☆★☆★ドストエフスキー☆★☆★Part38

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10吾輩は名無しである
前スレで、ドストエフスキーの「アンカレ」評価の話が出たので、参考までに中村健之助がドストの
トルストイ評価を考察した「ドストエフスキー・ノート9アンナ・カレーニナをめぐって」からの抜粋UP。

「…ドストエフスキーが激賞するのは、『アンナ・カレーニナ』第四編第十七節、産褥熱で生死の間を
さまようアンナの熱に浮かされた願いによって、“寝取られ亭主”のカレーニンと情夫ヴロンスキーが
手を取り合い涙を浮かべて和解する場面である。…彼はこの場面に“人間愛”の発露を見、“みんなが
兄弟となる”未来の人間関係の予兆を認める。…こういう『アンナ・カレーニナ』解釈であったから、
やがてその最終編第八編が発表になると、ドストエフスキーは、半年前には“心の清らかな”と讃えた
レーヴィンを、今度は罵倒し始めるのである。
こと新しげに言うまでもなく、ユートピアンとナロードの合体がドストエフスキーの思想の柱である。
当然ドストエフスキーは、レーヴィンを一例とする“新しい人々”が“兄弟的連帯”を保持している
ロシアのナロードと手を繋ぐべきだと考えていた。いま異教徒トルコ人に“虐待”されているバルカンの
正教徒同胞を“救出”する露土戦争は、“兄弟的連帯”の心情によって動くナロードの意向と合致する
“聖戦”であるはずなのである。
ところが、そのナロードの意を真っ先に理解すべき“心の清らかなレーヴィン”が、そんな戦争に
ナロードは全く関心がないのだ、と言い出した。…怒ったドストエフスキーは、いかにレーヴィンが
百姓といっしょに汗を流して草を刈り荷馬車を引いて働こうと、それは旦那衆の“おあそび”にすぎないと
極めつけ、作者トルストイを批判する言葉を蜒々と書き連ねる。…彼は、“心の清らかなレーヴィン”を
今度は“のぼせあがったヒポコンデリー患者”と罵る。
のちにトルストイがゴーリキーに、『ドストエフスキーは実にたくさんのことを感じた人だったが、
考える方はだめだった。…』と語ったのには、このようないきさつがあった。」