1 :
N ◆.a7VUr.VD. :
3 :
三浦 ◆aKZjWmIOl2 :2011/05/14(土) 01:16:29.45
いちおつ
4 :
吾輩は名無しである:2011/05/14(土) 15:04:32.88
小林はかなり格調高い文章を書いてるのに、何故か最近妙なアンチがいる。
池田大作より小林秀雄の方がぜんぜん偉いよな
6 :
吾輩は名無しである:2011/05/14(土) 15:28:46.96
悪い大作の著書は読んだことない。学会員なら読んでそう。
その取り合わせに意表をつかれた
8 :
吾輩は名無しである:2011/05/17(火) 20:47:02.61
小林が『地獄の季節』を岩波文庫に収録させたのは1938年。
右翼の岩波弾圧開始は1939年。
岩波新書から出たゼークトの『一軍人の思想』を引き合いに
出して「スローガン(=全体主義体制)」批判をやったのが
1942年。
色々と複雑な時代だ。ナチとゼークトの関係も割と微妙なん
だっけかな。
9 :
吾輩は名無しである:2011/05/17(火) 23:07:47.52
蟹光線て難しい?
10 :
吾輩は名無しである:2011/05/17(火) 23:28:44.77
小林違い
小林で平凡、秀雄で平凡、小林秀雄で平々凡々と。
>>8 橋本治によれば、ゼークトを読んだ後で、小林は明快になったってね。
そうかもしれないね。同盟国の軍人の著書をだしに、小林は当時の体制を
批判してるっていうんだが、ずいぶんと婉曲なやりかただよね。
しかしまあ、ほんとにヤバイ批判、猛毒を含んだ批判というのは、世の中に
生で垂れ流せないよね、いつの時代も。
まあ、東方会が翼賛体制から離脱して
東條政権打倒に動き始める時期だからなあ
13 :
吾輩は名無しである:2011/05/18(水) 12:32:13.19
東方会の翼賛会離脱は1943年だ。
東方会といえば、中野正剛、花田清輝、「東方会の下郎!」という言葉を想起するな。
花田清輝はマイクの壊れたジャズシンガー、なんてのものね。
小林って、東方会にコミットしてたのかな。それはありそうにないだろうと
想像してるんだけど。
歌手にとって、マイクが壊れるって、最悪のトラブルだよなーたぶん。
>>13 離脱はね
ただ、42年位には既に動き始めている
その後の東方会壊滅で戦時下における反体制運動は幕を下ろしたから
この年が転換点だったのだろう
失敗に終わったものの近衛や吉田の和平工作も動き出したし
小林はもちろん林達夫による体性批判も出て来た(その後沈黙したわけだが)
後年発見された近衛の上奏文が明らかにしているように
革新官僚が政府権力を掌握して
それに在野勢力が連合する形で闘争をしたんじゃないかな?
だとしたら真っ先にリベラリストが弾圧されたのも納得できる
なにせ相手は社会主義を標榜する官僚達だから
17 :
吾輩は名無しである:2011/05/18(水) 23:19:45.32
六十安保の翌年に忠臣蔵のTとU。
18 :
吾輩は名無しである:2011/05/18(水) 23:26:44.18
「思い知った」浅野内匠頭とは小林でもある。
いや、やっと読めた。
19 :
吾輩は名無しである:2011/05/18(水) 23:27:53.78
ゴッホの手紙読むぜ
20 :
吾輩は名無しである:2011/05/18(水) 23:36:33.75
アマゾンの発送係かっつう
21 :
吾輩は名無しである:2011/05/19(木) 12:18:11.76
復讐は亡霊との出会いからだとさ。
小林の亡霊に出くわしたのは十年前の今頃だったか。
小泉フィーバーの始まった頃だ。
22 :
吾輩は名無しである:2011/05/19(木) 12:23:09.21
小林にはシャーマニズムの影がある。ランボーの影響を受けて、
呼び覚まされた。シャーマニズムは普遍的な文化だ。
安藤礼二あたりにかぶれたのかw
24 :
吾輩は名無しである:2011/05/19(木) 17:19:51.45
期待通り派手に自滅しやがったな。
油断してんだろ。次は死ぬぞ?
25 :
吾輩は名無しである:2011/05/19(木) 17:27:59.49
マジキチがいるのか
27 :
吾輩は名無しである:2011/05/19(木) 17:41:36.11
マグニチュードは4.8でした。
28 :
吾輩は名無しである:2011/05/19(木) 17:44:19.20
小泉が鼻血を流して死にますように(-人-)
29 :
吾輩は名無しである:2011/05/19(木) 22:41:41.92
「ゴッホの手紙」を今読んでるんだけど、小林の文章は格調と云うよりも
文の読みやすさを排してまで、あるいは悪文になる危険を犯してまで(実際に、意味の通りにくい悪文が散見される)
書く文章を「劇的」に成らしめようという意図が感じられる
30 :
吾輩は名無しである:2011/05/19(木) 23:10:13.26
「信じることと知ること」の「山の人生」良いよな。
>>16 ゼークトについて書いた後、「徒然草」を書くんだよね小林は。
締めの言葉が、「見えすぎる目がどんなに多くのことをいわずに
我慢したか」だったような。
>>18 60年安保騒動が、松の廊下刃傷沙汰? それとも討ち入り?
どっちの解釈にせよ、小林=浅野匠頭ってのは、ちょっとした洒落だね。
あのエッセイも正宗白鳥の言葉、「忠臣蔵は不思議な芝居」が話の
導火線になってるんだよね。
>>21 ハムレット…
>>29 ゴッホの書簡から、あの絵にいたろうという意図があらかじめ設定されて
たんだよな。中村光夫なども、我慢ならないほどではないが、小林のエッセイの
作為が鼻につく、というようなことを書いていたなぁ。
>>30 いいよねえ、斧で自分の子供ふたりを切り殺しちゃう話。
33 :
吾輩は名無しである:2011/05/19(木) 23:16:24.70
>>32 それ、岡本太郎の沖縄文化論にも載ってたぞ
>>33 へえ、沖縄にもそういう話あるのかな。柳田は沖縄文化にも興味もってたけど
「山の人生」の例の挿話が沖縄の話かどうかは失念したなあ。
岡本は柳田とは別に独自にその話を沖縄で収集したのか、あるいは柳田経由で
その材料を仕入れたのか。
浅野の辞世を味わうことが、すなわち浅野の刃傷沙汰という歴史的事件との遭遇である
って、こういうのは吉本隆明などが批判する対象との過度の同一化の事例、ということに
なるわけだろうなあ。つまり論の対象が浅野であるか小林であるか判然としない情緒的
世界への没入であると。
東方会の中野正剛は楠木正成と西郷隆盛を尊敬してたそうだが
小林が楠木について書いたのはみたことがない。「太平記」については
ひとこと評していた気がするが。むしろ逆賊足利尊氏を講演でほめてたね
それも戦時中にw どんな批判をしても、まわりからまともに受け止められ
ない孤独な存在であった、という評もあったね。それと符合するな。
それは戦時下で風靡した皇国思想に対する批判だろう
中野は統制派や官僚主義には抵抗したものの
基本は皇国思想を核にしたファシズム(同盟あるいは連帯と言う意味で)なので
同じ抵抗者でも小林のそれとは違う
全体化や統制に対する抵抗者というのが小林の基本姿勢なので
相手が共産主義であろうが官僚主義であろうが変わらない
戦後言論界の主流を占めた進歩派の歴史観だとこういった差異が見えなくなる
吉本なんかは「小林は自身の戦争責任をうやむやにした」と批判したけど
こういう安易な決めつけは良く無いんだよね
38 :
吾輩は名無しである:2011/05/20(金) 01:45:18.91
皇道派(かんながらの道)と統制派(いわゆるファシズム)って、
区別が付きにくいんだ。
39 :
吾輩は名無しである:2011/05/20(金) 21:20:01.84
第二次大戦の戦後処理は、それまでの国家間闘争が中心の世界
体制から、アメリカを中心にした人道主義的価値観を重視した
世界体制への転換を図ったものだった。いわゆる戦争責任は、
そういう地平に措定されていて、それについて真摯に向き合う
こと自体は前向きな姿勢と言えないことはなかった。
しかし、ランボーはつぶやく。
「進歩、世界は進む。なぜ後戻りはいけないのだろう?」
>>38 皇道派は北一輝や日蓮宗の流れも汲む陸軍内の傾向団体で
統制派は単純に陸軍の近代化を目指していた官僚群に過ぎない
満州事変や大陸への戦線拡大は主に前者の仕業であり
これとは別に岸の様な革新官僚がいた
彼らも社会主義の強い影響下にある
ファシストを自認する中野は主に統制派を攻撃した
軍閥政府とその御用団体である財界の解体、そして戦争遂行の為に
皇国史観を根拠に革新官僚にも秋波を送っている
つまり、ファシストとの戦いと言うのは勝利した米国側の見方であり
当事者であり、敗者である日本側から見れば
それほど単純には語れない、ということ
続き
で、小林の場合
統制派の官僚主義的統制や
皇国史観を根拠とした諸勢力の一般化にも
一定の距離を置き、
戦後の安易な風潮にも迎合しなかった
42 :
吾輩は名無しである:2011/05/21(土) 17:05:11.17
国体明徴声明は1935年、小林が岩波にランボーを預けたのは
時代風潮への牽制だったかも知らん。
小林はヒトラーの『我が闘争』が翻訳出版され始めた時のことを
戦後に『ヒント』に書いてあるが、当時の批評文って読めない
もんかな?
43 :
吾輩は名無しである:2011/05/21(土) 17:27:25.20
ああ、『ヒットラアの「我が闘争」』(1940)は全集七巻目に
ちゃんと収録してあるわ。『我が闘争』が翻訳され始めたのは
もっと早くて1930年代初頭らしいけど。
44 :
吾輩は名無しである:2011/05/21(土) 19:32:57.58
>>41 つまり、小林は「荒れ野の預言者」的な態度で一貫してるわけだね。
ただ、岩波なんかに傾斜すると岩波が叩かれたり。
こういう景色ってなんか覚えがあるような・・・
45 :
吾輩は名無しである:2011/05/22(日) 07:43:20.79
ゼークトについて予言者(預言者)論をぶってるからな。
2001年頃は、この「歴史の魂」をラムズフェルド・ドクトリンや
小泉ナチズムの補強材料として政治利用しようとしていた
わけだがw
46 :
吾輩は名無しである:2011/05/22(日) 11:13:18.68
「人に先んじよう先んじようとしてゐる人々は例外なくニセ
豫言者になります。人が皆んな駆け出す時にぢつとしてゐら
れる人が本當の豫言者なのだ。」
小泉フィーバーに照らし合わせると分かりやすいですな。
47 :
コバヒデJ:2011/05/22(日) 11:46:39.57
人に先んじよう先んじようとしてゐる人々は例外なくニセ
豫言者になります。人が皆んな駆け出す時にぢつとしてゐら
れる人が本當の豫言者なのだ。
争いはよくない・・・そうだなジャンケンがいい
ジャンケンで豫言者を決めよう。最初はグー!ジャンケン・・・
___
/___ \
| |⌒ ⌒| |
ヽ  ̄ ̄ ̄ /
 ̄□ ̄
/ ̄ ̄ハ ̄ ̄\
___ n:
/ __ \ .||
| |(゚) (゚)| | ||
ヽ  ̄ ̄ ̄ / 「| |^|`|
 ̄□ ̄ | ! : ::}
/ ̄ ̄ハ ̄ ̄\ ヽ ,イ
48 :
吾輩は名無しである:2011/05/22(日) 19:21:01.67
小林秀雄は世界的に通用することを何一つ言ったことがない人だなw
俺は秀雄様を尊敬してる。生きてたら絶対サインを貰いに行くレベル。
50 :
吾輩は名無しである:2011/05/22(日) 22:10:55.78
90年代はいろいろ早まった真似が多い時代だった。
未来に夢を見、希望を抱くのは難しいことではなく、地面に
しっかりと根を下ろした将来の萌芽が、目の前の現実の中で
実際にチラチラと生じ始めるのを見定めようとする人が少ない、
と小林は戦時中に言う。
51 :
吾輩は名無しである:2011/05/22(日) 23:33:25.03
間もなく新型爆弾を二発も食らって敢えなく白旗を振った
わけだが…
52 :
吾輩は名無しである:2011/05/23(月) 17:37:32.58
>>37 平野謙が、小林秀雄は人民戦線を構想していたのではないか、って
述べた、と柄谷が書いていたのを、ちょっと想起したね。
そのころは小林も右から左まで、つきあいの幅が広かったってことだな。
>>45 へえーそうなの? 「歴史の魂」を小泉ナチズムの補強材料として
利用したのって、具体的には誰のことさしてるの?
54 :
吾輩は名無しである:2011/05/23(月) 19:20:31.14
小林は人民戦線て風ではないな。ヨーロッパのあれは、
コミンテルンのヨーロッパ支部がいたのな。ケストラーの
『目に見えぬ文字』は面白いよ。
>>53 小林の意志を無視した『感想』解禁は小泉の優生思想政治の
下敷きになった。
ケストラーね。「真昼の暗黒」と「機械の中の幽霊」はしってたけど
目に見えぬ文字ってのはしらなんだ。ケストラーの自伝のようだね。
Wikipediaでケストラーの経歴をチェックしてたら、来日したとき、日本
ペンクラブに対する声明で物議をかもした、などと書いてある。
どんな声明をだしたんだろう?
>>54 「感想」解禁と小泉大勝を結びつけんのw? そりゃちょっと関係妄想としか
俺にはおもえないわーw
56 :
吾輩は名無しである:2011/05/23(月) 19:50:31.38
個人的推測では、鈴木大拙が戦後にヨーロッパを歩き回って、
ハイデッガーと懇意にしたので、ムカついて喧嘩を売りに来た
んだと思う。ケストラーが禅批判の論文を書いた雑誌を大拙に
送りつけて来たのは訪日前でなかったかな。喧嘩っぱやい
ユダヤ人だからw
小泉擁護とは、お里が知れるな。第五次全集出版は小泉内閣
成立の頃だって。新潮もグルだろ。
57 :
吾輩は名無しである:2011/05/23(月) 19:56:07.82
ケストラーは日本のことは好きじゃなかったらしいね。
日露戦争での日本の勝利をヨーロッパ個人主義の終わりと
嘆いてたらしい。
直情径行型の冒険家で、理論より自伝が面白いよ。
新潮が擁護するような保守思想は小泉みたいなポピュリズムとは若干ずれると思うが。
新潮・文春の文芸理念は、どちらかといえば「日本の名家」維持みたいな路線。
ウィキはほとんど俺が書いた(ゲラゲラ
>>56 ハイデガーが大拙をもちあげたから、反ナチのケストラーは
大拙をくさしたと、それは確かにありそうな話だ。
第五次全集出版がたまたま小泉内閣のときだったってだけで
特に関係はないだろうと思うがなあ。 新潮って、当時、そんなに
小泉ひいきしてたっけ? 郵政民営化全面賛成だったか?
よく覚えてないな−。
しかしまあ、ケストラーのホロン概念というのも、なんか神秘主義的な
フレイバーが感じられるね。 ケストラー自身、そういうのに牽かれる
自分を自覚していたので、かえって禅などの東洋神秘主義に強く反発
したんじゃ。
63 :
吾輩は名無しである:2011/05/23(月) 20:09:15.55
2001年頃の雰囲気ってのが分からんとピンと来ないね。
俺はネットにはいなかったからな。
64 :
吾輩は名無しである:2011/05/23(月) 20:26:17.01
俺が小林ランボーに触れたのはその十年前くらいで、小林の
人物像については末尾のランボー論で概ね理解してただけだ。
亡霊に会ったのは2001年に新全集刊行記念の特集本を読んでた
頃で、そのせいかとしか思わなかった。不気味な体験だった
けどな。
何、小泉たちには『感想』なんて読んでも何書いてあるんだか
分かりもしないさ。せいぜい、論壇の話題作りがしたかった
だけだ。
65 :
吾輩は名無しである:2011/05/23(月) 20:37:49.61
小泉改革における進化論なんて、せいぜい「性善説か性悪説か」
くらいのレベルだったからな。
性善説だから何だよ? 生まれが邪悪でなくとも、人間が
無知であり、愚かしく、過ちを犯しやすい存在であることに
変わりはあるまい?
66 :
吾輩は名無しである:2011/05/23(月) 20:42:59.27
のぼせ上がった挙げ句に、皆でハナヂブーの刑だ。
ざまあねえしw
67 :
吾輩は名無しである:2011/05/23(月) 21:26:24.56
>>65 このレベルの性善説非難はバカバカしい、で無視していいんだが。
蜘蛛の糸、で、
極悪人だってむやみにクモを踏み殺すのを思いとどまった、
の話は、作り話でも、そういったことはあるさ、で信じるだろう?
それが人の性だよ、とそういうことなだけさ。
そんな性善説は現実には無力だ、の現実ではどうのこうのは、別論。
宗教に拠らず、しかし人の性の【形而上学】での理解、なんでね。
>>63 小泉改革の実社会における悪弊は十分、目にしていたと。
>>64 2001年、新全集の特集本で小林の亡霊にあったわけね。
そのとき、ちょうど小泉時代で、どっちの出来事も印象が強かったから
相互作用で印象がより強まったってことね。
69 :
吾輩は名無しである:2011/05/23(月) 22:09:37.70
いや、真昼に半透明で上半身だけのランボーの銅像風な小林が
沈うつそうに俯きながらスーと近寄って来てさ。
ベルグソンって文系向きな哲学者だな。どうも科学知識の
援用方法が素人臭くて駄目だな。
70 :
吾輩は名無しである:2011/05/23(月) 22:12:02.48
小林は悲しげだったぞ。
71 :
吾輩は名無しである:2011/05/23(月) 22:21:04.57
心眼に見えるものが空間にピントを合わせて幻覚のような
ものを見せた。幻覚だとしても、類似な体験は俺は多くない。
小林なら、そういう特殊な体験を引き起こした心理の裏にある
何かを重視しろと言うだろ。
「感想」よんだせいで、「感想」の中の神秘体験と現実の体験がシンクロしちゃったのか。
それは印象強いだろうな。 でもまあ、そういうシンクロに拘泥するというのは、下手すると
キチガイになりはてる諸刃の剣だな。
小林は「感想」で自分の神秘体験書いてるけど、最後の作品でもユング自伝において
ユングとフロイトの間の神秘体験について語っているね。 ユングの神秘体験について
他にコメントしてる批評家といえば、吉本かなあ。なんかたいしたことない、別に神秘など
ありゃしません、という風にコメントしてたね。
世間が超能力ブームだったころ、大岡昇平と小林秀雄で超能力の実在性について
議論したそうな。小林は超能力はあるかもしれないって立場だったそうで、大岡は
小林のそういう態度がオカルト志向に見えて、だんだん遠のいていったと、語ってたね。
菊池寛についてのエッセイでは、菊池寛が幽霊を見たって話を書いてる。これも
一種の神秘体験か?「山の人生」にも、柳田の神秘体験がとりあげられていたな
そういえば。
74 :
吾輩は名無しである:2011/05/23(月) 23:43:11.78
5つ星のうち 5.0 素晴らしく読みやすい翻訳!, 2011/5/19
By ジョン・ドゥ - レビューをすべて見る
(トップ50レビュアー) (VINEメンバー) レビュー対象商品: マラルメ全集I 詩・イジチュール (単行本)
マラルメは色々な仕事をしているが、やはり「詩人」という肩書きが一番ふさわしい。
私が本書を手にとって驚いたのは、翻訳が実に分かりやすくなされているということだった。
当たり前の事だが、「フランス語の詩はフランス語で読む」方が当然にいいに決まっている。
しかし、誰でも外国語が得意というわけでは無いからこそ、翻訳という仕事の意味がある。
私が今まで目にした(といっても過去に2例くらいか)翻訳の中でも、間違いなく本書が一番読みやすいと断言できるだろう。
そして詳細な解説は、読む者の理解と味わいをさらに深くする。
本書の値段は確かに高いが、フランス象徴主義といわれる難解な詩をこれだけ読みやすく翻訳できたことは、快挙といってもいいのではないだろうか。
研究者や、専攻している学生に独占させておくにはもったいなさ過ぎる。
「詩」が「好きな人」には、むしろ積極的に読んで欲しいと思えるほどに、素晴らしい全集に仕上がっているといえよう。
全5巻を揃えなさいとはさすがに金額的に考えても簡単には言えないが、マラルメの詩をまとめたこの「第1巻」は本当におすすめしたい。
他の翻訳と比べてみる楽しさも、当然ながらあることを付記しておきます・・・。
>>48 >小林秀雄は世界的に通用することを何一つ言ったことがない人だなw
戦時中は体制側も反体制側も何故か反ユダヤ主義のスローガンを叫んでいた(ユダヤ人など殆どいない日本なのに)
そんな中で絶妙なバランス感覚で批判的立場を保持したのは見事だと思いますが?
少なくとも、ハイデガー、ブランショ、ポール・ド・マンのように
戦後になって苦しい言い逃れを続けざるを得ないような醜態をさらす事は無かった
一見、歴史や民族について語っているように見える小林ではあるが
その一般化には懐疑的であり、それこそが小林批評の凄みであって
こういう事はなかなか出来るものじゃない
というのは、戦後ヒトラーについて述べた文章で明らかなように
革命とはバリケードにおける闘争ではなく、権力の奪取とその正統化(洗脳)
にあると見抜いていたからなんですね
これにどう抗えば良いのか?という実践こそが戦中・戦後の批評活動でしょう
だから批評(批判)対象が文芸の枠に収まらなくなった
ハイデガー、ブランショ、ポール・ド・マンは、
その傷のおかげで戦後重要な仕事をしたと考えているけどな
小林秀雄は下手を打たなかっただけ
79 :
吾輩は名無しである:2011/05/26(木) 17:28:27.10
>>72 違う、俺の地獄の季節の始まりはその十年も前だよ。何も予備
知識なしに小林のランボーを手にしたのはその直後だ。
何も知らずに、偶然に次元の扉を見つけたんだ。
戦時中の小林のヒットラー評は戦後と全く違いはないんだな。
第四次全集ゲッツ…
81 :
吾輩は名無しである:2011/05/26(木) 18:12:05.51
ソ連旅行に出かけたまま、帰って来るなり「ベルグソンについて
誤解を与える恐れがある」として『感想』の連載中絶を宣言した
のは1963年、60年安保後のことだ。
時代は新安保で日本は西側軍事体制により強く組み込まれ、
社会が右傾化して行く。こういう時期のベルグソン論は確かに
危険な政治利用をされる可能性は高かった。ベルグソンの思想
にはそういう危うい一面があることを小林は認めざるを得なかった。
そんな事情ではなかろうか?
>>78 >小林秀雄は下手を打たなかっただけ
それが凄い事なんですがね
それに長大ないいわけが立派な仕事だとでも?
ブランショ経由でデリダがやったような事を
小林は半ば自覚的に展開していたと捉えられないかな
アフォリズム集があるぞ。
「独断家だ、と言われる。ほんとにそう思うかと真顔になって
聞き返す。相手は黙って何んにも喋ってはくれない」
(評論家失格)
芥川風だな。「様々な意匠」で「生き生きとした嗜好」や
「発刺とした尺度」抜きに評論は成り立たないってなことを
まず言ってるからな。
>>79 たまたま手に取った書物に爆弾が仕掛けられていたわけね。
あーわかるわかる。
>>81 いやー、小林はそんなタマじゃないなw そういう事情だったとしたら
「感想」やめたあとに、「本居宣長」に手をつけるわけないね。
本人がいうとおり、無知を突破できなかったんでしょ。ベルクソンと
アインシュタインの世界観上の衝突を解明しようとしたけど、現代
物理学の理論の難解さ、複雑さ、高度さを咀嚼できなかったと
門外漢じゃ限界があったと、そういうことだと理解してるけど。
本居は生物学的進歩主義じゃなかろう。
白鳥が死んで、自分の墓堀を始めただけで。
ああ、アインシュタインは現象論者でスピノザ信望者だったが、
ダーウィニストとはやや違うからな。
>>85 本居はエラン・ヴィタルなんて知らなかったろうけど、政治的観点からすると
ベルクソンより、はるかに危ないでしょ。すくなくとも我が国では。
白鳥への挽歌は、本居のあとで書かれた「正宗白鳥の作について」のほうだ。
88 :
吾輩は名無しである:2011/05/26(木) 22:24:43.32
神話的歴史観を止揚するものとしてのダーウィン的な過去像は、
小林が繰り返し強調したがったように神話とともに歩んで来た
歴史のそれ自体としての事実性の重さを否定はしない。
野生の動物が野生の原理に従うのは必然と言っても差し支え
なかろうが、我々の歴史は我々が野生動物とは違うことを
例証してもいる。
89 :
吾輩は名無しである:2011/05/26(木) 22:27:44.78
>>87 ボストン生まれにゃ「もののあはれ」は分からんか。
本居はイデオロギー批判でしょう
この場合、儒教や仏教が批判対象になるわけですが
当時としては体制批判そのものですね
それを古典のテキストクリティークを通じて行った
まあ、明治維新でも国学派は比較的早い段階で
新体制から排除されましたからね
>>89 いやあ、「もののあはれ」が理解できるかどうかと、どこで生まれたかは
関係ないと思うよw
92 :
吾輩は名無しである:2011/05/26(木) 22:34:30.27
本居は仏教シンパだろ。小林もそう書いてある。
神仏習合と言う意味で神道と同源のものを仏教に見ているだけだよ
ただ、幕府の仏化政策からは逸脱する
94 :
吾輩は名無しである:2011/05/26(木) 22:42:00.63
官に奉仕して禄を受けたこともある。右翼とは違うだろ…
ええ? 本居の思想は神道だよ基本。 まあ、墓つくるときは、とくに現状に
異をたてず、当時の仏教のやりかたにしたがい墓を建てるよう遺言したそうだが。
で、小林の描く本居は、思想的には儒教からの影響がもっとも強いな。
徂徠学ね。 契沖をとおして仏教の影響もうけてる。まあ、小林のイメージでは
儒教にも仏教にも神道にも詳しい非常なインテリだね、本居は。
「日本の文学は結局仏教」という発言を小林はしてるけれども、その発言を
敷衍すると、文学者本居は仏教シンパと、そう解釈できる余地は確かにあるけどさ。
>>93 逸脱ねえ。思想では幕府の正統思想から逸脱してたかもしれないが
実生活ではそういう政治的逸脱はなかったんじゃない。
「学者とは道をおこなうものでなく、道を尋ね明らめるものである。」
>>94 なんの話それ? 「玉くしげ」を藩主に贈呈したこと?
>>96 >実生活ではそういう政治的逸脱はなかったんじゃない。
それは無理ですよ
>>97 当時は正統なる政治から逸脱した行動があまりに多発したので
藩主は本居に意見をもとめたということがあった。
藩主に提出した意見では、体制から逸脱した行動者のほうを
擁護していたですな。
江藤淳は、小林が本居書いてた頃、上田秋成について書いてたんだよね。
あれ、やっぱり対抗意識のなせるわざだったんだろうな。
江藤がロックフェラー財団の文化交流で渡米して最初に話し始め
たのは、世界で唯一、社会ダーウィニズムが実践されている国での
サバイバル経験。
時代は人道主義を逸れて獣道に踏み込んだわけだが。
アフガン侵略とかイラク侵略とか、正義なんてひとかけらもないよね。どうなってんだか。
103 :
吾輩は名無しである:2011/05/27(金) 17:42:44.94
>>84 お前は知識はそこそこあるが、ケツの青いのは分かるよ。
「蘇我馬子の墓」でも、太子の存在の史実性への疑いは、
太子信仰が歴史を作って来た、それ自体の史実性を動かしは
しない、というようなことを言ってる。
104 :
吾輩は名無しである:2011/05/27(金) 17:50:23.52
太子は六世紀の終わりから七世紀はじめ頃を生きた。
万葉集編纂は七世紀後半だ。仏教の影響を軽く見るのは間違い。
105 :
吾輩は名無しである:2011/05/27(金) 18:07:43.90
証拠!証拠!はリビジョニストの得意技だが、小林はキリスト教に
ついても同じ態度だな。たとえ、近代主義的な聖書批判が
キリストの歴史的実在について疑問を投げかけようが、
キリストがかくの如き存在として歴史を通じて幾多の人々に
信じられて来たという、そのことを信じる、と。
この「信じる」は、単に事実か事実ではないかということだけを
指しているわけではないだろう。
小林はランボーの信仰、ドストエフスキーの信仰を足蹴に
するようなことはしない。
我々の行く手は聖霊だ。ただ分からせようにも外道の言葉しか
知らぬのだ。
俺は言葉を探していた。小林のランボーを手にしたのも、
そういう最中だった。
目の前に、膨大な知の沃野が手付かずで開かれていた。
あの頃が一番、幸せだったな。
「Xへの手紙」は「俺の歌」から始まってる。こういうのは全くランボーだ。
俺、Xへの手紙でやられたよ。本気でやられた。超かっこいいよ。
世の中の歌う歌がしみったれてるって歌ってんだな。
小林の心性は小林の思索よりも賢明だった。ベルグソン論には
失敗したが、それは大したことじゃない。
真実の宣長が神道だったか仏教だったかも重要じゃない。
小林が宣長を通じて何を語りたかったかが問題だろう。
112 :
吾輩は名無しである:2011/05/27(金) 22:00:47.77
>>75 戦時中の「体制」と「反体制」というのは、戦後風の右翼と
左翼というのとは違うだろ。
ヒトラーは悪魔であることはユダヤ人が被害者であることを
意味はしても、正義であることは意味しない。
被害者には言い分はある。ヒロシマ・ナガサキの被爆者にも
言い分があるように。
しかし、取り違えてはならないこともある。ホロコーストの
故にヒトラーを悪とする戦後風の見方に小林は関係がない
のは確かだが。
113 :
吾輩は名無しである:2011/05/27(金) 22:15:33.37
取り違えが起きると、ユダヤの後ろ盾でヒトラーの尻尾が
小林を政治利用しようとしたりする。
革命とは非合法の体系を一挙に合法化すること。
しくじれば犯罪者だ。
114 :
吾輩は名無しである:2011/05/27(金) 22:23:51.31
諸君はやり抜けそうか?
苦しい行軍が続きそうだぞ。
115 :
吾輩は名無しである:2011/05/27(金) 22:40:30.92
マルクス主義の革命は結果論的に不首尾に終わるとしても、
その非合法性には理想がある。
しかし、この革命は世の中を犯罪者の手に委ねること以外は
しない。
マルクス=レーニン主義は当時の体制に対するアンチテーゼとしての意義は多いにあったと思うよ
ただその機能に大きな欠陥があった
117 :
吾輩は名無しである:2011/05/27(金) 22:59:46.23
「マルクスの悟達」読んで見ろよ。当たり前みたいに
エルネスト・マッハが登場するw
118 :
吾輩は名無しである:2011/05/27(金) 23:08:59.60
神田のド真ん中の古書店だったが、入った覚えないな。
96年版全集ったら俺が小林ランボーでトリップ体験したのを
喋り散らしてた頃だな…
119 :
吾輩は名無しである:2011/05/27(金) 23:27:37.22
あの神秘と思えた世界にまみえた頃の新鮮な感動が今はなにもかも
懐かしい…
いきなりバリバリの霊能者になっちゃってさ。
120 :
吾輩は名無しである:2011/05/27(金) 23:50:10.11
「俺の興味をひく点はたった一つだ。それはこの世界が果たして
人間の生活信条になるかならないかという点である」
「Xえの手紙」
>>103 そりゃ俺も「蘇我馬子の墓」は読んでるが、話の脈絡がまったくみねん。
ただケツが青いといいたいだけじゃない。 まあ、さんざんやりこめられたから
少しは反撃したいって気持ちはわかるけどw
122 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 07:25:15.92
青年よ、自分を軽んじるのは戦後日本人の悪い癖だぞ?
>>98 >藩主に提出した意見では、体制から逸脱した行動者のほうを
擁護していたですな。
うーん、そういうエピソード的な事では無くて
政治行為として寺家による社家の間接統治を覆すような
具体的行動には傾かないという事を言いたかったわけで
ただ、言語行為としては儒仏の体系的知識を批判し
こういった批評性に小林秀雄が共鳴したんじゃないか、と
確かに本居の皇国史観は幕藩体制が採用した忠孝論による革命抑止を支えるものなんだけど
古典のテキストクリティークを通して権力による支配関係から
個人の内面的なものへと抽象化が図られていて
こちらの方に重点が置かれていたんじゃないの?ということ
例えばジョンロックのようなプロテスタントが国教会の礼拝統一法や統治を認めつつも
プロテスタント的自我や信仰を確立したような事が日本でも行われたのでは?
と感じたんだよ
>>123 なんか難しい議論だなあ。小林にそういう議論聞かせたら、あくまで現代人の立場から
しかものを見てない議論であると、一蹴しそうだ。
江戸時代には学問に官学私学の別があらわれ、私学のほうに優れた成果をあげた
学者が輩出したというの、近代における江戸時代の学問の通常的評価であるそうだ。
そういう江戸時代の学問に対する評価を左翼の歴史家が、民衆革命史にすぐつなげたがるって
小林は文句いってたことがあるね。
125 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 13:12:59.14
小林は「ヒューマニズム」という一文で、エリオットのヒューマ
ニズム論から切り出して、江戸初期の儒学者たちの物語に
入ってるな。
126 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 13:19:43.48
>>123 本居の「皇国史観」は神仏習合の時代のものであって、
廃仏毀釈後の近代皇国史観とは全く違うという点は、
強調すべき。
127 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 13:28:48.71
宣長の時代に「日本の歴史」を語ろうとしたら日本神話を
持ち出さざるを得ないのは当たり前。
宣長はしかし、そこに埃をかぶってた古事記を引っ張り出し
たところが一味違うと。
そういう宣長をしてベルグソン思想の暗に前提としているような
生物学的全体主義と横並びに右翼的なるレッテルを貼るのは、
正くらい現代の物差しを近世に無理やり押し付けるバカげた
行為だ。
生命論=右翼っていう連想の間違いはとっくに明らかだと思うけど
129 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 13:33:14.45
見当違いな突っ込みだな。
生命論は生物学の基礎論的分野だとは思うけど。
130 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 13:39:05.58
ベルグソンは生命論よりバイタリズムだな。
エラン・ヴィタールとか言って、冒険主義を煽る面がある。
131 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 13:44:33.43
ダーウィンはノートに「高等とか下等とかの非科学的用語は
使わないこと」とメモしてたそうな。「進化論」という呼称も
疑似科学であるから嫌っていた。
小林の時代にはこういう科学基礎論はまだなかったのか知らん?
132 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 14:00:37.56
我々は当たり前に「有機物」、「無機物」というが、この区別が
形成された時代の生物学では生気説は普通に考えてられていた。
生命論の問い、すなわち「生命とは何か?」という問題は、
生物学の問題ではない。生命論の問いの前では現代人の我々は
ダーウィン以前の世界の人々と同じように丸腰で立たされる
ことになる。
133 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 14:07:13.39
ヴァイタリズムってのは、石原みたいに「ファイト一発!」
ってやりながら、チンポぶんぶん振り回すような世界な。
左翼もけっこうヴァイタリズムだと思うが
135 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 15:56:19.07
左翼はヴァイタリズムと呼ぶには理論的であり過ぎるよ。
小林は弁証法は大嫌いだったらしいけど、マルクス自身に対する
評価は慎重なのは賢明なことだと思う。
そうかな?
生命や神話にたいして「歴史」を対置するのが常だったけど、
おおむね人民の大義の実現のみが前進とされている。
そうした歴史の推進力を「生きた」という表現で語らない左翼のほうがまれだろう。
137 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 16:30:11.18
「天命を知るとは」、「天という言葉」、小林はいろいろ
書いてる。「天罰とは」はないな。
バカじゃあるまいw
138 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 16:35:44.55
>>136 ヴァイタリズムは反合理主義、乃至は反理性主義的傾向が
強いだろう。ショーヴィニズム(熱狂主義)であるとも言われる。
139 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 16:39:15.27
そうそう、小泉改革は安っぽく感動すんのが大好きだったからなw
140 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 16:51:53.43
ラノベみたいに感動すんのが大好き。
141 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 17:14:37.19
「プロレタリアの歴史的使命」も根本において進歩主義だ。
マルクスが資本論の初版をダーウィンに贈呈したがったのは
知られた話。実際、マルクスが経済学に的を絞り出したのは
ダーウィンが『種の起源』を公表した頃からだ。
但し、マルクスはダーウィンの取り巻きよりはダーウィンを
理解していたから、適者生存の原理を自分の理論に安易に
組み入れたりはしなかった、と俺は理解
してる。
>>138 生命を持ち出すから右翼!みたいな短絡はそれこそ非理性的だろうと思うんだが
143 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 18:09:44.93
精神を持ち出すのも右翼になっちまうからなw
144 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 18:13:41.38
「生命」という概念は、ともすると生物学的概念として
受け止められる。すると優生思想や人種主義が連想され
てしまうからな。
145 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 18:25:28.58
小林にもそういう混同はあるな。ない奴がまず石を投げろと
私は言う。まあ、無知を乗り越えられなかったと言って、
ベルグソン論を中絶させたんだし、本人が封印したものを
勝手に引っ張り出した後世の我々に小林を批判する資格は
ない罠
俺も同時テロや小泉改革で、こりゃ駄目だと思って仕方なしに
インターネッツを始めるまでは小林みたいな感じだったかな。
小林よりは俺は左寄りだけど。
>>144 そういう連想は短絡もいいところだよ
「自然」を持ち出したら本質主義とかそれぐらい適当
148 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 19:15:25.66
生長の家だと思われるからだろw
149 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 19:54:06.48
意識を意識でないものから導き出すというような事は誰にも
出来はしない。だから、生物学は、原則上、意識自体を問題
にはしない。
「歴史」
ここでは小林も言うようだ。「進化学説」が生命発祥の問題に
口を閉ざしたままな点にまでは触れてないが。
150 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 20:07:46.91
ホントに読んだって聞かれちゃうぞ?
151 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 20:09:16.24
読むだけじゃ駄目だ。理解しなきゃならないんだぞ?
152 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 20:25:09.95
文芸しか関心がないようじゃ小林は歯が立たないわな。
ゴッホの手紙のどの辺りに小林の知性を感じる?
154 :
吾輩は名無しである:2011/05/28(土) 20:56:42.26
せかさずにゆっくり楽しませてくれよ。
近代アートの正反対みたいなのが良いんだろ。
作品の奥底に流れるその芸術家の宿命の主調低音を聞き取る
ことが批評の可能性の出発点と既に「意匠」で宣言してる。
「天命が宿る」から宿命と言う。
白鳥が最期に教会に帰ったのを見せられて、宣長論で自分の
骨の埋め方を始めたが、絶筆はやはり白鳥論だった。
小林はそんな風か知らん。
158 :
吾輩は名無しである:2011/05/29(日) 00:14:43.15
どんなに耳を済ましても主調低音なんて聞き取れないなら、
批評する値打ちもないってことなw
159 :
吾輩は名無しである:2011/05/29(日) 00:27:04.38
「批評家失格」は陰口という行為への執拗な嫌悪から始まるのな。
何でこうも似通るもんだろうかと感心するんだが、思い返して
見ると、世間に迎合して気楽なお喋りに必死に参加していた
自分が嫌にやったということはある。
小林秀雄全文芸時評集 (上)
161 :
吾輩は名無しである:2011/05/31(火) 23:59:27.28
中古全集も悪くないぞ。小林は書いたことの倍の距離を見てるんだが、
俺は景色が見えずに文章の二割くらいしか分からんのもいい。
162 :
吾輩は名無しである:2011/06/01(水) 00:08:07.87
批評とは作品をダシにして自分を語ることであるとか28歳で
言うし。
>>161 その感覚分からんでもない
粘って読み返したりとかはしないの?
オシッコして来る…
165 :
164:2011/06/01(水) 00:16:28.18
帰って来た…
なんで報告するねん?なんで報告するねん?
ションベンがしたくなる時ってあるだろ…
ゴッホは自分の信念に誠実過ぎて生き急いでしまったな
本読んでそう思った
ゴッホに言うたりたい
170 :
吾輩は名無しである:2011/06/01(水) 22:30:53.46
>>163 俺は小林をダシにして自分を語ってるだけだからw
様々なる意匠ですなw
若い作家群から分かりにくいってブーイングにキレて罵倒して、
そのままハイレベルな言語論を展開する小林。
ランボー、ヴァレリー、サント=ブーブ、マラルメなんて
読んでりゃ当たり前なのか知らん。昭和初期の日本人としては
異端児だろう。
俺はXへの手紙が好きだって書いたけど、一番好きなのは対話集だね。全集の対談集が欲しいくらいで…マジでかっこいいよ。
この世界を危険に導くのは、悪事を働く人たちよりも、
悪事を見過ごす人たちである − アルバート・アインシュタイン (1955)
新潮文庫の「Xへの手紙・私小説論」は収録作品の執筆年代が
まとまりが悪いせいか読むのが疲れたんだが、全集で固め読み
すると「若書き」も余り気にならないもんだな。
そうなのか…全集欲しいなあ。対談もいっぱい入ってますか?講談社文芸文庫に入ってるぶんだけじゃなくて。
全巻揃いの四次全集の古書なら一万円くらいだろ。
チマチマ文庫集めるくらいならと思ってさ。対談はないけど。
マジで金がないw全集で対談が入ってるやつないんですか?図書館で読みたい。
肉体で稼げよw
港湾労働で日銭貰って、早く終わったら神田に寄り道したもんだ。
一冊何千円のハードカバーを買いまくって、食いつめては
古本屋に30キロくらいザックに詰めて運んでな。
来年も生きてるんだと考えてたら激しく鬱だったぞ?
>>162 「私のような若輩に苦しげな批評を書かせて、素知らぬ顔をしている文壇の大家たち」に
ぶつくさ文句言うこともあったな、小林は。欧米ではそれなりに社会経験つんだ壮年が
批評をやるんで、日本みたいな文化後進国だと、未熟な若者が批評やらざるえない羽目に
なる、というようなこともいっていたな。
若くて勢いさえあれば新しいものがつくれた、そういう易しい時代はすでにすぎているのさ。
現代人の意識は過去の重荷でだんだんと重くなっていく意識、ということだ。
生米と油と醤油とガスとフライパン以外に何もないとどうする?
お米で醤油菓子を作るのだ…
砂糖醤油にしたほうがうまいと思いますよ。砂糖安いし。
189 :
三浦 ◆aKZjWmIOl2 :2011/06/01(水) 23:39:30.50
>>178『小林秀雄全作品』っていうタイトルで、一冊1600円くらいの、全32巻の全集には、講談社文芸文庫に収録されてない対談や座談会も収録されてますよ。
190 :
吾輩は名無しである:2011/06/01(水) 23:40:26.20
それは好みの問題だろ。醤油煎餅は甘さ控えめが普通だし。
嘘に嘘を積み重ね
たえざる自作自演となりすまし犯罪をおこなう、団塊老害・村上春樹容疑者(62)
この板の主役◆OZ/B6fTcn6=
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ=
忍法帖【Lv=x,xxxP】 v(・x・)v◆m0yPyqc5MQ= ←偽鈴木、ほんものに嫉妬し、実名へ成り済まし犯罪
烏賊娘 ◆42euzUlXSM
http://twitter.com/ikamusumeM2=
ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2=
記憶喪失した男=
N ◆.a7VUr.VD.=
村上春樹容疑者(62)
村上春樹容疑者は今日も2chのあちこちで成り済まし犯罪。
そのなりすました相手に侮辱の罪をなすりつけつつ、風説の流布。
カンサイ人の恥。村上春樹(神戸出身)。またも世界中をとびまわり、ありとあらゆる悪業にてをそめます。
他人の褌で相撲を取る世界最低の手合い。今日も品性下劣な成り済ましで汚い関西お茶をにごします
>>189 ありがとうございます!万引きするのはなんだから図書館で読んでみます。
>>190 ソーッスね
生米をサラダ油で炒めると膨らんで来るんで、醤油をじゃっと
やると、アラレ菓子になるんだって。
小林はドストエフスキーについて「猫の生活力」がナンとか
言ってるけど。
ほー。和製ポップコーンみたいなもんですか。やってみたいですなあ。でもそんなに膨らむのかな?
>>193 いってたねえ。締め切りにおわれる金欠作家が生活に処するための能力
というようなニュアンスだったかと。
しかし、白鳥との対談では、「ドストエフスキーの貧乏なんて嘘の皮ですよ。」
などともいってるんだよね。
トルストイは大地主だったから、おなじく大地主の白鳥が親近感をいだき
ドストはジャーナリズムにしか生活基盤がなかったインテリだったから
似たような境遇の小林はそっちにひかれたと、そういう仮説をいま検証中。
この世界を危険に導くのは、悪事を働く人たちよりも、
悪事を見過ごす人たちである − アルバート・アインシュタイン (1955)
ツルゲーネフに対する評価も、小林と白鳥じゃかなり差があるね。
小林のツルゲーネフ評価は、「ドストエフスキイの生活」における
ツルゲーネフの書き方から推すに、かなり手厳しい。要するに
「地主文学」にすぎぬと。地主文学はその最後の言葉を吐いてしまったと。
いっぽう、白鳥はツルゲーネフの小説をもっと芸術的に評価してるですね。
ま、つまらん事例だが、
>>195の仮説を多少補強する挿話だ。
>>196 また新キャラが出現してる。何かフラグたててしまったのか?しらないうちに。
>>193 アラレ菓子のつくりかたかあ。 なんか強烈にはぜそうだ。
200 :
吾輩は名無しである:2011/06/02(木) 02:26:25.66
小林秀雄全文芸時評集 上 小林秀雄 1,680 07/08
欲しいなあ…
>>173 端から見てカッコ良くても、本人が幸せとは限らないからなw
人は生涯を通じ宿命から逃れ続け、最後に追い付かれる。
ならば最初から宿命と共に歩いたらどうかってことかな。
幸せそうだとは言ってませんよw
なるほど、お前はツマラン奴だ。それを受け入れるのは人生に
絶望することだろう。
「彼女のことを尊敬するが、自分の娘に同じ道を歩かせたくは
ない」と言われた人もいたな。
207 :
吾輩は名無しである:2011/06/11(土) 20:46:16.09
小説家というのは才能の山を持っていて
それを削ってモッコで運ぶようなものだ。だから持っている才能の山が
小さい人間はすぐに山が無くなって書けなくなる
by 小林秀雄
208 :
吾輩は名無しである:2011/06/11(土) 20:49:36.79
才能とは欠落のことである。
突出した才能を持っている人は、必ず、大きな欠落を持っている
ヒンツ
210 :
吾輩は名無しである:2011/06/12(日) 23:54:17.38
「マルクスの悟達」で左翼転向を指弾されて、晩年の芥川みたいに
愚痴が増えたな。
211 :
吾輩は名無しである:2011/06/13(月) 00:00:42.53
昭和初年、第一次大戦は「反動国家」に対する「進歩」と「民主主義」の
勝利に終わり、大衆の政治参加の流れが列強において強まった。
大戦終結を戦勝国として迎え、創設された国連の主要メンバーの地位に
立った大日本帝国としてもその流れは無視し難く、治安維持法と引き換えに
男子普通選挙を施行開始した。そんな時代。
212 :
吾輩は名無しである:2011/06/13(月) 00:06:55.36
批評とは作品をダシにして自分を語ることだったのが、
何としても自分を棚上げにしなければならないことに
なってしまった。
213 :
吾輩は名無しである:2011/06/13(月) 00:15:23.84
いじけながらも自分でズケズケそう言うところに小林らしさはある。
唯物論研究会に参加したのも一片の意地だろう。
>>206 娘に自分と同じ道を歩ませたくなかった、と小林はいっていたそうだけど。
尊敬する彼女とはいったい誰のこと?
>>207 なんか当たり前すぎるロジックでつまらん。小林らしい才気がない。
>>208 それは誰の発言?
>>210 小林は「マルクスの悟達」書いたときは、マルクス擁護してたけど
転向は一度もしてないと思うな。
>>211 その時代の小林は、作品を歴史的諸条件によって絶対的に制約された
存在として解釈することに対して、執拗に反駁し続けていたね。
>>211 小林は直接的に自分を語らないんだな、ほとんど。 小林が自己を語る
その語り方については不満をもってたひとも多いね。 寺田透だっけか?
小林は率直に自分を語ることがほとんどないと不満を漏らしてのは。
>>213 いろんなことに手を出したい好奇心のあらわれにみえるね俺には。
マルクスに対して一定の理解を保つのは良識的知識人の証みたいな
ところはあるからな。
マルクスは昭和はじめの知識人にとって、絶対的他者であったって話ね。
小林流にいえば、思想というものをまったく知らなかった感傷的な日本の
文学界に初めて切断をもたらした衝撃であると。
この衝撃の余波はずっと続くんだね。で、後年の小林は、日本史に対する
マルクス主義的歴史解釈を執拗につまらない、つまらないと貶すように
なるんだなw マルクスのせいで日本の歴史は絶滅した、とまで極論
してる。
まあ、マルクスについては、小林の見方は変化してるといっていいな。
217 :
吾輩は名無しである:2011/06/13(月) 12:20:15.36
小林がドストエフスキー好きなのは地主じゃなかったから云々て
マルクス主義的な解釈は小林は嫌ったのな…
218 :
吾輩は名無しである:2011/06/13(月) 21:36:24.18
進歩主義の時間構想の中で幾ら相対性理論なんかつつき回しても、
進歩主義の時間構想からは逃げられない。
近代社会が歴史感覚を喪失したのはマルクス主義だけが原因では
ないだろう。小林も遂にはベルグソン的形而上学と歴史の総合を
中断したまま放棄してしまった。
ああ、時間構造。
始まりも終わりもない世界で寝起きしたって不都合はあるだろうか。
220 :
吾輩は名無しである:2011/06/13(月) 22:33:34.04
我々にとって歴史はイメージではあっても空間ではない。
無限の進歩と口先では言いつつも、ユートピアという終わりが
なければ我々は進歩をイメージ出来ない。
「無常という事」は、歴史が空間化する特殊な意識経験から
話を説き起こしている。幻視者的な経験だ。
小林訳のランボーの『飾画』を読んで幻視を起こしていた
頃が懐かしい。そんな不思議な体験も遠い。正気も狂気も
区別のないような世界にはウンザリさせられる。
たかがファンタジーの延長にされちまうからな。
サブカル・キャラだと思われてる。
マンガの中でなら何でもやって良い。東京の奴らを半分殺したって
たかがマンガだ。
>>217 まあ、矛盾してるっちゃーしてるが、時代精神、時代の思潮との相関関係を
みれば、別に不思議もないやんけ。小林の時代ではマルクス主義が主流であり
知的領域における支配権を握っていたから(少なくとも小林にはそのように
見えたから)小林はそれへのアンチテーゼを強くうちだしたんで、今のように
マルクス主義が全然主流でない時代なら、アンチテーゼのうちだしかたも
弱くなるんじゃないかな。
晩年の里見 クをつかまえて、「おまえら白樺派は全部金持ちの息子じゃねーか」
なんてからんだというエピソードを読むと、表面的な時代思潮にあわせた小林の
論の奥にもう一部屋あるんじゃないかという、そういう気持ちになるよ。
本人も文章にでてない部分があるって、確かいってたような。 しかし別のところでは
書いてあるものを読めば、いいたいことは全部わかる、ともいっている。
これも矛盾だなw
なんかNがレスしても殆どスルーされてるよな
こいつにレスするのめんどくさいからな
>>227 まあ、スルーしたけりゃスルーしてくれって。
レスするのが面倒ということは、すくなくともレスを
読んでいなければいえないことだからなw
読んでもらえればオケw
>>214 Xへの手紙はどうなるの?自分を語ってない?他の人たちには冗談だと思われたのかなあ?
>>229 語ってるだろうな自分を。しかしまあ、あれでもかなり自分を晒すのを抑制してる
かんじはするな。抑制なく、何もかもぶちまけていると、そういう感じはしない。
女のこととか、嘘のこととか、いろいろ書いてはあるが、具体的な固有名への
言及があるわけでなし。観念的私小説とでもいえばいいのか。
内容は告白体小説であるが、手紙の形式をとっているところが珍しいと思うね。
Xってのがだれなのか、前から気になる。 小林の親友だった河上徹太郎の
ことだろうか…
観念的私小説というか、非常に匿名性の強い私小説、といいかえたほうがよさげ。
すべての現実が匿名的な手続きを経て、処理されてるね、あの小説は。
>>230 俺は誰に対しての手紙だったかはわからないんだけどね、安吾が自分に対する手紙だと解釈したであろう事は疑いないと思う。
>>232 坂口って、Xへの手紙が好きだったんだ。それは知らなかった。
>>233 いや根拠はないんですよ。でも彼らの対談「伝統と反逆」を読んで俺が気付いたんですよ。安吾が自分をXとして意識してる事に…
ほんとにそうだとしたら、すごくドラマティックじゃないですか?
そうか、俺はそこには気づかなかったわ。
ちょっと読み比べてみてよ。坂口安吾がXへの手紙を意識してるかどうか、Nさんが判定してみてよ。
238 :
吾輩は名無しである:2011/06/14(火) 23:24:54.78
>>163 無理矢理全巻読破に挑戦中だ。
俺の専門は文学でないからな。
>>237 「伝統と反逆」は読んだが、安吾が特に「Xへの手紙」を意識してるとは
おもわなかったなあ。 鈴木がXへの手紙にいれこみすぎてるせいだと思うが。
「Xへの手紙」に対応する安吾の発言を何か抜き出せる?俺は無理。
そう言われると、難しいと思う。でも安吾が小林秀雄をめちゃくちゃ意識してたのは本当だと思う。尊敬してるって言ってたし。
それはそうだな。 小林をよく読みこんでいるのがわかるよ、安吾の発言をみてると。
俺ももう一度対照してよんでみるよ。
それ、おもしろそうだ。
俺はもっと早く小林秀雄を知っておくべきだった。
俺は後悔するのがいつも人より遅かったw
>>242 おうよ。
>>243 蓮實だって柄谷だって中上だって、小林の批評を超える、というのを
ひとつの目標として挙げていたわけでね。彼らの批評を読んでいれば
小林が主要なターゲットってのは、いやでもわかるって。
敵を選ぶなら、やはり価値ある敵を選ぶべきで、無価値な敵を選んでも
しょうがない。
小林は、後悔するのが人よりいつも遅かったというが、小林の読者も
みんなそうなんだと思うね。これは何も自慢できるこっちゃないな。
しかしそういう錯覚は生まれやすいな。
245 :
吾輩は名無しである:2011/06/15(水) 18:44:32.75
文芸関係者が哲学思想方面に疎そうなのは小林時代とそう
変わらないか。
芥川は小林より十歳年長、芥川がランボーについて触れているのは、
小林が24歳で初めてランボーについての小論(「ランボオT」)を上梓した
翌年、芥川が自殺した年だ。
若き小林が芥川の影を振り払いたかったとしても、分からなくもないな。
247 :
吾輩は名無しである:2011/06/15(水) 22:32:58.31
杉田と大澤対談で小林は晩年身近な人や妹に
最後にキリストをやりたい、しかし自分にはもう時間がないと
言っていたらしいけどこのソースが知りたい。
248 :
吾輩は名無しである:2011/06/16(木) 20:59:51.90
近代というものの性質を考える上では、ヨーロッパ人の新大陸発見は
不可欠な前提ではなかろうか。
249 :
吾輩は名無しである:2011/06/16(木) 21:09:21.72
>>247 『イエスという男』みたいなのになったか知らん。
「実生活にとって芸術とは屁の様なものだ。この屁の様なものと
みなす観点に立つ時、」芸術が一番はっきり看取出来るのであり、
「芸術が何か実生活を超えた神聖物とみなす仮定の上にはどんな
批評も成り立たぬ。」
批評家失格T
251 :
吾輩は名無しである:2011/06/16(木) 22:43:54.88
最初の参院選への立候補を決心して、その推薦人の一人に
なってもらおうと小林邸を訪ねた時、「そうか君も政治を
やるのか、いいことだよ。君な、政治というのは大事なもの
なんだよ」
石原慎太郎
小林が間違いを犯すことはないとは敢えて誰も言うまい。
252 :
吾輩は名無しである:2011/06/16(木) 23:19:04.67
小林さんに手を引かれてやってきたランボオは私にとって
彼の吸っているパイプの匂いすら感じさせる身近な、という
よりもっと間近なものになり得た。
石原慎太郎
ふんふん。
>>245 小林なら現代精神における分業化傾向、専門化志向のあらわれと
評するだろうな。
>>246 初期の小林は、芥川を主要敵に据えようとしていた節があるね。
「芥川龍之介の美神と宿命」において。
>>247 俺は、聖徳太子について書ける時間がもう自分にはない、と語ったのは
読んだことある。確か講演集のカセットの解説だった。
本居宣長やる前に、ドストエフスキーやるか、ベルクソンやるか、宣長やるか
どれがいいか考えて、宣長論を晩年の仕事にすることに決めたそうな。
ドストエフスキーやると決めていたとしたら、それがキリスト論になったろう。
ゴッホ論、ルオー論も、あれは裏返しのキリスト論だね。
>>248 そりゃそうだが唐突な話だなおい。
>>249 「イエスという男」 田川健三か。 こういう試みの先駆者といえば、ルナンだろうな。
「イエス伝」
>>250 中村光夫が、そのフレーズについて、成熟した認識であって、自分は
ずいぶんと時間がたってから、ようやくその意味が理解できたって
いってたな。
>>251 石原と小林、お互いの作品にはまったく関心がなかったようだね。
あと、石原がよくあげる小林とのエピソードは、誰か老大家の作家を小林が
いじめてるときに、石原が止めたっていう話と、小林にケ小平について
聞かれたとき、どういうひとなのか答えたって話。
石原は小林について書いた論の中でも、「文学の神様」のこと、ちょっくら
ディスってるね。
255 :
吾輩は名無しである:2011/06/17(金) 06:49:42.15
小林世代は例外なくルナンにちょっとはかぶれちまってるな。
256 :
吾輩は名無しである:2011/06/17(金) 18:31:26.54
>唐突だな
小林はヴァレリを「神経衰弱の天才」と読んでる。近代知識人や
文化芸術に一様に見られるこの症状は何故起きる。
小林なら医者の見立てじゃつまらない。患者になって自分の
不具合についてマズく語れと言うが。
>>255 そうなのか。
>>256 小林の診立てでは、近代芸術というものそれ自体が、間違った
方向にすすんでいるから、とそういう話になるな。
258 :
吾輩は名無しである:2011/06/18(土) 21:31:16.88
ルナンがダーウィンの尻馬に乗って聖書から聖霊を追い払ったのは、
ランボーは「我々の行く手は聖霊」だと言った、そのちょっと前くらいかな。
教養主義の時代には英雄的知識人扱いだった。
ウィキのエルネスト・ルナンの項の前半分に書いて置いてやったから
暇なら読んで桶
ランボーが詩作をしたのは、ルナンが『イエス伝』を発表して
カトリックの権威と衝突して最終的に勝利し、既にアカデミズムの
権威として君臨している時代だ。
現代聖書学は半ば当たり前な顔で聖書における超自然的な要素を
飛ばし読みする。奇跡など非科学的であると言って、現代人たる
我々の誰がそれを非難するだろう。ルナンはその第一人者だ。
261 :
吾輩は名無しである:2011/06/19(日) 04:14:49.42
小林の文章でもオカルト的な話題は特に珍しくはない。
「信じることと知ること」でユリ・ゲラーを引き合いに
出して、現代人が「不思議を不思議と受け止める素直な心」を
失っていることを驚いて見せている。
我々は臆病だ。人間を越える存在を認めることは、我々に
とって犯罪に似たものだ。株価が下がるからな。
262 :
吾輩は名無しである:2011/06/19(日) 04:22:57.01
思議ならざるものの不思議たる所以は我々の知性の限界の
向こうにあるからだ。我々はそれに対して謙虚になるか、
目隠しをするかのいずれかを選ばねばならない。
我々は目隠しをする。世界の神秘は隠蔽され進歩も不可能に
なる。
263 :
吾輩は名無しである:2011/06/19(日) 04:26:08.75
ここまで来ると誰もが尻込みして近寄って来なくなる。
急によそよそしい態度になる。結構なことだ。
264 :
吾輩は名無しである:2011/06/19(日) 04:30:32.82
神秘の許されない世界に天命も宿命もあるものか。
天才になんかなれやしない。ルナンみたいな凡庸な秀才なら
掃いて捨てるくらいいるがな。
265 :
吾輩は名無しである:2011/06/19(日) 04:39:02.47
広告スレすら上がらなくなる。
266 :
吾輩は名無しである:2011/06/19(日) 05:21:54.94
インターネッツも退屈だな。来年で十年だ。
>>258 そうなんだ。「イエスは人間だ」っていっただけで、英雄扱いか。
まあ、キリストの表象については、2000年経過しても、まだくみつくされぬものが
あるんじゃまいかと、俺は勝手に想像してるけど。
>>259 読んだよ。ルナンのWikipedia。 ルナンは神学に対する合理的解明の先駆者で
あると同時に、ヨーロッパの優等とそれ以外の世界の劣等、つまり「文明化の使命」を
はじめて明確にうちだした、とあるな。 つまりこの二つの観念は、一緒にうまれでた
双子ってわけだ。
>>260 逆に戻らないとわからないことがあるならば、戻らないとね。
>>261 後の講演では、ユリ・ゲラーは手品師で、超能力には仕掛けの種があったんだってね
って述べてた。 ユリ・ゲラーはインチキだってね。スプーン曲げについても何か
コメントしてたような。 まあ、自称超能力者というのは優秀な詐欺師も多いから
だまされてしまうことがあるのも、仕方ないのかなあと。 君子欺くべし、だ。
>>262 誰の目にも見える部分で進歩はなされているからねえ。
まあ、目隠しする必要もないんじゃないか。 神秘主義的傾向の
あるベルクソンだって、現代物質文明の進歩は否定してないよ。
>>264 ルナンの主張は、当時は大胆きわまりないものだったんだろうな。
今では誰も驚かないけど。小林の時代には、もうルナン的な考えは
瀰漫して、それへの反動がむしろ目立ってきたわけじゃないか。
>>265 広告スレは常時あがってるね。
>>266 インターネットの前は、パソ通をちょいとばかりやってたね。
269 :
吾輩は名無しである:2011/06/19(日) 16:11:49.26
進歩してるのは科学技術だけに見えるぞ。我々は神経衰弱を
通り越してミッキーマウスに成長しちまった。
まあ、こうやってネットを通じておしゃべりできるのも、技術の進歩のおかげなのさ。
271 :
吾輩は名無しである:2011/06/19(日) 16:16:00.84
ネットは道具に過ぎないよ。使い手がバカなら大した効用もない。
272 :
吾輩は名無しである:2011/06/19(日) 16:17:53.46
便利と堕落は肩を組んでやって来るのが世の常だとは?
文明の進歩とは野蛮と紙一重、ってか。
274 :
吾輩は名無しである:2011/06/19(日) 17:03:12.77
黒船来襲は正にそうだったかな。
適者生存の世界では進歩と武力は区別不可能だ。
275 :
吾輩は名無しである:2011/06/19(日) 17:10:43.57
ペリーが来航して日米和親条約が締結された1854年は未だ
ダーウィン以前の世界ではある。ダーウィンが進化論の舞台に
デビューしたのは日米修好通商条約1858年の翌年、1860年には
アメリカが中世の残滓を洗い落とさんとして市民(南北)戦争を
始めた。
276 :
吾輩は名無しである:2011/06/19(日) 17:30:24.15
所謂「進化論」がダーウィンによって始まったというのは
世の中に未だに蔓延している俗説であって、ベルグソン的な
形而上学的進化論はそれ以前から存在した。
ダーウィンが革新的であった点はダーウィンが進化論から
形而上学を廃して近代科学の批判に耐え得るものに整えた
ことだ。ダーウィンの根本的な立場からするとベルグソンの
哲学すらも非科学的俗説に分類されかねない。
277 :
吾輩は名無しである:2011/06/19(日) 18:13:20.96
近代以前の世界において生命が、ひいては人間存在がある種の
超自然的要素を帯びているという感覚は自然なことだった。
むしろ頑迷な唯物論、乃至、無神論的態度は古代ギリシャの
発達した都市文明のような限られた特殊な条件でのみ見られた
ものだった。前近代の人々が迷信深かったというのは全くの
間違いではないが、自然と超自然の区別を付けるだけの悟性が
なかったというのは嘘だ。
福音書でペテロがそうだったように、人が水の上を歩いている
のを見て肝を潰すには日常感覚に頼れば済むのであって、仰々
しく近代科学を持ち出す必要はない。
278 :
269:2011/06/19(日) 18:29:21.35
>>270 その応答の速さは、板に張り付いて身構えたのか?
279 :
吾輩は名無しである:2011/06/19(日) 20:04:43.38
>>163 いっそ、小林の評論は屁のようなものと思って
読んだ方が良いのか知らん。
ホントに屁のようなものだったら読みもしない
けどw
>>278 いんや? 別に24時間張りついてはいないぞ。 2chやってる間は、すぐに
レスポンスするようにしてるだけ。
Nのパソコンってお前にレスがつくとブザーでも鳴る仕組みなの?
何でそんなに早くレスを返せるの?
>>281 そんなに早くレス返してるつもりないけどね。普通だろうこれ?
そうだそうだ!
284 :
269:2011/06/21(火) 21:57:51.14
俺はバイクで近所に海を眺めに出掛けて帰って来たところで
あった。
285 :
269:2011/06/21(火) 23:31:20.40
ヘドロの海から開放された喜び。
小林スレらしくないな…
286 :
吾輩は名無しである:2011/06/21(火) 23:45:52.78
新しい国ができた 人口わずか15人
しかも全員センスのない単車乗りばかりが揃ってる
290 :
吾輩は名無しである:2011/06/22(水) 06:34:34.45
>>287 >ヘドロの海
世の中に決まってんだろw
メロンソーダとチリドッグ
それさえあれば生きていける
思ってる俺はケツの青い最新型のピストル
294 :
吾輩は名無しである:2011/06/23(木) 00:02:14.71
車庫の中で単車眺めながらあっと言う間に一時間。
295 :
吾輩は名無しである:2011/06/23(木) 00:06:24.66
星の王子様の『夜間飛行』のジイドの手なる序文は良い。
296 :
吾輩は名無しである:2011/06/23(木) 00:09:05.04
あれは小林みたいにキチガイ経験ないと分からんね。
297 :
吾輩は名無しである:2011/06/23(木) 00:14:37.50
宿命でない義務はない。見出したものは幸いであると。
>>290 そうかそうか。毎日悲憤慷慨してんのかw
>>291 かっこいいね、そのネーミング。
>>292 メロンソーダ好きって、まわりにもなぜか多い。
>>293 モデルガン?
>>294 車庫があるんだ、屋根付き?
>>295 へえ、ジードがね。飛行機乗りによる文学の嚆矢か。
日本じゃ飛行機乗り文学って、無理かいなー。
パイロットの文学として思い出されるのは、島尾だな
日本の場合。
299 :
吾輩は名無しである:2011/06/23(木) 06:41:15.91
分からんのだろ。
ジイドの話は小林の手帖Uだ。
真の幸福は自由ではなく義務にあると。近代人の崇める自由
なんてもんは、詰まるところミッキーが好きかドナルドが
好きかくらいの話にしかならん。
誰かが鼓を打つのを聴きながら静まり返った気分で目を覚ました。
302 :
三浦 ◆aKZjWmIOl2 :2011/06/23(木) 10:12:13.32
>>292ブランキージェットシティーは日本の3大ロックバンドのひとつですよ。
小林秀雄とは関係ないですけど。
三浦って童貞なの?
最近書き込みミスが多いですね。反省。
>>303僕は童貞ではないですよ。
偏った女性イメージと、歪んだ性知識しか持っていませんが。
俺の女性イメージも偏ってるな。
306 :
三浦 ◆aKZjWmIOl2 :2011/06/23(木) 14:37:12.17
ですよね。非童貞=女を知っている、というのは誤解を生むと思います。
少ない経験から、真理を導こうとして、誤謬に陥る近代の哲学者のような、人間的な、あまりに人間的なプロセス
それが、恋愛ではないでしょうか。
異論は認めます。
女と付き合うには「知ろう」としないほうがいいんじゃないの?
しかし、小林は難しいな。
「この世の真実を陥穽を構えて捕らえようとする習慣」 って何だ?
要するに自分の中に方程式を用意しておいて世界をその物差しで測るって意味じゃないの?
309 :
吾輩は名無しである:2011/06/23(木) 17:52:51.23
世の中が自由を求める余りに、進んで牢獄を作って入りたがる
ようなことじゃないか?
確かに小林秀雄はそういう傾向があるって安吾に批判されてたけど、その文章はそういう意味じゃないと思う。
まあ、でもそういう意味もあるのかなー
鈴木は一日中2ちゃんしてる上に三度の飯も上げ膳据え膳な訳?
どんだけ親不孝なんだよ!
むしろ飯は基本的に俺が作って皿洗いまでしてるよw
>>299 ああ、それは読んでるよ。 「幸福は自由のうちにはなく、むしろ義務の容認のうちにある。」
「これは一見逆説とおもわれるかもしれないが、そうではない。一部ではすでに知られてきた
真理である。ただ、この真理を私が納得するのに、とても時間がかかったという、そのことが
逆説的なのである」
とか何とか、そんな風なジイドの発言が引用されてたね。
>>301 へートカレフか。ソ連の軍用拳銃。まだニューモデルつくられてるんだ。
>>302 なるほど。ロックには全然疎くてさ。
>>304 まあ、童貞でなくても、女の知り方はあると思うな俺もw
>>307 典型的な小林流悪文だなwそれは。 本人も後で自分の書いたもの読むと何言ってるか
わからないと漏らしたことたびたび。 まあ、あれだよ、常に斜めに構えてものをみる
素直にはものをみられない天の邪鬼な習慣、こういいかえれば、きっとわかりやすいん
じゃないか。
「様々な意匠」では、批評家がこの世の真実をとらえるには、搦め手からとらえるのが
一番よい方法、ってなことを、小林は書いていたが、似たような表現だね。
「作家の文体」というインタビュー集では、小林は自分の文章について
「用語が乱雑、形式が整ってない」という風に述べていたね。
そしてそれは、自分のそだちかた、時代の影響が大きいって言ってた。
子供のころから寄席などにいって、伝統的大衆文化に親しんできて
大学に入ってフランス象徴派の詩人たちから、非常に強い影響をうける。
だから文章を書くと、それが両方でてきて、統一的な形式に両者を
まとめられない、自己の文章のなりたちについてそんな風に述べていましたな。
でもそれがエモーショナルな効果を生むし、魅力でもあるよね。
受験国語で小林秀雄に苦しめられた人はもれなく嫌いになるらしいねw俺は大学受験しなかったから幸運だったのかな。
>>316 受験問題に小林秀雄は出題するなって、丸谷才一がいってたな。
あれは正論だよ、ある意味。
でも「時代のせい」っていう説明も無茶苦茶だよね。
昭和初期は確かに激動の時代だったかも知れないけど、じゃあ現代はどうなんのさ。
これだけ情報が錯綜してたら真実もクソもないじゃん。その中で、中原昌也の自伝の文章は素晴らしいと思う。
これが語り下ろしなんですよ?80年代から00年代の総括としても読めるんだけど、これほど簡潔に語れるのか、と驚愕しました。
だから、昔は文章の規範というものがある時代があったっていうんだよね小林はw
それが近代になって壊れたと。だから誰の文章がうまいとか、なかなか決まった評価を
定めがたい、それが現代だってね。 そういう時代意識に一番鋭敏なのが、文章の
専門家といえると、そういう風にいうね、小林は。
だから、もちろん現代は文章の規範がない時代なのさw それは小林の時代と
かわらんな。
みんなリアリティーを出すために口語体で文章を書くでしょう。じゃあ語り下ろししてみろと。なんで出来ないの?
後で直しを入れてもいいから語り下ろししてみろと言いたくならない?小林秀雄も一気に書いたような文章だけど、
直し入れまくってるでしょう。それ自体は別にいいんだけど、それをオートマチズムに見せるのは不純じゃない?
Xへの手紙、さ。あれはどうだったんだろう。途中で語り手が「どうやら俺は早口で喋りすぎているようだ」とか言うでしょ。
改稿したら不純とか、そんな変な考え方はないだろうw
そういう発言を聞くと、「栗の樹」をおもいだすね。 「栗の樹」なんて本当ないん
だけど、あったほうが文章を書くうえで都合がいいから、文章の中ではあることに
すると。 相手は文章で飯食ってるんだから、それで不純とかなんとか、目くじら
たてても栓なきことでは。
>>321 非常に考えて書くらしいね、といわれると、いいや、全然、と答え
書くのが早いらしいね、といわれると、いやになるほど遅筆、と
答えるんだってさ、小林は。 正面からそういう質問をなげても
はぐらかされるばかりだな。
>>322 違うよ。改稿自体は全然悪くない。大江文学なんて改稿から生まれるって本人が言ってたし。
それを口述筆記のように見せるのが不純だって言ったんです。栗の木かあ。中上健次の小説に
「夏芙蓉」(だっけ?)っていう架空の植物が何度も何度も出てくるんですよね。本人が言ってたw
>>323 面白いなあ。そういう情報ってどこから仕入れるのNさんは?
>>324 対談なんかでも、そのまま文章にすると、読めたもんじゃないってね。
だから、あとから手を入れるとかよくあるそうな。 それは不純というよりは
編集技術ってもんじゃねーのw
>>323 小林が自分で書いてるよw 小林秀雄初期文芸評論集にあったぞ。
>>325 そうかあ。小林秀雄対話集は最高だよね。めちゃくちゃかっこいいと思う。あれも編集技術の賜物なのかw
初期文芸評論集チェックしてみます。つーかNさんは新潮社から出てる小林秀雄の講演CD聴いた事ある?
>>326 あるよー、俺が聞いたのはカセットテープだがな。 今はCDで聴けるのかw
もう落ちるよ。またあとでなー。
いいなー。国会図書館に行って聴いてみようかなと思ってますよ。案外甲高い声なんでしょ?
またねー!
俺は小林秀雄の生原稿を見た事がある
どこで?
アセンションと鈴木はもうガチホモカップルだな
どっちも犯罪者で無職、毎日2ちゃん常駐してるから分かりあえるんだろう
鎌倉文学館に展示されてるよー
小林秀雄の講演音源は昔はまってたな
なんて講演が良いですか?
338 :
吾輩は名無しである:2011/06/24(金) 20:41:01.31
おお!ありがとうございます!後で見てみます!
衝撃を受けました。何度も聴かなきゃ!
俺は小林秀雄、直筆のサインがはいった本をもってるよw
羨ましいな〜w
343 :
吾輩は名無しである:2011/06/26(日) 17:41:23.73
対談集「歴史について」も面白かった。
誰との対談なのですか?
345 :
吾輩は名無しである:2011/06/26(日) 23:21:19.21
江藤淳、田中美知太郎、今日出海、末長雅雄、高尾亮一 永井龍雄、
大岡昇平、五味康祐・・という感じですかね。
特に河上徹太郎、今日出海との三人のは構えてなくて面白かったですよ。
346 :
吾輩は名無しである:2011/06/27(月) 03:29:24.07
なりすまし犯罪しかできない村上春樹を獄死させろ! 絶対に許すな! 獄死だけが正当な刑罰だ!
347 :
吾輩は名無しである:2011/06/27(月) 04:24:24.89
小林秀雄は高卒2流私大出身者をターゲットにしてるよね。
>>345 ご丁寧にありがとうございます。欲しいな〜
『夜間飛行』のジイドの序文をまるまるアップしてるバカがいるぞ。
晒して下さい。読んでみたい。
「ジイド 夜間飛行」でググれょ
あざーす!!
>>347 わざわざ君のコンプレックスを晒すこともなかろうに・・・
「ここで描かれたのは、人間の幸福が、自由のなかにあるのではなく、責務を引き受ける
なかにあるという逆説である。この逆説的な真実に光をあててくれたことについて、ひと
きわ作者に感謝したい。それは私にとってとりわけ重要な真理的観点なのである。」
この部分について批評家たちがジイドに噛み付いて来たのをジイドが
再反論してるのが小林が引用してる文章。
「個人主義といふものの極限にこの真理を発見するといふ事、その事こそ
逆説的」と云う風な付言をジイドは加えてる。
差し当たり「個人主義」はイデオロギーを相殺するが、ここでジイドが真に考えている
「個人」とは、いかなる一般化も許さないどこまでも具体的な個人のことだ。天命というのは、
そういう人物にしか見出されないもんだろう。
「Xへの手紙」は、全集の順番にしたがって、「マルクスの悟達」とその後に続く
一連のふてくされ気味の評論の後で読むべきだな。
…「犬は何故しつぽを振るのかね」「しつぽは犬を振れないからさ」。この一笑話は
深刻である。
「Xへの手紙」
ここの箇所はなかなか味わい深い、まるで俺が2ちゃんに昨日書いたばかりの
三行レスみたいな文章だ。
インターネッツにいる人間というのは株式メディアの御用文化人のような操り人形には
なかなかならぬだろう?
俺は俺を権力に利用させないためにインターネッツを始めたんだからな。
是が非でも、この世に足跡を残したいわけでもなし。
360 :
吾輩は名無しである:2011/07/05(火) 23:07:50.17
イミフだな。「ナチズムの本質はヒトラーの燃え上がるような憎悪だ。
こいつはどんな国にも真似は出来ない」ってのが小林の戦時中のヒトラー評だ。
これは戦後も変わってないぞ?
361 :
吾輩は名無しである:2011/07/05(火) 23:14:43.49
こんなことも言ってる。
大衆はその感情の要求に従って、その棲む時代の優秀な思想家の思想を読みとる。
だから彼等はこれに動かされるというより寧ろ自ら動く為に、これを狡猾に利用するのだ。
「Xへの手紙」
くわばらくわばらw
362 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/05(火) 23:46:27.60
小林の天皇マンセー思想、右翼思想を語れる人いる?
363 :
吾輩は名無しである:2011/07/05(火) 23:53:04.19
三島の死後に右翼から哀悼の意を表するために発起人になって
くれと頼まれて、「哀悼の意を表するのに発起人がいるのか? お断り
します」と返したんだとょ
364 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/06(水) 00:04:11.35
>>363 それは、作家以外の仕事はやりたくない、というだけの話で、小林は右翼でない、の証拠にはなりませんね。
犬のしっぽのくだり、よくわかんなかったねえw
>>360 凄いなあ。どこで読めますか?
>>361 俺の大好きな「Xへの手紙」だw
でもそれだけ抜き出すとなんだけど、小林秀雄の言いたい事は「大衆の思想の最大公約数は思想家のそれに似る」という事では?
>>362 小林秀雄は確かに文学者の中の戦犯として扱われたけど、別に右翼ではないんじゃね?天皇マンセーだったんですか?
>>363 でも小林秀雄は江藤淳が三島の死後に三島をキチガイ呼ばわりした時にブチ切れてたよね。
>>365 俺もよくわかんないんだよ。誰かに解説して欲しいなあ。Nさーん!!
367 :
吾輩は名無しである:2011/07/06(水) 00:21:56.15
下らねーな。小林は右翼でも左翼でもない。右翼の誘いを退けたのも、
芸術家としての三島には党派性なんか無縁だからだとよ。
世の中は相変わらずクソだな。
要するに大衆と思想家を犬としっぽに喩えてるのか?
でも尊敬する小林秀雄先生のスレがこんなに伸びてて俺は嬉しいよ。とか言ったらここで俺に対する嫌がらせが始まる可能性はあるw
370 :
吾輩は名無しである:2011/07/06(水) 00:24:12.94
夭逝した富永太郎や中原中也についての小林の文章と、三島に群がる類いの輩ども
との距離は埋めがたい。
ねえ、未だによくわからないんだけど、中原中也の奥さんを小林秀雄が寝取ったの?
そんな話聞いたことあるなあ
大岡はどうしたんだっけ
373 :
吾輩は名無しである:2011/07/06(水) 00:36:16.74
>>368 世の中に自分の足跡を残したきゃ何らかの形で世の中の協賛を
得なければならないって同じ文脈にあるだろ。世の中に負け
なきゃならないって。戦後の文章にも「世の中で成功するのは世の中に
成功させて貰うことだ」とある。
ランボー的なるものは世の中は居心地が良くないのさ。
大岡昇平もドロドロなんだよね。でもドロドロの人間関係ってそれだけで文学的だよねw
>>373 なるほどねえ。小林秀雄と坂口安吾が口を揃えて菊池寛を絶賛してたのも関係があるのかな。スポンサーはディスれないよね。
376 :
吾輩は名無しである:2011/07/06(水) 00:44:04.89
そういう単純なことじゃねえんだよな
やっぱりお前は馬鹿だな
でもそれは厳然としてあるよ。当たり前の原理だよ。あまり語られないけどね。
378 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/06(水) 00:46:44.20
>>371 > ねえ、未だによくわからないんだけど、中原中也の奥さんを小林秀雄が寝取ったの?
そうだよ、奧さんというより同棲していた彼女ね。
なんとか康子って名前じゃなかったっけ?
>>378 そうなんですか。ドロドロだけど、そこがいいw
鈴木は綿矢りさのドロドロうんこが好きなんだろ
381 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/06(水) 00:57:55.27
>>338 の、録音で小林は、若者みたいな老人になってはダメだ、って言ってるけど、
小林自身は若者に大人気の、若々しい、ジジイだったんだよね〜
それはそうでしょうね。一番フレッシュなおじさんだったんでしょうね。
383 :
吾輩は名無しである:2011/07/06(水) 01:08:36.17
言論の自由なんてロクにありやしない大日本帝国体制の息苦しい世の中で、
筆を折るか評論家としての道を取るか、小林は後者を選んだ。
384 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/06(水) 01:10:47.30
つーか、康子、中原、小林が三角関係になってもコミュニケーションがあって、
「中原と自分は、憎しみ合うことすら協力しあっていた」風なかっこいいことを小林は書くんだよねw
385 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/06(水) 01:25:44.24
>>384 は、「死んだ中原」って題のエッセイだったと思う。
386 :
吾輩は名無しである:2011/07/06(水) 01:30:16.38
日本人、点呼!
やっぱり全集読まなきゃなあ…
388 :
吾輩は名無しである:2011/07/06(水) 01:34:34.96
断って置くが俺は「チョン流」とか、そういう民族蔑視的な
言辞を振り回す奴は大嫌いなんだ。
だから中原のことは大岡昇平の書いたものも読まないとダメよ
古書で手に入る第四次全集は悪くないぞ。冷戦終結後に出たものは、
いろいろと面倒な思惑が鼻を突く。
>>366 まー、当たり前のことを、とても深刻そうに表現するのが、当時の
小林の癖だった、と思うよ、俺は。
小林は天皇についてはあまり発言しなかったそうだが、それでも
いくつかの発言は残してるね。講演のあとの質問時間で、学生に
「天皇という存在についてどう考えればいいか」と聞かれて、「天皇とは
日本という有機体の個性である」と答えた発言をまず思いつくね。
「自分は明治生まれなので、天皇陛下が大好き」という発言もした
そうな。そして、最後の大作、「本居宣長」はあれは天皇論といってもいいね。
吉本隆明は、「天武天皇の悲しみ」について小林が書くその書き方に
小林の宿痾をみてとったりしている。体認される伝統への感性こそが
一番重要という小林の考え方に、いいようのない停滞感を覚えさせられる
とか。 小林と大岡は戦後、政治的に対立したといわれるが
天皇についての考え方の違いをめぐる争いという側面もあるだろう。
小林は大岡について、「要するに天皇陛下を否定したいんだろう。」と
非難攻撃してたそうなんだが、しかし大岡って、そんなに露骨に天皇を
否定する発言を繰り返してたとは、俺には思えないなあ。大岡にしても
もうちょっとソフィスティケートしたやりかたで、天皇についての考え方を
表現していたように思うな。
>>371 奥さんじゃない。中原と長谷川は結婚してないし。
中原の恋人を小林が奪ったんだな。
それで、このスキャンダルについて一番詳しく書いたのは大岡だろうな。
小林は嫌がってたそうだが。 大岡も悪ガキ時代の悪行を、小林に
スピーチでさんざんネタにされたっていうから、大岡が中原・小林・長谷川の
三角関係について書くのは、その意趣返しじゃねーかって気がするなあ
俺には。 あくまで気がするだけだけど。
394 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/06(水) 11:41:17.79
ほう、
>>392 N ◆.a7VUr.VD の人は詳しいですね。
つまり、小林は、天皇マンセーは薩長によってマインドコントロールされたものだ、というのを理解していたから、
天皇に関する言及はやらなかったのですかね?
でも、好きなんだから仕方ない、みたいなw
395 :
吾輩は名無しである:2011/07/06(水) 12:03:14.28
「北朝鮮拉致問題対策本部の本部長」の菅直人が
「日本人拉致事件の容疑者の長男が所属する政治団体」
に計6250万円の政治献金て最低だな。ありえない
>>392 俺も大岡はソフィスティケートされてるっていうか
表現者としてはかなりリベラルだと思うね〜。
あえて語らないことで何かを語ろうとしたかどうかはわかんないけどね。
小林の大岡批判?の文脈は知らないけど、
もしそうなら、小林ヤバシ!って感じだなあw
397 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/06(水) 12:12:22.08
>>396 > 俺も大岡はソフィスティケートされてるっていうか
> 表現者としてはかなりリベラルだと思うね〜。
つか、
大岡って戦争で南方だかに行かされて、殺されかけたわけでしょ?
そんな人に、ソフィスケートもリベラルもないと思うがw
戦争に行かずに日本でウンチク垂れてた小林と、大岡を比べた場合、
大岡の方がリアルな現実認識感だと思うが。
>>397 いやリベラルだと思うな。
大岡は捕虜になったり死にかけたりしても、
それでも自分の体験を芸術として昇華させることと
自分にしかできない記録者としての使命に徹して
政治的なとこはかなり抑制したんじゃないの?
399 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/06(水) 12:23:15.97
>>398 俺にとって、「ソフィスケート」「リベラル」って言葉には、上っ滑りな、って感覚があるんだよね。
ま、大岡の作品を全然見てないから知らないんだけど。
400 :
吾輩は名無しである:2011/07/06(水) 12:23:52.63
小林訳ランボオを読んでちょっとでも心を動かされたって
ことすらない奴はこのスレにゃまさかいないだろう?
>>392 へー面白いなあ。大岡昇平は文化勲章を辞退する時に「私は捕虜になった恥ずかしい人間だから陛下に合わせる顔がない」みたいな事を言ってて、まあ嫌味だよねw
403 :
吾輩は名無しである:2011/07/06(水) 12:48:35.28
詩なんて誰も読みやしない時代だ。
街の歌は半分英語で巻き舌。
ソフィス「ティ」ケートだろう
一般には「洗練」に近い意味で使われるが、
どこか否定的なニュアンスが入るのは、「ソフィスト」に由来するからだろう。
405 :
吾輩は名無しである:2011/07/06(水) 12:52:15.10
「北朝鮮拉致問題対策本部の本部長」の菅直人が
「日本人拉致事件の容疑者の長男が所属する政治団体」
に計6250万円の政治献金て最低だな。ありえない
>>394 薩長にマインド・コントロールされてるとか、そういう露骨な話はしてないさ
小林は。 まあ、解釈のやりかたによっては、そういうようにとれる話は
している。 小林がたとえば薩摩について言及したのといえば、里見トンの
「ひえもんとり」という小説について論じたときくらいじゃないかなぁ。
長州関連について論じたのは、河上徹太郎が「日本のアウトサイダー」で
吉田松陰について論じているのに対する感想くらい。
ああそうだな、天皇の存在については、薩長による祭り上げだけを見ていれば
その意味はわからん、みたいなことはいってたな。それ以前からの歴史認識を
問題にしないといけないと。 だから本居について論じたのさ。明治以降に
「天皇制イデオロギー」(イデオロギーって言葉は小林は嫌いだったから、
こういう言葉をつかってはいないんだが)が猛威をふるったことについては
平田篤胤の国学がいちばん大きな影響を与えていると認識してたようだ
小林は。 だから薩長の責任については、それほど重要とは考えて
いなかったね。
>>402 まあ、嫌味っちゃー嫌味。 いずれにせよストレートに天皇を非難する発言ではないな。
あと、大岡には「おいたわしい」発言があったよね。 これはこの発言の意味をどう
解釈をするかをめぐって、大岡界隈でちょっとした騒ぎがあったような記憶が。
小説のなかで、天皇は後期帝国主義、資本主義の日本のシンボルというような
ことをさらっと書いていた気もするが、そんなにくどい発言でもなかった。
他に大岡が天皇について印象的な発言って、あまりしらない。晩年の大岡は
歴史ものを書くようになるが、そういう歴史もので、天皇の歴史ともっとも
かかわりが深い論考は「将門記」だとおもわれる。あれは中世の武将について
書かれたものだね。 大岡は「将門記」のなかで、自分の戦場体験と歴史を
かさねあわせて見てるんじゃないかと思しきところもあるね。
あー、河上が吉田松陰について論じたのは、「吉田松陰 武と儒による人間像」で
あって、「日本のアウトサイダー」においてではありませんでした。これは間違いです。
訂正します。
Nさんは物知りだなあ
411 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/06(水) 17:53:32.02
イヤミもなにも、下手に天皇制を批判したらキチガイにぶっ殺されるからでしょw
せっかく南方から生きて戻れたのに、右翼にぶっ殺されたらバカバカしい、みたいな発想では?
まあねえ。大江の例もあるからねえ。
413 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/06(水) 18:06:42.38
>>407 >だから本居について論じたのさ。
俺もこれを読んだけど、で、本居の日本語が難解で読めなかったんだけど、
・本居は古事記を100%真実と考えていた
なわけでしょ?
だとするなら、これはもうキチガイじゃないですか。
それは信仰の問題じゃん。旧約聖書を百%真実だと思ってる人もいるわけで。
415 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/06(水) 18:37:46.57
じゃあ、
・本居は古事記を信仰していた
と、で、その信仰者本居を小林はどういう理由で尊敬したんでしょ?
私はあの本が難しくて読めなかったんだけどw
416 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/06(水) 18:40:36.71
ただ、古事記というのは、天皇家が
我々はただの山賊ではない、由緒正しい日本の王なのだ!
というのを力説するための書で信仰もへったくりもないと思うんだけどw
そうなのか…古事記ってそんなのなの?読まなきゃなあ。
418 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/06(水) 18:44:43.19
つーか、ウソてんこ盛りの、
民主党の歴史とか、自民党の歴史、みたいなもんだと思うんですよw
「(小林と)ある時一緒に乗り合わせた電車の中でかねがね自分の胸にあった
疑問について、いきなり質したことがある。
それは私の青春期にさまざまな影響を与えたアルチュール・ランボオの、
突然の芸術放棄という謎だった」
石原慎太郎(笑
石原慎太郎「無類の自由性」、第五次全集の別巻に収録されちまったらしいぞw
>>402 それあったね。やっぱ大岡はかっこいい!
俺には今遅々として明瞭になろうてしている事がある。社会は決して
俺を埋めつくす事は出来ぬ、だが俺は俺自身に対して、絶えずアリバイを
提供していなければならなぬということだ。
Xへの手紙
だとさ。世の中ってのは小うるさく絡んで来るからなw
Xへの手紙は読んだんだけど、なんか難しいね。
再読する前に他の小林作品を読んでみたいんだけど何がいいんだろう?
四年たった。
若年の年月を人は夢みて過ごす。私も亦、そうであったに違いない。私は歪んだ。
ランボオの姿も、昔の面影を映してはいまい。
ランボオU
体制の鋳型は窮屈だからな。
>>410 俺も知ってることは知ってるが、知らないことは全然知らない。
>>411 戦後に天皇制批判やってぶっ殺されたひとって誰かいるかなあ。
まず山口二矢に刺殺された浅沼稲次郎を想起するね。ところで浅沼自身は
戦時中には国家社会主義政党に属していたそうで、山口に刺殺されたときも
「議会主義の擁護」という演説をしていたらしい。 だから浅沼はそれほど
天皇について激しく批判していたとは、俺には思われないな。要するに漠然たる
社会主義への敵意が事件の原因であって、天皇制を直接批判したせいで
殺されたわけじゃないと。
あとは深沢七郎の風流夢譚事件かねえ。あれも著者の深沢自身に直接危害が
及んだわけではなく、無関係な家政婦がひとり、運悪く殺されてしまったんだよね。
家政婦は天皇制批判やったせいで殺されたわけではなくて、たまたま運悪く
殺されてしまったと。 そして天皇制について批判しているのは、現在でもたくさん
いるわけで、天皇制に反対する政治団体も、現在の日本では結成することは
自由であるし、そういう団体も現に存在しているね。それら全員がみな生命の
危険にさらされている状態とは俺には思えない。
風流夢譚は、皇族が皇居前の広場で斬首されるという、かなり過激な描写が
問題視されたが、天皇制批判やりたいなら、とにかく過激性だけにこだわる
必要はないんで、もっとソフトに批判するやりかただってある。
ドナルド・キーンは、明治天皇についての評伝をだすことについて、安部公房に
相談したら、右翼から脅迫をうけるから、やめたほうがいいといわれたそうな。
それで、評伝を世にだしたところ、脅迫がまるでこなかったので、拍子抜けした
そうな。むしろ、脅迫が多少あることを期待してた、脅迫がまったくないということは
自分の著作に何の衝撃力もないことを意味しないか、などと思ったってね。
犬丸が右翼認定している三島由紀夫だって、「英霊の聲」で昭和天皇批判やったら
右翼から何通も脅迫状がきたそうでね。大岡が、内心、天皇制を否定していたにも
関わらず、脅迫を恐れていいたいこといわなかったっていうなら、それは怯懦
臆病が原因というしかなく、文学者として三島以下の覚悟しかもっていなかったって
ことになりそうだ。
大岡が天皇制について、おもてだって、あまり批判的なことをいわなかったというのは
右翼の脅迫が怖かったという理由ではなさそうだね。 むしろ、戦友との関係のほうを
重視したいところだ俺は。大岡の数多くの戦友は、「天皇陛下万歳」といって死んで
いったんで、大岡にとって、天皇を完全に否定することは、大岡の戦友の死はすべて
無意味であったいうことに等しくなるんではないか。「天皇陛下万歳」といって死んで
いった戦友の死を、どのように位置づけるか、これは大岡にとって簡単には割り切れない
話であったろうと、俺はそう思うんだな。
>>413 >俺もこれを読んだけど、で、本居の日本語が難解で読めなかったんだけど、
>・本居は古事記を100%真実と考えていたなわけでしょ?
>だとするなら、これはもうキチガイじゃないですか。
その問題については、小林は「本居宣長」のなかで、いろんな角度から論じているね。
しかしまあ、「本居宣長」程度が難しくて読めないのに、神話の非合理的内容について
論じようとか、端的に論外であるとしかいいようがないなw
話はこれで終わりにしてもいいんだけど、もうちょっと敷衍しておくか。
神話の内容というのは、現在からみると、きわめて不合理で荒唐無稽とみえるが
それはあくまで現在の時点から見ての話で、何が合理的かという基準は、実は
時代によって大幅にかわると。今現在、合理的とされることでも、過去には
合理的とみなされない時代もあったし、現在合理的とされる考え方も将来に
おいて、ずっと合理的であるとは限らない。
だから神話について読解する場合は、神話内容の非合理性にたいする意識を
括弧にいれておかないと、神話の言説についての十分な読解ができない。
これを称して、宣長の相対主義とか不可知論とかいうんだな。自己の合理主義的
意識にとらわれて、古事記の読みに失敗した実例として、たとえば賀茂真淵が
あげられるんだな、「本居宣長」では。 テキスト読解の方法についての真淵
宣長の間の認識の差異から、宣長による記紀の正典視は生まれ育ったので
それはつまりテキスト読解のための方法論、仮説であるといえよう。
Nよ頼む
雑談スレを立ててくれ
おーげえ。
宣長はかなりダブスタなこといってるんだけど、小林の「宣長」はそういう宣長ではないね
434 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/06(水) 23:25:08.84
>>428 古事記は神話じゃないよ。
天皇家が自らの正統性を訴えた、切実な思いで作った歴史書でしょ。
神話とか昔話とか悠長なもんじゃないと思う。
435 :
吾輩は名無しである:2011/07/06(水) 23:27:27.69
どんなに難解でも、日本文学を愛する者なら宣長は頑張って
読むべきだと思う。古事記伝も文庫になってる神代と序文くらいは
味わうべき。
全集を全て読めとまでは言わないが、文庫化されてるのは
一回くらい読むべき。
読むべきばかりでしつこくてすまん。
でも、読むべき。
436 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/06(水) 23:28:08.48
>>427 >大岡の数多くの戦友は、「天皇陛下万歳」といって死んでいった
大岡はどこかにそう書いているんですか?
宣長は文章は読みやすいからね
>>434 当時は歴史と神話伝説の区別なんて、ほとんどなかったんじゃないの。
素材となったのは、当時の口承、および文字による記録だろう。
素材自体は、ほとんどが記紀成立の以前から伝わってきたものだと
思われる。 ただし編集の仕方に、当時の政治的意図が反映されている
というのは、十分考えられるな。
>>436 大岡の短編に、「天皇陛下万歳」といって死んでいく戦友の死の様子を
細密に描写したのがあったね。当時の軍隊では、死ぬときに「天皇陛下万歳」って
いった兵士が多かったって、これは他の記録にもある。
440 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/06(水) 23:38:46.04
>>439 じゃあ、本当に神だと思ってたんだ。
なんともイヤな話ですね。
>>440 イヤなのはしょうがないな。でもイヤなことだろうと事実は事実だろうしw
442 :
435:2011/07/06(水) 23:40:26.56
>>437 クセはあるけど、情熱的ないい文章だよね。
まあそれよりなにより、真面目で合理的な解釈とは何かを
学ぶのにこの人ほとの手本はない。
日本のクラシックを読む人は、是が非でも読むべき。
443 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/06(水) 23:42:56.57
その神の昭和天皇が、戦争に負けて自殺でもするかと思いきや、
薩長を負かした、新しい権力者、ご主人さまのマッカーサーの横でチョコンと立って写真に写ってるんだから、大岡的には断腸の思いでしょうな。
444 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/06(水) 23:45:41.04
つか、日本の王さまでなくなってから、
権力者のペットになることで生き延びてきた芸風だからしょうがないことなんだけどねw
>>443 例のあの写真? 別に昭和天皇が土下座してるわけでもなし。
ふたりそろって、仲良く写真に写ってるよね。
あの写真は、マッカーサーと対等の地位がアメリカによって
昭和天皇に保障されたと、そういう意味合いに受け取られた
んじゃないかなあ。天皇の地位をどうするかについての
アメリカの政策が、あの写真に反映しているのは確かだとしてもね。
446 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/07(木) 10:51:23.37
しかも、マッカーサーに命令されたのか、ご丁寧に人間宣言までやるとwww
じゃあ、 『 天皇陛下ばんざい 』 と叫んで死んでった人達の立場はどうなるの?
って話になるよねwww
大岡的には、はらわた煮えくり返る思いでしょうな。
ずいぶん皮相な読み方ですね
有り金を叩いて第五次全集買ってきた
夏休み利用して全部読むぞ
449 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/07(木) 12:08:46.88
つまり、
・天皇は神だ
・教育勅語
・靖国神社
・君が代
は、薩長が、国民をマインドコントロールするための道具だった、と、大岡はしっかりと認識していたのでは?
450 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/07(木) 12:18:06.90
でも、秀雄ちゃんは、理屈では理解出来ても、天皇マンセーが体にしみついてた、って感じだったのでは?
鈴木はうんこ
452 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/07(木) 12:38:15.99
で、
小林は、生理的には天皇マンセーだけど、理屈では、どう考えてもトンチキな制度だから、天皇制にはずーと触れなかった。
でも、ジジイになり、たがが外れ、本居宣長を書いてしまい、晩節を汚してしまった、
って認識はどう?
近世の天皇の地位なんて、ホントに床の間の飾りだろ。
晩節を汚したのはどっちかってえと、75年の都知事選で石原の推薦人なんかに
なったことだろ。石原、ネッシー探しに出掛けて落ちたんだろ。
付き合いってのも骨が折れたろう。
それは完全な黒歴史だなあ。忘れましょ。
鈴木は黒いウンコと白いウンコと赤いウンコではどれが一番好き?
小林は都知事選の翌年に引っ越しなんかしてるぞ。
長く住んでた家じゃなかったのか?
>>446 人間宣言について、大岡なんか書いてたか? 俺はしらない。
人間宣言に膓煮えくりかえっていた(というようなポーズをとっていた
(可能性がある))のは、三島だろう。 人間宣言をテーマにした
小説を書いてるくらいだし。
三島は昭和天皇に対して怒ってたよね。彼が平成天皇に対してどう思ったか知りたかったな。
>>449 大岡が天皇についてどのように認識していたかは、大岡の残した文章から
読み解くしかないね。 だからおまえさんのやるべきことは、薩長のマインド
コントロールの手段として天皇制がつくられた、という認識を大岡がもっていた
ことを、大岡の残した文章から証明すること。大岡の作品と批評ぜんぶ読み切らない
なら、大岡に詳しいひとに聞いてみることだな。 そうじゃないと、その主張は
単なる仮説にとどまり、ひとにたいする説得力をもちえないね。
まあ、明治という時代について、大岡がどのように認識していたか、それは最晩年に
書かれた「堺港攘夷始末」に、もっともよくあらわれてるんじゃないか。明治政府の
アイロニック・イデオローグたる鴎外と対決する必要に迫られて書かれた書物、それが
「堺港攘夷始末」であると、図式的に解釈すればそうなるな。
>>450 頭で理屈を働かせるだけじゃあ、混乱するばかりというのが、小林的な
考え方だからさ。理屈じゃわかってるはずだ、なんて追求は通用しないのさw
>>454 小林は、石原が都知事選で「名前貸してくれないか」って訪ねたら
二つ返事で「いいよ」っていったそうだね。それで三島がうらやましがった
とか。まあ、どうでもいいエピソードだわこれは。
>>459 もう死んじゃったからねえ。イタコかなんかに三島の霊をとりつかせて
聞くしかないか。「三島由起夫の霊言」でググってみたら、そんな本も
既にあるらしい。いやはや…
>>461 三島は小林秀雄が大好きだったもんねえ。
>>462 そうだね。しかしまあ、三島はやはり系譜的に日本浪漫派の直系なんだろうな。
小林は浪漫派とはちょっと立ち位置がずれてるというか。 小林が日本の
浪漫派の一員だったっていうひとはいないよね。
でも白樺派から出て来たっていう話じゃない。実際志賀直哉の弟子みたいなもんだったんでしょう。
誰が白樺派だって? 三島が?
美濃部、二選で降りるつもりだったのに、石原出馬を聞いて
ファシズム阻止を訴えて見事三選しちまったんだろ。
そりゃ小林もつらいわ。
いや、小林先生が。
>>452 小林の「本居宣長」については、たくさんの書評がでたけれど、犬丸の
感想にいちばん近いのはといえば、谷沢永一の評だろうな。
宣長の思想は、実のところ思想ともよべない支離滅裂な代物で、小林が
最晩年に宣長を題材としたのは、明らかな失敗だったといってるね。
あと、小堀敬一郎も、小林の「宣長」は全面否定だったな。
蓮實重彦なども、わりとまじめに小林の「宣長」よんで長文の批評かいたね。
谷沢ほどきつくはないが、作品の価値については疑問をつけてる。
「宣長」に対する肯定的な批評というと、保田與重郎、江藤淳、福田恆存のが
まず思い浮かぶなあ。 「天皇制の文化人類学」を書いた山口昌男も
好意的な書評寄せてたね。大江健三郎は、レヴィ=ストロースの神話学との
類似性を軸に「宣長」の書評を書いたけど、どっちかといえば肯定的な
評価だったね。
まあ、全面的肯定から全面的否定にいたるまで、その中間領域において
さまざまな評価が分布していたですね。小林の「宣長」については。
469 :
吾輩は名無しである:2011/07/07(木) 21:28:05.61
「同時代の親しい仲間にも理解されず、現代もそれを解読する言葉を持ってはいないという特権的な存
在を物語に導入するというやり方は、小林にあっては、初期から一貫している。彼が論じようとするの
は、いつでも孤独な天才に限られている。ここで改めて列挙するまでもあるまい小林的な悲劇の英雄た
ちは、その誰もが多かれ少なかれ「謎めいた人」なのである。」(小説論=批評論から引用)名前だけ
はちょっとは知られているが誰からもされていない(誤解されている)人物についての「物語」をくり
かえし小林は語り続けた。晩年の『本居宣長』にいたるまであきもせず同じ「物語」を語り続ける姿勢
には頭がさがるが時々パターンは変えてほしい(笑)!
>>466 石原は美濃部に選挙で負けて、茫然自失、しばらく何にも手がつかないくらい
ショックを受けたらしいが、小林はふたつ返事で名前貸しただけで、そんな
責任があるわけでなし、そんなにショックは受けなかったろうよ。
まあ、石原は美濃部に負けたことに対するリベンジは、すでに十分すぎるほど
果たしている感じがすんねw
>>467 小林が志賀直哉にずいぶん世話になったのは事実だろう。
しかし、小林を白樺派に分類した文学評論家って、いまだかつて
ひとりもいないなあ。 小林は白樺に寄稿したことなかったしね。
「白樺派」は、だいたいが上流階級の集まりなんだけど、小林は
自分が上流階級の出とは全然おもってなかったし。
小林はだらしなく誰にでもホイホイ名義貸しするような人物には見えないぞ。
自分を罰せずにはいられなかったんジャマイカ
>>470 中上健次と柄谷行人の「小林秀雄について」って読んだ事あります?まあ小林秀雄を白樺派って呼ぶのは悪口なんだろうけどw
田原の司会で石原がコウナゴの隣でロレックスを見せびらかしながら、
フリスビーの自慢してる例の討論番組、小林の死んだ年ではないか?
>>471 「誰にでも」名前貸したわけじゃないだろう。なんか小林なりの
基準があったんだろうと思われるが。
>>472 ああ、タイトルはしってるけど、読んだことはないんだよ。
まだどっかで手に入るかなあ。
>>476 それは「小林秀雄をこえて」でしょう。俺が言ってるのは「中上健次全発言U」に入ってる対談ですよ。
>>477 「小林秀雄をこえて」も「小林秀雄について」も読んでねーわw
柄谷が小林について書いた文章はいくつか読んでるが、小林に
ついて身を入れて論じてるのは、そっちのほうか。 読んでみないとなー。
小林の死去は各紙一面報道だったんだって?
ボクチンなどはやっと中学を卒業したばっかりで良く分からん。
おっと、
>>468の人名に変換ミスが。
小堀敬一郎ではなく小堀桂一郎だ。
図書館で読むといいですよ。めちゃくちゃな対談だったって柄谷行人が言ってましたけどw
>>479 小林が亡くなったあと、文春が「巨人小林秀雄の伝説」っていう特集やって
各会の著名人がいろんなコメント寄せてたな。 あれはどこやったっけ…
なくしちゃったか。
欲しいなあ〜
>>481 まあ、柄谷の小林についての発言で一番印象的なのは、小林の思考を
静止しつつ高速で回転しているコマにたとえた発言だな。小林の追悼文で
書かれたもの。それで自分らがめざす思考は、静止するコマではなく
盤面上を激しく移動し、他のコマと衝突するような思考であると、宣言して
いたな。 宣言通り、柄谷は小林の思考を追い抜けたかどうか、まあ
未だに明快に答えがでたとはいいがたいだろうねw
>>483 ああー、もし見つかったら鈴木にやってもいいさ。
486 :
吾輩は名無しである:2011/07/07(木) 22:09:26.93
小林が広く読まれたのはほどよい通俗性がある「物語」を上手に語ってみせたからだと思う。事実あま
り知られてはいない人物をとりあげるのは稀で「ベルクソン」や「ドストエフスキー」「本居宣長」「
ランボー」等周到に選ばれている。そしてその方法については基本的に彼自身が翻訳したこともあるサ
ント・ブーヴに連なるものといってよく作家の私生活や手紙、エピソードを通して考察するスタイルで
日本における悪い意味での近代批評スタイルを作ってしまった。「サント=ブーヴに反論する」を書いた
プルーストにならっていうなら一冊の書物は、私たちがふだんの習慣、交際、さまざまな癖などに露呈
させているのとは、はっきり違ったもうひとつの自我の所産なのだ。
>>481 そう、柄谷の「めちゃくちゃな対談だった」っていうの、なんか読んだ気がする。
「めちゃくちゃな対談」なら読む必要ねーかとおもって、読まなかったんだよね。
>>486 小林が批評の対象を周到に選んでたのは確かだろう。とはいえ、最初から一流どころ
ばかり論じていたわけではなく、文芸時評やってたころは、今ではもうあまり知られていない
作家についてもよく時評ではとりあげてたね。 一時期は匿名批評もやってたっていうね。
批評のいろいろな可能性について模索はつづけていたんだろうが、現代文学批評が
あまりにも不毛すぎて、しまいには現代文学批評をあきらめて、批評の対象を一流に
しぼるようになったんだね。もう勝手に僕は勝手にボードレールを論じるですよ。そっちの
ほうが意味があるような気がしてきました、っていってね。
小林の批評が悪影響をおよぼした可能性についても、すでにいろんなひとがいろんな
ようにいいつのっているね。 蓮實重彦なんか代表格だな。 小林のせいで、我が国の
文芸批評は、フランス第二帝政期という素晴らしいモデルとの邂逅の機会を失った
みたいなことを確か書いてたね。 どうも
>>486はそういう流れの批判にみえるな。
サント=ブーヴなんて読んでみたいがね。アタマの良い人らしいからな。
プルーストについては「秋」って短文で触れてるな。その名前を聞くと茶屋の
般若湯と雁もどきの煮しめを思い出すとか書いてる。
>>489 小林は、サント・ブーブの「我が毒」を翻訳してるってね。それを読んでみるのが
一番手近なサント・ブーブへのアプローチだろうな
プルーストは読んでる途中で寝ちゃって、最後まで読めなかったって書いてるねw
批評はその精髄において、毒の状態にある、か。
>>484 俺は柄谷行人も好きだけど、小林秀雄のほうが好きですね。
>>485 あんがとー
>>487 俺も「こえて」は読んでないんですよね。
>>488 「読まず嫌いもこさえとかないとね」って発言もありますな。
>>492 >俺は柄谷行人も好きだけど、小林秀雄のほうが好きですね。
柄谷も小林をこえるために非常に努力したこととは無条件に認めちゃうw
結果がどうかについての判断は、いろいろ条件つけざるえないけどー。
>「読まず嫌いもこさえとかないとね」って発言もありますな。
あれはマルローが話題にのぼったときの発言だったか。
「認識の先天的形式とは、カントの窮余の一策だったに違いない。彼には、
形而上学の不可能性というやり切れない予感があったはず」(秋)
小林は最後まで形而上学への期待を捨てきれなかったか知らん。
若い時代のフランスの実証主義的自然主義の影響から主知主義的傾向を
引きずったように見えなくもないが。
「秋」は確か、ヘーゲルとマルクスについての一節もあったような。
ヘーゲルとマルクスの歴史哲学を自動車にたとえたの。
フランスの自然主義はダーウィンや、聖書学においてルナンが始めたような、
世界の脱神話化の流れだな。
皇国史観は苦手だったんではないかな?
「秋」をひっぱりだして読んでみたら、ヘーゲルもマルクスも全然関係ないわ。
勘違いだった。
形而上学の不可能とは、つまり実証主義科学の全面的勝利を意味するのか
しかしまあ、現代科学の様々な理論も、形而上学そのものに見える、みたいな
文学的立場から書かれたエッセイだね。
プルーストと物理学的概念の「光の円錐体」をなんとか結びつけて論じてみたい
そういう動機にもとづき書かれたエッセイという印象。
>>496 皇国史観が主流のときは、皇国史観から一歩ひいてものを見る。
要するに社会の人間がほとんど誰も疑わない・疑えないような主流の
価値には、つねにおかしなところがあるものだ。
こういう原則から演繹された見方だね。
小林は不可知論的だろう。ランボオVに
自然は、人間に、知性という道具を与えたのは確からしいが、己れの
謎を解いて貰うために与えたとは到底考えられぬ事である。従って、
知性は、行為の正確を期するに充分なものだけを正確に理解する。
物と物の関係には、いよいよ通暁するが、決して物の裡には入らない。
>>499 その一節からは、ベルクソンの影響を露骨に感じるなあ。
ベルクソン、物自体でググったみると、いろいろと網にひっかかってくる。
物自体の裡へはいりこむためには、芸術的直観がどうしても
必要という哲学。
>>501 ベルクソンがカントを批判してたって話が網にかかったからさ。
「創造的進化」を読んだのはだいぶ前の話だけどね。ベルクソンが
やったのは、既存の哲学に対する根本的批判であるという話が
あるから、なら当然カントも批判の対象になっていなきゃ変だ。
まあ、近代の哲学というのは、つねにそれまでの哲学に対する
根本的批判として構想されてきたので、なにもベルクソンだけが
独創的だったとは思わないけど。
ベルクソンはエランヴィタールと創造的進化の人
カントは物自体と芸術論の人
「物と物との関係」と対蹠的な「物の裡に入り込む」ことと
いえば、そこから「物自体」概念を連想するのは自然でしょ。
「物自体」概念が、一種の不可知論であるとすれば、
>>499とも
整合性はあるやんけ。
「芸術的直観」とは、ある種の神認識であるならばね。
Nは哲学には疎いな
>>505 美的判断力と神認識について、カントは何かいってたんかい。
>>506 なんか自分は随分哲学に詳しい、みたいなこといいたそうだけど。
カントを全部読んだりしたの?
僕等は、全力をあげて、人間という生物の裡に閉じこもっている。多くの神秘家が、
肉体を侮蔑したのも故のないことではない。
ランボオV
カントと神認識といえば、「視霊者の夢」を想起するね。スウェーデンボルクに
ついての文章だそうで。柄谷がそれについて何か書いてたな。
小林の「批評とは竟に己の夢を懐疑的に語ることではないのか!」に
おける「夢」とは、「視霊者の夢」として読むのでなければ、まったく
愚劣であるっていう、確かそんな文章。
小林にとってはベルグソンの形而上学も「窮余の一策」だったかも知らんけどね。
余り上策ではなかったかも知らん。封印したのは賢明だったと思うよ。
極限においてその「芸術的直観力」という奴もまた、己れが
脳漿をその形而上学と共に破断しないではいられないものかも
知れない。これはベルグソン的ではなくランボオ的だ。
不可知論、というと「絶対的な知識というのは我々は知り得ないんだから、
相対的な知識で満足しましょう」ってことだと誤解してる奴はいるだろう。
しかし真に不可知論的な態度は、不可知な領域を無関心で塞いでしまった
りはしない。
実証主義も究極的には経験的知性の地平にある。形而上学的な知識と
いうのは、経験を、つまりは実証性を超越した、しかも確実なもので
なければ意味がない。確実である客観的根拠が提示不可能であるのなら、
それは信仰の問題になってしまう。
もちろん小林は、信じることと知ることの違いについては無関心では
なかったが。
514 :
吾輩は名無しである:2011/07/08(金) 22:44:31.42
小林にとってベルクソンの形而上学は「窮余の一策」といった程度のものではない。昭和五年の「四月
から満一年にわたって『文芸春秋』に連載した文芸時評「アシルと亀の子」は事実と理論のずれ又は矛
盾をあらわしたものだが、これはベルクソンの「意識に直接与えられているものについての試論」の中
で語られるアキレスと亀(ゼノンの逆説)からとられている。晩年の「本居宣長」について小林は江藤
淳との対談(「本居宣長」をめぐって)の中で次のように言っている。「私は若いころから、ベルグソ
ンの影響を大変受けて来た。(中略)あの人の「物質と記憶」という著作は、あの人の本で一番大事で、
一番読まれていない本だと言っていい(中略)常識人は、哲学者の論争など知りはしない。観念論や実
在論が、存在と現象ととを分離する以前の事物を見ているのだ。常識にとっては、対象は対象自体で存
在し、而も私達に見えるがままの生き生きとした姿を自身備えている。これは「image」だがそれ自体
で存在するイマージュだとベルグソンは言うのです。(中略)この「イマージュ」という言葉を「映像」
と現代語に訳しても、どうもしっくりしないのだな。宣長も使っている「かたち」という古い言葉の方
が、余程しっくりとするのだな。(中略)「古事記伝」と、ベルグソンの哲学の革新との間には本質的
なアナロジーがあるのを、私は悟った。」ここまでくれば私のいいたいことは想像できると思うが、「
本居宣長」は観念論批判、実在論批判そしてベルクソン論「感想」の続編ともいえるものであり、複数
の哲学を中途半端に折衷した批評家とは違いその点で彼は若い頃から一貫している。
宣長とベルクソンをつなげているのか〜。
フィギュールじゃなくイマージュってことは、
視覚的な映像じゃないってことなんだろうなー。
516 :
吾輩は名無しである:2011/07/08(金) 23:59:23.73
ヤスコを返してるくれたまえ
汚れちまった悲しみに
517 :
吾輩は名無しである:2011/07/09(土) 01:26:38.88
「十年近く前になるだろうか、郡司勝義氏のお宅に呼ばれて夕食を御馳走になり、気宇壮大に酔っぱら
っていた時である。氏は、突然奥の部屋に立ち、小林秀雄が若いころからずっと愛読していた本だと言
って、「物質と記憶」の岩波文庫版を出してこられた。郡司氏は、文芸春秋で長く校閲の仕事をされた
人で、晩年の小林秀雄とは毎週かそれ以上頻繁に顔を合わせていたそうである。その頃に何冊か愛読書
を貰ったという。戦前の版で、紙の質は悪くはない。持つとひやりと冷たく、しっとりと重い。綴じ糸
はあちこちで切れて、解体寸前になっている。もう、これ以上は使えないだろう。開くと全頁のほとん
どの行に万年筆と赤鉛筆、ところどころに黒鉛筆で線が引いてある。一度引き、読み返してまた引く、
また読み返して引く、といった様子がありありとわかる。筆勢の強い文字の書き込みもたくさんある。
心読、という言葉がすぐに本の上に浮んできた。酔いは急に醒め、しんとした気持ちになった。
小林秀雄は、もちろんフランス語はよく読めた。その上で、高橋里美の日本語訳とこんなに長く丁寧
に付き合った。(中略)原書には、当然これ以上の書き込みがあるだろう。それは、恥ずかしいからと
言って、くれなかったそうである。
(読書のすすめ・第12集岩波文庫編集部編/「二種類の読み方」から引用)
518 :
吾輩は名無しである:2011/07/09(土) 21:07:58.18
>>514 それらは全て小林の窮余の一策だろ。差し当たり他に選択の
余地はなかった。
「人間の建設」でアインシュタインがベルグソンにすげなかった
ことについて触れてるな。
俺は小林はむしろ矛盾の塊みたいに見えるけどね。
ランボオから始まったなら、語り得ぬことについては口を閉ざさ
ねばならない。
521 :
吾輩は名無しである:2011/07/09(土) 21:20:48.42
一番振り仮名の多い「私の人生観」の版てどれだろ
競争が進歩を促すという社会ダーウィニズム的な態度を素朴に持っているような
側面も垣間見える。それはベルグソンの影響もあるだろう。
しかし日本がアメリカに近寄り過ぎるとベルグソンを放り出してソ連に出掛けたり。
帰って来て、宣長を始めた。ベルグソンと宣長の間には断絶はあるだろ。
523 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/09(土) 22:00:02.06
俺、小林のは8割方読んでるつもりだけど、ベルグソンなんてのは初めてみる名前ですねw
昔はベルグソンとも言ったぞ。主要著作は持ってるけど、
ペダンチックで退屈なんて放り出したよ。小林はランボオしか
知らなかった時代だ。
マルセルとの対話なんか読んでみたいもんだね。
中公の世界の名著に「形而上学日記」が収録されてる。
>>508 正宗白鳥との論争では、最後にエンペドクレスの名前がでてきたね。
>>513 「信じることと知ること」っていう講演があったねえ。名作の講演として
有名だな。
>>514 アシルと亀の子は、アキレスと亀から、とられてんのかあ。
ってことは、もうベルクソンはこのころには消化してたんだろうな
小林は。
「本居宣長」補記の最後のほうで、小林は「性質情状」(カタチ)についての
本居の議論を解読してるね。「性質情状」(カタチ)とは、つまりベルクソンの
「イマージュ」だろうね。これは見やすいね。
>>515 イマージュに視覚的映像が含まれないとなると、おかしなことになりそうだ。
>>519 触れてたねえ。不思議な劇的な世界です、みたいにいってたね。
>>523 小林を八割読んでて、ベルクソンを聞いたこともないって、いったい
どういう読み方してるのやら…
>>524 ベルクソンは哲学者の文章にしては、とっても読み易い文章だって
当時は評価されてたそうだけどね。 現在読むとなると、やはり時代の
違いからか、読みづらくなるんだね。
>>525 中公の「マルセル」の巻かい。
528 :
吾輩は名無しである:2011/07/09(土) 22:32:34.06
ウィトゲンシュタインの「世界とは事実の総体であって事物の総体ではない」って
言葉が俺は好きなんだが、ベルグソンが時間だ持続だ直観だってやっても、
所詮は「事物の総体」としての世界について論じているに過ぎないのでは
ないか知らん。
529 :
吾輩は名無しである:2011/07/09(土) 22:34:22.04
ベルグソンは生物学的だからな。生物学は生を事物として取り扱う態度から
逃げ切れない。
>>528 難しいなあ、それは。 「事実」と「事物」とはまずどう違うのか、それを
しっかり説明してもらわないと腑に落ちないな。
江藤淳は小林との対談でウィトもちだしてたけど、ちょっと囓ったりしてたのかな。
>>529 進化論についての研究や、大脳生理学についての研究や、当時の
最新の科学的知見をとりいれてるからね。ベルクソンは。
531 :
吾輩は名無しである:2011/07/09(土) 23:06:39.30
現実と個物が別の言葉でないことを説明せんとならんのか。
あ、逆だな。
小林は「エクスプレッション」を「表現」と訳することに疑問を
呈しているけれども、「表現」という言葉の日常語感から小林は
考えてるだけで「表に現れる」という言葉のそもそもの意味に不注意な
ようだ。からごころが苦手だったせいか知らんけども。
今日は初めて、能というのを見たよ。「俊寛」と「井筒」っての。「花の美しさ」が
どうのって理解するためには、能というものも、一度は見ておかないとって、前から
思ってたんだ。まあ確かに能の魂らしきものが垣間見える瞬間も何度かあった
ような気はするが、5時間の長丁場だと、やはりどうしても退屈してしまう。
>>531 事実=現実、 事物=個物 ってこと? 多少は理解しやすくなったような
気もするが。
534 :
514:2011/07/09(土) 23:17:55.17
私は小林秀雄を批判しようとこのスレに乗り込んできたのになぜか擁護する文章を書いてしまったが(笑)
それは最低限これくらいは押さえておかなければならないことが共有されていないからである。最もその
その先の書き込みで一部は批判しているのではあるが。同時に「批判」というからにはその対象が批判す
るに値するという前提にたっていることはいうまでもなく、「批判」に値しない輩はスルーすればことた
りる。河上徹太郎との対談でわかるとおり小林はジル・ドゥルーズの「ベルクソンの哲学」を読んでいた
くらいだから上のような安直な批判は見当はずれだといわざるをえない。
>>534 確か、郡司の本に書いてあったような。ドゥルーズの本をよんでたっての。
それで小林がドゥルーズの本から読み取った結論は結局、「持続」なんだな。
戦後のフランス思想、ヨーロッパ思想も結構フォローつづけてたみたいね
小林は。 ただしそれらの名前が文章にあらわれるということなかったが。
ドゥルーズの他には、シオランとかメルロ=ポンティとかも読んでたね。
文士というのは、売値以上の仕事をやるもんだって、小林はいってたが
つまりドゥルーズやメルロ=ポンティやシオランを読むのは、売値にならないけど
仕事のうちだったわけだ。
536 :
吾輩は名無しである:2011/07/09(土) 23:47:06.56
小林が現代思想をフォローしていたかどうかはそれほど重要ではない。最終的には個人としての小林自
身がどれほど前進できたかということの方が大切だ。事実小林が読んだ時のドゥルーズはベルクソン哲
学の研究者のひとりにすぎなかったのだから、それを面白がったのは現代思想の最先端であったからで
はない。小林自身がかかえていたこととドゥルーズの「ベルクソンの哲学」が共振したからだ。
なんか、いつも能鑑賞やってるひとが脳梗塞でぶっ倒れたとかで
かぶりつきのチケットがたまたま回ってきたんだよねえ。能楽堂の
中をはじめてみたが、欄間の彫刻も、襖絵も立派だったね。
襖絵に書かれていたあれは松か? なにか非常に肉感的で、女の
肉体らしくみえたわ。
「俊寛」が一番印象に残ったね。康寄の白足袋がこっちにパッって
向き直るの。あれが能の魂ってやつなんじゃないかなあきっと。
>>536 小林はベルクソンの熱烈な愛読者だったからねえ。フランスの新進
研究者によるベルクソンの研究ともなれば、やはり興味を引かれるだろう。
ベルグソンの時代は直観主義や生の哲学だとかが
流行ってたんで、その辺りから色んな思索を導き出す
ことは出来るだろうが、全てをそこから引き出すほど
深みのある哲学者でもないと思うぞ。
「深み」とか言うけど、文章そのものには深みがあんまり
感じられないタイプ。
深みに沈むには重さが必要なんだろう。ロマンティックに
飛翔するんでなしに。
>>538 あまりに文章が平易すぎて、深みがない、ありがたみがないのかいな。
小林は「光線のような文章」って評をひいていたけど、現代の闇と霧を
見通せるだけの光量がベルクソンの文章にあるかというと、それほど
強い光量はもはや無いようだね。
541 :
吾輩は名無しである:2011/07/10(日) 00:04:50.18
「ベルクソンの哲学」が出版されたのは1966年である。時代の主流は実存主義哲学やドイツから輸入
されたフッサールやハイデガーだった。さすがにフランスでもひと昔前の哲学という感じがあっただろ
う。それでも小林やドゥルーズはベルクソンを捨てなかった。
>>537能見たんですか。
Nは小林秀雄のように、能の美しさに驚いたりしたんですか?
ドゥルーズは、中期以降、完全に独自の哲学を展開してるな。
中期以降のドゥルーズは、ほとんど誰にもついていけない、ごく
限られたひとしかついていけない哲学を展開してったっていう
そんな感じがあるな。 小林もついていけないほうの組だったろうね。
ドゥルーズのは哲学というよりも散文詩と形容した方がいい内容ではあるな
>>542 小林ほどの驚きはしなかったねたぶん。能を鑑賞する前の小林は頭にしこたま
哲学的、近代文学的観念をかかえすぎていて、そこからの出口を能の鑑賞が
与えてくれるように感じ、それが驚きにつながったんだろうきっと。
俺は、脳内にそれほど過剰な観念かかえてない、というより、ほとんど空っぽだから
小林的に驚く機会がないんだなw
>>544 まーねー、しかしそれは禁句のような気もするなあ。
>>545 まあ、小林は能でも一級品見ているから。
今の能楽師、それもチケットが廻って来たぐらいの舞台では(スマソw
)さらにぼんやりしてて期待できないなw
548 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/10(日) 01:00:35.75
つーか、
哲学なんて知らないよ、思想なんて知らないよ、俺は俺の主観のみで作品と対峙しますよ
というのが小林の売りでしょ。
549 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/10(日) 01:06:09.20
で、実際、文庫になった小林の作品で、ベルクソンなんてのは出て来なかった記憶があるんだけど。
ふつう小林って名字ならコバヤンって呼ぶだろ
>>547 小林のみた能は一級で、俺のみたのは全然駄目って、俺は必ずしも
そうとは思わないな。 一般的には昔の方が名人がいたってことに
なってるが。しかしまあ、名人の能をビデオでみるのと、かぶりつきで
能をみるのと、どっちが能の魂により近づけるか、これは微妙な話では
ないかなぁ。
>>548 そりゃ作品を鑑賞するときはね。鑑賞した後、批評文を作成するためには
文学哲学芸術学批評学、いろんな知識はあたりまえに動員するんで。
作品鑑賞して感動しても、感動しただけじゃ批評は書けないと。
>>549 文庫全部読んでるの? 角川文庫の「私の人生観」のなかに、ベルクソンへの
言及があるね。人生観においてベルクソンに多く負っていると小林はいってるね。
新潮の「Xへの手紙・私小説論」にはいってる「感想」という文章にも
ベルクソンへの言及があるね。
まあ、これらを読んでから出直してきなw
小林は「当麻」のなかで、念仏僧のひとりは麻雀がうまそうとか、老尼の
能面からわずかに覘いてる顔が、子猫の死骸めいたものが重なり合って
いるようにみえたとか書いてるね。
俺も、能を鑑賞したとき、地謡のひとはなんか面白い顔してるなあ、とか
能面からのぞく横顔が白くてぶよぶよで、モンハンのフルフルみたいだー
とか、鼓のひとはよくあんなに一定のリズムを常に保てるものだと感心したり
大部分の時間はくだらないことばっかり考えてたねw
小林が「当麻」を書いたときは、能の鑑賞が流行してたそうな。観客層は
若かったのかどうか。俺が鑑賞した能の観客層は大部分、年配、老年層
だったねやはり。若いの数は数えるほど。まあ、俺も退屈で途中居眠り
しちゃったくらいだから、やはり若い人にとっちゃ退屈なんではないかと
思われるね。
554 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/10(日) 02:34:02.32
>>551 > そりゃ作品を鑑賞するときはね。鑑賞した後、批評文を作成するためには
> 文学哲学芸術学批評学、いろんな知識はあたりまえに動員するんで。
> 作品鑑賞して感動しても、感動しただけじゃ批評は書けないと。
いや、根源的なところで知識を使わないで主観的に批評するのが小林の売りだと思うよ。
いわゆる物差し使わないと。
物差しを使うなら誰でも出来ると。
それが小林のスタンス。
555 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/10(日) 02:39:47.04
つーか、誰のどの小説を批評するときに、ベルクソン等の文言が出て来るの?
「私の人生観」、「Xへの手紙・私小説論」は確実に読んでるよ。
556 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/10(日) 02:47:25.70
『 思想という包丁で評論するととても良く切れる、自分も過去にやっていた、でも、それをやると大失敗をする 』
風のフレーズがあったべ。
>>554 そりゃ、ランボーに神田の街頭でいきなり爆弾なげつけられたとか、ゴッホの絵に
衝撃うけてしゃがみこんだとか、そういう小林伝説ばかりに注目するとそういう
印象うけるのも無理は無いな。
ランボー伝説については、たとえば蓮實が批判していて、小林とランボーとの
瞬間的、劇的、衝撃的な邂逅というのは、批評的メロドラマを創作せざるえない
小林の貧しさからねつ造されたもの、ってな批判をしてるな。ランボー伝説に
魅入られるのは馬鹿らしい、という意味合いにおいては、この批判は正当だろうw
「ドストエスフスキイの生活」においても、カーの研究を下敷きにしてたのは
有名だし。そのほかの作品においても、小林はかなり綿密な下調べをやってるのさ。
批評対象になる芸術家の伝記について一通りの資料をそろえてね。
だから、小林の批評は常に直接的な印象だけにもとづいた批評だっていう
評価は、実は小林の手玉にとられてるだけなんだよw
>>556 「私の人生観」における芸術論は、芸術一般が対象であって、特定の芸術が
対象ではないな。その芸術的認識において、ベルクソンの影響は決定的だったと
述べてるね。 おまえ読んでないなさては。
新潮文庫の「Xへの手紙・私小説論」には、「感想」という文章がはいってる
はずだが。そんでそん中にベルクソンへの言及があるんだが。読んでないのか?
559 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/10(日) 02:54:52.24
>>557 > 「ドストエスフスキイの生活」においても、カーの研究を下敷きにしてたのは
> 有名だし。そのほかの作品においても、小林はかなり綿密な下調べをやってるのさ。
> 批評対象になる芸術家の伝記について一通りの資料をそろえてね。
それは、
・それに対して、私の戦略は、真正面(大手)からというよりも、やはり裏側(搦手)から(小林秀雄『様々なる意匠』)
の発想からでしょ。
思想、哲学は関係ない。
別に読んでないのはいいんだけど、読んでないのに読んだふりするのは
あまりよくないよねw
561 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/10(日) 02:57:20.53
>>558 俺の記憶に残ってないのは、たいした記述ではなかったんだろーな。
>>559 ドストエフスキーの著作にたいする当時の哲学的解釈にも、ひととおり目を
とおしてるな小林は。シェストフとか、メレジコフスキーとか。カーの種本だって
歴史哲学的な要素はあるわけでね。カーは歴史家、歴史哲学者でもあるわけだし。
>>561 んじゃー、「私の人生観」から引用しようか。
「私は、学生時代、芸術に関する彼(N注:ベルクソンのこと)のそういう考えに
強く動かされましたが、今日に至るまで、こんな大胆な直裁な考えはどんな美学
にも、見つけ出すことはできまいと思っている。」
最上級の評価だよね。 こんな重要な文章読み落とすとか、犬丸の読解が
たいしたことないことの十分な証明になってるなw
563 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/10(日) 04:39:19.90
つーか、
小林の評論がベルクソンの思想に影響を受けた、と言いたいのなら、
小林の〜〜評論の〜〜の部分が、ベルクソンの思想に影響を受けている
と具体的に言わないと説得力がないわな。
>>563 >>526で「本居宣長」にでてくる「性質情状」(アルカタチ)と、ベルクソンの
イマージュ概念の類似性を既に指摘してるだろうが。
でも、犬丸は「本居宣長」すら難しくて読めないっていうんだよな。
だから、話にならないっつーのw
ベルグソンが著作の途中で「宗教」を差し障りなくまとめて
さっさと次の話題に移るのを見るとアタマに来る。本人は
ちっとも宗教的に見えないからなw
優等生なユダヤ人の先生。
若き小林を狂気の淵から救い出したのはランボオだと思う。
>>546 哲学板のドゥルーズスレでは「ポエム」って言葉が使われてるw
>>557 勉強になるなあ。
ヴァレリを神経衰弱の天才と評してるだろう。実際、フランスの
自然主義における自然とは、むき出しの野蛮ではない科学的な自然観で
あって人を神経症患者の集まりにしてしまう。
芸術は「偶像崇拝」で語られるような抽象的記号の組み合わせに
退化してしまって、小林はそれと運命を共にしようとするんだが、
疲労困憊してしまって、打ちのめされたように子供の頃の素朴な
感情に引き返してしまう。
象徴主義にとって重要なのはアルカイックな野蛮性なのかも
知らんね。岡本太郎なんてのは、そういう流れを引きずってる。
予想される津波の高さは50cmだそうです。
>>567 ドゥルーズ自身は「哲学」って言葉にこだわってるよ。
自分のやってることは概念の創造で、それこそが哲学なんだと。
つまり、哲学って概念自体もドゥルーズは刷新しちゃったんだ。
小林は読んでなかったかもしれないけど大岡はかじってたみたいだね。
572 :
吾輩は名無しである:2011/07/10(日) 11:06:26.00
「愛読者には、研究は適さぬ。私は、ベルクソンの著作に、文学者に接するのと同じ態度で接して来た」
とまでいう小林がベルクソン論「感想」を雑誌に連載し始めたのは1958年のことである。よく知られて
いるとおり1963年第五十六回終了をもって中断し連載再開されることはなかった、その理由は岡潔との
対談「人間の建設」でのべられている。「失敗しました、力尽きて、やめてしまった、無学を乗りきるこ
とが出来なかったからです、大體の見当はついたのですが、見当がついただけでは物は書けません....。」
小林秀雄が「無学」ならほとんどの人がそれ以下に該当してしまう(笑)が小林は自分のことを謙遜して
いっているのではなく、特に相対性理論や量子論又それを支える最新の科学理論に対して「無学」だとい
っているのは間違いではないだろう。ベルクソンの「アインシュタイン理論についての発言」や「持続と
同時性」でのアインシュタインとの対決は小林がベルクソン論を書く上で避けてはとおれない道であった。
ベルクソンに「深み」がないといっている連中には「無学」以下だといっておけばよい。おそらくそこで
小林は-それまでの著作ではなかったこと-絶対に内部化できない他者に出会っている。
当時日本でベルクソンはエランヴィタルといった概念を中心に
生の哲学としてジンメルなどといっしょに読まれていた面と
哲学と科学を融合させるスタイルとして読まれてる面があったのかもね。
バシュラールなんかにつながってゆくことになるんだろうけど。
自分を無学だといえる小林に萌えるなあw
574 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/10(日) 11:24:50.68
基本、俺が読む意欲がわかないものは駄作です。
駄作の「本居宣長」にベルクソンが出て来ようが何が出て来ようが、それは意味のないことなのですw
>>571 小林はドゥルーズを多少読んでたみたいだね。「ドゥルーズという若くて
優秀なひとがいてね…」みたいな感じで評価してたね。
まあ、「ベルクソンの哲学」、一冊しか読んでなかったのかもしれんが。
>>573 ジンメルについては、小林はニーチェについて触れるついでに触れていたな。
>>574 イソップの「酸っぱいブドウ」のまんまだな、おいw
576 :
吾輩は名無しである:2011/07/10(日) 11:34:24.54
ヴェーユにかぶれてた最中だったからランボオは読んでたけど、
ベルグソンはつまらんかったな。学者の文体であって預言者の
文体ではない。
577 :
吾輩は名無しである:2011/07/10(日) 11:38:08.49
ベルグソンの哲学にはドストエフスキーのような人間の苦悩は
見当たるだろうか。
578 :
吾輩は名無しである:2011/07/10(日) 11:42:40.09
ヒトラーはエラン・ヴィタールする。
579 :
吾輩は名無しである:2011/07/10(日) 11:49:31.89
ナチズムの躍動感こそがベルグソンの哲学の精髄だ。
小林がそれを誤解だと言い張ったところで、現代の
我々は納得しない。
ベルクソンは父親がユダヤ人だったから、強制収容所にほうりこまれても
おかしくなかったんで、親ナチだったとは、とても思えない。
ヒットラーについて、なんかコメントしてたのかいな。
しかしまあ、エラン=ヴィタルがファシズム的だっていう話はよく聞くよね。
いまでもね。「生の躍動をカルト崇拝にまで高めた」という非難は
現代でも敵対者をファシスト認定するためによくつかわれる。
582 :
吾輩は名無しである:2011/07/10(日) 12:30:14.67
>>577 いっておくが、すでに書いたとおり「私は小林秀雄を批判しようとこのスレに乗り込んできた」のであ
る。しかし「最低限これくらいは押さえておかなければならないことが共有されていないから」先にそ
のことを提示しているのだ。人の話を最後まで聞かずに横槍を出すのは簡単だ。ベルクソンに「ドスト
エフスキーのような人間の苦悩」があるかどうかなんてそんなことは小林秀雄に聞いてほしい(笑)。
583 :
吾輩は名無しである:2011/07/10(日) 12:40:34.80
俺はベルグソンについて小林を非難する必要するつもりはない。
優生思想、人種主義で右翼が喜ぶ危険性を見て取って、ベルグソン論は
ちゃんと封印したんだからな。
584 :
吾輩は名無しである:2011/07/10(日) 12:43:59.23
と、非難するつもりはない、だ。
ベルグソンはナチ占領下のパリで、生前の名声にも関わらず、
弔う人も少ないまま「葬儀はカトリックで、無理ならばユダヤ教で」
と遺言して死んだ。これも宿命のアイロニーだろう。
ベルクソンの哲学がつまらん、底が浅いって話は、フランスにおける知的
貧血っていう時代状況と関連付けるべきものだろうか。
その知的貧血が、生硬なドイツ哲学のフランスへの怒涛の侵入をもたらした。
あたかも、かの蛮族が文明の中心であるローマを征服したかのように。
>>571 大岡昇平は小林秀雄との対談を読んでても勉強家ですよねえ。たまにタメ口になるのが面白い。なぜ彼はニーチェを読まなかったんですかね?
>>575 それだれとの対談ですか?ドゥルーズのくだり。昨日聞いたかも知れんが忘れてしまいました。
>>586 対談というかたちではないな。 確か、小林の秘書やってた郡司の
「小林秀雄の思ひ出」にそういうエピソードが載っていた。
すげえ読んでるなあ。Nさん研究者とかじゃなくて趣味なんでしょう?
まーねー、趣味さ。アマチュアだからね。
590 :
吾輩は名無しである:2011/07/10(日) 13:21:38.28
ベルグソンは古典的進歩主義だな。19世紀以来の。
第一次大戦後にヴァレリを始として一斉に進歩主義的形而上学への
懐疑論の大合唱が始まった。小林のデビューしたのはそういう時代。
小林は反形而上学については距離を置いている。
ところで、白鳥の「人生恐怖図」、図書館でみつけたわ。
日本文学全集の「正宗白鳥」の巻。
ちょっと読んでみたけど、最初の方はSF的だねw クラークの
「幼年期の終わり」をちょっと思い出す。
592 :
吾輩は名無しである:2011/07/10(日) 13:23:07.58
我々は堂々たるナチの豚野郎の集まりだ。
これには異論はないようだな。
593 :
吾輩は名無しである:2011/07/10(日) 13:26:38.04
初期評論で確かに反形而上学に対してはそう書いてる。
そういう時代背景はなかなか読み取らないからな。
ヴァレリーといえば、まず「方法的制覇」をおもいおこすよねえ。日独の台頭を
予言したの。 河上徹太郎があきれた慧眼と評し、浅田彰もヴァレリーの明眼を
高く評価してたね。
595 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/10(日) 13:28:54.13
小林に秘書なんていたんだw
小林的美意識からすると恥ずかしくね?w
ヴァレリーはプチブルであるが、すべてのプチブルはヴァレリーのようではない。
サルトル
>>595 何わけのわかんないこといってんだろう。勝手に自分一人で小林的美意識って
風車をつくりあげ、それに突撃してるドンキホーテってとこだな。
ヴァレリーの親父って、確か銀行家なんだよね。 村松剛はフランスにいたころ
ヴァレリーの親父について、あれこれ調べてたんだってね。 蓮實重彦がいってた。
「批評」でヴァレリー論を連載してたのか村松は。ヴァレリーの親父についても
書いてあるのかな。
599 :
吾輩は名無しである:2011/07/10(日) 13:44:07.12
ナチの豚野郎はおしゃべりだ。
600 :
三浦 ◆aKZjWmIOl2 :2011/07/10(日) 13:49:21.99
>>592 小林秀雄とベルクソンの関係で大切なのは、直観という哲学の方法ではないでしょうか。
ベルクソン哲学の「直観」は、対象と一つになることだったと思います。
ベルクソンは、個々の哲学者の、哲学的直観(哲学者が生み出した学説)を理解するためには、
哲学者の抱いていたイメージをよく観察することだと言い、そのイメージの特徴は否定だと、ベルクソンは説明していたと思います。
小林秀雄のあの否定まみれの悪文は、否定に潜む直観の力が、
対象と一致すること=対象の本質を明らかにすること
だというベルクソンの方法を、小林秀雄が信じていたことの表れでしょうか。
601 :
吾輩は名無しである:2011/07/10(日) 13:49:47.88
どいつもこいつも石原慎太郎だ。
ナチって、白人純血主義にこだわった、非モテの集団じゃないw
俺は別に純血性とか、こだわりねーからw
>>603 俺が図書館から借りたのも新潮社の初版だわ。
アマゾンあたりで安く手に入らないものか。
俺100円で買ったよ。なんかと交換しませんか?
交換?いいけどさ。 こっちは何をもちだせばいいんだ。
新潮の「Xへの手紙・私小説論」の文庫本とかどうだ。
持ってますw
でも気恥ずかしいからやめよう。送ってあげてもいいですよ。
あと、小林関係で交換にだせそうなのは、「考えるヒント」文庫本と
角川の「小林秀雄、河上徹太郎全集」くらいだなあ。
これに食指がそそられないようなら、あきらめて、自分で探す。
考えるヒント、欲しいです!交換しましょう。捨てアド晒して下さい。
書籍を送るのって安いのがありますよね郵便で。調べてみます。
612 :
吾輩は名無しである:2011/07/10(日) 15:08:24.75
俺も死んだ後でハゲタカどもに屍肉をつつかれないように
用心せんとならん。
614 :
吾輩は名無しである:2011/07/10(日) 15:14:18.72
小林が恨めしや〜って化けて出てたぞ?
メール送りました!返信ください。
今送った。
郵便局の本局で送ってキター!!今帰りの車。
しかし2ちゃんで知り合った人に本名と住所を教えるって凄いよね。
Nさんのイニシャルは普通にNだったけど、俺は全然鈴木じゃないから笑えるw
有意義ですね。本の送料がもっと安くなればいいのに。Nさんブツが届いたらここに書いてね。
まあ、そっちが先に晒してきたからさ。 ならこっちも晒すかと思ったのさ。
そっちの晒した住所名前が真正という保障はないが、ま、そこはあれだよ
命がけの飛躍ってやつよw(by 柄谷行人)
私書箱とかで受け取る手もあったろうが、つくるの面倒くさいし、金もかかるしなぁ。
620 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/10(日) 16:21:36.89
しかし、秘書が必要なほど忙しかったわけ?w
仕事を沢山こなしてた、ってことなのかね?
621 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/10(日) 16:23:07.76
基本、どうでもいい仕事を沢山抱える人が秘書を持つんだと思うけど。
>>618 郵便局本局から送ったのか。まあ、運賃はこんなもんだよ。あんまり安すぎると
配送がなりたたんさ。自分で運ぶこと考えりゃ全然安いしw
>>620 小林の担当編集者であり、実質的な秘書の役目を果たしていたと、そういうことの
ようだね。そりゃー全集がでるくらいの文学者なら、秘書のひとりやふたり
抱えてるもんだろう。
>>622 弟子だったのかなあ?小林秀雄はカリスマ性があるから秘書やりたがる人は沢山いたでしょう。
>>624 弟子ってわけじゃないだろう。小林自身は、自分に弟子なんかひとりもいないって
いってたし。
カリスマ性は確かにあったがなあ。しかし小林の家に訪ねてくようなのは、だいたい
変わった奴、半キチガイが多かったそうでね。 そういう知らない連中の訪問に
いちいち対応してたら、きりがないんだな。 だから秘書になりたいっていうやつが
押しかけてきても、お断りだったろうよw
「Xへの手紙」みたいなの書いてたら、「これは俺への手紙だ!」とか電波を受信しちゃう人もいるかもねえw
宣長の後に書かれた白鳥論の中断の仕方が分かりやすいなw
ユングが出版を渋った自伝の話題で終わってる。
「心の現実に常にまつわる説明し難い要素は謎や神秘のままに
とどめ置くのが賢明
(未完)
ようやく諦めたらしい。
まー実際、大脳組織の電波への感度があがっちゃうような、そんな文章だよね。
小林スレにいついてるようなのは、だちたいみんな電波の犠牲者だろうよw
中原昌也に来るファンレターとかも凄い狂ってるらしいですよ。何時にどこどこで待ってます、とかw
630 :
吾輩は名無しである:2011/07/10(日) 17:26:53.57
>>600 私は592ではありませんが、ご指摘のとおり小林がベルクソンから受け継いだ大きなもののひとつが「
直観という哲学の方法」だと思う。ベルクソンは「直観」について次のようにいっている。
「これらの考察によって私はしだいに、直観を哲学的方法として立てて行った。しかしながら「直観」
という言葉の前では私も長い間ためらった。認識のある仕方を指示する用語としては、すべての用語の
うちこれがやはり最適である、とはいうもののこれは誤解を招くおそれがある。シェリングやショーペ
ンハウエルやその他の人々がすでに直観に訴えていたし、彼らは多かれ少なかれ直観を知性に対立させ
ていたから、私がそれと同様な方法を用いるのだと信じ込まれるかも知れなかったからである。」
緒論(第二部)より引用
ベルクソンが誤解されることを恐れていた「直観」は小林秀雄には方法としてまだ自覚的であったの
かもしれないが(微妙なところだ(笑))不幸なことに彼の批評スタイルは影響力が大きく彼の弟子
や周辺にいた人々に悪い意味で誤解されてひろがった。例えば白洲正子はその典型である。直観はや
がて本物を見る眼と称して曲解され自分達だけが「一流」がわかるといった恥ずかしいものへ変貌し
ていった。青山二郎はたしか柳宗悦の助手をしていたはずだが工芸運動の原理であるアノニムスデザ
インを誤解してこちらも「一流」の人になっていった。最後に「小林秀雄のあの否定まみれの悪文」
はベルクソンというよりヴァレリーとサント・ブーヴの影響だというのは簡単だが個人の資質が大き
い(笑)と思う。
631 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/10(日) 17:27:06.82
三島由紀夫に訪ねられた太宰治も恐かったろーなwww
刀を持ってないだけたすかったwww
632 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/10(日) 17:29:02.28
つーか、思想だ、哲学だ、というなら、小林なんか読むより、宮台真司を読んだ方がいいんじゃないの?
小林の売りは主観じゃないですか。
633 :
忍法帖【Lv=30,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/07/10(日) 17:40:45.40
Nも川俣も顔の見えない相手と物を送りあったりすることは平気か。
最近は割合そういうのが普通らしいな。本名は隠していることもあるだろうが。
俺が遅れているのか。
いや、正直抵抗あったわ。でもNさんの人格を信じたよ。
635 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/10(日) 17:47:21.34
熱狂的なファンの人が、小林は単なる売文業ではなく、立派な思想的背景があるのですよ、と力説したいのかね?w
思想的背景が云々というより、真剣にやってる人なんだよ。
637 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/10(日) 17:49:36.90
>>634 キチガイの三島でも立派な文章が書けるからなw
ある日、刀を持った男が君の家に訪ねて来るかもしれんw
三島だって別に普通に会って喋ったりするぶんにはマトモな人だと思うよ。
>>630 ベルクソンも「直観」がいろいろに誤解されたことを気にしてたか。
デカルトの「方法」も、やっぱり似たような感じで誤解されたと
小林は書いてるな。 誤解されやすさが売りのデカルト=ベルクソン
主義か。
そういや、能楽堂の書店に白州正子の本がたくさん並んでた。
女性雑誌界隈では、白州がずっと文化界の頂点に君臨してたんじゃ
ないかなあ。 青山は白州正子ほどの影響はなかったでしょ。
骨董では白州と小林の師匠だったろうが。
>>632 宮代もちょろっと読んだことあるが、つまらなかったな俺には。
やっぱ読んで面白いかどうかが一番の条件だよね。おめーも
小林がつまらんというなら、自分にとって面白いひとを探せば
いいんだよ。
>>633 いや平気じゃないけどさ。 鈴木が小林ファンだから、小林の本送ることにしたのさ。
小林秀雄ファンに悪い人はいないw
鈴木は悪人じゃん
いや、友人知人に悪い事はしませんよ。
643 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/10(日) 18:02:05.83
>>639 >小林がつまらんというなら、自分にとって面白いひとを探せば
>いいんだよ。
思想だ、哲学だを持ち出して、小林をほめようとするからややこしい事になってくるのよw
ラーメン屋で、「 ここのオヤジはフランス料理の知識もあるんだ!」 と言ってほめるようなもんwww
犯罪者は悪人だよ
645 :
忍法帖【Lv=30,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/07/10(日) 18:04:23.85
犬丸は新規コテで女か。
>>643 小林はいろんな思想家の影響うけてるんだから、小林について論じるなら
小林に影響あたえた思想家について語る機会は必然的におとずれるのさ。
小林論ずるのに思想哲学もちだすのはおかしいって、それはおまえの主観に
すぎないから。
ベルグソンは小林のようには何も否定したい。ヴィタールする。
ベルグソンは誰からも尊敬される「良い奴」だった。
小林みたいな屈折は抱えてない。その認識論にも。
小林秀雄だって誰からも尊敬されてたよ。死後にやたらディスられてるけど、生きてる時に直接ディスったのは坂口安吾だけだろう。
坂口安吾は小林秀雄を尊敬していたし、本人もそう言ってるしね。
あ〜きら〜めましょう
あっきらめまっしょう♪
>>649 青山次郎も対談で小林に「おまえ才能ないね」って、さんざんいびって
泣かせたそうだよ小林をw 大岡昇平がそのこと書いてたね。
泣かしたんだwいい話だなあw
結局は世の中を放り出したランボオが一番、賢明だったつう
中野重治も小林批判の文章かいたよね。 それで小林と中野が飲みながら
議論してたら、中野がいきなり小林をぶん殴ったらしい。
ところがそのあと、小林が中野に説教はじめて、中野がワアワア泣きだしたとか。
これも小林伝説の一部ですねw
>>654 ランボオは世の中ほおりだしたんじゃないさ。芸術をほおりだしたんだよ。
それで死ぬまで砂漠での隊商の編成に余念がなかったということだ。
>>575 >小林はドゥルーズを多少読んでたみたいだね
へーそうなのか。自分より20歳以上年下の海外哲学者を読むなんて
なかなか柔軟なところがあるんだなあ。
>>619 命がけの飛躍、って元はキルケゴールじゃなかったっけ?
>>650 安吾と小林の対談読んだけど、安吾はかなりくってかかる感じしたなあw
ランボオは文明を拒否して野蛮に逃亡したんだろ。
「食うに困らないだけのものが手に入るまではこうしているより、
他はありません。そしてそれが手に入ることはないでしょう。」
食うために働いてただけ。
>>657 精神的には死ぬまで若いつもりだったのさ、小林はね。
>命がけの飛躍、って元はキルケゴールじゃなかったっけ?
ああ、そうかも。 マルクスもつかってるそうだが(商品から貨幣への
命がけの飛躍)、ひょっとしたら、そのフレーズもキルケゴールが元
なんだろうかな。
まあ、俺は柄谷経由でその言葉を初めて知ったもんでね。
>>655 それもいい話だなあ。小林秀雄も色んな人を泣かしてるよねw
>>657 あの対談は名作だよ。小林秀雄も「何言ってやがる!」とかキレるしw
>>658 ランボオの書簡からの引用か。 まあ、ランボーの放浪は、野蛮への逃走というよりか
文明と野蛮の境界を体験し、統御することだって、そういう気が俺はする。
>>660 家に押し入った強盗を泣かせた伝説は割と有名だな。
>>659 キルケゴール→マルクス→柄谷、なんだろうね。
>>660 ああいう対談をしてみたいもんだねw
>>662 えー、ひとの個人情報を誰かにわたすときは、鈴木に許可をもとめてからやるさw
「佃煮が鈴木の名前と住所知りたがってるけど、教えていいですかー」と
メールで問い合わせてからだな、教えるとすれば。
「妹よ天国へ行け。俺は地獄へ行く」。
ランボオの最後の言葉な。吐き気がする。
鈴木のことを知りたい奴なんていないだろ
自意識過剰過ぎ
>>661 >家に押し入った強盗を泣かせた伝説は割と有名だな。
詳しくお願いします!
669 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/10(日) 18:59:48.10
>>658 > ランボオは文明を拒否して野蛮に逃亡したんだろ。
こういう風に言うから話がややこしくなる。
文明があるから貿易が成立するわけ。
で、あの時代の貿易は冒険に満ちていて、リスクもあるけどベネフィットも大きいと。
だから、単純に、貿易は楽しかった!んだと思うよ。
小林は苦渋の選択で詩を捨てて、貿易に走ったみたいに書いてるけど、そんな深刻なもんじゃないでしょwww
金になんない詩を書いてるより、世界中をフラフラ出来て、金が儲かる貿易の方がずーと楽しいってことでしょう。
>>665 ランボーの伝記っていうと、何がいいかなあ。 アマゾンで調べたら
ステンメッツの伝記ってのが、ひっかかったが、高いね。
>>667 夜中、小林の家に二人組の強盗がはいったんだな。小林は強盗に
「金をだせ」って、包丁つきつけられて脅されたそうだが、その包丁が
震えていたんだそうだ。だから小林は「こいつは強盗の素人」だって
おもったんだとよ。それで、「強盗か、ちょっとそこにあるライターを
とってくれ」って強盗にいい、強盗ふたりをじっくり観察してから
強盗に説教はじめたそうな。 そうしたら強盗がオイオイ泣き出して
何もとらずに帰ってしまったそうな。
で、後日、強盗がなぜか菓子折をもって、小林の家に挨拶にきたという落ち。
>>668 あー、そっちも教えないでくれよ他人にはw 俺も無断で教えないからさ。
>>670 秀雄さんの周りにはいい話が多すぎるなあw
>>671 それが信頼関係じゃないですか!そもそも住所教えろなんて言ってくる人に教えちゃダメでしょう。
ま〜た鈴木の「俺は佃煮にもててる妄想」か
可哀想な奴
>>672 小林もいろんな面白い逸話あるよねー。
>>673 まあ人に教えるつもりはないって。しかし、もしも警察が令状もって、情報開示
しろとかいってきたら、従わざるえないかもしれないし、もしそんな状況になったときは
鈴木に一言通知をいれるって。
意味わかんないw
>>675 警察が令状持ってきたら仕方ないですよw
小林みたいに著名人って大変だよな。なかなか逃げるわけに
いかないからな。所帯持ちだったせいもあるが。
>>677 やっぱ、国家権力が相手だと、なかなか刃向かうのは大変だよねー。
刃向かったら公務執行妨害でタイーホですよ…
まあだから基本、刃向かわない、刃向かうような状況になるべく
ならないようにしてるな俺は。
ひとによっちゃ、逮捕されないギリギリをこころえてて、できるだけ
刃向かってるポーズとるひともいるな。猫や犬がフーッ!って
威嚇するみたいなやりかたで。
基本的に「令状を見せて下さい」だよね。で、見せられたら仕方ねえやw
令状ってみたことないな。 まあ、見ないですむにこしたことはないか。
俺もないよw
そうか、いいことじゃないか。
うん。見たくないよ…マジで…
鈴木は職質されたら人生終わりだけどな
いや今は大丈夫だよ。違法なもの一つも持ってねえから。
ベルグソンの文章って読んでも読んでも、それが俺の人生に何の
関係があるって風。主知主義ってそんな感じだろう。
いやあ、今の能楽はダメだよ。ほぼ壊滅だな。
今の時代に面白がっている奴にどこがいいか聞けば、あまり健全な趣味ではない。
小林のベルグソン論も一緒だな。ってか、ベルグソンについての
評論ならベルグソンの宿命について耳を澄まさなけりゃならない
はずだが、これは単なる「感想」だ。
ベルグソンもまた遺稿を封印した。その意味するところについて
語るべきなのを小林爺さんと来たら「未発表の宝」がどうこうって、
ベルグソンが相手だと実に他愛なく期待を寄せるのだな。
ドゥルーズ経由でベルクソンを多少かじった程度だけど、
「物質と記憶」は密度が高い作品だと思うなあ。
ドゥルーズは読んでみたけど忘れてしまったな、俺の半減期は早いな。
襞とか逃走線とか言ってたな
俺も忘れた
俺もかなり忘れたwでも「差異と反復」はエキサイティングだよ!
襞はフーコー論でもライプニッツ論でも重要な概念だね。
ライプニッツ関係でいえば、
モナドロジーに変えてノマドロジーなんてことを言ったり。
でもベルクソンがドゥルーズに与えた影響はニーチェに匹敵するね。
ああそうそう、ノマドの逃走線ね
あとは断層とか言ってたな
小林秀雄対話集(文庫)を去年ぐらいに読んだのをひっぱりだしてきた。
すごいメンツだよね。大岡も坂口も中村も福田もいる。
アセンションは最近本読み過ぎじゃね?
体壊すなよ
そうだねwほどほどにしとこう。
鎌倉にでも鰻食べに行ったら?
対話集最高だよね。俺のは風呂でずっと読んでたからふやけてるけど。
703 :
吾輩は名無しである:2011/07/11(月) 12:23:02.21
ナチが小林読んでも時間の無駄だぞwww
704 :
吾輩は名無しである:2011/07/11(月) 12:31:21.67
プロレタリア文学を牽制しようとしたら保守体制にダシにされ
ちまったんで、小林は後悔するのが人より遅かったんじゃねえの?
705 :
吾輩は名無しである:2011/07/11(月) 17:22:12.37
石原なんかに甘い顔して、結局、テメエが痛い目にあってんだろう。
死んだ途端に墓穴に放り込まれて。
あの調子の良さに騙されたら駄目だね。
Nさん「考えるヒント」届いたよー。白鳥は届いた?
あまりにもボロボロの文庫本だったので、高いカバーをかけたら読みやすくなりましたw
708 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 18:23:39.88
>>705 小説家として才能があるかどうかなんて関係ないんだよ。
自分をしたってくれればそれでヨシって感じでしょ。
天才だけとしか遊ばない、ってポリシーでいくと、世間が狭くなっちゃう、って発想でしょwww
まあ、万引きしたブックカバーなんだけどさ。革のやつ。
万引きばっかしてねえでさっさと自首しろゴミ
711 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 18:37:42.62
ほう、鈴木クンは万引き常習者なんだw
私なぞは、本を買うとウザイからブックカバー等全部捨ててしまうよ。
で、ブックオフで買ってもらえないんだけどw
712 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 18:42:09.76
ひょっとしてブックカバーを有り難がる国って日本だけじゃないの?w
トイレにフタがあるのは日本だけだって聞くしw
俺は読書は布団の中だからああゆうのは迷惑なんだよねw
俺はとりあえずカバーの上から雑紙で更にカバーするね。ネットで買った時とかは。
714 :
吾輩は名無しである:2011/07/11(月) 18:47:18.82
715 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 19:03:50.26
>>713 我々は、活字の奥にある、作家の精神を読み解くために本を買うんだよ。
そんな入れ物を大事にするような態度では、真の読書は出来んぞ。
お母さんの握ってくれるおにぎりの具はいつもうんこでした。懐かしい味です。
>>715 違うね。ボロボロになると読みにくくなるからあらかじめカバーするんだよ。
俺がたまたま古臭いランボオ詩集を持ち出さなかったら、墓穴の中なまま
だったかも知らん。
719 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 19:22:04.33
>>717 表紙にカバーその他がゴワゴワ付いてるだけでも読みづらいと思うけどね〜
本当にボロボロになったらまた買えばいいわけだし
万引きクンの気持はわからんのお〜
720 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 19:26:21.82
俺なんかプログラム系のぶ厚い本は逆に壊すよw
で、50ページぶんだけひっちゃぶいて布団の中で読むとかw
何だよゴワゴワってよ?椅子に座って読めよ。
背負いこみ過ぎかも知らんけど、バブルが本格化したのは小林後なのは確かだ。
重石がどけたみたいにランチキ騒ぎになった。90年代も半ばくらいまでずっとだろ。
723 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 19:41:55.92
じゃあ、小林の存在が、日本経済発展を阻んでいたのか?w
724 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 19:50:05.23
詩を書いてるランボーは偉く、貿易商になったランボーを人でなしみたいに言う、
小林が死んでくれて、世の中のサラリーマン達はやっとホッと出来た、ってことか?www
昭和五十八年(一九八三)三月一日、午前一時四十分、小林秀雄は、八十年の
生涯を閉じた。新聞各紙は、ただちに第一面から社会面へと、「小林秀雄氏
死去」を大きく報じた。
「近代批評文学の構築者」(朝日新聞)、「近代批評文学の開拓者」……
第一面の見出しを、各紙一様にこう打った。続いて社会面に「『本物』に
徹した生涯」(朝日新聞)、「知的孤高貫いた“批評の神様”」(サンケイ
新聞)、「無私で人生の真実見る」(東京新聞)、「文芸批評を芸術の高みに」
(日本経済新聞)、「『精神のドラマ』刻んで」(毎日新聞)、「近代文学切った光彩」(読売
新聞)……と打った。
海外でも、精しく報じられた。『ザ・タイムス』一九八三年三月十四日号は、…
「百年のヒント」
続いて時代の主役はカネ転がしとパンツ踊りに移り変わったと。
726 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 20:07:20.47
>海外でも、精しく報じられた。『ザ・タイムス』一九八三年三月十四日号は、…
つーことは、小林の英訳とかあるの?
>>725 俺は小林秀雄の生まれ変わりかも知れない
んなーこたないw
>>690 へえ、そうなんだ。まあ読書だの観劇だのだって、もとをただせば
悪い趣味だった時代があるんだし、能の鑑賞に健全でない部分が
あるからといって、現代における能鑑賞とは端的に無価値と、ただちに
断言できるわけでもあるまい。 現代における健全な能とは、どんなものか
想像するのもありだしな。小林も、日本の伝統的な舞踊は、文学的な重荷を
背負いすぎてる、って批判してたね。 重荷のせいで、名人の身体はもはや
踊ることがかなわぬ、とか。まあ、伝統舞踊はたぶん文学的な重荷だけ
じゃなくて、社会的政治的な重荷も負っているんではないかと、俺などは
想像する。
730 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 20:30:48.41
>>727 なら、本にカバーを付けるなんてケチ臭いことをしたらイカンよw
>>704 大岡が、「文学界」は戦争期に体制迎合への道を歩んだとか批判してたね。
まあ、小林にとっちゃ、そんな批判は屁でもないだろうが。
>>706 届いたよ。箱入りのずいぶん立派な本だな。これは俺の方が今回は得したなw
この埋め合わせはいずれまた。
>>707 何度もよみすぎたせいで、ボロボロになったんだよ。俺の精読の証と
おもってくれw
733 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 20:33:41.89
歌舞伎はもともと下品なものだったのに明治政府にバックアップされる事を条件に上品な日本の芸能に変身した、って聞いたことがあるな。
>>722 バブルの頃は、能の観劇にきてるひとも、みんなとっても綺麗な格好してた
ってね。このあいだの能では、観客の格好はバブルの頃とは比較にならない
貧乏くさい格好が多くて、バブル時代は遠くなったという感想を聞いた。
テレ朝がアメリカ製の番組の垂れ流しを始めたのは1984年、
プラザ合意は翌年85年。
東京ディズニーランド開園は小林死去のひと月半後だ。
>>730 本は消耗品じゃねえ!どれだけ本を愛せるかという問題なんだよ。
>>731 届いたか。よかった。
でも半世紀前の本だと考えると綺麗でしょう?
>>737 鈴木からもらった正宗白鳥集の巻頭がそれだ。まだ読んでない。
今から読むさ。
>>739 いや、綺麗だよ実際。 初版のようだねこれは。 鈴木は読んだのこれ?
741 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 21:13:33.95
>>738 本は消耗品だよ。
重要なのは作者が何を表現したいか、何を言いたいのか、だよ。
そして、本はそれを伝達するツールにすぎん。
そんな根性では小林秀雄になれないぞw
よくて、本を大切にするブックオフの店長だwww
あれ、神田で拾った白鳥全集は無くしちまったのかよ。
>>742 もってるよ。でもあんまり読み進んでないんだよ。
それで「人生恐怖図」がはいってないっていうんだろ、この全集。
全集に入ってないというと、なんかそれを先に読みたくなってさw
>>734 能を見てる自分に酔いに出掛ける類のファッションショーには
俺は関わるつもりなないからな。
>>744 まあ、GパンにTシャツのひともいたし、そんなに服装気にしないでも
大丈夫でしょ。
どっち向いてもミッキーネズミみたいな根無し草な時代に生まれ育つと、
歴史も伝統もさっぱり身に付いてなくて残念なことさ。
747 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 21:34:17.61
どっちを向いても天皇さまマンセーの時代よりかはマシだべ?
>>746 まあ、どういう時代だろうと、歴史や伝統に出会える瞬間など
極めて希であるというのが、小林流の考え方でしょ。
749 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 21:39:37.92
>>746 ネズミもいれば、天皇さまもいる。 将軍さまもいれば、大作さまもいる。
結構な時代じゃないか。
消費し消費されるポストモダンなボクらの時代さ。
小林にバルトの『表徴の帝国』だかの感想を聞きたかったな。
752 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 21:50:18.87
>>746 > 歴史も伝統もさっぱり身に付いてなくて残念なことさ。
天皇マンセーの奇妙な歴史、伝統を押し付けられて三島由紀夫みたいのが育っちゃうよりかマシなんじゃないの?
実は小林もその口だと思う。
でも、志賀直哉は違うと思うね。
志賀直哉は皇国史観の異常さを見極めていた人だと思う。
>>751 ジョージ・サンソムとか、E・ライシャワーとか、英米系の日本文化論には
かなり目をとおしてたね小林は。 フランス系の日本文化論というと
小林が読んでたのは、マルローまでじゃないか?
しかしまあ、論考においては、小林はジャポニズムは周到に回避してた
から、「表徴の帝国」もスルーしたんじゃないか。 「近代絵画」でも
印象派にあたえた浮世絵の影響については一言もなかったし。
>>752 志賀直哉は戦争中、皇軍大絶賛してたんだぜw 知らないの?
前スレで論じてるよ。 あいかわらず犬丸は甘いw
755 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 21:59:08.16
へー、そうなんだw
勉強になったかw よしよしとw
歴史と伝統って言うと皇国史観しか話にならないのがミッキーネズミらしいわ。
皇国史観がどうとか、難しいことを考えずにディズニーランドで遊んでりゃ
いいんだよね、ミッキーネズミはさw
759 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 22:17:09.79
760 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 22:21:59.98
>>754 > 志賀直哉は戦争中、皇軍大絶賛してたんだぜw 知らないの?
つーか、志賀に天皇マンセーのエビがあるなら教えてチョ。
761 :
忍法帖【Lv=31,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/07/11(月) 22:23:15.34
当時は誰も彼もそうでないと生きていられなかった。今の視線で批判するのはやめたほうがいいと思うぜ。報国会のことを持ち出してあれこれ批判するやつもクズだ、と最近わかった。
762 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 22:24:21.73
俺が文庫本で志賀を読んだ限りでは、
・健全な金持ちのおぼっちゃま
って感じで、天皇マンセーの臭いは感じられないのだが。
763 :
忍法帖【Lv=31,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/07/11(月) 22:26:37.98
そりゃ文庫は戦後の価値観で編集されてるからな。全集からもその手の文章が除かれるってことがあるのはざらだ。
764 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 22:27:20.08
>>761 >当時は誰も彼もそうでないと生きていられなかった。
その通り。
天皇マンセーのフリをしていないと生きていられなかった。
ああ、サイードだったかの言う「オリエンタリズム」かな、バルトはw
バカ丸出しつう
766 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 22:30:20.36
>>761 >当時は誰も彼もそうでないと生きていられなかった。
で、天皇マンセーをしょうがなく受け入れるのと、
三島由紀夫みたいに嬉々としてバカを演じちゃう人の違い
ってのかあるじゃないですか。
>>759 見られないんだけどそれ。前スレの
>>504だよ。
>>760 志賀が皇軍の偉大性を賛美したっていうエピなら知ってる。
>>762 親父とずっとケンカしてたからねえ志賀は。親父ってのは天皇を含む
当時の体制の象徴で、社会=父親と結局和解するってのが、「和解」の
粗筋じゃまいかと俺は考えてるんだがね。
768 :
忍法帖【Lv=31,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/07/11(月) 22:32:45.30
>>765 バルトはこれは日本についての本ではない、って序文で説明してるぞ。武陽の轍をなぞるようであれだが。
それから「表徴の帝国」では駄目だろ。「記号の国」のほうがよい。
シンガポール陥落の日に書かれた志賀の文章ってこれだそうな。
>「日米会談で遠い所を飛行機で急行した来栖大使の到着を待たず、大統領が
>七面鳥を喰いに田舎に出かけると言う記事を読み、その無礼に業を煮やしたのは
>つい此間の事だ。日米戦わば一時間以内に宣戦を布告するだろうというチャーチルの
>威嚇的宣言に腹を立てたのもつい此間の事だった。それが僅かの間に今日の有様に
>なった。世界で一人でも此の通りを予言した者があっただろうか。人智を超えた歴史の
>此の急転回は実に古今未曾有の事である。」
実は読んだこと無かったんだけど、こうして引っ張り出してみると、そんなに過剰に
賛美してるってほどの文章じゃないな。 太宰があんなに志賀の文を糞味噌に
けなしてるから、どんなに過剰な賛美をしているのかと思いきや。 太宰がこれを
貶したのは、太宰の都合が半分以上だね。
>>768 テメエの好き勝手な主観的妄想を並べ立てるに当たっては、
もっともらしい前置きが必要だったと?
>>770 なんだろうね。大文字の「日本」については一言も語っていないと。
そういう意味かな。 表徴の帝国でとりあげられた様々な素材自体は
日本の文化的産物と一般的に認識されてるものばっかなんでしょ。
笑いの種ならネットに転がっとる。
俺には小林みたいにムキになって体制に添い寝しなきゃならないような
義理はないからな。
774 :
忍法帖【Lv=31,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/07/11(月) 23:18:08.29
>>770 この本はエクリチュールを語っているのであって、日本について語っているのではない、という訳だろう。
775 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/11(月) 23:18:45.65
>>769 七面鳥の話が出て来たり、
人智を超えた歴史の此の急転回は実に古今未曾有の事である。
とか、言ってみたり、お坊ちゃまの話は何がなんだかわからないねwww
人は神を殺し人を信仰するようになった。
たかが毛のないサルをなぁ。
777 :
忍法帖【Lv=31,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/07/11(月) 23:24:00.63
>>771 そういう部分はあるんだろうな。後バルトには三島的な危機意識と無縁という感じがする。両者が邂逅していたらさぞ面白かっただろう。
778 :
忍法帖【Lv=31,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/07/11(月) 23:33:38.15
ある意味鬼院さんは三島に吹き込まれてる部分があるから、バルト批判を行ったのだろうな。
>>773 まあ、体制の方もそっちをお呼びじゃないだろうしw
>>775 どうも、日本の大使がアメリカ大統領ルーズベルトに会いに行ったら
ルーズベルトが七面鳥を食いに行って、会見をすっぽかしたという
ニュースが流れて、それに腹をたてたらしいな志賀は。
歴史の急転回ってのは、シンガポール陥落のことらしい。
>>777 そうだねえ。快楽主義者だもんね。快楽追求に危機意識はそぐわないねw
そう願いたいもんだな。我々がいつまでも戦争を止めないのは、我々が
サルの集まりである証拠だ。イナゴの大発生や鹿の食害と一緒だ。餌が
足りなくなるとサル同士の争いが始まる。
小林が戦争が天災であるというのはそういう意味だ。つまり、この世界は
救いようがない。
俺は世捨て人でいるよ。
自然は人間に「反省のポーズ」を仕込み忘れた。これが一切の悲劇の発端であろう。
783 :
吾輩は名無しである:2011/07/13(水) 19:23:13.63
石原って小林家の番犬扱いだったのかな。駄犬。
784 :
吾輩は名無しである:2011/07/13(水) 20:57:23.96
小林死んだ年に「おしん」やってんじゃん。
無駄だったけどな。
我々は泡踊りと女体盛りが堪えきれなかった…
プルーストスレで小林秀雄が話題になってますよ。
そんなにプルーストに詳しいくない連中が集まっているからだろ
788 :
吾輩は名無しである:2011/07/16(土) 11:59:26.32
純文学といふ明治文壇が生み出した迷妄と
近代批評の創始者小林秀雄といふ迷妄、
同じ迷妄でもずいぶん性質は違ひますが。
最後の白鳥論は最後の章以外は雑誌に発表して、最後は「流離譚」で
終わらせたわけだ。
生きてる人間は未完成、死んで初めて完成する。
テメエの人生を〆るのも一苦労だな。
790 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/16(土) 15:07:23.56
>>788 > 純文学といふ明治文壇が生み出した迷妄と
純文学=深みのある文学
という意味で迷妄とは思わないけど。
「飾画」で幻視が起きなきゃ俺はランボオも小林も二十年近くも
引きずらなかったかも知らん。
小林が言うには「イルミナシオン」は「黙示」でも良いんだと。
俺ならそっちを選ぶ。
小林は、「遊びで読書はしない、読書は勉強のため」と書いてる。
それは批評のプロとしての矜恃でしょう
じゃ小林の書いたものを遊びで読んで分かるか?
わかる事だけわかればいいじゃない。
もったいないオバケが出るぞ?
もったいないと思えば勝手に何度も読むだろうし、それは遊びだよな。真剣な遊びってものもあるしね。
遊びには人生はなかなか賭けられん。
「真剣」か「竹光」か、それが問題だ。
賭けられるでしょ。そもそも批評で食うなんて無理なんだよ。
遊びのために人生を棒に振る奴は滅多にしないもんだぞ?
それをやる奴は本当は遊びじゃないんだ。
しないじゃない、いない。
とかく余裕を見せるのが立派みたいな考えの横行する世の中だ。
アメリカコンプレックスな奴に多いけど。
でも楽しんでやれなきゃ意味ないよ。
石原団みたいな奴だな。
「人生は茶番ではない」とランボオは手紙で言ってるぞ。
それはそうだけどさ、嫌々読んでも鑑賞した事にならないんだよ。
それでは星の王子様にはなれないぞ?
そうなの?
808 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/16(土) 23:22:49.60
>>792 > 小林は、「遊びで読書はしない、読書は勉強のため」と書いてる。
遊びの延長線上にない読書なんてダメでしょw
809 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/16(土) 23:23:41.38
>>792 > 小林は、「遊びで読書はしない、読書は勉強のため」と書いてる。
つーか、これ、どこに書いてるんですか?
小林らしくない発言だと思うけど。
昔は真剣になると孤独になってしまうのが嫌なんでおどけてばかりいたよ。
やがて、ついに何も言わないことを習得した。
小林といっても小林幸子かなんかだろw
812 :
吾輩は名無しである:2011/07/17(日) 00:40:44.70
>>809 文芸と世界昭和46年春号
特集 小林秀雄の時代
対談「読書もビューティフルに」
俺も娯楽で読書はしない方だから、これはそうだろうと思って
読み流しちまったんだが、どこだか分からなくなった。
相手を理解するとは相手が自分とどう違うかを理解することだろ。
お喋りは相手と同質化するためにするが。
実社会では実情として雑談が人間関係の潤滑剤であるのも
確かなことだろうが。
ネットだけの関わりというのは言葉だけの関係にしかならない。
言語中心主義に陥りやすいか知らん。これは著述家と読者の
関係とは違う話だ。
口先だけのハッタリワールドになるのはネットでも更に特殊な
匿名掲示板に特有な現象だなwww
816 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/17(日) 02:03:21.41
>>812 > 対談「読書もビューティフルに」
ほんまかいなwww
817 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/17(日) 02:06:50.88
>>813 > 俺も娯楽で読書はしない方だから、これはそうだろうと思って
> 読み流しちまったんだが、どこだか分からなくなった。
つーか、エビは出せないけど、小林の、
文芸とは、バクチもあきて、女遊びもあきたヤツがやる遊びだ
みたいな記述をどこかで見たよ。
ハリポタは真面目な顔ではなかなか読めないかもな。
娯楽で哲学書はなかなか読む気にはならんだろう。国学書だとか。
ヒントで楽しみにプラトンを読んでいるみたいなことを言ってる。論語だって
読めば面白いとは言えるだろうが、マンガの面白さとは違う。
すべての人に共通の一つの心がある。万人はその同じ心に通じ、しかもそのすべてに通じる入口
である。ひとたび理牲を用いる権利を認められた人はその全領域を自由に使うことができる。プラ
トンの考えたことを自分も考え、聖者の感じたことを自分も感じ、いついかなる人にふりかかった
出来ごとも理解できる。この普遍的な心に接する人は為されれること為され得ることとのすべてに関係
している。何となればこの心は行為の唯絶対の主体であるから。
エマソン「歴史」
小林も「モオツァルト」で同じようなことを吼えてる。
「何物も過ぎ去りはしない。人間の為(し)たことなら何事も他人事ではない。」
小林秀雄『モオツァルト』
何となればこの心は行為の唯一絶対の主体であるから。
歴史はこの心の仕事を記録したものである。この心の本質は日々の流れ全体によって説明され
る。人間は人類史全体によらないでは説明のつくものではない。人間精神は初めから、急ぎもせず、
休みもせず、その所有するあらゆる能力、あらゆる思想、あらゆる情操を然るべき出来事の中に
体現している。けれども思想は常にあらわれた事実に先だっていて、史上のあらゆる事実は法則と
してこの心の中に先在している。あらゆる法則は事情に応じてつぎつぎに支配権をにぎり、自然に
は限界があって一度に一つの法則だけが力を与えられる。人は事実の完全な百科事典である。無数
の森林の創造も一つのどんぐりに宿るように工ジプト、ローマ、ゴール、ブリテン。アメリカは
すでに最初の人間にに秘められている。時移り世変わるとも、陣営、王国、帝国、共和国、民主国など
すべて多角的な人間精神を多角的な世界に適用したものに過ぎないのである。
ただでさえ高邁の極みを尽くした文章を2ちゃんねるで読んでも
ピンと来ないか知らんがな。
エマソンなんて昔の文学青年には必読書みたいなもんだろ。
この人間精神が歴史を書き、これが歴史を読まなければならない。スフィンクスは自分で自分の
謎を解かなければならないのだ。もし歴史のすべてが、ひとりの人間の中に含まれているとするな
ら、歴史はすべて個人の休験から説明がつくはずである。私どもの一生の時間と数世紀にわたる時
の流れには一脈通ずるものがある。私の吸う空気は自然の偉大な貯蔵所から引き出され、私の書物
に落ちる光は一億マイルを隔てた星からさしており、私のからだの平衡は遠心力と求心力の均衡に
よるように、時間は時代によって説かれ、時代は時間によって説明されなければならない。個人は
すべて普遍的な心のあらたな化身である。普遍的な心のあらゆる特質は個人にある。個人的体験の
新しい事実は、一つ一つ大きな人間集団の仕事に光を投じ、個人生活の危機は国家の危機を思わせ
る。あらゆる革命は初め個人の心に抱かれた思想であって、同じ思想がほかの人に浮んだとき、そ
れがその時代を解く鍵となるのである。あらゆる改革は、かつてはだれかの個人的見解であったの
であって、それが再びだれかの個人的見解となるとき、それがその時間の問題を解くものである。
述べられた事実が信じられ理解できるものとなるためには、それは私の中にある何物かに相応じな
ければならない。私どもは読書をするときギリシャ人、ローマ人、トルコ人、牧師や国王、殉教者
や死刑執行人などにならなければならない。これらの心象を私どもの秘かな体鹸の、ある事実に結
びつけなければならない。さもなければ何事も正しく知ることはできない。アズドルーバルやシー
ザー・ボルギアに起ったことは、私どもに起ったことと同様、心の力と堕落を示している。新しい…
824 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/17(日) 15:00:40.16
>>818 >娯楽で哲学書はなかなか読む気にはならんだろう。
哲学書だって、知的好奇心、という娯楽で読むもんだろ。
そもそも、勉強、という熟語は、他人に強制する暴力的な熟語だと思うね。
825 :
小林秀雄:2011/07/17(日) 15:03:31.30
みんな俺をコバヤンって呼べよ
コバヤン
人生は死ぬまで勉強だと思わない奴はなかなか成長もしない。
伸びるのは背丈だけだなwww
(前承)
大空の星から、称讃はあらわされ、敬意は示され、愛は流れて来る。
このような暗示は、言わば眠りと夜からふと得られるものであるが、真昼間に用いたいものであ
る。学者は歴史を積極的に読むべきで消極的に読むべきでない。自分自身の生涯を本文とし、書物
はその註釈と見なすべきである。このようにして強いられて、歴史の神ミューズは神託を砦げるも
のである。しかしこれは、自分自身を尊ばない者の絶対に聞くことのできないものである。とうの
昔、はるかにその名をとどろかせた人のしたことは、今日自分のしていることより深い意義を持っ
ているなどと考える人では、歴史を正しく読もうとは私に期待できない。
勉強ってのは、勉強しない大人が勉強しない子供に無理やり
押し付けるもんだからなwww
石原史観のつくる会の教科書みたいなもんか? あれは娯楽書か…
ところでベルグソンの「意識と生命」なんかをパラパラやると、
「来世」って章があって、死後生の存在とその研究の可能性への
楽観的な期待が述べられたりする。科学の進歩が我々の視野を
如何に広げて来たかを引き合いに出して。
小林のベルグソン贔屓だけは、どうにも鼻をつままざるを得んな…
830 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/17(日) 17:13:25.32
あるいは、受験勉強とか、資格取得の為の勉強とか、何らかの実利をともなう時に使う言葉じゃないかな。
能動的な勉強ってのもあるけどね。
日本の国も勉強熱心な時代は戦前も戦後も成長しなかったか?
人が一生を賭けて学ぶことの内で、無条件に子孫に伝わって残ることは
ほんの僅かなことだ。人は常に白紙から始めなければならない。
進歩主義以前の時代には、これはある意味当たり前のことだった
のではないか?
834 :
吾輩は名無しである:2011/07/17(日) 19:47:16.60
>>833 だからこそ、若手批評家に「小林秀雄論」を書かせるような才能の
浪費をさせてはならない。
江藤淳論も何の意味もないからw
柄谷、浅田、蓮見論も同様だぞw
浅田論ってあるの?
836 :
吾輩は名無しである:2011/07/17(日) 20:06:13.46
>>835 浅田は弟子達に命令してるだろう。「俺の事は書くなよ」と。
いいなあw俺が書こうかなあw
838 :
吾輩は名無しである:2011/07/17(日) 20:18:59.85
止めた方が良いぞw
浅田さんにコテンパンにディスられてみたいじゃん。すごい光栄な事だし。
俺は浅田彰の魂を信じてるよ。
841 :
吾輩は名無しである:2011/07/17(日) 20:23:17.85
小林秀雄を認めたら、江藤淳、果ては福田にまで至るんだからw
これほどの、無駄はないw
江藤淳はともかく、福田和也は小林秀雄と何の関係もないよw
843 :
吾輩は名無しである:2011/07/17(日) 20:30:52.91
>>840 俺が文芸出版社の社長なら、新人文学賞の選考を下読みから
最終選考まですべて、浅田一人に任せるよ。だが、実際の浅田が
やってることは違うだろう。
でもそれは無理でしょう。浅田彰は親の介護もしなくちゃいけないんだよ。
勉強することの意味ってのは、世の中に出て自分の足で歩いて
みないと良く分からんところはあるかもな。
これは大人の責任だ。誰も責任能力がないと困っちまうなw
846 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/17(日) 23:44:07.81
勉強って明治に作られた熟語だよね。
値引きするときに、
「勉強させて頂きました!」
とか言うから、あんまりいいニュアンスはないんじゃないの?
847 :
吾輩は名無しである:2011/07/18(月) 00:21:02.10
ゆとり世代はなかなか良いこと言うね。
848 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/18(月) 00:32:45.17
小林だってゆとり世代だろ。
ゆとり世代だからたいして勉強もしないで東大に入れたし、
趣味の文学に没頭出来るわけよ。
ゆとりがないと妙なカリカリしたサラリーマンが増えるだけ。
849 :
吾輩は名無しである:2011/07/18(月) 00:38:44.11
小林の時代の東京帝大の仏文はFランだったのか!
850 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/18(月) 00:43:16.21
そもそも、貧困国だったから、大学に行ける人の数が少なかったでしょ。
851 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/18(月) 00:46:24.43
志賀直哉なんて、学習院で授業中にスッといっなくって、スッと戻って来た、なんて言われてるから今で言えばヤンキーでしょwww
つまり、ゆとりがなければ人間育たないよ。
852 :
吾輩は名無しである:2011/07/18(月) 00:46:27.28
ランボオ論Tは講義にもロクに出ないままだった学生時代に
書いたんだろ。俺はずっと初老の小林をイメージしてたが。
853 :
吾輩は名無しである:2011/07/18(月) 00:57:38.49
バカならどんな環境からも育つだろ。
854 :
吾輩は名無しである:2011/07/18(月) 08:32:47.49
閑話休題、小林におけるベルグソンの中途半端な影響というのは、
考えて見るとポスト・ナチズムの先進諸国における知的混乱の
象徴のようでもある。小林はそれに正面から向き合おうとした
だけで。
855 :
吾輩は名無しである:2011/07/18(月) 08:47:55.45
ベルクソンの中途半端な影響を受けてる奴なんてその辺にごろごろ
いそうだが、小林だから尊く拝まれるんだよなw
856 :
吾輩は名無しである:2011/07/18(月) 08:54:45.79
小林がベルグソン論を始めたのは、ワトソンとクリックが二重螺旋を
提唱して五年後、中断したのは二人がノーベル賞を受賞した翌年だ。
世相というのはあるんだよな。冷戦終結後のアメリカなんて、
遺伝子遺伝子ってお祭り騒ぎだった。
「この世界か不幸なのは」彼女はためらいがちに続けた。「人々が末だに迷信にこだわり、科
学的であろうとしないからです。それからこう言ったわ、もしみんなが科学をもっと勉強すれば、
世界から不幸はなくなるでしょう」
「科学はそのうち生命の究極の秘密を解き明かすだろうっていってたな」バーテンダーが割りこ
んだ。彼は頭を掻いて、眉根を寄せた。このあいだ新聞で読んだと思ったけどな、それがとう
とう見つかったって」
「それは読みそこなった」わたしは小声で言った。
「見た見た」とサンドラ。「二日くらい前よ」
「そうだ」とバーテンダー。
「生命の秘密とは何だい?」と、わたしはきいた。
「忘れちゃった」
「蛋白質だよ」バーテンダーが断言した。「蛋白質の何かを発見したんだ」
「ああ、それだわ」とサンドラは言った。「それ」
カート・ヴォネガット・ジュニア『猫のゆりかご』1963
>>780 世捨て人ねえ、ネットフル活用してるようなのは、世捨て人とはいえんという
批判がどっかから聞こえてきそう。
>>781 ほとんど読んでないなら、俺が鈴木のかわりに読むことで、読まれるという
本の目的が果たされることになるだろうw
>>786 プルーストスレちょっと読んだけど、「『秋』に書かれていたことと違い、小林が
二冊以上借りていた可能性がある」「小林がプルーストについて盛んに
論じていたことがある。」 これだけじゃ、小林がプルースト読むのを途中で
やめたというのが嘘であるとは断定しがたいな。 要するに小林が「失時」を
最後まで読んだのか、これが一番の問題だろうが、これについては上記
二つの証言をもってしても、小林の言い分が嘘だったとは断定しがたいね。
>>854 小林はベルクソン論の公開を厳禁してたんだから、小林のベルクソン論が
なんらかの社会的影響を今でも、もっているとするなら、それは出版社の
責任に帰すべきものだろう。
しかしN ◆.a7VUr.VD.の書き込みは、何の魅力もないな。
>>861 ハッハッハッ。 おまえさんの独りよがりで自己陶酔的な
書き込みにくらべれば、平凡かつまともな書き込みであると評価
してほしいもんだなw
俺がネットを始めたのは、腐った世の中に利用されないためだって。
凡才には凡才なりの矜持があるわけだな。
偽物を駆遂するためだ。
小林秀雄は匿名批評を推奨してたけど、現代に生きてたらたぶん逆の事を言ったと思う。
新聞記事とかも全部記名にすべきだと思うな俺は。
867 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/19(火) 19:32:12.89
どういう理由で、小林秀雄は匿名批評を推奨してたのだろーね?
正しい批評ってのがどこかにあって、それには個性は必要ないと思ってたんじゃないかなあ。
便所の落書きくらい無記名でさせてくれんもんか。
2ちゃんが権威持ったら終わりだよね
ニコ動で威張り散らす石原みたいなもんだな。
872 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/19(火) 20:28:32.08
そういえば、2ちゃんでも、コテを付けて書くと、名無しでかけ!とケチを付けて来るヤツがいるからなwww
小林秀雄は元祖2ちゃんらーだったのか?!!
というか、小林秀雄は自分が個性に立脚した批評家だと自覚してて、その反動から別の在り方を評価したんだと思うな〜
874 :
小林秀雄:2011/07/19(火) 20:31:23.59
俺なんか自演して名無しで書くと「コテ付けろよ!」って言われるよ
俺も言うw
876 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/19(火) 20:37:36.31
つーか、この板でIDが表示されないのは小林の影響だったのか?!!
877 :
吾輩は名無しである:2011/07/19(火) 20:41:39.00
匿名批評の存在意義を、権力や暴力から身を守る手段として
擁護していたのは花田清輝だったと思うが、小林には戦時下の
抵抗のための匿名の必要など全くなかったのでは?
小林の場合は個人的な悪口に匿名を利用したかも知れないがw
>>877 小林がいうには、「匿名批評は社会的だ」っていうんだよね。
これって、どういう意味なんだろうと、たまに思い出して考えるんだよな。
自分の時評の文壇性に嫌気がさして、まじめに匿名批評を書いたことも
あったが、報酬がすくなくて続かなかったって書いてるね小林は。
社会的な匿名批評というと、現代ではどんなものだろう、アマゾンの
ブックレビューとかかな。匿名の批評だなあれも。
879 :
吾輩は名無しである:2011/07/20(水) 01:44:49.95
アマゾンのブックレビューは業者では?
内容に関係なく評者の名前を見て、批評の良し悪しを決められる
ロゴスでなく、エトスで説得されてしまうから、というのは?
うわー。Nさんの文章読みたいけど、俺ベロベロだー(^-^)/
>>879 アマゾンのレビューでは、業者も自作自演やってるだろうが、業者だけが
レビュー書いてるわけじゃないだろう。 まあ、複数のレビューからどれを
参考にするか、そこで読者のリテラシーも当然問われるわけさ。
>>880 せっかく酔っ払ってるんだから、そのまま酔いつぶれてろよw
でも睡眠薬でベロベロなんだよね。どうすべきか。
酒と睡眠薬? これまた強烈なコンボだな。
アマゾンのレビュー、外国の方がいいらすいな。
俺が見た限りでは、そんなにレベル変わらないと思うw
こっちのアマゾンレビューにも面白いのはあるし、むこうのレビューにも
くだらないのはある。
それいったら、あたりさわりねーじゃねーかよw
俺としては、それ以上いいようがないw
たとえありきたりの全くもって凡庸な感想だろうと
それ以外にいいようがないのだから。
まあ、報酬もなく沢山レヴュー書く人もいるだろうから、えろいもんだな。
ああそうか、小林の匿名ってのは、報酬あっての匿名だろうから、
アマゾンetcの無償ビジネスの一貫としての匿名とは違うかもね。
アマゾンには山ほどレビューがあるが
参考にするべきレビューは無い
匿名批評がとりわけ優れているというよりは、新聞雑誌における
作品の署名批評が意味ない、読者は誰も読まないって、そういう話かもな。
アマゾンのレビューの場合は、どのくらいのひとがレビューを参考に
しているか、数字で出るとこが画期的だよねw
アマゾンのレビューでも書きまくるとなんかバックがあるんだよね確か。
小林の時代の匿名批評と、どっちが報酬大きいか。案外、アマゾンのほうが
バック大きかったりしてなw
893 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/20(水) 04:40:59.31
◆斜断機
“藁”えない「2ちゃんねる」
今、文学は隆盛である。奇異に聞こえるかもしれぬが、確かにそう思わせる「症候」が
存在する。インターネット「2ちゃんねる」文学板スレッドの膨大な書き込みを覗(のぞ)くと
一瞬そう思う。
言うまでもなく、文壇は沈滞している。その証拠の大きな一つに、文芸雑誌から匿名コラム
が消えて久しいことがあげられる。小林秀雄をもちだすまでもなく、匿名批評は文芸批評の
精華だが、華がないということは、文芸雑誌が自らをつまらないと告白しているようなものだ。
その他のメディアにおいても匿名批評が消滅しつつあることは、読者をどんどん文学から
遠ざける一因となっていよう。現存する匿名コラムの沈滞ぶりもはなはだしい。
ラーメンやフーゾクといった他の板と比べると量的に劣るとはいえ、「2ちゃんねる」文学板は、
匿名批評の宝庫である。そこでは、藤枝静男や阿部和重からバルザックやジョイスまで、
誤訳・盗作問題から新人賞の傾向と対策までが、「逝ってよし(出ていけ)」「DQN(ドキュン、
とんでもねぇ)」「藁(笑い)」といったジャーゴンを交えて、さまざまに語られており、時として
無視できぬ鋭いものさえ存在する。
もちろん、問題もあろう。すでに指摘されているように、その匿名性は「公共性」を喪失して、
無責任な誹謗(ひぼう)やガセネタがバッコする素人クズ批評の温床でもある(私ごときも
被害をうけておりますが)。しかし、文芸雑誌をはじめとした活字メディアが、作家への
配慮といった問題にもよってであろう、もはやマトモな匿名批評を掲げえず、逆に、ネット上の
素人(?)匿名批評家の水準が無視しえぬほど相対的に向上しているのであれば、それと
いかに関(かか)わるかが問われるだろう。今後の文学(だけではないが)に「2ちゃんねる」
的なものは不可避である。困ったことだが、この問題は、書き手やジャーナリズムも、ちゃんと
考えねばなるまい。
文芸評論家 すが秀実
894 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/20(水) 04:43:35.48
なんか、この人バカだねw
俺の方がまともな事を書いてるんじゃないかな?w
895 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/20(水) 04:47:14.26
この人の話を要約すると、
2ちゃんねるは匿名だ、小林も匿名批評が正しいといっていた。
その匿名批評をやらなくなったから、文壇は沈滞しているのだ〜
ってだけの意見なんだよねwww
896 :
吾輩は名無しである:2011/07/20(水) 06:06:56.01
>>878 報酬が少ないことを匿名批評を続けられなかったことの理由に挙げるなんて
「社会性」の意味を小林ははき違えてるね。少なくとも、読者を喜ばせ、
社会的反響を期待するという点で、彼の姿勢には不合格点しかやれない。
これに対して、花田が書いたと言われる、埴谷のヤングゼネレーションへの
媚びや彼等の取込みを辛らつにサティリックに批判したものや、柄谷、
中上のコンビをからかったものは、文章の切れ、面白さで群を抜いて
いたのでは?両方とも「大波小波」だったかな?
小林が「匿名批評では文章の華という点で花田にはとてもかなわない。」と、
思って断念したというのなら、まったく俺は納得するんだがw
花田のは文章のサティリックさ、読み手との距離感の近さなど、非常に2ch的
なんだよな。
サティリックさ
898 :
吾輩は名無しである:2011/07/20(水) 06:59:39.17
>>890 スガは「匿名批評は文芸批評の精華」とかいってるが、小林は
白鳥との対談では、そこまでいってないぜw これはやりすぎな
解釈じゃないか?
小林が自分の批評の文壇性に嫌気がさしたって、それは既に
>>878で
引用済みだな。 ちゃんとひとのレス嫁よな。
>>896 プロの批評家として、原稿料について気にするのは当然ではないか。
「はき違えてる」とか、ただの寝言じゃん。
まあ、文章書いて金をもらうとは、どういうことか、考えてきた時期は
ずいぶん長かったとも小林は書いているけどさ。その問題について
結論はでなかったようだ。瞑晦界の霧に隠れた問題だってねそれは。
900 :
吾輩は名無しである:2011/07/20(水) 08:22:42.84
>>899 何が原稿料だよw
1000円以下の奴が何をエラソーニw
匿名批評なんか、書きたい気持ちがまず、優先だろう。
頼まれてエラソーニ書くもんじゃない。
何を勘違いしてるんだよw
小林の馬鹿やろーはw
901 :
三浦 ◆aKZjWmIOl2 :2011/07/20(水) 11:45:22.36
>>893はつまり「今や文学に関わる人は2ちゃんねる的なものを無視できない」ってことですね。
アマゾンのレビューや読書メーターのコメントも「2ちゃんねる的なもの」に含まれるでしょう。
この引用はいつごろ書かれたんでしょうか?
スガ秀実は実名で2ちゃんにカキコミしたことがあるけど、本人だとは信じてもらえず、
まともに相手にされなかったって蓮實との対談で言ってましたが…
小林の「本居宣長」が話題になってた時代と較べて、つくる会教科書
騒動を見ると日本の民度は落ちる一方だな。
小林的なるものと石原的なるものの違いだな。
小林秀雄全集と2ちゃんねるくらいの差はあるだろ。
2ちゃんねるはもともと石原ちゃんねるだからな。
程度は推して知るべしwww
ああ、江藤との対談で本居とベルグソンについて云々してんな。
戦前から米ソ冷戦時代を通じて追い払い切れなかった人種主義や優生思想の
亡霊と対面してるような気分になる。
2ちゃんねるも、骨董品みたいな人種主義右翼多かったなぁ。
ヴァレリについての文章でヴァレリの逸文を小林に読まされたすぐ後で、小林が「美しい」と
言って続けて差し出すベルグソンの文章を読むと宝石を眺めた後でクソを
握らされたような気分になる。
食わず嫌いは駄目だと思ってベルグソンの文章を点検すると「ニュアンス」が云々と、哲学や
科学を論じるには余りに感性的なのだな。しかも小林が最も重視している
のも、この「ニュアンス」という言葉だ。
「感想」の終わり頃を拾い読みすると、やはりこの「ニュアンス」という言葉が
続けざまに登場する。まるでこれ以上の思索の深化を禁じる限界線のようにだ。
907 :
吾輩は名無しである:2011/07/20(水) 22:09:48.17
>>829 小林秀雄はね、意外とそういうのが好きなんですよ。「感想」の第一章にも「母が死んだ数日後の或る
日、妙な経験をした。誰にも話したくはなかったし、話した事はない。」といいつつ次のように書く。
「もう夕暮れであった。門を出ると、行く手に蛍が一匹飛んでいるのを見た。(中略)おっかさんは、
今は蛍になっている、と私はふと思った。(中略)あたり前だった事をあたり前に正直に書けば、門
を出ると、おっかさんという蛍が飛んでいた、と書く事になる。」
他にもユリ・ゲラーがどうしただの、本居宣長の「言霊」がどうとか、例をあげればキリがない(笑)。
ベルグソンと本居を並べて見せたりするのは、ヒキコモリ保守だと思われたく
ないアリバイ工作もあるんではないかと思うんだがね。
909 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/20(水) 22:37:30.41
>>907 ほう、小林はユリゲラーにまで言及してたのですかw
で、ユリゲラーにたいして、否定的、肯定的、どっちだったのですか?
910 :
吾輩は名無しである:2011/07/20(水) 22:38:37.35
スウェデンボルグ、ポー、ベルクソン、小林、
皆、直観の人だよな。
スウェデンボルグもポーもダーウィニズム以前の世界の住人だ。
生物学が神を追い払ってしまう以前の。
912 :
吾輩は名無しである:2011/07/20(水) 22:56:51.85
>>909 どれだけ小林読んだって?
ベルグソンは確信犯的二元論で、宗教は精神を、科学は物質を取り扱うと
いう風に割り切ってるんじゃないか。
小林はベルグソンよりも深いんで、そういう安易な割り切りを本能的に
回避しようとして、いやベルグソンは実は単なる二元論ではなくて、と
いう風にいろいろ屁理屈をこねて見せるのだな。
914 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/20(水) 23:06:10.95
じゃあ、小林も東京タワーを曲げようと、ユリゲラーと一緒に念じたのかな?www
日本は天皇を中心とした神の国だから、心を1つにすれば東京タワーぐらい曲がるはず!みたいな感じでwww
野良犬に餌は禁物だ。
テーゼとしての宗教、アンチテーゼとしての科学、ジンテーセとしての
哲学、乃至は形而上学。「感想」の中断の仕方はそんな風かな。
しかし、哲学が所詮は自然的光の範囲でしか認められないのだとすると、だ。
916 :
吾輩は名無しである:2011/07/21(木) 00:31:01.28
右翼キチガイの石原ジャパンでこんな話したって便所の落書きくらいな意味しか
ねえさ。このキチガイ病院みたいな国でな。
>>899 白鳥との対談だけ読んで済ませるな。
小林の匿名批評論で一番詳しいのは「文藝批評の行方」(全集五巻)とかだろ。
919 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/21(木) 01:26:15.61
つーか、名無しだろーが、名有りだろーが、毎月何十本も新人の小説を読まなければならないのはとても辛い仕事だと思うよ。
それより有名な作家の評論をした方がずーと楽だよね。 ハズレがないもん。
920 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/21(木) 01:29:19.29
前にエロ雑誌の仕事をしたことがあるけど、
その雑誌でAV評をやってて、毎月何十本も紹介していたけど、あれを書いて人は大変だろーなと思っていましたwww
で、それが小説だと更にしんどいと思うんだよねwww
いや、有名作家でも現役だと空振りも多い。
だから作者が死んで古典となったものだけ取り上げるのが後期小林のやり口。
922 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/21(木) 01:31:10.20
なるほど、古典だとハズレはないとw
あとは一流主義とかで、もう認められている人のみ相手にするのよ。
924 :
鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2011/07/21(木) 01:39:37.07
本居宣長、モーツアルト、ドストとかはずるい、後付けで役を狙っているジャンキーだヨ☆!
925 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/21(木) 01:44:49.37
手垢の付いた有名人を褒めて、商売になる文章が書けるところが小林のエライところ!
926 :
吾輩は名無しである:2011/07/21(木) 02:17:17.21
無名時代の山下清のことはこてんこてんに言ってたな(「清君の貼紙絵」)。
新しい才能を発掘する能力は、小林秀雄にはない。
まあそれもとっくに寺田透が批判してたことだけどね。昭和二十年代の小林秀雄論で。
928 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/21(木) 03:01:12.66
小林の、パーにはまともな絵が描けるはずがない、と言う主張は真っ当な主張だと思うよ。
929 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/21(木) 03:01:38.70
俺は絵のよしあしはよくわかんないけど。
ぼ、ぼくは、いい絵描きだから、つまりパーではないんだな。
931 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/21(木) 03:08:12.46
www
932 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/21(木) 03:13:35.64
芸術=精神の活動、だと。
パーの精神の活動など芸術ではないと、小林の論法はこんな感じだったと思うが。
まあ心・精神・感覚・思考の関係性なんて、
数多の諸学問分野で全く異なる厳密な定義が存在するのになー
>>900 小林だって最初のうちは、新しい批評分野の開拓にいきごんで
ずいぶんたくさん匿名批評書いたっていうけどねえ。 それで
生活できなけりゃ別の道さがすしかないんじゃない?
原稿料、著作権料以外に多大なる収入を得る道が、小林に
あったとは思えないけどな。 まあ、それについては疑いを
抱いてるものもいたようだが。平野謙とか。
>>918 おっと、こりゃ一本とられたわ。
「文藝批評の行方」ねえ。 スガはこれ読んで
「匿名批評は文芸批評の精華」といったわけかな。
これは確かめてみるしかないな。
>>923 「批評の対象は一流でなきゃいけない」
小林がこういったのは、いつの話だったか。
936 :
吾輩は名無しである:2011/07/21(木) 10:07:23.46
菊池寛や正宗白鳥や林房雄が一流か?
>>936 小林は白鳥には一流という形容つけてたけど、菊地や林については必ずしも
そう評価はしてないな。むろん、非難罵倒なんかはしてないけど、一流かどうかの
評価については結構微妙なものいいではぐらかす。
菊地については、「菊池氏の作品について不満はのべまい、それは僕らが単に
菊地氏より新しい時代に生まれたという理由だけによる不満だからだ。」
確かこんなものいいで。
林については「林は林の作品より、林という人間のほうが面白い」って評価
してるね。これは林は一流の文学者ではないという、小林流の婉曲表現。
まあ、「批評の対象は一流じゃ無きゃいけない」って、これは批評の理想で
あって、やはり現実は二流三流の作品とも泥まみれになって格闘することが
必要なときだってあるだろう。 小林が新しいものを見いだすことできなかった
ってのは、反証をあげることはさして難しくないんじゃないか。漫才師の
アキレタ・ボーイズだっけか。売れっ子漫才師をいちはやく見いだしたり
坂本九は絶対世にでるよって評価したり、小林の新しいものを評価する
批評的感覚というのは、むしろ芸能分野で発揮されていたのではないかとw
938 :
吾輩は名無しである:2011/07/22(金) 14:26:48.02
てめーら死ね。俺の本当の話でも聞け。
川上みえこはビクターとかの机に糞を置きざりにし、
NHKの小学校の番組では、小学生に説教して糞を投げたり、食ったりした。
江国は霊になって、YOUTUBEの心霊画像集にも出るし、画像で見ても町田康は分身するし、
いい世の中だよなー。
939 :
936:2011/07/22(金) 17:30:58.17
937さん、つきあってくれて感謝。
坂本九については知らなかったので探してみる。
いい話だなー
全集の中表紙に飲み屋で徳利傾けてる写真あるが、小林は
粋人で野暮は嫌いなんだろう。
よくも石原なんて相手にしたもんだな。
清濁併せ呑むってんなら石原は明らかに濁の方だね。
石原みたいな人間のクズを否定しない自分に酔ってたのかな?
ヒントで「太平洋ひとりぼっち」を賛称してるよね。
ウィキにある堀江氏に対する石原の恥ずかしいエピソードは
どうにも情けない。
俺なんかは田舎者な野暮天なんで同時代にいて反りが合ったかなんて
アテにはならんね。全集にさっそくコーヒーを派手にこぼしちまった。
俺の本はみんなコーヒーのシミだらけだ。
彼が、數多の前代末聞の物事に跳ね飛ばされて、くたばらうとも、他の
おろしい勞働者逹が、代りにやつて來るだらう。彼等は、前者が斃れた處から
又仕事を始めるだらう。
946 :
吾輩は名無しである:2011/07/22(金) 21:24:26.60
ジョイスの初訳が出た1931年頃から戦前の話だろうが、
小林はジョイスのユリシイズ(伊藤整訳の他いくつかの訳が
昭和初期にあった。)を激しく批判していたらしいなw
どんな批判をしてたのですか?
948 :
吾輩は名無しである:2011/07/22(金) 22:00:03.73
>>947 ま、俺もgoogleの検索で見ただけで具体的に、その文章を
読んだ訳じゃないんだが。
川口喬一『昭和初年の『ユリシーズ』』(みすず書房、2005/06)に
書いてあるらしいんだな。
そうなんですか。ご親切にありがとうございます。
Nはデートかな
鈴木も彼女くらい作れよ
自分の事で精一杯だYO
>>939 坂本九について書いてあったのは、たしか小林の追悼特集やってた
文春のような気がした。
>>941 粋ねえ… 小林本人は粋や粋人いう言葉を否定的にしか使って
なかったと思ったな。骨董趣味については、「魔道」という風に
よく形容してたな。
>>946 ググるとでてくるな。小林の心理主義についての批判というと
「心理小説について」と、「再び心理小説について」の二編が
メインだろうな、おそらく。小林の批判は、「失時」や「ユリシーズ」
という作品自体に向けられたもので無く、その紹介者である
伊藤整や心理小説の批判者である瀬沼茂樹にむけられた
批判であるね。
そろそろ次スレがいるな。たてておくか。
乙カレー!
ジョイスについては小林は冷めた見方しかしてないな。中味がないって。
ヴァレリについて翻訳は自分の勉強のためにしかやらないって
言っている。翻訳は言葉を翻訳するんでなしに意味を翻訳しなきゃ
ならないから疲れるよ。意味は何語だ?
ジョイスが難しいのは自分に教養が足りないだけだ、だったかな。
テスト氏は小林訳より岩波文庫の方がこなれてて良いか知らん。
カミュやサルトルの後では甘ったるい感じも否めないが、
テスト氏だけで評価しても駄目だろう。
「Xへの手紙」はテスト氏の「友よりの手紙」が下敷きになってるのな。
ただ、小林にはヴァレリにない苦さがある。小林は自分では
決して言わないけど、同世代のカミュやサルトルにより近い
ところがある。
大岡との対談でカミュの「シジフォスの神話」を「あれはひどい、
まるで僕の文章みたいだ」と貶しているのは諧謔か知らん?
俺の論文並だよ。低級だよ。とか言ってたねw
小林の文章には孤独者の真剣さがある。
孤独者ねえ。取り巻きをしたがえ、文壇の大御所にはへこへこして・・。
ロクにクラシックの知識もないのにモーツァルトを印象批評して
クラシックの知識を突っ込まれるとクラシックの技術は関係ねえって逆ギレしたんでしょ
そこが今でもよく批判される所だよねえ
ドストエフスキイの生活盗作疑惑の時も「関係ない」って答えてた
小林は順応主義から遠かったろう。組織の役割も背負わない。
そりゃ面倒な世の中で付き合いも広いだろうが、「世の中で
成功することは、世の中に成功させて貰うこと」って
くらい冷めた目でやってる。
子供には分からんw
孫の手を引いて歩いている写真もある。宣長を書いてる頃だろ。
おじいちゃんの仕事がしたかった。
>>959 >「Xへの手紙」はテスト氏の「友よりの手紙」が下敷きになってるのな。
へーなるほど。
>>963 まあ、基本的にはレコードを聞く一般人の感想をより精密にしたものという
のが小林の音楽論の基本スタンスだよね。音楽の専門家、プロフェッショナルの
立場からの評論じゃないね。そのあたり、複製技術時代の芸術が前面に
おどりでた時代の趨勢には敏感だったといえよう小林は。
>>968 俺もたまにカラオケいくと、歌謡曲ばっかり歌ってる。
俺も昭和歌謡を掘り進めてる。
阿久悠は天才だよねやっぱり。
GFが歌謡曲アイドルをめざしてるんだってよくいう。
歌謡曲ばっかり歌う、地下アイドルユニットとしてデビューすることを
もくろんでいるらしい。
中原昌也も自伝で言ってたよ。阿久悠は最高!って。
975 :
犬丸 ◆MRCYWQz4rc :2011/07/25(月) 02:54:46.82
>>963 > ロクにクラシックの知識もないのにモーツァルトを印象批評して
> クラシックの知識を突っ込まれるとクラシックの技術は関係ねえって逆ギレしたんでしょ
小林がやったのはモーツアルトの批評であり、クラッシックの全般の批評をしたわけではないのだから問題ないでしょ。
モーツアルトの批評がマヌケな批評だったら問題だけど。
だから小林とクラシックの知識について論難したきゃ、友人の諸井三郎が
「近代の超克」に収めてる論文を読めって。
これに形式の類似した会議は十年許り前、国際聯盟の知的協力委員会で開催された、ヴァレリイ
を護長とした数次の会議であらう。そこには、既に矛盾を曝露し初めたヴェルサイユ条釣の、応急彌
縫策としての知識人の動員が見られてゐる。この目的のために巧妙に案出された議題は「欧羅巴人は
如何にして可能なるか」といふ命題である。
「近代の超克」結語(河上徹太郎)
新スレあるから消化しちまおう。
小林秀雄のクセがわかると読みやすくなるのだろうか?
吉本隆明の文章はいまだに馴染めないけどw
俺も吉本隆明だけは「読めない」って思った。あれはなんなんですか?
鈴木はバカだから本が読めないんだよ
>>980 お前は吉本隆明の何を読んだのか言え!言えったら!
まあ、確かに吉本はよみづれー、俺にとっても。
三島は吉本の論争よんで、「猛牛の首から流れる血潮に恍惚とする」
などと表現したそうだが、論戦の時と論文書くときと、ずいぶんスタイルが
違うってこと無いかなあ、吉本。 吉本の論戦の文章って、ほとんど読んで
ないんだが。
鈴木は馬鹿だなあ
埴谷雄高との論争とか、花田清輝との論争はちゃんと読んでみたい。論争には非常に興味があります。
エヌも鈴木も吉本苦手なのか、安心したよw
馴れ合いじゃない対談って面白いよね。
柄谷のバカヤロー対談とか面白いですよ。
対談って好きなんだよな。
文芸文庫の小林秀雄の対談集も面白かったし、
大岡と埴谷の対談本も面白かった。
柄谷のバカヤロー対談ってどんな本?
中上健次未収録対談集成っていう7千円の本に載ってますよ。
そんな高い本持ってるの? 借りて読んでみたいね。
小林秀雄と正宗白鳥の対談はあまり面白くなかった。
それより安吾との対談のほうがいいね。
それはそうだね。緊張感があるからね。俺も借りて読んだよ。
ググったら中古で5000円ぐらいだった。欲しいなあ。
柄谷と蓮實の対談「闘争のエチカ」はつまんなかったね。
お互い遠慮しちゃって。
ググったら鈴木 うんこの検索結果が約 5,250,000 件あった
>>991 そうなんだ。読んでみたいなあ。いくらくらい?
「闘争のエチカ」は河出文庫だから品切れかもしれないけど高くはないよ。
吉本とフーコーの対談も死ぬほどつまらなかったなw
確か78年ぐらいだったかな?
吉本とフーコーの対談はほとんどかみあってない。
通訳をした蓮實のせいではないと思うw
せっかくフーコーが来日したのにもっといい対談相手はいなかったのかとw
吉本隆明はなあ
ザコの戦争協力は叩くくせに
小林秀雄の戦争責任だけはスルーしてる
でも団塊の世代あたり?の人の話を聞くと
吉本隆明はすごく人気があったみたいだね。
小林秀雄、吉本隆明の読まれ方は、
柄谷や蓮實の比じゃないくらいじゃないの?
>>996 小林秀雄は相対的に責任薄い、みたいな発言してなかった? 吉本は。
完全スルーはしてないだろうさすがに。
もうこのスレも終了間際だな。
もっと小林を読もう!
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。