ヨハネ1:1でも、多くの聖書が新世界訳と同趣旨に訳しています。古い聖書の一部を引用します。
1808年: 「そして、言葉は神[a god]であった」 新約聖書改訂版。
1864年: 「そして、言葉は神[a god]であった」。ベンジャミン・ウィルソンによるエンファティック・ダイアグロット訳。
なお、ものみの塔行間逐語訳は、翻訳というよりも一語一語の直訳の集積です。その結果、英文法的に不完全で、且つ内容も必ずしも文脈を正確に反映するものではありません。あくまでもギリシャ語の一つ一つの単語の意味を理解するのに活用されるものです。
行間逐語訳聖書が正確で、通常版が不正確であるという批判は論評するに値しないと思っています。
要するに、新世界訳聖書批判に共通するのは、物事を断片的にとらえ、多面的視点に著しく欠如しているということなのです。この種の批評は、少なくとも文学の世界では稚拙とみなされます。
なお、godと訳したからと言って決して三位一体論(別人格である神とキリストが同等、つまり一つの神として存在しているという理論)を証明するものではありません。
つまり、三位一体論者にとっては、訳出としてgodが好ましく、三位一定否定論者にとっては、godでもa godでもどちらでも自説を説明できるのです。
知恵ノート
http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_note.php?writer=politeness00