【鉛筆さんと】雑談!☆101【消しゴム君】

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797吾輩は名無しである
結局「厚化粧をした女優」を「器官なき身体ではない」と思うドゥルーズガタリの思考回路自体が
「固定化された社会的コード」なわけだよ

だからわたしはアンチ・オイディプスについてはこう述べている。
「バリバリなオイディプス二人が分裂症者をダシにしてアンチ・オイディプスを述べてるだけの
アジテーション本である」
いやまあ分裂症の臨床報告書としてはさまざまな(断片化されてはいるが)症状を上げているので
そういったものとしての価値はあるとは思うが

精神分析派としてはドゥルーズくんガタリくんはまず自分のエディコンをみつめような、としか言えない

ちなみに「厚化粧をした女優」が「器官なき身体」ではなくでありオイディプス制度下のものだとするのは、
ラカン的には間違ってはない
ラカンは女性がする化粧は、自らがファルスになるためのものだとして、つまりはオイディプス制度に自ら
組み込まれるためのものだとしている
ここはラカンもわかっておらんところかと

確かに化粧は男性から好かれるためにやってる女性も多かろうが、逆に現代では女がすっぴんで会社いったり
したら目立つだろ、技術職ですらとやかく言われる
そのために「仕方なく化粧する」って感覚の女性がわたしの周りでは多い
仕方なく化粧することが自らオイディプス制度に加わることになるか?
社会に参加するためではなく、周囲の小言つまり社会性が「邪魔だから」化粧するつまり社会化するという心理は、
自らオイディプス制度に加わることなのか?

ラカンの「女性がする化粧は、自らがファルスになるためのものだ」というのは「ゼミナール」で文章化されており
おそらくガタリもこれを聴講しておっただろう
まったくガタリくんは正統派ラカニアンなのであるよwww

ドゥルージアン、ガタリアンとかオイディプスたちが再生産されてるだけにしか思えない
ほんとにアンチ・オイディプスを実践したければ自殺すれば、と素で思う
ブログでも書いてるよ、ドゥルージアンでぐぐると2つ目に出るwww