大江健三郎

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大江健三郎さんが中学生の時に書いたという感想文を、高校のころ読んだことがあります。
はっきり言って中学生が書いたとは信じられないです。
ショックで1週間学校を休んでしまったほど(笑)です。

というわけで、この人のこの頃の作品を読んだ事がある!っていう人のカキコ募集!!
2あげとこう:1999/11/25(木) 16:10
そんなやつおらへんやろー
(大木こだまひびき風に)
3天然八歩:1999/11/25(木) 22:06
初期の短編はすげーかっこいい。「空の怪物アグイー」とかあと「バード」のでてくるやつ(題名忘れた)。
長編では「日常生活の冒険」がよかった(あとの本は、あまりに読みづらくて最後まで読めませんでした。)
4個人的な体験:1999/11/26(金) 12:39
自分の子供が産まれそうな時、「アフリカに行きたい」とか思わねーなー、とか考えてた(笑)
5名無しさん:1999/11/27(土) 10:05
やっぱり下手なのでは? どこがいいのか分からん。
6>1:1999/11/28(日) 03:51
大江さんの小説は、やっぱり、凄い、読むべき。

あと「こんな本読んできた」(?)だったかな立花隆、
彼の子供時代の読書遍歴、
これには、わたしも、寝込みました。
なんちゅうか、凡ちゃんではないんだなあ、子供んときから、、

かないません、、トホホ。
7大江文体:1999/11/28(日) 18:03
あのグネグネの文体に愛を感じるわけさ。
8Ixion:1999/11/29(月) 01:40
大江健三郎が「詩をあきらめた人間だ」として、小説を綴るのは、
いささかフォークナーにも似た自己劇化ですが、無垢なる魂としての
白痴的存在(私小説風の小説のみならず、「生贄男…」などの短編での)
や、物語の起源たる場所の在り方など、この二者は比較すると面白い
だろうと思います。
ただ、大江さんの場合、母なるものを引用の散りばめられた意匠の中に
据えるような書き方をしたり、世界のモデルと救い主の寓話のような
倫理的世界を直接「書物」に移し入れようとする、手法の露出の度合いが
非常に高いです。フォルマリズムに出会わなければ、一体どうなっていた
のでしょうか?
初期作品の多少疲れたロマンチシズムと、暴力やエロス(や政治)への
傾きはまた、フォルマリズムとダンテ・イェーツらの作品群によって、
「教会」という倫理の構造物を問うという大きな掴みづらい方向へと
向けられてしまいました。そこから、ある「近寄りがたさ」も出て
きた…。

とにかく、お勉強好きな方だろう、とは想像できます。
9初期から:1999/11/29(月) 17:52
追っ掛けてましたが、『万延元年のフットボール』で
挫折しました。
10名無しさん:1999/12/05(日) 19:59
どうして本多勝一が批判してるの?
だって、反戦反核でしょ?
あと、権力と名誉にはめっぽう弱いと聞いてますが・・・
11あれ?:1999/12/06(月) 05:20
私は、高校の頃に初めて呼んだ「万延元年のフットボール」を
きっかけにハマり、しばらく彼の本を読みあさりましたが‥‥
「キルプの軍団」なんかワクワクしながら読んでたなー!懐かしい。
「万延元年」べつに難解な所はなかった‥‥のは、私がバカすぎて
気付かなかったの?もう一回読み直します。
12>10:1999/12/06(月) 06:20
それは、大江が権威と名誉にめっぽう弱い性格から
右にも左にもいい顔するからです。
たとえば、反核をうったえながら、アンチ反核の文芸春秋と
の関係を切らないところとか。
でも、大江は作家なんだから作品がよければいいでしょう。大江は
とても政治オンチな人ですしね。
本多勝一も大江を攻撃し、反権力をとなえますが、自分のミス
や間違いをみとめないファシストです。
13>12:1999/12/06(月) 07:20
そ・の・と・う・り!!!
特に本多勝一氏はね(だけど、彼を私淑している俺って)
14転換協会:1999/12/06(月) 10:32
「洪水はわが魂に及び」の凄惨なリンチ場面や、荒唐無稽きわまる「ピンチランナー調書」
あたりが頂点じゃないかなあ。「宙返り」は途中で読めなくなった。作家の想像力が現実の
事件の荒唐無稽さに追いつけなくなっているのはつらい。

本多勝一の批判はある意味近親憎悪みたいなものでしょう。ああいう頑迷固陋な考え方しか
できないから井上ひさしも離れていったし。かつて優れた仕事をした人が年を取るごとに
新たな愚かさに足を踏み入れていくのを見るのはやるせないねえ。
15邪悪なOL:1999/12/08(水) 01:24
議論が分かれるところでしょうが、大江作品の光さん誕生以前と以後では、
誕生以前の作品の方が個人的には好きです。若さもあるのでしょうが、初期
の作品のほうが訴えるものがあるように思います。
光さん誕生後は、作品の幅がせばまっているのではないでしょうか。
16Ixion:1999/12/08(水) 01:43
むしろ、広がりすぎて言葉に頼るしかなくなった感もある<作品の幅
"Rejoice"、救い主、魂、祈り、神話への接近、ブレイク、イェーツ、
ダンテ、引用の織物…
むしろ、今や「だからどうした」という言葉の前に宙返りさせられる
道化のように見られてしまいはしないでしょうか。
『「雨の木」を聴く女たち』は面白かった。何かギンズバーグなんか
出てきちゃったりして。あと、短編なら「もう一人和泉式部が生まれた日」
なんかも、ときたま読みなおす。
でも、やっぱり初期の泥の中をのた打ち回るような不透明さと荒々しさが、
といってしまう自分は、ただ気取っているだけだろうか。
17邪悪なOL:1999/12/08(水) 22:29
最近の大江作品は、障害のある息子の存在に無理に意味を見出そうと
している感があります。障害のある息子を持つ苦しさから、何か意味が
あって障害を持って生まれたと思いたい気持ちはわかる。しかし、それは
逃避ではないでしょうか。障害を持とうが持つまいが人間の生まれる
意味に相違はないのではないでしょうか。そういった感情を作品に持ち
込んでしまうと、やはり作品の幅は狭まらざるを得ないでしょう。
18Ixion:1999/12/09(木) 01:43
>最近の大江作品は、障害のある息子の存在に無理に意味を見出そうと
>している感があります

最近ではないのでは?『燃えあがる緑の木』と『宙返り』を読めば、
その意味の付与の仕方はしっくりこないはず<障害の意味
彼の視点は、障害の意味などではなく、生命の流れと言葉の意味
を問い直そうとしていく中で、「救い」(Blakeの"Why Men Enter
Heaven"や、Yeatsの"We that look on laugh in tragic joy"、
そしてもちろんダンテの「新生」等から来るものか?)について
考えようとするほうに傾いていきます。試練の後の新しい人の誕生、
確かにそれを単純に小説家の私生活と絡めてしまえば、「障害児=試練
から快復する家族」や「障害児=弱き者の神聖化と救い」なんて図式
ができますが、それはどうも単純にすぎるような気がする。

まぁ、自分の息子のこと書いてる時点で
「それを読む人のことを考えるべきですが!」
って、罪悪感はあるでしょうがね。小説家として。
19邪悪なOL:1999/12/09(木) 23:41
>Ixionさま
さすが読みこんでおられますね。ただ、以前大江氏が「息子が障害
を持って生まれたのは、何か使命があるのでは」とどこかで書いて
いた記憶があったものですから。

ところで、日本には「私小説」が多くありますよね。海外では日本より
は「私小説」というものは多くはないようです。大江氏も出ていた
シンポジウムで故ミヒャエル・エンデ氏がそのことについて批判めいた
意見を述べていました。わたしは「私小説」は日本の文化だと思う
のですが。なぜ日本ではこのように「私小説」が発達したのでしょう
か。是非、ご意見をお聞かせください。わたしは正直よくわかりません。
20すごくいい加減:1999/12/10(金) 07:58
なことを言うと、やっぱ、日本人の他人と私的な情緒
を共有して、なれあうナルシズムが関係してるんでしょうな。
21Ixion:1999/12/10(金) 09:24
ちょいと長くなります、ご容赦を(昔書いた文章)。

明治末期、フローベール、ゾラ、ゴンクール兄弟などを飲み込みながら
リアリズムの手法が日本に定着し始めたが、西洋のリアリズムの標榜が、
遺伝vs環境の対立の図式等に基づく客観記述をこそその主眼としたのに
対し、日本はその科学的実証性を虚構との対峙という形ではじめから
「解釈」してしまった。日進・日露戦争後、日本「文壇」は外国文学の
圧倒的な影響を受けた。しかし、当然のように「模倣」と「独創」の
相克が外部のものを受け入れる側には起こる。そこから前者を選択した
者は、模倣を極端に進めてしまった。いやむしろ、進めるしかなかった、
のかもしれない。「虚構の構築性」に関する伝統がなかった、もしくは
それが分析的に提出されなかった日本では、西洋のような古典主義との
決別=「個我」の押し出しがまだ捉え切れず、よって極端に「事実=
真実」という考えを進めて、自己告白が純粋であればあるほど真実に
近いものだとされてしまったのだ。ここにおいて「私小説」の伝統が
萌芽することになる。中村光夫は「自己批評の鋭さと正確さ」こそ作者
の内側から虚構の造形をもたらすものと述べるが、批評すべき「自己」
を発見するのにはまだ多少時間を要したのではなかったろうか。

まんま中村光夫だな、おい(T_T) あと、柄谷の『日本近代文学の起源』
の「風景の発見」と絡めると、もっと分かりやすくなります。

馴れ合うナルシズム、については、伊藤整が「文壇」のナルシズムと
『小説の作法』かなんかで言ってました>20さん
22私小説:1999/12/17(金) 14:53
私小説の元祖は志賀直哉であるなんていわれてますが、
彼はそこからややずれていているように感じられるます。
それよりも、国木田独歩のほうが私小説っぽい。

日本は島国で民族間の相克もそれほど経験してはいないから、
西洋の I(または、Ich、Je など)を受け入れたさい、
中村光夫ちゃんもいうよう、個我の確立がなされず、
「私」といったとたん、それが国土全体に広がっていくような印象がある。
つまり、すべてに同一の基盤があるという発想ですね。
もうこんなこと何度もいわれていることだけれども、
これは他者(外部)観念の欠落です。
だから、他者(外部)に向かって飛躍しようという運動もなく、
ひたすら、内にこもって「自分のために」言葉をつむぐしかない。

小説に歴史性なんていらないと主張するボルヘスが、
芥川龍之介後期の私小説を前衛だといって誉めるのもなんかわかりますね。
23Ixion:1999/12/18(土) 01:19
志賀直哉は、全く「元祖」ではありません。それは勘違いでは?
私小説の「元祖」といって国文学者が真っ先に思い浮かべるのは、
むしろ田山花袋でしょう。国木田独歩は、晩年の自然主義描写の
作品(『竹の木戸』とか)が、まぁ浪漫主義と自然主義の折衷という
日本風の奇妙な「私小説」の発展に繋がりはしますが、それもどうか。

ただ、「私コミュニティ」の問題については、確かに。国土全体まで
行くかどうかは別として。「他者観念」というのは、他者を発見する
だけの眼力を持っているか否か、それだけ自他の「境界」の成立に
ついて強い思いを擁いているかどうかと言う問題でしょう。で、私小説
の場合、まず「人間は自分のことしか分からない。自分のことは事実
であり、イコール真実だ」と、事実の真実性を当たり前だと思い込んで、
その解釈に乗っかって「告白」することから花袋ははじめてしまった。
これは、単に真実という「気分」を味わっているだけであって、眼力を
持って他や外部というものを見据えているわけではない。後に「心境小説」
へと私小説が移行していくのは、そうした気分による真実の模倣が突き
詰められていった結果でしょう。んでもって、「気分」っつーのはすぐ
蔓延するんだな、これが。文壇的気分、とか。

大江健三郎は、理論的外部を取り込んで私小説を新たな方向に導いたが、
それはやってるほうはいいかもしれないけど、読んでるほうにとっては
ちょっと…な気がします。
24すみません、無知で:1999/12/18(土) 02:14
あの〜聞きたいことがあるんですけど、、『万延元年のフットボール』
ってどこの出版社からでてるんですか?なかなか見当たらないので、教えて
ください、お願いします。
25検索しなさい >24:1999/12/18(土) 02:30
26Ixion:1999/12/18(土) 02:36
ところで、高いぞ講談社文芸文庫。
高級気取ってんじゃねぇ!!
27邪悪なOL:1999/12/19(日) 01:43
「静かな生活」の中でタルコフスキーの「ストーカー」がでてきました
が、ビデオ屋で借りようと思ったら異常者のほうのストーカーコーナー
に入ってました。うーん。
28Ixion:1999/12/19(日) 07:23
彼の引用するのって、なんか面白いですねぇ。
だって、マルカム・ラウリーなんて、誰も読まないでしょ、今。
ペン・ウォーレンとかケイジンが誉めてた『活火山の下で』も、
邦訳もう読めないだろうし。ましてやその原型となった短編なんて、
気にかけてる人いなそう…。
なんか、お勉強してるなぁ、とか思ってしまう。
それがいいかどうかは別として。
29邪悪なOL:1999/12/19(日) 21:57
読者のほうも勉強しなければ読む資格はないのでしょうか。
わたしは自信ない。
30名無しさん:2000/03/03(金) 02:36
邪悪なOLさん
大江健三郎は、万延元年以後わざと
分からないようにかいてるんですよ。

大江が日本の封建時代から続く皇室の勲章を蹴って
スウェーデンの封建時代から続く王室の賞を受け取ったのは
ネームバリューで選んだのです。
西洋人の力を借りて日本人民の上に君臨しようという犬でしょう。

大江光の曲は個性も何も無いダメな作品です。
ただ初級教本をなぞっただけの音楽。
それを明確に批判してるのは坂本龍一だけ。
日本の評論界は、お互い持ち上げあって飯を食ってます。
31名無しさん:2000/03/03(金) 02:42
ピンチランナーはギャグが上滑りしてると思った。
32名無しさん:2000/03/03(金) 03:38
>30
ちゃんと大江光の批判をしている奴がいたのか・・・
いいねぇ坂本龍一。
具体的になんて批判してたの?
他に批判している奴いねえのかな? 持ち上げてるのも誰だろ?
素人が聞いても、広がりのない薄っぺらな曲だと思うもんね。
33名無しさん:2000/03/03(金) 03:41
>30
本多勝一の受け売り?
34大江健三郎については:2000/03/03(金) 04:15
おもしろいつまらない以前に、読み終わるとぐったりつかれて
反動でスナックぼりぼり食いたくなる、という程度の認識しか
ないので、感想は特にない。
大江光については、中野翠が、「大江光が、本当に優れた音楽的
才能を持っていると考えるなら、朝日新聞は社会欄ではなく
芸能欄で彼のことを扱えばよいのだ。そうしないで、持ち上げても
所詮は(お金や環境に)恵まれた障害者のお遊びにしか見えない」
というようなことを書いていた。
御意。
3530:2000/03/04(土) 04:41
本多勝一って同じようなこと書いてるの?
じゃあ少しはまともなところあるね。

坂本龍一のはどっかの雑誌の対談で見ました。
3630:2000/03/04(土) 04:46
大江はどこかの雑誌の対談で
「アジア人同士が英語で話すと、
 お互い上下関係的雰囲気が発生しないので
 英語を世界の公用語にすると良い」
と言ってた。
実際にはアジア人同士の英語のうまいへたによって、
うまい方が西洋人の召使筆頭で
下手な方がダメな召使だという雰囲気が生まれる。
英語なんか西洋崇拝を助長するばかりだ。
37ixion:2000/03/04(土) 12:51
 大江光ってさぁ、俺にまだブンガク幻像があって、イディオ=サヴァン
(白痴的天才)なんつー言葉に惹かれてるときに買って、気合入れて聴いたら
「なんじゃコラ?」だったわ^^; 素人だからわからんのかとか思ってたよ。

>30さん
文脈がわからんがヒデー発言だな、どこぞの馬鹿首相並み(笑)<英語公用語
敬語に気を使う言語の使用者として、とかだったら、多少納得も…
いかないね、やっぱ。
ただ、わざとわからんように書かれたら、わかってやろうとムキに
なってこっちも勉強したりしたので、その意味でのモーティヴェーション
にゃあなったけど。違和感のない文いくら読んでもつまんないし、俺は。
大江は西洋崇拝に異議唱えてるけどねぇ、表面上は…(『最後の小説』
のエッセイのニューアカブーム批判とか)。ほんとはどうかしらん。
38名無しさん:2000/03/04(土) 14:41
大江光ぐらいの音楽、俺でも作れるよ。
ああいうの評価することこそが、障害者差別だよな。
39私も大江わからん:2000/03/05(日) 00:21
>違和感のない文いくら読んでもつまんない
私の場合、森鴎外の文語などは
違和感と美を同時に味わえるのでいいと思いました。
(てゆーか私が馬鹿だから文語に違和感を覚える)
そういう有名ものしか読んでないので、ここでは
馬鹿にされそう……
40ixion:2000/03/05(日) 00:44
何しようと、何読もうと、人にあーだコーダ馬鹿にされる筋合いは
ないっすよ、心配ご無用>39さん
違和感、つーのは、別に小難しいとかじゃなくて、「これは思いつかん
なぁ」とか、単に「なんじゃこりゃ!?」でも良いと思います。
一瞬でも考えさせられれば、それだけで読む価値はあるんじゃない
でしょうか。
最近、大江の戯曲(草稿)よんでみたが、ああいう違和感は…
単なるしらけものだった。
41名無しさん:2000/03/08(水) 13:43
大江健三郎も被差別部落に出自を持つ人なのですか?
ご存知の方、教えてください。
42名無しさん:2000/03/08(水) 23:29
私は障害者が作ったクッキーっておいしく感じます。
道端や近所のダイエーで買うのですが
本当においしいんです。
あたたかさやぬくもりを感じるんです。
健常者がクッキーを作るなどとてもたやすいことなのは
健常者の自分がよく知っています。
目や形、音で表現しきれない「なにか」があるように
思えてなりません。
光さんの音楽が評価されているというのは
「なにか」があるからだと思います。
この「なにか」とは例えば
あたりまえのことに「感謝」できることだったり
「癒し」であったりすると思うのです。
43:2000/03/09(木) 00:39
>42
それを当たり前のものに感じてこそ、差別のない社会だと思うよ、私は。
あなた、「障害者の作ったクッキー」にだけ暖かさがあるってのが、
反対に壁を作ってるって。
44そういえば:2000/03/09(木) 02:07
逆差別って、なんで悪いんだっけ。

そんなにみんな、差別のない世界を望んでるの?
ほんとにほんと?
45>42:2000/03/09(木) 04:41
だからあ、大江さんの音楽に対しては
「やっぱり障害者の方の音楽にはぬくもりがありますね」
っていう言葉で評価してあげればいいんですよ。
評論家なども含めてみんなでね。
46名無しさん:2000/03/09(木) 08:35
44は意外に鋭い見解のようにも思える。
47名無しさん:2000/03/09(木) 11:23
逆差別に際して一言。

のび太のくせに生意気だ。
48名無しさん:2000/03/09(木) 12:05
ボ ボクは思うんだけど、や 山下 清の絵は 障害とは関係なく
う うまいんだな。
で でも 光さんの音楽は 評価できないんだな。
49>48:2000/03/10(金) 01:01
言える。
5044:2000/03/10(金) 02:01
>48
そだね。
少なくとも芸術とでも言えるものの場合、その作者がどうこうって
ことは関係なくあるべきだ。

逆差別とか言い出すべきではなかった。反省。
51名無しさん:2000/03/17(金) 03:50
大江はダメだという結論でこのスレッド終ったようだな
52名無しさん:2000/03/25(土) 07:40
age
53Jf:2000/04/02(日) 13:12
性的人間とかあのあたりの短編はいいね。でも長編は全部駄目。
作文は確かにすごいね。三島もあの年にはかなり書けていたはず。
でもやはり早熟と老成型ってやっぱあるんじゃない?
彼は早熟型だと思う。
書くことがなくなったとき彼は終わったんだよ。
息子のことを書いたのは”営業”。
それにみんな同情して弱者をもちあげるニセモノの自己浄化(catharsis)
なんてちょーげろげろ。
安部公房が死んだから繰り上げ当選のノーベル賞だと思う。
まあ知能指数の高さは認める。
それに安部公房がとってたら医学部出身者初のノーベル賞が
文学賞ということになってたら、
医学部連中の沽券ずたずたになってただろーな(笑)。
これで 文2(川端 大江) 法1(佐藤) 理1(江崎)
になったわけだけど、次は理学部の宇宙論の奴かな。
あんだけ偏差値高くて医学部まだ0(爆)。
なんとか京都のアホどもをリードできそうだ。
54名無しさん:2000/04/02(日) 16:57
私が好きなのは文庫の「死者の奢り」短編が入っているやつ
短編はだいたいが好きです。

大江読んでいる人って少ないのですか?

55大江さんって:2000/04/02(日) 18:09
知能指数高いの?ガリベンってイメージなんだけど
56名無しさん:2000/04/02(日) 22:55
あのね、作家の善し悪しと知能指数は関係ないでしょ。
サリンジャーは104だぞ。(前にニューズウィークに載ってた)
知能指数では文学的な才能なんて測れないしさ。

まあ大江が知能指数の高い人間とは思えないけどね。
57Kの字:2000/04/03(月) 18:51
作家の知能指数と言えば、多分森鴎外あたりは物凄く高いでしょう。
大江は東大受かったんだから低くは無いと思うんですけどね。


>三島もあの年にはかなり書けていたはず。

タイトルは失念しましたが(俺の知能指数も大したことないな)三島
の高校時代の書簡集が出ていましたよね。
異常に巧いです。
58名無しさん:2000/04/07(金) 10:18
>次は理学部の宇宙論の奴かな。
ビッグバン理論を生んだあの東大教授ですか?
あの人は京大卒です。残念でした。
文学部は東大より京大が上だけど、ノーベル文学賞は東大ばっかり。
それには理由がある。ノーベル文学賞は、つまらぬ現代小説に
与えられるが、京大行った人はあまりその方向を目指さない。
日蝕の文体なんて三流だし、高橋和巳なんて小説三流・学術二流。
59名無しさん:2000/04/09(日) 15:56
なんで彼ってノーベル賞とったのかね。
三島や安部でなく。
彼の日本の文壇での評価の低さを考えると不思議だね。
政治的発言で有名だからなのか。
60名無しさん:2000/04/09(日) 16:14
56>作家の善し悪しと知能指数は関係ないでしょ。サリンジャーは104だぞ

そう? ウォーレン・フレンチが書いたサリンジャー論には、15〜16歳頃のデータで111〜115という数字が紹介されてたが…。ちなみに筒井康隆の知能指数は178、ゲーテは185〜200、スタニスワフ・レムは180だそうだ。


61>59:2000/04/09(日) 16:30
日本の文壇は世界的に見てゴミです。
62名無しさん:2000/04/17(月) 01:08
すみません。
普通の平均の知能指数がわからないので、
何ともその比較ができません。一体いくつくらいなのでしょうか?
63名無しさん:2000/04/17(月) 02:04
関係なし。
どんなに知能指数が高くても、個人としてヤワな
タコスケには、まともな作品なんぞ書けません。
64七試算:2000/04/17(月) 16:01
個人としてヤワなタコスケの書いた小説の方が
そうでない奴が書いた小説よりおもしろそうだね。
65Kの字:2000/04/17(月) 17:24
知能指数の測定法自体が何種類かあるそうですが、平均値を100として設定されているそうです。
ただ日本人は世界でも有数の高い平均IQの国で(他は韓国とか台湾とか北欧とかが高いらしい)、110くらいが平均だったと思います。

あとはサーチエンジンで検索して下さい。
66名無しさん:2000/04/17(月) 21:04
アホか。IQなんて文学に何の役に立つか。
日本人のIQは世界最高だぞ。受験勉強してるからな。ガキの頃から。
>60 ゲーテの知能指数が解るわけないだろ。頭が良いのは
わかる。なんてったってドイツのトップ官僚だったからな。
でもやつがすごいのは、突然無断で仕事ほっぽりだしてベネチア
に一年のバカンスに行ったということだ。
キチガイだ。だからしょうせつでもキチガイじみたものを書けたんだ。
犯罪者だぜ、言ってしまえば。
知能指数なんて全く意味を成さない。
EQも関係ない。
犯罪者的性向を持つ人や精神異常者が文才をたまたま保持していれば
それがすなわち大作家になりうる。
っていうと言い過ぎ?
だがそう思うよ。
67名無しさん:2000/04/17(月) 21:23
>66
「人間皆病気」や「文学と悪」って筒井康隆がいいそうなことだけど
それも貧困なイメージのような気が。
68名無しさん:2000/04/17(月) 22:43
筒井康隆が178だってのは、やっぱり自分で自慢しちゃったわけ?
だとしたらイタイな。個人的には計測ミスか嘘だと思いたいね。
69名無しさん:2000/04/18(火) 04:26
私の出身小学校ではIQテストの「予習」をやらされました。
でもってクラス平均なんかも算出してました。
150以上がゾロゾロいました。

少なくともIQってものが全くのタコ助だって知識を得たこと
でIQが0.2くらいのびたかな、あのテストのおかげで(笑
70つーか:2000/04/18(火) 05:16
オーケンの話しろや!
71名無しさん:2000/04/18(火) 06:01
つーかお前がしろ。
72名無しさん:2000/04/18(火) 07:27
>69
150以上がそんなにいたってことは多分テストに問題ありだけどね。
IQテストを実施する会社の中には、わざと値を高くサービスしてくれる所も
あるみたいよ。そのほうが受けがいいしね。

俺も筒井康隆178には疑問だな。どこに書いてあったわけ?
73七試算:2000/04/18(火) 08:25
絵なら知能指数関係ないけど、小説はもろ関係あるでしょ。
74名無しさん:2000/04/18(火) 13:14
知能指数という言葉を出すと技術的問題で話がそれてしまうな。
でも、確かに絶対的な知能の高さを感じさせる作家もいる。
スタニスワフ レムとか、小松左京とか。
だけど情報量の多さと文学的おもしろさってイコールじゃないよね。
本物の天才が書いた「誰にも理解できない作品」なんて読みたい?
75七瀬さん:2000/04/19(水) 13:03
本題からそれますが…66さんの言う通りゲーテのIQ云々は出鱈目です。
これは何とかという三流学者が独自に算出した値で、算出法は以下の通り。

1、百科事典に記されている分量が多い人間を「偉大な人物」として評価の対象とする。
2、評価対象を選んだら、その人たちの過去のエピソードや生い立ちを集める。
3、基準値を100として、後はエピソードや生い立ちに応じてプラスマイナスしていく。
  (なお判断基準はこの学者の独断と偏見に基づく)
例)モーツァルトは幼くして数ヶ国語を話せた…プラス
  シェイクスピアはよくわからない農家の生まれ…マイナス

…お分かりでしょうが、この作業によって算出された数値は本来のIQとは
同じ言葉を用いていても全く異なるものです。だから「ゲーテのIQは…」
「ナポレオンのIQは…」といった、近現代以前の人物のIQに関する記述は
無視してかまわないでしょう。

それにしてもいいかげんな算出法ですな。「科学」と呼べる代物ではありません。
76名無しさん:2000/04/19(水) 14:37
「知能」というものがあってそれを測っているわけではない。

「いいかげんな算出法」でなければ、正確な「知能」を測れる、
というのもマチガイ。そもそもテストを受けていない人物の
知能を語ること自体がナンセンスすぎる。

でもまあ遡及的に語るのはいいんじゃないかな。
「よい小説家を書いているあの人は、知能が高いと言える」
つまり、素晴らしいものを書く前のゲーテをだれも天才と言えない。
知能とは、すなわちそのような「考え方」だ。
77名無しさん:2000/04/19(水) 14:53
オレは大江は嫌いだ。

で、知能が高いと称する皆さんは、そのテストの名称・版くらいは
その数字に添えておかないとおかしいことになるよ。

でもなあ「全国一斉模試」のタグイの方が妥当性高かったりするんだよな。

で、大江の話だっけ。オレは大江は嫌いだ。
78名無しさん:2000/04/20(木) 06:59
自分の小説が出題されてるテストで満点取れないみたいだね。
宮本輝がそれをやって37点?くらいだった。
知能とかじゃないんじゃないのかな。
79名無しさん:2000/04/20(木) 18:12
>で、知能が高いと称する皆さんは、そのテストの名称・版くらいは
その数字に添えておかないとおかしいことになるよ。

そうだよな・・・筒井康隆のなんてかなり怪しいんだけどな。
だいたい彼の数値は誰がいい始めたのよ?
知ってる人いる?それが掲載されてた本なんてあるの?
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