【補遺】文学板雑談スレ129【ほい】 [転載禁止]©2ch.net
579 :
吾輩は名無しである:2015/02/07(土) 21:23:56.65
つまり変に見られたくないということだよね。世間一般的に普通でありたいと
この普通でありたい欲求は女の方が強いと思うねー
レストランでの彼氏の食べ方が普通でないから別れるか迷ってるなんてスレッドももあったよ
普通かんけいなしに事実だからなー
事実の積み重ねの統計的結果が普通なるものであり、統計的結果を先読みしているわけではない、と
この統計結果を妄想して発想をするのがなんつか男の子らしいわーと思う
ある意味女は何も考えずに話しているもんだ
ここでの「何も考えず」とは無意識を閉出してしゃべっているということで
そうだよ(^-^)
弱者という典型的なロールモデルは時空間を越えて採られてきました。
男女を問わず、弱者のなかにある弱さや欠点、不幸を糧に、
相対的強者の支持や関心を集めるという経済活動を行います。
物質的に満たされやすい現代社会において相対的に社会的報酬の希少価値が高まることは想像に難くないでしょう。
モデルのないロールはあり得ません。それが特定の機能を持つ限り、
それぞれの役達は役割を果たすために行為と演技を続けます。
弱者は、タフに、強かに、弱者であろうとするのです。
そして、まさに喘ぎこそは、弱者の象徴として表象するのです。
コモン・センスも、センスよ
とりあえずI am なんとかってボードを持ってupしとけば良いんだろ?
足ふきマットw
>>583 まあなんだその
たとえばジェンダー論なんかは、「男らしさ」や「女らしさ」とは、文化的なものであり、個々人がそれを獲得するのは後天的でしかない
という考え方なんだな
精神分析も、性別については似たような考えをしている
だから「生物学的性別ではなく精神分析による性別」という言い方をみんなするんだな
わたしもよく言うし小笠原晋也も向井雅明もよく言う
だけど、精神分析は、個々人の環境によって、その人の考える「男らしさ」「女らしさ」が決定される、という考えをしているんだな
つまり「男らしさ」「女らしさ」というのが後天的に獲得される幻想のようなものでしかない、というのはジェンダー論と通じるが、
それが社会的なものではなく個人的なものと考える
という考えをしているわけで、という前置き(なげー)をして
どうもこう、コケットリーの子の考える「女性性」というのは、コケットリーにしても
>>579にしても、精神分析の言う男であるんだな
で、思うに、コケットリーの子は、男性的な母親とか姉妹がいるとか、そういった女性と付き合ったかして、
それについて何らかの原因で固着しているように思えるんだよなー
精神分析においては男である母親だとか祖母だとか姉妹とかにいじめられたとか
深い愛情を持っていた恋人の女性が精神分析的な男で、その彼女にこっぴどくふられたとか
そういったトラウマがあったりしねえか、と思った
あるいはただ単にいま付き合ってる女性が精神分析の言う男な人だったりとか
コケットリーの子は精神分析で言う男なのは間違いないが
女も自分と同じ男だ、と思い込んでいるというかねー
まさにこれ
>ただし男の子場合そいつ自身にファロス悦があることが多いので、
>自分のファロス悦を目指す欲望を、「ファロス悦だから下品だ」とする相手に投影している場合も多い
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┗━━━━┛┗━━━━┛┗━━━━┛ (税込213円)
こんなPOPつけてる会社は詐欺罪で潰れればいいのに
あー思うなあそれw
エビフリャアといえば、15年くらい前にJVで一緒になった名古屋人と仕事したことあったのよ
歳がタメだったからすぐ仲良くはなったんだけど、そいつたまに語尾にニャーって付けるんだよ
「疲れたニャー」とか「腹減ったニャー」とか
重度の構ってちゃんなんだろうな、と思って敢えてつっこまずにいたんだけど、たまたまテレビで河村たかしを見てニャーが方言なんだと気づいた
それを踏まえて、「昼はえびふりゃー食べるか?」って誘ったら「えびふりゃーってwwwそんなの名古屋人でも言わんわwww」って笑われた
んじゃ語尾のニャーは何だと訊ねたら、どこでもいっしょのトロの真似をしてたらしい
37にもなって仕事場でトロの真似ってバカかよ
いや、おまえ50かよ…
>>588 それって多分ボーヴォワールだかが言い出したことだよね。つまり女らしさは生物学的に決まってるのではなくて、後天的なものだと、男尊女卑社会の中で女はそう振る舞わざるを得なかったってやつでしょう
女に生まれるのではない女になるのだ、と
でも実感としてそれはちょっと違わないか?と疑っちゃうんだよね
俺の中の何かが違うと囁いているというか
これは実存主義だけどやっぱりフランス現代思想で同根なのかな
なんかラカンとかの現場はやっぱりフェミニストが多いのかなあという感想を持ったんだけど……
ミニハンさんもフェミニストなの?
ちなみにトラウマと呼べるようなものはあったが、それは普通に生きてれば誰もが普通に経験する程度の通過儀礼みたいなもので自分のが特別奇異な体験だったとは思わないけどなあ
596 :
論先生:2015/02/07(土) 22:32:41.85
重大新事実発見かと思ったが591はマルチポストの可能性も高い。
少し検討してみる。
仮に27だと27+15=42となる。
焦らずじっくりな。
ちなみにファロス悦を目指す欲望のあり方が、「相手にもファロス悦はある」とする悦である
だから、ファロス悦とは自慰だとなる
ファロス悦においては相手を欲望すること=自分を欲望することだから
>>588 ラカンも実存主義的だが、ラカンは女を実存的存在であり、男は仮象の生き物だと考えている
この実存的存在としての女が、たとえば「私が欲することを知らない」無意識の主体であったりするわけだ
こういった無意識こそが「欠如の欲望」がみつかりやすい様態だから
>>594 うん、トラウマは特別奇異なものではない
しそういった心的外傷がその後の人の心のあり方を大きく左右するのは事実だと思うよ
男も−φという無意識があるがね
男は実存から遠く離れた生き方をしている人
>>579の「普通でありたい」とか実存的ではなかろう?
だからそれを男の発想だとわたしは言っている
アド街を見た惰性でぴかぴかマンボまでは見るが、美の巨人たちは見ない。
これぞ粋
コケットリーだとか普通でありたがるというのが、実存的ではないあり方であろう
枯淡の域に達しているよなぴかぴかマンボ
実はお前テレ東に仕事貰ってるだろ
そんな身分になりたいものであるw
温泉ものとかいいよなー。
売れない芸人とかあまり気を使う必要もなさそうだし
ラカンって実存主義なのか構造主義のナントカかと思ってたわ
ちともう寝るのであとはお任せしますさよなら(^-^)
女のほうが社会的というか世慣れてるよなー
実存的な女なんか見たことないwどこにいるんだ
あーそうか実存的存在を精神分析的性別で女と定義するとか
いやーもうようわからん俺もねる
しかし、かつて「普通の女の子になりたい」と宣言したキャンディーズや、
「早く人間になりたい」と叫ぶ妖怪人間ベムが
果たして「実存的ではないあり方」なのかは疑問に残る。
普通でありたがる普通の人と、
普通でありたがる普通でない人(この人たちは大概普通であることに「なりそこなう」)
さらに実際は普通なのに自分が普通でないと思(いたが)っている人(結構いる)
またまた全然普通ではないのに自分は普通だと思っている人(これも一定数存在する)
この4つの存在様態は区別されなければならない。
ちなみに普通さを意図的に拒否し、実際にも普通ではない人はあまりいない。
たとえの加齢臭がひどい
いつものこといつものこと
いじめられてはなくても、子供の頃に母親の下着を盗んだことがって、ばれないまま大人になったが、その罪悪感が無意識にあったりとか
こういった場合、母親が去勢する他者にはなる
その子にとって女はファロス的な存在になる
>>606 構造主義は実存主義であるぞよ
レヴィ=ストロースがサルトルと論争したからサルトル=実存主義となってレヴィという構造主義が非実存論だと思われているが
構造主義者もサルトルも実存を求めた学者である
>>607 そもそも歴史的に見て女性は社会に進出できてなかったろう
歴史的に言えば男が社会的だった、男の方が世慣れていた、と言えよう
まあたまにはクレオパトラや卑弥呼なんて社会的な女性もいるが
社会的であることが非実存的であるならば、歴史を見れば男が社会的=非実存的な生き物なのは明らかとなる
男の子はあれだ、ファロス悦を「実存」だと考える場合があると思うんだな
そもそも悦という発想自体が、自分のする欲望を実体のあるものだと思い込ませるための幻想としてある
悦を想定するから自分の欲望には実体があると考えるわけだ
ラカンは、フロイトの男根期やオイディプスという考え方を基に、ファロス悦(を目指す欲望)を仮象だと喝破した
この違いなんじゃないかな
フッサール曰く
人間の心理は数式にあてはまらない!
女も理解不能だ!
ハイデッカー曰く
えー?この先生人見知りなの?
九鬼周造
岩波全集よんでね!
ソルボンヌ大学
フッサール先生うちでひろってあげるから
ムー大陸はうんちしないから仕方ないね
そんな事より天龍源一郎が引退ですよ奥さん
精確に言えば、女は実存を生きているわけではない
男も女も仮象を生きているが、その仮象を比較した場合、女の生きる仮象がより実存的だとしているだけで
大体の男が生きている男根期やオイディプスという構造が、仮象であるゆえ、そういった構造に片足しかつっこんでない(「ペニスになりきれない陰核」)女の方が
あくまで比較的に、仮象にとらわれていない、とするだけ
616 :
論先生:2015/02/07(土) 23:38:26.36
>
577 :吾輩は名無しである:2015/02/07(土) 21:12:43.97 BBAだってセックスするもんだ
たまーにだが
<
なるほど。小笠原先生とそういう関係になってハイテンションになったと。
構造主義の考える構造は、実存主義的に言えば、確かに「仮象の構造」である
精神分析も、臨床を通じて「仮象の構造」を解き明かす学問である
そして、実存とは、仮象を完全に解き明かすしか、目指す方法はないのだ
たとえば仏教は空からの解脱を目指す
この空はまさに仮象である
しかしブッダは言う
「空をよく知ることが、解脱への道だ」と
618 :
論先生:2015/02/07(土) 23:40:28.63
>
子供の頃に母親の下着を盗んだことがって、ばれないまま大人になったが
<
あまりないでしょ。そういうの。ゼロとはいえないが。
意外に知らないんだなあとは思うね。
そんじゃおやすみ♪
>>40の指摘は鋭いのであるが、
>女への暴力の開放と女のその受容本能って予定調和の原理
精神分析はこの予定調和の原理を詳細に解き明かすものだ
そうすることによって、その予定調和から抜けだそうする試みなのである
まさにブッダが「空をよく知ることが、解脱への道だ」としたように
>>615 まあ佐世保や名古屋の殺人ギャルが、
男性の猟奇殺人者にくらべて屈折が少ないように見えるのは
そういうこともあるのかも知れない
>>609 あと原田知世も「時をかける少女」の中で「普通の女の子でいたい」とつぶやいていて
ズキューンとくるよね。
美しきかな昭和
>>620 どっちも1人称が僕や俺だったらしいし、相当こじらせてるだろ
キャンディーズの「普通の女の子になります」というのは、アイドルという欲望の対象であることをやめて
欲望の対象として不確定な「普通の女の子になります」ということであろう
ここがポイントだと思うんだな
ファロス悦というのは「したいセックスをいつでもできること」であったりする
だから、セックスシンボル的な女性は男性からファロス悦を目指す欲望をしていると思われることが多い
キャンディーズの「普通の女の子」というのは、アイドルという性的対象をやめるということであって、
ファロス悦としてある存在をやめます、ということになるであろう
ラカンの考える実存とは、「性関係は存在しない」である
であれば、アイドルと比べて性的対象として不確定な、スラングで言えば非モテな存在になる「普通のなりたい」は、
実存的であろうとすること、となるであろう
>>622 斧少女はひぐらし全盛期だからアニメの影響
ちなみにコケットリーくんが「普通でありたがっている」と妄想したのは、わたしの「BBAでもセックスするよ」というレスについてである
セックスする主体は、「アイドルをやめて普通の女の子になる」という時の「普通の女の子」より、彼の中ではファロス的であろう
ゆえに、彼は、「ファロス悦な存在であろうとすること」を「普通でありたがっている」と考えたわけだ
ちなみに言っておくと、わたしのそのレスは
>>577だが、これは
>>572>>573というレスの続きである
>>572>>573は、わたしの中でセックスということが「演技的」であるということだ
つまり、わたしはセックスを仮象だと感じている、という意味である
これの事実の報告なのだから、
>>577と書いたわけだ
「わたしという一人の女は、セックスを仮象として考えている」という事実の報告である
ラカンの「性関係は存在しない」とは、性関係はすべて仮象である、という意味でもある
このように考えると、キャンディーズのその言葉や、わたしの言葉は、実存的だ、となるわけである
女のセックスなんて基本演技だろ
夜だからヨルダン(゚∀゚)
628 :
吾輩は名無しである:
ラカンは、「剰余」という言葉を経済学批判のアナロジーとして用いているのだろう。
フロイトが物理学用語と並んで経済学用語の比喩を多用したのを踏襲している
といえるが、バタイユと共通の妻がいただけあって、おなじくエロチシズムを経済学批判と結びつけている、
ともいえないことはない。
三島や渋沢のような文学者が見落としていたのは、バタイユのエロチシズムそうした今日的な面ではないか。
しかし、そこをみないと、大して新味があったものでもなかったのだ。
栗本や柄谷、浅田のような経済学畑の出身者は、そこを見落とさなかったわけだ。