なんで夏目漱石のスレッドがないの?

このエントリーをはてなブックマークに追加
745吾輩は名無しである
晩年の特に長編小説をかいているときの漱石の気難しさは
内田百閧ェ『私の「漱石」と「龍之介」』(筑摩叢書37)のなかで

 私は漱石先生を憎らしいおやぢだと思つた。

とかいているほどですが、これはある意味
小説家としての漱石の宿命だったのではないでしょうか?
江戸っ子夏目金之助が近代的知識人夏目漱石として
人間の自我の葛藤を掘り下げ続けた結果導かれた
暗く孤独な世界に陥ってしまったととらえるほうが妥当だとおもいます。
言葉に関わりながら言葉においつめられてゆく漱石を思うとき
何故漱石が俳句や漢詩を愛好したのかよく理解できます。
季語や定型といった約束事にしばられた伝統的な言葉の遺産・美が
雲間の青空のように「本来の自由」と「安らかな心」をもたらしてくれた
『思ひ出す事など』を読むと胸にこみあげてくるものがあります。
746天上天下唯我独尊:02/07/14 15:32
>>745
百閧ヘ手紙では先生と遣り取り出来ても面と向かうとすごく気詰まりを感じてた。
でも先生に輪を掛けて気難しい性格の百閧ノも相当責任あり。
そのくせお金を借りにいったりもしてて、憎らしいおやぢは彼一流の言い回し。

レス後半はもらい泣きしそうになったぽ。
思想だの理屈じゃなく、言葉だけで先生の遺志を継いだのは百閧セったかも
747745:02/07/14 15:44
ちょっと舌足らずでした。
「憎らしいおやぢ」というのは二人の関係についてではなく
面会日の木曜日の晩に田舎から漱石に会いたくて上京してきた人物を
紹介状がなければ会わないといって女中に追い返させた
漱石についてのコメントです。(『紹介状』)
748吾輩は名無しである:02/07/14 16:29
いいねえ。人の良さなんか犬にでもくれちまえ。
749吾輩は名無しである:02/07/14 18:52
>748
ここは猫でしょう。w
750吾輩は名無しである:02/07/14 19:56
迷亭たんハァハァ
751天上天下唯我独尊:02/07/14 20:41
>>747
見付けたです。「紹介状」、、『菊の雨』所収。

流行作家が、いきなり訪ねてきた何処の馬の骨とも知れないヤツに会わないのはそんなに変でないぽ。
それより
「私は漱石先生を尊敬して居たし、又先生の方で私に居留守を使ったり、その場を胡麻化したりするような事は有る筈がないと信じていた。」筈が、どうもそうでないらしい事がはっきりして、最後に「憎らしいおやぢ」で締めてますね。
となれば、やっぱり二人の関係についての、彼独自の諧謔的言い回しなのでは。

でも日を追って先生の偏屈度が増して行くあたりは、ちゃんと押さえてますね。
752吾輩は名無しである:02/07/14 21:50
いま改めて読み直してみましたが
確かに漱石への思いが濃厚に投影されているようです。

漱石が新聞連載にかかるといかに偏屈、気鬱さを昂進?していったかは
同じく百閧フ「虎の尾」を読むとよくわかります。
書き出しから少し抜粋すると

 夏目漱石先生が、新聞連載の仕事にかかられると、初めの内はそれ程でもないけれど、日がたつ
に従って、段段御機嫌が悪くなる。
 毎週木曜日の夜、私どもが先生の書斎に集まつて、先生の話に聴きいり、また先輩達の応酬を傾
聴する時、一週間毎に先生の気分が鬱陶しくなり、次第に言葉数の少くなられるのが解る様に思は
れた。
 みんなで、いろいろ話し合つてゐる時、先生はあまり口を利かないのである。その内の何人かが、
先生に話しかけても、先生は返事をしない。そのまま黙つてゐられる事もあり、どうかして一言二
言応答せられると、平素聞き馴れない様な峻激な調子だつたりする。
 玄関を上がる時に一緒になつた先輩から、
「気をつけたまへ。虎の尾を踏んではいけないよ」と云はれた事があつた。
 帰りに門を出てから、歩きながら嘆嗟する人もあつた。「到頭、虎の尾を踏んぢやつた。一寸
さはつた丈なんだけれどね」
 一座の空気が引締まり、先生の眉宇の間が動いたと思つたら、嘗て聞いた事もない、険しい言葉
が、先生の口から出た。
「生意気云ふな。貴様はだれのお蔭で、社会に顔出しが出来たと思ふか」
 詰られた人が青ざめてゐる。
 私共は呼吸が詰まりさうで、身動きも出来なかつた。(中略)
 連載小説が終はると、私共までほつとした。(以下略)

753吾輩は名無しである:02/07/14 22:03
>>752
しびれるね。師たるものこうでなきゃ。
全文引用したらどうよ、このさい。
754吾輩は名無しである:02/07/14 23:20
ではまず(中略)箇所から

 不意に襖の向うの、茶の間に近い辺りで、蕎麦を啜るやうな、鈍い曖昧な音がする。「電話だな」
と思ふと、私共までひやりとして、先生の顔色をうかがふ様な気持になるのである。
 先生の家の電話は、かかつて来ても、音がしない様に、ガーゼや繃帯で、左右のベルが、ぐるぐ
る巻いてあつた。気分の重い時には、非常に電話をうるさがられるので、初めのうちは、受話器を
外しつ放しにしておいたところが、交換局の方で、あんまり八釜しく云ふものだから、家の人が、
かかつて来ても、鳴らない様にしたのである。
 どうかすると、先生はまた、みんなのゐる前に手枕をして、横になつた儘、寝入つてしまはれる
事もある。私共は段段話し声を低くし、暫くすると、眠つてゐる先生に一礼して、みんなそつと帰
つてしまふのである。
755吾輩は名無しである:02/07/14 23:26
(以下略)のあと全文です

 ふだんの先生は、怖い事に変りはないけれども、虎の尾をそこいらに出しつ放してはゐないので、
特に気むづかしいと云ふ事もなく、いろいろの話をせられるのである。或る日こんな事を云はれた。
「教師をしてゐた時の事を、今でも夢に見るらしい。昨夜は真鍋だつたか森だつたかにon Homer’s
sideと云ふ熟語をきかれて、それが解らなくて、弱つてゐる夢を見た」
 洒落と云ふことを、先生はきらはれた。しかし、長い間に、一度か二度、先生の口から洒落を聞い
た事がある。茶の間で夕飯を御馳走になつた時、餉台の上に、間白い布が掛けてあつて、その上に
牛肉や葱が列んでゐた。
 先生がその布の端を摘まんで「これはシーツだよ」と云つた。私共が箸を構えて、煮えるのを待
つてゐると、先生は先に一口食べて、云ふのである。「君たちはなべ食はないか」
 定劇の舞台で、幸四郎がローシーと初めて西洋の芝居を演じた時、一体、幸四郎にそんな事が出
来るだらうかと云ふ事になつた。
「そりやローシーたらいいかと云へば、かうしらうと教えるのさ」と先生が云つた。
「どうもそんな洒落を云はれては高麗蔵だな」と小宮さんが云つた。
 そんな取り止めもない話しに興じてゐた或る晩、早稲田のお宅に初めて電話のかかつた当時の事
である、先生が「ちょつと、ちよつと」と云つて、みんなの話しを制した。先生は、奥の方の気配
に耳を澄ましてをられる。みんなが黙つて静まつた時、遠くの方で電話のベルが鳴つてゐた。
「電話がかかつてゐるね」と云はれた先生の顔は、子供が珍しい玩具を楽しんでゐる様であつた。
756吾輩は名無しである:02/07/14 23:31
ご苦労さん。
面白かったよ。ぜひ買って読まなきゃな。
757吾輩は名無しである:02/07/14 23:52
「虎の尾」は『無絃琴』に収録されています。
この『私の「漱石」と「龍之介」』(筑摩叢書37)は全著作集のなかから
夏目漱石と芥川龍之介に関して書かれた文章をすべて収録したものです
758吾輩は名無しである:02/07/15 00:15
私の「漱石」と「龍之介」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480027653/ref=sr_aps_b_/249-6850874-7061146

無絃琴の方はどうやら古書店になりそうだよ。