1 :
ごんちっち:
おめえらなんか腹が立つなー、って奴ら。それは批評家。柄谷、浅田、すが、渡辺、ここいらは需要があるようですが、他はどうなの? ワンパターン加藤のりひろ、マイノリティ派s川村湊、朝日好みフェミ斎藤、つまらん中条省平、英語よめても日本語読めない巽孝之あんど小谷、鎌田に叩かれてるあずま、いつも不機嫌大杉しげお、いかにもお人よしそうな清水、目下売り出し進行中サブカル代表大塚英志、んで得意満面福田和也。つまんねえ、本ほめてんじゃねえぞ、と他にも文句言いたい駄目な奴、たくさんいるよな? おれ?おれは鎌田てつやが嫌。大杉氏が好き。だってなんか不幸せそうだから。
2 :
吾輩は名無しである:2001/04/22(日) 01:33
こないだ。朝日新聞の記事で佐藤(ピンチョン「ヴァインランド」やくした奴じゃよ)が、宇多田とあゆの売上げ合戦を評して、
>いくら売れたってマス文化だから仕方ない
なんて書いてたよ。助教授は余裕ですよなあ。だ文や無責任な非飛揚いくら囲うと給料あんたいってか?
マス文化に無縁な安全地帯んとこで上から見下す批評かますなよ。まああゆはおれも好きじゃないがよ。
3 :
吾輩は名無しである:2001/04/22(日) 01:39
まあ、文科にいつまでもへばり付いてるヤローなんて
どいつも一緒だよ。便所のンコ滓。
しかし、この場合の「便所」って何だろうね。日本の社会?
4 :
吾輩は名無しである:2001/04/22(日) 01:43
1から3まで文体と人と為りが匂いが酷似しているのだが。
あっそ。
じゃ、便所=このスレ でいいや。
6 :
吾輩は名無しである:2001/04/22(日) 01:52
>いかにもお人よしそうな清水
ワラタ、顔もちょっとヌケテルっぽいんだよね、この人。
7 :
吾輩は名無しである:2001/04/22(日) 02:07
>6
書いてることはまともだけどね。まともすぎる。もっとしたたかさが欲しい。頑張ってほしいのよ。
>4
>5
>7
ふん? そうかね?
9 :
吾輩は名無しである:2001/04/22(日) 10:30
おおつかは時々いいもの書くじゃないか? 文学界に隠連してたやつ。近頃みんなーと思ってたら今月号の群像に出てた。あらら?
10 :
吾輩は名無しである:2001/04/22(日) 11:45
超大物の西部萬についてはどう思う。
11 :
吾輩は名無しである:2001/04/22(日) 11:46
>2 >3 つうかおまえらルサンチマン強すぎ
12 :
吾輩は名無しである:2001/04/22(日) 12:19
age
13 :
ごんちっち:2001/04/22(日) 13:28
>6 ほっほ、わしは
>>春樹>>保坂和志>>清水良典という系統だてで奴らの顔を睨んどるよ。あと、
川村湊>>福田和也の線もありじゃな。
>10 すまぬがわしは文芸誌しか目をとおさぬ。西部はあまり見かけんの。誰か他の者の意見を求むるぞ。
みなのもの、愛情のあるけなしで頼むぞよ。
14 :
吾輩は名無しである:2001/04/22(日) 14:15
じゃあ J文学(死語)擁護の奇手、石川忠司はどーだ?
15 :
吾輩は名無しである:2001/04/22(日) 17:52
大塚英志って前に笙野頼子に喧嘩うられてなかった?
16 :
吾輩は名無しである:2001/04/22(日) 22:19
小谷野敦キモい
17 :
吾輩は名無しである:2001/04/22(日) 22:29
清水がまっさきにほめた作家(赤坂、川上とか)を
すぐ貶しにかかる大塚、個人的な怨恨を感じるのだが、
単に清水がドキュンなだけか?
18 :
吾輩は名無しである:2001/04/22(日) 22:41
清水がそうなら大塚だってドキュンだろ。あいつの中上論は最悪だ。違うか
19 :
吾輩は名無しである:2001/04/22(日) 23:04
読んでないからわからんよー、
でも、浅い清水より、性格わるそーな大塚が好き。
20 :
:2001/04/22(日) 23:52
大塚と大杉は2ちゃん出身者じゃないかという情報が去年の「噂の真相」でスクープされて、
るわけがない。年齢的に無理があるな。
21 :
吾輩は名無しである:2001/04/23(月) 00:51
中条省平って誰?
22 :
吾輩は名無しである:2001/04/23(月) 08:36
こうしてみると、批評家の批評なんて誰も宛にしてない。
なのに、なんで批評家が存在できるの?
23 :
吾輩は名無しである:2001/04/23(月) 08:59
>>22 新聞や雑誌に書評欄があるから。(しかもペイがいいから)
>>17 大塚は川上弘美をけなしてるの?(川上宗薫とかじゃないよね?)
いや、彼女への厳しい批評って異様なほど見ないので、ちょっと好奇心。
24 :
吾輩は名無しである:2001/04/23(月) 09:35
ごめ、笙野の間違いかも。
そういや川上弘美って貶す人いないよね。
問題外なんじゃないの?
25 :
吾輩は名無しである:2001/04/23(月) 09:36
東の嫁が八歳年上だと知ってびつくり。
ロリコンじゃなかったのか・・・!
26 :
吾輩は名無しである:2001/04/23(月) 09:42
大塚は、川上弘美のこと褒めてるぞ。
今月出た『群像』かなんかの対談で加藤典洋の対談読め。
でも、小説あんま読まんらしいぞ。奥さんが読書係だそうで。
27 :
26:2001/04/23(月) 10:00
あれ、日本語変だ。氏のう。
28 :
名無しさんの主張:2001/04/23(月) 10:14
29 :
>25:2001/04/23(月) 10:26
東って東浩紀?
東は篠原一とつきあってたんじゃないのか?
30 :
奥さまは名無しさん:2001/04/23(月) 11:31
大杉重男がんばれ
31 :
ごんちっち:2001/04/23(月) 12:48
>28
いや、すまんの。無視しとるわけではないのだが。無学なので全部はようカバーしきれぬかったのでな。彼の情報わしも知りたいぞ。
32 :
吾輩は名無しである:2001/04/23(月) 12:51
と言うか、批評家について語るのに、清水や大塚は必要かね?
彼ら評論家じゃん。
33 :
ごんちっち:2001/04/23(月) 12:55
>26
そうじゃの。「サブカルチャー文学論」では川上を褒めとった。けなされとるのは車谷長吉、赤坂真理、中上健次、村上龍、といったとこじゃ。逆に山田詠美、春樹などは褒めてある。大塚はがいして一作品だけで作家全体を語ろうとしておるとこが見受けられると思うんじゃが、どうだろうか?
34 :
ごんちっち:2001/04/23(月) 12:57
>32
別に評論家でもかまわんよ。だからますぞえの話でもおけい、じゃ。わしは適当なのでな。
35 :
ごんちっち:2001/04/23(月) 13:13
わしとしては、個人的にはワセブンで鎌田氏がぶちあげとった、東への批判、あれに東浩紀がどう応対しとるかが気になっとるよ。基本的にゴシップ好きなんじゃの、わし。ほっほ。
36 :
吾輩は名無しである:2001/04/23(月) 17:57
おーーい。誰か、椹木野衣を読んでる者はおらんのか?
『テクノデリック』『日本・現代・美術』おもしろいぞ。
37 :
吾輩は名無しである:2001/04/23(月) 18:20
サワラギ面白いけど、文学切っちゃってるじゃん。
38 :
吾輩は名無しである:2001/04/23(月) 19:08
平岡正明あたりはものすごく頭悪そうだな。
39 :
吾輩は名無しである:2001/04/23(月) 19:44
>37
文学切ってるってよりは文学ができないのでは。
岡崎京子論読んでそう思った。
40 :
吾輩は名無しである:2001/04/23(月) 19:45
>>35 東如きで騒いでたら、この1年間鎌田に振り回されっぱなしになるよ。
これからどんどん大物登場。
41 :
吾輩は名無しである:2001/04/23(月) 20:00
やっぱり、今一番の注目は鎌田だね。
42 :
吾輩は名無しである:2001/04/23(月) 20:03
>>41 何を指して?
状況論的批評批判を指して「鎌田が注目」というのなら、
それこそ鎌田の思う壺って感じがする。
43 :
吾輩は名無しである:2001/04/23(月) 20:07
文壇の党派性を露にするんじゃないかという期待があってね。
44 :
吾輩は名無しである:2001/04/23(月) 20:14
>>43 というか、鎌田が扱う(予定の)人達の選び方自体に、
鎌田自身の党派性が現れてるょ。。
>>2
あっしもそう思った。
あれはふざけた文章だ。
46 :
吾輩は名無しである:2001/04/23(月) 20:51
47 :
2:2001/04/23(月) 23:18
批評家じゃないが、安原も人を舐めてる。詳しくは文庫「ループ」解説を見ろ。あんなのほめて、どういうつもりだ?
まさか「解説」で扱き下ろすわけにも幾枚よ
49 :
吾輩は名無しである:2001/04/24(火) 00:40
>>29 東浩紀のヨメは、たしか群像新人賞の優秀賞とかに
ひっかかって出てきた作家。
一部で文壇のキムタク静香と言われてる(ワラ
50 :
2:2001/04/24(火) 00:43
>48
そうか? 俺は本を買うときまず解説見るぞ。あと後ろの小文と。んで面白そうだったら買う。普通そうじゃねえのか?だから解説はほんとは批評よりも重要だろ。文芸誌なんか作家、批評家志望者以外誰も読まんだろ。けど「ダ・ヴィンチ」や文庫の解説は普通のねいチャンでも読む。だから奴らの罪はなお重いってわけだ? それから俺はルサンチマンはたまってないぞ。勝手にきめつけんな。
51 :
2:2001/04/24(火) 00:55
ルサンチマンは>48じゃないな。他の奴だ。クソ、すまん。鬱駄 氏脳。
52 :
吾輩は名無しである:2001/04/24(火) 00:56
激しく同意!
いまや純文学の場合、
読者に届く前に評論家の洗礼を受けなきゃいけない。
だから力関係でいうと作家<<編集者<<<評論家の順。
どんなぺえぺえの評論家でもある種の権威を与えられてるわけだ。
作家は評論家の注目を浴びなければ生き残れないから、
読者より評論家たちの視線を意識しなければいけない。
川上弘美は評論家ウケはいいけど、あれ一読者として読んだとき
マジで面白いとか思ってるヤツいるのか(少なくともオレは退屈)。
これってかなりいびつな構造と言えないか?
53 :
吾輩は名無しである:2001/04/24(火) 01:03
批評家は初所詮自分じゃ作品書けない連中なんだから、放っておいてよろしいですよぅ。
54 :
吾輩は名無しである:2001/04/24(火) 01:03
んだども、買っちまう馬鹿な客が一番悪いんだから仕方なかんべ。
55 :
2:2001/04/24(火) 01:11
>52
ありがとう。
同意してくれるのは嬉しいが、評論家の奴らも評論一本で喰ってこうとなったらきっと大変だろう。作家も面白いもの書かなくちゃならないので大変だろう。いつもいつも傑作が書けるわけじゃないしな。俺が腹立つのは片手間でクソ文書いてクソ小説適当に褒めて俺の読書の時間無駄にさせる奴らなんだよ。時間はむげんじゃねえんだよ。
ああ、クソ、これがルサンチマンか。鬱駄、詩似たい
56 :
吾輩は名無しである:2001/04/24(火) 01:15
だから中条省平って誰だよ? まじで誰か答えろ。
57 :
ほれ:2001/04/24(火) 01:26
58 :
吾輩は名無しである:2001/04/24(火) 01:39
噂の真相の今月の使わなかった一行情報で、
「中条省平が突然田口ランディを
誉めたのは幻冬舎からの出版が目的の説」
てバラサレてた。
59 :
吾輩は名無しである:2001/04/24(火) 03:50
鎌田てつやって誰だ。
オレはそっちの方が知りたいあげ。
60 :
吾輩は名無しである:2001/04/24(火) 04:31
作家のHPていらんぐらい多いけど、
批評家のサイトってないねー
61 :
吾輩は名無しである:2001/04/24(火) 04:44
62 :
これだ:2001/04/24(火) 04:46
63 :
吾輩は名無しである:2001/04/24(火) 06:33
>58
さもありなん。おれもあいつは怪しいとにらんでた。
65 :
23:2001/04/24(火) 12:14
>>64 あ、「媒体によっては」です。新聞、メジャー週刊誌など。
>>52 川上弘美は希有な才能の持主だと思う。あの文章はものすごい。
そのへんプラス本人のカリスマ性に、評論家はメロメロなんじゃない?
ただし長編はダメ。短編もいいやつは凄いけどダメなものは相当ダメ。
そのダメな部分をきちんと「ダメ」といってる評論を読んだことがない。
>>52 あとね、個人的には
作家<<<<<<<<<<評論家<<編集(出版社)
だと思うんだけど。
>66
? どゆこと?
68 :
吾輩は名無しである:2001/04/24(火) 12:52
>>52 『シュミレーショニズム』は? あれ? ちがうっけ?
>>39 岡崎論な。たしかにあれはいまいち。でも文学云々じゃないだろう。『リバーズ・エッジ』の「平坦な戦場で僕らが生き残ること」のフレーズを中核にすえるあたりはさすがだと思った。ん? ということは単に岡崎が凄いってだけか?
69 :
吾輩は名無しである:2001/04/24(火) 12:56
>65川上弘美については本気かなあ。愉快犯?
70 :
吾輩は名無しである:2001/04/24(火) 13:05
鎌田は単に悪趣味だと思う。書いたものは面白くない。
71 :
吾輩は名無しである:2001/04/24(火) 14:22
批評家に払う金があったら、もっと作家連中の配当をあげてやれや。
72 :
吾輩は名無しである:2001/04/24(火) 14:46
ペイは具体的にはどのぐらいだろう? 貧しいというのは俺の偏見?
73 :
吾輩は名無しである:2001/04/24(火) 15:03
鎌田を見たことがあるが、あいつは本当に貧しいんじゃないかと思う。外見からの憶測だけどなー。
74 :
吾輩は名無しである:2001/04/24(火) 15:26
大学関係者特に助教授から上のペイはいいだろうな。 前招待された私立教授のマンションには和室とシャンデリアがついていたよ。
75 :
吾輩は名無しである:2001/04/24(火) 15:27
>>66 立場の強さじゃないの?
評論家といえども文筆業なんだから、出版社に頭上がらない、と。
76 :
74:2001/04/24(火) 15:28
和室=茶室ね。書院て感じの。スマソ
77 :
75:2001/04/24(火) 15:29
78 :
答えを出したい名無しさん:2001/04/24(火) 15:31
>75 じゃあ結局誰が悪いの? 角川春樹?
79 :
スカは読みたくない名無しさん:2001/04/24(火) 16:36
>>65 川上弘美かあ。読んだことないな。いい短編って具体的にはどれですか?
とりあえず自分的には『溺レる』の最初の話、『神様』の1、2、8話あたりをすすめる。
スレと関係ないのでsage。
81 :
80:2001/04/24(火) 21:04
82 :
吾輩は名無しである:2001/04/25(水) 02:15
川上弘美が美人じゃなかったら、きっと・・・
83 :
吾輩は名無しである:2001/04/25(水) 03:38
老け専だったなんて、東クン……
84 :
79:2001/04/25(水) 12:47
>80
ありがと。読んでみよー
85 :
ごんちっち:2001/04/25(水) 13:45
>>65 川上弘美の話がでておるが、わしは車谷長吉にちょど同じことを感じるぞい。良いものは非常に良いが、駄目なものはとことん駄目じやの。とくに奴の書く長編はクズ、時代錯誤を狙った水薄め小説じゃ、とわし思う。
つまるとこ「赤目四十八瀧」は異様につまらんということじゃよ。素人が騙されるのは仕方ないとしても、あれを褒める批評家どもの見識を疑うの。褒めるならもっとそれにふさわしいものがあるじゃ労? 長吉の力量に失礼じゃよ。
福田があれに高得点をつけるのは、恐らく長吉が嫌いじゃからじやろう。「赤目」を読めば長吉を続けて読もうとは誰も思わんじゃろ? あれは長吉を潰す作戦じゃよ。とわしは思うとるよ、ほっほ。
86 :
ごんちっち:2001/04/25(水) 13:46
そういえば清水良典も「赤目」を褒めとるの。あれは本気で騙されとるのかのう? ほっほ。
87 :
ごんちっち:2001/04/25(水) 14:00
ちなみに清水は「赤目四十八瀧」を中上「枯木灘」以来日本文学に現れた傑作、と評して、その年のナンバーワンに挙げとったよ。文学界で、すが、らとの対談の場でもそうじゃったと思うが。
1位が「赤目」で2位がショウノヨリコ「レストレス・ドリーム」じゃ。この変な取り合わせは何なのかの? ほっほ。
その年、ではなく、90年代、の間違いじゃの。ていせいていせい、ほっほ。
89 :
吾輩は名無しである:2001/04/26(木) 06:33
なんか可もなく不可もない柔軟な人って印象すね>清水
出版社としては使いやすい人材なのかも。
90 :
吾輩は名無しである:2001/04/26(木) 15:39
使いにくいのは誰?
やっぱり鎌田(藁)?
91 :
吾輩は名無しである:2001/04/27(金) 07:56
鎌田って群像の評論部門出身だったんだね。
92 :
吾輩は名無しである:2001/04/27(金) 12:08
大杉重男もそうだよね。
93 :
吾輩は名無しである:2001/04/27(金) 22:41
今月の群像に清水良典が小説書いてる・・・ 前から?
さ−いや、鈴村一成も小説自分で書いてたなあ・・・・節操のないヤツラダ。
94 :
吾輩は名無しである:2001/04/28(土) 18:12
節操のないのは批評家の特徴です。
人の批評する前に自分の筆力をあげましょう。HKなんか、特にそう。
95 :
吾輩は名無しである:2001/04/29(日) 10:37
金井美恵子の「文章教室」をやりたいんだろうな
ってのはわかったよ、清水の小説。
痛々しくて最後まで読めなかったが。
群像拉致事件って書いてたの陣野だっけ?
文壇は空席だらけだからいまや誰でも座れるって批判しといて、
自分が座るなんて反則じゃないのか? >清水。
結局、自意識に負けたのね。
96 :
吾輩は名無しである:2001/04/29(日) 12:56
批評家は小説家になれなかった奴らの予備軍、といわれても仕方いとこはあるかもしれんねえ
97 :
吾輩は名無しである:2001/04/29(日) 15:25
親友?の川村が清水の小説をどう批評してるか知りたい。
結局なれあいの仲間ぼめっすかね?
毎日の時評読んだ人いる?
98 :
吾輩は名無しである:2001/04/29(日) 15:57
>>96 でも江藤淳も小説書いてるよ。江藤は別格じゃない?
maji?タイトルは?
100 :
吾輩は名無しである:2001/04/29(日) 19:18
花田清輝は小説も素敵。
陥没地帯だって立派なもんだし。例外挙げればきりがない。
結局、批評家云々じゃなく清水がダメって話じゃん。
101 :
吾輩は名無しである:2001/04/29(日) 19:35
陥没地帯が立派かどうかは議論の分かれるとこだと思うが
俺は駄目だと思う、と断言してみる。
102 :
吾輩は名無しである:2001/04/29(日) 20:00
>101 ふーむ。どんな風に?
103 :
吾輩は名無しである:2001/04/29(日) 21:28
>>102 だってあれってヌーボーロマン継ぎはぎしただけじゃねえ? ほんとに面白いか、ととりあえずありがちな突っ込みいれてみる
104 :
吾輩は名無しである:2001/04/29(日) 23:07
「陥没地帯」は文体が酷い。
2・3秒後には本が手元から落ちていた・・・
105 :
吾輩は名無しである:2001/04/29(日) 23:29
なんにしろ、『表層批評宣言』を書いた蓮見を思えば『陥没地帯』における作家としての蓮見は三流品だろう。
あれだけの批評を書ける蓮見にしてあの体たらくなのだから、他の批評家はもっと小説と批評を両立させる困難さを身に覚えるべき、と断定してみようかな・・・
106 :
吾輩は名無しである:2001/04/29(日) 23:32
そーいえば、もっと恥ずかしいやつなかったっけ?...
...『オペラ・オペラショネル』? だったっけ?
107 :
吾輩は名無しである:2001/04/29(日) 23:49
『オペラ・オペラションベン』
ううん。ほんとは 『オペラ・オペラシオネル』
似たような頭でっかち小説
108 :
吾輩は名無しである:2001/04/29(日) 23:49
>105
じゃあ、鈴木貞美どうよ?
映画になったヤツ。
109 :
吾輩は名無しである:2001/04/29(日) 23:53
>>96 批評が読めないやつが小説家になるような気がするが。
110 :
吾輩は名無しである:2001/04/30(月) 00:36
>>103 おもしろさが必ずしも価値判断の基準にはならないよね。
と、これまたオーソドックスなつっこみを入れてみる。
111 :
105:2001/04/30(月) 01:25
それは知らない。
なんて映画?
112 :
108:2001/04/30(月) 01:43
113 :
吾輩は名無しである:2001/04/30(月) 01:51
『陥没地帯』はくやしいけど面白い。
文体だけにとらわれてると、そこに潜在する
何かが見えない。しかし、文体の力が、
その何かを読む側から遠ざけたり、急に
近づけたりするような、そんな小説。
114 :
吾輩は名無しである:2001/04/30(月) 03:35
なんだか批評家より小説家の方が偉いんだって雰囲気ですね。
ただ、それぞれが持ってる才能、役割が違うだけでは?
当たり前のことですが、
>>96のような発言があるもので。
115 :
吾輩は名無しである:2001/04/30(月) 06:28
批評家より小説家がエライのは当然でしょう。
小説がなけりゃ批評は存在しないのだから。
エライっていうより、もっと敬意を払われてしかるべきだと思うさ。
ただ現状では作家<<<<<批評家で、
意味なく批評家がでかい顔しすぎてるってことが問題。
ま、批評家はもっと小説書けばいいと思う。
作家の才能と批評家の才能は別モンだって判れば、
もっと謙虚にもなれようさ(ワラ
116 :
吾輩は名無しである:2001/04/30(月) 07:22
批評家だったら、
福田和也の小説は読んでみたい、
笑えそうだから。
117 :
吾輩は名無しである:2001/04/30(月) 08:41
>批評家より小説家がエライのは当然でしょう。
>小説がなけりゃ批評は存在しないのだから。
当然なら「意味なく批評家がでかい顔」できるわけないじゃないか、タコ。
小説なんてなくたって全然困らないんだよ。
118 :
吾輩は名無しである:2001/04/30(月) 11:29
批評家はいらんよ。評論家は必要だけど。
問題は書評レベルの批評が多すぎて、
なおかつそいつらが、評論家気取りででかい面してることだろ。
(ガキの読書感想文レベルなのにハスミやカラヤン気取りでサム)
その程度なら2ちゃんで読めるクサ。
119 :
吾輩は名無しである:2001/04/30(月) 12:17
>>110 じゃあ、やっぱ面白くなかったのだな? と意地悪く揚げ足をとってみる(ワラ
120 :
吾輩は名無しである:2001/04/30(月) 12:27
>>113 >そこに潜在する
>何かが見えない。しかし、文体の力が、
>その何かを読む側から遠ざけたり、急に
>近づけたりするような、そんな小説。
言いたいことはよく分かるし要旨をついてるとも思うが、結局こういう読み方いがいできないでしょ? あの作品って? 批評のリトマス試験紙みたいだよね。
121 :
吾輩は名無しである:2001/04/30(月) 12:45
>>118 意味分からん。批評家と評論家どこちがうの。
122 :
広辞苑:2001/04/30(月) 13:40
批評家・・・批評する人。自分では実行せず他人の言動をあげつら
う人を批判的にいう語としても使う。
評論家・・・評論をする職業の人。転じて、自分で実行しないで人
のことをあれこれ言う人。「文芸―」
批評・・・物事の善悪・美醜・是非などについて評価し論ずること。
評論・・・物事の価値・善悪・優劣などを批評し論ずること。また、
その文章。
確かにビミョーだ(ワラ
123 :
吾輩は名無しである:2001/04/30(月) 14:59
それよりもだな、世にはびこり、暗躍する(しまくりな)腐れ下読み人を
即刻、血祭りにあげなよ。
あんたら(平編集者風情)の手柄、自分でつぶしちゃってるようなもんだよ。
自分の眼で受賞させる作品さがさないなんて、みすみす宝すててるようなもんじゃん。
そんなに仕事忙しいのかね。(一日こもって十時間も書き続けてる作家なんかよりも?)
お姉ちゃんや酒のことばっか考えてねえでさ。
124 :
吾輩は名無しである:2001/04/30(月) 15:23
編集者よりも下読み人の方が優秀だと思われ。
寧ろ問題なのは下読み人の姿勢だと思われ。
125 :
腐れ下読み1:2001/04/30(月) 16:09
だって原石みつけだしても、おれのバイト代かわんねーもん!!
126 :
吾輩は名無しである:2001/04/30(月) 17:12
>122
批評家も評論家も、新たに生産しないから、どっちも有害無益に思えるが。
>123
下読みに仕事を丸投げするのは、編集者が手抜きをしたいからでは?
>124
下読みは、無能だから下読みに甘んじてるのでは?
127 :
吾輩は名無しである:2001/04/30(月) 17:17
むしろ、生産する評論家を世間では優れた評論家と言っている
ような気がします。
128 :
実習生さん:2001/04/30(月) 18:49
評論家にすらなれないやつは評論家以下。
よってそいつは文学の世界では最低のくず
129 :
114:2001/04/30(月) 20:35
う〜ん、ちょっと驚きですね・・・・
小説よりおもしろい批評、評論というものもあるし、
批評によって新しいおもしろさに気づくこともあります。
もちろん読むに値しないと思われる批評も少なからずありますが、
それは小説も同じことです。
生産する側が偉いという理屈に至っては
あまりに古くさいと言わずにはいられないと思います。
130 :
腐れ下読み人2:2001/04/30(月) 22:36
昨夜も、アワヤッ! という作品を一本見つけて、
あわててゴミ箱にポイッ、しちゃいました。
ゴメンナサイ・・・・
うっそぴょーーーん。
オモシロイヤツハ、おれがゆるさんもんね。
131 :
吾輩は名無しである:2001/04/30(月) 22:42
批評家が対象を必要とするのに対して、
小説家は対象を必要としない(ホントはそうでもないんだけどね)から。
ただ、それだけの理由で批評が下位に置かれるんだろう。
ま、読み手としてはどっちでもいいんだが。
132 :
吾輩は名無しである:2001/04/30(月) 22:51
これどうだろう。
小説なり映画でも、とにかく物語やモノを作り出すってのは、そういった作業ってのは
絶対的な性質でしょ。
でも、批評とか、これはおもしろかった、おもしろくなかったってな作業に求められる
とき、相対的なレベルでじゃない。
だから、バカにされる(一段だけ低くみられる)のは当然じゃないか?
※ 言いたい事わかるかな?
133 :
吾輩は名無しである:2001/04/30(月) 22:58
つまり、人から出たウンコよりも人間は当然偉いってことだな。
134 :
吾輩は名無しである:2001/04/30(月) 23:34
>>131 >批評家が対象を必要とするのに対して、
>小説家は対象を必要としない(ホントはそうでもないんだけどね)から。
批評家が必要とする対象は小説に限らない。
実際お愛想してみんな思想方面に行っちまうし。
対して小説家のほとんどは、批評家を留めておく事が出来ない。
135 :
吾輩は名無しである:2001/04/30(月) 23:36
ところが実際に今文壇で一番おいしい位置にいるのは誰か?
言うまでもあるまい・・・あのソウチョーだよ。
136 :
114:2001/05/01(火) 00:19
>>132 すいませんが、何言ってるのかよくわかりません
>小説なり映画でも、とにかく物語やモノを作り出すってのは、そういった作業ってのは
絶対的な性質でしょ。
ここで言う絶対的な性質とは何ですか?
>でも、批評とか、これはおもしろかった、おもしろくなかったってな作業に求められる
とき、相対的なレベルでじゃない。
これは上との対比で、批評は相対的だとおっしゃってるんですか?
>>131の言われることはよくわかります。
>(ホントはそうでもないんだけどね)
ということも含めて。
だとするなら、やはりどちらが上位というものではないということに・・・
137 :
吾輩は名無しである:2001/05/01(火) 02:15
だからね、
モノを作るっていうことの行為は絶対的なものじゃんか。
で、その作られたものを、いろいろと言うのは、相対的な行為ですませられるじゃんか。
たとえばよ、丸太からさまざまな彫刻を作るのを例にだすとさ、
作り手の行為ってのは絶対的なものじゃん。絶対的な作業じゃん。どこをどう
けずっていくのかは、絶対的に理解していないと出来ない行為でしょ。
素人にはどこをどう削り、どれだけ、どの方向にってのはわからんでしょ?
そういったところが、絶対的ということなの。
で、作られてきたものを見て、どうこういう行為ってのは、そんなの必要ですか?
批評、いい、いやもうちょっとここをこうなっていたらもっとイイとか言う能力なんてものは、
考えてみると、相対的な行為じゃんっていうこと。
映画も、監督(脚本家も)ってのは絶対的でしょ。その物語ってのを理解しているってのは
絶対的な状態じゃない。
とにかく出来上がってきたものを評価するなんてのは、相対的な感覚ですむから
ずいぶんと楽なもんでしょ。どう?
138 :
吾輩は名無しである:2001/05/01(火) 05:15
>>137 言いたい事は分かるが、絶対と相対の使い方がムチャクチャや。
まずは批評読んでみる事から始めようよ。
139 :
吾輩は名無しである:2001/05/01(火) 07:12
“作品を作る”のが「絶対的に理解していないとできない」行為だ、
というのはどういうことでしょうか?
現在あまりに多くのクリエーターがいい加減な作業、行き当たり
ばったりの、大して必然性のない発案によるじゃじゃ漏らしの
無責任な“作品”を垂れ流しにしている中で、批評家の役割は
そうした自意識臭のぷんぷんする、独りよがりでレベルの低い
作品を見究めて芽をつんでいくのが仕事じゃないでしょうか?
日本の創作のレベルを守るためにはどうしても必要な職業です。
140 :
吾輩は名無しである:2001/05/01(火) 11:34
芽を摘んでいくなんてそんな権利はない。
それじゃ検閲じゃんかよ。ナチズムか?
批評家の役目は玉石混交のなかからきらりと光る才能を
見いだしてあげることでしょう。
だいたい芸術なんて独りよがりの自意識からしか産まれない。
草間ヤヨイとかいうオバハンを見ろ。
141 :
吾輩は名無しである:2001/05/01(火) 12:15
やあ、言いすぎたかな。まあダメなものは「ダメだ」と
言ってやることが大切だということかな。
しかし草間やよい、とかいう人はまともな「芸術家」なのか?
142 :
吾輩は名無しである:2001/05/01(火) 12:44
>ダメなものは「ダメだ」
という権利がじゃあどうして批評家にはあんの? それこそ傲慢じゃんか。
143 :
吾輩は名無しである:2001/05/01(火) 17:01
>批評家の役目は玉石混交のなかからきらりと光る才能を
見いだしてあげることでしょう。
ほんtのうに活字分野での新人発掘システムである、新人賞において
下読み人が暗躍してることこそ、そもそもの元凶じゃん。
批評家連中にこそ、下読み人になってほしいと強く願っています。
144 :
吾輩は名無しである:2001/05/01(火) 17:28
>批評家連中にこそ、下読み人になってほしいと強く願っています。
気が狂うよ。トンでもないヤツばっかしだから。
145 :
実習生さん:2001/05/01(火) 17:48
>142
お前が傲慢じゃ
146 :
吾輩は名無しである:2001/05/01(火) 20:42
>140
つまれてポシャるような芽なら、ロクな花はさかねーよ。
どうでもいいが、音楽評論家を何とかしてくれ。
やつらまじ、うざい。批評家は理論をやるが彼らにはそれすらないからね。
同じようなことを万年やり続けて楽しいのか?(藁
理論をやってれば偉いというものでもないさ。
149 :
吾輩は名無しである:2001/05/01(火) 22:19
私がイライラするのは、大して理論的な修行を積んでいない
素人が、「構造」とか「現象」とか「認識」とかいった
言葉を(不用意に)やたら好んで使いまわって
自分の書いたものを“さも難しい”もののように見せようと
する書き手です。なんかそういうのを一つでも見ただけでも
疑心暗鬼になり、その人の書くものはどれも信用できなく
なります。こういうウソっぽい文章を書くやつは絶対に
信用してはならないと思うのですが、如何でしょう?
150 :
148:2001/05/01(火) 22:21
理論というのは実践のためにあるのです。
理論のための理論をやっているようなやつは
迷わず逝って良し! です。
151 :
吾輩は名無しである:2001/05/01(火) 22:26
>>150 質問:たとえば大学で文学研究やっているやつら(教師も含めて)
も批判の対象なのか?
無論。
154 :
114:2001/05/01(火) 22:49
>>137 冗談ではなく、真剣に何言ってるのかわかりません。
絶対的な状態とはなんですか?
>>142=137?
だめなものはだめだという権利は批評家に限らずあると思いますが?
155 :
吾輩は名無しである:2001/05/01(火) 22:55
だめなものはだめだというのではだめだ。
だめなものをだめだというやつをだめだというのもだめだ。
157 :
吾輩は名無しである:2001/05/01(火) 23:32
>>114,
>>154氏
結局137氏の言ってる事は、
小説=一次的資料
批評=二次的資料
であり、こういった資料間の階層規定がその創作者たる
小説家/批評家間の関係にも適用されるってことでしょう。
ただ、そんなに単純化出来るんですかね?
私にとっては価値創造主体としての人間(=作者)の絶対性なんて
眉唾ものですね。
尤も批評家も同様なんですけど・・・
158 :
尋ねたいのだが・・・:2001/05/01(火) 23:46
>>154 >だめなものはだめだという権利は批評家に限らずある
それは確かにその通りなんだけど、普通の一般人と違い彼らは公的な場でそれをやり、かつ職業にしています。
気になるのは批評家の言う、その駄目だ、という基準は一体何にもとづいてなされているのか、ということなのだけど。
159 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 00:01
154氏の言っていることは、だめなものをだめという権利は
批評家に限らずすべての者に備わっている、という事では?
だとすれば彼らのくだす判断も基本的にはあなたの好き嫌いの
判断基準の基盤とさして変わらないことになります。
ただ彼ら(批評家)の本は人から信用され、売れている(笑)。
そこには何か人に共感させるものがあるんでしょうよ。例えば
その人がたくさんの本を読んでいて、たくさんのことを
知っていれば、それだけ信用度もアップする、みたいな。
160 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 00:09
ふむ。批評家に要求されるのが作品の価値判断という空気が
そこかしこに充満していますが、それって文学史上に各作品が並べられ
うるというナイーブな錯覚の上に成り立っているように思えますが。。
批評家っていうのは、別に作品の評価をする人ではない気がします。
確かに多くの批評は何かについて語ることから始まりますが、
その対象がオリジナルなモノでなくてはならないわけでもなく、
別に何でもいいわけです。
要は作品でも時代状況でも、何かにかこつけて思想なり構造を語り、
わかりいい言葉で言えば散文の上で自己実現する人なんじゃないでしょうか。
ここに名前の挙がっている人達が必ずしも十全にそのような仕事を
行っているとは言えませんが、モノを作るということのオリジナリティー
への疑問が根本的に抜け落ちている、作家上位の考え方の杜撰さには
馴染めそうにありません。
161 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 00:15
批評だって、充分に創作なのになぁ。
上にもあったが、サワラギの『テクノデリック』は、そう感じられた。
162 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 00:18
>彼らのくだす判断も基本的にはあなたの好き嫌いの
>判断基準の基盤とさして変わらないことになります。
>ただ彼ら(批評家)の本は人から信用され、売れている
うん、よく分かりますよ。そんな鬼の首とったような書き方しなくとも。
(笑)でもはっきり意ってその説明では不十分です。逆に>信用され、売れている ということだけを根拠にしてでは馬鹿にされても仕方ないでしょう。
だってそれでは売れてるばかりの通俗作家と一緒ではないですか? 別にいいんですよ。一緒なら一緒で。でも彼らは自らの行為においてそれを裏切っている。彼らは文学、の名のもとにそのような作家たちを裁断するわけです。読む価値なし、とね。
批評の存在価値というものがもしまだあるのなら、そのような単純なものじゃないと僕は思いますけどもね。少なくともそのような人を見下した態度のうちにはない。
163 :
162:2001/05/02(水) 00:23
164 :
Another 2:2001/05/02(水) 00:23
>>161 批評だって、「ごく稀には」充分に創作なのになぁ。
でしょう?
上の人たちは一先ず「稀」を勘定にいれないことにしているようですね。
165 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 00:30
>>160 何を言っているのかさっぱり分かりません(笑)。考えている
ことは大して複雑なことでもなさそうなので、わざと妙チキリン
な言い回しで読者に分かりにくくなるように工夫したりなんか
しないで、もっとあっさり物を言ったらどーですか?
それを踏まえた上で、まず“作品”の持つオリジナリティーという
思想など端から疑ってかかるべきだ、と思います。モノを作る際の
絶対性、などという観念はマヤカシです。どんな作品も二次的
テクスト(パラテクスト?)の継ぎ接ぎ細工にすぎない。
その意味では小説も批評もたいして違いはない、というのが私の
意見です。
>>164 それだったら、「小説家」の書くものだってごくたまにしか「小説」じゃないぞ?
167 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 00:37
>>165 >どんな作品も二次的 テクスト(パラテクスト?)の継ぎ接ぎ細工にすぎない。
確かに正論ですが、それこそ理屈倒れなんじゃないかと思いますけど。そんな小難しい理屈は中途半端に批評をかじった者だけが半信半疑のうちに頷くだけのものです。むしろ>160 はそのように断定してしまうことの容易さに用心した文意でしょう。全然分かりにくくはないと思いますよ。
168 :
JPB:2001/05/02(水) 00:37
横槍を入れるみたいだけど、レヴュー/クリティックという分類を敢えて
導入してみる。前者は作家についての毀誉褒貶を含めたマーチャンダイジング。
後者は固有の問題を作品を通して語ろうとするもの。
問題は批評家は後者を独自におってりゃいいのに、それを権威にして
作家を貶めつつ前者で金を稼ぐのが気に入らないってことなのかな?
169 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 00:43
>>167 そうですかね?正論だろうが何だろうが、私はそう思っている
ので明白な言い方で語っただけです。
むしろ半信半疑でもってまわった言い方をされるより余程
タチはいいと思いますがね。
170 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 00:52
遅レスだが、川村湊は清水の小説について、
達者で手慣れているが、
頭で書いた作品に魅力は宿らないみたいな
ことを言ってたなぁ・・・
批評家ってのは少なくともプロとして批評をするときに
自分のなかに明確な価値基準を持たなきゃならんから
その基準に逆に縛られるってことがあるんだと思う。
例えば、元総長の小説が、いかにも頭で書いた
退屈さから脱皮できなかったのに・・・
それをリスペクトした金井の小説には豊富なイメージの
集積から醸しだされる魅力が宿っていたように・・・
結局、文学理論を実践するために書かれた小説に
ミューズは降臨しないってことで。
しかし元総長の「小説から遠く離れて」には、
春樹や龍の小説世界の魅力を新たに発見する知的興奮に溢れてて、
読んでいて非常にわくわくさせられたし・・・。
作家と批評家って結局同じ脳ミソの言語能力でも使い方が違うんだよ。
作家は、明確な基準を探し求めそれを言語化し体系化しようとする批評家に、
批評家は、架空の物語に神がかり的な魅力を与えようとする作家に、
互いにもっと敬意をはらってしかるべきなのでは?
いまの、互いが互いを舐めきってるような現状は衰退でしょ。
そこらへんのチンピラ作家より、オレはよっぽどマシな小説書けるんだぜって、
体裁だけ整えて中身のない小説書いちゃう厚顔無恥な批評家が
がんがん出てくるようじゃ、おしまいだよ。
171 :
158やぞ文句あるか:2001/05/02(水) 00:54
>>169 だから、はっきし言うとだな、>私はそう思っている、その正しさの根拠について俺は問うてるわけだよ。
そう思っているから、っつう単なるシュミ判断をどうして対象に押し付けるんだ、しかも偉そうに、というのがおめーと批評家に対する俺のぎもん。
172 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 00:58
>168 ふむ。とても現実的な見方と思います。
しかし、日本について考えるにつけ、私小説というのが
やっかいな躓きとしてあると思います。
ここで私小説の定義について話を広げる気はありませんが、
少なくとも戦後の一時期までレヴュー/クリティックの明確な区分は
商業的に成立しなかったのではないでしょうか?
その悪癖が払拭されていないと言ったところではないでしょうか?
173 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 01:02
172no続き読みたし、期待上げ
174 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 01:03
>>171 物の分からない人だね。だから答えは159で出ているんだよ?
だめなものをだめだという権利は万人が有しているんだよ。
それは批評家も然り。だからそれが正当と思われ、君の気を
イラだたせているのだとしたら、すでにその事態の中に
その批評の正当性がいくばくか含まれている、ということだ。
“正当性”とはそういうものなんだよ
175 :
JPB:2001/05/02(水) 01:11
>172さん
うん、その「悪癖」例えば今だとどんな感じなんでしょう。私、1997
前後のことくらいまでしかわかんないんです。。。
レヴュー/クリティックの区分は雑誌媒体の成立・機能分化とそれを
享受する読者層の想定が不可欠ゆえ、確かに第二次ベビーブーム以降の
話になるのじゃないかと思います(もし、成立してるとすれば)。
176 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 01:20
>>174 なんか有益そうな話が始まったそばから、不毛な気もするが・・・
>だめなものをだめだという権利は万人が有しているんだよ
それは分かってます。だからそれをなぜわざわざ公的な場でやるのか、ということです。わざわざ自分の趣味をどうして流通に乗せるのか? その価値の源泉は? ということだと思いますよ。訊きたいのは。
177 :
JPB:2001/05/02(水) 01:21
日本の文壇における「クリティック」の位置は、まずは藩閥政治に対する
批評としてありましたよね。例えば成島柳北に代表されるように。文芸批評
というよりは政治批評としてあった。
それが、讒謗律、新聞紙条例などの国家規制と経営の行き詰まりによる
新聞の分化(つまり、読み物を中心とする新聞を発行したこと)を生み出した。
ここに、誌面を埋める作家が要請されるようになる。明治末期の政治小説は
この流れでうみだされてますよね。
178 :
176:2001/05/02(水) 01:22
それとも単にあなたの言うような事後的な承認でよいのですか?
179 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 01:23
それならそれでえーけどな。
180 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 01:26
横ヤリでスマンが・・・
要するに価値の源泉、っなんつーものはないってことでしょ?
それで、問題がなぜ批評家が批評なぞという行為をするのか?、
ということになるとすれば、それは彼らが批評家だから、っていうこと
でないの。
181 :
JPB:2001/05/02(水) 01:32
また、一方で国家を運営していく人材を養成していく帝大の中から
徳川期の「戯作」とは別の、理念としての「小説=文学」に目覚めていく
人々がいた。坪内逍遥とかですよね。
私としては、このある種同時発生的な「文学=小説」理念のダブルスタンダード
の源泉てなんなのだろうなあと思いました。
182 :
JPB:2001/05/02(水) 01:40
つまり、高尚な文学から低俗な文学への堕落としたスジが(詩から小説とかね)
あるわけではなく「戯作」的読み物と理念としての「文学」が混在しつつ生成
しちゃったこと。批評、いかんせん居場所がないですよね。
斎藤緑雨なんてのもいますが。おっと、まとまりが無くなってきました。
すみません。
183 :
JPB:2001/05/02(水) 02:00
いや、結局何が言いたかったかっていうと、そうした本来的な不安定さの
中にいた批評家という存在が、今現在何に立脚して語っているのか、彼らが安定
として信じている場がなんなのか、それは本当に安定しているのかという問いに
過ぎなかったのです・・・長文&横槍スマソ。
184 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 02:06
>JPBさん
「批評」というのは、これまで舶来品だと思ってましたが、
違うのでしょうか?
185 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 02:09
ところでJPBって何の略ですか?
ジャン=ポール・なんちゃら…とか?
Japan Pacific Baseball?? んなわけないか・・・
186 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 02:15
>>185 ジャン・ポール・ベルモンドだってば。
「勝手にしやがれ」の主役をやった役者さん。
前も同じ質問してた人いたよ。
187 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 02:15
ヴァンダム?
188 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 02:16
ガンダム?
189 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 02:18
>>180 うん。そっす。それでなぜ彼らが自足した顔で批評をやれてるのか、っつうことでよーやく話が合流しそうだ。
>>186 ああ、そうなの。スマソ。過去ログろくに読んでいないもんで...
191 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 02:20
批評全般としたら話がややこしくなるから、
ここでは文芸時評(=レヴュー)に限定した方がよいでしょう。
192 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 02:39
文芸時評といえば江藤淳だろう(ぐらいしか知らない) 最初に時評やった人は誰ですか?
193 :
JPB:2001/05/02(水) 02:45
>184さん
これは、そうですね。定義の問題なのかな。私のイメージしてるのは
機能としての「批評」つまり、どの国にもあるはずの営みのことです。
問題を発見して、それを語り、暫定的解決をほどこす。それは別に文学
の枠にはかぎらないでしょう。
このスレはおそらく191さんのいう通り「時評」の問題でしょう。
ただ、ちょっと話が錯綜してるなと思ったものですから。
194 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 02:51
>最初に時評やった人は誰ですか?
う〜ん、生田長江なのかなあ。
195 :
JPB:2001/05/02(水) 02:55
>185さん
ハンドルは・・・全くその通りです。お恥ずかしい。
>192さん
これ不勉強でわかんないんですが、平野謙?
「時評」が文芸の一分野を獲得するのはやっぱ戦後ですよね。
最低だ
197 :
JPB:2001/05/02(水) 03:13
>184さん
さらに狭義の批評についての私の考えを言えば、こうなります。
a.「この小説はクズだ」・・・これはあんまし好きな批評ではないっす。まとめれば
こういう言明になる批評は、「この小説はクズではない」という反応をひきおこす
と同時に「クズかクズでないか」という二者択一に追いやってしまう言説なのでは
と思うからです。
b.「この小説は走る」・・・これがむしろ批評だと思うわけです。つまり、小説の
様態を記述すること。そうすることで、どのような場と「小説」が関わり、それが
もつ力(美でもいいし面白さでもいい、影響力でもいいし有効性でもいい)がどの
ようなものかを明かにできると思うのです。
至極、簡単ですが。
198 :
JPB:2001/05/02(水) 03:27
ただ、裁判官は「被告は殺人を犯した」っていっても何の意味もない
よう、時評家は「被告は殺人犯である」って言わなきゃいけないんです
よね。現代において批評家が時評家として「Aは〜である」と言わな
きゃいけない状況ってなんなのか、これもまた一つの問題かと。
199 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 03:37
>>197 bの記述はよく分かりますね。そういう小説と批評の関わり方は理想的だと僕も思います。
ただ、批評家はたぶん、一般の人例えば「ダ・ヴィンチ」読んでる人にとっては紹介者でしかないのでしょう。そこでは何がしかの判決、が行われる必要がある。
200 :
JPB:2001/05/02(水) 03:50
>199さん
そうですね。蓮実なんかは最初の頃、作品を召喚しておきながら
いつまでも「判決」を下さない感じの、まさにカフカの「審判」を
思わせるような構造の批評もあったんですがね。(『私小説を読む』
『夏目漱石論』『大江健三郎論』等)
201 :
安吾の?番弟子:2001/05/02(水) 04:13
でも僕はどちらかというと「表層批評宣言」の方が舐めた感じがして好きですけどね。>JPBさん
当たり前のことですが、批評と小説というのは本来切り離しえないもののはずです。近代文学創設期の作家たちはたいてい理論と実作両方やっていたはずです。坪内逍遥、二葉亭四迷、漱石鴎外は言うまでもなく、私系でも田山花袋や岩野泡鳴は描写論なんかをやってるわけです。
僕はホウメイの「僕の一元描写論」というのを読んだことがありますが、なかなかのものでしたよ。彼自身が彼自身の小説のフォルムについて語っているわけです。ここにはJPBさんが言われたような幸福な関係があったように思いますね。ま、自分で書いてるから当たり前なんですが、それでもなかなかああはいかない。
僕は一体いつごろから批評と呼ばれるものと、小説と呼ばれるもの、その棲み分けができたのか、そちらの方により興味がありますね。
202 :
安吾の?番弟子:2001/05/02(水) 04:25
184の人は寝ちゃったのかな? 俺も寝るか・・
203 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 15:53
ある種の断定を下すときに必然的に生じてしまう迷いや逡巡を書いたものがさりげなく体現
出来ているか否か、というとこなんじゃないか、一流と三流の違いって。実践ってそういうことだろう。
204 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 16:15
>201
批評家と小説家が同じだった時代があった。これは面白い話ですね。
同様に文学の分野も細分化されてますが、これも何か理由があるのでしょうか。
棲み分けがおきるには、特定の分野だけで食べていける土壌が必要になります。
それだけ文学の裾野が広がったからでしょうか。
205 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 20:05
JPBさん、結論を焦らないあなたの文章に非常に好感を抱いてます。
特に183の疑問には共感を覚えます。
誤解を恐れずに私見を述べれば、柄谷行人が一つの転換点だったように思います。
彼は、それまでの批評にはない「学問」領域の視点を持ち込んだのではないでしょうか?
勿論、彼の論理なり視点は必ずしも正しくはなかったのですが、批評にある種の確かさを
持ち込んだように思うのですが、如何でしょうか?
206 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 23:01
続き知りたいんでage
207 :
114:2001/05/02(水) 23:06
あのあと盛り上がってたみたいですね・・・起きてれば良かったです。
話が高尚すぎて付いていけないかもしれませんが。
話を蒸し返すことになるかもしれませんが、
レスいただいた方には、一応レスしておきます。
>>157 そうだろうとは思ってましたが、137に絶対的というものをできる限り
具体的に聞きたかったもので。
>>158 批評家の価値基準も当然、究極的には趣味判断でしょう。
もちろんそこには絶対的な正しさなどというものはあるはずもありませんが、
(前にも書きましたが)作品なりなんなりを判断する権利は批評家としてではなく、
人として社会的に保証されているのです。それを公にすることも。
そして、その判断が批評家として通用するかどうかは
頭脳も含めた己の才覚によるところでしょう。
僕は何も文学の世界の正しいあり方を主張しているわけではなく
小説家と批評家のどちらが上位であるというようなことはおかしいと言ってるだけです。
納得してもらえましたでしょうか?
208 :
吾輩は名無しである:2001/05/02(水) 23:58
うん、ひじょーに納得しやした。そういう風に分かりやすく書いてくれると俺も助かるんだ。小難しく言わないと自分の立場を弁明も出来ない174とは大違い。
え、まさか同一人物じゃ、ないよねえ?
>>207 悪いが、なんだかくどくどしい文章だなぁ...
なんか余計なお世話だよ。
210 :
114:2001/05/03(木) 01:02
>>208 174とは別人です。僕は彼?ほどは頭は良くないと思います、たぶん。
>>209 そうですね。くどいとは自分でも思いますが、
あなたに向けた書き込みではありません
今日は盛り上がりそうもないですね。残念です。
211 :
吾輩は名無しである:2001/05/03(木) 01:10
★ 174で〜〜す!!
あれ?気を悪くさせちゃったかな?
おれも相当なドキュウンなんだけど?
おれはああいうモノの言い方しかできないの。そのおかげで
損もしているし得もしている。というか損ばかりしているのだが・・・
みなさん、物の言い方にはくれぐれも気をつけましょー(涙
212 :
吾輩は名無しである:2001/05/03(木) 01:25
思ったより悪い人ではなさそーだ。これからもよろぴく。っても名無しだけど(藁
213 :
吾輩は名無しである:2001/05/03(木) 08:57
一部の人にしか評価されない批評を言う批評家と
多くの人々に喜ばれている作品を書ける作家
どっちが偉いでしょう?
きっと出版社と本屋は作家を選ぶだろう。
批評家の批評を読んで感性がズレてると思った人、
あなたと批評家のどちらの感性がズレてるのでしょう?
214 :
吾輩は名無しである:2001/05/03(木) 10:42
>一部の人にしか評価されない批評を言う批評家と
>多くの人々に喜ばれている作品を書ける作家
>どっちが偉いでしょう?
なぜそこに偉いという尺度が出てくるのか。
偉さが数に還元されてしまうのはなぜか。
そういった杜撰な思考回路のマジョリティーに支持される
小説っていったい。
215 :
吾輩は名無しである:2001/05/03(木) 12:07
>214
多数派とずさんな思考回路が直結する理由がわかりませんが。
ずさんな作品だから売れない。そう言う意見の方がもっともらしく聞こえます。
批評家が批判しているからといってずさんな作品とも限りません。
一部の特殊な人間が評価する作家より、売り上げが高い作家の方が偉いという考え方は
市場原理にのっとった正当な評価だと思うが。
少なくともどこに基準があるかわからない批評以上に絶対的な評価です。
216 :
吾輩は名無しである:2001/05/03(木) 12:54
>>215 の言うことはつまり、極論すれば市場原理に適応できない小説などは淘汰されてしまうが良い、という考え方と結びつく。
そのあたりは大塚英志に笙野頼子が噛み付いた「ドンキホーテの論争」で示された考え方が参考になるのではないか。
217 :
216:2001/05/03(木) 13:09
多くの人に開かれない自閉的な文学のあり方を非難する大塚に対して、笙野は文学とはそのようなものだ、と逆に開き直ってみせる。
それは、少数者でしかありえない者たちのためのものであり、文学というのはそのような少数者にたいしてこそ開かれているべきなのだ、と。
だが、そのような「少数者たち」のための場は今死に瀕しつつある、という自覚が彼女にはある。それはすべてを平面に均していく資本主義のもたらす当然の帰結だからだ。彼女は声高に叫ぶ。今こそ文士たちの森を守らなくてはならない、と。
「文学」は死んだ、「文学」は衰退した、と紋切り型に繰り返される言説に挑む彼女の姿はたしかにドンキホーテのごとく滑稽であり、それが現実を相手にしているだけなお悲壮に見える。
だがその言葉にはまだ十分耳を傾ける価値があると思われるのだが。
218 :
吾輩は名無しである:2001/05/03(木) 13:13
「売り上げが高い作家」ってのは売り上げ高が多いということしか意味してない。
219 :
吾輩は名無しである:2001/05/03(木) 14:39
小説家は批評家のことなんか気にしちゃいないよ。
褒められれば当然と思い、貶されれば氏ねと思うだけ。
むしろ批評家の方が、小説家に対しての屈折したコンプレックスが
あると思う。
いまの読者のいない少数派の文学の土壌では、
当然の前提、純文学が終わった!としか叫べない
(一種の復讐だと思うが)
批評家って馬鹿にしか見えない。
じゃ、そこでパラサイトしてるおまえらは大腸菌以下じゃん、ってさ。
せめて、寄生主を脅かし進化させるウィルスになれよ。
220 :
吾輩は名無しである:2001/05/03(木) 16:16
>>215 資本制社会において作品が「商品」として流通する以上、
その価値判断に市場的尺度が適用されるのは止むを得ないことである。
ただ、価値基準が「売上高」といった量的差異に一元化される事には若干の疑問が残る。
売り手としての作者・出版社・小売店にとっては、
成る程売上高は重要な指標足り得るのかも知れない。
だが、買い手たる読者にその基準が無原則に適用されるのはいかがなものか?
また、売上高から演繹される“共通感覚”(消費者選好)
によってその価値判断が可能だと言う見解もあるのだろうが、
上述の感覚から逸脱した商品、読者に対しは無言の圧力にしかならないと言える。
ただ、私はここで少数弱者の権益を重視しよう言っている訳ではない。
そういった、多数者・少数者の対立を審査する基準として、
別の手法が必要であり、車や洗剤と異なる商品上の性質から(計量化・数値化困難)
言語による判断(=批評)が、取り敢えずは妥当だと言う事を提示しているのだ。
勿論、普遍的価値の是非も含めての話であるのは言うまでもない。
長文・横レス、スマン。
221 :
吾輩は名無しである:2001/05/03(木) 16:30
ま、「市場」ってのは、それだけで独立したものではないからねぇ。
需要も供給次第。
222 :
吾輩は名無しである:2001/05/03(木) 16:38
>220
>また、売上高から演繹される“共通感覚”(消費者選好)
>によってその価値判断が可能だと言う見解もあるのだろうが、
>上述の感覚から逸脱した商品、読者に対しは無言の圧力にしかならないと言える。
そう言う商品や読者って、一部のマニアックな物のことですか?
それは一つ間違えると独りよがりの独善になりかねないとこがありますが。
怖いのは発言力をもった少数者がおかしな事を言い出すと、世の中が駄目になっていく。
大蔵省を見よ。自民党を見よ。
このレスの議論を見てると、一部の人に「売れてる作品が駄目な作品だ」と言う偏見が見られます。
常識から見て「売れていない作品の方が駄目な作品が多い」にも関わらず。
普遍的価値なんて言葉もおかしな言葉で、人々に評価される作品は時代により変化する。
これが常識だと思ってましたが。
批評家の判断基準に怪しげなところがある以上、商業主義の絶対基準の方が
当たってるような気がします。少なくともそれは大勢の人々の感性にあってますから。
223 :
吾輩は名無しである:2001/05/03(木) 17:06
>需要も供給次第。
供給も需要次第。
これすなわち、にわとりと卵のお話。
224 :
吾輩は名無しである:2001/05/03(木) 17:57
220>222
>そう言う商品や読者って、一部のマニアックな物のことですか?
純文学全般がそういえる。
>怖いのは発言力をもった少数者がおかしな事を言い出すと、世の中が駄目になっていく。
>大蔵省を見よ。自民党を見よ。
彼らの問題点は社会権(=20世紀の人権)を梃子とした最大多数の最大幸福を基調の
社会主義政策を採った点にあり、むしろ「多数者の専制」(J・S・ミル)とも言える。
更に付け加えれば、「民主制下ではインフレ(バラマキ)にならざるを得ない」(J・ブキャナン)
「革命は反動を導く」(P・J・プルードン)「権力は下からくる」(M・フーコー)とも言える。
何れにせよ比喩としては不適当だと思われる。まあどうでも良いが。
>「売れてる作品が駄目な作品だ」と言う偏見が見られます。
いえ、そんな事はいってません。試しに引用すると...
「少数弱者の権益を重視しよう言っている訳ではない。」と書いてあります。
他の方はどうか知りませんが私は一言も申し上げておりません。
>普遍的価値なんて言葉もおかしな言葉で、
その是非が俎上に登るというだけです。否定肯定は別にして
価値を共有しないとコミュニケートできないでしょう?
この場合の普遍とは通時的価値も含みます。要するに常識。
>批評家の判断基準に怪しげなところがある以上
ハァ?批評としか言ってませんが、大体、批評(レヴュー/クリティック)
というのは前の段階でカタがついていると思いましたが。
>大勢の人々の感性にあってますから。
それも検証されて然るべきですね。売上で言ったら鈴木光司、渡辺純一、村上春樹
田中芳樹、柳美里、の作品は何れもヒットしましたが、彼らの作品に共通する
時代的価値観や感性とはどういったものでしょうか?
非常に興味深いところです。
225 :
吾輩は名無しである:2001/05/03(木) 19:25
>224
>売上で言ったら鈴木光司、渡辺純一、村上春樹略の作品は何れもヒットしましたが、彼らの作品に共通する
>時代的価値観や感性とはどういったものでしょうか? 非常に興味深いところです。
彼らの作品の良さを理解できない人には永遠に理解できないでしょう。
批評家の中には、売れてる作品の良さがまるっきりわからない人がいるみたいで。
どこか感性がずれてるのでしょうか?
226 :
吾輩は名無しである:2001/05/03(木) 20:26
220の人は220で言いたいことを言いきっているように思える。
それに絡んだレスは、主に単純な読みの不足からの揚げ足取りに見えるんですけど。。
227 :
吾輩は名無しである:2001/05/03(木) 20:29
売れてるものに必死についていこうとする人って何なの?
228 :
吾輩は名無しである:2001/05/03(木) 20:31
>>224 >売上で言ったら鈴木光司、渡辺純一、村上春樹略の作品は何れも
ヒットしましたが、彼らの作品に共通する時代的価値観や感性とは
どういったものでしょうか?
彼らの共通項は「売れた」という結果であって、必ずしも
共通の原因を持っているわけではないんじゃない?
229 :
にっく:2001/05/03(木) 20:59
>>228 224の末尾はちょっとした皮肉でしょ。
それにしても小説に絶対的な評価基準を求める人って一体・・・。
商業的売上も批評家の評価も一読者にとってはあくまでも一つの判断材料。
価値は同じでしょ。それこそ、この板での書き込みだって。
それらの判断材料を元に作品を手に取って、読み終わったあとに個人的な評価を下す。
それだけのこと。
批評家がクソ面白くもない作品をもっともらしい言葉で祭り上げるのが
気に食わないってのはわかるが、だったら自分が面白いと思う作品を
説得力をもって人に伝えようと努力すりゃあいいだけの話であって。
230 :
吾輩は名無しである:2001/05/03(木) 21:17
>>228 >>共通の原因を持っているわけではないんじゃない?
それは私にもよく分かりません。ただ、222さんの
>普遍的価値なんて言葉もおかしな言葉で、人々に評価される作品は時代により変化する。
>これが常識だと思ってましたが。
といった発言に見られる時代的感性がすべての批評に優先するのなら、
それはどういった物なのか?と思ってむしろ逆に222さんにお尋ねした次第なんですが...
>>共通の原因を持っているわけではないんじゃない?
確かにそうかも知れません。ただ、
>少なくともそれは大勢の人々の感性にあってますから。
といった読み手の性質への言及があったので、具体的にはどうなのか?
と考えて発言したのです。
231 :
吾輩は名無しである:2001/05/03(木) 21:46
>230 えぇ、えぇ、ちゃんと分かってますとも。
揚げ足取りみたいな書き方になっちゃったけど、
あなたが引っかかるところは概ね私と同じ所ですもの。
ただ、あなたのように明晰な人が、他の人の乱暴な発言に
引きずられることもないと思ったものですから。
232 :
吾輩は名無しである:2001/05/03(木) 22:42
あげ
233 :
JPB:2001/05/03(木) 23:34
すごいですね。伸びが。
>安吾さん&205さん
文学と批評の「棲みわけ」の発生についてですが、これは昭和初期ではないか
と私は考えます。つまり、社会主義理論が第一次大戦後に流入するなかで、ある
種の批判理論として「文学」に対峙したのではないか。そして、そこから小林
秀雄が鬼子として生れ(つまりマルクス主義批判者としての批評家)、また
保田、亀井らの日本浪漫派の批評家がそれを乗り越えようとする中で批評論を
形成したという筋書きです。
戦後活躍する、中村光夫、福田恒存、花田清輝なんかがその次の世代。少なくとも
彼らの学生時代マルクス主義が一つの「経験」としてあり、もともとポリティクス
の文脈にあった批判理論(弁証法的思考)を文学の場に導入し、あるものはその
党派性の中で批評をし、あるものはそこから身を離す形で批評をしたという感じ
となります。
その筋書きからすると、柄谷が批評史の中でもつメルクマールは、平野謙→
吉本隆明→柄谷行人という切断=継承の中に位置づけることができるのではない
かと。そして、そうした関係の中で柄谷の独自性もまた論じられるのではないかと。
と、
234 :
ixion:2001/05/04(金) 00:04
JPBさん。俺は「批評」というタームが何をさすのか分からないん
だけど、例えば世阿弥の「風姿花伝」のようなのはどうですか?
表現の相対性を論じて、「位の上れる風體」と「衆人愛敬」を比較
しているのは、まぁ今の純文学vs大衆文学みたいなもの、といえない
こともない。「演者」と「観客」を明確に分離した点でも、たんなる
表現ではなく観客の期待の地平まで含めていることが分かるし、これ
は「批評的距離」の一種ではないでしょうか?まぁ論調は安易かも
しれんけど。
さらに言えば、近世における「国学」の発生、本居宣長の「源氏物語
玉の小櫛」なども、ある批評的距離を達成している。それは、日本で
の朱子学受容が多少俗に流れ(っていう言い方はよくないかな^^;)
勧善懲悪的なものを受け入れてしまう傾向があったのに対し、宣長が
「物のあはれ、なさけ、よの中の人の情」といった「揺れ動くもの」
を肯定して、善悪は相対的である、恋のように想いを尽くす場に
おいては、特に価値は相対化されると考えている、そのことが立派な
離れ方となっているという意味において、「批評的距離」と言って
いるわけですが。
批評とは政治的スタンスに拠るものでも、実作と対立しそれを領有化
しようとする動きのことでもなく、受け入れる前にまず距離をとろう
とするとまどいの中にあるのではないでしょうか?(蓮実か俺は^^;)
あ、鴨長明とかもどうだろうなぁ…。むずかし。とりあえず批評と
言ったらなぜか柄谷やら蓮実やら古くて小林か保田、もしくは
夏目漱石、って考える人が多すぎるような気が、俺にはするんですわ。
どうですか皆さん?
なんだか凄い話になってきた・・ 俺はよく分かんないので匿名に戻るよ?
236 :
JPB:2001/05/04(金) 00:33
>ixionさん
今回、「批評」という言葉の外延として私がとったのは、明治以降の
日本が、徳川以前の時代をほとんど意識的に忘れる形で成立し、その中で
あたかも自ら発生したかのごとくふるまう「文学」の領域の中の一ジャンル
としての「批評」という意味でです。
その私の前提はまあ、ちょっと安易だったかも。ただ、こう考える背景に
は「批評的距離」そのものを作品として結実させるという行為は、作者の
意図はどうあれ政治的な力を行使してしまうのじゃないかという考えに依って
ます。
とはいえ、確かに『風姿花伝』は「離れ方」、自分の理解で言うとそこに言葉
が置かれようとした瞬間に到来するもう一つの力が、不思議に言葉を
歪めていく、山城氏がいってたかもしれないけど、蕪村とかにもそういう
「とまどい」を見出せるような気もします。
むかし『とはずがたり』で、私は「再帰的=批評的」な文章の発生を読んだこと
がありました・・・が、D評価だった・・・
237 :
JPB:2001/05/04(金) 00:46
あっ、この「再帰的」というのは、文がものされようとしたときに、
作者の二つ目の視線が生れ、ある別の目標地点を文に組み込んでいく
意識的な創作態度で、「とまどい」と表現されるものよりはかなり
意識を上に置いた考えです。どうしても、私は批評を政治的な
文脈で読んじゃうんですよねえ。
本居とかは正直、よけてた(^^;。合わせて考えてみます。
238 :
ixion:2001/05/04(金) 01:06
「詮はただ詞に現れぬ餘情、姿に見えぬ景気なるべし」
何やら幽玄なるもの無名なるものを相手に、いろいろとまた
思い悩むことこそ批評ですわなぁ。
小説の善し悪し、本然や気質を語ろうとすることは、「批評」なる
態度に含まれる一つの営為ではあっても、決して批評そのものでは
ないと思う。つか、小説のジャッジを批評だなんて言ったら、批評
がかわいそうだ…。
239 :
世界@名無史さん:2001/05/04(金) 01:21
「批評家が妙に威張っててムカつく」って話じゃなかったのか?
まあまあ・・・そういえば、そうでしたね(^^
>>239 いやいや、「つまんない本ほめてる批評家が多くてムカつく」ってスレでしょ元々(藁
242 :
吾輩は名無しである:2001/05/04(金) 08:26
そう、元々は批評家の判断が腐ってるんじゃないか。って話から始まったよう。
批評家に言わせると売れてる本は駄作になるそうです。
それなら何故大勢の人に支持されるのか?
そして批評家が推薦する本が必ずしも売れるわけがないのは何故か?
批評家の感性が一般人とズレてたとしたら、理由は明確になる。
その場合に批評家の価値って、どうなるのでしょう。
243 :
吾輩は名無しである:2001/05/04(金) 11:09
批評家の言葉には、単に批評だけでなくその人の立場に関わる政治みたいなものが
入っているんではないでしょうか?例の「棲み分ける批評」みたいな。
批評家が自分の価値観の基準としてるものは「根拠の無い自信」だと思う。
感性がズレてても全然OKと思ってるんじゃないかな。
244 :
無礼講:2001/05/04(金) 11:12
感性のズレは問題視しないであろう
245 :
吾輩は名無しである:2001/05/04(金) 12:53
>批評家に言わせると売れてる本は駄作になるそうです。
文盲が一人いるな。
246 :
吾輩は名無しである:2001/05/04(金) 12:57
感性のズレを問題視しない。そういうとこが迷惑をかけてるとも気づかない。
結局最後に決まるのは本の売り上げになってしまう。
いずれズレた放言をしまくる連中は淘汰されなければならない。
247 :
吾輩は名無しである:2001/05/04(金) 13:17
もともとのスレの趣旨からは、ずれていくんだろうけど、個人的には
JPBさんと、ixionさんの話をもうちょっと続けて欲しいなぁ。
ixionさんが指摘されるように、確かに世阿弥や本居も批評を内包するんだろうと
思う。ただ、そこで批評との共通点を語るよりは、切断点を語って欲しいなぁと
いう気がします。と言うのも、私は現代のいわゆる批評の萌芽を、それまで無かった
小説という形式の導入(侵入?)にあると見ているからです。
248 :
無礼講:2001/05/04(金) 13:45
小説で批評するのは文学的で素晴らしい
249 :
吾輩は名無しである:2001/05/04(金) 17:13
小説家の批評ってやっぱり実作者の視点があるから
結構いいとこついてきて面白い。
でも批評家の小説は頭でっかちでつまんない。
が、結論てことで。
250 :
吾輩は名無しである:2001/05/04(金) 17:31
哲学板に中沢新一氏が出没しています。
興味のある方はどうぞ。
251 :
吾輩は名無しである:2001/05/04(金) 19:20
age
252 :
吾輩は名無しである:2001/05/04(金) 23:32
あげ
253 :
JPB:2001/05/05(土) 01:03
>247さん
あの話題は少し私には荷が重いかもしれません。癖と言うか、どうし
ても近代/前近代の枠組みの推移を念頭においてしまい、いわゆる「批評」
は近代の産物としてみてしまうんですよねえ。テキストを社会背景との
関連から読んでしまいがちなのです。。。文学専攻の方の意見希望です。
254 :
吾輩は名無しである:2001/05/05(土) 08:35
>253 そうですか。。「批評」の「」に妙に共感しつつ、しばらくは静観します。
255 :
安吾の?番弟子:2001/05/05(土) 22:44
>JPBさん
遅レスですが・・233の見取り図について。恐らくあそこでJPBさんの考えた「批評史」で要旨となっているのは、
>ポリティクス の文脈にあった批判理論(弁証法的思考)を文学の場に導入し
という部分だと思うんです。ひたすら詩情に流れようとする小説に対して徹頭徹尾唯物的たらんとする理論が持ち込まれる。そこから始まるとりあえずの「近代批評史」ということだと。(247さんのほのめかしてる話も面白そうですが・・)
そうすると、これは単なる思い付きなんだけど、僕が先に書いた実作者たちによる理論、これは一体どうなっていったのか。今の作家たちは理論なんかやりませんよね。(俺が知らんだけか?)
256 :
安吾の?番弟子:2001/05/05(土) 22:47
そうした実作者らによる理論というのは、ひとつにはエッセイに流れていったのじゃなのかと思うのです。僕はJPBさんのようにそれを「史」としてまとめるだけの知識がないのが残念ですが・・
例えば安吾ですね。彼はマルクス主義にかぶれてもいないし、その他輸入品である、理論というものを体系的に学んだことはなかったはずです。(まあ小林とかの影響はある程度あるかもしらんけど)。
しかし彼の有名なエッセイ「文学のふるさと」これは悲劇というものが演出されるための条件を書いた、立派なドラマトゥルギー論になっていると思うのです。
安吾の書くものは(時々だけ)理論的です。であると同時に必ず詩なのです。
これはちょうどJPBさんがあそこで思い描いた「批評史」とちょうど逆の、或いはあれを別の側面から補完するものなんじゃないかと、ちょっと浅はかにも思ったので・・・
長レス、すまん
257 :
JPB:2001/05/06(日) 00:53
>安吾さん
なるほど。その逆の批評史、まとまったときでいいですから教えていただけると
ありがたいです。それこそ、世阿弥につらなる批評になるのかもしれませんね。
わたしの「史」は、基本的には『近代日本の批評』とかが混ざり合った感じで
まとまってます。あと、後藤明生の『小説は何処から来たか』?とかですか。
まあ、無駄に参考文献がアタマん中で混ざり合ってますよ(^^
実作者の批評は、そうですね。論争という形で噴出することもあり、確かに
わたしの「史」のようにそれを見ない形で描くとなんかまずいなあ、と後から
思いました。
258 :
吾輩は名無しである:2001/05/06(日) 21:59
age
259 :
吾輩は名無しである:2001/05/16(水) 12:43
渡辺直己とすがは、文学がわからないクズ。
以上!
260 :
吾輩は名無しである:2001/05/17(木) 11:24
>>259 いまさらなに抜かしてんだ、このヴォケ、晒し上げ。
261 :
吾輩は名無しである:2001/05/23(水) 07:05
結局何が本当かなんてわかりゃあしないんだから、批評家なんていらねーな(笑)。
客が好き勝手に言ってりゃあいい。
わかろうがわかるまいが、そんなもん小さい人間の枠の話じゃねーか。
批評家なんて喋って金貰ってるだけだろ、結局。
というより批評本なんて読んでくより自分の意見持ってりゃあいいんじゃない?
まぁいてもいなくてもいいけど。結局みんないっしゃだよ。
>>261 なんか傍から見てても因縁の篭もったレスだね。
263 :
吾輩は名無しである:2001/05/23(水) 07:45
>>262 いや一言でいうと261はドキュソだよドキュソ。
264 :
吾輩は名無しである:2001/05/23(水) 16:19
261が正論だと思うが。
265 :
吾輩は名無しである :2001/05/23(水) 17:29
>>265 同意! 真摯な批評のあるところに、まともな文学は育つ。
267 :
吾輩は名無しである:2001/05/23(水) 20:50
真摯?
268 :
匿名:2001/05/23(水) 22:45
このスレ、ざーっと読んだけど、安吾さんの言っていることが一番的確だな。
批評家として優れた小説家も、小説家として優れた批評家も、いろいろいるわけ
だから。「批評家くそくらえ」ってのは、90年代以降の日本文壇っていう
小状況には当てはまるかもしれないけど、一般論としてはダメだね。
で、小説と批評の分岐、ですか。JPBさんの、プロ文っていうのも面白い仮説
だけど、決定的なのはやっぱり小林秀雄じゃないか。ちなみに柄谷行人が
「漱石は理論に挫折して小説家になった。俺はあくまで理論家でいく」なんていう
啖呵をきっていて、なんか小林秀雄ゆずりだよなあ、こういうノリって、と思ったよ。
漱石が聞いたら鼻で笑いそうな台詞だあな。
ちなみに批評家=小説家として私が敬愛してるのは、正宗白鳥。
しかし、創作家が片端から批評家をやっちゃうから、わけわかんなくなってる
ジャンルもあるぞ。それは、日本の現代詩だ! 誰かスレッド立ててくれ!
269 :
吾輩は名無しである :2001/05/24(木) 02:00
人気作家の条件のひとつは”読みやすいこと”。作品が良いから
売れるのではなく、わかりやすいから売れるのである。わからない
ものは買わないんだから。売れてて高度な内容を保っている作品
は極少数。
読者に迎合しないで高い質の作品を書き続けてる作家のためにも
批評は必要。名作として安定して売れている名作の中にも
批評家が発掘した作品は多いのでないか。大体真の名作で
あればあるほど時代を先取りし過ぎていて、発表された当時は
なかなか理解されないものなのだから。
>>269 漏れが思うに。「わかりにくい」のは要するにその作家の文章がヘタだから
でないの? ウマい人はたとえ「難しい事」を書いていても「わかりやすい」よ。
これが大きな秘訣。素人目に見ても「明らかに」わざわざ単純なことを
難しげに書いてるな、と感じさせる文章はやっぱりマイナス印象大。
271 :
269:2001/05/24(木) 02:25
>>270 ここ文学板だよね!?君は何で文学を読んでるの?
これが僕の答え。
>>271 相変わらず答えになってないよ。質問に質問で答えてどうする。
このスレッドを見てる批評家の皆さん、
馬鹿だなーって思ってるだけでなくてレス下さい(笑
274 :
吾輩は名無しである:2001/05/24(木) 11:30
実はもうくれてたりして。
でも自分出すようなお子チャまはいないだろうなあ・・
275 :
吾輩は名無しである :2001/05/24(木) 11:52
とりあえずここで議論をしたからといって
世の中から批評家がいなくなるわけではない。
276 :
吾輩は名無しである:2001/05/24(木) 12:36
ネガティブな批評はいってよし
批評家の効用:
>>271のような勘違い君に小理屈を教えて悦に入らせる。
278 :
吾輩は名無しである :2001/05/24(木) 13:08
頭が悪くて評論を理解できないから、批評家いらない、って
いう奴が大半だろ。自分の理解できないもの=悪。知性を
持ったアンチ批評家の登場を待つ。
読みにくい、難解な文章ほど興奮してしまいます。
280 :
吾輩は名無しである:2001/05/24(木) 14:13
頭が悪い評論家の評論を読まされるから、批評家いらない、って
いう奴が大半だろ。理解し易いもの=悪。せめて人並みの知性を
持った批評家の登場を待つ。馬並でもいいぞ。
281 :
吾輩は名無しである:2001/05/24(木) 15:13
>>280 じゃあ頭のいい批評家の評論ならOKなわけ?
つまり評論は必要ってことね。
282 :
吾輩は名無しである:2001/05/25(金) 16:54
批評家がいなくても作家は育つ
261です。批評家はいらないなんて言ってないよ。
批評家が好きな人(必要に思っている人)のために批評家は必要だね。
でも偏見の無い観方などないよ。現に今あんたの観方、偏見でしょが。
っていうオレも偏見。こりゃあバカバカしいね。
この話は結局「オレ批評家好き!」「オレは嫌い!」ってので終わっちゃうな。
284 :
吾輩は名無しである:2001/05/27(日) 13:08
もちろん批評家は作家のために書いているわけでもなければ、文学
のために書いているわけでもない。
285 :
吾輩は名無しである :2001/05/27(日) 15:27
批評家いらない、って言う人たちは批評家以上の批評
ができるわけね。なら評論集でも発表すれば。好きなこと
いって金稼げるんだから、楽でいいでしょ。
「論証によって人はけっして説得されない」
── エマーソン(批評家) ──
287 :
吾輩は名無しである:2001/05/27(日) 22:23
「馬耳東風」
ことわざ
288 :
吾輩は名無しである:2001/05/27(日) 23:15
「対牛弾琴」
水野朋子事件被害者
290 :
吾輩は名無しである:2001/05/27(日) 23:23
「論証によって凡人はけっして説得されない」
エマーソンのアイロニーを理解できぬ人は不幸。
291 :
吾輩は名無しである:2001/05/27(日) 23:25
その人が、単なる小説家のパラサイトか、それ以上の批評・論考を
している人かどうか、っていうところが分かれ目だと思うけど、
そういう意味で言ったら、小林秀雄・伊藤整・亀井勝一郎・江藤淳・
吉田精一・唐木順三とかくらいじゃないのかな(亀井は違うか……)。
同時代の人でそのレベルに達してる人っているのかな。柄谷?
292 :
吾輩は名無しである :2001/05/28(月) 00:52
>>286はまさに構築なき脱構築だね。徹底的に考え抜いた末に
論理を超えたものを見出すんじゃなくて、初めから考えること
を放棄してる。
>>291 どのジャンルでもそのうちの9割はごみ。
293 :
吾輩は名無しである:2001/05/28(月) 07:05
「議論に勝つことで、正義を立証した事にはならない」
アルレッド=パイマン
294 :
名無しのオプ:2001/05/28(月) 07:35
本当に引用好きだな。他人の権威に頼ってないで
自分の言葉で語れよ。批評好きな人間は自分の
考えを持った上で批評を読んでるんだよ。お前ら
は自分の考えもないし、他人の優れた意見を聞く
謙虚さもない。
295 :
吾輩は名無しである:2001/05/28(月) 09:47
>>294 それをさも自分の言葉であるかのように振舞う奴よりよっぽどいいと思うよ。
的を得てるし、おもしろいじゃん。
261です。うるせーか、いちいち。
ここのタイトル「批評家どもの暴挙を許すなよな」ってタイトルらしいけど、
それ自体が暴挙だったりして。でも、面白い批評もあるからまぁいいけどね。
文句あるなら苦情の手紙でも出せばどう?
298 :
吾輩は名無しである:2001/05/28(月) 12:14
お〜、まんこ〜。
終わったな。
今日からここは荒らしのための駄スレになります。
では荒らしの皆さん、よろしく。
つか、元々そのためにつくられたのではと思われ
300 :
吾輩は名無しである:2001/05/28(月) 14:35
___ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ \ |
>>297 >>298 >>299 まとめてアホ丸出しだな・・
| ━┏━ | \
| ┗ | レ' ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\ ━ / ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄
/ ̄  ̄ヽ ミ゚д゚;ミ <さっそく荒らすなよ
| とヽ i |━━━し━し━━\____
\  ̄ ̄ ̄´ヽ,ノ
 ̄ ̄ ̄ ̄` 日
301 :
吾輩は名無しである:2001/05/28(月) 17:54
失礼、293は冗談です。
アルレッド=パイマンなる人物はいません。
気づけよ、コラー
302 :
吾輩は名無しである:2001/05/28(月) 17:59
批評家の暴挙を許すな、って批評家を叩く根拠が小説は
各人の好みだ!!だもんな。これをバカの一つ覚えに繰り返してる。
レベル低すぎ。少しは自分たちの言ってることを真剣に考えてみろよ。
どれだけバカかわかるから。
303 :
吾輩は名無しである:2001/05/28(月) 18:03
○ ○
/ __∧_∧__∧ |
/ | / \ | |
| | > < | |
、 フ ⊂⊃ ヽフ
| ̄ ̄ __|_ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| /__/ | < おしゃぶり!
/ | ノ\ \_______
/ ̄ ̄ __ __  ̄ ̄ ̄\
| / ヽ |
/ \ |
/ \/
/ __ | | __ |
| / \ / | / \ |
| | 、_,l | / | | 、_,. | |
\\__/ / \ .\_/ /
\___/ \____
304 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 19:27
302に同意。
批評家を叩きたいんなら、何を批評対象とするか、じゃなくて
如何にそれを批評するか、を話題にすべき。
どう誉めるかってのも芸だから。(淀長をみよ)
305 :
吾輩は名無しである:2001/05/30(水) 06:55
批評家の批評を批評してどうするのでしょう?
友達と話せば?
306 :
吾輩は名無しである:2001/05/30(水) 07:16
オマエモナー
307 :
305:2001/05/30(水) 07:23
そうします。
308 :
吾輩は名無しである:2001/05/30(水) 07:32
つーか、300もレスついていまだに
>>304 の時点で滞ってるのかよ
309 :
1:2001/05/30(水) 08:20
とか言いながらみんななんでageるのかなあ? 無視すりゃいいのに。 酔った勢いでたてたくそスレなんだから・・・(恥
310 :
吾輩は名無しである:2001/05/30(水) 11:03
しかし、日本には褒め方のうまい批評家ってのもいないねえ。
なんか福田にしろ大塚にしろ、ほめるとなるとどもっちゃう。
悪口はあんなに生き生きしてて説得力があるのに・・・
淀長は人柄でほめてた部分も大きいのでわ?
でも、批評家で人柄がよいヤツなんて、生き残れないわな。
311 :
吾輩は名無しである:2001/05/30(水) 12:59
つーか、てめえら、ちゃんと批評を読んでるワケ?
批評家は人柄の良さで書いているわけではない。
そして、310も人柄はあまり良くなさそうだ。
313 :
吾輩は名無しである:2001/05/30(水) 21:33
読む価値ある批評なんてないだろう。
314 :
吾輩は名無しである:2001/05/30(水) 21:38
>批評家の批評を批評してどうするのでしょう?
は、極めてまともな意見ですね。批評には批判も含まれる、と考えると。
他人の批評をとやかく言うくらいなら自分の批評を出せ、ってことだから。
そういう意味でしょう?
>>305 だから、こういう井戸端会議で批評を批判するのは別ってことで。
315 :
吾輩は名無しである:2001/05/30(水) 23:08
批評を読んでから文句を言いましょう。
316 :
吾輩は名無しである:2001/05/31(木) 12:17
はじめから読んでないのなら「暴挙」が何なのかもわからないし、
わかってないのになんとなく雰囲気が気に食わないというだけで
「暴挙」と言ってみる。
そういう子供みたいな論拠じゃまったく通じないぜ。
読んでるよ。くだらん揚げ足とり
して悦に入るなよ、ヴォケ。
ノ ‐─┬ /
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{__) | _|
| く_/`ヽ
/∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴\
/∵∴∴,(・)(・)∴|
|∵∵/ ○ \|
|∵ / 三 | 三 | / ̄ ̄ ̄ ̄
|∵ | __|__ | < うるせー厨房!
>>1 \| \_/ / \____
\____/
>悦に入るなよ
子供なんかに勝ってもそこまではうれしくありませんが(笑)。
321 :
田中洸人:2001/06/02(土) 02:05
322 :
吾輩は名無しである:2001/06/02(土) 22:32
固有名あるいは作品を出して具体的に論じた方が面白いんじゃないの?
323 :
吾輩は名無しである:2001/06/03(日) 01:42
324 :
吾輩は名無しである:2001/06/03(日) 06:21
>>323 笑えました。
福田、言われっぱなし。
後半真面目なパンク論議になってるとこがいい。
うわー。執念ぶかそー
あー320のことね。よっぽど悔しかったのねえ。
328 :
吾輩は名無しである:2001/06/12(火) 18:27
渡部とスガは、評論家としても人間としても
最低の存在。
329 :
吾輩は名無しである:2001/06/16(土) 09:44
age
330 :
吾輩は名無しである:2001/06/18(月) 07:49
作家と知りあいだと明らかに矛先が鈍る。
仲間ボメって醜悪。
最近、あまり立派な評論家はいませんね。
東、鎌田ぐらいか?あとは読書感想文程度。
東のヨメって作家だろ?
下手にけなせないから、ありゃ反則。
筒井のファンクラブと同じじゃな。けけけ。
334 :
吾輩は名無しである:2001/06/18(月) 19:58
頭がきれてセンスもいいのに腕がない、才能が足りない、または先が見えすぎて
手が出せなくなっちゃうから批評家になるしかなかったやつってかわいそう。
せっかくすごい感性持ってるのにさー。
もともとパーなオレの手の届く話ではないけど。
オレなんかあの批評するために費やすだけの労力すらない。
あれだけ本読んでりゃあ平伏すしかないです。オヤジどものように「先生様〜」って
頭下げちゃいます。ここに来る頭のいい方々が羨ましいです。バカはつらい。
335 :
考える名無しさん:2001/06/18(月) 20:13
鎌田哲哉氏と西部忠氏の同人誌とかいうのまだ出てないの?
336 :
吾輩は名無しである:2001/06/19(火) 05:56
いろんな意味で東の時代はあっという間に終焉を迎えたね。
この短期間での落ちぶれっぷりはなんだろ。
平野の方がまだ前途に明るさがある。
批評家の寿命って短い。
337 :
吾輩は名無しである:2001/06/19(火) 07:08
ここで偉そうに愚痴ってる奴らって、事件に立ち向かう元気もなければ、批評的立場から人を納得させるだけの方法も持ってなくて、マッチョなダンディズム気取って自尊心を何とか保持してる奴らがほとんど。その醜さに気付いてるんだろうけど、見ない様にしてる所がさらに最悪。自分を冷静に批評する事から始めなさい。
338 :
吾輩は名無しである:2001/06/19(火) 07:49
>>337 昔はそれほどでもなかった。この板も
もっと健全で皮肉な批評精神が働いていて
(多少)スノビッシュだが有益な情報交換が行われていた
ような気がする。それがいつの間にやら
取り上げられる作家の範囲も狭まり、
我のつよさだけの長文レスや
論理を捻じ曲げる強引で牽強付会な断定だらけの
何やらアホアホ発表会のように成り下がってしまったが。
勘違いすべきではない。「日本的なクソ味噌的なれ合い」
などというのは常套句、単なる紋切り型の思考型にすぎず、
実際は他者との関係はもっとクールで距離をおいたものだと
言うことを。この板がもう一度往時の「風通しの良い」ものに
なることを希望。いったい今現在の鬱陶しさはなんなんだ?
生物の中で人よりゴキブリの方が生命力が強いように、筒井マニアと
いう虫けら野郎どもが残るというわけだ。連中はダニ以下だね。
たぶん批評家の文句を言うことで、自分ののんべんだらりとした糞のような
感想を肯定したいのだろう。
342 :
吾輩は名無しである:2001/06/19(火) 09:39
┌───────――─────────――──┐
│ |
│超ウルトラ悶絶ハイパーエクストラキチガイ警報 セカンドエディション |
│ |
└―――──―――――――――──――――――┘
ヽ(´ー`)ノヽ(´ー`)ノヽ(´ー`)ノヽ(´ー`)ノヽ(´ー`)ノヽ(´ー`)ノ
へ ) へ ) へ ) へ ) へ ) へ )
> > > > > >
343 :
>335:2001/06/19(火) 09:40
西部ススムと組ませた方が面白いような気が
批評家さんたち一生懸命だね。がんばれ!
345 :
匿名希望さん:2001/06/19(火) 12:41
清水良典さんはGSが好きと言いながら、
オックスとカーナビーツを思いっきり間違えていたので、
信頼しないことにしています。
346 :
吾輩は名無しである:2001/06/19(火) 12:46
まんこちんこうんこ
きっと過去スレにおいやりたい書き込みがあったんでしょ(ワラ
350 :
吾輩は名無しである:2001/06/19(火) 19:45
どっちにしても、渡部とスガは評論家のなかでクズの中のクズ。
これ、ケッテイ!
>350
お前が2chの中でクズ中のクズ。これ、ケッテイ!・・・とまあ、
こんなことなら誰でも書けるわけだ。書いても意味ないわけだ。
だから、マジで論を張らないと、お互いに自分の価値観を言い立てるだけの
スレになってしまうんでない?
350に悪気はないよ、気にさわったらスマソ。たまたま例示しただけ。
352 :
吾輩は名無しである:2001/06/20(水) 07:42
>昔はそれほどでもなかった。この板も
>もっと健全で皮肉な批評精神が働いていて
>(多少)スノビッシュだが有益な情報交換が行われていた
ヲイヲイ、あんたマジでいってんの?
ワラタ。
しょせん2chで批評家の文句を言ってるのは底辺を行く筒井マニ
アだから、頭の程度は期待できないと思われ。ま、そういうバカ
だから、2chで一生懸命がんばってるんだろうけど。
2chが“底辺”だっていうのは認めるけど
筒井マニアはともかく、筒井自身はそれほど頭悪くないでしょ?
筒井レベルで小説家として成功すればそれこそ凄いことじゃん?
ちなみに私は肌に合わないみたいだけど・・・
批評家=レイプ魔
誤読、ゴシップ読み、セクハラ読み、とお下劣し放題のクセに
ちょっと犯される側になると、おぼこ娘みたいにキーキー悲鳴
あげて、見苦しいったら。
これからは、文壇の大久保清こと鎌田に期待あげ。
(と見せ掛けてサゲ)
馬鹿にしている連中はせめてベンヤミンとかアドルノ、ドゥルーズぐらい読ん
どけよ(別にジェイムソンでもデリダでもなんでもいいけどよ)。
批評家って別に渡部とすがだけじゃねぇんだから。筒井関係を批判している奴
ばっかりつるしあげてると、その関係のファンクラブじゃないかと疑われても
仕方ないわさ。
下がりまくりなのでage
ま、いいのか。
日本のマスコミや文芸誌に登場する批評家のスレだろうから。
しかし、それだけで批評家全部を論破したという気分にはならないで
ほしいと思うのだった。
渡部、スガと筒井の対立構図っていつの話だよ?
十年ぐらい前から文芸誌読んでないのか?(ワラ
ま、東も嫉妬で身を滅ぼしたし、鎌田は強姦魔だし、
その上の世代は相変わらずなれあってるし、
見るべきものがないのは確かだけどな。
だから、作家が批評家どもにグダグダ言われる時代は終わってんだよ。
10年前筒井がエッセイで書いたようにな。
(10年前の恨みはファンはまだ忘れてねえんだよ、359さん)
まあ、俺が書いてもあんたらにはひねくれた読み方しかできんから
これでグチ書くのはやめとくわ、邪魔したな。
(あと、328と350の書き込みは、俺じゃないからな)
361 :
考える名無しさん:2001/06/21(木) 20:17
ちんこまんこうんこ
363 :
考える名無しさん:2001/06/23(土) 08:30
あげ
364 :
吾輩は名無しである:2001/06/23(土) 08:56
>誤読、ゴシップ読み、セクハラ読み、とお下劣し放題のクセに
>ちょっと犯される側になると、おぼこ娘みたいにキーキー悲鳴
>あげて、見苦しいったら。
ああ、筒井って奴こんな感じだね。
やはり筒井系のサルはファンクラブにいた方が安全かもしれない。
「公共」という場に耐えられる言説が彼らにはあまりにも乏しいです。
366 :
吾輩は名無しである:2001/06/23(土) 17:56
平然とファンなどと言って憚らないんだもん。
十年間も評価が変わらないのも、妄信的なファンならではでしょう。
367 :
吾輩は名無しである:2001/06/28(木) 18:14
age
368 :
吾輩は名無しである:2001/06/29(金) 04:14
川○先生は酒が入ると向いに座っていても声が聞き取りにくくなってきて対応に困る。
369 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 03:59
新進の批評家だけで批評本出すとかさー、
そういう動き欲しいよなー
370 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 06:32
>>364 オイオイ、矛先をすりかえんなよ。
イタいのは筒井ファンじゃなくて(筒井なんかそれこそ
直木賞落とされまくって表現問題でモメてつーツワモノじゃん)
ちょっと逆批判されるとキレちゃう
温室育ちのマザコン批評家たちのことだろ。
ってイタい筒井ファンがいってるよ♪
久しぶりにあがったスレだが、たいしたことない370の妄言的叫びだったので
sage。
373 :
370:2001/07/08(日) 14:13
オイオイこれは批評家どもスレだろ、
オレはアンチ筒井でも筒井擁護でもないのに、
まきこむなって。
374 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 14:51
その下らない批評家に仕事を与えている文壇の連中って
どういう神経してるんだろう。
375 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 15:00
糞スレ決定。
特に1番はビチグソの中のトウモロコシのような汚物。
↑ 今さらやにゃー♪
>1
個人的好悪で対象を論じることほど、批評として愚劣なものはない。
それは批評などとは呼べないな、ただのミーハーの
嫉妬まじりの噂話にすぎない。
378 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 20:16
>>377 批評もせんじつめれば「個人的好悪で対象を論じること」のような気がするんだけどな? それがいい悪いは別として。
ま、こんなスレでこんなレスつけるのもなんだけど。。。
井口時男『批評の誕生/批評の死』(講談社)を読んで「批評」とは何かをもう一度おさらいするのだ。
「個人的好悪」よりもう少し根深い問題があると思うが……。
380 :
吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 00:24
>>379 前、群像で連載やってた奴ね。本になったんだ。知らんかったー
381 :
吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 00:46
井口のやつ、
連載時に読んだけど。
よけ混乱した。
382 :
吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 02:27
誰、井口って?
383 :
吾輩は名無しである:
井口さんと飲んだことあるよ。
ビール飲み過ぎ。