わかりますと平野本人が発言したわけではないが、
殺された被害者の母親が発狂するプロセスを
心理描写を交えながら「わかったように」
描いてる。
>文学はジャーナリズムとは違う。小説を書くということには皮膚感覚
>から始まるものがある。ひとりの人間の生活を描くところから出発して、どこかで人間一般に関わる表現に
>到達するものだと思います。
うーん、たとえばルポルタージュとかはまさにそういうものだと思いますが…。
ガリバー旅行記だって虚構とはいえジャーナリスティックな手法を使って社会風刺を行っているわけで。
そういう意味では小説には情報性や編集性が出てくるんじゃないんですかね?
ただし、それはあくまで私観(小説)に留まる、というだけの話であって…。
平野本人の感覚が捉えた現実を材料にしてるんじゃなくて、
飽くまで他人の書いたものや話したことが材料。
読書体験こそが彼の全てなんだよ
まあ、それでも構わないんですけどね。
それだといくら他者を描こうとしても自分語りに終わるだけですね。
むろん、この“自分”も批評的に構造化されるものなので、
そんなのは大江健三郎が80年代にやりつくしたことなんですよ。
おぉ、なんか面白い流れになってんな。
まぁだけど、自分の実体験に優るものはないよ。
読書体験も無意味とは言わないけど、やっぱり作者のフィルターが入ってるからちょっと落ちるよな。
本当に血の通った文章を書きたかったら、やっぱり自分で体験しないと。
854 :
吾輩は名無しである:2012/05/05(土) 00:56:31.02
簡単な話、平野は三人称をものに出来てないんだよ
決壊において唯一リアルだったのは、
犯人にしたてあげられたエリート官僚の苦悩だ。
頭脳優秀で器用で女にもモテるし複数と付き合ってるが、どこか空虚。
あの人物設定は本筋とは関係ないが、あれこそ平野本人の苦悩だろ。
あれに真正面から対峙し、突き詰めればいいのに。
七十年代以降の生まれだと、そりゃ戦後すぐの世代の体験の濃密さに比べれば、平均的には薄くなるだろ
それはしょうがないのだが、
問題はこいつが言うところの皮膚感覚がどれだけ鋭いか、だろうな
それが平凡。
かつ刺激情報を生で受け止める強さや器に欠けるから、
他人の作品や発言を間に挟もうとするんだろ。しかも過剰な文体で装飾しようとする。
早い話が鈍くて弱いんだよ。
顔に現れてる。