キリスト教文学とエホバの証人

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394minor planet
Yahoo Answers(知恵袋の英語版)を見ていますと、新世界訳聖書の主な批判は、ヨハネ1:1の訳出部分です。新世界訳は次のように訳出しています。
(John 1:1) In [the] beginning the Word was, and the Word was with God, and the Word was a god.
(ヨハネ 1:1) 初めに言葉がおり,言葉は神と共におり,言葉は神であった。

「言葉」はイエスキリストのことです。この最後のgodに不定冠詞a が付いていますが、元のギリシャ語には不定冠詞がないことが批判されています。
日本人には理解しにくい部分ですが、god=神、a god=神のような存在or神々の一つ というイメージです。
三位一体論者にとっては、キリストは神そのものなので、不定冠詞を嫌うのです。
確かに直訳すれば、godです。ものみの塔行間逐語訳聖書もそのように訳出しています。

しかし、コイネー・ギリシャ語には定冠詞(英語の“the”[「その」の意])がありますが、不定冠詞(英語の“a”[「一つの」の意])はありません。
したがって、叙述名詞の前に定冠詞が付いていない場合、その名詞の意味はあいまいで、文脈によって左右されることがあります。つまり、直訳することも、不定冠詞 a を挿入することもいずれも可能なのです。
同様の構文で、不定冠詞 a を挿入している例は幾つもあります。新世界訳と同じく字義訳であるジェームズ王欽定訳から引用します。
マルコ6:49 a spirit(霊)  11:32 a prophet(預言者)  ヨハネ4:19 a prophet(預言者)  6:70 a devil(悪魔)  8:44 a murderer(殺人者)  
8:44 a liar(偽り者)  9:17 a prophet(預言者)  10:1 a thief(盗人)  10:13 an hireling(雇い人)  10:33 a man(人間)  12:6 a thief(盗人)
395minor planet:2012/10/22(月) 11:39:41.80
ヨハネ1:1でも、多くの聖書が新世界訳と同趣旨に訳しています。古い聖書の一部を引用します。
1808年: 「そして、言葉は神[a god]であった」 新約聖書改訂版。
1864年: 「そして、言葉は神[a god]であった」。ベンジャミン・ウィルソンによるエンファティック・ダイアグロット訳。

なお、ものみの塔行間逐語訳は、翻訳というよりも一語一語の直訳の集積です。その結果、英文法的に不完全で、且つ内容も必ずしも文脈を正確に反映するものではありません。あくまでもギリシャ語の一つ一つの単語の意味を理解するのに活用されるものです。
行間逐語訳聖書が正確で、通常版が不正確であるという批判は論評するに値しないと思っています。

要するに、新世界訳聖書批判に共通するのは、物事を断片的にとらえ、多面的視点に著しく欠如しているということなのです。この種の批評は、少なくとも文学の世界では稚拙とみなされます。

なお、godと訳したからと言って決して三位一体論(別人格である神とキリストが同等、つまり一つの神として存在しているという理論)を証明するものではありません。
つまり、三位一体論者にとっては、訳出としてgodが好ましく、三位一定否定論者にとっては、godでもa godでもどちらでも自説を説明できるのです。

知恵ノート
http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_note.php?writer=politeness00