文学と自閉症 2

このエントリーをはてなブックマークに追加
64吾輩は名無しである
私は10代の頃は本当に趣味で所謂和製ファンタジーを書いていた。
今で言う所のラノベだな。
それは長いこと続いた。
ある時、私にはどうしたらよいのかわからなかった流れで物事が起きたときに、
そこに直後から親しい人間などから様々な勝手な物語を読まれた。
人に物語を読むということに暴力を感じたのはこの時。
それ以降結構のあるものが書けなくなった。
文の流れが従えるものに過敏になった。
断片的な話しか書けなくなり、今はそれも書けなくなり、現在に至ると。
リハビリに失敗し続けてあとがない、という感じである。
65吾輩は名無しである:2012/02/08(水) 11:11:57.06
問題は「疎外される感覚」をなかったことにすることの形でしか
コミュニケーションが鍛えられていないということだと思う。

・違うという現実が認められて安心
・同じということが確認できて安心

の違いだろうか。