ここで補足しておこう。
俺は何度も書いているように、龍樹が批判した説一切有部の立場だ。
どういうことか?
たとえば完全な空とは不因不果である。原因も結果もない。
龍樹が若い時に宮廷の女中をレイプして王様に殺されそうになったのも不因不果である。
つまり「龍樹が宮廷の女中をレイプした」ことと「王様に殺されそうになった」のも、その間に「雨が降れば桶屋が儲かる」的な
過程がある、ということだ。
「因果応報」などと言うが、あれは中観から見れば「邪(迷い・煩悩)」である。
しかしそう一概に言えるか?
ここで西洋数学の有効な反論がある。
それは数学のデルタだ。微分のあれだ。
それはゼロに限りになく等しいが、それが積み重なることで関数が成立する。
これは「空はあるでもないでもない」に近しいが、不因不果は、デルタが存在しないことになる。
ここが空論の弱点であろう。
確かに人間は「因果」に惑わされて理論を見失う。物理学が更新してきた憶見(古典物理など)などはすべて「本末転倒」
「因果の逆転」が原因になっている。
しかしそれは人空でしか成立しない原理ではないのいか、不因不果とは。
それは物理と心理の差異でしかないのではないか。
物理、法空には因果があるのではないか。
こういった立場で俺は龍樹が批判した説一切有部だ。
龍樹とケンカしてえええ。