【ムー大陸】雑談スレ60【ミニハン】

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717吾輩は名無しである
>>698
>>「愛」の本質とは憎悪と苦しみであり、その結果として表れる「生殖」が
> ここは因果が逆だと思うけどな、理系脳、じゃねえか、フロイト脳だと。
>「生殖」の結果として「愛」の本質は憎悪と苦しみとなる、ならわからなくもない。
>「生殖」だけではないと思うけど。生命活動はすべてエネルギーを消費するわけだから「労苦」でありうる。
>さらにその結果として

性愛や前哨である恋愛、そして社会的結合である夫婦(や家族)というものは
“友愛”ともいうべき調和原理によって齎されるものではない。
苦しみや憎悪という生の根源から湧いてくる闘争的エネルギーの発露として
性的結合がなされる。しかし、その結果(生殖行為)派生する生殖物(子供)は
起源である生殖行為も含めて性(生殖)の神秘化という価値を社会集団に対して齎す。
しかし、性行為それ自体は苦しみと憎悪によってなされるのであって、その行為結果の派生物から動機を規定してはいけない。
また、生の衰弱によって発生したキリスト教道徳はこのような“生”や“性”の有り様を“愛”によって隠蔽しようとするが、それは間違いである。

ニーチェはこのように言っているわけです。
で、欲望なるものも受動的なものと能動的なものの闘争的な結合によって達成され、それ自体が充足的行為なんです。