寺山修司について語ろう!

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820吾輩は名無しである
いまかなり酔っている。怒っている。>>812-818が対象ではない。
酔っていて怒っているときは雑談スレにしか書き込まないようにしているけど、
今晩はちがう。寺山修司の前衛劇など「おままごと」同然だと言いたいのである。

きみは覚えているだろうか。
いつだったかロシアで劇場が革命グループに占拠されたことがあった。
劇団のメンバーも観客も。たしか最後に犯人グループは全員射殺されたように記憶している。
あれを舞台でやりたいのである。初日の観客を対象に。
偽りの舞台にかけるのは何でもいい。「大山デブコの犯罪」がたとえ古かろうが(w
重要なのは広告チラシにこう記載しておくこと。
「この劇を観るものは覚悟しなければならない。
たとえきみの日常が破壊されても責任は持たない。
その証書に契約印が押せるものだけ劇場に来たまえ!」
初日、当日の劇では口だけで日常を破壊する。スーツは囚人服だetc・・・
劇の途中に革命グループが登場する。銃を手に、「全員、動くものは射殺する」と。
自分はこの劇に命を賭けているのだと主張する演出家がまず射殺される(演戯)。
革命者は主張する、おまえたちは偽者だ、実際は日常を愛してやまないくせに、
劇場では非日常を好む賛同する奨励する。ざまあみやがれ今から偽の皮をはいでやる!
(笑う観客がいたりしたらば実際に殴っても良い。契約は既に為されているのである)
革命グループは偽の報道記者に声明文をだす。
「日本にいる10代、20代の若者すべてに遺書を書かせよ。
テーマは、もしあした死ぬとしたら。
それらすべてがこの劇場に届けられたらば人質を解放する」(続く)
821美香 ◆FE5qBZxQnw :03/04/09 21:57
↑はわたし美香です。

劇場で一夜が明ける。
そのあいだに役者、観客同士のあいだに生まれる友情、愛情は偽者だろうか?
もしこの極限下で愛を誓うものがいたとしたらば? 
見知らぬ観客同士が手を取り合ったとすれば?
彼ら被害者たちの連帯感は演技か、それとも事実か?
役者と観客は考えるだろう。いかにして現状を打破するか。
(役者はどのようなパターンにも耐えられるように事前に想像力を用いる)
翌日になるか二日後になるかそれはわからない。偶然性に賭けているからである。
彼らは(役者+観客)は自らの力で解放されるであろう。
それを役者の警察、報道陣が歓迎する。すべてが劇であったと笑いながら。
そのときに生まれるものは何か? わからない。わからないからやってみる価値がある。
その後の公演はすべて中止。この演劇が無意味だと思ったものには返金すると告示。

世間からは叩かれるであろう。警察沙汰になるのは必定。
しかし表現というのはそういうものではないか?
わたしは尊敬している原一男監督からそう教わった。
さて、この劇をわたしに演出させてくれるプロデューサーはいますか(w



どっきりカメラですか?