デリダとドゥルーズV 文学との関係を中心に

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 手元にDeleuze関連の著書がD=Gとして書いた『千のプラトー』と、研究冊子の『KAWADE 道の
手帖 ドウルーズ』しかないのでそれを読んでたんですが。冊子の方に研究者の座談会があって、
そこで萱野稔人がベルクソンの『物質と記憶』が与えた影響を簡潔に語っている箇所を見つけまし
た。ちょっと抜粋してみます。人間が何かを口に入れても、食べられるものか否かを瞬時に識別
できることを例として出しながら、以下のように続けています。

《このようにあらゆる物質は、有機体もふくめて、特定の差異を感知する能力によってなりたって
いる。そうした能力のもとになっているものをベルクソンは記憶と呼ぶわけです。だから物質と
記憶となる。で、ドウルーズはその記憶を潜在的な過去としてとらえるわけですね。つまり、差異
を感知するさまざまな能力を、それこそ個々の物質へと差異化しながら生み出していくものとし
て、潜在的な過去を位置づけるわけです。これが先に言った、差異化の運動としての持続とむすび
つく。だから記憶とは、鉄球とか人間の身体とかなんでもいいですけど、世界にあるさまざまな
物質をなりたたせ、存在させる潜在的な原理なわけです。そしてその記憶は、物質が存在している
あいだはつねに呼び出され、現動化され、反復されなければならない。言い換えるなら、差異化のは
たらきが時間をつうじてつねに回帰してくる。まさに差異と反復ですね。》(p.73)