その内私は女になった。女の場合はもっとすごい。
女の子と「少女」よりもっともっと混同されているのだ。
出版物や社会組織を成り立たせている言説に出てくる「女」はどうやら大抵女の子の成長後ではなくて「少女」の成長後のことらしい。文学に出てくるのも、哲学に出てくるのも。
私は「女」ごっこをする女になった。
「女」の仮装をする女になった。
「女」は「少女」程素敵ではないのだが、やはり高度に抽象的な美しい概念だ。
そしてなにより、「少女」でなくても女の子はなんとか上手くやっていけるかもしれないが、大抵「女」じゃないと女は上手くやっていけないのだ。
能力(仕事、学力、趣味、なんでも)が高い女がいても、「女」度が低いと減点される。
「女」度が高くても、能力が低ければとてもよく利用される。
両方ちゃんとできてやっと一人前だ。
二階堂奥歯のこの文章がわからない女は生物学的に女であっても男だと思えるんだよなあ
つくだににはこの感覚がないから生物学的に女だったとしても心理的には男だと思う
治美なんかもこの「混同されている」(主観的)事実を単純に「イデア」に回収しているところは男性的だと思った
マンコついてるならそんな簡単に「イデア! イデア!」とか言えないと思うんだけどな
逆に簡単に言いすぎているなら女っぽいが
「イデアに対する真摯さ」があるところが男性的だった、ってことか
女は基本的に「イデアに対する真摯さ」は希薄だと思うよ、鍵君がモナコ王子とか眞子様とか写真うpしていたような
力説する心理が希薄かと
まあ鍵君あたりは「イデアに対する真摯さがない女性」を綿矢とかって個人に投影しているのだろうが
「女は美しさに執着する」って言うが、それは「美に執着する男に対して執着している」のであって、自分が美に
執着しているわけではない
間接的なんだよな、美や善や共同幻想とかってイデアに対し
ニッパもここがわかってないと思う
マグナはつくだにを「体育会系」と評したが、ニッパもそうじゃねえか?
なのでニッパもマンコがついていたとしても男性的だなあと思う
むしろ論やジャネットやマグナの方が「女々しい」なwww