柄谷行人の村上春樹論

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1吾輩は名無しである
既出だったらごめん。
柄谷の「終焉をめぐって」(講談社学術文庫)に収められた村上春樹への
批評に対して、本人は何か発言してますか。
僕はあれを読んで論旨には納得・同感したけど、しかし、文芸批評って言うのはこういうもんでええのかなという疑問も持った。
2>1 :2000/10/13(金) 09:12
>文芸批評って言うのはこういうもんでええのかなという疑問も持った。

どういう疑問ですか?

3吾輩は名無しである :2000/10/13(金) 11:18
春樹は基本的に批評や評論は読みません。
4にっく :2000/10/13(金) 18:26
読んでますよ。コメントしないだけです。
どっかで「批評についてはコメントしないことにしているのだけど、
『これはいくらなんでもあんまりだろう』というのもあった」
みたいなことを書いていたはず。
(上のカギカッコ内は僕の記憶を元に書いてるのでかなり不正確です)
5名無しさん@1周年 :2000/10/14(土) 02:24
ロマンティック・アイロニーだってやつね。
ほんとは書くべきことがちゃんとあるのに
そっちを書かずに、どうでもいい瑣末な
ことを扱っているっていう。それはある程度
あたっているんじゃないかな。これは柄谷
以外にも色んな人が言葉を変えて言っている
ことで、わりあい共通の認識だと思うけど。
6吾輩は名無しである :2000/10/14(土) 02:59
彼の核心を淡くぼかし、周辺から迫っていく手法はもう共通認識だね。
ただ、それが別に悪いとは個人的には思わないけどね。

なんとなく主人公の抱えている感情が感じられて直接的に
言われるよりも切なかったりするし。
7吾輩は名無しである :2000/10/14(土) 03:03
彼が描いているのは「テーマ」ではなく「気分」だと思うね。
理由のない哀しみ、実体のない苦しみ、というのは日本人の
メンタリティに伝統的に浸透しやすいからね。
そういう要素を持っていない人は彼の作品はさっぱりわからないし、
何を悩んでんだ?こいつ?とかいうことになる(笑)。
また作品にテーマを求める人も同様。
8いちごちゃん :2000/10/14(土) 07:44
>7
なーるーほーどー、ほほー・・・。

・・・何故自分が村上春樹を好きか、納得した。
95 :2000/10/14(土) 09:55
いや、苦しみ、悲しみの理由はあるんですよ。
ただ、それを直接的に言わないことで、ニヒ
リスティックな状況を演出するという。

だから、村上がオウム事件に反応したり、
神戸の地震を「テーマ」にした小説を発表
したりするのは、わからなくもない。ただ
それをあんなに露骨に表現するとは思わなかっ
たけどね。「これからは斜に構えてちゃ
いけないんだ、社会的責任を引き受けなくちゃ
いけないんだ」っていう身振りに見えて、
イタイわけで。
10>7 :2000/10/14(土) 21:32
>理由のない哀しみ、実体のない苦しみ、というのは日本人の
>メンタリティに伝統的に浸透しやすいからね。

どの辺からそういう結論にたどり着いたの?
11名無しさん@1周年 :2000/10/15(日) 15:24
>2
テキストに密着してないと思います。
村上春樹の文章の内容は論じられているが文体には触れていない。
興味ない作家を、編集者に頼まれたので仕方なく論じていると言う感じ。
12マルタ :2000/10/18(水) 11:30
最近の村上春樹論は
村上のテキストへの三島由紀夫の介入を前提にするものが多いが、
柄谷の村上論が、これらの村上論の契機になっているような気がする
13吾輩は名無しである
>マルタさん
>村上のテキストへの三島由紀夫の介入を前提にするものが多いが・・・

これは具体的には誰が言ってたの?