承前
木霊も農家の若い娘も、ゲニウス・ロキ(土地の精霊的存在)なんだよね
http://ameblo.jp/miyazawakenji/entry-10606311107.html 語り手の性的目覚めに先行して、語り手がレオニ叔母生前に、叔母の部屋のソファで従妹と初体験
しているのは矛盾していないかと前に書いた。
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1309272869/990 http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1311425550/494-495 でも、考えて見ると、「源氏物語」の登場人物は1、小学校高学年くらいの年齢で結婚し、子どもも生んでいる。
ベケットの言うように
>>302、「失われた時を求めて」の登場人物たちが、生殖器官を剥き出しにした
まま恥じることを知らない植物みたいなものだとすると、初潮・精通を迎え、受粉可能な状態になれば
性にまだ目覚めてない段階で生殖行為を行ってなんら不思議ではないと思い直した。
光源氏も、小学校高学年の頃には添い伏しの妻をあてがわれるが、性的好奇心は、ティーンエイジャーになり、
「雨夜の品定め」の話で中の品の女に興味を持ち、はじめて目覚めるところがある。
>性の目覚めというのは、ある意味で暴発で、その散乱する暴発の中から「新たに登場した自分」とい
うものを把握する時期が、人間の思春期ではないかと思うのですが、ここに「結婚」という他人との調和
を重んずる制度にたちはだかれたら、「自分の自由」というものを見たいと思う人間にとっては、たまった
もんじゃないと思います。
でも、平安時代の12歳(*数え年)の少年は、これを前提として受け入れさせられていたんですね。
>全然知りもしない受領の妻を強姦して、その弟を自分の従者のようにして、彼に姉との仲立ちをさせ
ようとして、しかしそれがままならないとなると、「姉の代わりだ」と言って弟を寝床に引き入れる。
その姉への執着を捨てきれない彼は、改めてその女の邸に忍び込んで、うっかり間違えて、その義理
の娘に手を出して、しかも平然としている。
>今まで理性で抑え込まれていた性欲が、遂にその時に至ったと言われぬばかりの暴発を見せる。
>昔、男というものは、女というものを使って自慰行為を演じた。それを近代以降は一人で演じるようになった。
(橋本治「源氏供養」)