デリダとドゥルーズV 文学との関係を中心に

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36吾輩は名無しである
 ここはDerridaのことも言うスレなんで言うと、やっぱりDerridaも、あれはHeideggerに
影響受けてとか、方法を受け継いで、とか言われてるけども、Heideggerの根幹、個体の不自由
さ、覆蔵される歴史、とか、それが呼び掛ける場が現有なわけだけど、初期の「差延」とか一生懸命
というと変だけど、Heideggerのいう、その有 sein の概念を打ち消そう打ち消そうと
頑張ってるみたいで、というのは無意識とかは事後的なものよと言っちゃうわけですね。そっくり
同じことをその後、日本の批評家がそっくり言ってた記憶がありますが。また、かつて現前
したことはなく、これからも現前することはない。それが無意識だと言っている。或いは個体の動
力はそうだと。これはHeidegger思想の骨抜きにしかならないと思います。無意識とは
Heideggerの場合は言わないが、それでも骨抜きになると思う。これもまた、個体というのが
身軽になり、自由自在であることを理論上は可能になる、トリックだと思います。だからDerrida
というのはHeideggerから影響を受けて云々と言われてるけど、しかし骨抜きにもした張本人
だと思う。だから私はDerridaの思想は嫌いだし、実は根本的にはHeideggerとは無関係だと
思います。