たかだか己の欲望を「贖われる事のない罪」とか大仰なんだよなあ
自分の欲望を認める時もあるがそれをこんな風に表現する発想がなかった
>>783の「精神分析は分析主体つまりクライエントに欲望を自覚させることである」って話の続きなんだが、
あるラカン派はこんな例え話を書いている
あるバーの常連の男がいつも玄関にしょんべんをかけていく
困り果てたマスターがその常連の男に精神分析を勧める
常連の男は精神分析を受けた
数年後、戻ってきた常連の男が、以前と同じように玄関にしょんべんをかけているの見てマスターは聞く
「お前精神分析受けたんじゃないのか?」
「ああ受けたよ、俺がなぜここにしょんべんをひっかけてしまうのかがわかった」
これ逆に「精神分析は治療に役立たない」って意味の風刺らしいんだがな、言い得て妙でもあるんだよ