ここは総合スレだし、950は文芸誌で読んだ記事に基づいた内容も書き込んでいる。
スレ違いではない。
くだらんと思ったらスルーして話題が変わるのを待つか、
有意義なネタを落として流れを変えるかしてくれ。
>>950
夜蜘蛛はダメダメだろ
群像の創作合評でも酷評されまくってたし
あんな駄作のどこがいいんだ?
創作合評や新人小説月評で酷評されていても、個人的にダメってこともないんだよね
人それぞれで
>>953 夜蜘蛛が単行本になったとき、
現月評担当の田中弥生氏が文學界の書評で小難しく絶賛していた。
見出ししか読まなかったけど、マゾヒズムがどうのと書いてあった。
一年前に読んで何が良かったのかは実は覚えてないな。
ただ、田中氏の描く父と子の関係に、言葉で表現しにくい何かを感じるんだよね。
そうか、創作合評では酷評されていたのか。それ読んでみたい。
タナシンの書いてるおぞましい父親は
いったい何なのか?
共喰いで描かれた父親はおぞましくて解りやすい悪役。
神様のいない日本シリーズの父親はあたたかい。
夜蜘蛛でも共喰いのテーマを引き継いでる感じはあった。
象徴がわかりにくかったけど。
「あの闇の中で蜘蛛とその脚を握り潰してさえおけば、
父は足を失うことも、死を選ぶこともせずにすんだでしょうか」――文學界6月号「夜蜘蛛」の一文
父のしょうもない戦時体験と帰還してからも悪夢にうなされる様は迫力があったし、
責められても仕方がないけど昭和天皇に忠義を果たした(独りよがりかもしれない)生き様が面白かった。
父の体験した凄惨と不条理、それに精神的にも肉体的にも翻弄される息子とその家族。
それでも根本では父個人に愛情を覚える息子に感じ入るものがあったのかな。
まぁ、あと一回は読まないと理解に近づきがたい。
958 :
吾輩は名無しである:2013/05/30(木) 18:09:30.12
バカでも作れるB級品は暴力とセックスと不条理だけだ。
それに思想はいらない教養はいらない世界と人間への洞察はいらない。
その物語の世界は?人間は?なんて考えたってしょうがない。世界は無いし人間もいないんだから。
そこになんにも無いんだよ、バカが作る作り話ってのにはさ。(嗤)
悪の教典とかですね、わかります
>>958 B級品は暴力とセックスと不条理
現代純文学はそういうのばかりでは・・・
961 :
吾輩は名無しである:2013/05/30(木) 18:31:28.10
村上春樹のつくり話の方が何もないw
>>958 じゃあお前も、その「バカでも作れるB級品」を書いて
儲けろやw
964 :
吾輩は名無しである:2013/05/30(木) 19:02:23.37
苦しい反撃乙
966 :
吾輩は名無しである:2013/05/30(木) 19:37:40.95
自白乙。^^
おまえがな^^
作家には二種類あるんだよ。
「B級品作って儲けたい作家」と「A級品しか作りたくないから儲けられない作家」とな。
純文作家は儲けられないのが一般的
B級品以下しか作れなくて売れない純文作家ばかり
創作合評や書評ではたなしんの評価って一貫して低くない?
ワンパターンだから?
そうか?田中弥生がよくたなしん本の書評してるけど評価は低くはなかった。
芥川賞の他に三島賞と川端賞までとって三冠だからね。
自分が読んでみて面白いのとそうでないものの差はあるけど。
共喰いは嫌いw
誰か手元にたなしん作品の創作合評が載ってるのあったらUPして。
尼での評価も本によってバラけていた。
冷静に分析しようや。
なーんだ。
創作合評の面子に羽田圭介がいるのかよw
話にならんw
ワンパターンといったら、村田沙耶香と津村記久子も同じだがな
でも、村田の三島賞受賞作を読んでないけど抜け出たのかな
「夜蜘蛛」のブクログでの反応はまあまあ
http://booklog.jp/item/1/4163817301 創作合評では時代考証でキズがあると批判されてたんだな。
掲載は文学界だったよね。編集者と校生者にも責任があるな。
普通、致命的な間違いがあると、校生の段階でストップが入って
書き直しさせる。本当に間違いがあったのなら、文学界の編集者と、
雇われている校生者には問題がある。
ただ、創作合評では作品の良い面と悪い面をあげているし、
飛び出した意見が絶対というわけでもない。
たとえば、綿矢りさの「ひらいて」を合評されていた時、
保坂は言った。
「綿矢さんがこの作品で一番かきたかったのは同性同士のセックス」
違うだろ!とワロタ。描きたかったシーンの一つではあるだろうけど、
一番だったのではないのでは・・・
保坂が一番おもしろく読んだシーンだっただけだろw
過去のたなしんスレを読んできた。群像の創作合評で、時代背景と文章表現を酷評されていたというわけか。
気になるから、図書館で夜蜘蛛の創作合評掲載号と田中弥生の書評掲載号を借りて読んでみるよ。
群像2012年7月号と文学界2012年12月号だな。
(群像2012年7月号はフジのアナウンサーをはじめとしたデビュー短編競作特集じゃないかw)
創作合評は、けっこうどの作品にも厳しい。
他の芥川賞作家の長編にも容赦なく突っ込みを入れている。おかしい文章があると取り上げて指摘されている。
たなしんスレの住民たちは、たなしんだけでなく他の作家が創作合評されているときとか全体を把握して言ってるのだろうか?
そこで酷評されてるのは田中慎弥に限らないけどね。良いところと悪いところを語り合ってるはず。
2chは悪いとこだけ話題にして、自分で調べていない人たちが鵜呑みにして噂として広まる傾向があるから、自分の目で確かめてくる。
創作合評や他の批評が、作品への絶対評価なん?批評を批評しながら読む目も必要だとおもうが…。
誰が何と言っていようが、自分がおもしろければおもしろい、駄作なら駄作と他人の意見に振り回されないのも大事では。
長文失礼
あの創作合評の欠点はやたらと細かすぎること。
文章にうるさいのは悪くないが、まさに「木を見て森を見ず」
のたとえ通り。作品全体をまともに論じられていない。
まあ、日本の文芸誌の特色だろうね。だから日本の純文学は
盆栽みたいに細かい芸ばかりに秀でたひねこびた作品が多くなる。
外国の小説はもっとおおざっぱだよ。その代わりにスケールが大きい。
ドストエフスキーだってプルーストだって、可笑しな文章いくらも書いてるけど、
作品全体ですごいと評価されてるわけよ。細かいところで揚げ足取りすぎなのが
日本の批評。
群像2012年7月号のデビュー短編競作特集を読みたくて、
去年図書館でかりたが、つまらなくて途中で投げ出して返却したw
創作合評までチェック入れてなかった。
「夜蜘蛛」はさ、「図書準備室」「神様のいない日本シリーズ」と同じ手法だろ、「信頼のおけない語り手」ってやつ
題名の由来はおそらく「日本書紀」だろう、允恭天皇の妃である衣通郎姫が,クモの様子から天皇の来訪を予知する歌がある
我が夫子が 来べき夕なり ささがねの蜘蛛の行い こよい著しも
(私の夫が来るはずの夜だ。蜘蛛の行いが今宵ははっきりと見て取れる)
いやそれよりも「乃木大将」を出しているところから見ても、
漱石の「こころ」の語り直しだろう。漱石の「先生」よりは
かなり深刻。まさしく昭和の精神に殉死したんだろうね。
創作合評借りて読んだ。なんつーか、素直に感動できない人たちかwって。
@歴史面で間違いがあるA文章表現がおかしいだって?
酷評されてると噂を振りまいてる者がいるけど大袈裟だな。あれくらい酷評のうちに入らない。
創作合評では普通。
文学界掲載の田中弥生氏の書評も読んだけど酷評されてなかったぞ。
指摘されてたのはこの程度だった。
@歴史面での間違い
→関川「A氏は昭和十七年生まれなのに、「私のような戦中時代に」と書いているがそれはない。
彼は典型的戦後世代です。」
A文章表現がおかしい
大竹「『お父ちゃんは乃木大将と同じだね、すごいねえ』という言葉はよくわからなかったんです。
またその言葉をA氏は覚えていたのか忘れていたのかも。七五ページでは
「言ったのをよく覚えております」と語っていて、終盤では「遺書を読むまで自分がそんなことを言ったという記憶を、
綺麗になくしておりました。いえ、完全に忘れたのではなく、つまらないがらくたを捨てずに保管しておく」程度の、
どうでもいいことだと思っていたとつづります。
矛盾
大竹「読者がお会いしたいと言ったって、作家は普通断るし、百数十枚にもなるような手紙は受け取らないものだけれど」
「明治帝に殉じた乃木大将になぞらえているが、二人は非常に親しかったうえに、
乃木の方がやや先輩。A氏の父親の場合は、昭和天皇がかけ離れた存在であるだけでなく、
天皇の方が九歳年上だ。まあ、殉死ととりたいんだろうけれども。」
こういうスレは田中の自演ステマ用途にはもってこいで独演だなw
読みたくない人はスルーしてくれ
(1)「夜蜘蛛」田中慎弥 マゾヒズムを越えて 田中弥生
――文学界2012年12月号
テレビドラマ「坂の上の雲」で乃木役の柄本明の目つきが
変な気がしたので不思議に思い、ネットで検索したら、理由
が分かった。「文學界読者」には常識かもしれないが、司馬遼
太郎作品において乃木希典は偉人ではないらしいのだ。……と、
いきなりこんなことを思い出したのは、本書でも「乃木」が重
要な鍵のひとつとなっているからである。
田中慎弥の芥川賞受賞第一作の小説「夜蜘蛛」は、作家の
「私」が登場して老人とのやりとりを説明する以外、ほぼ全編、
老人の手紙になっている。手紙の主な内容は老人の父親の生涯
である。明治四十三年生まれで三度出征した父の人生が、戦中
時代の息子の視点で綴られる。ところどころに夢のような場面
があるのはやはり語り手が息子だからだろう。自分が生まれる
前の父親については伝聞や想像でしか書けない上、戦争という
非日常が狭まったり、母が早く亡くなったりして、父親の連続
性を保証する材料が乏しかったらしく、父親に関する想像が誇
大している様子が窺えるそしてこのことが彼が作家に手紙をを
出した理由になっている。つまり、彼は父の生涯に夢のような
神秘的な何かがあるように感じ、いくつかの場面をつなげれば
映画のように、自分と父の間にある、単なる親子の関係を越え
た、たとえば前世からの因縁といった秘密の文脈が浮かび上が
るような気がしている。だから彼は、作品内容から自分と似た
ものを感じた地元出身の作家「私」に父の生涯を綴った手紙を
読んでもらうことで、父の生涯に自分の感じているものが何で
あるか判じてもらおうとしたのである。
(2)こうして読者は「私」とともに手紙に書かれた老人と彼の父の
人生に触れることになる。一読してまず目につくのは手紙の文体
のさりげない独特さである。冒頭に書いたように、乃木の名が重
要な鍵として登場し、また父親が実行する一種の殉死が、全体の
山場になっている。つまり本書は要素的に見ると、非常に「ここ
ろ」に似た作品である。しかし、実際読むと似ていない。理由は
文体にある。まわりくどいほどの丁寧さで始まり徐々に自分の言
葉にのめり込んで急迫していく文は、七十前後の男性が素朴に事
実を伝えようとして書いた手紙としてはいささか女性的で芝居が
かかり、どこか玄人の語りのような印象があって、漱石ではなく、
谷崎を連想させる。さらに言えば、父親の肉体をじっくりなぞる
ような筆遣いは、端的に父が春琴、息子が佐助の「春琴抄」を感
じさせるのである。
(3)「こころ」であり、なおかつ「春琴抄」。内容と形式のこの複雑
なねじれが、庶民の平凡な人生を語る物語に、読み進めずにはい
られないデモーニッシュで倒錯的な華やぎをもたらしている。これ
までも、「共喰い」や「蛹」、「不意の償い」など、一見個人的で観
念的、男性的な内容を、祭式や演劇を思わせる、どこか女子供向き
の装飾的な様式で語る時、田中の作品はもっとも魅力的になってい
る。本書もまたそうした作品の一つと言えるだろう。一方、手紙の
内容を見ると、もっとも重大なものとして語られるのは、戦場で父
親がふくらはぎに銃弾を受けたという出来事である。これと同じ傷
を持つ老人は田中の他の作品にも登場しており、本作がこれまでの
田中作品同様、下関周辺をトポスとする、ギリシャ悲劇に似た、あ
る部族の一変奏であることを示している。その上で、本作の特徴は、
一族の人間の性質とともに下関という土地の特殊な性質を主題とし
て強く押し出している点だ。たとえば老人の手紙に、子供だった彼
が父の戦争体験を聞いてもらした「乃木大将とおんなじだね」とい
う言葉が父親の運命を決めたという内容が書かれているが、その言
葉が作中で書かれたように、暗い予言として響くのは、言われた人
間が乃木と同じ長州出身のアイデンティティを持ち、かつ乃木につ
いて司馬的な解釈を持っている場合だけだと思う(ちなみに田中の
エッセイには司馬遼太郎について書かれたものがある)。また老人は、
幼い日の自分の中で父と「忠臣蔵」の吉良上野介や「勧進帳」の義
経が重なっていたと語る。一般に悪役である上野介と義経の並置は、
少し不思議で、通常なら意味をなさないように思える。しかし下関
では意味が通る。なぜならそこに壇ノ浦があるからだ。おそらく日
本中でその地でのみ、義経は上野介と同じ、残虐で卑怯な強者にな
る。下関は共通と思われている物語が逆転する特権的な場所のひと
つであり、田中はその地を描く作家なのである。
987 :
吾輩は名無しである:2013/05/31(金) 20:13:55.07
(4)漱石は「坊ちゃん」で長州を批判し、司馬は乃木を批判した。タ
イプの違う二代国民作家の仮想的となったその場所は、政治的に強
者だったがゆえに物語的に排された、日本の中の文学的に呪われた
場所である。手紙の始めに、老人は子供の頃に見た巨大な蜘蛛の記憶
を語り、彼の手紙は、呪われた悪役の地に生まれた人間が、自分を悪
役とする中央の物語に魅せられた場所にたどることになる、ほの昏い
運命を語っている。自分を粛清すべき卑怯な土蜘蛛と見なす側の文脈
に適応したことで、彼は自分が夜の不吉な蜘蛛として殺される日を待
ち望む人間になり、その結果、父親に対する残酷な死の宣告者にさえ
なってしまう。そういえば旭日旗の意匠は二匹の異なった蜘蛛に似て
いる……というのは今私が思いついたこじつけだが、最後は自死に至
るしかない彼らのマゾヒズムの悲劇を描きつつ、田中はそれを手紙と
し、その外に作家の「私」を出すことで、もう一度物語を逆転させる
ための足場を作品の中に作り出している。親世代の物語に共感しつつ、
夜蜘蛛の糸を同じように紡ぐためではなく、夜蜘蛛を殺すためでもな
く、蜘蛛を見極め、次の朝を迎えるために言葉を使う。だからこそ蜘
蛛を描き続ける。新しい段階に向けての宣言とも思える、静かな気合
のこもった一冊だ。
田中弥生じしん「今私が思いついたこじつけだが」と言ってるんだね。
そこまでよいしょする理由がわからん。
たなしんの作品はつまらないし、本人も自意識過剰で嫌い
貰っといてやるとか言った後に、テレビで馬鹿な発言で本売れたとか言うし
人間性としても最低
受賞作後は、作品も売れてないし
掌劇場は10万部刷って動いたのは5千部程だったそうだし
もうこの人は終わりじゃないかな
賞も新潮系ばっかだし、芥川は円城と対照的な経歴で面白いから
朝吹の時の西村と同じで抱き合わせポジションで受賞でしょ
>新しい段階に向けての宣言
ようわからんが、田中弥生がそう言うのなら、そうなのだろう。
「蛹」のラストでも、「ただでは終わらないでやる!」という強い意思を含んでいて、
その通りになった。
たなしんは次の段階に進む前触れだ。
「今私が思いついたこじつけだが」
ユーモアがあるじゃん
羽田ごときでも、語っている。
「様々な解釈をめぐらせてみる楽しさがあるという感じ」
正解を求めすぎ。
どうでもいいよ田中なんて
それより最近文芸誌でプッシュされまくってる舞城はどうよ?
田中慎弥スレでやればいいのに、この流ずっと続くの?
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309977928/ 文藝 2013年夏季号
【特集】舞城王太郎
[グラビア]
The Book to Come
[翻訳]
「スーパーマン、我が息子」
トム・ジョーンズ=著
[特別収録]
巨神兵東京に現る
[エッセイ]
岸本佐知子 「死ねない夏」
栗山千明 「圧倒的な『暴力』と『愛』の世界」
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浅野智哉
他ジャンルを「乗っ取る」魅惑的な才能??小説以外の異業種コラボ作品群
はいはい次の芥川は舞城ね
舞城もどうでもいいよ。来月号群像の創作合評で、
朝ブッキの駄作がどう持ち上げられるのか冷やかしで読むのが楽しみだ
担当者たちの気苦労に乙
そろそろ田中の話題に偏るのはやめにしよう。
つか、次スレ要る?
要るなら立てるよ。
plz
河出関係のステマが激しくて悪質
ステマの温床になるからやめようか
まあ、憎まれ口書き込んではいるが、
一応は売れなくてつまらない五代純文学誌を応援する気持ちで存在するスレだから、
文芸誌に限定して、関係者の宣伝は大目に見るがw
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。