毎秒24コマのフィルムひとコマに撮影された画が毎秒60フィールドのVTRに記録される画よりも
情報量が多いというのは本当です。ただ、現実の茶の間で再生するのはどっちみちビデオのフォーマットですし、劇場で上映するプリントや
データもその時その時の最上のものでしかありませんから理屈上の比較はあまり意味が
ないかもしれません。印象は、単に見た感じの鮮明さにかかわるモンダイです。
人が動画からどれほどの意味情報を読み取ることができるか、これは紙に刷られた
文字文章を読むのとも似ていますけれど、何を見て育ったか、どんなコンテンツを好んで
観るか、どこに意識を集中して視るか、こうした一人ひとりの経験で相当な違いが
出るものではないでしょうか。わたくしなんかは毎日々々政治家だの大小役人だの
、会社重役や人殺しやドロボーなんかが
手を振ったり歩いたり、立ったり座ったり引き摺られていく画ばかり見て働いてます
から、目玉もオツムもアナウンサーや記者が原稿を読むのに合わせた、のんびりした速度
でしか働きません。運動選手の瞬間の妙技や空飛ぶ玉に目をこらす人、劇映画の
流れを追う人、お花や景色、野生の生物ばかり扱う人、演説や話芸、裸のオンナばかり
追う人、群舞や合奏を繋ぐ人が注意して見るのとは目のつけどころ頭の働かせ方も
自ずから違ってきます。
さて、ガス人間第一号のエンディングの炎と、QuadoroFXとかを通して素材屋さんに作って
もらったファイヤーボールとを、音を絞って画だけぼんやり眺めたとします。少なくとも
わたくしというひとりの昭和のオジサンが白面で較べるとき、二つの画には火炎の
確からしさにおいて相当の差を感じるのではないかと思います。(実際にマナコを
凝らして比較したのじゃない、ですからヨタとして読んでいただかないと困りますよ)。
でも、まったく同じものを、ゲームと漫画とSFアクション映画に首までどっぷり浸かって
十数年育ったうちの坊主に見せたら、どっちだって構わないよ火は火だよ馬鹿だなあと
言うでしょう。欠落した情報を脳味噌で補って見たいものを見るという力では、
コイツのほうがわたくしより遥かに勝っています。奴にとっては当たり前なんでしょうけど。じつにじつに癪なはなしです。