【ぼくらの】 田中慎弥5 【たなしん】

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7吾輩は名無しである
戦後、物書きのほとんどが「戦犯」扱いされて書き手資源が枯渇してしまい、
なんでもいいから天才だ神童だともてはやして紙面を飾らせた時期があった。
で、あんなのでも「作家」なら、と勘違いした連中までもが粗製濫造のブンガクをやりだして、
それがまた紙面に踊るものだから目も当てられん。
これを自由な雰囲気が産んだ百花繚乱だと言うような連中は文学そのものがわかってない。

ただ、このときはすぐに本物の作家達が帰ってきたから、
文学全体の質の低下は最小限に押さえられた(それでも相当下がったとは思うが)。
ところが今起きてるのは書ける人が書けないゆえの相対的枯渇ではなく、
書く人読む人の絶対的な枯渇である。

まず国語の教科書が駄目だ。
玉石混淆の現代作家を読まされていては本当の文学に触れる機会が減ってしまい、
明確な基準が形成されない。だからいつまでたっても何が名作でどれが駄作かわからない。
そのまま大人になって編集者になっても同じ。
伯楽なんざ夢のまた夢、千里馬など見いだされることもない。
と、この比喩の意味するところも理解できない。出典も知らない。
それでも編集者になれるし、作家にもなれる。

で、ガキの作文を新鮮だと驚いてみたり、抜けてない駄文を重厚だと絶賛したり。
実に本物の才能にとってはやりきれない世界だが、それでも、あんなのが芥川賞なら私でも、
と勘違いした連中の参入は続き、また勘違いを見抜く編集者もいないから、
文学の空洞化は止まらない。

もう芥川賞はやめるべきだ。
年に2人も天才は出てこないって。
駄作に賞のお墨付きを与えて売ることがどれくらいマーケットを狭めているか。
わかっているけどやめられないのは重々承知しているが、
それでも、これ以上文学を貶めるのはやめて欲しい。