なにここくせーーwwwwwwwwwwwwww

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511吾輩は名無しである
>>508-510
はーい。


http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1328458102/160

>「花が存在する」、じゃなくて、「存在が花する」みたいな

なるほど。面白い纏め方だなあ。
「花が存在する」これはものすげーわかり易い。
わかり易いというのは「イメージし易い」というぐらいの意味で。
この際、頭の中で描かれた"花"はあくまでもシニフィアンとしての花であって、そこに具象は描かれない。
シクラメンだとかヒマワリだとかって種類や本数はイメージされない。
「"花"という名詞に結びつけられている線描のような抽象」でしかない。
「"花"が存在する」と認識するにあたって、現実的な"花そのもの"を必要としない。
言い方を変えると、"現象としての花"を必要としない。

つまり「花が存在する」という命題は必ずしも花の存在を保証してないってことだ。
あくまでも主観的認識から外には出て行ってない。

翻って、「存在が花する」と言った場合には一見して意味が通らん。
「(個別具体的な外部性そのものとしての)存在が花(という形を採って現前)する(=し得る)」と補足すれば意味が通るか。
この際、"花"の存在は人間の主観的認識以前から保証され得る。
つまり、"花"という本質を主観的認識の外側に位置付ける事がようやく可能になる。

もう一個メタレベル上げると
「存在が花する」という命題が存在するにあたっては
"花"に込められるシニフィエが普遍的であることを暗黙のうちに了解してるって反論が有り得るのですが
面倒くさいので却下します。

http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1328458102/145
ジェイムズ・ヒルマンか。なかなか面白そう。