訂正でーす
ディケンズの短編は「信号主」ではなく「信号手」ね。変換ミスです。
謹んでおわびします。
まあ、電車のホームにいるとき、ここから飛び込んだらどうなるだろうとか
よく空想するよ。 高いビルから下を見下ろしたときは、ここから飛び降りたら
どうなるだろう、と必ず空想するし。そういう空想というのは、誰でも抱いているの
かもしれないが、言語化されることはあまりないから、空想する人は自分だけが
そういう思考を抱いているのかと考えるものだね。 小説家がそういう空想に
かたちを与えることで、自分の抱いていた妄想、思考がまったく個人的な
孤独なものでないと理解する。それはカタルシスを読者にもたらすんだね。