☆★☆★ドストエフスキー☆★☆★Part37

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あーいいや、もう簡単に携帯から書いちゃおっと。

前スレで「白痴」中の日本人のハラキリについての知識を、ドストエフスキーはどこから入手したのか、という
話題が出たので気になって調べてた。

詳しい年表調べてみたら、ドストに日本人の事教えたのは作家ゴンチャロフ本人でほぼ間違いないと思う。

「白痴」は1867年の9月から、ドストの外国旅行中に起稿されてるんだけど、その旅行中の7・8月に
ゴンチャロフとドストはバーデン・バーデンで交流してるんだよね。

「白痴」に日本人のハラキリのエピソードが出てくるのは第1編のラストで、時期的に見てその年の夏に
ゴンチャロフから聞いた話の記憶が、構想中の作品に反映されたとみてもおかしくないかと。
168続き:2012/09/06(木) 06:14:18.82
作家ゴンチャロフは、1853年に日本(長崎)にプチャーチン提督の秘書官として来日した経験があって、
その開国交渉の折りに、日本側の代表である川路聖謨らとかなり親しく交流している。
ロシア帰国後の1858年に、その経験を元に「フリゲート艦パラルダ号」を刊行。
(抄訳は『ゴンチャローフ日本渡航記』)

ただし、『ゴンチャローフ日本渡航記』には、日本人のハラキリの習慣について簡潔に触れた
箇所はあっても、「白痴」に出てきたような日本人独特の名誉観と絡めた説明はなかった。

でも、ゴンチャロフ本人なら日本人について他にもいろいろ知識を持っていたはずだし、ドストはゴンチャロフとの
会話の中で、未知の国への好奇心からゴンチャロフに日本という国や日本人という人種について聞いたんじゃ
ないだろうか。

だとすると思っていた以上に、ドストエフスキーは日本という国と日本人について具体的かつ現実的な
知識を得ていたのかも知れないな。