1 :
批判者:
わざとはぐらかしているのか?それとも意見・質問の趣旨を本当に理解していないのだ
ろうか?
批判者の意見・質問:
貴研究が、個人的な趣味として大変有意義であるとは思いますが、大学・研究機関にお
いて国費(税金)を使用してなされる価値に疑問を感じます。私的な研究機関における私
的研究としてなされる場合には、『ドラえもん』という著作のエンターテイメントにおけ
るアミューズメント性やメッセージ性あるいは文化的価値の研究は広く支持されると思い
ますが、公的機関となれば別だと思います(ただし、学生の親睦などを目的としたサーク
ル活動などの公費を使用しないものなら許容されると思います)。
問題点として、国費・公費の助成を用いて社会への還元に疑問のある研究課題をされる
ことは、大変問題があることではないでしょうか?もう一つ、『ドラえもん』という著作
そのものに、大衆に対する価値があるのであり、それを研究分析することに大きな有意性
があるとは思えません。マンガ家やそれを主体とする執筆活動という職業家の養成という
意味では大変有意でしょうが、貴大学はそのようなことを目的に教育されているのではな
いことを存じ上げております。
そういった側面から、貴研究が社会において許容されるものかどうか再検討されること
を希望します。
最後に、大学生といえば大人ですから、学生の本分としてまた社会的に有意な(環境、
福祉、法律そして医療や倫理など多くの解決すべき問題が山のようにあり、その中から幾
らでも研究課題は取り上げられるはずです)研究をなされることを節に希望します。
批判者の意見・質問(後日):
私自身も、ドラえもんフリークです。個人的には、「よく調べてるなぁ〜。」と感
心したり、「こういった解釈もあるのか。」と楽しんでいる一面もあります。
ただ、こと大学になると、昨今の国費の支出の問題から、倫理上許容されるかとい
う問題を常に頭のなかに持って欲しいと思っています。そうすれば、同じ『ドラえも
ん』研究でも他の人が利用できる・有益性のある課題に取り組む方向性を常に保てる
と思うのです。例えば、先に挙げました漫画家、シナリオライター志望の方や、
貴大学にあるような教育学など。常に、自己の研究(意義)に対する自己批判と議論
は必要だと思います。貴HPにはそのことに対する記述が無いのがとても残念です。
私の目から見ると、「批判したい人はさせておけ」、「自分たちは好きなようにす
るから。これは学生の権利だ。」みたいな雰囲気が少なからず感じ取れてしまうので
す。勝手ですが。
私は感情的に批判(というよりは中傷)はしたくありません。では、なぜ今の時期
になってこのような提言をしたかというと、やはり、客観的な目を持って自らの研究
を見直したならば、もっとよくなるのではと思ったためにほかなりません。
2 :
批判者:2001/01/25(木) 13:13
↑(1)の続き
○山大学の教員の回答:
「ドラえもん学コロキアム」というホームページを開設し,日本の熱烈なドラ
えもんファンの皆々様から,絶えず温かいご指導とご鞭撻を頂いております,
○山大学教育学部生涯教育課程生涯スポーツ専攻の○○○○(58歳)です.批
判者さんへのご返事,大学入試センター試験などにより,遅れましたことを最
初にお詫びいたします.批判者さんへの直接の回答にならないかもしれません
が,○山大学のある広報誌に○山大学への入学者を対象にして書きました,「
ドラえもん学へのいざない」といった記事を長くなりますが引用して,回答と
させていただきます.
1.ドラえもん学宣言
ドラえもんマンガは1969年12月に連載を開始し,小学館の「よい子」「幼
稚園」「小学一年生」「小学二年生」「小学三年生」「小学四年生」(1970
年1月号)の各雑誌でデビューを果たした.早くも1974年の8月には,現在も
多くのドラえもんファンに馴染み深いてんとう虫コミックス「ドラえもん」
の第一巻が刊行された.1979年の4月には,テレビ朝日でドラえもんがアニメ
化され,翌年の3月には,第一作「のび太の恐竜」が映画で公開された.30周
年を迎えた一昨年には,てんとう虫コミックス短編45巻,大長編19巻の売上
総数は一億冊の大台に達したと報告されている.藤子・F・不二雄先生が1996
年9月23に逝去された後も,ドラえもんの人気は全く衰えず,ドラえもんマン
ガは約三十年間の長きに渡って,日本のマンガ界に君臨する巨星であり続け
ている.今やドラえもんは国民的マンガであり,二十世紀を代表するマンガで
あると,喧伝されるまでに至っている.
岩波書店の雑誌「よむ」は1993年6月号で特集「海を越えるドラえもん」を
組んでいる.その特集の「ドラえもん世界進出マップ」によると,ドラえもん
のテレビアニメーションを放映した国々は全世界に分布し,その総計は21ヶ国
に及んでいる.ドラえもんのコミック本は海賊版を加えると,東南アジアを中
心に7ヶ国で読まれている.一昨年度,23名のフレッシュマンである留学生が
○山大学における外国人留学生を対象にした授業科目「日本事情」を受講した.
三名のロシアからの女子留学生を除いたすべての学生は,本国においてドラえ
もんのテレビ番組を見たり,ドラえもんのコミック本を読んだりしていた.彼
らの中には,幼稚園のころからドラえもんマンガに親しみ,日本人以上にドラ
えもん通の学生が数名認められた.
立花 隆は「インターネットはグローバル・ブレイン」という本の中で,イ
ンターネットは「どこでもドア」であると暗喩している.ドラえもんは小学校
の社会科の教科書や大学受験の問題にも登場している.平成10年の千△大学の
理学部と工学部の「飛び入学」試験では,「ドラえもんの道具は実現可能か検
討しなさい」という小論文の課題が出された.まさに,受験生の独創的な発想
や,考える力を問う問題であり,空を飛ぶための「タケコプター」など四つの
秘密道具の実現可能性を検討させている.
このように,ドラえもんマンガは国民的なマンガであり,今や国民の共通の
文化となりつつある.日本の歴史上,最も豊かな時代に,子どもだけでなく大
人にも「夢と冒険」を与え続けたドラえもんマンガを学問の対象に位置づけ,
研究することの要請される時代が訪れたのである.インターネット上の「ドラ
えもん学コロキアム」というホームページは,ドラえもんの誕生日である2112
年9月3日まで多くの人々に読み,語り継がれ,ドラえもん学研究の礎石にして,
かつスプリングボードたる使命を帯びて構築された.そうした背景を念頭に置
きながら,二十一世紀を間近に控えた1999年9月3日(ドラえもんの誕生日:タ
イムマシーンのおかげ)に,ドラえもん学を宣言するものである.
3 :
批判者:2001/01/25(木) 13:16
↑(2)の続き
ドラえもん学構築のアイディアはシャーロキアンによる「ホームズ学」から
多く借用している.平賀三郎は「シャーロック・ホームズ学への招待」(丸善
ライブラリー,1997年)で,ホームズ学は「単なる探偵と犯人の謎解き・トリ
ックを追う推理や冒険活劇の面白さを求める読み方ではなく,物語の背景であ
る.十九世紀のビクトリア朝英国の社会・文化にまでウイングを広げ,事実と
フィクションのはざまの中で,見て,観察して,考える楽しみを追求するもの
である」と述べている.
ドラえもん学においても,単なる秘密道具の原理や実現の追究や大長編の冒
険の面白さを求めるだけでなく,日本の歴史上最も繁栄を極めた二十世紀後半
の世界で,ドラえもんがのび太を筆頭にしずちゃん,ジャイアン,スネ夫の夢
・冒険や日常生活のさまざまな出来事に対して,秘密道具を縦横に駆使しながら,どのように対応し,かつ実現したり,失敗したりしたかを読み,考える楽しみを追求する.さらに,ドラえもん学の研究はヴァーチャル・リアリティのせ界に飛翔しながら,人生を豊かにする創造的営みを模索したり,自己増殖型の読書の世界を体験したりするものである.
2.ホームページの開設
コナン・ドイルは生涯に長編4偏,短編56編のシャーロック・ホームズの物
語を創作している.全世界のシャーロキアン達は百年の長きに渡って,この物
語を素材にして,ホームズ学の発展深化に努めてきている.ホームズの謎解き
のテクニック,パーソナリティ,趣味,グルメ,特技,人生観などはもちろん
のこと,イギリスの歴史上最も栄華を極めたビクトリア朝の世相をも十分に視
野に入れ,現実の世界にヴァーチャルな世界を組み込みながら,ホームズ学の
世界を構築している.
丸谷才一は1997年2月5日の「週刊朝日」で,「ホームズ学とは,ホームズも
のを使って文学研究のパロディを作る遊びである」と見なし,研究のパロディ
というゲームのルールの中で大切なのは「聖典は無謬であるということ.その
約束ごとを認めた上であれこれ論ずること」の大切さを指摘している.ホーム
ズの事件簿は,シャーロキアンにとって,神聖な書物「聖典」であると同時に,
正しい書物「正典」でもある.
藤子・F・不二雄は,藤子不二雄ファンサークル「ネオ・ユートピア」発行
による「ドラえもん完全作品リスト1970-1996」(1998年)によると,生涯に
短編1316話(小学三年生に1回と小学四年生に3回掲載のドラえもん大事典を一
話と見なす),大長編17話を書き上げた.1333話中,てんとう虫コミックス未
収録作品は全体の三分の一以上に相当する494話にも達している.なお,中央公
論社刊の「藤子不二雄ランド」45巻には,てんとう虫コミックス未収録作品が
158話掲載されていると言われているが,現在絶版である.
現在の状況において,誰もが読んだり,研究できる作品は小学館刊の短編て
んとう虫コミックス「ドラえもん」第1巻から第45巻までと大長編ドラえもん
第1巻から第17巻までである.現時点で,ドラえもん学の研究対象を全作品ま
で手を拡げることは,「みんなのドラえもん」といったドラえもん学研究の基
本理念から大きく逸脱することになる.ドラえもん全集が出たり,比較的簡単
に誰でもが全作品を手に入れることができるまでは,しばらくの間,ドラえも
ん学の研究対象を明確にする必要がある.本ホームページでは,藤子・F・不
二雄の創作で,自選作品でもあるてんとう虫コミックスの第1巻から第45巻ま
での822話(秘密道具のみを扱っている第6巻の「ドラえもん百科」を加えると
823話)及び大長編ドラえもん第1巻から第17巻までの17話を正典と見なしてい
る.
ドラえもん学においても,正典の無謬性を前提にして,ドラえもんマンガに
矛盾する描写があっても,そうしたコマは両方とも正しいものとして,その矛
盾するデータの解を検査することが大切である.ドラえもん学は従来の学問の
ような厳密なフレームワークにとらわれず,こうした遊び心をも視座の中に組
み込みながら展開される新しい学問を目指すものである.
4 :
批判者:2001/01/25(木) 13:19
↑(3)の続き
インターネット上のホームページ「ドラえもん学コロキアム」はドラえもん
の誕生日である1999年9月3日に,藤子・F・不二雄の生誕の地にある○山大学
をドラえもん学研究の中心拠点にするため,構築されたサイトである.現在ま
で公表されているドラえもん学コロキアムの主なContentsはドラえもん学宣言,
正典とは,ドラえもん学コロキアムとは,ドラえもん学入門(正典のページ・
コマ数分布,正典の登場人物と秘密道具から見た表紙分析,正典の発行年・掲
載雑誌分析),インタラクティブ,研究課題,研究余滴,ドラえもん学(第1章
五人の主人公のコマ登場頻度分析,第2章 五人の主人公の吹き出し頻度分析,
第3章 主人公以外の主な登場人物の各話におけるコマ登場頻度と吹き出し頻度
の分析,第4章 秘密道具の分析,終章 索引)などである.
平成11・12年度は上記のようなドラえもん学の基礎データベースづくりにエ
ネルギーの大半を注いできた.平成13年度からは,ドラえもん学のメインテー
マに取りかかる予定である.現在考慮中の主な研究テーマを列挙すると次のよ
うになる.
1)ドラえもんマンガが国民的マンガとなりえた最大の理由を検索する研究
2)ドラえもんがのび太,しずちゃん,ジャイアン,スネ夫に駆使するリー
ダーシップに関する研究
3)五人の主人公のパーソナリティに関する研究
4)のび太の達成動機(やる気)に関する研究
5)のび太が不登校にならなかった理由
6)ドラえもんが主人公達の母親から絶大な信頼を得た理由
7)ドラえもんのクラスメートに関する研究
8)ドラえもんマンガに登場した秘密道具の種類や個数に関する研究
ドラえもん学コロキアムは開設後,全国からの熱心なドラえもんファンにより,
177000件のアクセスを達成した.こうした数値は○山大学から,全国に向けてド
ラえもん情報を発信するといったホームページの初期の目的を,量的に達成でき
た証であろう.今後のドラえもん学研究の真価はドラえもん学の標榜にふさわし
い内容を,ドラえもんファンに提供できるかどうかによって定まるであろう.
全国的なホームページを個人ひとりで構築したり,管理・運営することは不可
能である.本ホームページは○山大学総合情報処理センターの職員の全面的なバ
ックアップによってはじめて,可能になった作品である.
3.ドラえもん学コロキアム
コロキアム(colloquium)とは,研究社の新英和大辞典によると,討論会,会
議という意味以外に,一定の題目のもとに専門家も加わって行う「研究会」や「
セミナー」という意味を有する用語である.
○山大学の教養教育の授業は教養原論,総合科目,外国語科目,保健体育科目,
情報処理科目,言語表現科目の六本柱と,それ以外に,外国人留学生を対象にし
た,外国語科目としての「日本語」及び総合科目の一部としての「日本事情」,
単位取得を目的としないコロキアムで構成されている.コロキアムは,各担当教
員がそれぞれの専門性を生かして自由にテーマを設定し,少人数のゼミナール形
式で,単位認定を目的としないパイオニア精神に満ち溢れたとてもユニークな授
業科目である.
○○は平成11年4月から,「ドラえもんの世界」というコロキアムを前・後期開
講し,ドラえもん学の構築を目指しながら,現在に至っている.因みに,平成12
年現在,コロキアムでは6科目が開講されている.
5 :
批判者:2001/01/25(木) 13:20
↑(4)の続き
ドラえもん学コロキアムの目的の基本的アイディアはロンドン・シャーロック・
ホームズ協会のアイディアの一部を借用している.目的を列挙すると下記のように
なる.
1)ドラえもんに関する作品の読者として,また研究者として共通の興味と関心
を持ち,ドラえもん学構築を目指す人たちの集いである.
2)ドラえもんの正典(てんとう虫コミックス短編45巻,大長編17巻)に関する
研究成果をインターネットの「ドラえもん学コロキアム」なるサイトで積極
的に全国に向けて発信する.ドラえもんの正典以外の作品, ドラえも
んのパロディ,映画,テレビ,関連グッズなどはここしばらくの間,本コロ
キアムの研究対象に加えないものとする.
3)ドラえもん,のび太,しずちゃん,ジャイアン,スネ夫の思想,行動,パー
ソナリティ,夢,趣味,特技,冒険などに関する知見の追求を奨励する.
4)正典で使われている秘密道具の種類や個数を明らかにする.
5)正典に登場し,吹き出しのある登場人物のすべてを明らかにする.
6)吹き出しの有無に関係なく,正典に登場するのび太のクラスメートをすべて
明らかにする.
7)○山大学をドラえもん学研究の中心拠点に据え,「ドラえもん学コロキアム」
をその学確立の中核エンジンと位置付ける.ドラえもんやのび太の心のふるさ
とである○山で,ドラえもんマンガの原風景となっている場所やエピソードを
発掘する.
8)さまざまな研究課題について議論するための学習会や講演会を開催し,インタ
ーネットのホームページにおいても,ドラえもんファンの論文やレポートの
投稿できるセクションを設ける.
9)当コロキアムの目的と活動に共通点を持つ,全国の他の組織との連帯をインタ
ーネットなどを通じて積極的に深める.
現在では,受講生一人ひとりのドラえもんマンガに対する興味や関心を考慮しなが
ら,コロキアムの授業を進めている.受講生は,正典の全作品を20回以上読んでいる
者と全作品の一部しか読んでない者に大別できる.まだ全作品を読んでいない受講生
には授業中に読んでいない作品を読んでもらい,読み終わっている受講生には秘密道
具や登場人物のデータベースつくりに専念してもらっている.中には,ドラえもんフ
ァンへの宿題やドラえもんクイズの作成に適性を発揮してもらっている受講生もいる.
ドラえもんの基本的なデータベースづくりは平成12年度に完了する予定である.平
成13年度からは受講生一人ひとりにドラえもんマンガからテーマを発掘してもらい,
論文やレポートにまとめて,インターネットの投稿欄に発表してもらう構想を立てて
いる.あるいは,藤子先生の生誕の地高×市へ赴いて,ドラえもんマンガの原風景を
レポートしてもらったり,藤子先生の親戚の方に面接して,藤子先生の幼年時代,少
年時代の実相をレポートしてもらう計画である.
○山大学以外では体験できないドラえもんマンガとのユニークな邂逅を楽しみませ
んか.大学の懐の深さを実感してみませんか.高校時代には夢想だにできなかった世
界がドラえもんとの出会いによって,あなた方の眼前で展開されるでしょう.そうし
た夢の世界へいざなう授業,それがドラえもん学コロキアムです.
6 :
吾輩は名無しである:2001/01/25(木) 13:56
同感者の意見・質問:
貴スレッドが、個人的な趣味として大変有意義であるとは思いますが、2ちゃんねるにお
いてスレッドを立ててなされる価値に疑問を感じます。私的な研究機関における私
的研究としてなされる場合には、『まともな回答が返ってこなかった。』というスレッドのエンターテイメントにおけ
るアミューズメント性やメッセージ性あるいは文化的価値の研究は広く支持されると思い
ますが、2ちゃんねるとなれば別だと思います(ただし、AAや煽りなどを目的としたウヨサヨ活動などのネタなら許容されると思います)。
問題点として、2ちゃんねるの掲示板を用いて社会への還元に疑問のあるスレッドを立てる
ことは、大変問題があることではないでしょうか?もう一つ、『まともな回答が返ってこなかった。』というスレッド
そのものに、大衆に対する価値があるのであり、そのスレッドを立てることに大きな有意性
があるとは思えません。レスポンスやそれを主体とする煽り活動というヒッキーの養成という
意味では大変有意でしょうが、貴スレッドはそのようなことを目的にスレッドを立てられているのではな
いことを存じ上げております。
そういった側面から、貴スレッドが2ちゃんねるにおいて許容されるものかどうか再検討されること
を希望します。
最後に、2ちゃんねる住人といえばドキュンですから、ドキュンの本分としてまた社会的に有意な(環境、
福祉、法律そして医療や倫理など多くの解決すべき問題が山のようにあり、その中から幾
らでもスレッドは立てられるはずです)スレッドを立てられることを節に希望します。
7 :
>批判者:2001/01/25(木) 14:00
きちっと主旨を示さんかい
新手の荒氏かと思った
8 :
批判者:2001/01/25(木) 14:18
>7
>きちっと主旨を示さんかい新手の荒氏かと思った
わざわざ大学でやることなの?ドラえもんが学問として意味あるの。
が端的な趣旨。
それに対する反論がないから、広報誌の内容そのまま転載したのか、
それとも、こちらの趣旨を理解してなくて回答してきたのか?
58歳にもなる大学教員が。
と、言うこと。
9 :
吾輩は名無しである:2001/01/25(木) 14:23
>社会への還元に疑問のある
っていう点では漱石でも谷崎でもトーマス・マンでもドラえもんでも一緒では?
10 :
批判者:2001/01/25(木) 14:39
>>社会への還元に疑問のあるっていう点では漱石でも谷崎でもトーマス・マン
>でもドラえもんでも一緒では?
作品そのものは、娯楽とか芸術、文学的に価値があると思うのですが、
それをわざわざ重箱の隅をつっつくように分析する必要があるのかな?
と思うのです。しかも税金で。
税金使うからには社会に対して還元されることが条件で、ドラえもんの
場合、表現技法を学んで漫画家になるとかと言うのならまだ理解できるけ
ど、なんとか大学の教員はそれとはちがうことをしている。納得できる成
果あるいは効果のある研究とは思われないのは、私だけ?
>社会に対して還元されること
に関する評価や判断は、現時点では何とも言えないし、他の研究者に
対しても言えることでしょう。
たかがこの程度のことでよく怒れますね。
12 :
批判者:2001/01/25(木) 15:57
>に関する評価や判断は、現時点では何とも言えないし
確かにそうですが、少なくと国公立の「大学」って呼ばれるところで、
許される研究の対象や課題の範囲というものの社会的に許されるコンセン
サスってあるじゃないですか。
検索するとその大学の“ドラえもん学”のHPが見つけられると思うの
で(あえてURLは出しませんが)、ご覧になられると詳しく知ることが出来
ると思います。
>たかがこの程度のことでよく怒れますね。
研究の価値というよりも、その回答に怒りを感じます。HPをみる限り
においても、その疑問(つまり研究の意義)については無視してきた感が
伺えるのです。今回の回答は、「また、いちゃもんつけてきよったで。適
当に、専門的用語が羅列してある広報誌でも載せておけば黙るだろう。」
みたいな雰囲気に受け取れるのです。そのHPにも初期にはクレームが多
いと聞きました。ならば、そう言う意見にもきちんと答えるのが、公的な
機関での研究者としての義務だと思うのです(税金を使っているので)。
そのHPも開設されて数年経つようですが、そういった意見に答えてこな
かったためかはわかりませんが、賛美する意見のカキコしか見受けられな
いのです。
13 :
吾輩は名無しである:2001/01/25(木) 16:20
知名度においても、影響力においても、
ドラえもんを凌ぐ研究対象はありや?
>研究の価値というよりも、その回答に怒りを感じます。
ってことは、研究の価値は認めるわけっすか。
文系の学問すべてに当てはまる問題であろう。
小銃でよわそ〜なところ狙うんじゃなくて、
やるなら大砲をぶっぱなせ。
14 :
名無しさん@1周年:2001/01/25(木) 16:24
>作品そのものは、娯楽とか芸術、文学的に価値があると思うのですが、
>それをわざわざ重箱の隅をつっつくように分析する必要があるのかな?
>と思うのです。しかも税金で。
漱石やバルザックやトーマス・マンに対して重箱の隅をつっつくような分析も
結構あるのではないかと思います
それらに意味があるかないかなんて誰が決めるんデスカ?
逆にいうと、「意味があること」ってなんデスカ?
>研究の価値というよりも、その回答に怒りを感じます。
意味があるかどうかについて答えられないと見るや
礼儀作法について問題にし始めたようですね
基礎的なもの考え方がなってないようです
誰もまじめに答えたくないでしょう これでは
学問とか文学というのは基本的に自由を尊ぶものだし、
結果的にはそうした態度がより多くの実りを産出してきたという
歴史的背景があります
基礎的な素養に問題があるんじゃないでしょうかね
どうせ「自由とは無制限なものじゃない」とか言い出すんでしょうが
その場合には、あなたの考える「自由」とは何かを明確にすること
くだらん研究なら、自然淘汰されるよ。それは研究者個人の問題。
研究に即効性の文化的寄与を問うのは間違いじゃない?
16 :
批判者:2001/01/25(木) 19:05
>13
>知名度においても、影響力においても、ドラえもんを凌ぐ研究対象はありや?
まんがであれば、まだあると思う。たとえば、鉄腕アトムとか。
>ってことは、研究の価値は認めるわけっすか。文系の学問すべてに当て
>はまる問題であろう。小銃でよわそ〜なところ狙うんじゃなくて、やる
>なら大砲をぶっぱなせ。
この大学の研究の価値がないとは言っていません(勘違いしないで下
さい)。だから、私的に研究することは大いに賞賛されると思います。
問題なのは、公的な機関で、税金を使用する研究となると、果たして良
いのか悪いのか?ということです。
13さんも○山大学、ドラえもん学で、検索してHPを見てみて下さい。
当該の研究が、税金を使うことが妥当かそうでないか判断してみて下さ
い。13さん他は文学関係を専門にされていると思われますので。
>14
まず、一言。1の書き込みからきちんと読んでおられないことが、よ
くわかりました。こういうレスには返答しないでおこうと思いました。
が、礼儀ですのでします。
>それらに意味があるかないかなんて誰が決めるんデスカ?逆にいうと、
>「意味があること」ってなんデスカ?
言葉はおかしいですが、「意味のある研究」、「意味のない研究」を
誰がいつやろうが、自己責任で行う分には「自由」だと思います。貴殿
の言われているように、学問・文学は基本的には自由で、何人(この場
合、たいていは国家権力ですか)からも阻害されないと思います。
ただし、「『公的機関(教育、研究)において税金を用いて』という
条件がつくと、すべて自由に行って良いですよ。」というわけにはいか
ないとことを再三申し述べているのです。ですから、私学や私設研究機
関で行う分には何ら問題は無いと思います。
あと、付け加えて、やはり研究内容を見て上げて下さい。私個人的に
は、この大学だいじょうぶか?と思います。
>意味があるかどうかについて答えられないと見るや礼儀作法について問
>題にし始めたようですね基礎的なもの考え方がなってないようです誰も
>まじめに答えたくないでしょうこれでは
貴殿も最悪ですね。私の書き込みをすべて理解しないでものを申すのは
愚の骨頂です。私は、「公的資金(税)を使って当該研究を行うことが、
社会的に許容されるかどうか。」ということを話しています。こうなると、
文学の世界でも、古典だとかになれば、大学であつかっても世論において
おおむね理解を得られるでしょう。しかし、こと、まんがになると(否定
はしませんが)国公立大学での研究は世論が疑問視するとおもいます。
で、私が当該者に求めたかったのは、自己批判的に自らの研究意義を議
論してHPなりに載せていただきたかったわけです。内容をみると、○山
(地名)はドラえもんの作者の生まれ故郷だから・・・云々、ではよくな
いと思うわけです。安易な町おこし的で。やはり、研究者集団だと思うの
で、自己批判的な目で自らの研究意義を議論する必要は、十二分にあると
思うのです。それが伺えないのが残念でならないのです。
付け加えて、ドラえもんは国民に広く受け入れられている作品です。で
も、それに対する研究に対し疑問を呈すると、人間性すら否定されます。
私の意見が正しいとは思いませんが、無視をされたりきちんと答えていた
だけないのは良いことなのでしょうか?様々な意見があってはいけないの
でしょうか?御教授下さい。
17 :
批判者:2001/01/25(木) 19:06
>15
たしかに。
18 :
吾輩は名無しである:2001/01/25(木) 19:35
おれ、それこそ国公立で谷崎べんきょうしてたけど、
社会還元なんてされてたかな。
ドラえもん学は特別授業みたいだし、
高齢者なんかも受講できるようになっているんじゃない?
そういう人たちが、ドラえもんという分かりやすい素材を学ぶことによって、
「学ぶ」楽しさがわかり、その後、自分にホントウに興味のあるものについて、
学ぶようになれば、リッパな社会還元になるんじゃないだろうか。
大学で学ぶって、特に文系はそういうことなんじゃないか。
19 :
批判者:2001/01/25(木) 19:40
>15
確かにそうですが、(理系でも言えることですが)大学における研究
は短い期間に結果が出ないものということで、教官自身の質を評価する
システムを拒んできた結果、研究結果も出さない、倫理観を欠いた人間
が大学教授におさまり続けている現状が国公立大学にると思います。
たしかに、大学教官は第一線で働いている方が多いわけですから、そ
の人たちを評価することは難しいと思いますが、諸外国では文学といっ
た分野においても客観的に評価できるシステムをつくり運用し、より質
の高い教育・研究を確保しています。
即効性を問うといより、その研究あるいは研究者が(税金を用いて行
うにあたり)妥当かどうかを広く学外・内で問うべきかもしれません。
(定義は難しいとは思いますが、)有能な芽を摘まないためにもそうい
った議論は必要だと思うのですが。
20 :
批判者:2001/01/25(木) 19:42
訂正:
× 現状が国公立大学にると思います。
○ 現状が国公立大学にあると思います。
21 :
批判者:2001/01/25(木) 19:49
>18
そういう返答なりがあれば、「わかりました。」と言えると思います。
「生涯学習の観点から、ひろく学問に興味を持ってもらうため・・・云々」
と言われれば、きちんとした意見として理解できるのです。
こういった意見を当事者から聞きたいと思うのはいけませんか?広報誌
そのままペーストしてきてはい終わりじゃ、失礼だとは思いませんか?
しかも一週間もほったらかしで。一言、二言で良いのですよ。
>ALL
偉そうなことを言って申し訳ありません。でも、当該ホームページでは
そのことが(広く)公表されておりません。
ドラえもん学綱要
一、本学問の崇高なる目的は、全ての価値をユーティリティという
一元的価値で規定しようとする近代“知”の在り方への
アンチテーゼである。
23 :
批判者:2001/01/25(木) 21:18
>22
>一、本学問の崇高なる目的は、全ての価値をユーティリティという一元
>的価値で規定しようとする近代“知”の在り方へのアンチテーゼである。
これをね、そのまま目的ですよって言うのはいいけど、一般人あるいは
専門外の人間にも解るように付け加えるとかしてほしい。それに、ここで
いうところの、「価値」、「ユーティリティー」、「近代“知”」、「ア
ンチテーゼ」の定義を後述していないのも不親切。
一元的に、杓子定規に価値観を求め続けてきた近代的な意識・価値観に
対する警告と言ったような意味でしょう。私は馬鹿なので、ドラえもん学
のホームページを見る限りにおいては、目的を達成しようとしているとは
思えないんですが・・・・・・。
>>23 22は見るからにネタだから無視した方がいいよ。
25 :
名無しさん@1周年:2001/01/25(木) 23:04
>22
いや、単なるアンチじゃないと思う。
ドラえもんはすでに現代の神話だし。
神話の分析研究は必要。
批判者は無視。ゴネたいだけ。
26 :
吾輩は名無しである:2001/01/26(金) 00:01
ドラえもん研究やることにケチつけてるようにしかみえんのだが
27 :
吾輩は名無しである:2001/01/26(金) 00:32
読むのがめんどくさい。
人に文章読んでもらうときの礼儀を知れ。いちゃもんつける前に。
28 :
批判者:2001/01/26(金) 09:21
>25
>誰も25には話していません。
>いや、単なるアンチじゃないと思う。
22に言っても仕方ないでしょう。当該大学の広報誌に書いてあることですから。
>ドラえもんはすでに現代の神話だし。
誰が認めたんですか?ただのマンガでしょ。真剣にドラえもんを神話と考えてお
られるのなら、ちょっと精神状態疑われますよ。そのうち、キテレツ大百科とかブ
ラック・ジャックまで神話言い出すのと違いますの?
>26
>ドラえもん研究やることにケチつけてるようにしかみえんのだが
26も、人の話読んでおられませんね。自分の金で、自分の責任でやる分には
どんな研究だって自由にやっていいし、やる権利がある。こと、税金となれば、
大ヒットした、市民権を得たというだけで研究対象として良いのかどうか?
物事には、優先順位があって、限られた資金(税金)のなかで国民生活を運営
させることに関して、当該大学の『ドラえもん研究』が他と比較して果たして優
先させても良いのか?ということの議論が許されていないことが問題。私の指摘
は「ケチつけている」かもしれんが、以上のことにのことに答えられない研究は
本当に社会的に許容されるのか?
>27
>人に文章読んでもらうときの礼儀を知れ。いちゃもんつける前に。
だったら、読むな。レスつけるな。その前に、こちらは誠意を持ってレス付けたんだ
から、きちんと答えていただきたい。16、19、23についての返答はいっさいございませ
んね。文才がないので、解りづらいとは思いますが、出来る限り誠意を持ってレス致し
ました。「読むのがめんどくさい。」のでしたら、お読みにならず、レスもお付けにな
らなければよろしいのではありませんか?
29 :
批判者:2001/01/26(金) 09:32
文学において、金銭的な批判は許されないんですかね?
ドラえもんみたいな有名でみなから支持されている作品に(正確には
それを扱った研究)、疑問を投げかけるだけで、無礼呼ばわりするのは
学問としていかがなものなんですかね?学問はいろいろなこと(対象)
に疑問を投げかけて、その答えを出し合う(議論)ものなのでは?疑問
を呈しただけで、人間性を疑われる世界なのですか?文学は?
この批判者って人、マジで病院逝った方がいい気がするのは俺だけか・・・?
まあ、それはともかく・・・。
>物事には、優先順位があって、限られた資金(税金)のなかで国民生活を運営
させることに関して、当該大学の『ドラえもん研究』が他と比較して果たして優
先させても良いのか?ということの議論が許されていないことが問題。
じゃあ、税金で賄われている他のありとあらゆる研究を列挙した上で優先順位を
あなたが示さないとね。谷崎研究とドラえもん研究の優劣をぜひ示して欲しいです、
いやマジで。
>こういった意見を当事者から聞きたいと思うのはいけませんか?広報誌
そのままペーストしてきてはい終わりじゃ、失礼だとは思いませんか?
そう思うのはあなたの自由だけど、ここに書き込んでもしょうがないんじゃない?
>疑問を投げかけるだけで、無礼呼ばわりする
いや、みんなあなたの独り善がりな態度が無礼だと思ってるの。
・・・それがわからないから独り善がりなんだけどね。
まあ、本気でこの研究をやめさせたいんだったら裁判起こすといいよ。
弁護士に相談してみれば?
あと、このスレ目障りに思ってる人もいることは明らかだからsageでやってくれ。
31 :
批判者:2001/01/26(金) 10:29
>30
わかりました。病院行きますわ。
32 :
批判者:2001/01/26(金) 11:11
>all
ごめんなさいね。
最後に。「やめさせたい」とかというわけじゃなくて、自らの研究が
国費を使うことに妥当かどうかっていうことに、自己批判的な目で評
価してみることも大切なのでは?と思うのですよ。文学とか哲学でも。
「やめろ」ではなくて、その研究の路線・方向性は、他者からみても
受け入れてもらえるのかと自問自答することを主張したかったわけで
す。できれば、その結果なども公表されることによって、外部的には
批判に耐えうる研究と言うことで支持されると思いますし、内部的に
はより的確な方向性を保った研究が出来ると思うのです。
独りよがりでした。透明性と自己評価を求めたいと思っていたので
すが、表現能力がないためか、それともそのように考えることが愚か
だったのか解りませんが、私の意見を理解・受容していただけないよ
うです。
これから、病院へ逝ってきます。それでは失礼します。
33 :
批判者:2001/01/26(金) 16:07
>30
このたびは、たいへん不愉快な思いを皆様にさせてしまい、申し訳
なく思います。このようなことのないよう、精神科に通院し、インタ
ーネットなどをはじめ社会からひきこもることにします。
34 :
批判者:2001/01/27(土) 10:07
http://webclub.kcom.ne.jp/ma/kon-medi/1999_12_02.html 今日、参考になるHPを見つけました。私の文才の無さ、表現のまずさで皆様に
不愉快な思いをさせてしまいました。深くお詫びします。
最後に、僕の意図と近いことを述べられているHPを参考に載せておきます。
文学の専門・専攻のみなさまに、とくに国立に絞った大学での研究の是非を、
文学専門の方の視点から伺ってみたいと思っていたのですか、皆様から、精神
病と言われ、シカトされてしまいました。出来るなら、有意義な議論をしたか
ったのですが、そのこと自体が人間性に問題があるようですね。
失礼致します。
35 :
吾輩は名無しである:2001/01/28(日) 16:27
源氏物語だって、当時の受け入れられ方考えれば
今で言うコバルト文庫のカリスマ作家作品みてーなもんだろ?
>36
気持ちはわかるけどな。
研究費のこと言い出すとキリがないと思うぞ。そんな考え持ってたら、
大学で研究なんてできないな。
全員税金泥棒みてーなもんだし。
37 :
吾輩は名無しである:2001/01/28(日) 21:59
こう考えたらどうだ。
どんな学問でも、新しい価値観は最初は否定される。意味があるかないかは研究を
続けてみないとわからんわな。
そのための研究は、あんたの言う無駄でも必要な無駄じゃないか?
後に評価されるかもしらんしな。
それとは対照的に、無能な、研究してるのかしてないのかわからんふとどき研究者
はおるわな。テキトーに思いつきで研究対象探して無理から意味があると騒ぎ立てるやつ
(俺んとこの助手)バカが。それは、対象にされた作品が悪いんじゃなくて、
そのバカが大学から出ていけばいい話だ。そういうことだろ?
38 :
批判者へ:2001/01/29(月) 05:22
宮崎哲弥が文学部廃止論に噛み付いてるんだけど、参考にならないかな?
そもそも彼が言う文学部廃止論ってのは、文学部は実利的でないという批判のこと
なんだけど、実学志向はあかんというのが批判の趣旨。
『新世紀の美徳』(朝日新聞社)って本に載ってる。5ページぐらいだから
本屋で立ち読みすればすぐ読めるよ。
39 :
吾輩は名無しである:2001/01/29(月) 06:16
うーむ、批判者の意見もわからんではない。要は「わしらの税金でドラえもんの
研究してるやと〜」ってことでしょ?ドラえもんを作ってるんなら話はわかるけど。
やっぱり国立はもうそろそろ民営化すべきかね?あと私学も私学助成金なんて
やめて、大学は大学の努力だけで頑張ってもらう、ってそれって当たり前のことじゃん。
40 :
吾輩は名無しである:2001/01/29(月) 09:26
実利的・実学を求める大学、文化や伝統といったものを求める大学など
個性があっても良いと思う。
批判者と同じ意見かどうかはわからんが、ドラえもんを研究すること自体は問題
ないのでは?
謎本みたいなことやってて、大学の研究だって逝っているのがダメなんじゃない?
例:「第8巻の「キャンデーなめて歌手になろう」では,ジャイアンが部屋の中を靴を
履いている.しかしながら,ふたつ先の部屋のコマ描写では,ジャイアンは靴を
履いていない(P.42).この矛盾を解読しなさい」
41 :
ちょっと味方してみる39:2001/01/30(火) 03:12
>ドラえもんを研究すること自体は問題ないのでは?
うーむ、俺は批判者と違って国立だろうが私立だろうが「大学でドラえもんを研究する
って・・・」と思ってしまうな。まあどこの大学にもぬるい講義の一つや二つあるけど。
このスレでのドラえもん擁護派ってのは要は「ではドラえもんとシェイクスピアにどのような
違いがあるのか」って難問に突き当たりたくないから、とりあえずドラえもんも容認しておく
みたいなところがあるんじゃない?文学部の人が多そうだし。これはサブカルチャーと
ハイカルチャーの間に垣根は存在するのか、という問題にもつながるけれども、でも俺はやっぱり
シェイクスピアとドラえもんは違うと思うぞ。シェイクスピアと手塚治も違う。前者は大学で研究
する必要があるし、後者にはない。根拠? そんなものない。ただそう思うだけ。そしてそれで
いいと思う。ラーメン大学やパチンコ大学が冗談であるように、大学でドラえもんを研究するという
のも冗談に過ぎない。そしてそれが冗談であることには根拠はない。
ちょっと説得力がないな。まあまた今度(一週間後)カキコします。でも40の例を見て分かるように
やっぱりこの手の研究は馬鹿げた内容になってしまう。なぜか、そこに緊張感がないからだ。緊張感の
欠けた学問なんて単なる趣味でしかないでしょう。趣味は大学でやる必要はない。
42 :
吾輩は名無しである:2001/01/30(火) 04:34
文学は趣味じゃなかったのか・・・
>42
そりゃあ文学で食べている人も沢山いるんですから。
んで、それが税金によって賄われたり。
マジレス、スマソsage
44 :
吾輩は名無しである:2001/01/30(火) 04:47
日本では漫画は学術研究の対象にはなってない(ある意味健全な気もする)
みたいだけど、海外の方が進んでいるのかな。検索でナウシカの研究論文とか
引っかかるみたい。アメリカとかはSFも専攻できるしなあ
45 :
吾輩は名無しである:2001/01/30(火) 05:13
日本でも経済学部の助教授がナウシカでユートピア論の著作を出してたよ。
47 :
吾輩は名無しである:2001/01/30(火) 07:20
>>41 >このスレでのドラえもん擁護派ってのは要は「ではドラえもんとシェイクスピアにどのような
>違いがあるのか」って難問に突き当たりたくないから、とりあえずドラえもんも容認しておく
>みたいなところがあるんじゃない?
それはむしろ批判者が先に自分で当るべき問題なんだと思う。
結局その部分がなかったから、何を言っても「マンガだからだめ」
にしか聞こえないんだよね。
>>43 おいおい、それは
>>42が
>>41に対していってるのだから
あなたのレスの「文学」を「マンガ」に置き換えて読みなさい。
と突っ込まれるぐらいお粗末だぞ。
48 :
吾輩は名無しである:2001/01/30(火) 09:21
>それはむしろ批判者が先に自分で当るべき問題なんだと思う。
それは違うと思います。批判者は、公の機関で行う事業という立場の
研究において、個々の研究が国民から支持されるか否かを問うていると言っている。
まんが研究がダメというのでなく、どういう目的を持って研究を進めていくのかということも
研究活動のなかには必要ではないのか。
シェイクスピアを研究する目的を、例としてキーワードとして挙げるとすると、英語、哲学、文学、演劇
英国文化、中世(歴史)、宗教とでてくる(他にもある)。これらの理解のためにはシェーくすぴあ研究は
広く支持され得る(無論、反対する人も多いが世論の支持を得るに値するという妥当性がある)。
ドラえもん(まんが)研究の目的も同じように、教育、マンガ表現(技法)、大衆文学、児童心理学など
たくさんある。しかし、批判者の言っているその大学の研究者の研究の方向性は、これらに当てはまるものではなく、
オソマツである。ということではないの。
49 :
吾輩は名無しである:2001/01/30(火) 09:33
補足。
>個々の研究が国民から支持されるか否か→されない研究はしてはいけないのか?
批判者は、自費でやることの自由は保障されているみたいなことを言っていることから、
私立の大学(助成金が出ているので微妙)とか専門学校、サークル活動ならだれも文句を言う権利はないのでは?
ちなみに、
文学自身が、文壇で大衆のなかから育ってきたものだから国とかが
どうのこうのっていうのは?だと思う。ある意味体制から抑圧されてきたものだからね。
大学で学位持ってたって、優秀な執筆家になれるというわけではないことは
皆も周知のことだし。
“大衆文化”は研究する価値が十分あると私は思うが。
しかし税金払う側が、「こんなことに税金使っていいのか?」
と疑問を投げかけるのはとりあえず良いことだと思うが。
批判者は研究対象が高尚なものかどうかを問題にしているように思うが、
大衆が理解できないような分野での、
「趣味やオタク活動は私費でやれよ」というようなクズ研究は、
いくらでもあるだろうと思う。
税金払う側も、疑問や批判や突っ込みを入れてしかるべきだと思うが
(研究の価値をどう判定するのかむずかしいが)
素人にいくらでも口出しさせろ、と言っているわけはない。
今回は一般人が批判しやすい研究だっただけの話だと思う。
(ふつーは無理だよな)
この1の思考力からは一種の悲愴さを感じられますね。
52 :
吾輩は名無しである:2001/01/30(火) 16:44
>51
オマエモナー!
53 :
ちょっと味方してみる=41:2001/02/04(日) 00:55
うーん、じゃあやっぱり結論は、マンガだから駄目ってことじゃなく
それがどれほどの学問的成果をあげるかということだが、でも50のいうように
それは素人にはなかなか分かりにくい。本当は単にドラえもんで遊んでいる
だけなのに、「いやこれはちゃんとした意味があるんだ」と言われれば
「はあそうなのかー学者さんの考えることは分からんなー」となりかねん。
まあ難しい問題ですな。ところでこのドラえもんを研究してる大学ってどこなの?
ここにいる皆さんでいっちょ判断してみましょう。
54 :
ちょっと味方してみる=41:2001/02/04(日) 01:40
あった。これだな。
(富山大学 どらえもん学コロキアム)
http://www.inf.toyama-u.ac.jp/doraemon/ ざっと見た感じ卒業単位には換算されないみたい。じゃあサークル活動
と捉えれば別に問題はないが、一応授業科目として大学が認めている。
研究目的は以下のとおり。
1ドラえもんに関する作品の読者として,また研究者として共通の興味と関心を持ち, ドラえもん学構築を目指す人たちの集いである.
2ドラえもんの聖典(てんとう虫コミックス短編45巻,大長編17巻)に関する研究成果を,インターネットの「ドラえもん学コロキアム」なるサイトで積極的に全国に発信する.ドラえもんの聖典以外の作品,ドラえもんのパロディ,映画,テレビ,関連グッズなどはここしばらくの間,本コロキアムの研究対象に加えないものとする.
3ドラえもんとのび太・静香・ジャイアン・スネ夫の思想,行動,夢,パーソナリティーなどに関する知識の追求を奨励する.
4聖典で使われている秘密道具の数を明らかにする.聖典に登場し,吹き出し(漫画で,話し手の口から吹き出した形に描く台詞を囲む曲線)のある登場人物をすべて明らかにする.
5秘密道具の効用を明らかにし,21世紀に科学の英知を結集して,そうした道具の実現可能があるかどうかを検索する.
6富山大学をドラえもん学研究のメッカにし,「ドラえもん学コロキアム」をその学確立の中核エンジンと位置付ける.
7さまざまな研究題目について議論するための学習会や講演会を開催する.
8当コロキアムの目的と活動に共通点を持つ,全国の他の組織との連帯をインターネットなどを通じて積極的に深める。
ちょっとふざけてる感じがしないでもない。
研究内容はコマの数の統計やフキダシの統計、登場人物の登場頻度
使われた秘密道具の名称一覧など。
大学での文学研究のパロディとも見えなくはない(「失われた時を求めて」の
作品中に現れる色の統計など)
こういう研究にどういった成果があるのか、とりあえず僕には
学生に統計の取り方を教えるということ以外の効果は思いつかなかった。
55 :
吾輩は名無しである:2001/02/09(金) 15:47
age
56 :
名無しさん@_@:2001/02/09(金) 18:36
うーん。研究の価値というのは難しい。
当方文学部非文学系ですが、学科によって研究意義の位置づけは違うわけです。
たとえば国文学の人々は当然ながら当該学において世界一水準の高い研究をやっていて、
(その気さえあれば)世界に向けて発信可能な日本の文化財産になりうる。
だから国も安心して金を投じることができる。建前ではね。
他方、英米文学の研究者の仕事は、かの地においては通常相手にされない。
そこでどうやって研究を正当化するかと言えば、
海外文学の研究を通じて日本における海外文化の理解に資する云々・・・
と屁理屈をつけることになるわけです。
しかしいずれにせよ、大学における研究は好事家のやることではないという建前に
なっている以上、その研究は何らかの意味で文化的意味を持つ業績という形で
示されなくてはならない。
しかるにドラえもん研究の内容は果たして・・・
現代文化論としての明確な方法を提示して万人とは言わずとも多くの人を
納得させうるようなものがあるのならともかく、ざっと見た感じでは、
まあなにがしかの研究ではあるんでしょうが、国費投入を正当化できるような
研究ではないな、と。
マンガ研究への国費投入に原則的に反対、とは思いませんし、現にそのような
学科立ち上げの機運もあるようですが、ドラえもん学は
あまりにもやってることがくだらなすぎる。まさに謎本レベル。
ま、こういう研究はいずれ予算回らなくなって淘汰される、と思いましょう。
57 :
JPB:2001/02/09(金) 22:29
私も研究現場にいたことがありますが、この要項はどのようなものか
と感じました。最初は、カルスタっぽいことなんだろうということで
どちらかと言えば研究肯定派としてロムってたんですけどね。
本人がどう言おうと、研究と言う場に属している限り、研究が
前提としている「真理」の追究と、それがもたらす「権威」は研究者
にある種の「行使力」をもたらします。カルスタならばその「力」は
微力であれ、声なき声の代弁や回復に傲慢であるとわかっていても
荷担し、何らかの「社会的還元」をすることが、「力」の行使の権利
に対する「義務」である「はず」かなあと、原則としては考えますね。
漫画と文学の違いはひとまず置くとして、彼がみずから担っている
「権利」に対する「義務」の意識に欠けるという点で、批判は出てい
るのではないでしょうか。まあ、この人がコミュナリストで、ドラえ
もんを媒介にして何らかの共同体を作ろうとしているなら、まあ、
確信的行為であるんでしょうけど・・・
58 :
吾輩は名無しである:2001/02/13(火) 10:17
age
59 :
吾輩は名無しである:2001/02/18(日) 09:49
>1
それはおまえがまともでないから!
60 :
吾輩は名無しである:2001/02/18(日) 09:55
>1
研究って役に立たないもんだぞ。
絵画でも文学でも、それを研究している人はいっぱいいる。
それらはほとんどが無駄だ。
漫画が駄目である根拠を示す方が難しい。
漱石研究が良くてフジコフジオ研究が駄目な理由は?>1
61 :
吾輩は名無しである:2001/02/18(日) 10:34
>60
キリ番おめでとでやんす。
研究は役には立たないもの。直接的にはね。間接的には、学生に
研究手法を身につけさせるとかっていう効果はあると思う。
と、ひとつ。無駄でも積み重ねていくと、ひとつの財産になるわけで
後生の人が、別の研究に使える材料になることもある。そうそう無駄
は完全否定できない。
54にあるとある大学のHP見て下さい。私は、フジコフジオ研究が
いけないとは言っていませんし、思ってもいません。この大学の研
究方法というか、やり方がちょっと子供が遊びでやることの延長に
近いぞ!大学レベルの研究か?ということです。
62 :
吾輩は名無しである:2001/02/18(日) 10:35
>59
ボケ。氏ね。
63 :
吾輩は名無しである:2001/03/06(火) 07:31
ageてみました。
おやーまゆーえんちー
65 :
吾輩は名無しである:
金造を御確認くだちい。