文学と差別について真面目に議論する

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1名無し
「文学と差別」
表裏一体の重く難しいテーマですが・・・。
真面目な意見が聞きたいですな。
2吾輩は名無しである:2001/05/26(土) 00:15
はいはい、あなたは「批評空間」の愛読者さんね。
おバカなわたしゃにゃついていけませぬ。
3名無し:2001/05/26(土) 00:35
>>2
「批評空間」読んでるのはあなたでしょうが(藁
知らんよ。そんなの。
ななめに構えすぎじゃない?

文学板ってつまんねーんだよなあ。
ひねくれかたが一回転半してんだよ。
4吾輩は名無しである:2001/05/26(土) 00:37
「物語」についてとりあえず誰か論じてくれ
5吾輩は名無しである:2001/05/26(土) 01:14
ちょっと問題設定が大きすぎない?
言葉そのものがあるものと別のものを分別していくものだから、
ある種の差別生は避けられないと思う。
それとも、現実の「差別問題」と文学ー端的に言って中上健次についてー
語りたいのかな?
6吾輩は名無しである:2001/05/26(土) 01:18
ですよね、広範囲すぎる…
文学における差別表現について語りたいの?おら、よぐ、わがらねー
7匿名希望さん:2001/05/26(土) 01:20
文学と差別が表裏一体ってのが、わがらね。
おさ、説明してけろ。
8吾輩は名無しである:2001/05/26(土) 01:29
なんか具体的な作品とか
事件とかを具体例として
あげたほうが話しやすくは
なかろうか。
9:2001/05/26(土) 01:51
>1
私は5000人の日本人読者に向けて、小説を書いています。
5000人程度の固定読者が存在するからです。
私にとって、残りの1億人は眼中にありません。

読者は自分で贔屓の作家を選んでいると思っているかもしれませんが、
じつはそうではなく、作家が読者を選んでいるんです。

あなたが言いたい差別とはそういうことですか?
10名無し:2001/05/26(土) 01:53
筒井康隆の「てんかん」問題とか、柳美里の問題は
もう語り尽くした・・・?

自分はどっちも読んでいないのでこの件は
語れないんだけど。


11吾輩は名無しである:2001/05/26(土) 01:57
>>9
作家=やくざな稼業ってことだったりして…
12吾輩は名無しである:2001/05/26(土) 02:05
>>10
じゃあ何から始めましょうか?
13吾輩は名無しである:2001/05/26(土) 04:06
モルガンだったかな、無文字社会に文字を導入する事によって階層分離が生じたという。
荘子においては名誉といった固有名の承認願望によって疎外状況が出来することが指摘されてたな。
14吾輩は名無しである:2001/05/26(土) 04:32
1が意味する「差別」が何を指しているのか、知りたい。
語り合うには「差別」の意味する範囲がある程度限定
されないと、議論する方向性が定まらないように思う。
15吾輩は名無しである:2001/05/27(日) 06:48
もっと話題を限定しないと、誰もついてこないよ。
ちび黒サンボについて語る! とか。
それとも誰もついてこないようにスレを立てたの?
16吾輩は名無しである:2001/05/27(日) 10:36
文学と差別のどこが表裏一体なのか。
人間と差別は切ってもきれないから多かれ少なかれ差別を扱った文学は山程。

ところで私が最初に差別という言葉を認識したのは「破戒」
17吾輩は名無しである:2001/05/27(日) 10:46
1は渡部直己読んだだけでしょ。
18吾輩は名無しである:2001/05/27(日) 11:24

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     ┃┃ /  ヽ     ┃┃
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     ┃┃ (/)     ┃┃
    凸┃┃ (/)     ┃┃凸
    Ш┃┃ (/)     ┃┃Ш
    .|| ┃┃ (/)     ┃┃.||
  ∧_∧   (/) ∧_∧  ∧ ∧
  ( ・∀・)  (/)(´∀` )  (゚Д゚ )1が社会復帰できますように
  (つ  つミ (/)(⊃⊂ ) ⊂  ⊃
  |_|_|_I(/)_|_|_|__|  |
  /////ノ,,,,,,ヽ ////||  |〜
////////////  |∪∪
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
|        奉  納
19吾輩は名無しさん:2001/05/27(日) 11:31
>>1
人間の言葉など偏見だらけだ。2chみてわからんか?
人間は偏見と差別の中で逝きてるようなもんだから
言語的に差別を規制してもあんまり意味がないように思われる。
20世界@名無史さん:2001/06/26(火) 03:05
文学が好きな人にとっては、文学のほうが大事。
反差別主義の人にとっては、非差別の方が大事。

ただそんだけだとおもいます。
あとは現代衆愚政治が判断するだけ。
21吾輩は名無しである:2001/06/26(火) 18:27
天皇
2220:2001/07/07(土) 01:09
そーいや、ちびくろサンボんとき、
岩波の社長が、
「文学と差別問題とどちらが大切か」
みたいなことインタヴューで訊かれていて、
「差別問題です」
という趣旨の考え方を明言していた。
おれは、それ以来、岩波書店を憎むよ−になったね。
それが文学に大きくかかわっている者の発言かよ。
思い出したらむかむかしてきた。
もしまだ生きているのならば、
自らを恥じ即座に死ね。
23吾輩は名無しである:2001/07/07(土) 01:36
>>22
まあまあ、そう激すなや。
社長ともなればな、会社と言論の自由を命かけて護らんならん。
そこでもし「文学です」とでもゆうてみ、
マスコミでめっちゃくちゃ叩かれるのは必至やろが。
特に包装とか新分とか軟らかめ系の出パンとかからは、
ここぞとばかりの猛攻撃を受ける。勿論、差別関係団体は
世論を盛り上げて、岩波不買運動なぞまでやりかねん。

…そういう結果が火を見るより明らかだからさ、
社長の役割としては、社員や読者は我が苦衷を察してくれるに
ちがいない、と信じて、あえてそう答えたんやないけ。
その可哀想な胸中を、少しは察してやらないかん。
氏ねとはあんまりやぞ、、、うっ、うっ。
24吾輩は名無しである:2001/07/07(土) 17:25
「文学と差別問題とどちらが大切か」
この質問自体、アホ。それは二者択一すべきものなのか?
どちらも大切に決まってるだろ?
両立させる努力を問題にしようや。
25吾輩は名無しである:2001/07/07(土) 17:36
ある程度実力のある、読める小説を書く人物の差別表現はたとえ、どぎつくとも
まあ、黙認する。差別表現を書きたけりゃ、実力をつけろでいいじゃん。
 
26吾輩は名無しである:2001/07/07(土) 17:43
>25 お前アホだろ?
おっと、ひとまず本質的かつ直截な感想は措いて、
冷静に聞いてみよう。
あなた様が今頭に思い浮かべている実力のある作家って
いうのはどなたですか?後学のために是非ご教授下さい。
27吾輩は名無しである:2001/07/07(土) 18:23
やなこった
2825:2001/07/07(土) 19:07
27は俺じゃない。アホウと意識して書いただけ。反応があるとはな。
俺が教えてもらいたい。ものすごく難しい問題だろ、これは。
「肉屋」という表現が糾弾にあうからといって、出版社が、
訂正してくれと物書きに言う。いくら糾弾団体が厳しいからといって、
肉屋がだめだとはいってこないと思うのだが、揉め事がこわいから
自主規制する。「精肉業者」にしろということらしい。
 これでは、逆にこわばるし、文脈に合わないから、書かなかった。
こんな話がごろごろしているだろ。
26、逆に聞く。あんたはどう考えている。どう対処していきゃいい
んだろう。俺はさしあたり、23に共感せざるをえんし、対処方法は
20の云うこと意外に知らない。思考停止で応じたくもなるぜ。
2926:2001/07/07(土) 19:36
「肉屋」って言葉を「精肉業者」に言い換えることで失われるものって何だろうな?
音の流れ?自然さ?

(ex)
「昨日、肉屋でコロッケ買ってさぁ。」
      ↓
「昨日、精肉業者でコロッケ買ってさぁ。」

まぁ、確かに不自然だわな。

しかしだね、どうして差別が問題化するのはいつでも
外的圧力からなのかね?名前を出すと荒れそうだから伏せる某作家の一連の問題にしても、
問題はその言葉を使ったことではなくて、あくまでも論理的根拠を持たない
イメージに依拠して作品が構成されていると言うことなんじゃないのか?
とすれば、それは人に悪いと言われるから駄目なんじゃなくて、
問題とすべきは、仮にも作家ともあろうものが、言葉の「イメージ」に
べったりともたれかかっているという一点に尽きるんじゃないのかね?

上の例えで言うなら、ここで別に「肉屋」と言う言葉には差別的ニュアンスはないよな?
言葉そのものに全てを収束しようとする教壇団体のやり口のまずさには
俺も正直うんざりもする。だけど、それは文学の優位性を
何ら提示しない。対処法?敏感であることだよ。
多方向に向けてね。
3025:2001/07/07(土) 21:14
俺は読んでないから知らないんだが、ハンセン病の元患者の方で、
作家が何人かいるよね。彼らのうち、自ら受けた差別、友人の受けた
差別の悲惨を書いている人もいるんだろ。そこには、それこそ、
当事者でなきゃ、書いたとしても出版してくれない文章がいっぱい
あると思うんだ。でも、それは許される、当然に。
支持者の作家が書いてもそれは許される。実際あるだろう。
 とすると、差別を解消するのに直接貢献するものには、差別表現
であろうとも許される。文脈で判断するというやつだな。
 しかしだぜ、人間の赤裸々な本性をあらわすとき、つまり、
現実世界のどこにでもいる、ゲスを登場させる。そのゲスの吐く、
差別語、聞いちゃおれない差別表現をいいかえてしまうと、その
ゲスのリアル度はゼロになるわな。人間性のリアルな描写という、
文学の得意技のバリエーションがひとつ消える。
 でも現実世界においてゲスは消えない。フィクションにおいて、
人生の対処方法を学ぶという文学の機能がすたれる。
 考えてみてくれ。いまどき、金を出してまで、小説を読もうなんて
奴は稀有だぜ。所謂ゲスが本を読む確率はそれほど高くない。
週刊誌に載せるわけじゃないんだ、漫画に載せるわけじゃないんだ、
まして、一番伝播力があり、受け手を選ばないメディアである、
テレビに表現するといっているんじゃないんだ。
 ある程度の教養があり、モラル感覚もある受け手が多いと思われる
(俺はそう信じる)「文学」には、最後の砦として自由な表現を
ある程度認めるべきだと思うがな。リアルの在り処がなくなる。
 勿論、作品そのものが差別のための差別としか判断できないものは
論外。その判断基準、誰が判断するのかが、また難問。
31吾輩は名無しである:2001/07/07(土) 21:40
>ゲスの吐く、 差別語、聞いちゃおれない差別表現をいいかえてしまうと、その
ゲスのリアル度はゼロになるわな。

ここはちょっと留意が必要だろうな。
ってのは、これは安易にゲスを書き得るってことで、差別語抜きで
ゲスのゲス加減を表現できないなんてことはないと思うんだわ。

>差別を解消するのに直接貢献するものには、差別表現
であろうとも許される。文脈で判断するというやつだな。

それとここな。このやり口もまた上の安易な手法と同様に
批判されるべきだと俺は考えるね。これは差別を論理的に解消しないで、
読み手を「可愛そうだね」「ひどいね」っていう同情に満ちたカタルシスへと
導くだけのものだからね。リアルさってのは、そう言う杜撰な
やり口が許されないという現状認識そのもののことを言うんだと俺は思う。

あ、それとたまに改行入れようや。

あんたがまじめに考えてるのは良くわかった。
でもな、問題を性急に結論づけるのは止めよう。微妙だとか、
曖昧だとかそういうことじゃなく、本質的に難しいと思うんだよ。
差別問題は。
3225:2001/07/07(土) 22:55
「サスケ」って知ってるか。アニメーションの話なんだが、、原作は
あの「カムイ伝」の白木三平、戦国時代の忍者同士の戦いといった、
よくある話なんだけど、深夜放送で再放送でやっていたんだ。
 決闘のシーンで、いかにも悪そうな敵が何か言っているんだが、
無音が続き、何を言っているのか、さっぱりわからない。
音が復活しても、話がつながらない。発言にゲス度が満載されている
わけだ。

 原放送では全く問題にならなかった一連の発言が、ことごとく、
放送禁止用語になっているんだ。これは一概に人権思想の発展と
いえる、めでたい事なのだろうか?話がわからんのだぞ。
 ザトウイチが放送できないのは有名な話だな。

 まあ、テレビは伝播力が強すぎるし、受け手を選べないから、この
規制は仕方がないとしても、登場人物の発言の規制が文学にも
直結するのは分かるだろ。
 ゲスのゲスたるゆえんは、そのゲスな物言いにある。これは発言と
してしか表現できんぜ。情景描写ではどうにもならない。

 俺も差別表現の問題は、性急に結論なんてつけられるとは思わん。
ただ、ほうっておくと、筒井のようなタイプの作家は皆無になる。
糾弾が怖くて、自由な表現がすたれる。その分、陰湿になる。
ここのような、何らのチェック無しで表現できるとこだけで、
差別のための差別語が吐き出される。何らの発展性もない差別語が。
33吾輩は名無しである:2001/07/07(土) 23:32
あのな、ちょっと今時間がないから、簡単に要点だけな。

カムイ伝やサスケの差別問題に対するスタンスと
筒井の一連の問題のスタンスは根本的に異なるよな?
異ならないと言うなら、そこから始めないといけないわけだが、
端的に言って、もう少し微細にやってくしかないと思うんだわ。
34吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 03:11
あげ。
35吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 03:19
法的に不法行為、名誉毀損にならないんならなんでもありでしょう。
あとはそれを読むか読まないか。
3625:2001/07/08(日) 15:10
>35
許容範囲がどんどん狭くなってるんだぜ。本来、俺も裁判所の判断に任せる
のが、法治国家たる日本のあるべき姿だと思うんだが、出版側の必要以上の
自主規制、ひいては作家自身の自主規制によって、どんどん表現手段が制限
されてきている。それが問題なんだよ。糾弾が怖いんだよ、みんな。

 問題になった筒井の「無人警察」は問題当時(1993年)、高校で使用される
ことが決まっていた「国語T」に掲載されていたものを、日本てんかん協会からの
検定合格の取り消し要請、出版社の角川書店に対して、教科書からの削除または
販売中止を求める声明文が出されたことにより、問題にされたものだ。
 そもそもこの作品は当時で29年前の作品で、この問題が起こるまでは何らの
クレームもなかったもの。(先に書いたサスケの原放映より前だと思われる。)
 教科書に載ったぐらいだから、筒井も言っているように、筒井の作品の中では
穏当なもので、特別刺激的な表現があるわけではない。
 刺激度からいえば、サスケやザトウ市のほうが上だろう。

 要は教科書に採用されたから問題になったのだ。筒井の文章をよんで、偏見
を持つ高校生が出るから、駄目だということだ。

 分からんことはない。教科書に採用するのが適当ではなかったと思う。
筒井曰く、「てんかんを持つ人に運転をしてほしくないという小生の気持ちは、
てんかん差別につながるものではないということです。
てんかんであった文豪ドストエフスキーは尊敬するが、かれの運転する車には
乗りたくないし、運転してほしくないという、ただそれだけのことです。
列車や車の運転には適性があり、これはてんかんを持つ人に限りません。云々」

 教科書に採用するのがふさわしくないのと、ブラックコメディというジャンル
そのものを闇に葬り去り、恥ずべき文学的遺産とすることは、ずいぶん違う
問題だ。

 制度的良識からはずれたものは全く駄目、表現するな、したけりゃ、
ホームページでだけしてな、というのでは、読むに値するブラックコメディは
なくなる。良識を笑い、あざけり、社会の偽善性を暴き立て、自らの中にも潜む
邪悪性を認識させられる、ブラックコメディという文学ジャンル。
 これをみとめるか、認めないかは価値観の違い、いくら議論しても埋まるはず
もない。
37吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 17:23
不満のある筒井信者も「新しい国語教科書」でも作ればよろしかろう。
38吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 17:41
>>36
このスレの非常にマジで重要な論議の流れ、興味深く読んだ。
>良識を笑い、あざけり、社会の偽善性を暴き立て、自らの中にも潜む
>邪悪性を認識させられる、ブラックコメディという文学ジャンル。

それは元々、文学そのもののもつ重要な機能の一つである。
最近になって、文学が多岐にジャンル分けされちまったから、
ブラックコメディに限定してみたりするだけの話。
筒井康隆は、文学のもつ多彩な機能を、それぞれ特殊化させたり
露出させてみせたりする手法で、多様な作品を生み出してきた作家。
だから、特定ジャンルだけが葬り去られる危険というより
文学全体の本質に関わる問題と認識すべきだ。<一連の騒ぎ

差別そのものは、現実社会が歴史的、風土的に生み出す問題である。
それを文学が捉え描く仕方としては、
論じるのでも演説や解説をするのでもなく、
「現実社会そのままを」登場人物を使ってリアルに描く、しかない。

ゲスな野郎がゲスな差別用語を吐く…それが現実であり、だからこそ
差別というものは無くならない、とすれば、それを描くことで、
より多くの無関心な人々へも、
そういう現実があるのだぞ、どうすればいいよ?どう考えるよ?・・・
と鋭く問いかけ、問題提起する仕掛けとして、文学がある、わけだろう。

それが、被差別側から抹殺されようとする事態…
これは単に筒井の腕?の問題とか、差別そのものの問題というより、
文学の機能の衰退あるいは変遷、もしくは
情報過多と多様化の中での感受する側の感性の衰退あるいは錯乱、
・・ではないのか、と思われてならない。(長レスすまそ>ALL)


 
39吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 17:45
↑ 省略されてはいない。
4025:2001/07/08(日) 20:48
<38
同感。どうなるんだろうな。「臭い物に蓋」なんて使い古された言葉があるけど
良識的小説のみ出版が許され、差別的言葉、暴力的表現があるものは、一切、
出版社からはだせない、そんな社会になりそうだな。ブラックコメディを愛好
する団体ができて、内輪でのみ、過激表現を楽しむというような秘密結社みたい
なものができそうだな。いや、もうあるだろうな。何でもある時代だもんな。
 「公私の使い分け」が、生きていくための最低限のモラルになりそうだな。
私の分野では他者に不快感を与えぬ限り、何をしてもいい。その代わり、公的分野
においては、社会の良識に反する活動は一切まかりならんというような。

 それでいいのかもしれんな。個人の思想、表現を発表する、ホームページを
誰でも作れる時代。有料ホームページにすれば、それで食える物書きもでてくる
だろう。ブラックコメディのようなジャンルはもともと社会一般に流布している
常識、良識に反するから、意味があるのであって、世間に温かく迎えてもらえる
ようなものならば、それはブラックコメディとは言わんもんな。
それはせいぜい体制的良識のパロディでしかないもんな。

 しかし、もっと重要な問題は、そもそも、紙でできた書物というもの自身が
不可逆的にすたれるのは必然的な様相だし、そうなると、出版社というものの
形態も根底から変わらざるを得ない、ということ。どうなるかさっぱりよめない。
4138:2001/07/08(日) 21:02
>>40
その通り。
コトは、一ジャンルや差別の問題に限られてはいないと思う。
>>38 で書いたように、
文学そのもの、が問われている、時代的、情況的に、
無論ネットという新領域を孕んだ上での話だ。
実際に、作品を創り発信しながら、そこを模索していく方法もあるが、
2chという場では、本質的な問いを論議する方向も有効と思われ。

そのための新スレが立ったようだが<「文学@ループと終焉」スレ
既出の「あえていおう、それでも文学は最高の芸術であると」スレでも
そこへ話が向かっているようだ。
42吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 21:10
>>42
良識による糾弾や言語統制がファシズムに当たるとするなら、
あなたが25から言っていることとどこが違うのか
良くわからないんだけど。
蓋をするのも、外すのも立ち位置は一緒!
匂いは元から断たないとダメなの!
43:2001/07/08(日) 21:14
>>40 間違えちゃった
4425:2001/07/08(日) 22:48
>42
あんた、本当に恐ろしいことを良識のもとに言う人だな。
どうやって、断つんだ。ポルポト派みたいに体制的良識に反するもの
をことごとく、監獄でもぶち込むのか、虐殺するのか、思想改造でも
するのか?身震いするぜ。
 人は本当にそれぞれだぜ。素質、環境によって、いろいろ興味のもつ
ものは違って当然だ。たとえ、それが大多数の人々にとって、
眉をしかめざるを得ないものであろうとも、私的にやるのならば、
まあ、文句はいうまいというのが、憲法の基本的理念だろ。
 良識のもとにやられる糾弾が一番あぶないんだよ。

 これは、価値観の根幹に関わる問題だ。個性がよく出る問題だ。
前提が違う限り、「虚言を弄している」だのといいあって、全く
噛み合うことのない性質の問題なんだよ。よくわかってる。
 俺はあんたの意見もわかる。あんたがブラックコメディのような、
文学に一切の価値を見出さないことにも全く異論はない。
そうでなきゃ、ブラックコメディの存在理由はないからな。

 
45吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 23:26
>>42
「言論統制」が問題なんだよ。何故なら
良識というものは、時の権力次第でどうにでも変わるからだ。
庶民レベルやコモンセンスとしての良識が活きうる社会というのは、
きわめて稀れ。 いまの日本もそうではない。

ハンセン氏病患者が、つい先日までホテルでの
宿泊も断られていたというのは「感染するから一箇所に集めて
隔離しとけばいい」という政策が、長年撤回されなかったせいだ。
ホテルは、他の客への配慮=公共施設としての良識を実行していただけ。
それはつまり、民衆レベルの良識がどのように形成され、
一旦出来上がったものが連綿と維持されていくか、という実例だ。

単に一般国民の無関心+官僚と行政のルーズさからだけでも、
これだけの悲劇が起こりうる。
まして、
自由な発想や少数者の意見を圧殺しかねない「言論統制」なぞ、
根本的に、とんでもない話。
(『ワイルド・スワン』『毛沢東秘録』…etc…他社会の場合も)
(読んでみれば、柔軟な思考法という意味で参考になると思われ)
46  >42さん:2001/07/08(日) 23:31
>42
べつに議論とかではなく、もし時間があったらば、
マタ〜リとした気分で >>38を 読んでみてもらえばありがたい。
だから何だ、というのではないが。。。。
4742:2001/07/08(日) 23:48
何か、錯綜してないかー?なれ合い御免、議論上等だが、
42で言いたかったのは、「言語統制」を否定するのも、肯定するのも、
同じ杜撰さの元で行われてるって事だよ。
そのやり口のまずさをファシズムと呼んで揶揄しただけ。
またーり読んで欲しいのはこっちの方だよ。。

この名前出すと荒れるから、出したくなかったんだけど、
筒井が「列車や車の運転には適性があり、これはてんかんを持つ人に
限りません。」と語るとき、その根拠はどこにあるんだろうね?
科学的な根拠?作家の霊感?
「てんかん→発作→危ない」っていう、イメージの連結じゃないの?
俺が問題にしてるのはこのイメージの連結の安易さだよ。
42で元を断たなきゃと言った、元ってのもそこ。
確かな手続き抜きの安易なイメージの連結が不当に誰かを
傷つけたのなら、素直に認めて謝れよ。「文学」なんて最悪の後ろ盾を
持ち出すなよ。

良識も、「文学」も、十分に疑って掛かるべきだ。
あんたらの言い口は単純すぎる。それだけだ。
48応援ROM:2001/07/09(月) 00:02
いいですねえ、盛り上がってますなー
49吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 00:03
参加して。負けちゃいそう。
50吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 00:29
>>47
冷静な話、君は発作そのものを現実に見たことがないんじゃないか?
私は、目の前で何度か見ている。発作というのは、本人にも予知できず
突然くるんだよ。慌てて背後から支えたが、一人では支えきれず
助けを呼ぶしかなかった。発作が起こった場合は
なによりも本人の身が一番危険なんだよ、平地に立っている時でさえね。

無論、突発的に起こる脳血管障害だって危険なわけだが、
それは前もってわかることではない。
一度脳出血で倒れたことのある親戚の医者は、
別に後遺症が残ったわけでもなく仕事に支障もないんだが、
その後は、長距離の運転だけはしないようにしている。
体質的にいって、また起こる可能性は0%ではないわけで、その場合
自分だけでなく他者を巻き込む危険性があるからだ。事実だよ。
51吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 00:32
じゃあ、それを作品の中で確定した未来のヴィジョンで
書くことの意味について教えてくれ。
52横レス失礼。:2001/07/09(月) 00:53
このスレ読んでて思ったんだが、差別とイメージの関係がしきりに取り上げられてるね。確かにこの二者は密接な関係があると思うが、実生活においては50の
ような言い分が差別をする側の論理としてまかり通っている場合が圧倒的に多いんじゃないか? もちろんこれだってほんとは(その事故の現場にでもいない限り)イメージに依拠してるにすぎないんだろうが、ちょっと理屈じゃ反駁しにくよな。日々の生活からくる実感ってやつだから。実際50はそれほど間違ったことを書いちゃいないと思うし。

問題は、にもかかわらず、やっぱりこの言い分が差別をするときに振りかざされる危険がある、ってことじゃないかと。
これに対抗すんのには、どうすりゃあいいのかな?
53横レス失礼。:2001/07/09(月) 00:57
読みにくッ! ごめん
54吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 01:00
いつになったら筒井の「人 世に三人在れば」は読めるようになるんだろう...
5525:2001/07/09(月) 01:27
 てっとりばやく、結論をまず述べるが、筒井は安易なイメージの連結
とかで、てんかん患者の運転の問題に触れたのではない。
べつのルポルタージュの取材で大阪大学附属病院の精神・神経科を
訪れて、医者に取材している。以下、その医者の発言を載せる。

 「困った問題ですよ。むしろ、ああして診察を受けに来る人はまだ
いい。自分がてんかんだということを他人に隠して運転しているのが
ザラにいる。三河島事件でも、あとで関係者を検査したら、
五人中四人までが異常波を出していて、しかも一人は、事件直前失神
状態にあったらしいんですな。」
 これは、プロのトラック運転手のこと。実際、事故を起こす運転者
にてんかんの兆候のある人がザラにあるといっているんだ。
差別とか人権の問題ではないんだ。ただ、そういう事実がある、
大きな声ではいえないが、小さな声では何とかいえる真実というのが
この世の中にはいくらでもある。これはそういうたぐいの話だ。

 テレビや新聞、週刊誌にのっているものが全てではないんだ。
良識的空間で流布している情報だけに依拠しすぎではないか?
あんた、少しも調べてないだろ。
 あんたにとっては、被告に当たる人物の言い分も調べてから、批判
しないと、それこそあんたがいうように、
 「筒井→差別主義者→根拠無し」という確かな手続き抜きの安易な
イメージの連結で、不当な批判をしていることになるぜ。
 この筒井の話は本論じゃないんだよ。もっと、文学全般における、
規制の問題について、語ろうぜ。そこで、どんどん反論してくれ。
56吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 11:11
>25

うんざりするぐらい乱暴な論理だな。
ルポなり、ドキュメントなりその危険性を有効に伝える手法は
いくらでもあるだろう?それを小説というフィクションで
やる意味を教えてくれと言っているんだよ、それが
筒井の最悪の文学性だと言っているんだ。
何度も言うぞ。「てんかんの人が運転する車は危ない」その事実(仮説?)
そのものが差別じゃないんだ!それを虚飾入り混じれた空間の中で
説明抜きで単純なイメージとして提示され、それを読んだ「君」のような
読者に共感されてしまうという、その共感そのものが差別だと言っているの!

敢えて逆転させるなら、事実かどうかは二次的なものであって、
その方法が問題だと言ってんだろ?何で小説なんだよ?
57名無しチェケラッチョ♪:2001/07/09(月) 11:30
>56
なんで小説じゃだめなの?
筒井の場合、危険性を伝えるのが目的じゃないでしょ。
この世界の一つの事象を表出しただけでしょ。

つーか文学に意味を求めてどうすんの?
あんたが語ってるのは数多の作家や文学者
たちの語ってきた「文学」ではなくて、
ツールとしての「文学」じゃない?
58にっく:2001/07/09(月) 11:30
>>56
フィクションではダメで、ノンフィクションならいい、という考え方こそが
乱暴だと思うが・・・。
筒井の例の作品が該当するかどうかは別として、フィクションの有効性という点では、
ノンフィクションならば他人事にしか思えなかったことが、フィクションで書かれることによって
リアリティを持って読み手に迫る、ということは十分あり得ると思う。
小説を多く読んでいる人間なら誰しも経験のある感覚ではないだろうか。
59吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 13:14
>筒井の例の作品が該当するかどうかは別として
ここは別に出来ないでしょ?
60吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 13:22
このスレの多くの住人に欠けているのは文そのものを
しっかりと読むという基本的な姿勢だと思われ、
25にはまぁ、独自にやって下さい、私とは会わないところでという
ことしか言えないが、57に代表される思考そのものを欠いた
文学崇拝主義者には掛ける言葉すら見あたらないという
事実に、驚き、そして心からうんざりするのであった。
61吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 14:58
>>60
おお、文学唯名論者登場。
62リアル厨房:2001/07/09(月) 18:56
厨房ですが発言させていただきます。

このスレでは「差別」対「文学」という構図のもとで、
「文学」派が優勢のように(というかそれ以外の人はほとんどこのスレに参入してきていないように)見受けられます。
しかし、単純な疑問なのですが、「文学」がそんなに重要なのでしょうか?
私なぞは、「文学」なんていうものよりも、
「文学」によって現実に嫌な目にあう(癲癇差別、エイズ差別他)ことを避ける方が重要なのではないかと
思ってしまうのですが。
「文学」なんてそんなに重要なものなのでしょうか?
さらにいいますと、現在様々なマイノリティが声をあげてきています。
「差別用語」撤廃という動きもこの中の一つかと思われます。
「差別用語」撤廃とは即ち言葉の書き換えですが、
言葉というものは歴史的な産物・蓄積ですから、
彼らは歴史の書き換えを要求しているといえるのではないでしょうか?
そういう中で、彼らの要求をファシズムとしか捉えられないのであれば、
それは「文学」による、あるいは「言論の自由」による抑圧でしかない。
そんな抑圧でしかない支配的な文化なんて、とるに足らないものでしかないように感じるのですが、
こういう疑問は「文学」派の諸氏にとっていかがでしょうか?
お返事をお待ちしております。
63吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 19:41
どうしてすぐに二者択一になっちゃうのかなぁ。
上のレスからずーっと、一貫して言っていることだけど、
差別も十分に文学的だし、文学も十分に差別的なんだよねー。
どっちかを切れば良しって話じゃないでしょ?

てか62のあんた、ホントはもっと色んな問題が見えてるくせに
あえて愚鈍を装ってるんだろ?そのやり口はあまり好きではないが、
まぁお応えしましょ。

「差別用語」が単に書き換えで済むのなら、ホント話は早くって
(文学上の)差別問題は作家側の無神経さ、もしくは怠慢に帰結することが
できると思う。ところで、「つんぼ」を耳の聞こえない人、あるいは
耳の不自由な人と言い換えることによって差別問題は解消するのかね?
と言うか、歴史を書き換えるなんて事は根本的に不可能で、
できることは認識の問題だけでしょ?言い換えによって表面上の
さざ波は回収できるかもしれない。では、「つんぼ」を差別的と感じる
認識そのものはどこへ行っちゃうんでしょうねえ?
6425:2001/07/09(月) 19:42
>62
一連のやりとりをよく読んだか?マイノリティの側が、文学の力を借りて、
差別の存在を世の中の善男善女に訴えかけてきたのに、つい最近まで、ほとんど
黙殺されてきたということもあるんだぞ。新聞もテレビも大マスコミは、
今までずっと取り上げてきたかのようなスタンスでハンセン病の問題を
扱っているが、そりゃ全く嘘だ。文学というものを最後の手段としてもと患者の
作家は訴えかけてきたんだ。それが時間はかかったが、この問題を解決する
言動力の一つとなったんだ。共感者、協力者を生んだんだ。

 これは文学の力ではないのか?マイノリティが自力で己の苦境を脱却する武器
になりえたのだぞ。あと、45をよむだけでも、通俗的良心が無効、有害にしか
なりえない問題も世の中にはあるのだということが分かると思うがな。

 もちろん、そういった文学の有効性とブラックコメディや過激表現を文学で
表現することの効用とは、少し違う問題。それを今議論してるんだろ。

 
65吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 20:02
>25よ
お前さんネット繋ぎすぎ。目悪くするぞ。
意見はまるで違うのだが、どうも嫌いにはなれないそのキャラ故に
2.3冊、書物を紹介したい。

『「超」言葉狩り宣言』 糸圭 秀美(スガ ヒデミ)
『中上健次と熊野』 柄谷行人・渡部直巳編
『水平運動史研究』 キムチョンミ
別に自分のバックボーンを晒して、論理的に上位に立つつもりもないし、
これらの著者の名前が一部の人間に拒絶反応を起こさせるだろう事も、
容易に予測がつく。だが、しかし、色々思うところあるだろうが、
ぐっと飲み込んで、一度目を通してみて欲しい。
特に熊野の中で中上が言った「丑松は移住先で生きていけるだろうか?」
という疑問をじっくりと考えてみて欲しい。
お前に別の視点を提示したかったが、今の俺では
力不足なようだ。
66吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 20:04
秀実だった。鬱打死脳
67吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 23:53
>65
バックボーンって何だ?
68吾輩は名無しである:2001/07/10(火) 00:09
背景と言うか基盤というかそんな所じゃないの?
6935:2001/07/10(火) 03:43
まず、法的な土壌で白黒つけるのが大前提でしょう。
そして、それを前提とした上で「世間」がその表現をどう思うかという問題もある(いかにその価値を主張しようと世間に受け入れられないこともありうる)。
筒井問題にはさほど興味もないのですが、法的に何ら問題もないにもかかわらず、あたかも「社会問題」として論じようとする人は(浅田彰、渡辺直己など)、まったく「リベラル」とはいえないでしょうね。
ほっとけばいいんじゃないですか。
もっとも私は「教科書検定」そのものに反対なので、筒井問題には当時多少の興味を持ちました。
そもそも作家が「社会」から糾弾されることなどは歴史的にいくらでもあることなので(サド等)、筒井は「俺は社会から危険視されるほどに大作家なのだ」と思っておけばいいでしょう。
70吾輩は名無しである:2001/07/10(火) 06:37
筒井ごときの小説のネタになるために我々は日々病に苦しんでいたわけでは
ない
71リアル厨房:2001/07/10(火) 13:38
予想通り、いろんな反応があって、感涙に咽び泣いております。
>>63
前段はたしかにおっしゃる通りですね。
むしろ「文学」と「差別」の脱構築を図れとのことですね。
それはおっしゃるとおりだと思いますが、
私はあえて「文学」批判をしたい、
あるいは「文学」の自明性に疑問を呈したいんですよ。
おっしゃるとおり、「文学」と「差別」はある意味
切っても切り離せない問題なんだと思います。
「差別」に関わるような題材をとりあげたくなる、
そこには人間存在の根底に関わるような問題があるかもしれない、
と、そういう気持ちが出てくるのはわかります。
それをふまえた上であなたの後段のお話にお応えします。
書き換えの問題ではなく「認識」の問題とのことですが、
書き換えと「認識」は密接な結びつきを持っていると思います。
例えばマイノリティが書き換えを要求しなければ
かれらに対する「認識」は出てこなかったと思います。
例えば今だに日本ではゲイに対する差別的言辞が垂れ流されており、
実際に影に日に差別が行われています。
北米ではもちろん未だに差別するマッチョな連中はいますが、
日本ほどではありません。
これはゲイムーブメントと切り離せない問題でしょう。
今、ゲイを例に出しましたが、
マイノリティの書き換え要求がなければ
「認識」という問題系が発生することがないと私は思います。
72リアル厨房:2001/07/10(火) 14:18
とこのあたりで
>>64
私はマイノリティが書き換えを要求するのはここ数十年くらいのある一つの流れだと思いますが、その際に文学的なイメージをもってして要求してくることに甚だ疑問を感じています。美学的なイメージに依拠したくなる気持ちはわからなくもないですし、叙情性によって訴えかけるという戦略も仕方がない面もありますが、それは政治の美学化に他ならず、ファシズムとなんら変わるところがないのではないかとさえ、思います。
ですから、差別する側される側をとわず、差別問題の美学化を批判する、いうなれば文学批判こそが私のポジションの一つであります。
そこで、対置したいのは美学問題の政治化です。美学に回収された差別問題を政治に戻すことです。
73吾輩は名無しである:2001/07/10(火) 15:08
文学と差別表現か・・・
「文学」そのものが差別表現だ、っていう意見は少し行き過ぎじゃないかなぁ・・・
前述されている通り、文学には偏った差別意識そのものを是正する力もあるわけだし。
それで>>72さんの言うとおり、文学によってある政治的意図が美学化されて
伝播することに対する危機感が出てくる。

>差別も十分に文学的だし、文学も十分に差別的なんだよねー。
というのは言い過ぎの議論のような気が・・・

それから差別表現と「認識」の問題を区別することにあまり意味はないのでは?
被差別者が問題としているのはその差別表現を記した著者の意識であり、
その意識が美学化されて流通し、意識の希薄な者へと浸透し差別意識が再生産
されて続けてゆくことにあると思う。
差別意識そのものが問題なのなら、わざわざ文学を利用しなくても倫理の
授業や家族レベルで実践的に教育するしかない。
私個人としては「文学」を特権化する議論にはかなり警戒心を持つ。
「文学」「文学」と騒いでいるやつに、本当に文学は分かるのだろうか?
(最後の一文は余計かも)
7463:2001/07/10(火) 20:38
>72
君が誰だか俺はわかっているつもりだし、俺が誰だか
君もわかっているかもしれない。お互い何と面倒な手続きをと
思いつつも、敢えて共犯関係を築いてみるか。
(この一文、まるで関係ない。スマソ>ALL)

73は「文学によってある政治的意図が美学化されて
伝播することに対する危機感が出てくる。」ということを言っているが、
君の言う文学批判が射程に据えているのはそこだけではなく、
むしろ無意識に行われている美学化だと思われる。

書き換え要求が戦略的なものであるなら、その戦略の貧しさを含めて
俺も肯定したいと思う。しかし、彼らは本当に戦略的であるだろうか?
足を踏まれて痛いから痛いという。この流れを一度でも不自然なものとして
疑問に思ったことがあるだろうか?どうも例えが悪いな。。
『「文学」批判』という言い方に込められた意味を俺は理解しているつもりだが、
逆にもっとわかりやすく「認識」の問題と言ってしまいたいのだよ。

あー、もし予想丸はずれの電波君だったら許してね(はぁと)
7525:2001/07/10(火) 22:18
なんだか、予想以上に、混乱した話題が展開されてきているが、俺自身は
だいたいのところ、69で言われていることに同意する。そうなってほしい。

文学の存在そのものを批判するのもいれば、文学と差別問題の調和点はどこだ
と懸命に探るのもいる、裁判所の判断に任せ、基本は自由というのもいる、
差別問題の解消に直積的貢献をすることが絶対的尺度だというのもいる。

 しかし、1が宣言しているように、つくづく表裏一体の難しいテーマだな。
まさしく百花繚乱。いろいろあっていいんでしょう。思想・表現の自由の顕現。
76吾輩は名無しである:2001/07/10(火) 22:38
書きかえるにしても、それに反感を持つにしても、
もっと芸を見せてほしいね。
言葉が武器なんだから「○○の不自由な人」なんていやだ!
なんて言わないでさ。
それとなく表現することも可能じゃない?
77リアル厨房:2001/07/11(水) 19:36
>>74
えっ、私を知っているって、あなた、どなたですか?
大○先生?
ではないですよね・・・。

それはともかく、
おっしゃることはだいたいわかりました。

少し混乱しています。一晩考えさせてください。
78>25:2001/07/11(水) 20:26
ひよってんじゃねーよ。お前はあれか?
知的な会話になった途端、黙る口か?
それまで一番はしゃいでいた癖に!
お前の粗雑で乱暴な意見がこのスレを活性化させていたんだよ。
頼む、もっと騒いでくれ。76じゃ役不足なんだよ!
79吾輩は名無しである:2001/07/11(水) 20:52
>77
謎かけのつもりはなかったのね。
思うところなければ別にいいです。

ちょっと舌足らずな気もするので加筆。
「文学批判」と説明なしで言っちゃうと、それが
単純に小説や詩や物語への批判だと思われちゃわない?
てか、ここについたレス見ても思いっ切りそうじゃん?
それが俺が君に書き換え要求をする一つの理由。

それと上の方でも書いたんだけど、どうして
「めくら」がダメで、「盲目」が許されるのか?
これを漢字によるひらがなの差別とか、書き言葉による
読み言葉の差別と言ってしまうと、ホント収拾不能なほど
拡がっちゃうから、口を閉じるけれど、差別を
端的に言葉の問題にしてしまうのは、「文学」上の態度として
「誠実」ではあるんだけど、それらの括弧は最終的には外すべき
なんじゃないかということ。

だぁ!スマソ、余計混乱させちまうじゃないか!
まぁ、上の一点についてだけでもいいんでちょっと考えてみてくれ。
80吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 01:03
括弧スレ(ワラ
81吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 01:04
括弧つけんなよ(ワラ
82吾輩は名無しである:2001/07/12(木) 23:36
浮上中
83吾輩は名無しである:2001/07/13(金) 11:37
>65
渡部やスガの本なんか紹介すんな。
よりによって、あんな能無し評論家の本なんか・・・
84吾輩は名無しである:2001/07/13(金) 12:43
>>83
このスレに関係して他におすすめ本あるならキボンヌ
85リアル厨房:2001/07/27(金) 21:08
>>83
渡部氏もスガ氏も鋭いことをいっていますよ。
どのあたりがおかしいのでしょうか?

>>84
スガ氏の著書にも出てきますが、
シェルビー・スティールの『黒い憂鬱』はお薦めです。
アイデンティティポリティックスの隘路とかいろいろな意味で。
86吾輩は名無しである:2001/07/28(土) 05:44
>83
自分の能無しをひとのせいにしちゃだめだぞっ。
87吾輩は名無しである:2001/07/30(月) 23:01
>リアル厨房
で、結論は出た?
88吾輩は名無しである:2001/07/31(火) 02:10
差別してはいけません、ということになりました。
89リアル厨房:2001/08/11(土) 12:59
>>79
遅レスになってしまい失礼します。

あなたの書き換え要求にとりあえず応じます。
そして、
>括弧は最終的には外すべきなんじゃないか
にも賛同します。
しかし、「文学板」ということもあり、あえて「文学批判」をしてみたいという欲求にかられてしまいます。

ところで、誤解が多いので(>>79さんはそうではないと思います)が、
まず私の基本的なスタンスを話しておきます。
私は政治的表層と文化的表層をとりあえず別のレベルのものとして
わけて考えています(最終的にはわけられないでしょうが)。
そして政治的表層を文化的表層に回収することに反対しています。
つまり、政治的に差別されている人たちが文化的に輝くことを
肯定するというスタンスに反対します。
しかし、そうなると芸術がつまらなくならないか?
そういう危惧が出てくるかもしれませんが、
私は芸術を特権化する連中に対してはつまらなくなって悪いか、ゴルア!
と挑発したい気分になります。
なぜなら芸術の特権化はしばしば「政治」と結びつき、
それは無自覚な「政治の美学化」をもたらし、ファシズムとなることがあるからです。
90吾輩は名無しである:2001/08/11(土) 21:34
北朝鮮の、輝かしい革命的ストーリー、この世の楽園ストーリー、ごく常識的な
ものの考え方をする人間にとっては、荒唐無稽、ありえない幻想であると秒殺
できるものでも、人生に小突き回されたか、もともと単純な思考の持ち主か
知らんが、すっかり信じてしまった人々が居る。その末路は悲惨、この世の地獄
を味わった。現在も苦しんでいる人も居る。間接責任にあえいでいるのもいる。
出身成分によると、貧農などが、もっとも革命的人間であり、選ばれたもので
あるとする。現実が如何に、悲惨で惨めなものであろうとも、その現実を
選民幻想でごまかさせる。これが搾取思想でなくてなんだろう。

リアル厨房、あんたの言っていることは分かる。分かるけれども、そんな書物を
誰が読むんだ?読んでくれるものが居なけりゃ、いかに赤裸々な現実、悲惨な
差別をいかなる美化無しに、そのまま描写しえても、読者に訴えかけるものが
なくては無効だぜ。無味乾燥な備忘録にしかなりえない。

差別を助長するのも、解消するのも、人に訴える力、脳裏に叩き込む力に依拠
する。依拠せざるを得ない。人は結局のところ、理性なんぞで動かんからな。
毒を制するには毒をもってす。先行するものがおもいっくそ、情念に訴えかけて
いる。この力は強い。やはり、差別解消、プロパガンダの分解には、情念に
強く訴えかける手法をとらざるを得ない。自然物が相手じゃねえんだ。
おもいくそ生身の人間、情念の塊が相手なんだから、闘わざるをえんだろう。

俺にはむしろリアル厨房のいう芸術の方が芸術を特権化しとると思うのだが。
つまらなくてもいいんだ。訴えなくてもいいんだ。それだけで価値がある。
現実に対して無効だからこそ、芸術的なんだといっているように思えるのだよ。
91mojo hands:2001/08/11(土) 21:54
突然おじゃまします。
「文学と差別」と聞いて
真っ先にあたまに浮かぶのは
島崎藤村のこと。
「破戒」で藤村は被差別部落を実名で表記した。
ビッグ・ネームの代表作だから、その地は観光名所化し、ついには地名を変えた。
藤村は差別はいけん、と小説に書いた。
しかし、その地の人は晒された。
おいらは藤村が悪いと思う。
文学で世の中を変えよう、
なんておもいあがったココロだ。
92吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 15:31
功罪ともにあるのが、「破戒」じゃないのか。功がいくらあろうとも罪がある限り
その功など功ではないというのは、ちと幼稚すぎないか。
その時代の潜在的な問題意識にうったえかけたから、「破戒」は反響したのであり
その問題意識は今に至っても、消えていない。人間の潜在的な差別意識を問題に
していたことの証であろう。

 世の中を変えるのは諸個人だ。その諸個人の意識に訴えかけるひとつの道具が
小説であるにすぎない。インターネットでもメールでもなんでもいいが、
意識に訴えかけようとする諸個人にはいろいろの動機がある。それが己の正当性
を獲得しようと、いろいろな働きかけをする。

 文学の政治性を除き、被差別者を文化的には輝いているかのように錯覚させる
叙述を徹底的に除去しえたとしても、それは真空地帯においての自己満足でしか
なく、雑多な思惑が交錯し、闘う、現実世界においては、何らの影響も、
効果もあたえない。実験室での実験でしかない。
9379:2001/08/13(月) 13:10
>リアル厨房さん
お返事ありがと。

>政治的に差別されている人たちが文化的に輝くことを肯定するというスタンスに
反対します。
うん。ここはほんと良くわかるんだ。それがファシズムに結びつくからって動機は
ちょっと保留だけど。俺がそのスタンスに反対したいのは、単純に考えてそのスタ
ンスでは差別を解消できないんじゃない?っていう疑念から。

ところで、90さん。
>差別を助長するのも、解消するのも、人に訴える力、脳裏に叩き込む力に依拠
する。依拠せざるを得ない。
感覚的に言わんとするところはわかるのだけど、「依拠せざるを得ない。」って
断言はどこから生まれてくるの?確かにリアル厨房さんの掲げるスタンスに拠って
書かれた小説が面白いものーつまりは影響力のあるものであるとは限らない。しか
し、それでもそこから始めていくしかないじゃないかという実感がある。90さん
の主張するところを担うのは小説ではなく、具体的な活動ではないのかという気がする。
これはちょっと話が拡がりそうだが。
94吾輩は名無しである:2001/08/13(月) 14:18
>リアル厨房
水平社→解放同盟という流れはどうなのか?
おまえはあれも悪しき文学主義と切り捨てるのか?
95吾輩は名無しである:2001/08/13(月) 19:50
レスざっと読んだけど、ちょっと話を広げてみたい。というか、具体的にしてみたい。
『中上健次と熊野』を突破口として考えたんだけど、中上は連続講演で『破戒』批判、というか瀬川丑松批判から始めているが、
おれはこの意味を積極的に捉えたい。
これはある種の文学(主義)批判であり、上の方で出てきた言葉を真似て言えば、政治的被抑圧者を文化的に回収してしまうことへの批判になっていると思う。
その上で、中上は『地の果て 至上のとき』や『奇蹟』といったテクストを書き上げた。
中上は差別の美学化を避けつつ圧倒的におもしろいテクストを書いたわけだ。
リアル厨房氏が上でいっているスタンスを保ちつつあれだけの作品を書いているんだ。
中上のテクストはこのスレの一つの回答になると思う。
それと、>>94にいいたいのは、中上は解放同盟(とその同伴者)に対して批判的だったこと。やはり悪しき文学主義なんだろう。
この意味で>>1がこのスレを立てた直接の原因たる渡部直巳のテクストも水平社に対して甘いと思う。
中上のテクストを突破口にして話を広げてみたらどうだろうか。
96吾輩は名無しである:2001/08/14(火) 15:06
文学関連スレあげ
97吾輩は名無しである:2001/08/14(火) 21:43
具体的活動のひとつとして、文章によって訴えるというのもある。暴力にものを
いわしてはならないとすれば、どのみち言葉を使って訴えるしかないからな。
あとはダンスか音楽くらいだろう。

ノンフィクションもいいが、それだけではより広範な人々に読んでもらえない。
それなら読み物としての面白さも加味した小説でとりあえずおおざっぱな雰囲気
というものをつかんでもらい、より専門度の高いものにあたるきっかけにして
もらう。そこで差別の美学化を極力避けたクソ面白くない文章に耐えてもらう。
そこまでいかない奴まではしらん。どのみち、そういう奴はそういう奴だ。

いろいろ段階があるんだから。小中学生、高校生の大半がリアル厨房のいう
ような物を読むか?大人だってたいてい手にとりゃせんよ。
 ましてそこまで理解が深まっていりゃ、あえてストーリーはいらん。
完全に学問的レベルまできているわけだから。論文、ノンフィクションだけで
いい。余計な描写は邪魔だからな。読み物としての面白さだけを求めるなら
エンターテイメント小説をよみゃいいんだから。

無論、それとは別に人間の醜さ、えぐさをありのままに表現し、直接的には
差別解消どころか、差別助長とすら見えてしまうものもありだと、俺は思う。
人間というものの本当の理解を与え、現実生活の落とし穴にはまらぬよう知恵を
与えてくれる効能。こういったものはノンフィクション、論文では表しにくい。
自由に組み立てられる小説形式のほうが表現しやすい。映画、テレビほどの
伝播力はなく、その悪影響もマシ。例外をいったらきりがない。
98吾輩は名無しである:2001/08/15(水) 19:15
>97 君、25でしょ?

このスレはある意味「スガスレ」だな。
99吾輩は名無しである:2001/08/15(水) 19:30
>>98
なぜ、スガスレなのだ?
100吾輩は名無しである:2001/08/15(水) 19:46
「『超』言葉狩り宣言」読んでみ。
101吾輩は名無しである:2001/08/15(水) 19:54
リアル厨房の話の進め方をみるとスガ信者だな。
もしかしてスガに扇動されているワセダの学生か(w
まあ、本当に厨房レベルだな。名前に偽りなしだな。
102吾輩は名無しである:2001/08/15(水) 21:07
>98 そう。不完全燃焼で終わったスレだと思っていたんだが。

リアル厨房がいう、文学があってもいいし、(読む奴がいるかどうか
はしらん)筒井のような文学があってもいい。
 差別的表現があればそれだけで、読む気がしないという潔癖症の方
は、筒井のようなものは読まなきゃいいし、読みたい奴はよみゃいい
そういう自由を享受できるのが日本のいいところだろう。

 どうして、そういう消費者の嗜好の自由、表現者の表現の自由を
過剰に規制しようとするのかな。ファシズムだの、人格、品格の
問題にして。俺はリアル厨房のいう、問題点は理解できるのだが、
差別の美学化がなされているものは一切まかりならんというような
独善的な姿勢がよく分らん。自分の嗜好から離れているものはその
存在自体が許せないという姿勢は何なんだ。

 あんたの論理では、ギャグマンガのほとんどが規制の対象になる。
ドラえもんも危ない。いじめられっこが主人公、いじめられている
光景を平気で描いている。いじめっこがそれほど糾弾されるわけ
でもない。子供の友人関係にありがちな、いじめの構造を長々と、
公共の電波で垂れ流しているわけだからな。
メガネ、運動音痴、頭が悪い、動作がとろい。いじめられる(差別
される)条件が見事にそろっている。しかし、この主人公はいざと
いうときには輝く。これこそ悪しき差別の美学化の典型であろう。
伝播力、浸透力、文学の非ではない。今すぐ、文学批判から、
ギャグマンガ批判、アニメ批判にシフトを移すべきだ。
ファシズムの危機から日本を救ってくれ。
103吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 00:50
文学と呼ばれるものの背景は深く、
それは娯楽小説とは大きくかけ離れている
社会を描く時に
差別という、確実に社会に存在する忌わしき事実から目を背け
綺麗なモノばかりを集めていては、それは文学にはならないと思う
104吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 02:32
うんとさぁ、事を文学に限って話すか、そうじゃないかっていうのは大事なところと思うんだわ。
差別の必然って所まで話を広げちゃうと、議論の進めようがないし、他メディアだって
悪いぜって話も本質的じゃないでしょ?リアル厨房の言うことがスガ的であったとしても
その論旨の正当性が揺らぐわけではないしね。どこまでも拡散してしまう差別という話を
ひとまず文学内で縛り付けてやっつけてやろうって試みなんじゃないのかね?

>102
問題は品格だの人格だのそんなちっぽけなものじゃなくて倫理の問題でしょ?
問題を漫画にスライドしたからといって、文学は手つかずで放置されるわけだ。
105吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 04:32
中上ってバカだよな
古今東西こんなバカな作家って見たことないや
106吾輩は名無しである:2001/08/16(木) 14:46
漫画にスライドしたのは、リアル厨房がファシズムの危機についてばかりを
問題にするから、それなら漫画やアニメ、映画、テレビのほうが、差別の美学化
の影響力も強く、現に安直なイメージで描いていることが多いから、
優先順位として、まず、そちらをたたき、潰してから、ユーザー人口の少ない、
文学をつぶせ、と言っただけだ。弱いものいじめにちかいものがあるぞ。
どんどん文学を読む人口が減って、その影響力もどんどん落ちているのにな。
だからこそ、そのユーザー人口の少なさを逆手にとって、他の表現手段では
できにくいものを、表現する、それが小説という形式だと言っているだけで、
別に文学と言うものを特別な存在として捉えているわけではない。
 
107リアル厨房:2001/08/17(金) 16:04
しばらく覗かなかったら議論がだいぶ進展していますね。
私の発言に対していろいろと出てきているようなので、
>>89にさらに付け加えさせていただきます。
私は文学板なんで、敢えて挑発的に文学批判をしてみたわけですが、
それと同時にもう一つの批判も展開しなければならないと感じております。
それは差別糾弾側に対してです。
差別糾弾側が>>95さんの指摘するとおり
野間宏的な「文学主義」に陥っているということもありますが、
その教条的な姿勢に対して批判することも必要なのではないかと思います。
私は差別用語のいいかえは基本的に仕方ないな、と思いますし、
無自覚な差別がまかりとおっている中では多少乱暴であれ
差別用語のいいかえによって言葉が現れることも必要なのじゃないかと思います。
また、そうした動きが出てくる理由も理解しています。
しかし、あまりにも機械的になりすぎている面もあると思います。
そのあたりはすぐに解決するのは困難なので、「対話」を通じてとなるのでしょうが。
ただし、日本の今の状況では乱暴であれ、PC的な動きも容認する他はないのではないか、
というのが現在の偽らざる私の考えです。
108リアル厨房:2001/08/17(金) 16:23
つづき
まあ、そんなわけで二重の批判が必要なのではないかと思っております。
(ただし、現段階ではPC側にたつべきだとも思います)

さて、マンガやアニメの話が出てきましたが、
たしかにおっしゃるとおり、マンガやアニメや映画は「政治の美学化」が
容易な、というか凡庸な作家だと簡単に「政治の美学化」の罠に
囚われてしまうメディアだと思いますよ。
そのあたりは別スレで書いたことがあるような気がします。

もう一つ、「政治の美学化」を避けた作品はつまらんのでは
ということに関しては、上にもあるとおり、中上を読んでみて
というしかないですね。
もちろん、中上以外にもたくさんあると思いますが、とりあえず。
109106:2001/08/17(金) 20:28
なるほどな。ただ、凡庸な作家とか、そういういい方はやめようぜ。
ジャンルもあるし、世間に受け入れられよう、売れようとすれば、世間の多数の
嗜好に迎合せざるを得ないからな。その売れ線をぴったりつかんで、作品を
作っているんだから。たいした才能、アンテナだと思うがな。

 娯楽作品を製作している表現者にたいして、政治の美学化のチェックがなって
いないから凡庸とレッテルを貼る姿勢は、フェアじゃないなあ。好き嫌いだけで
物言ってないか?娯楽作品に目くじら立てていては、現代社会の大衆文化の
ほとんどを否定することになりかねんぞ。文化大革命でも目論んでいるのか。

 問題にすべきは差別をなくそう、解消しようという意図を持って、文学なりを
製作する者が、差別の美学化に安直に走り、差別の実相、差別の救われなさを、
覆い隠してしまいがちなところにあるんだろ。それでは、真の差別解消には
つながらない、と言っているのならば理解できる。確かに問題だわな。

あと、ファシズムというのはやめようぜ。テレビやコマーシャルなら、その呼称
も大げさとは言えないが、人口の1000分の一くらいの人間が浅薄な、
誤った、偏った価値観を得たとしても、それはファシズムとは到底いえんわな。
比喩としても的を得ていない。

 
110吾輩は名無しである:2001/08/17(金) 21:22
たしかにスガスレだな。。。
111吾輩は名無しである:2001/08/21(火) 14:54
>>108
その中上がつまらなかった僕は氏ぬしかないのでしょうか?
112fishman:2001/08/21(火) 19:58
興味深くROMってたのですが、ちょっと疑問が。
僕はイメージ批判としての(二重の)差別批判ーつまりはリアル厨房さんの意見にー
概ね同意するのですが、差別を批判する根拠がファシズムに繋がるからというのは
どうなんでしょうか?その連続もまたイメージに過ぎないという悪しき袋小路には
まってしまうように思えるのです。

個人的意見ですが、漫画やアニメの安易なイメージ操作を、上位概念として
文学が支えている一面はあるように思え、その意味でも「文学」批判はある程度
有効なように思えます。
113106:2001/08/22(水) 00:26
 まあ、ある程度は有効かもしれない。バカ売れしている「バカボンド」の
原作は歴史小説の「宮本武蔵」。原作とぜんぜん違う、との批判があるが、
井上自身が、原作だとは思っていない、参考にはさせてもらっているが、大体は
オリジナル作品だと思ってもらえばいい、との趣旨を語っている。

 歴史小説というジャンルにまで差別の美学化がなされているから駄目だ云々は
まさか言わないよな。そもそも現代の通念から言えば、殺人のために、ただ人を
殺すためだけの行脚など、認められるわけがなく、あまりに、隔絶しているため
に、それほど言われないのだろう。ただ、漫画のほうは、かなりうるさく言う
輩もいる。もともと、人殺しの物語、そこに、ビジュアルが加わった。
社会的正義のためでもなく、信仰による聖戦でもなく、革命のためでもない。
ただひたすら己の抽象的野望のおもむくままに非情に人を殺めていく。

これを漫画で表現している。言葉は少なく、ひたすら画で表現する。
主人公の葛藤などはもっぱら表情などで表現する。原作にあった心の葛藤は
言葉ではほとんど表現されない。だから、殺人、暴力を推奨するのかなどという
的外れな批評もでてくる。原作ではまずなかったであろう批判が、漫画では、
(特にこれは売れまくっている)批判される。時代背景の違いも大きかろうが。

この問題からわかるように、これは小説形式に問題があるというよりは、漫画と
いう形式、漫画を愛好している読者に対する疑念、みくびりに起因している。
一昔前は確かに文学は漫画の上位概念だったかもしれないが、現在においては
漫画は独立化している。むしろ主従関係は逆転してきているのではないか?
文学が漫画、アニメ、テレビ、映画に従属している。映画のノベル化、ドラマの
ノベル化も多い。
 これ以上、規制を強化して、文学は独自性、存在理由を示せるのだろうか?
114fishman:2001/08/22(水) 19:12
そうですねぇ、漫画の固有名を挙げられると話がややこしくなりますね。
『バガボンド』。。原作云々ということになるとオリジナルー複製という
区分が強制されてしまい、話がシフトしてしまうように思えます。
僕が上で言った「文学が漫画の上位概念として機能している」というのは
そのような意味ではなかったです。

うまい例えがなかなか見付かりませんが、例えば『ヒミズ』(古谷実@ヤンマガ)
あれイヤですねぇ。両親に見捨てられた若者が当然のように父親を殺し、自分とは別の所にある
悪を討つことで己の正当性を保とうとする。仮にあの作品に何らかの説得力があるとして、それは
この境遇ならこうなるのも仕方がないというそれこそ安易なイメージへのもたれかかりです。
ところでこれって何かに似ていませんかね?J文学とやらが好んで描くちょっとねじくれて
奇妙な世界に。

ちょっと、筆が過ぎました。漫画が一ジャンルとして独立しているという意見にこれといった異論は
ありません。上位という言葉はあまり適切ではなかったです。

>これ以上、規制を強化して、文学は独自性、存在理由を示せるのだろうか?
イメージにもたれかかる姿勢に対する反発が、外的に強制される人もいれば、
内的に沸き上がる人もいるのでしょう。規制ととるか、作家倫理ととるかもまた
個人の自由なのかも知れませんね。何しろ僕もまた「差別がいけない」という
問題に対して、確たる根拠を保持するわけではありませんから。
ただ、そのような条件の中で生き残れないというのなら、生き残る意味もこれといって見あたらない
というのが素直な感想です。
115sage:2001/08/22(水) 19:51
すがは筒井を否定し中上を利用した三流評論家。こんな奴の名前出すな。
116吾輩は名無しである:2001/08/22(水) 20:30
>>3
ななめに構えるって……
117吾輩は名無しである:2001/08/22(水) 20:35
>>115
ヲイヲイ、その程度のことしかいえないのか(w。
すがの問題意識はけっこう重要だぜ。
118ななしん:2001/08/22(水) 20:58
差別語だろうが、差別表現だろうが使えばいいんじゃないですか?
作家自身の責任において。
別に作家が道徳者である必要も人格者である必要もありませんし。
差別語を使うのに社会の了解を得る必要も無いでしょう。
表現の自由とか言って権利を主張すること自体、社会の規則や概念
に迎合することになります。そもそも文学とは何か知りませんが、
あらかじめ了解された約束事の中で表現するものでも無いでしょう。
119吾輩は名無しである:2001/08/22(水) 21:01
そうだ。そもそも作家に社会的地位なんか与えるからいけないんだ。
120吾輩は名無しである:2001/08/23(木) 20:39
確かに文章書いて生計立ててる人は、作家を職業にしてる訳だから、
公共の福祉に反しない範囲でお願いしたいね。
それとも作家だけは特権階級なのか?
121106:2001/08/23(木) 22:39
>114
なるほどね。俺は「ヒミズ」好きだけどね。立ち読みしかしとらん
けど。古谷の作品はどんどんギャグの要素が薄れてきて、ホラー
じみてきてるね。好き嫌いが激しくわかれるだろうな。
>118
そう簡単にいかんから、いろいろ問題になっているんじゃないか。
作家自身の責任においてやろうとしても、出版社側が許さない。
作家は道徳者であることをあまり要求されないとしても、出版社は
そうはいかない。社会性を要求される。糾弾団体による陰陽の圧力
で、商売に支障をきたす。作家は自爆覚悟でとばせても、構成員
全員の生活がかかっているから、出版社はとばせない。
独自路線でやらざるを得ない、中小の出版社しか冒険しない。

どんどん圧力が厳しくなっているなか、理論武装する必要上、
表現の自由という、憲法の最重要理念を駆使せざるをえない。
じっさい、裁判になることもあるのに、迎合するのはいやだとか
駄々をこねているだけでは、必ず作品は出版停止、販売停止になる。
法治国家なんだから、理屈付けて、法律の概念を駆使するのは当然。
>120
その公共の福祉と個人の自由、つまり表現の自由、どちらが優先
されるかを個別具体的に検証して判断するのが裁判所。

しかし、公共の福祉とか良識的にとか作家にそういうことばかりを
求める人が多いねえ。もちろんそういう作品もいいが刺激的な内容
の作品も読みたいけどな、俺は。共産圏には公共の福祉にてきした
作品しか出版してないな。とかく、公共の福祉の範囲内でお願いね
というのは思想統制に安易につながる道。その危険性にも配慮が
必要だと思うがな。小説だけの話じゃすまんのだから。
122吾輩は名無しである:2001/08/23(木) 23:13
>>121
簡単にいくなんてハナから思ってません。
覚悟を決めて作品を書けと言ってるんです。安易に法の保障を求め
て、楽なところで第三者を傷つけて金を稼ぐなと言ってるんです。

社会の秩序とか倫理道徳とか、そういう政治的価値観と、文学的価
値観は違うものでしょう。少なからず衝突することもあるはずです。
また、作品を発表することによって社会的な影響力もあります。
だから作家というものは、社会にとって有害にもなり得る危険人物
なんだという自覚がもっと欲しいです。
表現の自由がどうこう言って権利を主張する輩は、既得権益を守ろ
うとする圧力団体と変わらない人達か、自分の立場を分かっていな
いお目出たい作家に思えてきます。
そんなことせずに、どうしても書きたければ地下に潜って作品を創
ればいいんです。それくらいの覚悟が欲しいです。
革命家は、テロをする権利を保障しろとは言いません。地下に潜っ
てせっせと準備するでしょう。
123:2001/08/23(木) 23:14
忘れましたが私は118です。
124fishman:2001/08/24(金) 07:45
>121さん
作家倫理という言葉を少し誤解されているようなので、ちょっとだけ。
倫理という言葉が良くないのかも知れませんが、それが直接、良識、公共の福祉という
ことを指し示しているわけではないです。(全く無関係ではいられないでしょうが。。)

作家たるもの安易なイメージ操作に無自覚に与してしまって良いのか?
回りくどい言い方ですが、そんな感じです。職業倫理という言葉を持ち出せば、
少し誤解が解けるでしょうか?

僕は必ずしも差別語そのものをあげつらうわけではないのです。
それが本来読者との了解を得るために必要な手続きを省略する形で、つまりは
面倒な事から目を背ける形で用いられることに反対します。
味そのものよりも作り易さにこだわる人を料理人とは呼ばないですよね?
純文学という言葉に未だに何か意味があるとするなら、そのような「真摯さ」にこそ
掛かってくると思うのです。

あーあ、また何かずれてきちゃった。余計わかりにくくさせてしまったらごめんなさい。
さ、仕事、仕事。
125106:2001/08/24(金) 20:26
俺は差別語、差別表現うんぬんよりももっと包括的に、いろいろ問題があるのは
ハッキリしているのだが、もろもろの事情により、手をつけられない領域に
踏み込んでいくような文学が読みたいんだ。そこにおいて、差別を助長させたり
安易なイメージに基づいたものではなく、話の流れ上はずせない、ここが肝心、
しかも事実の検証はできうる限り尽くし、まず間違いないという保証の元に
叙述される差別的な用語、表現は認めようではないか、と考えているんだ。

122が言っていることは、すでに行われている。電脳空間(地下)において、
何らの規制なしに、差別語の垂れ流し、何か訴えたいことがあるわけでもなく、
ブラックユーモアの手法により、おのおのの偽善性を気づかせようとするわけ
でもなく、ただひたすら差別語、差別表現を吐き出すことによるゲスの快楽を
得ることを目的に書きなぐられる。こんなものは吐き気がするだけで読めたもの
ではない。その手の趣味のある連中が集まって慰めあっているだけの話。

俺が文学作品として読みたいものを具体的にあげれば、同和関係、朝鮮関係、
右翼関係、左翼・日教組関係(市民団体)、芸能関係、広告・新聞関係。

これらはみな表裏がある。俺は特に、同和と朝鮮に関心がある。両基幹団体とも
構成員の福利に力を入れ、差別解消に力を尽くしてきた団体である。
そのことには、何ら異論はない。しかし、同時にきな臭い利権がはびこり、
その社会的弱者というイメージを最大限利用し、暴利をむさぼる連中もいる。
そうなったのも差別の構造が原因だとの声もある。確かに、それが前提的な条件
なのだが、逆にそれをわめき散らし、自らの不正を正当化する輩もいる。
こういった人間の醜い側面は、どこの国でも、どんな集団でもみられるもの。
そういったものを暴き、社会の実相、人間の実相に目を開かせ、個別具体的に
物事を見ることの大事さ、有効性というものを示すのも文学の役割だと思う。
ノンフィクションでもいいが、第三者的視点だけではなく、小説の登場人物の
内面描写、葛藤、対立を鋭く表現しやすい、フィクションの方が真実に迫れる。
 一つ間違えば偏見を増幅させかねない中で、作家の職業倫理・力量が厳しく
問われる。誰も手をつけたがらないのは当然だな。圧力もすごいしな。
126吾輩は名無しである:2001/08/24(金) 21:13
>>125
自分もたしかにあなたの意見に納得しますが、ただし、上のほうのレスを読むと、
やっぱり文学が下手に差別問題に関わると、文学の悪い側面、つまり、差別をする
方に荷担してしまうような面が強く出てしまうような気がするんですよ。
被差別者を嘲笑うような表現に行きがちじゃないですか、人間って。
そういう底なし沼のような欲望がストレートに出てしまって偏見の増幅装置になり
かねないような気がしますし。
127118:2001/08/24(金) 22:57
>>125
あなたがみたいと望む社会やら人間の実相なんてものは、詐欺士の
騙しあいみたいなもんで、どっちの集団がもっともらしい理屈を捏
ねられたかというようなもんだと思います。
倫理や道徳を利用してうまくやった奴等がいるだけです。真実をみ
たいのなら、倫理や道徳の根拠に迫らないとだめでしょう。
道徳的観点から反道徳批判を行っても人間の実相なんて見えません
から。
ボランティア精神溢れる人命救助と火事場泥棒、どっちが正しく自
律的な行為なんでしょうね。

なんか皆さんしきりに「職業倫理」という言葉を使うけど、簡単に言うと
いかに上手く妥協するか、ということですか?>>119の言う通りかも知れ
ませんね。作家である前に地位も名誉もある職業人なんですね。

文学とは何か知りませんが、もし芸術的要素があるとするならば、それは
魂を抑圧から解放するということだと考えてます。
個としての人間は偶然に左右される不安な存在です。だから他者との繋が
りの中でしか生きられません。全ては関連の中で、社会の規則や概念に縛
られて、せいぜい関連の中での相対的な自分自身しか発見できません。
だからこそ、規則や概念に縛られない、それ自体がオリジナルとしての型
としての芸術に魅せられるんだと思います。本来個であるべき魂が解放さ
れるんです。
だからこそ文学が真に芸術であるならば、社会の規則や概念に縛られては
いけないと思います。
128106:01/08/27 00:51 ID:GtFO5HY2
>126
それだよな。まさしくそれでタブーになっている領域があるわけだよな。
文学に限らず、マスコミもそれへの配慮で動けないんだよ。
だからこそ、最新の注意を払って取り組まないことには、批判の嵐に耐えられ
ない。自らの社会的弱者という属性を利用して、うまい汁を吸っている連中は
それをよく知悉しており、心やさしい善人の良心の呵責に訴える手法でごまかし
てきたわけだよな。こういう小説に取り組むに置いて、エンターテイメント
仕立てはご法度。それこそ、差別の美学化、もっぱら情緒に訴えかける描写は
極力控え、暴露するべき事実を客観的に描写し、局面ごとの登場人物がいかなる
動機、心理過程を抱いて行動しているのかを、綿密な取材の裏づけの上で描写。
それでおいて、読んで面白いものにするのは、作家の力量。
敷居が高ければ高い方がより望ましい。阿呆が読む確率が減る。
>127
俺もそう言っている。個別具体的に物事を見ることの大事さ、有効性を示すのも
文学の役割だ、と。あんたにしても、俺にしても、その当たり前のことを
ウンザリするほど理解しているわけだが、世の中には中年に至ろうとも、硬直的
な思考に支配されている善人がたくさんいる。でも、現実はそんなわかりやすい
原理では動いていない。社会的弱者が悪人であることもままある、これが現実。
新聞記者でありながら、この常識をほとんど理解していないこともあるらしく、
タブーはタブーのまま、何らの反省なく、温存されていく。弊害は大きい。
硬直的良心の奴隷となっている善人の意識をぶち壊し、有りの侭の現実を直視
させる一助になる。高杉良が一連の経済小説群においてタブーの暴露の先鞭を
つけた、という前例もある。

後半は、俺もそう思う。量的な影響力は文学はもはや貧弱なわけだから、冒険
する弊害がましな分野だと思うからな。ただ具体的な社会の規則、概念に
触れるとなると、糾弾から、脅迫から、現実的暴力までいろいろキツイことが
あるからな。作家個人の覚悟、作家の周辺の人々の覚悟、出版者の覚悟、相当
クリアせにゃならん段階があるからな。なかなか踏みだせんのだろうな。
抽象的には暴力・セックスの過激な描写等で、規則や概念に縛られない文学は
いまも出ているから、大きな問題は、具体的な団体、差別の構造に触れることが
できないところにある。
129吾輩は名無しである:01/08/31 20:45 ID:r9WMXxoI
>127
倫理という言葉が即、地位、名誉に繋がってしまうのが不思議だね。
モラルとエチカって知ってるかい?
130106:01/08/31 21:50 ID:6dA8eU1U
福田恒在が「一匹と九十九匹と」の中で政治と文学の定義づけをしている。
秩序の中にいる九十九匹の羊のためにあるのが政治、秩序からさまよい出た一匹
の羊のためにあるのが文学とされている。

現在においては、もっぱら政治的価値に奉仕する文学が本当の文学だとされる
ことも多い。差別の解消に直接的に役立つもの以外は必要無い、多少なりとも
人を傷つける要素のある文学など、存在する意義は無いというのだ。

 それとは反対に、福田の定義のように、政治的価値からはずれたものこそが
本当の文学なのだと言う人もいる。多数の価値からはずれたものを擁護している
わけだから、差別を容認するのか、助長するのかなど糾弾されることが多い。

ここは文学板だから、福田流の文学観を擁護、支持する人も多いが、世間の良識
的人々のなかにあっては、当然の様に旗色が悪い。
文学と言ってもピンキリで、ジャンルも読書の嗜好によって千差万別。
多用なジャンルから選べる日本は幸せで、政府の側から一方的に選択の幅を
狭められている国では、表現の自由も無い。いわゆる劣悪、下品な文学もないが
規制の価値を破り、新たな可能性を追求するような書物も無い。
多数の側から見て不快なものであっても、少数の嗜好を尊重し、その販売を
認める。そこからはくだらないものもでるかわりに、すばらしく価値あるものも
出る可能性がある。下劣なポルノ小説、差別表現ある文学を許容する風土は
その国の健全性、ダイナミズムを証明するものだと思う。
131118
>>129
>倫理という言葉が即、地位、名誉に繋がってしまうのが不思議だね。

あのう、、、127は皮肉で言ってるんだけど・・・