文学板雑談スレ131 [転載禁止]©2ch.net

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918吾輩は名無しである
>>915続き
もっと言えば、破瓜のさい女子は痛みを感じる。男子は初体験で痛みを感じることはなかろう(まあ包茎の方は剥く痛みがあるとか聞いたことがあるが)。
フロイトは女性の冷感症や不感症の多さに気づき、その理由を破瓜に求めて、処女性について論じていたが、その論文内でも、女性の冷感症・不感症はもっと
根深いものとしてあるのではないか、という保留をしている。
これはわたしの観察において、性経験のない女子が、あたかもレイプ被害を受けたかのように、性的なことに強い嫌悪を示すという事例があるのだが、
これがフロイトの保留に相当するだろう。フロイトが治療を失敗したドラも、おそらく性経験のない時点で、性的なものに嫌悪感を覚えていただろう。
おそらくそういった女子は、「母からレイプされた恐怖」や「初潮という苦痛」を根拠に、性的なことを嫌悪していると推測される。

要約すると、、女性は、男性と比べて、発達心理学的な視点で、性的なことについて、快感や喜びを得られず、むしろ恐れや苦痛を伴って成長する、ということである。

フロイトは女性に冷感症や不感症が多く見られることに関心を示したが、結局はそれについてまともな解釈はできずに終わったのだが、このように見ていくと、
女性はむしろ、冷感症や不感症として大人になるのが、健全な発達であるということがわかる。
健全な発達を、なんらかの精神疾患だとして考えるから、当時の精神科医は「ヒステリーの治療は正しいペニスの反復投与だ」などと考えたのだ。
フロイトはそうった文言を引き、それについて疑問を持ちながらも、当時の「ペニスの反復投与」というヒステリー治療の方針に従い、ドラの治療に失敗した。
精神分析は、女性の冷感症や不感症を、精神疾患だと捉えるから、女について「わからなかった」のだ。

女性の冷感症や不感症は、むしろ、健全な発達の結果としてあるのである。