文学板雑談スレ131 [転載禁止]©2ch.net

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900吾輩は名無しである
>>873の2の話からはじめるか

精神分析においては、性関係とは、後天的に学習するものだと考えている。
幼児が経験する最初の性関係の学習とは、フロイトの言うとおり、子供が母親から授乳されることのような、母との関係性だ。
男にしろ女にしろ、ここで初めて幼児は性関係を学ぶ。
男も女も、子供の頃おっぱい吸ってるときにすでに、童貞も処女も捨ててるんだわ。

わたしはこの事態を、「幼児が母からレイプされる」と表現する。これはラカン理論の−φを強調するためだ。
他の心理学では、この事態を「母子カプセル」「母子の蜜月」と表現し、このときの幼児は欲望が完全に満たされている、と考えている。
これはフロイトもそういう想定で理論を構築していた。
しかし、クラインによって、この時期の幼児は、欲望が完全に満たされているわけではなく、その乳房に攻撃性を持っている、とされた。
この考えを引き継いだラカンは、幼児における母との関係は、欲望が完全に満たされているわけではなく、それをおぞましいものや恐るるものとしている、とした。
これが−φという記号が表す意味である。
「欲望が完全に満たされている」「母子カプセル」「母子の蜜月」をマイナスのついてない小文字のファイφとして、あえてマイナスを付けたわけだ。
この−φの「自分が攻撃したい、おぞましく恐るべき性関係」という意味を、わたしは「レイプ」と表現しているわけだ。

母が子供をレイプすることによって、子供は性関係を学ぶ。

この時期の幼児は男女問わない。幼児にとっては自分をレイプし性関係を教えこむ母親は性的な存在だとなる。
幼児は自分をレイプする恐怖の性的対象として、母を認識する。
ここではそのような説明の仕方をしていないが、これがラカンの設定する鏡像段階に相当する。生後一年半までにこのような精神様態となる。
ラカンはこれを−φという記号で示す。

で、ここから男女にわかれていくんだが、めんどくさいなあ。
というのはフロイトの男根期について、男女共通の本源的なものとして説明しなおしたのが鏡像段階だから。
で、ラカンはファロス悦について愚かなものだとし相手にしていない。
だからめんちい。
>>889がまともに読んでくれないなら意味ないしなあ。