【書を読む】読書会スレ2【対話する】

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785吾輩は名無しである
たとえば設計には公差って考え方があるんだが、まあ要するに「誤差の許容範囲」なんだよ。
たとえば6という数値の誤差を四捨五入で5.5〜6.4だと設定するとする。
一方言葉は、あくまで極端に言えば、Aにとって6は5.1〜6.0で、Bにとって6.0〜6.9であっても、6で通じたことになる。
でもそれ全然違う意味範囲なわけじゃん。
「唯心論」「唯物論」も、単に意味範囲が広いというわけではなく、個々人が個々人の意味で使っている概念に思えて、
使えない言葉だと思う。
意味範囲が広いだけなら使える言葉だと思うんだけど。日常会話的言語みたいに。
それで通じていることになっている特に文系の人達がいつも不思議でなあ。
786吾輩は名無しである:2011/10/30(日) 13:08:33.07
Nに文句言ってるわけじゃなく俺が個人的にいやなことを思い出しただけでした
787吾輩は名無しである:2011/10/30(日) 13:22:03.70
ああそうか、「唯心論」「唯物論」って主義主張みたいな、そいつの拘りを含んでいる場合が多いわけじゃん。
言葉って、ある単語に拘ると、6という数値の誤差範囲は狭くなる。
6という単語に拘っている奴にとっての6はたとえば5.9〜6.0だったりする。
あんまり拘ってない奴にとっての6はたとえば4.0〜8.0だったりする。

Nの性格からしておそらくNにとっての「唯心論」「唯物論」の意味範囲は4.0〜8.0的なものだと思う。
だから別にとやかく言うつもりはないが、過去に5.1〜6.0や6.0〜6.9や5.9〜6.1の人たちが入り乱れて
各人の意味範囲を主張し合い揉めたのを思い出して、なんか癇に障ったんだろうな。

製造現場では4.0〜8.0的な単語(図面の指示)は「ポンチ絵」などと呼ばれてる。>>719の「モデル」か。
方便として有効だけどさ、「ポンチ絵」も。
手書きですらすらって書いた絵の方が理解されやすかったりする。
「大体こういう感じ」ってことか。