文学と自閉症 2

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61吾輩は名無しである
こう、某スレで「お前らもっと信頼されないことに慣れようぜ」とか言ったら「ミニハンは慣れすぎなんだよ」と返されたが、
これとか
>暴力は身体感覚には訴えてくるが、疎外される感覚はむしろ安心をもたらしたのではないか。
だと思うんだよな

暴力はそりゃ痛いからいやなんだよ、別にマゾってわけじゃない
痛みに鈍感なわけではなく、「無頓着」
あるアスペも、何かで指を折ったまま平然としてて、それに対して周りが大騒ぎしているのが不思議だったとか言ってた
だけど鈍感なわけではないんだよ
わたしも剣道やってたんだが、足の小指が曲がってんのな、多分稽古で折ってそのままくっついたんだと思う
すげー痛かったのは覚えてるし
病院とか行かなかった、サロンパスとか自分で貼ったけど
そのアスペの人も痛いとは感じてたと思うのな

痛みを感じた時、声をあげるのはありうるが、それで「他人に助けてもらおう」って気がないんだと思うのよ
「足が痛い、助けて」ではなく「足が痛い、じゃあどうしよう」が先にくるんだな
小指折れたままどう剣道続けるか、と

これが、「肉体的痛みに鈍感」ではなく「肉体的痛みに無頓着」ってことだと思う
痛いは痛いんだ
だがそれを他人に伝えようと瞬間的に思わない

ここがな、わたしがいつも拘っている「赤ん坊の泣き声」なんだよ
生まれたばかりの赤ん坊の泣き声は、「他人に助けてもらおう」という意図があるものか
そんなわきゃないだろ、他人の存在すら知らないだろうし
だけど痛みに対し、物理的反作用のように、声をあげることはある
わたしだって折った時「う」ぐらいは言ったかもしれない
その後、「いたい!」とか言ったら、「痛い、助けて」という意図があるのかもしれない

わたしは、少なくとも生まれたばかりの赤ん坊は、「助けて」と泣いているとは思えないんだな
自分がそうだから