ジェンダーとセクシュアリティのいくつか

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1吾輩は名無しである
フーコー、バトラー、ボーヴィワール、のあたりの話
男女の性差、同性愛、フェミニスムなどについて、
それにまつわる文学や芸術について分析、議論などなど
2吾輩は名無しである:2012/03/02(金) 06:35:13.94
2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。

三島由紀夫が生きていたら、『禁色』の絶世の美青年・南悠一を
俺をモデルにして書き直すコトは絶対に間違え無いだろうゼッ!
そして俺の前に跪いて泪ながらに求愛するは必定なのサッ!!
勿論、言下に断ってやるゼッ!! 
どんなに哀願しても無駄なのサッ!!
アイツは腋臭が超ヒデエからナッ!!!!
分かったナッ!!!!!!!

『春の雪』の映画化だって断然オレを主役に決定してただろうしサッ!!!
3吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 04:55:24.76
ナッちゃん、素敵〜!
4吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 17:45:57.09
キリスト教では、フェラチオは罪なのですか?
マジレス希望

中3女子より
5レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/04(日) 18:06:54.05
聖書では、生殖を目的にしない射精が禁止されているということでしょうから、
彼に出させないかぎりフェラは悪くないでしょう。つまりイキそうになったようなら、すばやくハメさせてしまえばいいわけです。
ただし、避妊は罪になるでしょう。
6吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 20:53:00.12
アランの幸福論でも
7レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/05(月) 22:56:35.93
バトラーも、「ジェンダー・トラブル」あたりでは、性にかかわる「自然」な事実のように思われてきたものは、
政治的・経済的・社会的、その他、の自覚的または無自覚的な利害的関心に基づくところの言説の上に「作られてきた」ものだ、
というような、ごく当たり前のフェミ構成主義的な主張が一貫してあったと思う。
さらに、「ジェンダー」ではなく、いわゆる「セックス」のほうも、いわば歴史社会的な構築物だという主張があっただろう。
生物学的な概念であり、したがって、「自然」な事実であるかのような「セックス」にしても、
「ジェンダー」なる歴史的文化装置の「産物」であって、これは、もっと乱暴に言ってしまうと、「セックス」とはつまり、
「ジェンダー」に含まれるものだ、ということになる。こういう場合、よく知られているが、「ジェンダー」は、
自由に選択できるものだというありがちな考え方にいたりやすい。
8レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/05(月) 22:59:35.85
それが「ボディーズ・ザット・マター」では、「セックス」というものの、いうなれば即物性、それに着目しなおして、
こういうものが「ジェンダー」のいわば付属物ではない、独自の構成仕方を以て作られるものだ、
という考え方にシフトしているように思える。
こういうものは、いわゆる「生物学主義」に基づくものとは違うふうに私としては思える。
むしろ、従来の「ジェンダー論」のようなポストモダン的文化主義のほうを、「生物学主義」と呼ぶべきじゃあないだろうか。
大分前にミニハンさんとした話でも言ったのだが、そういうものは、だいたい人類にあってのネオテニーの仮説をとるので、
はじめに「生物学主義」を持ってきておいて、ごちゃごちゃと俗流生物学主義の批判をやっているようなところがある。
これだとはたして、ミイラがミイラ取りになる(逆じゃない)みたいなところはない?
けっきょく「マター」なのは、生物学的な違いの一つが、なにゆえ「セックス」という著しい差異となるか、
ということだろうが、私としては、この問題、つまり「セックス」の成り立ちに係るところの言説編成への批判は、
いわゆる再生産イデオロギーへの批判を抜きにはありえない、といちおう言っておきたい。
9 忍法帖【Lv=26,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2012/03/05(月) 23:09:41.90
クロソウスキーの「生きた貨幣」、分かりやすく説明できる人いるかー
10つくだに:2012/03/09(金) 16:06:31.85
上野先生の「セクシイギャルの研究」に寄せたまーくんの論考はどこで読めるんかいのう。

>>5
エホバでは婚前交渉と自慰が禁止だよ。
11つくだに:2012/03/09(金) 17:11:07.48
12吾輩は名無しである
ぬこ