を鑑賞する。
それは作品を「芸術的」「文学的」にするということではないかなあ。
「物語」は「鑑賞」するものではないよなあ。と思うな。
227吾輩は名無しである:2001/07/07(土) 01:45
>226
却下します
228:2001/07/07(土) 01:50
あれ?どうして?>227
229吾輩は名無しである:2001/07/07(土) 01:52
その予定調和のことを物語というんでないかい?
(この場合の物語はストーリーやプロットとかとは
違う意味)
230:2001/07/07(土) 02:00
いやいや僕は物語を違う風に定義したんですよ。勝手にね。
つまり「物語」といっても「読み手が新しい展開をもとめる物語」
と「最鑑賞を強制的に要求する予定調和」は読み手の意識に
まったく違う概念を呼び覚ますでしょう?
たとえばオイディプスの「予定調和」とスティーブキングの
ストーリを同一の要素として語ることは苦しいだろうと思うよ。
芸術性という面で正反対だとおもうのだが。
231吾輩は名無しである:2001/07/07(土) 02:08
そりゃ一般的に知られてるかそうでないかの違い
232:2001/07/07(土) 02:13
>231
うーん。ちょっと失礼かもしれないけど
あなたは演劇の美しさを知っているのだろうか?
最後の書き込みとします、、、。
233231:2001/07/07(土) 02:17
演出家です
234吾輩は名無しである:2001/07/07(土) 04:45
小説は物語に近づいてしまう。
むしろ、書くという行為に物語が付きまとうのかもしれないが、
とにかく、小説は物語に近づいてしまう。
で、それに抗うように、作家は物語から遠ざかろうとする(近代文学の誕生)
が、そこで既存の物語を忌避するように作られた小説が、新たな物語となってしまう。
一見、ヘーゲル的な歴史観にも見えるが、実はこれ自体も物語であるのだから、
物語が生産、再生産を繰り返して、どこかに行き着くわけでもない。
ゴールの無い場所に向かってただひたすら文学という土壌に新たな物語を発明しては積み重ねるという作業に過ぎない。
エントロピーの法則に従えば、いつかは小説というジャンル自体が疲弊しきって崩壊する時がくるのであろうが、
それはまた別の話。もしかしたらもう来てるのかもしれないけど。




>207
235234:2001/07/07(土) 04:56
ごめん、書きかけで送信しちゃったYO

>>207、209
小説かいたこと無い奴は文学について語るなと聞こえるのですが…
読む事と書く事は根本的に違う作業よ。
よい書き手が、必ずしもよい解釈者でないし、
よい読み手が、必ずしもよい書き手でない。
書いたこと無いやつがつべこべ言うなというのなら、
一体、文学は誰のためにあるのか?
236吾輩は名無しである:2001/07/07(土) 05:18
あのさ、上の一連の箇所、何らかの「書き手」が言い合ってるなって
読みとれなかった?>235
237吾輩は名無しである:2001/07/07(土) 05:35
>>234 はエンデ風(「果てしない物語」だったっけ?)に
わざとカッコよく途中で切って、
さらにそれを再開してみせたわけではないの?
なにしろ、物語の話なんだから・・・・。

こんな私の読み方低レベル過ぎ?
238吾輩は名無しである:2001/07/07(土) 12:30
すみません、話の腰折るようですが、どなたか教えてください。
芥川・谷崎論争てどの本に収録されてるのですか?
239吾輩は名無しである:2001/07/07(土) 13:02
207 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2001/07/06(金) 18:12
純粋に質問。
色々仰ってはいるけど、
ここで小説かける奴って何人いんの?

208 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2001/07/06(金) 18:28
キミは科研の?

209 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2001/07/06(金) 18:43
>207
書けないからここでクダまいてんだよ。

>>236
ごめん、懸命に読んだけどやっぱそうは読めないや。
240吾輩は名無しである:2001/07/07(土) 23:57
あげてみる
241吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 02:34
>239もうちょい上のガキのやりとりのことだったんだけど。
どうでもいいんでさげ。
242吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 03:14
もう一頑張り
243しゅうりょう:2001/07/08(日) 15:21
しました
244我輩は馬鹿である:2001/07/08(日) 16:30
もうひとがんばり。そう思って努力したのです。
疲れたので小休止をとり、ポカリを飲んでタバコに火をつ
けました。しかしそれから二度と立つことはなく、とうと
うその夜は射精をあきらめざるをえませんでした。
 (『七夕の夜がきらめく』) 
245[email protected]:2001/07/08(日) 16:54
GUEST
文学に物語は必要ですか?・1
2461:2001/07/09(月) 00:15
私の何が知りたいのかね・・・? フフフ
247吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 16:35
で、結局何がどうなったの?
また堂々巡り?
248吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 18:51
あのね、日本では、西洋人には理解できない物語や背景が存在してるのよ。
それに気づかない人が、やんや言ってるだけ。わかる。
249リアル厨房:2001/07/09(月) 19:09
>>248
物語は日本でも西洋でもある程度普遍的なものがあります(特に近代においては)し、
背景は近代の産物以外の何ものでもありません。
近代社会ということに限っていえば、西洋も日本もあまり違いがないのでは?

ところで、>>1氏の疑問にすぐには応えは出ないと思います。
しかし、答えを出すための蓄積はだいぶたまってきたと思います。
上のほうでジャズが例にとられていますが、私も小説をジャズとして捉えたい。
ジャズは予めコードが決められてその上でアドリブにより逸脱がなされていきます。
小説も物語という衣を借りてその上で物語からの逸脱がなされます。
ちなみにいえば、ジャズは60年代後半から逸脱が激しく試みられ、70年代に入ると何もやることがなくなり、
ついには衰退していきました。
歴史の長さの異同はあれ、小説もまたそのような道を・・・
250吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 19:12
>249
わかった!君はえなりかずき!
251:2001/07/09(月) 22:19
>248 日本では、西洋人には理解できない物語や背景が存在してるのよ。

 その「物語や背景が」どんな風に異なっているのか、
ごく大雑把でいいから教えて。
252fishman:2001/07/09(月) 22:42
うーん、色々「文学」スレ立っててどこに書き込もうかちょっと迷う。。
物語や背景って主に宗教について言ってるのかな?
253吾輩は名無しである:2001/07/10(火) 02:12
ここの連中ってばいつもこれな。
254:2001/07/11(水) 16:15
物語は一つの世界に読者を引き込むための
円滑剤。それを必要とするかどうかは書き手
次第ってことでいいんじゃないの。定義づけ
たりする必要は全くない。
255我輩は名無しである:2001/07/11(水) 18:39
「それを必要とするかどうかは・・・」
ふむ。そう定義づけするか。
256リアル厨房:2001/07/11(水) 18:41
>>252
>物語や背景って主に宗教について言ってるのかな?
宗教をも含めた共同体が持つ物語という意味で用いております。
| >>248-249 日本の中だけだってその世代でしか直截に理解できない
| 物語や背景が存在してるよね。
| それで厨房だの老害だの言い合ってじゃれて遊んでるだけでいいじゃん。
| おれの歳だと戦後はおろか全共闘も高度成長期もバブル景気も
| みんな昔話だもんなあ。
| 伝聞だけで語る人間と経験した人間とが深く語り合おうとしても
| どっちかが妥協しなきゃ不毛な罵りあいにしかならねえよなあ。
\_______ ________________________
     V
   ∧ ∧  ./ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ミ,,゚Д゚彡<>>168 プレイステーションの『レーシングラグーン』という
ヽ .ミ    ミ  | ゲーム知ってる? あまりにも“ラグーン語”だよその文体。
  ミ,,,,,,,,ミ   \_____________
258:2001/07/12(木) 04:26
257
何を言わんとしてるのかようわかりません。
259168:2001/07/12(木) 05:30
ん・・・? 褒めてもらって(?)、とりあえず、ありがとう・・・
260吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 08:00
ちょっと文学スレ立ちすぎこれはあげとく
261吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 18:38
最近下火だがこのスレは重要だぞ。
262吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 19:43
終りのあるのが物語
終わりのないのが小説
(と心にもないことを)
263吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 20:30
終わりのない物語(ex.アンダ=[グラウンド)
| >>258 んー、西洋と日本の認識の格差まで話を広げても
| いいけど、そのスケールだけで“文学”について語るのは
| どうかなあ、と思っただけ。
| かといって個人ごとに違う文学観が、とかいうと不毛すぎるから
| 日本人の世代間の格差ぐらいならちょうどいいかな? ということ。
| たとえば佐藤亜紀『戦争の法』に対する受けとめかたは、戦後というもの
| への思い入れによってだいぶん変わってくるのではと思う。
| それから遡って山田正紀『弥勒戦争』、半村良『人間狩り』、
| 井上ひさし『吉里吉里人』と読んでいくとおもしろいかもね。
\_______ ________________________
     V
   ∧ ∧  ./ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ミ,,゚Д゚彡<>>259 いやあ世界観全体を詩だけでつくりあげて
ヽ .ミ    ミ  | しまったゲームが実在していてね。↓参照。
  ミ,,,,,,,,ミ   \_____________
[Racing Poem Game レーシングラグーン 3rd Night]
http://cocoa.2ch.net/test/read.cgi?bbs=famicom&key=993609118&ls=50
265吾輩は名無しである:2001/07/13(金) 21:30
隠すのが物語
暴くのが小説
266吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 18:34
おっと、さがってるじゃん。。。
あげ
267我輩は名無しである:2001/07/16(月) 19:26
>>265
じゃあじゃあ、ノーパン・ノーブラだと、物語も小説も
成立しないわけだ。
んっ? 何か間違ってるぼく?・・・
268:2001/07/16(月) 21:15
ごめん、笑えない。
269吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 22:33
恋と愛の違いについて語るガキのように語れ。ほれ
270吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 23:17
19世紀文学の否定か。
しかし、これは単にイメージで語っているに過ぎないが、
19世紀文学くらい面白い小説ってないような気がする。
中でも、例えば『地下室の手記』。
二部構成のあの作品で、ドストエフスキーは論文調の第一部と、
明確に物語である第二部の、いったいどちらを浮揚させるために
二部構成を選択したのだろうか。
やや本筋と離れていることは承知だが、仮にあの作品が、
第二部のような純然たる物語として構築されていたら、
現存のもののように読み手の胸を打つことは可能だっただろうか。
詩性と物語性の対立よりも、むしろ論文=批評文と物語の対立が
問題なんでは。
271吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 23:31
ブラ隠してんじゃん。
272吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 23:36
今日、本屋で柳美里の「命」を買っている若い女性を
見かけました。どんな人がああいうのを読むのか、
以前から気になっていたのでついつい顔を見てしまいました。
本当に普通の人という印象を受けました。推定読書量は
月に一、二冊という感じの女性だと私は勝手に確信しています。
結論、やっぱりある種のわかりやすい話(物語)は
広く多くの人々に共有されるような作品には不可避的に
必要とされるものだなあと思いました。
文学にとっては必要条件ではないが、十分条件足りうるという
ところだと思います。
273我輩は名無しである:2001/07/17(火) 02:08
買っても読まないってあるんだよね (w
274吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 08:40
>272
実感としては、ただしい。そしてむなしい。「命」。。。
275吾輩は名無しである:2001/07/18(水) 00:20
大きな物語が読みたいなあ
276吾輩は名無しである:2001/07/18(水) 00:21
>275
死ぬまでかかっても読みきれないほどあるだろ?<古典
277吾輩は名無しである
たしかに。しかしそう考えるとめまいが