猫の死というのは観察者の死。
明治時代初期のある社会の偽善や滑稽なあり方を観察する者の死。
神経衰弱という状態は今でいえば鬱病に近いと思うが、
漱石は近代化の足早なあり様にいつも憂鬱さをみていた。
漱石の暗さはそうやって語られるが、
猫の場合は他の全作品に比べ、当人が気晴らしに書いたといっている通り、
あるユーモア小説になっているので、その暗さがじかには表されない。
喜劇とみれば『猫』あとは『坊ちゃん』だけが喜劇で、漱石のほかの作品は悲劇に属している。
その暗さだけが、漱石の死後は大正−昭和前期の作家の中で近代化の結果として語られる事になっていく。
おそらく、漱石自身は近代化が外からやってきたという状態にいやけを覚えたのだろう。
彼の疑問は文字体系の違い、文芸論の体系の違いというものへのちに拡大されていく事になるが、
本質では近代化が明治維新という政治現象で外から与えられた事が彼にとっては不満の原因だった。
漱石の初恋の図像が最晩年まで彼を導いていった(『明暗』)事を思えば、
イギリス文学を模倣して彼がとりこんだのは恋愛に於けるプラトニズムだったのだろう。
そしてこれ以外の殆どの現象へ、漱石は寧ろ批判的な立場をいつも取っている。
『三四郎』冒頭の滅びるね、という作中の予言は実際に原爆投下による敗戦という破滅的現象に至る。
漱石が嗅ぎ取っているものそこで掬い上げておこうとした何かは、近代化の足早さのなかにある見逃しなのだろう。
漱石は庄屋の末子として東大、当時の帝大に入った、自称英文学の切り込み隊長だったが、
結果としてはその「学ぶべきもののなさ」について欺瞞を見ただけだった。
この学ぶべきもののなさは、何でもいいから「外人の猿真似をする」、という日本人への総合的な反省になっている。
アンチテーゼと見れば漱石の日本の文の創作への転向はそこから出てきている。
考えてみれば、薩長土肥と関西の公家社会他は、
その幕府政権の否定という野心の為に、一切の江戸時代遺風を毀そうとしていた。
この犠牲になった一人が、江戸から東京へ武蔵国がきりかわる時期にその場に生きていた漱石の生涯だった。
漱石はくりかえし隠遁への欲求を語り、同時に俗了されたといいながら俗世間での地位と肩書きと人間社会の世俗的金銭問題に巻き込まれる。
この両幅が激しいほど、つまり作文する者としての漱石の創作とそこで模倣される内容が悲劇的になっていったと思う。
『明暗』や、完結した作品としては『行人』がその頂点なのだろう。
そこに主人公として明治時代に登場する苦悩する知識人は、賎貨思想を汲む武士道の世界と福沢的商業主義の世界に引き裂かれた孤独な思索者であり続ける。
結局、漱石の死後は、芥川によってこの知識人類型が追求されるが、日清戦争を経て太平洋戦争に向かう世相の中で社会主義・軍国化の流れに逆らいきれずに理想への殉死じみた自殺、つまり切腹という方針を択んでいく。
春休みですねえ
559 :
吾輩は名無しである:2012/03/29(木) 13:54:36.07
漱石は高等遊民と彼が名づけた社会の中の自由人世界に、
なんらかの希望を見出そうとしていたと思われる。特に中期の小説にこの主題がくりかえし現われる。
基本的には知識人を主とした文化サロンを意図したのだろうが、
本質的には武士道的な賎貨思想あるいは非労働主義と、それ以降の近代化世界との接続を試みたのだろう。
イギリスに於ける荘園領主の社交を日本版にしようとした時、
漱石の身近には知識人の社交界しかみあたらなかった。それを美化すべく取り上げたのだろう。
最終的には芥川や久米といった帝大の若者のなかにこの理想に近いものを見て取って気に入っていた。
彼が漱石山房に集めた社交人は、高等遊民といった立場の労働にはかかわりのない文化サロンのメンバーだった。
芥川が自殺してから、同期であったが既に出版社の文芸春秋の設立で企業家になっていた菊池が芥川賞を設けてから、
この社交界への意図は消失し、菊池的な通俗小説を純文学となのらせる一定の商業主義しかのこらなくなっていった。菊池自身に、
いわゆる高等遊民への叛意があったかは定かではないが、実際に生前つきあっていたのも自然主義の連中なので、そういうべきだろうと思う。
日本の今の段階で「小説」「小説家」といえば、通俗小説を文芸春秋にぶらさがる文芸誌にのせて売れない大衆小説じたてにするものしかない、といった
ありさまなのは、こういう訳で現われた状況であり、決して普遍的とはいえない。そして漱石の意図は寧ろ2chなど、非商業社会でのみ細々と生息している。
漱石って同時代の誰よりも金にこだわっていたと思うけどなあ。
東大やめて朝日に入ったのだって高い給料のためだろう?
「道草」読むといかに金に対して怨念があったかわかる。
だからバブル時代に千円札にもなれた。
2chなんて文芸雑誌の話しかないステマのかたまりじゃないか。
561 :
吾輩は名無しである:2012/03/29(木) 14:19:14.65
高等遊民としての文士は、例えば明治時代の文士と見れば、ある類型をもっている。
太宰治でもいいし芥川龍之介でもいい。少なくとも売れなかった事が必要だが。この文士の類型は、
おそらく高等遊民として漱石が描いた立場を模倣したものかもしれなかった。
売れない若い作家志望者、とんでもない苦労人、
ひょろひょろとして実業家に負けるが精神の高貴さだけで霞を食っている、
多くの場合異性にそっぽをむかれていて持てないという、この高等遊民としての文士の性格類型は、
映画『三丁目の夕日』の主人公など明治時代の古きよき精神の貴族として懐古的に描かれる事が多い。
今の段階で、小説家、という名付けで文芸誌とマスコミが生き残らせている人には、
時々この類型を懐古的に再生させようといった趣向が、ないことはない。
商業主義化あるいはマスコミ向けの宣伝主義で変形しきって違う姿になっているものが殆どだが。
漱石の希望は、負けて勝ったと言える。この明治時代の遺産としての文士イメージはその後の紆余曲折に関わらず確かに残っているのだから。
彼らの図画は小説家とか、作家という大義名分によって見なされる、ある変わり者としての文人を、日本では一定の偏見で維持させる最低限度の補償になっている。