平野啓一郎 part 25【彫心鏤骨の文体】

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970吾輩は名無しである
代表的な事を言う。
我々は漫画をありがたがり、浮世絵に感動してるフランス人を小ばかにしているが、
商売相手としては利用してうまい事を言って手なづける。
JPOPやビジュアル系を聴くドイツ人にも腹を抱えて笑いながら、かつてはやった時代遅れになったバンドを送り込む。

戦勝国とされている中でもイギリスとアメリカに対しては特別な感情を持っている。
しかし、アメリカへはある馬鹿にした感覚をもってい、イギリスへは尊敬と裏返しの同等観念を持っている。
たとえば、日本では英語表記が多いのだがプジョーを乗るよりはトヨタにのっている人が多いし、暴動でイギリス国内のソニー工場が燃えても別に驚かない。
さらに、アメリカでの新しい流行を取り入れこそすれ、それを本気になっていると馬鹿だと思われてしまうので流行程度に扱う。
レディガガ大好きですといっても、尺八演奏家が大好きですという程には深い意味で尊敬されない。そういうことだ。

 こういう態度はヴァーチャル・オリエンタリズムとも言えるが、無意識にであれ皆がやっている事だろう。
この二重的な味方、自己像としての「日本」或いはオリエントの捉え方は、明治の先哲が試みてから日本の国民性に深く染み込んでいる。
だから平野の盲目的でかつ時代遅れのオキシデンタリズムは、成る程、納得している人は文壇などの奇形社会に少数いるが一般民衆は相手にしないか呆れている。
971吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 18:54:41.27
平野の倭奴的天然性は、その朝鮮好きな習性と結びついて愚かしい程の俗物性を示している。

しかし、ここが見所だろうが文壇の痴呆さはそれを逆に飾り立てる方向に進んできたし、今もそうしているわけだ。
いいかえれば「大衆の中の常識層」の見方は初めからしっかりと正しかったが、文壇一切、出版社一切、そして政府さえも愚劣だったわけ。大江も入れていい。

平野が登場当時から、この板でさえも彼ら一般の常識人の批判は一貫してその俗物性へあてられてきた。
難解めかした文体、下らない、自称神童は傲慢だし、茶髪pierced earringsで会見、衒いすぎているという批判が初めから見られた。
ところがそれにもかかわらず、当の知識人ぶったおろかな文化人世界の方が作り事で、こういう偽者さをもつものを道化役者として舞台で踊らせ続けようとした。