>>63 ありがとうございます。
でも三日目にしてもう涙目ですw
>>68 わかりやすい要約ですな。
おそらく、実践とは、それがなされる前となされた後で、何かが質的に変化している、
ということだと思う。
そして、その「何か」とは、つまるところベルクソンの言う「全体」ではないか。
もっとスマートに言ってしまえば、概念の実践とは「ガツンと来る」ことでしょうな。
最初の問題的に戻れば、ドゥルーズが「シネマ」において図版を使用しなかったのは、
この書物が映画の写像、つまり映画「についての」理論書ではないことを明確にしたかったからではないか。
概念の実践とは、その対象と「相似関係」を結ぶものではなく、むしろその対象そのものと異質であることで、
概念=対象のセット全体が、一つの質的変化を生きるものではならないから。
ではならないから→でなくてはならないから