文学板雑談スレ131 [転載禁止]©2ch.net

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915吾輩は名無しである
>>900の続き。ここまでの幼児は男女問わず。男も女も(前精神病でなければ)経る発達である。
ここから男と女にわかれていく。

ざっくりで言うなら。
この「母からレイプされる幼児」が、性関係において能動的、主体的になる過程が、フロイトの男根期であり、個人的な考えだが第二次性徴期の精通という事態も加わって、
性的な能動性や主体性を、快感・喜びとして、男は獲得する。

ちょい詳しく。
男根期において、ペニスという器官を性的なシンボルとして認識した男児は、象徴的な思考で性関係を処理するようになる。
また同時に、自分と同じくペニスを持つ父という自我理想が生じたりする。
このような精神様態において、男児は「自分をレイプしてきた母」を「征服」する。
さらにダメ押しとして、精通という現実的な経験が、この「征服」を裏付ける。
個人的な考えだが、これがユングの言うシンクロニシティのひな形だとわたしは思う。
これまで象徴的なつまり思考実験のようなものでしかなった性関係が、精通という実証により、「征服したもの」として確定する。
このときの「性関係を確証的に征服できた喜び」がシンクロニシティだと。
このようにして、男子は性関係における能動性や主体性を、確証として獲得する。

一方で女は。
男根期において女児は「ペニスになりきれない陰核」しか獲得できない。性関係を象徴的に思考するきっかけが中途半端である。
「自分をレイプする母」を「征服」できない。自分はレイプする母に囚われたままである。ゆえに、父というもう一つのa、自我理想も中途半端にしか成立しない。
さらに第二次性徴期で女性は初潮を迎える。この時期にはすでに女子は陰核がペニスにならないことを知っている。この時点で女子は自我理想をあきらめる。
また初潮とは苦痛を伴うものである。性的な現実的経験を、苦痛とともに味わう。
女子は、性関係について、象徴的に思考できず、それについてなんら確証もなく、苦痛という現実が伴うものとしてしかない。