【モンブラン】 雑談スレ79 【くりごはん】

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929レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc
オイディプスとアンティゴネーの父娘(兄妹でもある)の悲劇ののちに、
パックス・ロマーナがくる。これを、ポリスの法とオイコスの法の、いわば、ヘーゲル的「止揚」とするか、
ニーチェ・ハイデガー的に「没落」とするかは、実はどうでもよいと思われる。
肝心なのは、のちには、ローマの法状態においてしか正義の余地はなかった、
というのが「現実」だったことである。
Uさんは、正義(善行)の余地を、パックス・アメリカーナにおける脱構築的な「再解釈」にみているわけで、これには深く賛同するものだ。

フーコーは大体だがこういうことをいっている。
「自由とは、なにか生きづらい感じを抱いたとき、その生きづらさを与えているものごとを、変える余地がある、ということです」
これを、実存の美学ということがあった。