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吾輩は名無しである:
あーきょうもちかれた
あれー、論ちゃんもうねちゃったの
いつだったか福恒の芸術論三部作というのをあげてもらったから
きょうはジョナサンでだーっと藝術とはなにかをよんでみた
これまでのポリシーとして腐してお利口そうにするのは自ら禁じ手にしてたので
今回もその線でお読書感想文ね
(わざわざこう書いてしまうのはこの床屋の親父の話みたいなエッセイ突っ込み満載だからでふ)
ぼくは福田恒存が“生命の根源”というのをはっきり説明してくれれば
藝術が文明(福田の場合は西欧近代だな)に牽制されつつ文明のほうも規正するってのはOK
先生、そうですよねって相槌は打てる
大きな力と合わさってこそホンモノっすよね(でもぼくごときにはそれ、みえませんけど)
ただ、藝術の危機は社会の危機みたいな
実社会とのかかわりの中で“趣味”である藝術の効用を説きたがって
あまりにも倫理化するのにはついていけない
(あれ、ケチつけちゃったよ、ごめん。)
でも、それは福田先生のいいところでもあるのだろうね
「だってよ、実際、社会のなかで演って観られてナンボだろよ」
ってな演劇の現場感覚があんだろうね
(ちなみに先生は教養あるからギリシャ劇をメチャクチャ規範にしてまふ。
おいおいあんたはどこの国の人だ?)
だからそういう感覚を共有していないぼくの様な読者には?であっても
実感というか鼻息は確かにビシビシ感じられる評論ではあった
マスコミ論とかスポーツ論にひょっとすっ飛んでくとこも
なんか、いちいち理屈に構ってられっかみたいな
熱い親父の血潮が感じられてかわいかったです、まる