さて第一章の§1(p.8)まで読んだ。
以下ノート
ベルクソンの運動に関する第一のテーゼ。
通過された空間(分割可能、等質的、過ぎ去っている)/運動(分割不可能、それぞれ異質、現前している)
空間内のいくつかの位置や、時間内のいくつかの瞬間によって、運動を再構成することはできない。
映画的錯覚:
不動の瞬間的な切断面(=フィルムのコマ)/映写機に内在する非人格的で一様で抽象的な時間
(ベルクソンによる映画批判)
しかし。。。(ドゥルーズによる転換)
映画は我々に「コマ」を与えるのではなく、直接に、「或る運動イメージ」を与える
映画は不動の切断面ではなく、「動く切断面」を与える
(動くカメラとモンタージュ)