1 :
名無しさん:
最近ひょんなことからマーク・トウェインの「不思議な少年」という本を読んだのですが、おそろしくシニカルで、びっくりしました。マーク・トウェインって「トムソーヤの冒険」とか「老人と海」くらいしか知らなかったのですが、「不思議な少年」にはシニカルでダークな魅力にあふれてますね。ところで読んでいて、「新世紀エヴァンゲリオン」の渚カヲルって、「不思議な少年」のサタンが元ネタではないかなって思ったのですが、どうなのでしょうか。
2 :
吾輩は名無しである:2000/11/29(水) 23:32
あ、オレえらく前に買ったけど読んでないや。
「トム」よか「ハックルベリー」は読んどけ。
ツレのライターがどっかの記事でエヴァネタとこじつけてた憶えはある。
ちなみに突っ込むのはやめときマス大山。
3 :
吾輩は名無しである:2000/11/29(水) 23:41
fun! fun! fun!
トゥエインって、ホイットマンと同じで明るい牧歌的な面が強調
されることが多いですが、実は晩年には自身が設立した出版社の
経営不振や、自動植字機への投機の失敗・倒産など、私生活の
不運が続いて、ハック辺りからも既にその萌芽が見て取れますが、
ペシムズム的作風が前面に出てきます。
例えば、たぶんまだ岩波から出てる「人間とは何か」なんてのは、
人間は内なる支配者である良心に黙従するだけの、自由意思の
欠落した存在だと断じていたりします。『不思議な少年44号』
も、やっぱ「全ては夢にしか過ぎず、自己存在も単なる一思考
でしかない」としてますね。
ちなみに『老人と海』はヘミングウェイです。トゥエインは
『ハック』や『間抜けのウィルソン』をぜひ読んでみて下さい、
そこにはもう既にシニカルな視点や死の恐怖なんてものが出て
きています。
エヴァは…どうかなぁ、そこまで考えなくても、単なる聖書の
記号を写し取っただけで、あとは起源探しにオタクを奔走させた
だけなんじゃないでしょうか。ただの「悪魔的な(裏切り
堕落する)他者」=サタン、って程度じゃないっすか?<元ネタ
5 :
空耳:2000/11/30(木) 02:35
ハックルベリー・フインの冒険はとてもブラックだと思う。
衝撃的だったのが
浮浪児ハックルベリーが逃げ出した黒人奴隷と逃避行を続けて
最後にトム・ソーヤーのお家にたどりつくところ。
ここで、トムがおぼっちゃんだってことに初めて気付いた。
トム・ソーヤーアニメでしか見てなかったから。
と、いうよりハックルベリー少年からみれば
トムは金持ちのお坊ちゃんに過ぎなかった。てことなのかな。
トム・ソーヤーの冒険はちゃんと覚えてないから・・・
ポーリーおばさんは覚えてるけど。
この当時のアメリカを知ってるわけじゃないけど、
とてもリアルだと思う。
人が殺されたりもしますよね。
ほんと、こっちはとても名作だよ!
6 :
悠ちゃん:2000/11/30(木) 03:23
マーク・トウェインが子供のころを過ごしたミズーリ州ハンニバルにも
逝った事がある!!(自慢ばっかり)マーク・トウェイン・ミュージアム
とかがあるんだけど、やっぱりど田舎の町。古い一般的なアメリカの様子
をしのばせる展示がほとんど。(それに特に興味があればいいんだけど、
そんなもんアメリカのほかの博物館でもあるでしょ?って感じだった)
日本で出版されてる翻訳本がガラスケースに入っててんじしてあるのよ。
いちおうゲストブックには僕の本名、当時のアメリカでの住所記しました。
逝って見てみ!(っていうか、このスレッドなんとなくネタっぽいね)
『トム・ソーヤーの冒険』の魅力でさえも、やはりその少年冒険譚という
枠組みの内部に、一つの大きな《不安》を孕んでいる。それは墓あばきや殺人、
暗闇の洞窟やインジャン・ジョーの死といった具体的に描かれる暴力のこと
ではない。それらは確かに一抹の不安を読者の心に掻き立てるが、巧みに距離
を置いて描写され、また当然冒険譚に付き物の舞台装置であって、最後には
「この本で役を演じる登場人物たちのほとんどは今だ存命であり、裕福で
幸せでもある」という現在時の視点によって解決される。全ては少年時代の
牧歌的賛歌へと収斂してゆくように思え、作家自身の悲観主義の側面も
それほど顕著ではない。しかし重要な点は、トムは結局地域社会の一員と
しての価値観から離れることなく、意識的にせよ無意識にせよ、大金を手に
入れて金銭的価値の内に留まることになりそうだ、という大きな《不安》
が兆してくることなのだ。彼が発見した宝物が「信託資金」と化したとき、
ロマンチックな英雄主義はいつの間にか社会内の達成へと置き換えられる。
やはり無垢なるものはある知識に開眼し、理想から現実へ適応するための
成長や変化を拒否することはできないのか…我々は文明化されるトムに
不安になる。"nobility" という言葉を口に出すトムに不安になる。
T・S・エリオットがトムは将来慣習にそった人間になると予言するとき、
それは文明を放棄できない人間が必然的に出口のない悪循環に捕えられる
姿を、トムという覚醒の狭間に立つキャラクタ−に託して語っているのだ
と言えるが、トゥエインは同じような悲観的観測(ロマンから文明へ)を
隠しながら、もしくはその反動として少年冒険譚をあえて書き上げたとも
考えられなくはない。
実際『ハック』においてはトゥエインの文明社会への幻滅はより顕著なもの
となり、善と悪の問題は奴隷制、家同士の対立、無意味な流血、詐欺師たち、
群集心理とリンチといった主題を通じて真正面から取り扱われる。そして、
あらゆる環境への定着を逃れる《無知の見者》たるハックは、否応なく善と
悪が渦巻く混沌たる人間性の河に投げ込まれ、頼りなく筏で文明の地獄巡り
をする羽目になる。ハックは「結局、筏みてぇないい家はねえな。他は全く
ごたごたして息がつまらぁ、んが、筏は違う。すんげぇ自由で、気楽で、
気分がええ」 と語る。しかし筏は流されるのであり、いつかはどこかへ
流れ着いてしまう(当然、ここに作者としてのトゥエインの苦悩があったに
違いない)。それでもハックは自らの心の命ずるままに混濁した環境に
あって良心を守り通し、決して文明の欺瞞に溺れることはなかった。特に
有名な奴隷制への不信とキリスト教的意識の間で板挟みになる場面では、
彼は一度は《公》の道徳の誘惑に屈し、日曜学校の諭す「永劫の火に
焼かれる罪を避けようと思う。しかし彼は思い直し、ジムの所在を知らせる
ために書いた手紙を「んじゃあ、ええさ、地獄落ちだ!」 と決然と言い放ち、
破り捨てる。この瞬間、文明の中に生きる人間の限りなき不安は、たとえ
地獄に行こうとも自らの良心を守り抜こうという意志によって、一つの解決
の可能性を示されるのである。ここで作者自身は出口のない人間不信と
悲観主義に陥りながらも、なお人間が先へと進む可能性を個人の良心への
信頼、そしてペシミズムと不可避的に結びついたユーモアに求めていたの
ではないだろうか。以降この人間なるものの圧倒的な絶望とそこに残された
一縷の希望の狭間で、トゥエインは後年の運命論と虚無/死という結論に
辿り着くまで揺れ動き続けたように思えるのである。
と、こういったことは「ハドリバーグを堕落させた男」って短編一つに
十分滲み出てると思います。
10 :
1:2000/11/30(木) 22:33
「老人と海」はヘミングウエイでした。恥ずかしい・・・
11 :
空耳:2000/11/30(木) 23:30
へ、へー!!すごい!
「やはり無垢なるものはある知識に開眼し、
理想から現実へ適応するための
成長や変化を拒否することはできないのか」
ここがすごい悲しい
久しぶりにマーク・トウエインが読みたくなった
12 :
吾輩は名無しである:2000/12/01(金) 00:09
永遠の少年ピーターパンも最後はウェンディに拒否されて一人になるのさ げらげら
13 :
吾輩は名無しである:2000/12/01(金) 15:53
ルイス著『アメリカのアダム』(研究社 絶版)から読むと吉。
でも、あれってトゥエインについてほとんど触れてないような…
>13さん
まぁ、アダムの原初的無垢という理想とか、クレーヴクールの
農夫=労働の賛美とか、そういったイノセンスについて書けば
いくらでも書けるとは思うけど。
15 :
吾輩は名無しである:2000/12/02(土) 01:35
無垢と罪は表裏一体。
16 :
吾輩は名無しである:2000/12/02(土) 06:19
「不思議な少年」って後年編集者(伝記作者だっけ?)が作った
贋作なんでしょ。中野好夫訳とか有名な方。
正しい原稿をもとにした「不思議な少年44号」はもっと複雑な構造で
「文学」してる。ニセモノの方は単純で童話ぽい。
自分自身はどっちも面白いと思ったけど。
贋作でも面白いって珍しい。かも。
(銀河鉄道とか賢治最終稿の方が面白いじゃん。バカが手直ししたやつより)
17 :
吾輩は名無しである:2000/12/02(土) 21:58
不思議な少年と高橋和巳で道踏み外しました。。。。。。
18 :
吾輩は名無しである:2000/12/04(月) 00:41
マーク・トウエインは晩年躁鬱病だった。
鬱状態で書いた物が「不思議な少年」
心理学でこの作家は症例として取り上げられることが多いよ。
19 :
吾輩は名無しである:2000/12/04(月) 03:20
クレメンスがいうに「ジェイン・オースティン大嫌い」
取り敢えず事も無いがお奨めなんでAGE