自我を「記憶の時系列的な一貫性」とするのはフロイト的精神分析とはちょっと違うんだな
むしろ哲学発祥の意識主義的心理学の話
「パーフェクトブルー」で主人公と競演した先輩の女優が語る「自我」もそういうもので、
フロイト発祥の精神分析学の文脈ではなかった
いや「今敏が心理学の本読んでるのは明らかだろ」みたいな話したことがあるので自分勝手に補注しておく
「パーフェクトブルー」なんかは、「清純派アイドルの自分」と「汚れ役もやれる女優の自分」って自我のズレが
きっかけに、主人公の自我同一性が拡散していく話である、ってこったな
「自我」=「記憶の時系列的な一貫性」とするのは間違いではないが、象徴的側面にすぎない
「自我」=「他者を基にした想像的なもの」という想像的側面も語られねばならない
「パーフェクトブルー」は両方描けている
ってこの点だけなら意外とハリウッド映画とかでも描けていたりするが