デリダとドゥルーズ 文学との関係を中心に

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212レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc
プラトンの『ティマイオス』にいう「存在」の三種族。父なる「生成するものが、それに似せられて生じる、それのもののもと」、これはイデア的なもの「存在者の存在」といえます。
母なる「生成するものが、それのなかで生じるところの、当のもの」、これはコーラといわれ、いうなれば「存在者と存在の差異」に当たるでしょう。語源的には、裂け目(カスマ)・流れ(コオス)、
と同じ由来であるとされているようです。さらにコーラは、他者に居場所をつくる、という意味のコーレオに由来するともされます。
子なるものは、コーラの中で「父に似て生成するもの」で、いわば「差異としての存在の累乗的な反復」といえるでしょうか。

《オヴィディウスのテクストの場合、レイリオペー〔ナルシスの母、青き水のニンフ〕の子宮には曰(いわ)くがある。
彼女の子宮はナルシスを「包み込む」ようになるのだが、それはケピーソスによる初原的な強姦(レイプ)によってなされるのだ。
そしてこの強姦は、神々の政治的な配分(エコノミー)を侵さないような性暴力、半神的暴力だとされている。》
(ガヤトリ・C・スピヴァク著・中尾知代訳『エコー』青土社。但し原訳文を一部変更)

と、ミニハンさんが好きなスピヴァクを引用しておきます。