デリダとドゥルーズV 文学との関係を中心に

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221吾輩は名無しである
 どうも僕ばっかり喋って申し訳ないんですが、もう一つどうしても言っておきたいこと
があります。一人の人間には、誰に言われたわけでもない、しかし身につけてしまった
情態や、嗜好、好き嫌い、また倫理というのがある、と思うんです。HeideggerがSorge
(気がかり)として、seinが世界を招来、また将来化する重要に要因に数えていると思う
んですが。〈世界‐有限‐単独化〉の動態として事物や物象とも関わっていく。一人の人間に
は何故か、何かが気にかかる、また気にかからない、ていうのが有限性として織り込まれ
ている。それはどうしようもない性質で、人間のちっぽけさや卑小さをも表していると
思える。しかし、人間とはそううものだ、というまあ思いがあるんです。そういうところか
らDerridaなりDeleuzeの思想を眺めてみると、やはりそこで描かれる人間像というの
が、軽業師のような自由自在を獲得できているようで、血や肉体や好き嫌いを持った人
間に見えない、ていうのがあります。面白いんだけど、でもどうしてもこの批判は出てく
る。それだけ言っておきたかった。文句ばっかりになって申し訳ない。