1 :
吾輩は名無しである :
2001/07/01(日) 23:13 どうよ?
2 :
なっこ :2001/07/01(日) 23:37
読んだことないからわからん…
3 :
吾輩は名無しである :2001/07/01(日) 23:53
演劇の人じゃなかったっけ? 文学板はスレ違いじゃ!?
4 :
JPB :2001/07/01(日) 23:58
小説(らしき)ものも書いております。 何というか、散文として読まなくてはついていくことができなかったです。 でも、無理に小説として読まないなら、ふに落ちる部分も多かったです。 表記に関しては全然わかんないのですが。 おすすめ?としては『名づけ得ぬもの』『モロイ』ですか。。。
5 :
名無しさん :2001/07/02(月) 00:23
>>5 小説・詩だけが文学だろ。馬鹿か、お前!?
戯曲は戯曲。別のジャンル。確かに
小説を演劇化したり、脚本を小説として
読む場合もある。でも同じ脚本でも読む場合と
劇を観る場合とでは別物だ。
7 :
吾輩は名無しである :2001/07/02(月) 02:25
じゃあシェイクスピアって文学じゃないんだ・・・
文学板の連中がいかに無知かを見事に露呈させてしまった記念碑的なスレだな。感動した。
9 :
ixion :2001/07/02(月) 07:21
…(涙) 後期作品の"Cascando"や"Not I"の言葉の切れ端を追って行く感覚は、何やら いろいろバラバラに生きている「私じゃない」者には分かりやすい。 しかし、ト書きに"Silence"の度合いが増えるにつれ、何故か言葉にされない 悲しみや苦しみも増えるように感じるのはなぜだろう?ベケットは感情の 「行き詰まり」をそのまま言葉においても行き詰まらせることで表現したの だろうか? . . . out . . . into this world . . . this world . . . tiny little thing . . . before its time . . . in a godfor- . . . what? . . . girl? . . . yes . . . tiny little girl sleep . . . no more stories . . . come on . . . come on . . . Woburn . . . it's him . . . see him . . . say him . . . to the end . . . don't go . . . 「ダンテ...ブルーノ.ヴィーコ..ジョイス」の中にジョイスを"biologist in words"と形容し、それと対比するように"the collective noodle of the monodialectical arcadians"って言葉が出てきますが、こうした「一人ぶつ ぶつ呟く暢気な奴等のひとまとまりになった脳髄」みたいなものを表現しよう とすれば、世の中にありふれている「言葉」ではなく、実はその言葉の隙間に もっとありふれている「沈黙」に従わねばならなかったのかもしれません。 しかし、ベケットの沈黙がなぜかセンチメンタルなものに感じられてしまうのは、 集合的な頭を持った凡庸な読み手だから、という理由もあるが、ベケットの中に 「感傷」があったからとも言える。もちろん、ベケットは偉大なユーモアの持ち 主で、「ゴドー」や「勝負の終わり」などの分かりやすいものだけでなく、後期 の"Quad"などもありゃ山高帽の紳士が真面目腐って演技したら笑えるだろう。 だが、ベケット自身が貶していた初期の散文(『マーフィ』や『ワット』も 笑えるのだが)や詩の中にも「終わりに伴う感傷性」が感じられてしまうのだ。 Well, thought Belacqua, it's a quick death, God help us all. It is not. ("Dante and the Lobster") redeem the surrogate goodbyes / the sheet astream in your hand / who have no more for the land / and the glass unmisted above your eyes ("Da Tagte Es") 知性か感傷か、などはつまらない疑問で、それこそ"I can't go on, I'll go on"の板挟みの喜劇のように答えは出ない。「語り伝えるものは何もない」時に 想像する、その行為に「知性」を感じるか「悲しみ」を感じるか…いずれに しても一つの悲喜劇であることは確かだ。 「想像力は死んだ想像せよ(imagination dead imagine)」
10 :
neu :2001/07/02(月) 08:06
テレビ作品の「クワッド」が観たいっす。
11 :
m :2001/07/02(月) 08:11
授業で「クワッド」みたけど、頭がおかしくなった。
12 :
吾輩は名無しである :2001/07/02(月) 21:58
「クワッド」ずーっと見てると変な気分になってきます。
13 :
neu :2001/07/03(火) 10:10
>10&12 「クワッド」ってビデオになってるんすか?
14 :
neu :2001/07/03(火) 10:12
日本で入手可能っすかね?
15 :
モー娘。らぶ。。。 :2001/07/03(火) 12:55
>>9 ixionさんの解釈で少々疑問が・・・。
>ベケットの沈黙がなぜかセンチメンタルなものに感じられてしまう
というくだりですが、どうでしょうか?
たしかにそう読み取ることも可能かもしれませんが、しかしやはり徹底的にユーモアの人だと思うのですが。。。
例えば、ドゥルーズがベケット論=『消尽したもの』で定義しましたが、
疲労したものを悲劇だとすると、消尽したものはやはり喜劇なのではないでしょうか?
そして、そこにはカフカと通じる、もっといえばドゥルーズと通じる悲劇のなさ、ユーモアに徹する文学者の姿が浮かび上がるのではないでしょうか?
ちなみに、以前『ストイックなコメディアンたち』というベケットをジョイスやフローベールと並べて論じた評論を読んだことがありますが、
そこではベケットを袋小路のコメディアンとしていました。
私はその定義からやはりカフカと通じるものを感じましたが、いかがでしょうか?
16 :
fishman :2001/07/03(火) 20:10
横レス、スマソ。消尽したものはそれはもう消尽したもので、 ユーモアや悲劇のどちらも持たないんじゃないでしょうか? こう言ってしまうと、話が膨らまないし、つまらないのは 自明のことですが。。
17 :
ixion :2001/07/04(水) 00:14
>徹底的にユーモアの人 いや、ユーモアが「ある」ことはその通りですが、しかしそれが本質として 語られることには、何か伝統的な悲劇の「真面目さ」に反抗するようにして 「笑い」を強調するような、安易な批評の怪しさがあると思います。 なんつーか「喜劇こそが批評的距離のとり方だ」みたいな胡散臭い奴^^; ベケット作品で不思議なのは、舞台で観るととめちゃくちゃ滑稽なのに、 テクストになると「伝えられないことの悲しみ」が流れているようにも 感じられてしまうことです。高次元の「笑い」としてベケットをとらえる ことは確かにできますが、ではベケットの「袋小路のコメディアン」性には 悲しみはないのか、となると、俺は「ある」と言い切りたい。ただしテクスト 空間においてベケットを「読む」場合の悲しみだ。 いつだったか、ブルック演出でナターシャ・パリー主演の「しあわせな日々」 を観たが、あれは笑えた。埋まってる時点でもう面白いんだけど、何より 役者のしぐさが面白い。で、芝居が終わってちょっとした講演会みたいのが あったんだけど、やっぱパリーさんも「もっと笑って欲しかった」と言ってた し、演劇の空間ではその通り、笑うところなんだろうと思う。 でも、最後の"Oh, this is a happy day, this will have been another happy day! [Pause.] After all. [Pause.] So far."の台詞を「読んだ」 時のもの悲しさはなんでしょう?また、後期の"What Where"でも、BamBem BimBomの「しぐさ」はあれほど面白いのに、なぜ"I am alone. In the present as were still. It is winter. Without journey. Time passes. That is all. Make sense who may. I switch off."という言葉は悲しい のか?それは凡庸な感慨なのか?「終わりの感覚」が蔓延することは、ただの 消尽/蕩尽であって、悲しみなどというセンチメンタルさとは別なのか? 確かにベケットは面白い。しかし、解釈のし過ぎはその面白さを薄れさせる。 だからこそ実際に演じられる時には笑えるものが、読みという解釈空間では 時に悲しく感じられる。そこに言葉と動作のある「連絡不能性」があって、 ベケットが後期のあの動きの断片群に至った事実を、こうした考え方から 新たにみることはできないでしょうか?
ixionさん、あなた何歳なの? 申告年齢よりずーと高いでしょ?
19 :
吾輩は名無しである :2001/07/04(水) 00:26
深刻年齢+20で考えると良い
いま25.3歳。モー20代後半突入だねぇ…^^;
と、いうことは現在45.3歳ってことでよろしいか? >ALL
22 :
JPB :2001/07/04(水) 01:04
公演見たいな〜、翻訳の説明だけじゃなにがなんだかワカンナイし・・・ >クワッド ここ戯曲スレじゃないですけど、ハロルド・ピンターの公演は どうなんでしょう?
23 :
吾輩は名無しである :2001/07/04(水) 01:35
>>17 “読みという解釈空間”に限らなくとも、充分に哀しいんだよ。
>「袋小路のコメディアン」性
は、喜劇じゃなく悲劇だ。「袋小路の鬱病患者」よりももっと
甚だしく悲劇性を孕んでいる。舞台上の動作が喜劇的であればあるほど
笑いの裏で我々が感受する哀しみはより際立つ。
笑って笑って、悲哀が残曳する、そうした質だな<ベケット
24 :
我輩は名無しである :2001/07/04(水) 01:43
ベケットは、ジョイスの弟子だったよな。 饒舌のジョイスに対し、寡黙のベケットですな。
25 :
名無し :2001/07/04(水) 01:48
3は、大衆小説を文学と思ってるんだな。 ギリシャ劇 とか シェイクスピア とか チェーホフの4大戯曲を読んだこともなし。 もちろん、ベケットは名前だけしか知りません。
26 :
吾輩は名無しである :2001/07/04(水) 02:13
>>18 >ixionさん、あなた何歳なの?
>申告年齢よりずーと高いでしょ?
前から思ってたけど、絶対そうだよ。
それから、結構、一人レスやってっぞ。ixionの野郎。
ハァーーーーー(疲)>26 オフ会でもあれば通りすがって挨拶して帰るんだけどね。 つーか下らんレスつけんならsageろや、マジで。
ほんとどうでもいいが、26とかさ、負け犬の遠吠えみたいだからそういうのはいい加減やめとけよ。無様だ。 お前らは、二十代の「博識」というのがそんなに信じられんのか? いいか?世界はな、お前らが思ってるよりも遥かにデカイんだ。 ixion程度の知識をもってるやつなんか、世の中にはゴロゴロいるんだよ。 そもそも、知識の中身はともかく、文面から伝わるナイーブさを踏まえれば、ixionが「若い」やつだというのは疑いようもない。 仮に実年齢が高いにしてもだ、ixionは「若い」んだよ。 いずれにせよ、俺は彼の申告を信ずるがね。 あるいは、26とかは、世間に恥をさらすのが趣味なのか? だとしたら、それを止めるつもりはないが、しかしその狙いもあまりうまくいっているとは言い難いな。もっと冷静になれ。 それにしても、ixionたん、君には同情するよ。 文学板は、まるで君のために用意された「悲喜劇」の舞台みたいじゃないか! そろそろ君は、思いきって表舞台に飛び出してみてはどうだい? そうすれば、さらに素敵な(悲惨な)「悲喜劇」を演じられるかもしれないじゃないか! 今後の活躍を、陰ながら期待しているよ。
>>26 嫉妬の煽りというものは、いつでもミエミエなんだよ、傍目には。
赤っ恥かいてるのは君自身だ、気付けや、な。
君は ixionと同年代だ、そうだろ? もう少し若かったりすれば
そこまでジリジリ妬くこたぁなかろう。
>>27 のカキコを見てみれ。
ixionの青さ…いや若さが、証明されているじゃないか。
妬き煽りに一々過敏に反応してしまう…発展途上の何よりの証拠だよ、
まだ肝も据わっておらん、イラつく神経や、な。
>>28 氏がわざわざ登場しなきゃならんようになるし、見れ、
君のせいで横レスが4つも連続するわけだよ、ここまで。
>>26 -29
他の人々の迷惑この上ない。…そゆことをな、言いたくて、俺は書いた。許せ>ALL
30 :
吾輩は名無しである :2001/07/04(水) 13:07
「『不条理演劇』は存在の無意味さを表そうとする。観客はただ劇をながめるだけ でなく、ぎくっとすることを求められる。無意味さを賛美することが目的では ないんだ。その反対に、日常生活のなかの不条理を表現して、その正体をあばく ことで、観客にもっとまともな生き方はないんだろうか、と考えさせるんだ。」 バーイ 「ソフィーの世界」 じゃあね。
31 :
JPB :2001/07/04(水) 20:43
ベケットの散文には確かに「悲しみ」が充溢しているかもしれない。 「眼は荒地の細部をじっとみつめ、涙にくれる。想像は思う存分哀し みにくれる。」(『見ちがい 言いちがい』以下同) この「眼」は舞台にとどまり、この「場」にひきつけられる「彼女」を 見つめる。 「彼女は無防備。終わる命。彼女に属する彼女の命。もうひとりに属する 彼女の命。」 この「彼女」の再来は、何度も「眼」に「もうひとり」に再開の契機を与え るだろう。 「もうひとりは彼女が現れるのを待っている。またやり直そうと。それを またやり直す─それを何と言えばよいか。何と言いちがえるか」 しかし、何度「再開」しようとも、その「再開」は何度も彼女の消失と 充溢する静寂によって閉じられてしまうだろう。この再開−消失−静寂の 「回転」は「眼」に悲しみと映るだろう。 その「悲しみ」は拡張した言い方になるが、再び再開する活力を 湛えた、宣言としての《悼み》と言えるかもしれない。
32 :
JPB :2001/07/04(水) 20:44
感傷に内在する力強い言葉。 「静寂。また続く。注意。」 「注意」は「恐怖」を呼び寄せ、それが引き起こす破綻が、再開の鍵である 「狂気」へと至る。 「そのせいで─破綻のせいで狂気が始まる」 「頭」は、にもかかわらず「注意」し、「裏切る眼をあばき、裏切る言葉は それらの裏切りをあばく」ことで、「回転」を「再開」する。「その回転は、 二つの影が区別されたとき初めて再開され」、そのとき「眼」は「まだ生気 にみちた影」として「彼女」を見出す。そして「眼」は再び活力を得るだろう。 「彼女とともに、あの空とあの場所を終わりにするために。 そしてまた早すぎる なら、また始めること。さらに変わること。さらに引き返すこと。」 「眼」は「一秒も惜しんで貪るように。空と大地とあらゆるごたごた」の中で 「最後にまだ何か必要」な何ものかをみつめ、呟くだろう。 「それ以上でもなく、それ以下でもなく。以下だ!そして、もう前と同じではない。」
33 :
吾輩は名無しである :2001/07/05(木) 21:46
映画化されるらしいね
34 :
吾輩は名無しである :2001/07/05(木) 22:40
え?ほんと?詳しい情報きぼんぬ
35 :
吾輩は名無しである :2001/07/06(金) 02:41
自己レスが若干いるようだな・・・・・・。 毎度の事だが。
>>35 どの辺が?
毎度の事をわざわざ書くのなら、疑惑箇所をちゃんと示せよ。
そしてsageろ。
37 :
吾輩は名無しである :2001/07/07(土) 00:44
否定しすぎてボロを出し・・・・・・・・・・ixion。
38 :
29だが :2001/07/07(土) 00:58
>35=37 俺はixionでも29でもないぞ、カキコ読んでわからんか? 文章というものは個人差というものがある。そんなことも 読み取れんのか・・・って、あ、わかった!! お前、26だな? そうだろう? 間違いない! ixionも他の人達も、28=35=37の粘着煽りだ。このスレに 引っついてるのは明らかにixionへの嫉妬だな。 以降、放置して無視するように>ALL ixionよ、心ある人間は誤解なんかせんから、心配するな。 君をやっかむだけの能しかない奴なんか、相手にすな。
39 :
29だが :2001/07/07(土) 01:01
↑ 訂正 26=35=37 だ。
>>28 さん、すんまそん!!
40 :
吾輩は名無しである :2001/07/07(土) 01:09
26=35=37 は、ロムってれば見えてますよ、ちゃんと。 ixionだけでなくJPBへの嫉妬もあると思われ。 つまり、自分がここで彼らと論じるだけの内容をもたないからで。 もたなきゃ、おとなしくロムってればいいでねえの。 漏れだってそうしてるっちゃ。 チョコチョコ邪魔書きすんのは、見てる方が恥ずいぞ>37
40です。スマソ、あげで書いちまった、鬱だ、、、
42 :
吾輩は名無しである :2001/07/07(土) 01:29
「変容」と「い・き・づ・か・い」。
俺もageで書いてまった。スマソ>ALL
>>38 の文中の訂正→正「俺はixionでも28でもないぞ」
>42=26=35=37
すげえ粘着アオリくんだ…言っとくが俺は心理学だけんな、
み〜んな見える。お前よほどの抑うつだな。だいじにせえよ。
44 :
吾輩は名無しである :2001/07/07(土) 01:55
心理・・・・・・・・だけ?
どうやら、粘着煽り君は未だにかまってほしくて仕方がないらしい。 まあ、粘着煽りという連中はどこでもそんなものだからべつだん驚くには価しない。 それよりも、我々がこの場において真に注目すべきは、ixionたんの意外な予知能力的読解力である。 ixionたんは、ベケットの著作からある「悲しみ」を見て取った。 この見解に対する賛同は、本スレではまだ少数しか見られぬわけだが、我々は彼の指摘をもっと別の角度から捉えるべきだったのだ。 結論から述べよう。 ixionたんがベケット作品に見出した「悲しみ」とは、その後本スレに登場する粘着煽り君に対してこそ向けられた言葉だったのである。 そう、彼は確かに「悲しい」やつだ。我々にとって、粘着煽り君である彼(または彼ら)は、単なる「悲しさ」以外のものを感じ取ることができない存在だ。 そんな彼(または彼ら)のために、そろそろスレの一つでも立ててやろうと考える奇特な人は果たして現れるのだろうか。 おそらく、仮に人類史が無期限の継続を約束されているにしても、永遠にただの一人も現れないはずだ。
46 :
吾輩は名無しである :2001/07/07(土) 22:15
まるで翻訳者のような・・・・・・・・・。
47 :
吾輩は名無しである :2001/07/08(日) 23:34
カキワーケ、カキワーケ
>47 はい、いらっしゃい抑うつ粘着くん。今日も引きこもりで 夜になって起きてきたのか? って、 ゴメンゴメン、煽りのドキュソをからかって遊んじゃいけないな、 今後この人物(=26ひとり)は徹底無視で、よろしく。 どうせ今後も、得意の半角カタカナなぞ使い分けつつ、 嫉妬に身悶える屈折した真情を延々といつまでも 洩らし書きし続けるに決まっているので、見かけたら 大笑いして、可哀想にと同情してやってくんなまし>ALL では、本筋に戻って、ベケットを語れや。
49 :
吾輩は名無しである :2001/07/08(日) 23:59
>ALL
50 :
吾輩は名無しである :2001/07/09(月) 22:29
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ジ、
51 :
吾輩は名無しである :2001/07/12(木) 01:30
52 :
吾輩は名無しである :2001/07/12(木) 01:51
常駐言訳者。
53 :
吾輩は名無しである :2001/07/12(木) 23:41
ixionが沈黙に見出す悲しみやセンチメンタリズム は、やっぱり読み手としてのixionのほうの問題 で、ベケット自身は、伝えられないことの悲しみ とか、センチメンタリズムとは無縁でしょう。 そういう読み方は、 いわゆる「不条理演劇」として、 ベケットを「無意味」などというキーワードで 論じようとする人たちと、考え方は対して 変わらないですね。 かといって、消尽したものをユーモアで一括 するのもどうか。「悲しみ」「不条理」など の中途半端な否定性ではないにしても、 ベケットの作品をそこまで肯定的に捉えきって しまうことも難しい気がします。 否定と肯定のあいだを、「行ったり来たり」 つまり、「悲喜劇」というのが一番当たってる んじゃないかな。「悲劇」とか「喜劇」と 言いきってしまえば楽だけど、そのどちらでも ない状態、それこそ、爆発の千分の一秒前の 石のような状態が、ベケットの表現形態でしょう。
54 :
fishman :2001/07/12(木) 23:54
あー、僕が
>>16 で悲劇でも喜劇でもないと言ったのは
「消尽」に関してであって、ベケットの作品そのものに
ついてではないです。
ixionさんの繊細な読みは言葉そのもの一つ一つに向かっていて
自分には真似の出来ない良質なものだと思います。
テクストによって創造される人間性を作家と呼ぶとすれば、
ベケットに悲しみはあるのじゃないのでしょうか?
55 :
吾輩は名無しである :2001/07/13(金) 00:23
このスレは、「架空援軍」の悲しみに満ちている。
↑出た〜。嫉妬に震える26の悶えカキコの現場を発見。 いつも同じ時刻に来ては49−52 誰かが現れてくれるのを待ってたんだな…。 サミシイんだ、よ〜っぽど、可哀想な抑うつくん>55=26
↑56スマソ。つい書いてしもた。虫無視でした…。
>>48
58 :
吾輩は名無しである :2001/07/13(金) 10:51
戯曲はわかるが、実際、小説はきつい。笑えん……。
59 :
吾輩は名無しである :2001/07/13(金) 12:10
笑える
60 :
吾輩は名無しである :2001/07/13(金) 23:13
「弁解駐屯地」。
ベケットの新作か? まさに悲喜劇・・・。
62 :
吾輩は名無しである :2001/07/14(土) 09:49
ベケットの小説の楽しい鑑賞法について、我こそはという方、教えてください。
63 :
吾輩は名無しである :2001/07/16(月) 00:22
蚤のプライド。
64 :
吾輩は名無しである :2001/07/16(月) 00:26
ウッディ・アレンが中学生のときにベケットに会いに逝ったってエピソードはいいよね
ウッディ・アレン萌え〜〜。 若いって、いずこも同じだ、いいねー。厨房に戻りたい(涙目
"film"のオファーを最初チャップリンに出したというのは如何なもの なんでしょうか。断られて結果オーライだったにせよ。 仮にチャップリンが受けていたとしたら、それこそセンチメンタリズム 横溢する一大ゆうもあ悲劇になってた気がしてからおそろしいです。
67 :
吾輩は名無しである :2001/07/27(金) 23:54
age
68 :
:2001/07/29(日) 00:57
で、なんでゴドーを待ってたの? ゴドーって誰?
69 :
吾輩は名無しである :2001/07/29(日) 01:05
70 :
吾輩は名無しである :2001/07/30(月) 06:57
74 :
吾輩は名無しである :2001/07/30(月) 07:16
早起きゴドー! 夕日と朝日を混同したんだろな。やっぱり。
77 :
吾輩は名無しである :2001/07/30(月) 08:33
Try again. Fail again. Fail better
78 :
◆nS8EFpEg :2001/08/11(土) 00:02
Endgame のスクリプトよんだけど、登場人物達の描写や設定がグロテスクで一見非現実的なんだけど、御互い煙たがりながら離れる事ができない親子の確執とか、夫婦愛、死にたいする恐怖とか、取り上げられてるテーマは普遍的で、筈ヒューマニスチックなテーマだとおもいました。
79 :
:2001/08/18(土) 04:24
Life is trial&error
80 :
吾輩は名無しである :01/08/28 00:23 ID:s/2aZX3I
nothing to be doneあるいはnohow onである現在。 こういう時のベケットはまたひとしおなんじゃないんですかage
81 :
吾輩は名無しである :
01/09/08 20:44 もっと今風の言葉にならんかと思って、原文読んでるんですけど、 ラッキーの長セリフ「前提としてポワンソンとワットマンの……」 この部分、どう処理したもんかなあと、悩んでます。 どうにか日本語にしたくて、「土木屋と電気屋の公共事業云々」 とか、やってるんですけど、「ワットマン」から連想、派生する イイネタ、なんか無いですかねえ。